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■7/22ピンクの城■1年前の8月、私はまだ働いていて、一週間の休みをとるのも大変だったが、7月14日~8月12日までスコットランドと湖水地方(5日のみ)行った。30日間。■16日間、ニュージーランドに行った。■■仕事を辞めたらやりたいこと■を昨年の日記に書いている。振り返って、どうだろうか?あまりというか、半分もできていない。時間に追われていた時の方が、出来ていたものがある。やはり、規則正しい生活をし、忙しく働かないといけないんだと思う。今月の■本が読みたい■は「流」。途中まで読んで、スコットランドに行った。●「流」東山彰良青春は、謎と輝きに満ちているーー何者でもなかった。ゆえに自由だったーー。1975年、偉大なる総統の死の直後、愛すべき祖父は何者かに殺された。17歳。無軌道に生きるわたしには、まだその意味はわからなかった。大陸から台湾、そして日本へ。謎と輝きに満ちた青春が迸る。 友情と恋、流浪と決断、歴史、人生、そして命の物語。エンタメのすべてが詰まった、最強の書き下ろし長編小説! 【内容情報】(出版社より)この人のペンネームの由来が分かった!!■2016年8月に見た映画■*なし■書きのこしたネタ■*湖水地方*スコットランド*古墳ネタ*竹ノ内街道*スモーキング フリー*瀬田川洪水の原因と対策*イースターネタ*電気の自由化*雪が降った時、クライストチャーチでは・・・。*枕草子の冬はつとめての「つとめて」の語源。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.31
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■7月31日(日)~8月1日(月)スコットランドのスカイ島を出て、7月31日(日)、泊まったB&Bは、普通の建物だった。しかし、部屋の中に入ると、真っ白なベッドが清潔な感じ。椅子やクッションもかわいい!!この家の主人は、少しインドっぽい雰囲気。その主人が「明日の朝、食べるものをこの中から選んで、なるべく早く教えて下さい」とリストを見せながら言うので、すぐ返事をした。朝、食堂に行くと、テーブルクロスがニワトリ模様!焼いたパンを立てるのも、ニワトリ模様。塩、コショウの入れ物もニワトリ模様。4~5種類の朝ごはんがあったのが、迷わず選んだのが、サーモンとスクランブルエッグ。これまで「スコティッシュ・ブレックファースト」で、残すまいと、お腹いっぱいに食べていたので、このあっさりとしたのがいい。この宿の主人が、「卵は、うちの鶏が生んだんだから新鮮ですよ」と言う。冗談かと思っていたがにわにはにわにわとりがいる。庭には、弐羽、ニワトリがいる。その上、ニワトリの置物まで!!!野鳥のための餌場もある。私たちの部屋には、小鳥の缶があって、クッキーが入っていた。▲このB&Bのチェックはこれ。朝、このB&Bの周りを散歩した。このB&B、「★4つでございますー!!」7/31(日)★An-StruanBenderloch Near Oban Benderloch PA37 1ST イギリス 44-1631-720301・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.31
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■7月31日(日)スカイ島は、スコットランドのインナー・ヘブリディーズ諸島の最も北方に位置する最大の島。ゲール語の"sgiath"は、「翼」の意。スコットランドで2番目に大きな島である。島はキュイリン山を含む大変に険しい山岳地形を持ち、古代のモニュメント、城趾、遺品といった豊かな文化遺産をも有している。そんなスカイ島に2泊し、今日、スカイ島を出て行く。朝、いつもより早めに食事をしていたら、白人夫婦に話しかけられた。「どこから来たのか?」日本人は少ないので、やはり珍しいのだろう。彼らは、スイスの隣のオーストリア人夫婦だった。流暢な英語で「日本の国は、車は左側通行?それとも右側?」彼らは、左に慣れていないので戸惑うという。後ろの席から「そうですね」と相槌をうってくれる人がいたので助かった。オーストリア人はさっそく、その人と話し始めた。彼らはハワイの人で「スコットランドのスカイ島の景色は素晴らしい。ハワイとぜんぜん違うランドスケープだ」と絶賛していた。言葉が通じるっていいなと思う。その前の日、日本人女性2人に会った。彼女たちは、ガイド付きのタクシーで廻っているそうだ。片方の人が英語が堪能で、もう一人の人に通訳してあげているという。英語が堪能な人がいれば、心強い。アーマデールまでの道には羊たちが見送ってくれた。インフォメーションセンターで予約しておいたフェリーのチケットを確認してからアマデール城へ。この城はクラン(豪族)ドナルドの城。ドナルド家は世界各地に広がるマクドナルド(ドナルドの息子)姓の発祥と言われている。スコットランドには、Mac**という名前が多い。マクドナルド、マッケンジー、マックグロー、マクレガン、マッカーサー、マコーレー、マッキントッシュ・・・。この人たちはの先祖は、スコットランドだと推測する。城の正面の壁は残っているが、中の天井は抜けて廃城。 庭は水の流れや池や橋と趣向を凝らしているのだろうが、かつては馬小屋、家来の住居、野菜も作らなければならないから、庭どころではなかっただろう。この城には、孔雀がいる。所々に孔雀の飾りなどもあるが理由が分からない。城の一部(といっても広いのだろうが)に、この城の主が住んでいる。しかし、この城を維持するためには、大変なようだ。そのためか、大きめの食堂を作っていて、団体がいたので混んでいた。14:05アマデール発のフェリーで、マレイグへ向かうためフェリー乗り場に行って待っていたら、船が来た。ここにもMacが!!降りてきたのは、キャンピングカー、観光バスにバイク、自転車・・・。乗り込む、自転車そして、私たちの車・・・。さらば、翼の島、マクドナルドの故郷、スカイ島。フェリーは30分ほどでイギリスの本土、グレートブリテン島についた。フェリーを降りて車で走っていると、湖があり、古城が・・・。どこまでも美しい景色が続くスコットランド・・・。(◀監視カメラ)車は一路ベンダーロックという小さな町へ。7/31(日)★An-StruanBenderloch Near Oban Benderloch PA37 1ST イギリス 44-1631-720301・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.30
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■7月30日(土)小さな流れまである、フローラの城ダンヴェガン城を後に、トロッター・ニッシュ半島巡りへ。「スカイ島暮らしの博物館」。島の人々の生活の変遷を伝える博物館。茅葺屋根と石積みの壁で造られた博物館の建物は、この地方の伝統的家屋を再現したものだ。200年前は人も家畜もこのような建物の中で一緒に暮らし、食べ物がなくなると豚の血を採って蒸し、固めて食べていたそうだ。(地球の歩き方)遮るものがない強い風に吹き飛ばされないようにと屋根には金網があり、石のお重しがしてあった。茅葺屋根の周りには、グリーンと赤にペイントされた、農具らしきものがある。これらは、オブジェのような効果をだしていた。なんのための道具なの分からないのもある。この「スカイ島暮らしの博物館」にほど近くに、墓地があった。苔むした墓や忘れられたような古い墓もある。その中で、ひときわ立派なフローラの墓がある。美貌の王子、ボニー・プリンス・チャーリーを手引きし、フランスに逃がした罪に問われ、彼女は囚われの身となった。釈放され、富豪のマクドナルドと結婚、アメリカに渡ったという。夫の死後、スカイ島に帰り、この地の土となった。墓には、プリンス・チャールズの名前も刻まれている。プリンス・チャールズは、彼女より早く亡くなっている。墓にはマクドナルドではなく旧姓のMacleodの印。オールドマン・オブ・ストールという所を目指す。山歩きらしく、途中で私がダウン。でも、歩きながら下を見ると、車がずらり。途中で、羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹・・・。羊がいっぱい。ポートリーに帰った。インフォメーションで 「スコットランドこぼれ話」という日本人の書いた日本語の本を買った。手に入りにくいものらしい。英語版も出ていた。7/29(金)★Redwood House Hotel & Restaurant ■スカイ島■7/30(土) Redwood House Greshomish IV51 9PN イギリス 44-1470-582203・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.29
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■7月30日(土)ダンヴェガン城に行った。雨が降っていたので、出っ張った部分で、レインコートを置いて入った。スカイ島を支配した三つのクランのひとつ、Macleod家が800年近くに渡って居城にしていたのがここDanvegan城。 額に入れられたぼろぼろの布が飾られており、これは4~7世紀頃に作られた「フェアリー・フラッグ」という伝説の旗で、これをかざして戦うと勝利をもたらすといういわくつきのお宝だ。 この一族のために妖精からもたらされたものだという。ケルト文化の薫り高いスカイ島によく似合う言い伝えではないか。「フェアリー・フラッグ」はボロボロであったが大切に飾られていた。城内ガイド氏の英語の半分しか分からない。(ノД‘)かの■スコットランド版関ケ原の戦い、カロードンの戦い■において敗れた、美貌の王子、ボニー・プリンス・チャーリーは、女装してスカイ島まで逃げた。それを手引きしたのが、スカイ島生まれのフローラ。スカイ島からフランスへ渡る時、王子はフローラにその巻き毛を贈り、必ず帰ると言ったという言い伝えがある。その巻き毛は見つけることが出来なかった。そこで私は、「?」と思っていた。そして、帰って調べると、やはりそうだった。往年のヒット曲、「マイ・ボニー」という曲があるがそれは、このボニー・プリンス・チャーリーが行ってしまった悲しみのフローラの歌だった!!原曲はスコットランド民謡だそうでが日本では「恋人は海の彼方に」という名前で売り出されていた。(一番下に私の記憶する歌詞あり。)(▲今は使われていないが、ここからボート乗り場へと通じていた。)『マイボニー My Bonnie Lies over the Ocean』は、1962年にリリースされたトニー・シェリダン(Tony Sheridan)のアルバム『マイボニー』で現代風にアレンジされ、世界的に有名になったスコットランド民謡。トニー・シェリダンのアルバムでバックバンドを務めたのは、世界中で最も有名なイギリスのロックバンド「ビートルズ(The Beatles)」。