おしゃれ手紙

2017.10.07
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カテゴリ: 八百八橋散歩


金屋橋(かなやばし)
道頓堀久左右衛門町から西へ渡る金屋橋は寛文年間(1661~1731)に架けられたと伝えられる。
明暦期の地図には見えないが、貞享4年(1687)のものには画かれており、橋名は西道頓堀北岸の町名に由来する。
町名に従い、別名釜屋橋とも呼ばれていた。




難波新川(なんばしんかわ) ■とも難波入堀川(なんばいりほりがわ)ともよばれたかつて大阪市を流れていた運河。



その河口を探して歩いていると、■ 大国橋の少し下流 ■に痕跡を発見!



そして、その反対側、北側には、なんと西横堀川の痕跡が!!
西横堀川の最下流の橋、金屋橋も残っていた!!




(▲金屋橋から見た、道頓堀川を行くボート)
阪神高速道路の建設が進められる中で、昭和39年から46年にかけて、次々と西横堀川は埋め立てられ、長い歴史をもった橋が撤去されていった。
ただ、最下流の金屋橋だけは残され、80数年前の姿をそのまま伝えてくれている。




幅員:7.68m
形式:桁橋
完成:昭和4年
行政区:中央区
河川名:西横堀川
アクセス:大阪市営地下鉄四つ橋線 なんば駅 
      26-C出口 およそ150m 徒歩2分

この他の橋は、痕跡が残っているのがあるからいつか歩いてみよう。



(▲金屋橋から見た西横堀川の痕跡)■西横堀川■
土佐堀川の錦橋上流側より分流し、南に向かって流れて道頓堀川に注いでいた。
長さは約2.5km。
中央区と西区の境界で、埋立後の跡地は阪神高速1号環状線(北行き)の高架と大阪市西横堀駐車場に利用されている。
現在は道頓堀川から北に分流し、


金屋橋を少し越えた部分だけが残存 し、ここから土佐堀川への合流部まで埋め立てられている。



江戸期の大坂市街において、西横堀川の東岸は材木の集積地として賑わい、西横堀二十四浜と呼ばれた。
開削者は大坂北組惣年寄を務めた材木商の永瀬七郎右衛門で、当初は七郎右衛門堀川とも呼ばれた。
西国橋 - 京町橋間には七郎右衛門町の町名が1872年(明治5年)まで存在した。




架かっていた橋

上流から
•西国橋 - 土佐堀通

•尼ヶ崎橋
•筋違橋
•呉服橋
•京町橋
•新天満橋

•敷津橋
•信濃橋 - 本町通
•江達橋 - 中央大通
•篠橋 - 中央大通
•新渡辺橋
•助右衛門橋
•新町橋
•上繋橋 - 長堀通***上繋橋と下繋橋が「四ツ橋」の内の二つ。
•下繋橋
•御池橋
•清水橋
•木綿橋

現存する橋•金屋橋 - 最下流

金屋橋のすぐそばには、まるで船のような丸い窓の建物が!!
その名も■ 珈琲艇キャビン・画像 ■。



金屋橋から見た「珈琲艇キャビン」。

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Last updated  2017.10.07 13:47:25
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Comments

天地 はるな @ Re[1]:「光る君へ」定子&清少納言「香炉峰の雪」(04/22) 七詩さんへ 定子の清少納言への問いかけ…
七詩 @ Re:「光る君へ」定子&清少納言「香炉峰の雪」(04/22) 定子の母は漢詩の名手で伊周も学才に優れ…
maki5417 @ Re:「光る君へ」定子&清少納言「香炉峰の雪」(04/22) 香炉峰の雪 雪のいと高う降りたるを、例…
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