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この周囲を取り囲んでいる世界と謂うものは、冷酷の筈が優しく、汚れていながらも美しく輝いて、どういうわけなのか、魅力的で仕方が無い。しかしながら、どこかどうしようもなく根本的な部分が、壊れてしまっている場所だ。だから、私の愛する男達は少し、世界に似ている。冷酷の筈が優しくて、汚れていながらも美しく輝いて、どういうわけなのか、魅力的で仕方が無い。しかしながら、どこかどうしようもなく根本的な部分が、壊れてしまっている。愛した途端に私の世界を埋め尽くしそうになってしまうのは、おそらくそういうところに起因するのであろうと、くだらないことを無理にこじつけてみていた。そう、何よりも、世界も私が愛おしさを覚える男達も、どちらも、愛されるべきなのだ。そこが、どんなところよりも同じなのだ。と、勝手に思っていた。 そんなことを思わされる、ちっともきらきらとした気持ちになれないこれが“おとなの恋愛”などと呼ばれているものなのであるとすれば、靴底がピカピカ光るスニーカーを大人が履いてはならない理由も解る気がした。もう、許されないのだ。光のなかで、無邪気に笑っていることは。光は、こどもの為にある。彼らが育つ為に注がれる。だから、もう、おとなになってしまった私には許されない。光を浴びて育ち過ぎ、無垢を突き破っておとなになってしまった私には。 人間をやめてしまって動物になれば正当化されるのだろうかなんてことも考えてみたが、あまりに無礼だった。けもの達のほうが、余程に私よりも直向きに生きているのだから。だから私は、けもの未満のなにかになって汚れて、それでも誰かを人間を愛そうとして足掻いて、汗に唾液に涙に精液にまみれながらも恥じることもできずに許されない光の下へ這い出て、手を伸ばそうと思うのだ。そのまま、笑って生きてみようと思うのだ。それはそれで、どこか直向きで。きっと、きれいないきものの姿なのではないかと思う。なんて、単なる理想であり、アートスクールの曲でもあるまいし、おまえには歌へと化けられるような生き方なんかできないよ。それが現実だよ。 きっと、汚れ過ぎたあまりに、私は無垢だ。きっと、そうだ。だからこそ、もっと汚れて傷ついて、人間でなくなればいい。そのほうが、きっと直向きだ。世界に似た男を愛して、世界を愛して、世界に汚されて、あなたにも汚されて、自分でも汚れて、笑って生きていたい。 前々回と前回の日記を書き終えたらここも書くよ……
2019.08.23
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