当時は「ビートブラザーズ」として参加していた。 ボニーとは一体誰の事なのか? 歴史上の著名な人物であるチャールズ・スチュワート(Charles Edward Stuart/1720-1788)を暗示しているようだ。チャールズ・スチュワートは、名誉革命で王位を追われたジェームズ2世の孫に当たり、ボニー・プリンス・チャーリー (Bonnie Prince Charlie)の愛称で呼ばれていた人物。■フローラの像■■My Bonnie■(まだ無名の若き日のビートルズが!)歌詞・日本語訳(意訳)My Bonnie is over the oceanMy Bonnie is over the seaMy Bonnie is over the oceanO bring back my Bonnie to me.ボニーは海洋に ボニーは海にボニーは海洋に ボニーを返しておくれChorus Bring back, bring back Bring back my Bonnie to me, to me Bring back, bring back O bring back my Bonnie to me.<コーラス>返して 返してくれ ボニーを返しておくれ返して 返してくれ ボニーを返しておくれ■「恋人は海の彼方に」■♪音が出ます!青い海の向こう白い波間からやさしい恋人を帰しておくれカム バック、カム バックおお、海の神様(◀庭園も美しい)中学生時代に流行ったのでよく歌っていた「恋人は海の彼方に」。当時は、海兵隊の彼を思う歌だと思っていたが、50年以上たって歌のもつ本当の意味が分かった。7/29(金)★Redwood House Hotel & Restaurant ■スカイ島■7/30(土) Redwood House Greshomish IV51 9PN イギリス 44-1470-582203・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.29
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■7月29日(金)■スカイ島■スカイ島の人口は2001年で9,232人。他のスコットランドの島とは対照的に1991年の統計よりも4%の増加を示している。夏には多くの旅行客や訪問者で人口が増加する。主な産業は観光、農業、漁業、ウィスキーの蒸留などである。ポートリーには、インフォーメーションがあって島の地図やフェリーの予約などもできる。さっそく、2日後のフェリーの予約。インフォメーション付近は車も多いので、歩いた。「GIVE WAY」の道路標識は、相手に優先権があり、一時停止しなければならない。島の中心となる町はポートリーで、インフォメーションがあるところは高い所。そこから見た、ポートリーの港は絵画のような美しい港で知られている。(このページ、一番上の写真。)しかし、下から見た景色も美しい。王の港を意味するポートリーは、人口約2000人の最も大きな町で、島の機能の中心となっている。インフォーメーションのすぐ近くに墓地があった。墓地というより、公園というくらい緑が多い。この墓地は古いらしく、お墓も古い。ケルト十字とよばれるこのお墓も古い。ケルト十字を彫る道具がよくなかったのか、雨に打たれせいか、ぼこぼこになっていて、風情がある。ここにもケルト十字・・・。中には、小さな石があるだけの墓があったが、こんな小さな墓も風情がある。日本では、墓掃除といって、墓の周りを草の一本も生えないのがよしとされているが、こちらは、芝刈りは、するのだろうが、コケの緑が美しい。ポートリーの中心から車で25分ほどの所にある宿に向かう。途中で、石の橋があった。この橋は今は使われていない。ここが本来は道だったが道も車が通るようになって、変わった。車一台がやっと通れる道の先にB&Bはある。しかし、羊やヤギが出てくる。「すみませんが、通してください」と待つしかない。決して、クラクションを鳴らしたりしてはいけないというルールがある。羊の方が先住民だからだ。そういえば、「羊に注意」の道路標識を見た。7/29(金)★Redwood House Hotel & Restaurant ■スカイ島■7/30(土) Redwood House Greshomish IV51 9PN イギリス 44-1470-582203・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.28
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■7月29日(金)湖の前に建つ、フォートウィリアムのホテルで朝食。左端はポリッジの味見程度、ジュース、紅茶(コーヒー派が多い)。ハム、チーズ、クロワッサン、ヨーグルト・・・。相変わらず、トマトとマッシュルームのソテー。ビーンズ、ベーコン、ソーセージ、卵・・・。ジャガイモを潰して、あげたような三角のものとハギスという羊のソーセージバージョンがつく。他には、スコッテッシュ・ブレックファースト。これは、どのB&Bもほとんど同じ。量は多いけど、街中ではないので、すぐにレストランが見つかるわけではないから、なるべく、しっかりと食べるようにしておく。今日は移動日、スカイ島に向かう。途中、いかにもハイランド(スコットランドの北の地方)らしいムーア(荒れ野)の景色が続く。それに、ヒース・・・。ムーアにヒースとくれば、これはもう、「嵐が丘」ではないか!突然、兵士の像があらわれた。第二次世界大戦の元兵士と犠牲者の慰霊碑。 ▲この日のランチ。また、しばらく行くと、▼アイリーン・ドナン城。スコットランド北西部、ドゥイッヒ湖(Loch Duich)の北西の畔に屹立するアイリーンドナン城。湖の小さな島にポツンと佇むその姿は、しばしば映画やテレビに登場する人気の古城。13世紀初頭ごろに築城されましたが、18世紀中に政府軍によって破壊されてしまったと言われています。200年近く廃墟と化していましたが、1919年に再建が開始されて、1955年より一般に公開されるようになりました。観光客が、すごいが、日本人は皆無。スコットランドのナンバープレートをつけた車。可愛い、クラッシックカーも!◀クラッシックな服装の人も。 お城は、これでライトアップされるそうだが、他の方面からは、ライトを見えないようにしている。(手前の少し膨らんだ所にライト)スカイブリッジを渡って、スカイ島へ。44年前は、こんな橋はもちろん無く交通手段は、フェリーのみ。この橋を渡れば、スカイ島だ。7/29(金)★Redwood House Hotel & Restaurant ■スカイ島■7/30(土) Redwood House Greshomish IV51 9PN イギリス 44-1470-582203・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.28
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■7月28日(木)ウエストハイランド鉄道蒸気機関車ジャコバイト号が走るウェストハイランド・ラインは、フォート・ウィリアムからマレイグを結ぶ68km。約2時間だが、レンタカーの私たちは、往復4時間かかるのでやめた。でも、駅は見たい。グレンフィナン駅は、ボニーチャーリーの碑かから遠くない所にある。グレンフィナン駅は、駅がそのまま、鉄道博物館になっている。駐車場には、かつての食堂車が今もカフェとして健在。小道具として、古いトランクなども置いている。軽いものを食べようと思ったが、この日は暑く、食欲がない。蒸気機関車が駅に入ってきた。大人も子どもも、機関車は大好きなのか、写真を撮りまくっていた。機関車の名前は「ジャコバイト号」。ジャコバイトとは、ハイランドのクラン(豪族)たちの率いるスコットランド軍のこと。黒い機関車と赤い客車がきれい!!その後、グレンフィナン高架橋に行った。映画「ハリー・ポッター」にも使われたものらしい。圧巻!!沢山の人が見に来ていた。高架橋の下には、小さな川が流れていた。この川は、湖まで流れていっている。7/28(木)★ クラン マクダフ ホテル ■フォートウィリアムズ■ Achintore Roadフォート・ウィリアムPH33 6RWイギリス 電話番号+44 1397 702341 GPS座標 N 056° 47.720, W 05° 8.427 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.28
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■7月28日(木)♪緑の中を走り抜けてく 真紅なポルシェ私たちの乗っているレンタカーは、アメリカのフォードで黒。インバネスから、フォート・ウイリアムに向かう。「フォート」とは砦という意味で「フォート**」という町の名はよくある。オレンジ公ウイリアムが築いた砦ということが地名の由来。城塞は19世紀に鉄道建設にともない取り壊され今は城壁部分のみ。フォート・ウイリアムの町は小さいけれど1キロにわたって歩行者天国があって賑わっていた。なんでも、ハイランドでは、インバネスにつぐ町だそうだ。ウエスト・ハイランド博物館。日本語が少し話せる職員がいたが中国の女性だった。町から車で移動して、グレンフィナンに行く。美しい林があった。その先に、湖があり、ボニー・プリンス・チャーリー(愛しのチャールズ王子)の塔がある。■1745年ボニー・ブリンス・チャーリー(愛しのチャールズ王子)■は50人程のクラン(豪族)たちと合流。そして翌年1746年4月にスコットランドが、イングランドに決定的に負けた戦、カノードンの戦いが始まった。「物語は、ここから始まった」という垂れ幕があった。7/28(木)★ クラン マクダフ ホテル ■フォートウィリアムズ■ Achintore Roadフォート・ウィリアムPH33 6RWイギリス 電話番号+44 1397 702341 GPS座標 N 056° 47.720, W 05° 8.427 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.27
