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フランス映画の大スターだったアラン・ドロンさんが18日にお亡くなりになりました。88歳でした。フランス人には珍しい親日家で、何度も来日しています。 これまでにも「アラン・ドロンの魅力」や「アラン・ドロンの引退」のタイトルで何度か書きましたが、今日は訃報記事です。 アランドロン Alain Delon 1935年11月8日 - 2024年8月18日 アラン・ドロンさん。私が小学校低学年の頃に姉が読んでいた芸能雑誌で、映画は見てなくても、その名前と顔はよく知っていたほどの大スターです。 初めて見たのは1968年の、「あの胸にもういちど」か「太陽が知っている」か「世にも怪奇な物語」か、そのどれが最初か記憶がないけれど、おそらくどれかです。「太陽がいっぱい」(60)で人気映画スターになり、「地下室のメロディー」(63)が話題となり、1966年頃にはアメリカ映画に進出して「名誉と栄光のためでなく」「泥棒を消せ」「テキサス」などに出演したが、あまりうまくいかなかった。1967年の「サムライ」と「冒険者たち」で復活し、アラン・ドロンはやはりフランス映画でないとなー、とファンを安心・納得させました。 1968年から69年頃に自身のマルコヴィッチ殺人事件という大スキャンダルをうまく利用して、自分の「悪」のイメージ作りに成功しました。現在の映画界では、とくに日本映画界では思いもよらないことではないか。 当時、私が愛読していた映画誌「スクリーン」と「ロードショー」では新作が封切られるたびに特集記事が組まれ、そして「アラン・ドロンの新作映画」を期待して上映館へ見に行った。映画誌の読者人気投票でも、スティーブ・マックイーンと第一位を競う、トップ争いの常連スターでした。「さらば友よ」(68)「シシリアン」(69)「仁義」(70)「レッド・サン」(71)は私にとってはベスト級の作品。比較的新しい?「フリック・ストーリー」(75)も傑作だと思っています。
2024年08月21日
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英国の冒険小説家アリステア・マクリーンの「荒鷲の要塞」ハヤカワ・ノヴェルズ版を懐かしい思いで読んでいます。 これまでに同じことを何度も書いていますが、映画が公開される直前の昭和43年12月、新刊を書店で目にして買ったのがアリステア・マクリーンを知った最初です。 今回、古本で買ったのは昭和44年10月31日第4版で、初版から1年後くらいのものです。50年以上も経った本にしてはシミや傷みが少ない。かつて買った初版はとっくに処分してしまったけれど、現在まで持っていたとしても、状態は何倍も悪くなっていることでしょう。「荒鷲の要塞」アリステア・マクリーン ハヤカワ・ノヴェルズ版 平井イサク 訳 定価360円 文庫化されたのが昭和51年12月31日で、ブックオフの108円コーナーで見つけて買ったのは、昭和61年6月30日七刷 定価420円の文庫本。 このハヤカワ・ノヴェルズ版とハヤカワ文庫版を読み比べてみると、何か所かで文章の修正や単語の言い換えがなされています。最も目についた大きな修正は、 早川ノヴェルズ版 ハヤカワ文庫版 シュマイザーの自動ピストル → シュマイザーのマシン・ピストル (野鹿亭にドイツ軍が踏込んで来た場面) 虎戦車 → ティーゲル戦車(郵便バスで脱出する場面) です。「シュマイザーの自動ピストル」の「自動」に「マシン」と振り仮名があるので、原文はマシンピストルとなっているのだと思いますが、「自動ピストル」と訳されています。「短機関銃」のことを、ドイツではマシンピストル、イギリスはマシンカービン、アメリカはサブマシンガンと云うらしい。「八点鐘が鳴る時」では、マシンピストルを初めは「機関拳銃」、クライマックス場面では「短機関銃」と訳されている。翻訳の矢野徹さんはラストで海兵奇襲隊員が格好良く現れる場面のために「短機関銃」という言葉は最後までとっておきたかったのだと書いています(訳者あとがき)「荒鷲の要塞」のラスト場面に「軽機関銃」という語が出てきますが(ノヴェルズ版、文庫版共に)、「ステンガン」と振り仮名があるので原文は「ステンガン」らしい。ステンガンはイギリス軍の短機関銃の名称で、マシンカービンでもサブマシンガンでもどちらでも良いのだろうけど、これをまったく別物の「軽機関銃」と訳するのは間違いです。 ノヴェルズ版と文庫版の、他に目につく違いでは、ゲシュタポのフォン・ブラウヒッシュ大尉がヘリコプターのパイロットがいないのを不審に思い、衛兵に「パイロットを見かけたか?」と問う場面で、衛兵が「いいえ、少佐殿」と答えるのを、「いいえ、大尉殿」に正しく直されている。 階級の誤記は巻頭にもあって、ランカスター爆撃機の機長 カーペンター空軍中佐を副操縦士のトリメーン中尉が「大佐」と呼ぶのだが、修正されずに文庫本でも「大佐」のままになっています 小説「荒鷲の要塞」。シベリアのボイラー工場の方がましだという、英軍のランカスター爆撃機が吹雪の視界不良をついて夜間飛行する場面から始まり、目的地への落下傘降下、ドイツアルプス軍団が駐留する山麓の村への潜入、シュロス・アドラー(鷲の城)にケーブルカーの凍って滑る屋根上にへばりついて侵入、目的を果たして郵便バスで逃走、オーベルハウゼン飛行場に迎えに来たモスキート爆撃機で脱出するまでの話を、映画では描き切れない、舞台となる山岳地帯の雪に覆われた極寒の大自然や、登場人物の心理的内面やキャラクターを細部まで描出しています。 冒険スパイアクション映画の傑作「荒鷲の要塞」を120(150、200?)パーセント楽しむには、この原作小説「荒鷲の要塞」は欠かせないのではないでしょうか。
2024年08月15日
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「街の書店が消えてゆく」「書店の減少に歯止めがかからない」「書店のない市町村」などと云われています。私が住んでいる地域では、近くにある大型ショッピングモール内にある書店のみになっていて、買い物の際に立ち寄っても、本を買うことがありません。読みたいと思うような本が一冊もない。昔は本屋が街に何店もあり。その各店の雰囲気が好きで、読みたい、興味のある本がたくさんあったはずなのに。 こないだからネット通販Amazonで、かつて持っていて、うかつにも処分してしまった冒険小説の古本を何冊か買いました。 英国の冒険小説家アリステア・マクリーンの作品で、「八点鐘が鳴る時」「荒鷲の要塞」「北極戦線」「最後の国境線」「北海の墓場」の早川ノヴェルズ版です。「八点鐘が鳴る時」148円 昭和43年12月15日初版「北極戦線」61円 昭和47年3月15日4版「最後の国境線」99円 昭和43年9月15日初版「荒鷲の要塞」1283円 昭和44年10月31日4版「北海の墓場」99円 昭和46年12月31日初版 の5冊。 1冊が数十円からの安い価格で買えたのですが、送料が1冊につき250~300円くらいかかります。「荒鷲の要塞」のみが1283円と、他に比べて高額なのは人気作だからか?「ナヴァロンの要塞」など2000円以上の価格が付けられています。 このような本は現在はすべて絶版で、書店では買うことができない。古本屋で探すしかありません。 これらの本が書店の棚に並んでいたのは、1970年頃です。あの頃は冒険小説、ミステリ小説、時代小説など、読みたいと思う魅力のある本がたくさんありました。 他に先日、ブックオフの110円コーナーで、柴田錬三郎の時代小説「人間勝負」新潮文庫(上下巻)と「血汐笛」講談社文庫。西村寿行の「帰らざる復讐者」角川文庫 を買ったけれど、このような柴田錬三郎さんや西村寿行さんの本なども、今の書店で買えないのはなぜだろう? 今の書店には、近年の新しい作家の、新しい作品しか置いてありませんね。 アリステア・マクリーンの「荒鷲の要塞」は1968年12月に、映画が公開される直前だった時に、私が初めて買った小説単行本で、定価は360円。それまでは学校の図書室にある本か、学研と旺文社の学習雑誌の付録にあった薄いダイジェスト本しか読んだことがなかった。 その後、今回古本で買った作品を含めて、「ナヴァロンの要塞」「ナヴァロンの嵐」「黄金のランデブー」「麻薬運河」「軍用列車」あたりまでは刊行されるたびに買って読んだけれど、ジャック・ヒギンズやギャビン・ライアル、ディック・フランシスなどを知ることによって、マクリーンの新刊を買わなくなっていきました。
2024年08月07日
