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2026年07月19日
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カテゴリ: 景勝地:長野県
朝早くに山梨の拠点を出発し、早々に諏訪に到着。そこから蓼科山の方に向かい、長い山道の末、白樺湖を臨みます。このコースは佐久や上田方面に抜ける時の王道ルートで、こちらに来てから何度通ったか分かりません。山道は運転がつらいですが、夜には鹿や狐など野生動物とのバッティングが非常に多く、魅力的な写真が撮れそうな場所です。
苦労した末に立科町に無事到着。この日は別所温泉周辺の神社仏閣をまわる予定で、そのまわり始めとして有名な天台宗寺院に参拝しました。田舎道の脇に突如五色の幟がはためき、茅葺屋根の山門が出迎えてくれます。山門を見た時点でニヤケが止まらず、早く境内に進みたくてうずうずしてきました。



2026.4.18
慧日山 修學院 津金寺


いやはや、信州はやはり恐ろしいです。ここまで風情ある寺院がゴロゴロあるんですから・・・。山がちな地形故に懸造の仏堂も多く、まわり甲斐のある地域です。古刹の点でも最高で、坂上田村麻呂や行基菩薩開創の霊場も至る所に・・・!本当に面白いです

まずは山門をくぐります。山門の時点でもう、ね?
何といっても規模が大きいのに茅葺という風情マシマシ感がなんとも言えません。現在の山門は文化10年(1813年)に立川流の宮大工 上原市蔵(上諏訪)・田中円蔵(当町茂田井)らによって再建されたものですが、豪雪地帯にあってここまでの美観を保っているのは凄いの一言です。
因みに門に収められた仁王像に関しても面白い伝承があります。かつて行基菩薩を導いた戸隠山の九頭龍権現は、山門に収める仁王像を彫っていましたが、作成中見ることを禁じたにも関わらず、それを覗き見た者がいたそうです。それに気づいた九頭龍権現は、作成を途中で止めてそのまま昇天したんだとか。神格が仏像を作っているというのも面白い話ですが、修験の霊場である戸隠山と関りが有るというのも更に面白い点です。



山門には山号額。



それでは仁王像の方も見てみましょう。




吽形。
なかなか見られない手の反りに目がいきます。・・・完成してそうな感じがしますが、どこを彫り残して昇天したんでしょうかね?
というか、仁王像の前に懸けられた草鞋の数よ・・・。一体幾人の修験者や学僧が納めていったのか・・・。津金寺の長い歴史を表す逸品です。



山門後方右側には鐘楼。平成20年の建立で、以前の鐘楼は寛政5年(1793年)のものだったと言われています。これに吊るされた梵鐘は東近江市無形文化財に登録されている技を持つ西澤吉太郎氏の手になる物。平成19年に鋳造されました。



鐘楼の装飾も秀逸。これらは古部材の転用かもしれません。テーマは不明。



こちらにも。うーん、大陸の伝説とかがモチーフになってそうですが。



山門より先は庭園の様になっています。



そして眼前には御神木。樹齢は不明ながらかなりの古木です。



御神木を目に収めたまま、池に架かる観音橋を渡ります。



橋の先には、右に妙見堂、正面には本堂が控えます。
本堂は入母屋造の伝統的な造りの仏堂です。五色幕に加えて武田の四菱❖がしっかりと染め抜かれ、懸かっておりました。








慧日山 修學院 津金寺

天台宗 比叡山延暦寺末寺
開山:行基菩薩
中興開山:舜海
中興開基:甲斐武田十六代晴信公、累代小諸城主
本尊:聖観音

信濃の談義所 津金寺

 江戸時代中期の住僧 長海によって著された「津金寺由来記」によると、大宝2年(702年)古代東山道を通って信濃入りした奈良薬師寺の僧 行基が、戸隠権現の霊験により聖観音を安置し津金寺を開いたと伝えられている。
 鎌倉時代に津金寺談義所としてその名が現れ、公称する天台宗最古、建治2年(1276年)の学問所。所蔵する「津金寺名目」は、応安3年(1373年)学僧 穏海によって著された。
 又、戦国期にこの寺から高野山に宛てた宿坊文書や、武田信玄下付の改宗に関する朱印状などがある。
 春は境内裏山のカタクリを始めとする数々の山野草や、叡山杉の大木(樹齢約900年)、初秋の白萩、 晩秋の紅葉、冬の雪景色など、四季折々に趣がある。