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■7月27日(水)ネス川のほとりの、■インバネスに帰ってきた。■スコットランドの北の方をハイランドというが、その中で一番大きな町だ。「ただいま、フローラ」。今日もフローラはあの■スッコットランド版関ケ原の戦いカロードゥンの戦い■に負けたボニー・プリンス・チャーリー(愛しのチャールズ皇太子)を見送っている。 船で逃げるボニー・プリンス・チャーリーを見送っているのだ。お昼にインバネス城の前でパンを食べていたら、カモメがやってきた。 可愛いから、ずっとやっていると、「(カモメと)友達?」と観光客が笑いながら言っていた。 城を後にして、歩く。店には、スコットランドの男子用スカート?を売っている店もある。 インバネス駅に行く。私は鉄道が好きで乗らなくても、見ているだけでも好きだ。 回札は、白いのが体の不自由な人の改札。鉄道の近くにバスステーションがあって乗り継ぎができるようになっている。バスには、障害のある人や老人、けが人なども乗りやすいようになっている。駅の近くには「ビクトリアン・マーケット」というマーケットがある。これは、入口。中に入ると、華やかな雰囲気。カフェでお茶をした。 「???」見ると、Mac***という名前がずらーーり。スコットランドは、Mac***という名前が多い。そして、世界中に広がっている。ハンバーガーショップの「マクドナルド」が有名。今日の夕食は、ピザ。そして、またインバネスの宿に戻ってきた。「ただいま!」7/27(水)★Mount Pleasant ■インバネス■ 16 Marine Park North Kessock 1V1 3XS イギリス 44-1463-731474・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.26
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■7月27日(水)美しいビクトリアンスタイルのB&Bを出て、細長いネス湖の真ん中あたりの町ドロムナドロケットに向かった。ネス湖は、「ロッホ・ネス」とよばれる。ロッホとは、スコットランドの言葉で湖。そのネス湖で船に乗る予定だ。インフォメーションでチケットを買ったが、一番の船には団体がいたのか乗れなくて、次のにのることになった。その間に、ネス湖エキジビジョン・センターに行った。ここは、どうやってネス湖が出来たのかなどを映像と声で紹介している所。トイレには、ネッシー!!ネッシーランドも近くなので入口だけのぞいた。ここには、子どもたちが遊んでいた。こんなに騒いでいたら、ネッシーも出ないわ。1972年、今から44年前に来たときは、ネス湖周辺は静かだった。「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ」、ならぬ、「ネス湖はネッシーで持つ」である。時間が来たのでインフォメーションに行くと、迎えのコーチが来ていた。これで船着き場まで行き、船に乗る。湖に出てしばらくすると、古城が見えてきた。昨日見た■アーカート城■アーカート城が栄えていた時代、城からこのように船に乗り、ネス川を下ってインバネスに行き、海を渡って・・・。妄想は続くよ、どこまでも・・・。現実は、レンタカーでインバネスに行った。7/27(水)★Mount Pleasant ■インバネス■ 16 Marine Park North Kessock 1V1 3XS イギリス 44-1463-731474・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.26
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私が、岡山に住んでいて、まだ本当に小さいころ、母の下着は、腰巻だった。母意外にも、ほとんどの人が腰巻をしていたのだと思う。いわゆる、パンツも持っていたのかも知れないけれど、ほとんどの人は着物だったので腰巻が印象に残っている。ある日、母は、白い布を買ってきた。端切れを安く買ったのだろう。それで、自分の下着を作っていた。型紙もなく大雑把に形を決め2枚に布を切り、それを縫い合わせた。私は、それを見ていた。母は、裁縫は得意ではなく、いつも「三針(みはり)一寸じゃ」と笑いながら縫っていた。「三針(みはり)一寸」とは一寸、約3センチくらいの間隔に3針で縫うということだ。そんな、苦手なことにも、母は立ち向かった。 私たちには市販の下着を着せてくれたが、時々ゴム紐が切れたりゆるくなった。そんな時には、ゴム通しでゴムを入れてくれた。ゴムは、私が「ゴム飛び」の時に使っていた。うちは貧しかったから、母は「パンツ」を自分で作っていたのかと思っていたが、朝ドラの「とと姉ちゃん」でも「下着の作り方」を特集した本を出していた。あの頃は、みんな、なにもなかったけれどなんでも、自分で出来る能力を持っていた。「とと姉ちゃん」の中の暮らしは、私の幼いころの暮らしに通じて懐かしい。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.26
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■7月26日(水)~■7月27日(木)スコットランドのエディンバラを出発して、ブリテン島の最北の村、ジョン・オ・グローツに行き、南に下る。ネス湖の近くのB&Bに泊まった。スコットランドにおいては、ビクトリアンスタイルの家は沢山ある。泊まったB&Bもビクトリアンスタイルで今から100年以上前の建物。 ネス湖の近くで市街地ではないので、庭が広く堂々とした木が数本生えていた。隣も牧場になっていて、鹿が出てくるようなポツンとあるようなB&Bだった。「美しい家ですね」と私がいうと「ありがとう」とそっけない、おかみさん。スコットランドの魂というべき、鹿とタータンが壁に飾ってあった。スイッチも、古風だ。「朝ごはんは、冷たいものしかないから」とそっけなく言う。これまで食べてきた、いつものような、ビーンズ、ソーセージ、卵、ベーコンという「スコッテッシュ・ブレックファースト」ではないけれど、むしろたまにはこの方がいい。チーズ、果物、ハム、トマトなど、自分でよそおう。出発する時に、「宿帳、書いてね」という。宿には、名前と国とコメント欄のある宿帳が置いてある。名前と住所は漢字で、国名とコメントは英語で書いておいたので「書きましたよ、もう」というと「日本人は、めったにいないから」という。宿帳には、いろんな国の人の名が記されていた。 ◀スイッチも古風。7/26(水)★ キルマイケル ハウスB&B ■ネス湖■ Drumnadrochit ドラムドロッキット IV63 6TZ イギリス 44-1456-450703・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.25
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■7月26日(火)朝、9時だというのに、もう観光バスが一台、ジョン・オ・グローツの目印まで向かっている。「ランズ・エンドからジョン・オ・グローツまで」という言葉のあるジョン・オ・グローツを後に、南下する。ちなみに、私たちは、ジョン・オ・グローツに行ったが、下の娘レイが■イギリスにいた2年あまりの間に、■ランズ・エンドに行ったそうだ。大きな干潟を見たりして、南下する事数時間。レンタカーはネス湖の近くを走る。車が2台通る道なのに、制限速度、97キロって!!これが、お前らのやり方かーーー!!(おかずクラブ)ネス湖の湖畔にある廃城、アーカート城。アーカート城は1692年、ジャコバイト軍の手に落ちるのを阻止するため、部分的に爆破され、荒廃した。 20世紀に州の管理下に置かれ、市民に公開されるようになった。その時に使ったのか、大砲の石バージョンがあった。敵の手に渡らないように、石を城に打ち込み、壊すのだ。絵があったが、これ、石の砲弾を作っているやん。泥縄やん。アーカート城のガイドなのか、武器を持った古風な姿の人の周りを沢山の人が取り囲んでいた。ガイド氏(きめつけ)は、説明が終わると、気軽に写真に付き合っていた。この人は、あちこちに犬のぬいぐるみを置き写真を撮っていた。(アメリか!)今日の泊まりは、ビクトリアンスタイルのB&B。7/26(水)★ キルマイケル ハウスB&B ■ネス湖■ Drumnadrochit ドラムドロッキット IV63 6TZ イギリス 44-1456-450703・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.24
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■7月25日(月)■大丈夫か?レンタカー■という不安を抱えながら2日泊まった、インバネス郊外のB&Bを出発して北に向かう。向かう先は、ジョン・オ・グローツとダネット・ヘッド。ジョン・オ・グローツはブリテン島で一番北にある村。「じゃあ、また」と私たちはB&Bの夫婦に挨拶した。2日後にはまたここに泊まるからだ。インバネスから3時間ほど北上してダネット・ヘッドに近づくと田舎道で車も少ない。羊もみかけないし、家も少ない。廃屋が多い。景色がまったく違う。北なので、生える植物が違うのだ。ジョン・オ・グローツに行く前にダネット・ヘッドへ向かう。その頃には車が増えた。スコットランドの北部地方ハイランド地方の北東部、サーソーの町の北東にある岬。北緯58度40分21秒、グレートブリテン島の最北端にあたる。海に臨んで灯台が立っている。陸がストンと海に落ちたような絶景が見える。ポイントには、多くの人が見に来ていた。かつては、寒さと不便さの代償として、見ることができた雄大な景色を捨て、人々は町にでたのだろう。とにかく風が強く寒い。次に目指すは、ジョン・オ・グローツ。こちらも、道に車が少ない。「車が少ないなぁ」と私が言うと「そりゃあ、ジョン・オ・グローツへ行くやつは、変りモンやから」と夫が言う。「そしたら、2回も行く私らは、ものすごい変わりモンやな」と私。44年前に来ているからだ。ジョン・オ・グローツ(英: John o' Groats)は、スコットランドのハイランド地方にある村。グレートブリテン島で最も北に位置する村ということから、観光客に人気がある。近くには同島最北端のダン岬が控える。ジョン・オ・グローツの出の人は「グローツァーズ」(Groatsers)と呼ばれる。毎年、ジョン・オ・グローツには世界各地から多くの観光客が訪れるが、必ずしも良い評価ばかりと限らず、人気ガイドブック『ロンリープラネット』は2005年、村を「さえない旅人のワナ」と評している。イギリスでは「ランズ・エンド・トゥ・ジョン・オ・グローツ」という言い方がある。一番南の「ランズ・エンド」から北の果て「ジョン・オ・グローツ」までということで「究極の旅路」や「かなりの距離」44年前、ロンドンからエディンバラまで電車で行き、それ以後、ヒッチハイクでジョン・オ・グローツを目指した。当時の交通事情からすれば、ジョン・オ・グローツは、最果ての場所に来たという実感があった。車で誰でも来ることが出来るようになった今、観光地化が進み観光客も多かった。北の果ての悲しみ感がない。それほどのありがたみもなくなったのかもしれない。「北帰行」という歌が心に浮かんだ。「北帰行」作詞・作曲:宇田 博、唄:小林 旭 窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく 北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず7/25(月)★Seaview Hotel ■ジョン・オグローズ■ Caithness John O Groats KW1 4YR イギリス 44-1955-611220・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.24