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「東映城の三人娘」または「東映城のお姫さま」とか言われます。最初は千原しのぷ、高千穂ひずる、田代百合子さん。のちには丘さとみ、大川惠子、桜町弘子さん。 その他に長谷川裕見子、宇治みさ子、三笠博子、円山栄子さん。そして花園ひろみ、北条きく子さん。 武家娘、町娘、大名旗本のお姫様、鳥追いや太夫、芸者さんなど東映時代劇映画の、片岡千恵蔵、市川右太衛門、大友柳太郎、中村錦之助、東千代之介、大川橋蔵さんの相手役としていろんな役で登場した、美しく艶やかで可憐な女優さんたちですが、私が映画を見るようになった1968年頃には東映は時代劇ではなく主に任侠ものになっていた(しかも外国映画ばかり見ていた)ので、リアルタイムで知っているわけではありません。 丘さとみさん、桜町弘子さんはテレビで拝見していたけれど、大川恵子さんや花園ひろみさんの美しさ可憐さを知ったのは近年になってからのレンタルビデオやBS放送で東映時代劇を見たときです。「東映城のお姫さま」とか言われますが、たしかに他の映画会社の、松竹や大映、東宝などの時代劇にはいない、東映だけの女優さんです。日活にもきれいな女優さんはたくさんいるけど、時代劇のイメージではない。 かつての日本映画には「五社協定」なるものがあって、各社がニューフェイスとして育てた俳優・女優だけでなくおかかえの監督たちも、おたがいに貸さない、借りない、引き抜かない、とする申し合わせ(暗黙の?)があった。「五社協定」があることで、俳優たちは他社の映画に出演することができない。 そのために日本映画界の発展を阻害したとかいわれるけれど、私は弊害よりも、逆にそれがあることで、各社それぞれの特有なカラーというか特色が守られていたのではないか、映画会社それぞれの製作方針や特色が作品に反映していて、それが日本映画の魅力になっていたのではないかと思います。 もしも、監督が自社だけでなく他社の作品に自由に関われて、俳優たちが他社の作品にも自由に出演することができたら、会社に関係なく平均化されてしまって、各映画会社の特色がなくなってしまう。どの会社の映画もみな同じような感じのものになってしまうのでは。
2024年07月16日
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近衛十四郎 (このえ・じゅうしろう) 1916年4月10日~1977年5月24日 私が近衛十四郎さんを知ったのはテレビ時代劇「素浪人 月影兵庫」によってです。放送されたのは1965年10月19日~1966年4月12日(全26話)と1967年1月7日~1968年12月28日(全104話)の2期にわたってだそうですが、私が見ていたのは日曜の夜10時だったと思うので、地方都市だから放送時間帯が異なります。時期的には第2期の方にあたるのではないかと。 剣の達人 月影兵庫(近衛十四郎)と旅がらすの焼津の半次(品川隆二)が気ままな旅先で起こる事件を解決してゆく一話完結の話。大の酒好きで、猫が大のにがてという兵庫と、曲がったことが大嫌いで道しるべでも表札でも座布団でも曲がっていたら直さずにはいられない半次の可笑しな掛け合いが楽しい時代劇でした。豪快な剣を振るって月影兵庫が悪人を倒すシリアス度とコミカル度がほど良い割合だったが、次の「素浪人 花山大吉」(1969~1970)になるとコミカル度が強くなってしまった。「素浪人 月影兵庫」によって近衛十四郎さんを知ったのですが、当時はすでに東映映画の時代劇スターとしてたくさんの作品に出ていたわけで、私が小学生の頃か。映画館など行ける年齢ではなく、姉が連れて行ってくれたのは日活映画ばかりだったので裕次郎さんは知っていても近衛さんを知らなかったのは当然といえるかもしれない。姉が購読していた月刊芸能誌「平凡」や「明星」を見せてもらっていたけど近衛さんは載っていなかっただろうし。 松方弘樹さんより目黒祐樹さんの方がお父さんに似ていますね。
2024年07月10日
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「柳生武芸帳」(1961)監督 井沢雅彦企画 吉辺恒生原作 五味康祐脚本 結束信二、高田宏治撮影 杉田正二美術 大門恒夫音楽 阿部皓哉出演 近衛十四郎、山城新伍、品川隆二、花園ひろみ 堺駿二、里見浩太郎、伊吹友木子、原健策 本編82分 モノクロ シネマスコープサイズ 東映の時代劇映画「柳生武芸帳」を鑑賞しました。今年の2月だったかに東映チャンネルで放送された時に録画したものです。 徳川幕府の外様大名取潰し政策の機密が記されているという柳生武芸帳二巻のうち、「浮舟の巻」を所持している竜造寺家の遺児 夕姫(伊吹友木子)と、その忠臣 神矢悠之丞(山城新伍)が疋田陰流 山田浮月斎(原健策)配下の忍者 霞の多三郎(品川隆二)に襲われるが、偶然に通りかかった柳生十兵衛に武芸帳(白紙の偽物)を託して逃れる。夕姫の竜造寺家は幕府の取潰しにあっていて、巻物の秘密を使うことで御家の再興をめざしていた。 二巻の巻物を巡って、柳生一門を目の敵とする老中 土井大炊守(阿部九州男)と疋田陰流の山田浮月斎を相手にして柳生十兵衛が対決する。十兵衛をバックアップするのは松平伊豆守(徳大寺伸)と大久保彦左衛門(堺駿二)、十兵衛に恋する清姫(花園ひろみ)の兄 永井信濃守(里見浩太朗)。 さほどの期待もなく見始めたのですが、開巻早々に引き込まれるように見入ってしまった。東映時代劇の面白さを堪能できる、傑作ではないですか。 柳生武芸帳なるものが何なのかよくわからないけれど、その巻物をめぐっての争い。シリアスな場面ばかりではなく、柳生十兵衛に魅了されてしまう清姫(花園ひろみ)の天真爛漫な可愛らしさや、大久保彦左衛門をコミカルに演じる堺駿二など。彦左衛門が盥(たらい)に乗って登城する場面もあるし、その底が抜けて駆けだすところなど笑わせてくれます。 柳生十兵衛の近衛十四郎と品川隆二のかけあいなど、のちのテレビ時代劇「素浪人 月影兵庫」を思わせる愉快なシーンになっている。 クライマックスの、柳生十兵衛と山田浮月斎が一騎打ちした後、柳生一門と浮月斎の疋田陰流一門が戦う集団チャンバラが、見事な見せ場になって盛り上がります。 東映の時代劇スター 近衛十四郎の作品では、近年「忍者狩り」「血と砂の決斗」「十七人の忍者」などを見たけれど、あまりシリアスなものより、コミカルな味付けがあるほうが近衛さんの魅力が発揮されるのではないかと感じました。
2024年07月08日
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「グラン・プリ」 GRAND PRIX(1966)監督 ジョン・フランケンハイマー製作 エドワード・ルイス原案 ロバート・アラン・アーサー脚本 ロバート・アラン・アーサー ウィリアム・ハンリー撮影 ライオネル・リンドン編集 ヘンリー・バーマン、スチュー・リンダー フランク・サンティロ音楽 モーリス・ジャール出演 ジェームズ・ガーナー、イヴ・モンタン、エヴァ・マリー・セイント ブライアン・ベッドフォード、ジェシカ・ウォルター、三船敏郎 アントニオ・サバト、フランソワーズ・アルディ、アドルフォ・チェリ 本編180分 総天然色 シネマスコープサイズ フォーミュラカーが爆走するF1グランプリ・レースに命を懸ける男たちと、彼らを見守る女性たちを描いた映画です。 レースはモンテカルロの公道を走るモナコグランプリから始まり、ベルギー、オランダ、イギリス、イタリアグランプリのモンツァなどを舞台として描かれる。 レーサーのジェームズ・ガーナーとブライアン・ベドフォードが同じBRMチームだったがモナコでの事故でベドフォードが重傷をおい、その原因と責任をとわれたガーナーがチームを追放される。イヴ・モンタンとアントニオ・サバトが同じフェラーリチーム。クビにされたガーナーが三船敏郎が新規参戦した日本のヤムラ(ホンダがモデル)チームに迎えられてレース界に復帰する。 映画は4人のレーサーの、BRMのベドフォード、フェラーリのイヴ・モンタンとアントニオ・サバト、日本のヤムラのガーナーを中心に進みます。 そして、ベドフォードの妻のジェシカ・ウォルターとガーナーとの微妙な関係。モンタンと雑誌記者のエヴァ・マリー・セイントとの恋愛、若いサバトとフランソワーズ・アルディの恋模様などが描かれる。 レース場面の撮影がすばらしく、空撮と車載カメラのドライバー目線による臨場感ある迫力。開巻でのモナコグランプリの市街地を走る描写でまず圧倒され、そのあとは男女の恋愛関係や夫婦の軋轢場面がつづいて、ちょっと退屈気味になってしまった感があるが、クライマックスのイタリアグランプリのデッドヒートと大事故の迫力で盛り返す。 自動車レースを題材にした映画では「栄光のル・マン」(1971)と、この「グラン・プリ」が双璧かと思います。