長野県指定文化財【昭和49年3月22日指定】
●津金寺宝塔 3基(長野県最古の記銘石造宝塔)
 鎌倉時代初期、承久2年(1220年)信濃一六牧の1つ、望月牧の牧官であった滋野一族供養の宝塔。

立科町指定文化財【平成4年6月10日指定】
●観音堂(江戸時代中期建立)
●妙見堂(江戸時代末期建立、諏訪の立川流彫刻)

長野県郷土環境保全地域【昭和59年2月25日指定】
 境内約5.7ヘクタール、自然環境と文化財が見事に融合した後世に残す環境保全地域。

保科五無斉(百助)碑【明治45年5月5日建立】
 明治期の信濃を代表する教育者。蓼科農学校(現 長野県蓼科高等学校)初代校長。
 北隣の集落山部に生まれる。狂歌をよくし、碑の側面に遺言・辞世の歌二首がある。
立科町文化財保護委員会 立科町教育委員会



こちらの由緒も見てみましょう。
慧日山 修學院 津金寺

 立科町上房にある天台宗 恵日山 津金寺は、うっそうとした木立の山を背にして、広大な境内に諸堂が整い、まことに天台・真言・法相・禅の四宗兼学の道場にふさわしい姿を今も残している。本尊は聖観世音菩薩。

 寺伝によれば、寺は大宝2年(702年)僧 行基が、諸国巡錫の途次、山部の地に至り、榧の木をもって三尺三寸の聖観音像を彫り、一寺を結んだことにはじまり、弘仁6年(815年)東国巡錫の最澄が再興、仁寿年中(851~853年)その弟子 円仁が諸堂を完成したという。その後応和3年(963年)には良源(元三大師)の弟子 禅瑜、長保3年(1001年)に孫弟子たる寂昭等が寺門を監して四宗兼学の道場としての基礎を固めた。
 一方滋野氏など地方豪族の尊信を受けて寺運はいよいよ隆盛し、平安時代にはすでに信濃五山のひとつに数えられるようになっていた(『津金寺誌』)。
 中世に入り応安6年(1373年)隱海大僧正が来寺するにおよんで隆昌を極め、寺中36院・24坊、門末47寺を数えた。隠海は学徳高く「天台円宗四教五時津金寺名目」5巻を著わし、諸宗の学僧が多く登山したので、やがて比叡山の学林として「修学院」を称するようになった(『同』)。
 武田氏が佐久に侵入するにおよんで、元亀3年(1572年)寺は信玄の「定」によって四宗兼学の道場から天台の法流に復帰してその庇護を受けた。しかし武田氏の勢力が衰えるにおよんで、近郷豪族が寺地をおかし、兵火にもあって数十年間衰微をきわめた。
 寛永17年(1640年)僧 舜海が入山して中興開山となり、東叡山末として復興に力をいたし、さらに累代小諸城主の厚い外護を得て法燈は再び輝き、また佐久三十三番札所の最終札所として庶民の信仰をあつめるようにもなった(『同』)。

 観音堂(本堂)は元禄15年(1702年)の建立で、堂内には本尊 聖観世音菩薩像(秘仏)のほか、左右に持国天・多聞天、厨子前には百済伝来と伝える狛犬一対が安置され、格天井には神谷友右衛門筆の華麗な百花鳥獣画がある。

 妙見堂は、一間社流れ造りで、立川和四郎富昌とその弟子 田中円蔵の手に成るもの。

 竜王池・弁天池・つつじ池・とが池を配した境内には室町期の造立とされる石造九重塔や五輪塔群、保科五無斎記念碑などがある。
 五無斎保科百助は地元山辺出身の明治時代の教育者であり、科学者(鉱物)でもあって、奇行をもって知られており、碑の側面には「われ死なば佐久の山辺へ送るべし 焼いてなりとも生でなりとも」ほか一首が刻まれている。
 本堂裏山の中腹には津金寺宝塔3基(県宝)がある。古代から中世初頭にかけて東信濃に勢威を振るった豪族 滋野氏一族のもので、いずれも方形二重の台座の上に棗形の塔身と方形四注の屋根を置き、相輪は逆蓮の伏鉢と二輪だけを刻出した九輪が一石に刻まれており、総高約1.7mである。2基は承久2年(1230年)に建立された逆修塔であり、他の1基は嘉禄3年(1227年)に建てられた納経供養塔で、空洞になっている棗形塔身の内部には法華経と三部経の写経が納められた。
郷土出版社 『信州の仏教寺院 第1巻』 118.119ページ より引用