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■「被ばく牛の生きる道」■5年間の記録の物語存在が許されない命に、生きる道を見つけたい!被曝した牛を消し去りたい国と生かし続けたい農家。被ばくした牛の唯一、生かす道である世界初の低線量被曝研究の資金は底をついた。時を経つ毎に絶望が深まる旧警戒区域の中で実際に起きている5年間の記録の物語。 放射能汚染によって被ばくした牛は、本当に有害な生き物でしょうか? 人間にとって役に立たない命なら、簡単に殺してもよいのでしょうか? 人間だけの勝手な論理で、今そこにある命でさえ、存在する理由がないと言えるでしょうか? 動物たちの命の優劣さえも、人間は決めることができるのでしょうか?トリインフルエンザの時も、鶏の処分を聞いて、心苦しかった。そして、■次のような詩■を作った。*にわとり*にわとり父さん、死んじゃった。にわとり母さん、死んじゃった。お風邪をひいて、死んじゃった。おいたをするとそうなるの。いえいえ、それは違います。にわとりさんは、おりこうさん。 言われたとおりの家に住み、 言われたとおりに、食べていた ちゃんと、卵も産んでたし、朝もコケコと告げました。けれども、お風邪をひいたので、 父さん、母さん、死にました。 親をなくした僕たちも、土の中に埋められて、まわりがなんにも見えません。これから、だれが卵を産むの? 朝を告げるのだれだろう?by はるな人間が、人間のためにかった牛が、人間の勝手な理由で殺されてしまう・・・。この映画のことを知って、あの頃と同じ思いでやるせなく思う。 ■被爆牛の生きる道■5年間の記録物語■8月26日(金)15:20- ■場所:■大阪市立阿倍野区民センター■■アクセス:地下鉄谷町線「阿倍野」駅6号出口から南へ100m 阪堺電車上町線「阿倍野」駅から南へ180m 地下鉄御堂筋線・JR「天王寺」駅、 近鉄南大阪線「あべの橋」駅から南へ800m・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.24
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■7月24日(日)全長10キロというスコットランドで一番短い川、ネス川。■ネス島やネス川の岸辺■をぐるっと回って賑やかな場所に帰ってきた。■アザミ模様■のお店。▲セント・アンドリュース大聖堂。ネオゴシック様式で1866年に建てられたものだ。橋のたもと付近にまだ、あどけなさの残る少年がバグパイプを吹いて路上に立っている。この子の親は、どうしているんだろうなどと考える。▲川超しに見た、インバネス城。町とネス川を見下ろしている。今は裁判所として使われているから入れないが、町のどこからでも見えるランドマークだ。12世紀頃のインバネス城は、毛皮や魚などの交易拠点。インバネスという語源は、ネス川の河口という意味だから、海にも近く、水運しかなかった昔は、大いにさかえたのだろう。インバネス城の下に来ると、バグパイプや太鼓の音が聞こえてきた。20人くらいの人が、練習をしていた。曲が終わると、観客が拍手をするので、熱心にやっているようだった。その様子をフローラが眺めていた。あの■スッコットランド版関ケ原の戦い■に負けたボニー・プリンス・チャーリー(愛しのチャールズ皇太子)をかくまい、逃亡の手助けをした女性。船で逃げるボニー・プリンス・チャーリーを見送っているのだ。このインバネス城にはじめて来たのは44年前。そして、偶然、そこにいた日本人が夫だ。長いような、あっという間のような44年間だ。城の上からネス川を見る。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。『方丈記』鴨長明7/23(土)★Mount Pleasant ■インバネス■7/24(日)16 Marine Park North Kessock 1V1 3XS イギリス 44-1463-731474・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.23
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■7月24日(日)心配な■レンタカー■のことは、ひとまず、おいて、インバネスの町を流れるネス川のほとりを歩く。ハイランズ(ハイランド地方)の唯一のシティで、「ハイランズの首都」と呼ばれる、インバネス。スコットランド北西部のマリー湾最奥に流れ込むネス川の河口に位置している。これはこの町の名前の由来になっている。すなわち、スコットランド・ゲール語の Inbhir Nis とは「ネス川の河口」を意味する。ネス川の岸は斜面になっていて草でおおわれている。その上に道があるが、歩道、車道と別れていて木が植えてある。歩道は車道よりも少し段差があるが、車いすの人たちのためなのか、所々、低くなっている。車道の向こうには、可愛らしい家が並んでいて、歩くのが気持ちがいい。ネス島は、ネス川の中にあり、公園になっている。中に入ると、緑の量が増える。島の中だから、川の流れる音が聞こえて気持ちいい。島の中にある小さな橋も美しい曲線を描いている。いつまでも、いつまでも、川の流れを見ていたいところだが、トイレに行きたくなったので、ネス島を出る。広い芝生の広場に子ども用の賑やかな所があったので入場料を払って入ろうとすると、「トイレは、あちらです」と無料で入れてくれた。感謝。反対側の道も美しい。車道より一段下に、歩道があり、間に木が植えてあるので、安心だし気持ちがいい。川の側の草地には、テントを張った人がいた。若い女性が歩くのも、いとおかし。真っ赤な服の女の子が小石の川辺に座る姿もあわれなり。長い間、歩いたので、ホテルの一階にあるカフェでお茶にした。スターバックスが入っているが、マークは小さ目。カフェに入るということは、私たちにとっては、トイレに行くと同義語なので入ったが、白と黒のシンプルでおしゃれなので、写真に撮った。ここまでくれば、さっきの静けさが嘘のように賑やかになってきた。7/23(土)★Mount Pleasant ■インバネス■7/24(日)16 Marine Park North Kessock 1V1 3XS イギリス 44-1463-731474・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.23
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■7月24日(日)スコットランドの首都、エディンバラから、セント・アンドリュース、アバディーン・・・と北上して、今は、インバネスのB&B。B&Bの赤いキルトのお茶帽子が可愛いし、この宿の夫婦はいい人だし、今のところ、何の不満もない。しかし、心配の種がある。それは、レンタカー。エディンバラの空港で借り、エディンバラ市内で■車を大型から中型■に交換。エディンバラを出る時、助手席の足元が水に濡れていた。私が、ペットボトルの水をこぼしたのだろうと、あらぬ疑いまでかけられたが、そうかもしれないと思うほかなかった。しかし、ここまで来ても、いっこうに、助手席の足元の水が乾かない。困った・・・。濡れているだけならいいのだが、この調子でいって、故障したらどうしよう?これから行く所は、ものすごーーーい、田舎。故障しても、日本だったら、どこに電話すればいいと分かってるし、故障の状態も日本語。しかし、ここは、スコットランド。英語の国だ。もし、修理をしてくれる所があったとしても、私たちの言葉がうまく、伝わるか・・・。(▲飛行場前の道。ギザギザの白い線が何を意味するのか分からなかった。)仕方がないと、朝イチで飛行場に行った。飛行場には、レンタカー会社の営業所あるはずだから・・・。しかし、他の営業所はあるのに私たちが使っている「ハーツ」という会社のはなかった。ハーツは営業所を置かないで、電話やネットでのデリバリーサービスなのだ。「大丈夫だ」と70代らしき宿の主人はいうものの、その保証はない。英語の出来ない、メカに弱い日本人が、しかも初老の夫婦がレンタカーでスコットランドをまわるなんて、冒険だと思い始めた。そんなの分からんかったんかと思われるかもしれないが、呑気な私は、いつも、「なんとかなるやろ」と思ってしまう。ほんと、大丈夫か、レンタカー。(ノД‘)宿に置いてあった、イギリス全土の道路表を譲ってもらった。コピー用紙2枚くらいの大きさで、扱いにくかったがあると、ほっとする。■7月24日(日)7/23(土)★Mount Pleasant ■インバネス■7/24(日)16 Marine Park North Kessock 1V1 3XS イギリス 44-1463-731474・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.23
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アザミ(薊)は、キク科アザミ属 (Cirsium) 及びそれに類する植物の総称。標準和名を単にアザミとする種はない。スコットランドの国花。草原や乾燥地、海岸などに出るが、森林内にはあまり出現しない。別名刺草。名前の由来は、アザム〈傷つける、驚きあきれる意〉がもとで、花を折ろうとするととげに刺されて驚くからという説がある。スコットランドには、アザミが多い。エディンバラの公園、自然に生えたのか、植えたのか。アザミからのエディンバラ城。花以外にも■7/20 ダンノッター城近くのグリーンツーリズムのシンボルもアザミ。■7/24に行った、インバネス市内で見た看板?エディンバラ、第一次世界大戦で亡くなった兵士をたたえる記念碑にも。▲門の飾り。(エディンバラ)▲看板にも(エディンバラ)使われていた。■7/25のブリテン島最北部では、寒さのせいか、まだ蕾だった。10世紀半ば,マルカム1世の時代にデーン人の攻撃を受けたスコットランドでは,敵の斥候が素足で踏みつけて悲鳴を発したために奇襲が発覚したという伝説があり,以来スコットランド王家の紋章とされてきた。そのため今もガーター勲章に次ぐアザミ勲章が存在する。アザミ勲章は、スコットランドで一番格のある勲章だそうだ。このように、スコットランドでには、アザミにまつわるものが多い。エディンバラのB&Bで向かいの部屋のドアの飾り。まさに、アザミは「 Flower of Scotland」なのだ。国歌「スコットランドの花」 O Flower of Scotland, When will we see your like again That fought and died for Your wee bit hill and glen. And stood against him, Proud Edward's army, And sent him homeward Tae think again.おお、スコットランドの花よ汝のために闘い そして死なん山々にまたその姿見ゆるやエドワード軍への決死の抗い暴君は退却し 侵略を断念せり・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.22