自分としては男女の恋愛ドラマ部分を極力排除してドキュメンタリ調で撮った「栄光のル・マン」の方が好みですが、本作の、現代から見れば古風さを感じるフォーミュラカーの葉巻型デザインに大きな魅力を感じます。事故で火災を生じたときにすばやく脱出できるようにシートベルトは無し。安全性を考慮される以前の型です。 ジェームズ・ガーナーが乗る白いホンダが燃料もれから火災を起こす。その事故現場にむらがって来てカメラに収めようとする奴らを見たイヴ・モンタンが自分のこれまでのレーサー人生に懐疑的になる。 彼らは大事故を期待している。人が死ねば大喜びで、目を輝かしてカメラを向ける。そんな奴らを喜ばすために自分は走っているのか?と。 話が映画からそれますが、事故を期待してレースを見に来る者たちの姿。現在の民放テレビ局の姿勢を連想しました。私は、連日のように悲惨な事故や殺人事件を放送している民放テレビ局のニュース番組にうんざりしています。大事故、殺人事件、大災害のニュース。悲惨であればあるほど彼らは喜々として放送する。 映画のラストで、事故で死んだモンタンの血が着いた両手を掲げてエヴァ・マリー・セイントが「あなたたちはこれが見たいのか!」と絶叫する。「グラン・プリ」の日本公開は1967年2月。私が見たのは金沢ロキシー劇場で1972年6月のリバイバル上映でした。今回は2011年に発売されたブルーレイソフト(1400円で買った)で、約半世紀ぶりの鑑賞です。
2024年06月24日
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「伊賀の影丸」(1963 東映京都)監督 小野 登企画 森 義男、安田猛人原作 横山光輝(週刊少年サンデー)脚色 高田宏治撮影 脇 武夫音楽 阿部皓哉出演 松方弘樹、御影京子、山城新伍 吉田義男、北 龍二、高松錦之助 本編69分 モノクロ スタンダードサイズ 東映チャンネルで放送された映画「伊賀の影丸」を録画して鑑賞しました。 1963年(昭和38年)7月に公開された作品。以前に何かで放送された時に見て「なんだこれは?」と思った珍品ですが、今回も同じ印象でした。 横山光輝さんが「週刊少年サンデー」(小学館)に連載していた忍者マンガの同時期の映画化ですが、原作では江戸時代の慶安の頃、公儀隠密の頭領 服部半蔵から密命を受けた影丸たち伊賀忍者が敵の忍者集団と戦う、敵味方がそれぞれの得意とする忍法を駆使して対戦する生き残り合戦を描いたマンガです。 この映画が製作された1963年5月頃?は、マンガでは第二部「由比正雪」連載の終盤から第三部「闇一族」が始まった頃です。 映画は時代設定を変えて、天正10年の本能寺で織田信長が部将 明智光秀の反乱で討たれた直後。 堺を少数の供回りとともに旅行していた徳川家康(北 龍二)が、明智勢に封鎖された街道を避けて伊賀を抜けて浜松へ帰ろうとした時になっています。 冒頭、伊賀の里が甲賀七人衆に襲われて全滅する。百地三太夫の息子 影丸(松方弘樹)が父の遺命によって、徳川家康を守って甲賀七人衆と戦いながら浜松へ送り届けようとする。 原作マンガのような敵味方チームの忍法対戦を描こうとすれば本編69分では足りないだろうが、しかしこの映画は対象観客を誰にしたものなのか? 原作マンガを夢中になって読んでいる少年読者だとすれば、不評を買うのはわかりきったことなのでは? 幼児が対象のような少年合唱団による主題歌。作中に流れる小学校の運動会のような音楽は場面とあわずチグハグ、いかにも幼稚感たっぷり。 原作の第一部「若葉城の秘密」に登場する影丸の宿敵 甲賀七人衆の阿魔野邪鬼を山城新伍さんが気分を出して演じているのが面白いかなと、それだけの作品ではないかと。 時代設定を戦国時代にしたのは、このほうが製作費が安くつくからかも? セットもお手軽なもので、すべて何かの使いまわしで作ったような、低予算映画の見本ですか。
2024年06月13日
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久しぶりにマンガ本を買いました。「MAD DOG マッドドッグ 完全版 上」(宙出版)全3巻の第1巻。望月三起也さんがマイク・ハスラーの別名で描いた作品です。少年画報社の「ヤングコミック」に1968年~70年まで連載され、ながい間、絶版、幻といわれた作品です。 A5版サイズ、456ページの、紙質は落としてあるみたいだが、分厚くて読み応えのある製本。定価は1528円(税別)とちょっと高めだけど、読みたいと思っていたこともあり、厚くて読み応えあるマンガ本(全19話収録。第11話「可愛い女」は前・後編)が欲しいと思っていた折でもあって、購入した次第です。「ヤングコミック」(少年画報社)が創刊されたのは「ビッグコミック」(小学館)や「プレイコミック」(秋田書店)とおなじ頃で、1968年。当時は月刊だった「ビッグコミック」はわりと買って読んだけれど、「ヤングコミック」と「プレイコミック」を自分で買うのは少なかったように記憶しています。 当時、望月三起也さんといえば、「ケネディ騎士団」「最前線」「秘密探偵JA」など少年誌で読んだ作品しか知らず、似たような絵柄だと思ってもマイク・ハスラーと望月三起也さんが同一人物だとは知らなかった。 アメリカを舞台に、ジョージ・牧という日本人の私立探偵が活躍する、ハードボイルド・コメディ漫画(劇画?)です。 連載時は「狂い犬」というタイトルだったのではないかと思うけど、現在は「MAD DOG マッドドッグ」になっている。ハードなガン・アクションと、お色気のある女性の半裸体がどおんと描かれる。当時の少年誌には不向きで、青年誌が登場した1968年ならではの作品ではないかと。 最近、思うのは、昔のマンガ作品を読むことができないことです。1960年代はむろん、70年代80年代のマンガ本が書店に置いてない。再販されることもなく絶版状態で、たまにマニア向けのがあったりするけど、数千円もする高額のものばかりです。 望月三起也さんだけでなく、松本零士さんのSFや戦記マンガ、水島新司さんの野球マンガにしてもしかり。白土三平、石森章太郎、川崎のぼる、横山光輝さんなど有名作家の作品が書店にないのはなぜだ。ちばてつやさんの「おれは鉄平」や、「愛と誠」(ながやす巧 梶原一騎 原作)など、古本で探すしかないのですかね。
2024年06月10日
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「獄門島」(1977)監督 市川崑製作 田中収、市川崑企画 角川春樹事務所原作 横溝正史脚本 久里子亭撮影 長谷川清美術 村木忍音楽 田辺信一出演 石坂浩二、佐分利信、大原麗子、司葉子 草笛光子、加藤武、東野英治郎、上條恒彦、浅野ゆう子 本編141分 カラー スタンダードサイズ 横溝正史さんの「金田一耕助シリーズ」の映画化作品では、市川崑監督、石坂浩二主演の、1976~1979年にかけて製作された全5作が決定版で、これを凌ぐものは過去にも未来にも存在しないだろうと思います。「犬神家の一族」角川春樹事務所 1976年11月13日全国公開「悪魔の手毬唄」東宝 1977年4月2日公開「獄門島」東宝 1977年8月27日公開「女王蜂」東宝 1978年2月11日公開「病院坂の首縊りの家」東宝 1979年5月26日公開 この5本の映画です。 この度、以前に日本映画専門チャンネルで放送された時に録画してブルーレイにしておいたものを鑑賞しました(ブルーレイ1枚に5作品全部を収録)。「獄門島」は何度も横溝正史さんの小説を読んで、テレビ化された古谷一行さんや片岡鶴太郎さんのを見たりして、すっかりお馴染みな感じで、何回も見たように錯覚していたけれど、意外にも公開時に片町にあった金沢劇場(金劇)で見ていらいの鑑賞かもしれない? 復員船の中で「オレが帰らないと3人の妹が殺される」と言い残して息を引き取った戦友鬼頭千万太の遺言をきいた金田一耕助が獄門島を訪れるのが小説を初め一般的な「獄門島」ですが、この映画では遺言をきいたのは金田一の友人で、その友人から依頼されたことになっています。金田一耕助は戦争に行かなかったのだろうか? この映画が公開されたのは1977年8月27日。直前までテレビの「横溝正史シリーズ」の「獄門島」が全4回で放送されていて、最終回が8月20日。その1週間後の公開です。製作が同じ東宝なので情報のやりとりがあったのだろうか? この映画版「獄門島」は原作との相違がいくつかあり、もっとも大きな違いは犯人が変えられたことです。犯人が異なるというのは公開時の宣伝文句にもあって、横溝正史さんも「私も犯人を知らない」と書いています。この変更された犯人は誰か?というのは、犯人は女性で、有名女優であるのが常識だからすぐに観客にもわかることだけれど。 公開直前まで放送されていた、原作に忠実なテレビドラマと同じ内容で作っても、意味も意外性もないのであえて犯人を変えたのだろうか? しかし、そのために「花子さんを殺したのはあなたですね、和尚さん」のあとで、母と娘が名乗り合い、お涙頂戴ものになってしまった感が出ててしまって、終盤部分が付け足されたようになってしまい、最初から最後までの筋の通った一貫性が失われたのでは? 市川崑監督、石坂浩二主演金田一耕助シリーズ5作品での、個人的な趣味というか感想では、最下位の出来ではないか?と思った「獄門島」です。 でも、現在の日本映画では作りようのない豪華な作品だろうというのは確実に言えるでしょう。了然和尚を演じる佐分利信さんのような重厚な俳優が、現在では皆無です。わき役としても三木のり平さんや大滝秀治さん、小林昭二さん、そして加藤武さんのような味のある人たちのすばらしい演技。 製作費はいくらか知らないけれど、充分な予算と撮影日数、さすが昭和の映画俳優たちがそろった豪華な配役。物語開始時のワクワクする期待感。昔の見ごたえのある映画であることは確かです。