行基菩薩開創の伝説を持つ天台宗寺院で、かつては天台・真言・法相・禅の四宗兼学の道場として栄えました。最澄・円仁・禅瑜など天台宗の高僧が来寺したという言い伝えも残っており、真偽のほどは分かりませんが、それだけの寺勢を誇っていたことは確かでしょう。中世には学問所として諸宗の僧が集う談議所となっていましたが、16世紀には戦渦に呑まれ衰微、武田晴信によって再興され天台宗寺院として今に続きます。

観音堂には寺号額が懸かります。金字の達筆が光ります。



次は妙見堂の方を見ていきます。堂の前は咲き残りの桜が飾ります。



説明書きです。




立科町指定文化財  津金寺妙見堂

 鞘堂の中にある本殿は、側面から見ると屋根が「へ」の字の形をしています。この形式を流れ造りといい、本殿では最も多い形式です。この正面に湾曲した軒唐破風という屋根を付けたり、建物の至る所に彫刻が施されており、江戸後期の特色がよく表われています。
 この建物は、天保7年(1836年)に、立川流二代目 和四郎富昌と地元茂田井の田中円蔵によって建てられました。立川富昌は諏訪大社上社本宮拝殿・弊殿(重要文化財)など長野県内外に多くの作品を残した諏訪の名工でした。
 本殿の彫刻をみると、縁の下には兎・唐獅子・山羊・麒麟・犬など、階段下には鯉・千鳥などがはめられています。立川流の特色が最も表れているのは、向拝と母屋のつなぎに龍の彫刻を用い、軒唐破風内部に「打出の小槌」や巾着袋などの「宝尽くし」の彫刻を入れていることで、これは立川富昌の多くの作品に共通する特色です。
立科町教育委員会 立科町文化財保護委員会



立川流の名工による作、長野県内にはあふれております。

御堂には妙見と力強く刻まれた扁額が懸かり、大迫力です。



堂内は実質の護摩壇。奥の本殿に向けて祈祷が行われるのでしょう。



脇の組木の所から本殿を覗いてみますと、何とも素晴らしい彫刻の数々。写真1枚ではとても表せません。虹梁の龍は特に素晴らしく、いつまでも見とれていました。



妙見堂の両側には幾つもの五輪塔が並びます。誰のものかは分かりませんし、大きさは様々、年代もバラバラでしょう。



反対側もこの通り。高野山奥の院の様な歴史ある墓所の風情が漂います。



五輪塔群の奥に山道が続いており、そこから滋野氏の供養塔に向かうことができます。



つづら折りの坂を登った所に、覆い付きの仏塔が3基。長野県宝に指定されている仏塔なれば。滋野氏は信濃に古くから土着する名族で、後に海野氏や望月氏、根津氏、真田氏などに分かれる事になります。そんな古くから続く豪族の帰依を受けた寺院なのです、津金寺とは!



近くで見てみると、五輪塔ではなく宝篋印塔でも無い、面白い造りです。



説明書きです(文省略)。



この滋野氏供養塔から更に山道が伸び、それに沿ってまた多数の五輪塔が並びます。



その先には山の鎮守である山王社。学問を司る山王権現を祀り、境内の裏鬼門を護ります。表鬼門には権現山があり、戸隠九頭龍権現社が建っているそうです。



山王社とは言うものの、扉間は3つ。他にも何か祀られていそうですが。



山道を下ると、再び本堂の横に出ます。
ここには阿弥陀堂。かつては小諸城主用の客殿、今では位牌堂として使われています。



阿弥陀堂の前には昭和の梵鐘という古鐘が吊ってありました。昭和44年、富山県高岡市の老子製作所で鋳造された名鐘で、今鐘楼堂に懸かる平成の鐘に役目を譲るまでの40数年間、その雄声を轟かせました。



斜めから。
信濃の地は古刹の宝庫。密教寺院から禅宗寺院までよりどりみどりです。古代より続く信濃の学問所である津金寺。属性的には上田の​ 常楽寺 ​と近しいでしょうか。美しい境内には素晴らしい御堂が並び、目も心も幸せです



以上です。

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最終更新日  2026年07月19日 11時47分01秒
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