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■7月23日(土)スコットランドの首都、エディンバラから、セント・アンドリュース、アバディーン・・・と北上して、今は、インバネスに近いハイランドにいる。スコットランドには、ハイランドとローランドがあり、アバディーンを過ぎればハイランド。ハイランド地方のカロードゥンに、スコットランドとイングランドの天下分け目の古戦場があるので行った。それが「カロードゥンの戦い」だ。■カロードゥンの戦いとは■カロードゥンの戦い(Battle of Culloden)は1746年4月16日にスコットランドのハイランド地方インヴァネス近郊のカロードゥン湿原(ムア)において、ジャコバイト軍とグレートブリテン王国(以下イギリス又は英国と表記)軍との間で行われた戦いである。この戦いでジャコバイト側は完敗、ブリテン島でのジャコバイト運動はほぼ鎮圧されその組織的抵抗は終わりを告げた。また、戦闘終了後にイギリス政府軍総司令官カンバーランド公ウィリアム・オーガスタスがジャコバイト軍の敗残兵に加えた虐殺は後世長くスコットランド人の対イングランド感情に影を落とした。 近代的な建物で日本語が選べるこの機械かり、古戦場にたつと、当時の様子を機械が説明してくれる。進軍ラッパの代わりのバグパイプが鳴り、太鼓の音がするが物悲しく聞こえる。「これじゃあ、負けるわ」と私は思った。◀記念碑。戦上手ではない、プリンス・チャールズが、自分の王位を手に入れたく、スコットランドのクラン(豪族)たちによびかけた。しかし、農民たちの寄せ集めみたいな、*ジャコバイト軍(スコットランド軍)*とプロの兵士たちの*政府軍*では、相手にならなかった。結果は、ジャコバイト軍の大敗。その後もイギリス政府は反乱の再発防止のためとして、キルトとタータンの着用を禁じ、氏族制度の解体を押し進める一方強大な政府軍をハイランドに常駐させた。スコットランド人にとって、これは屈辱的な仕打ちに映った。ボニー・プリンス・チャーリー(愛しのチャールズ王子)とよばれ、人々から人気のあった彼も命からがら、フランスに逃げた。■アバディーン郊外にある「ゴードン・ハイランダー博物館」■に行った時、ボニー・プリンス・チャーリー(愛しのチャールズ王子)の絵が飾ってあった。彼は、キルトを身にまとっていた。案内してくれた職員は、絵を見ながら「キルトを着ていることが大切なんです」と言っていた。彼はスコットランド人ではないのにという言葉がその裏に隠されていた。スコットランド人にとって、ボニー・チャーリーは今も英雄だ。もともと、イングランドに押されていたスコットランドは、この戦で完全に勝負が決まった。まるで、日本の関ケ原みたい。戦上手でない、石田三成と戦上手な徳川家康の戦い。NHKの「真田丸」どうなっているのかな・・・?ムーア(荒れ野)のあちこちに、この地で亡くなったクラン(豪族)の名前が掘られた石が置いてあった。◀CLANS(豪族たち)戦から、長くたってから地元の人たちが建てたものだそうだ。夏草や つわものどもが 夢のあと近くに当時の様子の農民らしき家があった。粗末な草ぶきの家だが、そんな草は、どこに生えているのかが気になった。車で移動していたら、サークルストーン発見!!サークルストーンは、石を環状に配置した古代の遺跡。環状列石(かんじょうれっせき)、環状石籬(かんじょうせきり)ともいう。3000年から4000年前のものとされている。見物人は数人しかいなかった。もてはやされるでなく、壊されることなく、そっと、長い時を生きるストーン・サークル。■ジャコバイト軍■チャールズ率いるジャコバイト軍はその75%がハイランド人で占められていた。かれらの装備は貧弱で、銃や大砲はおろか剣や槍、鹵獲した武器などを加えても武装しているといえる兵員は全体の2割程度であった。他の者は農具や棍棒など有り合わせのものを携えていた。フランスが差し向けてくれた援軍も武装や士気は貧弱だった。■政府軍■政府軍は、質・量ともにジャコバイト軍を上回っていた。ドイツ人傭兵やイングランド人からなる正規兵に加え、氏族同士のいさかいからハイランド人であるはずのキャンベル氏族やムンロ氏族からも援軍を取り付けることが出来た。補給物資、火器ともに充実していた。B&Bの窓から見たら10時だというのに子どもたちが遊んでいた。10時でも、まだほの明るい。さすが、北国!!っていうか、キミたち、もう帰りなさい!!7/23(土)★Mount Pleasant ■インバネス■7/24(日)16 Marine Park North Kessock 1V1 3XS イギリス 44-1463-731474・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.22
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■7月23日(土)映画■マクベス■を見に行ったのは、スコットランドに行った時の予習という意味もあった。シェークスピアの四大悲劇のひとつ「マクベス」は、画面もストーリーも暗い。でも、このコーダー城の明るいこと。沢山の人々。バスも数台止まっていた。◀紋章。1672年の文字が見える。◀スコットランドの魂の鹿。▲城の正面に吊り橋が。敵が来たら、これを、落とす。◀中から見たらこんな感じ。◀敷いているのがコーダー家のキルト。お城の中は、フラッシュ禁止だが写真はOK。ところで、この城には、人が住んでいてコーダー伯爵がテレビのコーヒーのコマーシャルに出ていた。「マクベスの家系を継ぐ、コーダー伯爵が勧める○○プレジデント・・・。くつろぎのひととき、このコーヒーは最高の友となる・・・。」公爵の後ろには、執事らしき人がいたような気がする。だいぶ前だが、テレビでやっていた。しかし、今は、当時の伯爵は亡くなったとか。この時は、お城の内部もしっかりと撮影され、それが観光宣伝になり、日本からも、大勢の人が行ったそうだ。(▲広い部屋)そして、それがきっかけで、お城にカフェが出来たのだが、満員。(ノД‘)◀銃さえも美しく飾られている。キッチンという軽いものではない。何十人分もの料理がここで作られたのだから。◀欲しい。▲ピカピカの銅のやかん、欲しい、欲しいと物欲が。 お城の庭も素敵だ。◀うっそうとした林。◀枝を地につけた大木。これらの木々は、どんな歴史を見てきたのか・・・。こういう小道も好き!! こんなところや、 こんなんや・・・。花もいっぱい咲いていた。 旅行社の添乗員だろうかこんな人も。城の中はもちろん、庭園も見ごたえがあった。 わたなべまさこの絵に出てくるような美しい門をあとにした。7/23(土)★Mount Pleasant ■インバネス■7/24(日)16 Marine Park North Kessock 1V1 3XS イギリス 44-1463-731474・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.21
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■7月23日(土)エルギン大聖堂は、13世紀に建設された。14世紀に、司教によって破門になった者が、恨んで放火。その後、再建されるも、16世紀の宗教改革によって破壊され廃墟となった。教会といえば、お墓がつきもので、見たら、なんと骸骨が掘ってある。お墓ばかりか、塔の中の壁にも骸骨が掘ってある。 ここにも、ここにも・・・。おまけに、スコップを持ってる・・・。これも墓地になかったのだが、気味が悪い。 かつては、素晴らしい建築も、今は、当時の、規模を誇るのは、柱の大きさ。二つの塔には登れるので登って見たが、見えるのは、壮大な廃墟だ。帰ってネットで調べたが、なぜ骸骨がほってあるのかわからない。7/23(土)★Mount Pleasant ■インバネス■7/24(日)16 Marine Park North Kessock 1V1 3XS イギリス 44-1463-731474・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.21
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■7月22日(金)スコットランドには、古城が多い。それだけ戦が多かったのだろう。上の写真は、■ダンノッター城。■ 今日は古城めぐり・・・。■フレイザー城、■クレイギヴァー城、■リースホールのみっつ。■フレイザー城■お城に近づくと緑のトンネルに入ったようだ。緑がきれいだ。まずフレイザー城だが、開くまでに庭園を見ることに。庭園で出来た野菜などを売っていた。近くには、子どものための遊ぶ場所もあった。庭園に入る門の飾りの花がかわいい!!中に入るとさすが、貴族さまのお庭だけあって広い!!壁仕立ての木も、日本では見られない。▲左はジャガイモ。▲左がキャベツ。時間が来て、フレイザー城に。丁寧なガイドが私たち夫婦につく。時々、不安そうに、「英語が分かってますか?」的な表情で見るので、思いつくこと、なんでも喋っておいた。長居は無用と次の城へ。■クレイギヴァー城■ここも、周りが美しかった。ピンクの城!!案内の年配女性が「○○が、ピンクに塗ったの」と言っていた。○○の所は、聞き逃したけど「キュートな色!!」と私が言うと、「そうでしょう?!!」と案内の女性。いろいろ話を聞いたりしていたら、上に上がりましょうと塔の上に連れて行ってくれた。途中、召使用の小さなベッドがあった。「このベッドに4人で寝ます」と彼女。「これに???」と驚くと、2人づつ頭の方向を変えて寝ていたそうだ。だからなのか、召使はまだ、幼い少女をおいていたそうだ。この城はアバディーンの貿易商で国際貿易で成功した商人が1626年に建てたもので、 1963年ナショナル・トラスト・スコットランドに寄贈。■リースホール■最後は、リースホール。ここは、城ではなく、金持ちも邸宅だった。今は、ナショナル・トラスト・スコットランドが管理している。昼休みだったかで、案内人が、庭園を見るようにと言う。素晴らしい庭園だったが、あいにくの雨であまり写真を撮ってない。(ノД‘)案内してくれたのは、老紳士。最後に、「この上も見たいですか?」と言われたが、彼らの帰る時間なので、遠慮した。 夕食を食べてB&Bに行った。7/22(金)★Crooksmill B&B ■キース■ Crooksmill By Keith Keith, AB55 6QQ イギリス 電話: +44 1542 886731 *電話をかけたが、通じなかった。女主人がいうには、電波の調子が悪い所らしい。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.20