2024年06月05日
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「三つ首塔」(1956)監督 小林恒夫、小沢茂弘原作 横溝正史脚本 比佐芳武撮影 西川庄衛、星島一郎美術 森幹男音楽 仁木他喜雄出演 片岡千恵蔵、高千穂ひづる、三条雅也 中原ひとみ、宇佐美諄、小沢栄、南原伸二、佐々木孝丸 本編88分 モノクロ スタンダードサイズ「三つ首塔」1956年4月26日公開。「三本指の男」(1947)に始まった片岡千恵蔵の金田一耕助シリーズは、この「三つ首塔」が6本目で、最終作となる。この頃になると時代劇映画の製作が再開されていて、片岡千恵蔵は時代劇の方へ活躍の場を戻したようです。 終戦後、映画製作において、GHQ(連合国軍総司令部)により「仇討ちや封建的な忠誠心、愛国心」などを描いてはならないとのお達しがあり、時代劇が作れなくなってしまった。そのために映画会社と時代劇スターたちは新たな路線を開拓しなければならなくなった。 時代劇スターの片岡千恵蔵が主演した現代劇「多羅尾伴内シリーズ」や、この「金田一耕助シリーズ」は時代劇の代替だったんですね。 ある日、文学者 上杉欣吉(宇佐見淳)の屋敷を弁護士の黒川(小沢栄、後の小沢栄太郎)が訪れ、佐竹玄蔵(吉田義夫)という人物がアメリカで事業に成功し巨富の財を築いて亡くなり、遺言で上杉夫妻の養女 宮本音禰(中原ひとみ)に、その全財産を残したと伝える。 相続には条件があり、音禰は高頭俊作という男と結婚しなければならないと。拒否すれば、遺産は血縁者に分配されることになると言う。 数日後、東京会館で行われた上杉欣吉の還暦祝いパーティで高頭俊作と会うことになった音禰は、堀井敬三(南原伸二)と名乗る謎の青年から「俺がいる限り、結婚は出来ない」と声をかけられる。さらにパーティ会場で毒殺事件が起こり・・・。 私は、横溝正史さんの「三つ首塔」はヒロイン宮本音禰を主人公にした冒険小説だと思っています。莫大な遺産を相続することになった彼女の前で連続殺人が起こる。謎の男に犯された音禰は男を恐れながらも魅かれるようになってゆき、殺人容疑者として追われ、男と共に逃避行をつづける。宮本音禰の視点で語られる一人称小説である「三つ首塔」での金田一耕助は物語の終盤での救済者にすぎない。 箱入り娘として大切に育てられたヒロインが、自分が育った世界とは無縁のはずだった「ダークサイド」の世界に墜ちてゆく「冒険小説」。 そんな「三つ首塔」を、片岡千恵蔵のヒーロー、スター映画とするには無理があったのではないだろうか。この映画での音禰はまったくのわき役でしかなく、遺産をめぐっての連続殺人事件を多羅尾伴内か遠山金さんみたいに快刀乱麻を断つように解決するヒーロー映画になってしまい、横溝正史作品らしさが失われてしまっているのでは。 先に見た「三本指の男」と「獄門島 総集編」では、洋装の金田一登場とはいえ、横溝正史作品らしい雰囲気があって、楽しく、面白く見ることができたのに、この「三つ首塔」はただのミステリアクション映画になってしまった感じがします。 片岡千恵蔵さんは「原作者にもうしわけないことをした。金田一耕助は良い恰好しちゃいけないんです。でも当時は着物姿のよれよれ探偵では通用しなかったんです。スマートで格好良くしないとならなかった」というようなことを語っています。
2024年06月04日
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「獄門島 総集編」(1949)監督松田定次製作マキノ光雄脚本比佐芳武撮影伊藤武夫音楽深井史郎出演 片岡千恵蔵、大友柳太朗、喜多川千鶴 三宅邦子、斎藤達雄、小杉勇、新藤英太郎 本編102分 モノクロ スタンダードサイズ 今年の2月末だったか?ラジオでNHKのニュースを聴いていると、片岡千恵蔵が金田一耕助を演じた「悪魔が来りて笛を吹く」のフィルムが発見されたと言っていました。横溝正史の金田一耕助シリーズを初めて映像化したのが1947年12月に公開された「三本指の男」(原作「本陣殺人事件」)。金田一耕助を片岡千恵蔵が演じ、シリーズ化されて全6作が作られた。第1作「三本指の男」1947年12月9日公開第2作「獄門島」1949年11月20日公開、と「獄門島解明篇」1949年12月5日公開。第3作「八つ墓村」1951年11月2日公開第4作「悪魔が来りて笛を吹く」1954年4月27日公開第5作「犬神家の謎 悪魔は踊る」1954年8月8日公開第6作「三つ首塔」1956年4月25日公開 フィルムが現存するのが「三本指の男」と「獄門島 総集編」、「三つ首塔」の3作だけだったのが、この度あらたに「悪魔が来りて笛を吹く」の16ミリフィルムが見つかった。劇場用映画は36ミリフィルムで撮られるのが通常ですが、16ミリは学校や公民館で開かれる上映会への貸出し用だそうです。 先日、東映チャンネルで放送された「獄門島 総集編」を録画してもらって鑑賞しました。「獄門島」(75分)と「獄門島解明篇」(94分)。それを102分に編集して1950年に再公開されたものです。オリジナル版の方はフィルムが残っていないらしい。 復員船で一緒になった鬼頭千万太が「おれが帰らないと3人の妹たちが殺される。俺のかわりに獄門島へ行ってくれ」と言い残して死んだ、金田一耕助はその獄門島を訪れる。 獄門島では網元の本鬼頭と分鬼頭が対立している。本鬼頭の嘉右衛門、与三松、早苗、三姉妹。分鬼頭の儀兵衛、志保、鵜飼章三。了然和尚、村長、医者の幸庵。駐在の清水巡査、磯川警部など主要人物がそろい、原作から大きくはずれることなく?、ちゃんとした「獄門島」?になっています。「ごくもんとう」ではなく「ごくもんじま」と言ってるのと、三姉妹は殺されるが、俳句の見立て殺人ではないのが特徴。「鶯の身を逆に初音かな」「むざんやな冑の下のきりぎりす」「一つ家に遊女も寝たり萩と月」という其角と芭蕉の俳句が「獄門島」にとって重要アイテムだと思うけど、ビジュアル的にも重要な見立て殺人なのに、それを大胆にもカットしたのはなぜだろう? 大衆娯楽映画に文芸趣味は不要だということか? 金田一耕助のイメージは、1972年の角川映画 市川崑監督・石坂浩二主演の「犬神家の一族」以来、原作どおりの和装スタイルが定着した現代からの視点では、この片岡千恵蔵のダブルのスーツにソフト帽という洋装は奇異に感じるかもしれないけれど、終戦直後のアメリカ統治による新しい民主主義日本の建設といった時代の象徴なのではないだろうか。 それにしても三姉妹の、鬼頭月代、雪枝、花子の狂気を強調した、すさまじいとも言えるような演技。ここまで彼女たちの狂気を観客に感じさせては、殺されても可哀そうだと思わなくなってしまう。あの温厚な早苗さんでさえ「殺したいと思うほど憎んだ」と言う。 鬼頭千万太が復員船で死んだが、分家の一(ひとし)は帰って来た(原作では復員詐欺にあって生きているとだまされ、事件後に戦死が判明した)。それなのに三姉妹が殺され、だけでなく分鬼頭の儀兵衛と志保までが殺される。鬼頭嘉右衛門にとっては邪魔者はすべて消せということなのか。 前作「三本指の男」に続いて、有能な美人秘書 白木静子が登場します。「三本指の男」では東宝からお借りした原節子さん、今作では喜多川千鶴さんが、丸メガネで可愛らしく演じています。
2024年06月03日
