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2025年12月09日
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カテゴリ: 御朱印:石川県
福井県の古刹、山中に建つ禅の聖地として知られる永平寺参拝後、更に北上して白山信仰の総本社 白山比咩神社を目指します。県道22号をひた走り、ふと東の山々を眺めると奥の方に雪を被った高峰が見えました。あれがもしかして白山かしらとジーっと眺めていると、いつの間にか信号が変わっており、後ろからクラクションをくらってしまいました。見とれるほどに美しい峰々でした。
駐車場から撮影したんですが、これが限界でした。ここも登拝したいですねぇ。



2025.11.24
白山比咩神社


白山市の東の端、手取川のほとりに境内を構えております。一之鳥居の前には広い駐車場、今回はここに停めて参拝します。
黄色く色付いた銀杏の葉が境内を飾り、夢うつつのまま参拝できました。



参道は緩やかな登りです。木々に囲まれた厳かな雰囲気は、山岳信仰の社という風情があり、とてもお気に入りです。



参道脇には巨木が立ちます。注連縄もまわしており、御神木だと思われます。



参道の突き当りには白鳥居。奥には摂社の荒御前神社、随神門が立ち並びます。



随神門の真ん前からは手取川が臨めます。白山から流れ出でて日本海へと注ぐ美川ですが、石川とも呼ばれるそうです。石川県の名前の由来となっていることは言うまでもありません。







門の裏側には勇壮な姿の神馬像。華やかに飾られており、今にも動き出しそうです。



門の脇、先ほど紹介した摂社:荒御前神社。祭神は荒御前大神・日吉大神・高日大神・五味島大神の4柱とされていますが、これらは14代神功皇后の朝鮮出兵に際して守護した神格と言われているようです。日吉大神以外はあまり聞きなじみがない神格ですよね。詳細を知りたいところ。



荒御前神社の脇には力石が3つ。
この地域では力石ではなく盤持石というようです。右から”あか石(127.5kg)”、”おまもり石(150kg)”、”あお石(172.5kg)”と呼ばれており、祭事の時には若者たちがこぞって持ち上げ、場を沸かせたそうです。



お待たせしました、白山比咩神社の拝殿です。新しめの外観ですが、周囲の樹叢も相まって古社の風格がプンプンと漂っております。総本社にも関わらず装飾が控えめなのは、イブシ銀の感じがして良いですねぇ曹洞宗の寺院の鎮守社として置かれることも多く、境内も少なからず禅宗様の要素が混じっているんではないでしょうかねぇ、知らんけど。
古めかしい木材、太い注連縄、緑溢れる境内・・・山岳の神を奉斎する神社として必要な要素を全て備えている、そんな神社でした。



御由緒です。社務所にて購入できる” 白山比咩神社 略史 ”より抜粋していきたいと思います。

白山比咩神社

鎮座と祭神
 神代より降り積む雪のますます白く、「越のしらやま」として詩や歌に詠まれ、富士山・立山と並んで日本の三名山と仰がれる「霊峰白山」は、白山比咩大神の鎮まります神の御山と尊ばれる。また有徳の大明神の鎮座ましますところとしてあまねく崇敬されるところである。この霊峰白山のまつりの庭、すなわち白山比咩大神の遥拝所として石川県白山市三宮町に奉斎されているのが、白山本宮・加賀一ノ宮白山比咩神社である。
 当社の創建は『白山大神宮御鎮座伝記』によると、崇神天皇7年(皇紀基準:前91年)と伝えられる。御祭神は菊理媛尊(白山比咩大神)、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三柱である。

 ・・・。

神階と社格
 当社はもとより延喜式内の名社であり、また「加賀一宮」として広く尊崇され「白山さん」としてあまねく親しまれてきた大社であるが、加賀国が越前国に属していた頃にも「越前一宮」であったとも伝う。
 神階は『日本文徳天皇実録』には仁寿5年(853)10月に従三位、『日本三代実録』 には貞観元年(859年)に正三位を奉られたことが記されている。さらに永治元年(1141年)には、正一位の極位を極めたことが『源平盛衰記』・『白山之記』によって知られる。
 社格としては、明治4年(1871年)6月に国幣小社に列せられ、大正3年(1914年)3月には国幣中社に昇格した。
 ・・・。

白山奥宮

 白山は標高2702mで、富士山・立山と共に古来日本の三名山の一とうたわれている。最高峰御前峰の頂上に奥宮があり、白山比咩大神を祀る。大汝峰には摂社 大汝神社があって大己貴命を、別山には摂社 別山神社があって大山祇命を祀る。
 ・・・。

摂末社
 『白山之記』によると、加賀の下山の7社(白山七社)として、白山宮(本宮)、金劔宮・三宮(現、白山比咩神社の社地に鎮座)・岩本宮(現、岩本神社)の「本宮四社」と、中宮(現、筒笠中宮神社)・佐羅宮(現、佐羅早松神社)・別宮(現、白山別宮神社)の「中宮三社」からなっている。
 また末社は、本社境内に荒御前神社・住吉社があり、殿内末社として大国主神社がある。