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■7月21日(金)ドン川に架かる、バルガウニー橋やドン川の岸辺を散策した後、また、美しい通りを通ってオールドアバディーンの中心地まで行く。途中、シートン公園という大きな公園があった。子どもも緑の中で成長するので感性も豊かになるのだろう。公園に置いてある、ごみ箱さえも、絵になる。◀キングスカレッジオールド・アバデーンの町のシンボルともいえる。1494年に設立された由緒ある大学。校舎は1506年に完成したという。王冠をかぶった形の中央部のチャペルは美しいゴシック様式だが、通り過ぎただけが残念・・・。▲聖(セント)マハー大聖堂は、アバディーン最古の大聖堂。市内は時が止まったように静かだ。石造りの家と道。アバディーンは、花崗岩の産地で重厚な町並みだ。ランチをしようと、「この辺に食べるところはありませんか?」と老婦人に聞いた。彼女は、地元の人らしく、外食することもないのか、ほかの人に聞いてくれた。そして「美しい町でしょう」という。「ほんとうに・・・。」と私。ランチの後、車で「ゴードン・ハイランダー博物館」に行った。キルトの軍服で勇敢に闘った兵士たちの歴史。博物館に入ったら、東洋の端の国から、スコットランドといういわば、辺境の地に来た私たちに、ものすごく丁寧に説明してくれて困った。英語、半分しか分からんわ。(ノД‘)建物にあるのは鹿の絵。スコットランド北部に位置する山岳地帯、ハイランド (Highlands)は、ケルト民族の言語や慣習が残ることで知られています。■我が心は*ハイランド*にあり ■ by ロバート・バーンズ。我が心はハイランドにあり,我が心は此処にあらず。 我が心はハイランドにありて鹿を追う。 野の鹿を追いつつ,牡鹿に従いつつ, 我が心はハイランドにあり,我何処へ行くも。 いざさらばハイランドよ,いざさらば北の国よ。 剛勇の生地よ,価値ある者の国よ。 我何処を彷徨うも,我何処を漂泊うも, ハイランドの山を我永遠に愛す。あちこちで鹿のイラストやマークを見た。鹿は、スコットランドの守護神なのか、日本のサッカー代表のヤタガラスみたいな・・・。違うか・・・。(▲B&Bに駐車場がないから、2日間、パーキングに止めた。)7/20(木)★Marischal Apartments ■アバディーン■7/21(金)23 Marischal Street アバディーン AB115AD イギリス 44-1224-581616 *駐車場なし。部屋は広い。自炊。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.19
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■7月21日(金)昨日のダンノッター城を訪ねた時と違って晴れ。この日は、オールド・アバディーンとよばれる、古い町並みを見に行くがその前に、給油。このあたりは、町に古い石垣が多く残っている。それは、ガソリンスタンドとて同じことだ。アバディーンという地名の語源はドン(Don)川とディー(Dee)川の河口に広がる町。と聞いたことがあるが、この日は、そのドン川に架かるバルガウニー橋を見に行った。川の流れを遡る小道があった。この道は、いつ頃から、ここにあるのだろう。きっと、何十年も、いやことによると、百年以上も前からあるのではないだろうか。日本には、このようなところがない。川という川は、全て「整備」されて、木や草の生える場所がない。いわんや、岸辺をや、である。15分くらい歩いただろうか、バルガウニー橋が見えた!!!バルガウニー橋は、現存するスコットランド最古の橋。アバディーン出身の詩人、バイロンが「幼い頃、最もお気に入りの場所だった」と語ったという橋は14世紀のものだそうだ。橋を渡るとき、石畳の美しさに見とれた。この橋は、1830年まで主要道の一部だったという。橋に向こうには、瀟洒な住宅が建っていた。橋を渡り、帰りは、反対の川辺を通る。対岸と違い、こちらは、緑深い住宅もある。ベンチがあって散歩の時に座れるようになっている。ベンチの後ろには、浮輪があるが、溺れた人用なのかな・・・?中州があり、鳥が沢山いる所をみると魚もいるのだろうか。この小さな川は、散歩を楽しみ、植物を養い、鳥や魚の居場所となっている。中州を見ると反射的に「それは中洲にあり、ちょうど教会の塔を舳先として波をわけ進む船のようだった。」ではじまる「ポーの一族・小鳥の巣」を思い出す私。新しく出来たドン橋を遠くに見ながら考えた。なぜ、ヨーロッパの川はこんなに美しいのだろう。日本は、梅雨や台風などの被害が多いから一概に比べることは出来ないかもしれないけれど昔の川は、もっと美しかった。今の日本人は、川を水路としか見ていないのではないだろうか。岸辺に道路を通すのではなく、緑を増やす。そうすれば、遊水池として機能するだろう。そして、人々の心を癒す。川辺は車の通るところでなく、人の歩く道にして欲しい。そうすれば、川への関心が湧き愛着が湧く。 新しく作られたドン橋に立ちながらそう思った。新しくといっても、1830年、19世紀の初めだけどね。7/20(木)★Marischal Apartments ■アバディーン■7/21(金)23 Marischal Street アバディーン AB115AD イギリス 44-1224-581616 *駐車場なし。部屋は広い。自炊。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.19
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■7月20日セント・アンドリュースから、アバディーンに向かう。朝から、曇りでやがて雨。「ペニーレインだ。」by エドガー(「ポーの一族より」)雨で出発を嫌がる馭者にいうエドガーの言葉を思い出した。アバディーン(英語: Aberdeen、 スコットランド・ゲール語: Obar Dheathain)は、イギリス、スコットランド北東部にある都市。エディンバラ、グラスゴーに次ぐスコットランド第3の都市。港湾都市として発達、北海油田の発見後、石油採掘の拠点となり、ヨーロッパの石油の首都と呼ばれる。やがて強い雨。「何にもみえねー!」(北島康介風)大雨の中アバディーンの郊外にあるダンノッター城を見学する。この廃城は、映画■メリダと恐ろしの森■の舞台のモデルになったところ。ここも有名な廃城で、雨にもかかわらず、多くの観光客を見た。世界最大級の米旅行口コミサイト、トリップアドバイザーによる「死ぬまでに行きたい世界のお城」の第5位にランクインしたのは「ダノター城」という。階段を海に近い高さまで降りて、また登る。それも、雨の中を滑らないように気をつけて・・・。城に上がっても、見下ろすと海が・・・。危険!!大変な場所にあったが、やはり神秘的な納得の場所だった。天候の回復が見込めないようだったので、アバディーン市内のB&Bへ。北海は、目の前。ここも、駐車場がない!!でも、ベッドルームの外に、キッチンと居間がついていた。もちろん、バスルームも。キッチンには、洗濯機があって、2回も回した。ここは、朝ごはんを出してくれないが、材料があった。コーヒー、紅茶、パン、ジャム、シリアル、果物。冷蔵庫には卵、バターなどなど・・・。ゆで卵を作った。2泊したので翌日には、食べた分を補充してくれていた。大きな部屋でのびのびとする。7/20(木)★Marischal Apartments ■アバディーン■7/21(金)23 Marischal Street アバディーン AB115AD イギリス 44-1224-581616 *駐車場なし。部屋は広い。自炊。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.19
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■7月19日廃墟と化した■聖(セント)アンドリュース大聖堂跡■や■セント・アンドリュース城跡■を見た後、ゴルフ博物館に向かった。その途中に、あったのがセント・アンドルーズ大学。■セント・アンドルーズ大学(University of St Andrews)は■イギリス・スコットランドの東海岸セント・アンドルーズ市に所在する大学。1413年創立。スコットランド最初の大学。今から10数年前、チャールズ皇太子の長男、ウィリアム王子がセントアンドリューズ大学に入学し、話題になったそうだ。チャールズ皇太子の出身大学はケンブリッジ大学。大学のまわりは、緑の溢れる歩道があり、かわいらしい家がたっていた。ウィリアム王子も、こんな家に住み、大学に通っていたに違いない(妄想)。この町でケイトさんと知り合い今に至るということだそうだ。■英国ゴルフ博物館■セント・アンドリュースは、ゴルフの聖地とあってか、ゴルフをしている姿のお墓があった。ゴルフのゴの字も知らないのでパスしようといってたくらいだが、ここまで来て、それはないだろうと思い、向かった。セント・アンドルーズのオールド・コースから数ヤードの距離。何にも分からないけど、入って「ああだ、こうだ」と話し合っていたら「日本の方ですか?」と声をかけられた。「そうです、大阪からです。」と答えると「僕、神戸です。」彼は、大手製薬会社の社員で、1年間ドイツで単身赴任し、大学に行っているのだそうだ。セント・アンドリュースには、4日間、ゴルフをしにきたそうだ。「よかったら、夕食をご一緒しませんか?」と誘われた。実は、まだホテルにチェクインしていなかったから、気になったけど、きっと、一人旅で日本語が話したいんだろうと思い、「いいですね、是非、お願いします」と答えた。一緒に行ったのは、日本のファミレスのようなとこ(彼いわく)。野菜スープが美味だった。40前の人と、70前の私たち夫婦。親子ほど年が離れていた。日本にいれば、彼は声を掛けてこないだろうから絶対に話すことがないだろう。一期一会。7/19(火)★The New Inn ■セントアンドリュース■ St Mary Street セント アンドリュース KY16 8AZ イギリス 44-1334-461333(ここは、泊まっている人だけでなく、普通の食堂のような感じの朝ごはん。)・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.18