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ショット shot 1.一つの場面を連続的に撮影すること。または その映像、カット 2.ボールを打つこと 3.射撃、発射、狙撃する。カット Cut 1.切ること、削除 2.髪を切り整えること 3.裁断 4.小型の絵や図案 5.撮影の一時中断、単位画面。 先日テレビでアメリカのアクションドラマを見ていて、「何だこれは?」と驚きました。そのワンショットが数秒しかなく、それを編集でつないだだけです。 会話の一つのセリフが一つのショットになっていて、それをつないでいる。 普通なら、カメラが回り始めて、俳優が演技をする。いくつかのセリフのやりとりがあって、監督が「カット」の指示を出すまでカメラが回り続けるものです。強調などの、必要な演出におけるクロースアップやバストショットを挿入したりして画面をつないでゆくものでしょう。 それなのに、一人の俳優が一つのセリフを言うたびにカット。それを受ける相手のセリフが別のショットで撮られていて、これではセリフを言い間違えても、とちっても、そこだけを撮りなおして編集で入れ替えれば済む、お手軽な撮影法ではないか。 かつては、セリフがいくつも連続する数十秒数分間の長いショットが撮影されていたはずです。長いワンショット撮影では、おしまいの方になって誰かがセリフを間違えたら、もう一度初めからやりなおしになった。一人がとちったら、他の俳優に迷惑をかけることになったのですが、しかし、それでこそ、俳優も演技のし甲斐があったのだろうし、監督の演出も、監督の個性もそこに発揮できていたのではなかったか。 それなのに、現代らしいというか、いとも簡単にお手軽に、俳優の一つのセリフが一つのショットで撮影されて、俳優が間違えても、誰にも迷惑をかけることなく、そこだけを撮りなおして入れ替えれば済んでしまう。しかし、こんなことをやっていたら、テレビドラマも、映画もダメになってしまうのではないかとあきれ返ってしまいました。 画像はヒッチコック監督の「ロープ」(1948)です。本編80分くらいのサスペンス映画で、全編ワンシーン、ワンショットで撮影されたとされるものです。実際には10分間くらいのショットが観客にはわからないようにつなぎ合わされているのですが、それでもワンショットが10分間もある。その間、俳優はカメラの前で演技を続け、セリフのやりとりを続けています。ちょっと極端な例かもしれないけれど、少しは見習うべきではないかい。 昔のようなフィルム撮影ではなくデジタル撮影になった現代ですが、機器の発達で10分間以上の長い撮影ができるはずなのに、そうではなく、これからは逆にお手軽な、簡単に済ませようとする撮影が一般的になってゆくのだろうか。
2023年12月06日
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書くのが遅くなりましたが、アメリカ映画の俳優リチャード・ラウンドトゥリーさんが10月24日にお亡くなりになったのを先頃のニュースで知りました。 Richard Roundtree 1942年7月9日 ~2023年10月24日 ニューヨーク州出身のアフリカ系アメリカ人。すい臓がんだそうで、81歳でした。 現在では知らない人が多いかと思いますが、映画「黒いジャガー」(1971)のヒットで一躍、有名になりました。 犯罪多発都市ニューヨークの私立探偵ジョン・シャフトを颯爽と演じて、黒人の主人公が活躍する「ブラックパワー・ムービー」のはしりとなった作品です。 第1作が、アイザック・ヘイズのテーマ曲の格好良さも影響したのか、大ヒット。第2作「黒いジャガー シャフト旋風」(72)第3作「黒いジャガー アフリカ作戦」(73)と、続編が作られて、2000年にはサミュエル・L・ジャクソン主演のリメイク版「シャフト」もあります。 いま、思い返してみると、リチャード・ラウンドトゥリーさんが活躍した1970年(それ以前の68年頃)から75年頃のアメリカ映画には、刑事や私立探偵ものだけでなく、巨大な犯罪組織に挑戦したり、ヤバイことに手を出したために組織に狙われる主人公のアクション映画がいくつもありましたね。 現在のアメリカ映画には、そういうのが一つもないのは、これは、その時代の流行というか、時代の特徴を表した物だったのでしょうか。
2023年11月01日
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昭和17年(1942)6月5日、アリューシャン列島のダッチハーバー攻撃の時に被弾した零戦がアクタン島の湿地帯に不時着して、脚をとられてひっくり返りました。空母「龍驤」の零戦隊に属する機で、搭乗員 古賀忠義一飛曹は操縦席で頭を打って即死だったそうです。 戦後、「なぜ自爆しなかったのか」と苛烈な批判を受けたそうですが、戦後まで生き残った者が戦死者に対して鞭打つ、心無いよりも卑怯ともいえる誹謗中傷ではないか。 ダッチハーバー攻撃にさいして、アクタン島はあらかじめ決められていた「被弾して母艦まで還れない場合の不時着指定地」だったそうです。アクタン島に不時着して待っていれば潜水艦が救助に来てくれることになっていた。それなのに潜水艦はついにアクタン島へ行かなかったとか。 潜水艦が行って、救助隊が島に上陸し、搭乗員の死亡を確認し、不時着した零戦を爆破しておけば、むざむざとアメリカ軍に持ち去られることがなかったはずです。 太平洋戦争開戦の昭和16年12月8日のハワイ真珠湾攻撃の時にも、あらかじめ「不時着指定地」が決められていて、事前に攻撃隊の搭乗員に教えられていたそうです。オアフ島西80マイルにあるニイハウ島がそれで、被弾して帰投不能と判断したときは、同島の南岸に不時着すれば待機している潜水艦が救助してくれると。 真珠湾攻撃に出撃して未帰還となったのは零戦、艦攻、艦爆、あわせて29機。その内の何機がその島に不時着したのか、日本海軍は確認することがなく、戦後になっても闇に葬られたままだそうです。なぜなら、その不時着指定地の島へ日本の潜水艦は一隻も行っていないから。 現実に、ニイハウ島に不時着した空母「飛龍」零戦隊の西開地重徳一飛曹が救助を待ったが、ついに潜水艦は現れず、不時着機に火を放って、自決したという例があるようです。 数名、あるいはわずか1名を救助するために、日本海軍は潜水艦を危険にさらしたくない、のが本音だったのではないか。 日本海軍では、戦闘で被弾して母艦あるいは基地に還れないと判断したときは、いさぎよく自爆しろといわれていたらしく、敵の捕虜になるのを許さない。生きて虜囚の辱めを受けず、を強制されていた。不時着しても助けてもらえない。 日本海軍は貴重な軍用機のパイロットを使い捨てにしたようです。日本の攻撃機や戦闘機には防弾鋼板がないことや、日本の戦車の装甲が薄いことをあげて、「人命軽視」だと言われます。 しかし、それ以上に、この「パイロットの使い捨て」のほうが、より一層、戦争遂行の上でも大きな影響を与えたのではないか。一人前のパイロットを育てるのに、どれだけの経費と年月がかかるか。 アメリカ軍では、「飛行機は大量生産でいくらでも作れるが、パイロットはそうはいかず、何よりもパイロットの保護を最優先せよ」という方針だったそうです。海に不時着水したパイロットを、カタリナ飛行艇が飛んできて日本軍の眼前で収容して行ったという目撃証言があります。潜水艦やPT魚雷艇などもレスキュー任務にためらうことなく派遣されたとか。
2023年07月11日
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日本海軍が南方のミッドウェー島と北方のアリューシャン列島の二方面に作戦を展開したのは、昭和17年(1942)で、アリューシャン列島のキスカ島上陸が6月7日、アッツ島上陸が6月8日。 それに先だって(6月4、5日)米軍の要衝ダッチハーバーを攻撃して帰還中の空母「龍驤」零戦隊の一機が被弾のためにダッチハーバー東方のアクタン島(無人島)海岸近くの湿原に不時着しました。ところが脚をとられてひっくり返り、パイロットの古賀一飛曹は頭を打って座席に固定されたまま操縦席内で死亡した。 36日後の7月10日、米軍の哨戒機が偶然にこの古賀機を発見しました。主翼の日の丸から日本機とわかって基地に報告。当時、米海軍航空情報室から海軍の全部隊に「日本軍機の情報を収集せよ」と指令が出されていて、日本軍機の残骸を可能な限り集めていたこともあり、「アクタン島で日本軍機を発見」の報告を受けて現地に向かった調査班は、それがほとんど無傷の完全な「零戦」であることを知って欣喜した。 この鹵獲(ろかく)された「零戦 21型」は8月12日、西海岸カリフォルニア州サンディエゴの海軍航空基地に輸送され、アメリカの航空技術者とパイロットたちによるテスト飛行と細部まで徹底的な解剖調査がおこなわれました。 開戦以来の約半年の間、零戦にさんざん痛めつけられたアメリカの陸海軍機。その神秘的とまで云われた「零戦の強さ」の秘密がついに明らかになる時がきた。 彼らが第一に驚いたのは、その機体の軽さだったそうです。 日本の零戦は、要求された性能(長大な航続力と格闘戦の強さ)を実現するために極限まで軽量化された。 外板を薄く(0.5ミリ)、操縦席には防弾がなく、燃料タンクは防弾もセルフシーリングもない。