御贄祭
 御贄祭は長和5年(1016年)に、加賀の七湊から御贄の献進があったことを起源とする古い祭で、漁業関係者の神恩報賽の祭典である。鎌倉時代には加賀国の七浦七湊から御贄の献進があったがいつしか絶え、江戸時代には当社10人神主のうち誰でも最初に手取川で鮭をとったものが献供して、直会には10人神主などの家族が集まり、骨まで頂いていた生贄の神事というものが僅かに名穫をのこしていた。
 しかし明治時代以降、この祭は中絶していたが、大正15年(1926年)以来、七湊御贄祭として再興され、古例によって、旧江沼郡小塩田尻・伊切、小松市浜佐美、石川郡美川・石立、河北郡高松・大根布の七漁業組合から御贅が献進されることになった。
 祭日は、従来、例大祭と併せ執行していたが、昭和43年(1968年)以降、每年6月の第一土曜日と改められ、加賀・能登両海区の各漁業協同組合をはじめ、海産物の卸・仲買・小売業者・加工業者など、漁業関係者がつどう大祭として、もろもろの海の幸が献進され、盛大な大漁祈願祭が執行されている。

白山の開山
 白山は上古においては、白山比咩大神の神霊の鎮まる霊山として仰がれ、禁足の神体山として女人はもとより一切の入山を許されなかった。越前の僧泰澄は「まだ誰も登らぬ雪の峰白山には必ず霊神あらん、我登山して顕応を乞わん」と志していた。『白山本宮同禅頂御出現次第』によると、霊亀2年(716年)、船岡山妙法窟に籠って観念を凝らし、祈願をこめると、霊験忽ち現れて白馬に乗った貴女が「我は舟岡に住んでいるが、西の河の深淵に行って、汝に結界荘厳せしめよう」と言い終って隠れられた。泰澄は急いで安久濤の淵(白山比峰神社旧鎮座地)に臨み、滝水の砌に向い大音声をあげて礼拝念誦した。養老元年(717年)4月1日、再び貴女が現れ「我、安久濤の淵に住み、和光同塵の垂跡を示し、不浄汚穢の輩を済度しよう。我が本地は白山禅定にある。往きて拝せよ」との霊感を蒙った。時に泰澄は36才であった。同年6月18日に初めて登山し、頂上の転法輪窟において、21日の祈念加持をこらした後、翠ヶ池のほとりで本地の真身を拝した。
 次いで別山にて小白山大行事、大汝峰にて大己貴命の示現にあった。このことは天聴に達し、元正天皇の勅命が下って、麓に白山の神殿を造立された。泰澄はこの後なお1000日の錬行を修め、臥行者・浄定行者も侍して、共に錬行した。
 その後、神亀2年(725年)7月、行基菩薩が白山登拝の際に泰澄は喜んで迎え、年来の友の如きありさまであった。行基はまた、泰澄の物語に感嘆したと言う。泰澄は、元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳各歴代の天皇の御帰依深く、徳行異相など枚挙にいとまがない。白山信仰が広く朝野にひろまったのはこれからである。

客人宮
 延暦元年(782年)、比叡山八王子の麓に白山妙理権現が現われ、叡山二十七代の慶命座主に一夜託宣があり、翌朝には積雪一尺という誠に不思議な霊験があった。天安2年(858年)6月18日、遂に社殿を建てて祀られるに至った。これが日吉の客人宮である。

白山の観音
 白山は本地を十一面観音とする。清少納言の『枕草子』にも、雪の山を築いた折「白山の観音これきえさせ給ふなと祈るも物くるほし」とあり、単に北陸ばかりの信仰でなく、都においても深く信仰されていたことがわかる。

白山五院・中宮八院・三箇寺・神輿振
 当時当社に所属する寺社は甚だ多く、 白山五院の柏野寺・温泉寺・極楽寺・小野坂寺・大聖寺 や、 中宮八院の護国寺・昌隆寺・松谷寺・蓮華寺(廃寺?)・善興寺・長寛寺・涌泉寺・隆明寺 や、 三箇寺と言われる那谷寺・温谷寺・栄谷寺 など多くの子院もあり、神領も多くその勢威を弄して神輿振りもした。神輿振りとは、神輿を奉じて大衆がつき従い強訴を企てることである。

神仏分離
 明治元年(1866年)に発布された神仏判然令によって神仏習合が廃せられ、当社においても明治2年(1869年)6月、本地堂を取りこわした。仏器を取り除き、長吏は復飾して三神直と改称した。
 また明治7年(1874年)7月、県官 三橋久実、森田平次等によって白山嶺上神祠の仏体仏器の下山が行われた。銅造十一面観音坐像(大御前本地仏)、銅造阿弥陀如来坐像(奥院本地仏)、銅造聖観世音坐像(別山本地仏)、十一面観音立像(慶松室)、木造泰澄大師坐像(室堂安置)、木造薬師如来坐像(市瀬薬師堂安置)等は旧白峰村に、木造十一面観音坐像、木造阿弥陀如来立像(桧新宮)等は旧尾口村尾添区にそれぞれ預託された。白峰村の下山仏は、現在白山市白峰の林西寺 白山本地堂に安置されている。