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■7月19日エディンバラ市を出発し、レンタカーでフォース湾を北上し、セント・アンドリュースに向かう。セント・アンドリュースは、ゴルフの町といわれるが廃墟と大学の町でもある。■聖(セント)アンドリュース大聖堂跡■かつてスコットランドで最大規模を誇っていたという12世紀~13世紀頃のかけて建設されたという聖堂跡。当時は各地からの巡礼者でにぎわうスコットランドの宗教の中心地だった。聖堂と修道院の建物群は、16世紀の宗教改革によって廃墟と化した。塔に登れば北海や町が見える。この日は25度を超える暑い日で海で遊ぶ人が見えた。スコットランドでは、夏でも25度を超える日は珍しいそうだ。■セント・アンドリュース城跡■北海を見下ろす、セント・アンドリューズ城は現在廃墟となっており、海に浸食された岩だらけの岬の上にある。13世紀初めに建てられたもので代々の司教の住居として強固に要塞化した最初の石造りの城を立てた。イングランドから侵攻した軍にしばしば占領され、1336年にスコットランド摂政を務めていたアンドリュー・マレーによって再度取り替えされ、彼は二度と敵の手に城が落ちぬよう破壊を命じた。スコットランドは、多くの戦いを余儀なくされた歴史がある。この跡も、そのひとつだ。7/19(火)★The New Inn ■セントアンドリュース■ St Mary Street セント アンドリュース KY16 8AZ イギリス 44-1334-461333*(ここは、駐車場がなかった。)・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.18
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■7月18日ロイヤル・ボタニック・ガーデンでランチ。その後、車でB&Bに帰る。その後、市の中心まで2階だてのバスで行く。駐車場がないから、エディンバラ市では、バスがいい。■メアリー・キングス・クロス■18世紀前半、エディンバラは人口密度が過密になり、ヨーロッパでも有数の過密で不衛生な都市となっていた。 人々は小さな部屋にぎゅうぎゅう詰めの状態で暮らしていた。 建物は地上での階層を高くしただけでなく、地下深く、何層にも掘るようにして部屋が作られていった。当時、下水も完備されておらず、街の汚水が地下の居住空間にまで流れ込んできて不衛生で、ひどい悪臭が充満していて、空気はじめじめと湿っていた。そんな状態だったので病気が流行し、ペストまで発生した。 当時の権力者はペストが流行することを恐れ、貧しい人々を地下空間に閉じ込めたまま地下空間への出入り口をふさがせてしまった。つまり生き埋めにしてしまったのである。(当時の医者の感染を防ぐ衣服)そんな状態を見せるツアーがあるというのでチケットを買いに行ったら3時間待ち。人気ツアーで、翌日と言われた人もいる。案内人は、昔の服装をして、説明してくれるのだが、英語ですから・・・。_| ̄|○でも、地下で、家畜と暮らしたり、石に囲まれた小さな部屋があったりと恐ろしい住宅事情。その後、■作家博物館■に行った。■作家博物館は■エディンバラ旧市街のノース・バンク・ストリートから細い道を入ったところにあるスコットランドを代表する3人の文豪たちを記念して開館された博物館です。1622年にウォルター・グレイ卿のために建てられましたが、その後持ち主が何人も変わりました。その中にステアのエリザベス・タウガー伯爵夫人がいたため、別名レディ・ステアーズ・ハウス(Lady Stairs House)とも呼ばれています。1895年に第5代ローズベリー伯爵が持ち主となり修復し、1907年に博物館としてエディンバラ市に寄贈されました。スコットランド出身の作家、ウォルター・スコットや、詩人ロバート・バーンズ、「ジキル博士とハイド氏」の作者、ロバート・ルイス・スティーブンソンの3人の遺稿や生前使用していた道具などの愛用品が展示されています。中でもスティーブンソンの遺品は数多く展示されています。入ってすぐには3人の彫刻も飾られています。■この広場■は住民たちの共有の土地だった。この広場で豚を飼ったり、野菜をつくっていた。そして、それを、みんなで平等に分けていたところだ。7/15(金)★Art-House Morita B&B ■エディンバラ■7/16(土)7/17(日)7/18(月)電話 森田 4413-1667-1337 住所)3 Mayfield Gardens Edinburgh EH9 2AX ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.17
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■7月18日レンタカーでロイヤル・ボタニック・ガーデンに行った。1670年にエジンバラの医師による薬用植物園として創設。今は 国からの援助により植物学の研究機関として機能し、 世界中の植物を対象にした系統学、分類学はもちろんのこと希少品種の保護育成にも当たっている。さらに海外の研究者への資料の公開や将来を担う子供までを含む若い園芸家を育てるための教育活動も行っている。駐車料金を払って車を止めて、入場料を払い中に入ると、野外映画の案内。気持ちのいい季節は、なるべく、外でということか。ちなみに、スコットランドは夏でも20度以下で、私はいつもダウンジャケットを着ていた。▲芝生で元気に遊ぶ子どもたち。▲木を壁にしていてアーチを作っている。▲大きな木と少ない人。大きな温室には、南国の植物。湿気を好む植物も・・・。暑さや湿気の多い日本を逃れて、スコットランドに来たのに、まあ、廻ってみよう。ベンチがあったが、パスして温室を出た。一番高い所にベンチがあった。そこから、遠く、旧市街が見える。カフェ!お茶にした。ふと足元を見れば、リス!!!怖がる様子もなくいる。ここのカフェのごみ箱は、三分類。リサイクルごみ箱。あちこち回っていたら、また木で出来た壁と入口があり、菜園があった。ジャガイモが植えてあるが市民農園か?麦も植えてあった。広々とした空間に豊かな緑。植物の高さ、色のハーモニーなど感心することしきり。▲トイレに飾ってあった、「こたつ」。7/15(金)★Art-House Morita B&B ■エディンバラ■7/16(土)7/17(日)7/18(月)電話 森田 4413-1667-1337 住所)3 Mayfield Gardens Edinburgh EH9 2AX ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.17
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■7月17日エディンバラ市は、深い谷を挟んで、「旧市街」と「新市街」に分けられる。写真の左が旧市街。「新市街」と呼ばれるものの、建設されたのは1765年から1850年頃というから、どんだけ古いねん!(▲新市街から見た旧市街は絵のように美しい。)旧市街はすでに過密状態なので、エディンバラ城の北側の湖を一部埋め立て、新しい土地を造成。1767年、エディンバラ市は、新市街の建設計画案を公募しました。選ばれたのは、23歳の無名の建築家、ジェームズ・クレイグのプランでした。クレイグの計画は、まず起伏のある土地を地ならしして平らにし、馬車時代の到来に備えて、道路の幅を広く取るというものでした。また、建物と道路を碁盤の日のように整然と配置し、その間に方形や円形の広場を配して、街並みにそれまでにない広がりと優雅さを与えようとしました。 ジョージアンハウスは、その新市街にあり、■ナショナルトラスト■が管理している。■ジョージアンハウスとは■エディンバラ新市街の西、シャーロット広場の北側にあるタウンハウスのこと。人々が密集して住む旧市街の狭いアパートメントとは違い、新市街に住む人々は優雅な一戸建てに住んでいました。建築家ロバート・アダムが富裕層の住宅として設計した、正面がローマ風の建物です。18世紀末頃のニュータウンができたころと時期を同じくして建てられたジョージ王朝様式の建物で美しく均整がとれて見応えがあります。中に入ると、日本語の案内書があって、それを見ながら回ると分かりやすいが、私たちは、それに気が付かなかった。また、上の部屋でジョージアンハウスが出来た頃の様子を描いた物語の映画をやっていた。それを見ると、当時の富裕層の暮らしが分かる。例えば、*小間使いは、10代の幼い少女たち。*主人夫婦の排泄は、寝室で行われ、それを少女が回収する。*匂いをごまかすために、香水は必須だった。*娘たちの教育は、楽器の演奏や手芸など・・・・。この建物のスタイルは、「ジョージアンスタイル」とよばれ、この辺り一帯がそうだった。他にも、あちこちで、「ジョージアンスタイル」を見かけた。「ビクトリアンスタイル」より前の様式である。この道の左は、緑の谷。埋められて、市民の憩いの場となった公園を通って、旧市街に戻った。途中でコンサートなど、北国の人たちの短い夏を外で楽しむ姿を見た。7/15(金)★Art-House Morita B&B ■エディンバラ■7/16(土)7/17(日)7/18(月)電話 森田 4413-1667-1337 住所)3 Mayfield Gardens Edinburgh EH9 2AX ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.17
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■7月17日エディンバラ城とホリルードハウス宮殿への道をロイヤルマイルという。そのロイヤルマイルをホリールードへと歩いていた時、チラッと緑が見えた。ロイヤルマイルの路地を一歩入ると、なんと小さな庭が!!まるで、「秘密の花園」に迷い込んだような感じ。さすが、園芸大国、ガーデニングの国! 「ダンバーズ・クローズ・ガーデン」という名前らしい。 一歩外はこんな感じなのに・・・。■7月16日同じくロイヤルマイルをエディンバラ城へと歩いていた時のこと。一歩、路地に入ると、小さな広場があった。昔、ここには、広場を囲んで多くの人が住んでいて、住民たちの共有の土地だった。この広場で豚を飼ったり、野菜をつくっていた。そして、それを、みんなで平等に分けていたとガイドのH氏が教えてくれた。ここは、広場として残り、上の庭は、花園として残ったのだろうか。ロイヤルマイルから路地に入ると、そこは別世界。7/15(金)★Art-House Morita B&B ■エディンバラ■7/16(土)7/17(日)7/18(月)電話 森田 4413-1667-1337 住所)3 Mayfield Gardens Edinburgh EH9 2AX ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.16