それでも足りず、機体骨組みの桁に無数の穴を抜いて、骨粗しょう症のようにスカスカにした。 零戦は攻撃に徹した機体で、防御はまったく考慮されていない。このような無敵戦闘機「零戦」の秘密、長所だけでなく短所(弱点)がアメリカ軍に暴露されることになった。 アメリカ海軍艦上戦闘機「F4Fワイルドキャット」の後継機「F6Fヘルキャット」は、この鹵獲した零戦を参考にして開発されたと書かれたものをたまに目にしますが、零戦を神格化した身びいきの誤解から書かれたものです。アメリカ軍が零戦の強さの秘密を知ったからといって、それを模倣するはずがないし、する必要もない。 そもそも日本とアメリカは戦闘機に求める要求が完全にことなっています。 アメリカ海軍が、開発する戦闘機に要求する項目の第一は「パイロットの生命を守る防弾」です。 頑丈であること、操縦席の厳重な防弾鋼板、燃料タンクの防弾とセルフシーリングを第一の要求項目とし、そのためなら重量が増えても、運動性に劣ることになってもやむを得ずという考えです。 鹵獲した零戦を調査することによって、開発中の「F6F」の方針が間違っていなかったことを確認したアメリカ海軍は、続々とF6Fを主力戦闘機として前線に送り出した。 零戦の約2倍の2000馬力級エンジンを搭載。12.7ミリ機銃が6挺の武装は零戦相手には充分な武装。操縦席まわりの厚い防弾と、頑丈な機体。零戦に格闘戦を挑まれても相手にせず、高速を活かした一撃離脱戦法に徹する。 零戦がその性能を実現するために極限まで機体を軽量化した。このような方法で得た、米軍が神秘的とまで感じた「格闘戦の強さ」など、いつまでも通用するものではなかった、ということだろうか。
2023年07月10日
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「鹵獲(ろかく)」について、以前に書きましたが、再度ということで。「鹵獲」とは、敵の兵器や武器を奪い取り、自軍の装備として利用すること。「鹵獲」と一語で言っても、軍艦や飛行機から、戦車や自動車、機関銃・小銃まで、各種大小さまざま。「鹵獲時の状況」で分けると、戦闘中の鹵獲、撤退した敵が遺棄していった武器や兵器を回収する、または戦後の押収ということもあります。 日本では鹵獲兵器の利用例は少ないと思うのですが、古くは日清戦争での戦利艦である清国の戦艦「鎮遠」を日本海軍が整備して艦隊に編入した。日清戦争では清国のガットリング機関砲を鹵獲した例も。 日露戦争でもロシアの戦艦を何隻か鹵獲して編入したらしく、このような軍艦の場合は新造するより安上がりだったということだろうか。 第二次大戦では、中国大陸や東南アジアで日本軍が大量の火砲や銃器、飛行機を鹵獲したが、中国軍から奪ったチェコ製ZB26軽機関銃を一部で使った他は、ほとんどが研究用とされ、自軍の装備として利用した例は少ないようです。チェコ製ZB26軽機関銃などは、日本の故障ばかりでまともに作動しない軽機関銃よりよほど優秀なのに、弾薬を使い切ってしまえば補充がない。整備もできない。使い捨てにせざるをえなかったということか。 世界の各国軍隊で、最も鹵獲兵器を利用したのはドイツ軍だったそうです。 有名なのが1941年の北アフリカ戦線でのドイツアフリカ軍団。車両だけを見ればまるでドイツ・イギリス連合軍のようだったとか。 本国から遠く離れた北アフリカの砂漠では補給がままならず、敵の物品を奪って利用せざるを得なかったのが要因だと思われます。 ロンメル将軍がイギリス軍から鹵獲したAEC装甲指揮車を2台、マックスとモーリッツと名付けて自分の移動戦闘指揮車として幕僚とともに乗込んでいたことは有名です。 敵の兵器や武器を奪って自軍の装備品として使うには、それを修理や整備する能力がないとならない。ドイツ軍にはその能力があったということだろうか。
2023年07月08日
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「富嶽」についてのつづきです。「富嶽」全長 45m全幅 65m発動機 中島ハ54空冷複列星型36気筒5000HP×6最高速度 780km/h航続距離 1万9000km乗員 6名以上武装 20mm機関砲×4、爆弾最大20トンまたは航空魚雷10本 航空機メーカー中島飛行機の創始者 中島知久平が昭和17年に起案した「必勝戦策(Z飛行機)」に始まった構想で、日本本土を飛び立ってアメリカ本土を直接に爆撃するという、驚異的な超大型機の開発計画です。 昭和19年に、悪化した戦局を挽回する目的で陸海軍民共同での開発が始まったが、本機を実現するには必須の5000馬力級のハ54エンジン製作のめどが立たず、計画は頓挫してしまう。 2500馬力級エンジン2基を串状(串団子状)に連結した5000馬力級エンジンを片翼に3基、日本にかつて存在しない六発の超大型長距離爆撃機の開発を目指したが、資材、人員、技術、すべてが戦局悪化の中では整わず、このような機体よりも、現実として来襲する敵の爆撃機B-29を迎撃する戦闘機生産が優先され、開発計画が整理されることになった。「富嶽」は、爆弾搭載量はB-29の2.2倍、航続距離はB-29の3倍。大きさは戦後のアメリカ空軍爆撃機B-52(現在でも運用されている)に匹敵する巨大爆撃機です。日本を飛び立ってアメリカ本土の大都市を爆撃し、そのまま大西洋を越えてドイツ占領下フランスに着陸。燃料と爆弾を補給して、再び帰路にアメリカ本土を爆撃して日本へ帰還するというものです。 この「富嶽」が実現していたら、戦局は変わったかもしれないなどど、夢みたいな架空空想戦記があったりして、このような空想話はナンセンスだとは思いますが、あえて空想して考えてみることに。「富嶽」が実現して、生産されたとして(構想では400機)、アメリカ本土の大都市を爆撃することになったとしたら。その爆撃作戦には何機の「富嶽」が必要だろうか? 5機や10機では話にもならず、仮に50機の富嶽が飛び立ってアメリカへ向かったとしたら。護衛の戦闘機は航続距離が不足なのでエスコートするのは無理。当然のことに富嶽が完成する昭和19年末頃には北太平洋の制空権はアメリカ軍が握っているし、50機の富嶽は無事にアメリカ本土に達することができるだろうか?(北海道を離陸し、アリューシャンからアラスカ上空、カナダからアメリカ本土へ向かうコース?) 50機のうち、途中でアメリカの戦闘機に撃墜され、またはエンジン故障で脱落、悪天候に見舞われて墜落か行方不明になる機もあるだろうし、何機がアメリカに到達するだろうか? 50機のうち10機か5機? それが爆撃するまでに迎撃されて撃墜され、爆撃に成功するのはほんの数機にすぎない。その後、フランスまで飛行するころには消滅しているのではないか。 富嶽が実現できるくらいならば、それ以前に四発爆撃機の「連山」や「深山」が実用化されているはず。四発機ですら実現できないものが、六発機の「富嶽」など当時の日本の工業技術力では事実上不可能では。 そもそもが、日本がアメリカ(だけでなくイギリスやオランダ、オーストラリアなど連合国)と戦争して勝てるだろうか? 日本が勝つというのはどのような状況になったら勝ったといえるのか? アメリカ西海岸に上陸して東部へ進軍し、ワシントンに乗り込んで、降伏文書に署名させるのか? もし富嶽計画が実現していたら?とか、日本にドイツのタイガー重戦車が1万台あったら?とか、まったくのナンセンスです。日本に1万台のタイガー戦車があっても、それをどうやって運用するのか? 日本では大きくて重いタイガー戦車は鉄道の貨車には積めない、路上を走らせると道路が破壊され、橋を渡れば橋が壊れる。港では輸送船に載せるためのクレーンがない。肝心の輸送船すらない。輸送船があっても途中で攻撃されて沈められる。故障が多いというタイガー戦車の整備能力もない、低く未熟な日本の工業力では交換部品も作れないし、走らせる充分な燃料もない、ないないづくしだ。 政治的判断による岐路ならともかく、技術的にできなかったものが、それを運用法も考えないで、もしあったら、などと考えても意味がないと思うのですが。
2023年07月02日