古社でありながら、ここまで詳細な由緒が残っているというのは、それだけ朝廷からも重要視されていたと言う事を示しているんではないでしょうか。末社や傘下の寺院も多く、霊場の規模はかなり大きかったものと思われます。
神仏分離に際して仏具の類は一掃されてしまいましたが、現在でも信仰の篤さを示す社宝が現存しており、 こちら(公式サイト) からご覧になれます。

2025.12.31
白山信仰について詳しく解説している動画を見つけたので載せたいと思います。
・YouTube / 石川県 歴史文化会議チャンネル / 霊峰白山と山麓の文化的景観



出雲大社の注連縄とまではいきませんが、こんなに立派な注連縄はそうそうありません。なんともご立派ァ!な太綱です。



扁額です。こちらは割とスタンダードなデザインですねぇ。



拝殿左手には三本の杉が植えられております。こちらも御神木で、それぞれ菊理媛神・伊弉諾神・伊弉冉神が祭神として充てられているみたいです。



御神木の隣。社殿の隙間から一本の竹筒が飛び出ています。ここから流れ出ているのは神体山である白山の伏流水です。両手で救い顔を洗ってみました。汗だらけの顔が洗い流されてスッキリ!気持ち良かったです。



社務所を越えて駐車場の方へと向かいます。ここには芭蕉句碑が置いてありました。
風かをる 越しの白嶺を 国の華
​この句が詠まれたのは元禄2年(1689年)と300年以上前なんですね。それでもありありと白くなった白山の姿が浮かんでくるのは、本当に面白いことです。優れた歌もそうなんですが、いつ聞いても新鮮な感じがするのはなんでなんですかね?



再び神門の近くに戻ってきました。こちらにある石碑には昭和天皇御製の和歌が刻まれています。昭和55年の白山登拝に際して御詠じられたもので、明治天皇がご覧になった白山を今見ることが出来たと唄っています。
ももとせの 昔帝の見ましけむ 白山にして 我登りゆく
昭和天皇



歌碑の隣には奥宮(白山山頂の社)の遥拝所が置かれています。



ここで初めて知ったんですが、白山も三山形式なんですね。中央の峰は御前峯、右峯は別山、左峯は大汝峯と呼ばれており、それぞれ祀られる神格が異なります。各峯に神社があるらしく、縦走も楽しそうです・・・!本当に登拝したいですねぇ・・・。




霊峰白山

 霊峯白山は、御前峯・大汝峯・別山の三峯から成り立っております。
 白山奥宮は最高峰の御前峯頂上に祀られ、全国3000余の白山神社の総本社として仰がれるお社です。白山奥宮の境内1689haの地域は、古来白山比咩大神の御神体山として尊崇され、霊峯白山は富士山・立山と並んで「日本の三名山」として有難く知られております。
 昭和37年11月、白山奥宮境内を中心として石川・富山・福井・岐阜4県にわたる47700haの地域が国立公園に指定されました。この「白山国立公園」のすぐれた特徴としては、
①豊富な高山植物
②広大な原生林
③美しい自然景観
が挙げられております。毎年春山(5.6月)・夏山(7.8月)・秋山(9.10月)の開山期には、全国各地から数万の人々が白山奥宮に登拝いたします。
 霊峰白山の遥拝所として今から2000余年前の人皇十代崇神天皇の御代にお祀りされたのが当社の創始とされております。

別山(右峯):別山神社
祭神:大山祇神
標高:2399m

御前峯(主峯):白山奥宮
祭神:白山比咩大神
標高:2702m

大汝峯(左峯):大汝神社
祭神:大国主神
標高:2684m



各峯の神格を表しているのか、鳥居の先には立派な磐座が3座並んでいます。”白き神々の座”と称される北陸の美峰を思い浮かべながら、いつか登拝出来るようにと願掛けしました。



斜めから。
白山を神体山とする白山神社の総本社 白山比咩神社でした。加賀に関わらず、その国の一之宮となっている神社には山岳を祀る神社が非常に多いです。それも山がちな国ならばなおさらのこと。古来より山というのは畏敬の念を持たれていたことが良く分かりますね。その畏敬の念がいつしか信仰へと形を変え、今日の大社や名社の類に続いていると思うと・・・感慨深いですよねぇ。
美しい山の社には美しい社殿を、美社殿を眺めつつ終わりとします。



今回貰った御朱印です。
※御朱印の花は月ごとに変わるそうです。



公式サイトへのリンクです。
・北陸鎮護の大社 白山本宮・加賀一ノ宮 白山比咩神社

以上です。

​​​​​​​​​​
​​​
境内の説明書き




白山詣双六

白山市







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最終更新日  2026年03月01日 20時21分39秒
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