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■7月17日2階建てのバスで、15分くらいの市の中心地に向かい、そこから歩いてホリルードハウス宮殿に行く。エディンバラ城の起源は、7世紀にこの地を支配したエドウィン王が建てた城塞。(エディンバラの語源は、エドウィンの城という意味だそうだ。)3億年以上前の、火山の噴火と地殻の隆起によってできたキャッスル・ロック(130m)と呼ばれる岩山の断崖絶壁は、 天然の要塞として絶好だったが住み心地はよくない。そこで、15世紀に住まいとしての宮殿を建てた。というか、修道会の聖堂を乗っ取り、改装した。エディンバラ城からその宮殿まで、王族が移動する際に使った1マイル(約 1・6km )の道は、その後、「ロイヤル・ マイル」と呼ばれるようになった。私たちが行った時は、テロを悼んで反旗が掲げられていた。もちろん、スコットランドの。エリザベス2世が滞在中は見られないが、今回はラッキーにも内部を見ることができた。一部廃墟となっている。■ホリルードハウス宮殿■ロイヤル・マイルの東端に位置するホリルードハウス宮殿は、もとは1128年に造られた聖アウグスティヌス修道会の聖堂でした。1498年に国王ジェ ームズ4世が聖堂の来客用施設を公式の宮殿として改築しましたが、16世紀中頃にイ ングランド軍の焼き打ちに遭い、その後、 宮殿だけが再建されました。 16世紀後半にメアリ・スチュアートが数年暮らした間に、宗教改革者のジョ ン・ノックスがこの宮殿に招かれ、カト リックを信奉するメアリと論争を繰り広げたこともあります。その後、宮殿は17世紀半ばにも再度イングランド軍により破壊されましたが、1671年、国王チャールズ2世の命を受けた建築家ウィリアム・ ブルースの手で見事に再建され、現在に至っています。7/15(金★Art-House Morita B&B ■エディンバラ■7/16(土)7/17(日)7/18(月)電話 森田 4413-1667-1337 住所)3 Mayfield Gardens Edinburgh EH9 2AX ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.16
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■7月16日この日は、忙しかった。レンタカーを変えて、 エディンバラ城とその付近をB&Bの主、H氏の案内でまわり、 ケイタイを買った。そしてもうひとつ、世界的に有名な、環境保護団体、ナショナル・トラストに入るために事務所に行った。事務所は、エディンバラ城に通じる、賑やかな通りの古い建物の中にあった。ナショナルトラスト(以下NT)とナショナル・トラスト・スコットランド(NTスコットランド)があって両方に入会。 自然環境は大事だし、そのうえ、これがあれば、入場料などがいらない。(一部、いる所もあったが、値引きしてくれた。)これも、B&Bの主、H氏同伴。ただし、ナショナル・トラスト・スコットランドは日本から入会していて、証明書をもらうだけだった。■ ナショナルトラスト運動(ナショナルトラストうんどう)■は自然環境等を経済的な理由での無理な開発による環境破壊から守るため、市民活動等によって買い上げる・自治体に買い取りと保全を求める活動である。この活動は、イギリスのボランティア団体「ナショナル・トラスト」によって行われた活動を原型としており、保護させるべき地域を設定して買い上げ、次世代に伝えていくために管理・保全していく活動である。ナショナル・トラスト自体、元々は歴史的建造物(文化財や歴史地区)の保護を目的としたもので、後に自然の景勝も保全する活動に拡大された。日本では大佛次郎により「自然保護活動」と紹介されたことに絡み、市民有志による土地の買い上げ(土地の所有権は各個人にあるものや、市民団体が保有するものなど様々)や自治体に買い取らせることにより、環境保護を行うものと解されている。■ナショナル・トラスト・スコットランド■ピーターラビットの原作者であるビアトリクス・ポターが湖水地方の土地をナショナル・トラストに託したのは有名。7/15(金★Art-House Morita B&B ■エディンバラ■7/16(土)7/17(日)7/18(月)電話 森田 4413-1667-1337 住所)3 Mayfield Gardens Edinburgh EH9 2AX ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.16
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■7月16日エディンバラ城に行く前に、レンタカーの交換をした。エディンバラ空港にあるレンタカーの営業店で借りてきたのは、ニッサンの2000cc!!日本製にこだわって決めたが、大きすぎる!スコットランドの田舎は、細い道が続き、その後に行く湖水地方も道が細い。大きな車では、無理と思い、エディンバラ市内にある営業所で、交換してもらう。この時は、日本人男性、H氏と、スコットランド人の男性ジョンさんにも付いてきてもらった。細かい英語でのやりとりは、やはり、英語が堪能な人がいい。ということで、2台目はアメリカン!フォードだが、ドアが重い。いつも、女性が車から降りる時、男性がドアを開けているのを見て「ドアぐらい自分で開けられるやろ!」と心の中でツッコんでいたが、これで分かった。それにしても、スッコットランドで日本人がアメ車に乗る!ってなんか、インタナショナル!エディンバラにいるときは、車は使わなかったというか使えなかった。■ケイタイを買う。■「テスコ」というスーパーでケイタイを買った。電話さえ出来ればいいと一番安いのを選んだ。1つにつき、14ポンドを2つ。それに、チャージ代として20ポンド*2計68ポンド。ケイタイを買いレンタカーの交換が出来たのは、やはり、B&B Morita(森田)のオーナーが日本人だったから。7/15(金★Art-House Morita B&B ■エディンバラ■7/16(土)7/17(日)7/18(月)電話 森田 4413-1667-1337 住所)3 Mayfield Gardens Edinburgh EH9 2AX ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.14
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■7月16日街中が世界遺産という美しい街、エディンバラのビクトリアン建築の■B&B Morita■から市内観光へ。B&Bの主は、ガイドもしているので、お願いした。B&Bの近くのバス停からバスに乗る。乗り込む時、「1日乗車券を」といってお金を投入。4ポンドなり。これで、一日何回でも乗り降り自由。エディンバラ城へと行った。エディンバラ城は、自然の岩の上に建てられたもの。こんなに急峻な所にあっては、誰も攻められない。そのうえ、昔は、この下に湖があった。その様子を描いた絵を見たがけっこう大きな湖だった。行くまでの道を「ロイヤルマイル」といい歩行者天国になっている。このロイヤルマイルでは、路上パフォーマーがあちこちにいて賑やかだ。エディンバラ城に入る入場券を買う、長い列ができている。この仮設のスタンドは、毎年8月に3週間くらいに渡って行われる「エディンバラ・フェステバル」の会場だ。エディンバラ城の構内では、連夜、軍楽隊によるバグパイプ演奏やハイランドダンス「ミリタリー・タトゥー」が行われるという。「タトゥー」というのは「軍隊の帰営ラッパ」のことで、このパレードではバグパイプがそれにあたるそうだ。 どこの国も同じで、門は、狭くなっている。午後1時になる「ワン・オクロック・ガン」は、日曜を除いて毎日空砲が撃たれるというが、私たちは、急ぐので、聞きそびれた。門を入ってからも、坂道が続く。緑の部分がかつては湖だったという。城の上から見ると、いかに高い所にある城かがわかる。7/15(金★Art-House Morita B&B ■エディンバラ■7/16(土)7/17(日)7/18(月)電話 森田 4413-1667-1337 住所)3 Mayfield Gardens Edinburgh EH9 2AX ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.14
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■7月15日街中が世界遺産という美しい街、エディンバラ。そのエディンバラの中心街に、昨日泊まった飛行場近くの宿からやってきた。(by レンタカーで約30分)宿は、一番の繁華街からバスで15分くらいの閑静なまち。それも、ビクトリアンスタイルのB&Bだ!!ヾ(*´∀`*)ノ上の写真、左の建物がそれ。B&Bとは、ベッドとブレックファーストの略。フロントガーデンとよばれる、前の庭もある。このB&Bのオーナーは日本人男性、H氏と、スコットランド人の男性ジョンさんの共同経営。英語に自信がない私たちは、日本人の経営するB&Bを探していたのだ。Hさんは不在だったが、ジョンさんが快く迎えてくれた。寝室は、小さなベッドが二つ並んだもので、赤いチェックのベッドカバーがかわいい!! 暖炉もあるでよ~。もちろん、今は、ヒーターを使っている。寒い、スコットランドでは、夏でもヒーターは、必要で、毎日使っていた。 ◀食堂翌朝の朝ごはんは、ジョンさんが腕を振るってくれ、Hさんが運んでくれた。(貴族か!)ポリッジが出た。(手前左)ポリッジは小説などに出てくる英国のおかゆのようなもので、どんなものかと食べたが、甘かったので、翌日からパス。この時が止まったようなB&Bがいつまでも、このままであってほしいと願う。7/15(金★Art-House Morita B&B ■エディンバラ■7/16(土)森田HP7/17(日)7/18(月)電話 http://www.morita.co.uk/index.php/en/ 森田 4413-1667-1337 住所)3 Mayfield Gardens Edinburgh EH9 2AX 追記ビュッフェスタイルの7月15日★ホリデーイン エクスプレス エジンバラ エアポート の朝食。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.13
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7月14日~8月12日まで、関空から■オランダ・アムステルダム■経由でスコットランドに行ってきた。「スコットランド、どこ?」ロンドンの上の方にある地方。「ああ、イギリスね・・・。」とほとんどの人はそう思う。しかし、スコットランドには、 国旗がある。 国歌がある。 国の花がある。 そしてスコットランド発行のお札まである!!!こうなると、もはや国。■2014年9月独立をかけて住民投票■があったのが、うなずける。タータンチェックのスカートみたいな民族衣装。バグパイプ、ネス湖、街全体が世界遺産のエディンバラ・・・。夏でも20度を超すことがない涼しい、むしろ寒いスコットランド。面積は北海道くらいの小さな所に魅力が詰まった、スコットランド。今回は、旅程のほとんどがスコットランドだったので、いろんな所を見ることが出来た。しかし、疲れた・・・。そして、新しい楽天が使いにくい・・・。■2016.7.14★ホリデーイン エクスプレス エジンバラ エアポート ■エディンバラ■電話 44-131-333-4331 住所 101 Ingliston Rd EH28 8Au・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.08.12
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