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「富岳」といえば、スーパーコンピューターの名前ですが、年配の、昔の「週刊少年サンデー」や「週刊少年マガジン」「週刊少年キング」などを夢中で読んでいた人たちにとっては、日本の超重爆撃機を思い出すのではないでしょうか? 昭和17年に計画され、開発が難航して実現しなかった夢の超兵器です。 この「富嶽」が登場するとなると、架空戦記になってしまいますが、松本零士さんの作品にパラレルワールド物の「富嶽のいたところ」があります。「ザ・コクピット」(小学館書)では第5巻に収録。昭和56年10月にビッグコミック掲載の作品です。 昭和56年10月のある日曜の午後、ある漫画家(松本零士さんがモデル)がとなり町へ電車に乗って、行きつけの古本屋へ行く。 すると、いつもとは違って何かがおかしい。 看板の文字が右書きになってるし、入り口の照明が蛍光灯でなく裸電球。店内の棚も配列がちがう。 漫画家は2冊のめずらしい本を見つけます。一冊は自分が描いた覚えがない、自分が描いた漫画単行本。もう一冊の本は「航空画報 超大型爆撃機 富嶽の特集号」。富嶽は計画だけで終わった爆撃機なのに、その本には「富嶽がアメリカのニューヨークを爆撃する」写真が載っていた。 漫画家は、二冊で15円だというその本を買おうとするが、支払った10円玉と5円玉が通用しない。 古本屋の壁には「日本が複数の国家に分割された」日本地図が貼ってある。 店主から「日本が負けて戦争が終わったのは昭和21年12月で、今の日本全体の総人口は三千万人」だと聞かされます。 漫画家は二冊の本が欲しいので、自分の安物デジタル腕時計と交換してもらう。古本屋の店主は「こんな高級腕時計は初めて見た!」と驚く。 二冊の本を手に帰る途中の漫画家を、古本屋の店主の孫娘が自転車で追いかけてきて、「こんな高級腕時計は受け取れません」と、漫画家に腕時計を返そうとする。 その時、二人の頭上を復元されたという富嶽が飛んで行く。 見たことがない三連装主砲を備えた戦車が通りかかったので、漫画家が写真を撮ると、いきなり兵士から銃撃され、孫娘は撃たれて死んでしまいます。 漫画家も射殺されそうになるが、霧が発生して、気が付いた時にはマンガ家は車が行きかう街の大通りに寝ていた。 漫画家が再び古本屋に行くと、店主から「バカコケ、そんな本なら百万円でも売らんわい。ワシにはそんな孫娘なんておらん」と云われる。 そのパラレルワールドの世界では、日本は超重爆「富嶽」を完成させ、アメリカ本土を爆撃したとされる。戦争は現実よりも1年以上長くつづき、終戦は昭和21年12月30日。昭和56年現在の日本全体の人口は3千万人だという。「富嶽」について、明日につづきます。
2023年07月01日
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アメリカが第二次世界大戦に勝利するのに貢献した兵器・武器としては、どのような物があるでしょうか? 海軍ではエセックス級航空母艦(大戦中に17隻が就役。太平洋に15隻)とグラマンF6F戦闘機。陸軍ではB-17爆撃機とB -29爆撃機、P-51戦闘機。M4シャーマン中戦車とジープ、無線電話機。それにバズーカ砲ではないかと。 すべて、必要とされる時に必要な量が供給され、有効に活用されたものばかりで、すべて日本にはないものばかりです。 歩兵用の対戦車火器 バズーカ砲が開発されたのは1942年。6月から生産開始。「バズーカ」は通称で、制式名はM1ロケットランチャーです。パイプ状の発射筒に60ミリロケット弾を装填して、ロケット弾の飛翔火薬に電気コードを通じて点火、飛翔火薬を燃焼させてロケットが自力で飛んで行く。 ロケット弾は速度が遅いので、通常炸薬弾だと命中しても爆発が四散するため破壊力が小さいが、バズーカ砲のロケット弾は「成形炸薬弾」です。充填された火薬の先端部に漏斗状の空間があり、爆発するとエネルギーが前方一点に集中されることで、その集中された爆発エネルギーが戦車の厚い装甲を突き破る。有効射程150メートルで、装甲貫徹力は80ミリ。 1943年10月には折畳みができて携帯性が増し、照準器が改良されたM9型が登場した。 終戦までに、48万本の発射筒と、1560万発のロケット弾が生産され、ヨーロッパと太平洋に展開する部隊の末端まで広く投入された。「バズーカ砲」は廃物の利用を思いついたことから誕生したそうです。「成形炸薬弾」は、初めは60ミリの小銃用の擲弾(小銃で発射し、放物線を描いて飛んで着弾する)として開発したが、重すぎて使い物にならず、倉庫に山積されていた。それが歩兵用の軽便な対戦車火器を研究していた人の目にとまり、これを発射筒で発射する実験をおこなったら、見事に命中した。軽量だから歩兵の活動にも最適で、将来に敵戦車の装甲が厚くなっても口径を増せば対応できる。即断即決、すぐに制式採用となって量産が開始された。 このバズーカ砲がさっそく北アフリカ戦線のイギリス軍に供与されて実戦で使われたが、チュニジアでドイツ軍に鹵獲(ろかく)され、ドイツがコピーしてパンツァーシュレックなるものを作ったそうです。ドイツでは、このドイツ版バズーカのパンツァーシュレックよりも、パンツァーファウストという使い捨ての軽量な無反動砲に力が入れられ、こちらは一般市民でも、女性や老人でも使える利点があったそうです。 戦時中の日本も、ドイツからの技術提供でパンツァーシュレックの資料をもらったが、難癖をつけて開発が進まなかったとか。最も必要としたはずの日本の兵隊が最後まで有効な対戦車兵器を持たされることがなく、アンパン地雷を抱いて敵戦車に肉迫するしかなかったのはどういうことだろうか。
2023年06月27日
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「ダーティ・ヒーロー/地獄の勇者たち 」(1985) THE DIRTY DOZEN: NEXT MISSION監督 アンドリュー・V・マクラグレン製作 ハリー・R・シャーマン脚本 マイケル・ケーン撮影 ジョン・スタニアー音楽 リチャード・ハーヴェイ出演 リー・マーヴィン、アーネスト・ボーグナイン リチャード・ジャッケル、ケン・ウォール、ラリー・ウィルコックス ウォルフ・カーラー 本編96分 カラー スタンダードサイズ 戦争アクション映画「特攻大作戦」のDVDソフトの特典ディスクに収録されている「ダーティ・ヒーロー/地獄の勇者たち」を鑑賞しました。1985年に製作されたTVムービーです。 第二次大戦末期の1944年。ドイツでは、このまま戦争が続けば敗戦とともにドイツ帝国が滅亡すると危惧した将軍たちが、総統側近の親衛隊ディートリヒ将軍(ウォルフ・カーラー)をリーダーとしてヒトラー総統の暗殺計画が企てられている。前回の暗殺計画は失敗におわり、その関係者たちが処刑された。今度は絶対に失敗はゆるされないと。 その情報を得た連合軍の将軍たちは、情報が真実なのか疑問を抱きながらも、その暗殺計画を阻止しなければならないと考える。ヒトラー総統は無能なので、あと数か月で戦争は終結するだろう。しかし総統が暗殺されて有能な後継者があらわれれば、戦争は長引き、連合軍の損害も増えることになる。なんとしてもヒトラーには生きていてもらわないとならない。 アメリカ軍のウォーデン将軍(アーネスト・ボーグナイン)は、服務規程違反で軍事裁判にかけられていたライズマン少佐(リー・マーヴィン)を出頭させ、暗殺計画の首謀者ディートリヒ将軍の殺害を命令する。 ライズマン少佐は陸軍刑務所に服役中の死刑囚と長期受刑者のなかから12名の男を選抜。反抗的な彼らを猛訓練で鍛え上げて、フランスへと向かう。ディートリヒ将軍が乗る軍用列車を襲って皆殺しにする作戦だったが、途中での齟齬から時間に遅れてしまい、終着地の駅で待ち伏せることになる。 厳重な警備の下、到着した列車から降りたディートリヒ将軍を狙撃しようとするが機会がなく、そこへ飛来した輸送機から、なんとヒトラー総統が降り立つ。狙撃ライフルの照準器に将軍とヒトラー総統が並んで写る。どちらを撃てばよいのか? 死刑囚と終身刑など重罪受刑者に恩赦をあたえる条件で、彼らを特殊作戦へと送り込むアクション映画です。生きては帰れない危険な任務に送り込むには、彼らが適任なのではなく、使い捨てにできるからです。 映画「特攻大作戦」(1967)から約20年後にテレビ放送用に作られた第2作の「ダーティ・ヒーロー/地獄の勇者たち 」。原題の「THE DIRTY DOZEN」は「汚れた1ダース(12人)」の意味です。「汚い12人」は隙があれば逃げようとするし、油断をすればライズマン少佐を撃とうとする男もいる。そんな彼らを脅迫したり欲でつったり、なだめたり脅したりして任務を遂行させるライズマン少佐を演じるのはリー・マーヴィン。「特攻大作戦」から年月が経つので老けた感じがするけれど、プロフェッショナルらしい、いぶし銀の渋い風貌がうかがえる貫禄は相変わらずです。 激しい銃撃戦のすえに、生き残った者たちが輸送機を乗っ取って脱出する。輸送機を操縦する生き残りのメンバーの一人、ラリー・ウィルコックスという俳優ですが、どこかで見覚えのある顔だなと記憶を探っていたら、はたと気が付いた。テレビ映画「白バイ野郎 ジョン&パンチ」のジョンでした。 監督のアンドリュー・V・マクラグレンは、かつて西部劇映画などを撮った名監督で、この時期になると仕事がなくなっていたんでしょうか?
2023年06月25日
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「ブロンコ・シャイアン」というテレビ西部劇が放送されたのはいつだったでしょうか? 私が見たのは、家にテレビが来たのが昭和37年(1962年)の9月か10月頃なので、それ以降です。毎週月曜の夜7時からの60分番組で、ちょうど夕食の時間でもあり、家族そろって見ていました。「ブロンコ」と「シャイアン」。ブロンコ・レーン(タイ・ハーディン)とシャイアン・ボーディ(クリント・ウォーカー)が、それぞれ主人公として隔週交互に放送された。 物語の内容は、もう60年も昔の小学生の時なのでまったく覚えていません。オープニングの画面で、ブロンコが空に投げ上げた空き缶?をバンバンとファニングで撃つところが記憶にあり、ブロンコ~ブロンコ♪シャイアン、シャイアン♪というようなテーマ曲が入ったような。 夜の7時という時間帯に、このようなアメリカの西部劇ドラマが放送されていた。現在では考えられもしないことです。どうでもいいバラエティ番組ばかりの今よりも、何倍も何倍もテレビが面白かったと思います。「ブロンコ」と「シャイアン」という二つの番組が隔週交互に放送されるという、このような形態はめずらしいのではないかと。 のちに、「コンバット!」を初めて見た時、以前にも書きましたが、昭和40年(1965年)に第4シーズンが放送開始されて、第82話「塔の上」(私にとって初めての「コンバット!」)と、次の週に第83話「静かなる戦い」を見た時。「静かなる戦い」にはヘンリー少尉だけしか登場せず、サンダース軍曹が主人公だと思っていたので不思議に感じて、「ブロンコ・シャイアン」のように隔週交互に主役が代わるのかと、当時は思ったものです。「ブロンコ」のタイ・ハーディン Ty Hardin 1930年1月1日生まれ、2017年8月3日没 「シャアン」のクリント・ウォーカー Clint Walkar 1927年5月30日生まれ、2018年5月21日没 タイ・ハーディンを映画で見たのは「バルジ大作戦」(65)くらいしかなくて、クリント・ウォーカーは「特攻大作戦」(67)です。「猛烈なる復讐」(68)というのを映画館で見たはずですが憶えていません。 この二人の、俳優としての代表作はテレビ映画の「ブロンコ」と「シャイアン」と云っていいのでしょうか。
2023年06月24日
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ロバート・ランシングさんは、とても地味なというか、マイナーな俳優だと思います。 ロバート・ランシング Robert Lansing 1928年6月5日~1994年10月23日 享年66 私が初めて知ったのは、1966年か67年頃か?定かではありませんが、毎週水曜の夜9時に放送していた「過去のない男」という30分のスパイドラマです。 東西冷戦時代、東ベルリンから西ベルリンへ脱出したCIAの諜報員ピーター・マーフィ(ロバート・ランシング)は、自分と瓜二つの億万長者マーク・ウェンライトを見かけます。ピーターを追ってきた東側諜報員が、彼と間違えてマークを射殺する。とっさにピーターはマークになりすますが、夫人のエバ(ダナ・ウィンター)に偽者と見破られてしまう。ところが夫婦仲が冷えきっていたエバはピーターにそのままマークになってくれと頼む。彼女からマークの話し方や癖、友人関係を教わったピーターは、CIA諜報員と億万長者の二つの顔を持つ男として生きることになる。 当時は007映画から始まったスパイ物が大流行した時期で、そんなたくさん作られた華やかなスパイ物の中の一作品だが、ロバート・ランシングさんはずいぶんと地味な俳優で、ドラマの内容もシリアスだったせいか、今では覚えている人は少ないのではないでしょうか。 この「過去のない男」を編集したのか、それともパイロット版なのかはわからないけど、「地獄から来た男」のタイトルで劇場映画として公開されました。金沢市では「猿の惑星」との同時上映(金沢ロキシー劇場)だった。 ロバート・ランシングさんのテレビ映画では、「頭上の敵機」があるのですが、私が見たのは第2シリーズからで、この時には「爆撃命令」にタイトルが変更されていて、主役もポール・バークに代わっていた。なのでランシングさんの「頭上の敵機」は見たことがありません。 それ以前には、エド・マクベインの警察小説をテレビドラマ化した「87分署」があり、ランシングさんはスティーヴ・キャレラ刑事を演じた。このドラマはまったく知らないし見たこともありません。石川県で放送されたかさえわからない。小説の方は、「警官嫌い」「通り魔」から始まってかなりの冊数を読んだのですが(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)。 映画では「殺人鯨ナム」(1967)と「傷だらけの挽歌」(71)でしょうか。「殺人鯨ナム」は近所の銭湯に大きな広告ポスターが貼ってありました。
2023年06月23日
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「血と砂の決斗」(1963)監督 松田定次脚本 村松道平撮影 山岸長樹美術 吉村晟編集 河合克己音楽 富永三郎出演 大友柳太朗、近衛十四郎、丘さとみ、河原崎長一郎 藤原釜足、戸上城太郎、笹みゆき、三島雅夫 本編88分 モノクロ シネマスコープサイズ 東映時代劇映画「血と砂の決斗」をレンタルDVDで鑑賞しました。 1963年12月1日公開です。 1580年、各地に群雄割拠していた戦国の頃。武蔵の北条康政に仕える稲葉弥十郎(大友柳太朗)は、槍をとっては関東一と名乗る武将だった。だが、いくら武功を重ねても、加増もされず、器が小さいケチンボの主君康政に愛想をつかして出てゆく。それを恥辱と受取った康政は、弥十郎の親友 鬼塚市兵衛(近衛十四郎)に3人の武士をつけて討手に差向ける。 さすらい旅の途中、弥十郎はある極貧の村で、女に乱暴をしようとする野武士を斬って助ける。しかし感謝されるはずが、村人は「殺してくれとたのんでない」「はやく村を出ていけ」と追い出そうとする。 弥十郎は遊女として村に住む女 奈々(丘さとみ)から、村が近隣に住む野武士の一党に収奪されているのを教えられる。後難を恐れ、野武士の仕返しを恐れて、弥十郎を追い出そうとするのだと。 話を聞いた弥十郎は、「なぜ結束して戦わないのだ!」「自分たちで戦って、自由と平和な生活を取り戻すのだ」と、村人に説く。野武士を恐れて尻込みする百姓たちを、「わしが力を貸してやるから、大丈夫だ」と説得する。年寄連中は恐れおののくだけで、隙があれば裏切りや逃げようとする卑怯な臆病者ばかりだったが、若い男たちが弥十郎に賛同し、戦うことに決する。 村の入り口にバリケードをこしらえ、戦いに備える村人たち。主君の命令を受けて弥十郎を討つために追ってきた鬼塚市兵衛たち4人の侍が、村にやって来たのは、そんな時だった。 野武士との戦いを前にした弥十郎は一計を案じた。「4人の武士が味方することになった。敵をあざむく為に、4人が野武士側に加わると見せかけて後から攻めるのだ」と話した。村人の中に野武士に内通している裏切者がいることを利用した作戦だ。 野武士との戦いが始まった。内通者から話を聞いた野武士たちは、野武士に味方すると云って近づく4人に一斉に矢を射かけた。鬼塚市兵衛は、自分たちが弥十郎に力を貸していることに気づいたが、もはやどうすることも出来ず、野武士を相手に奮戦するしかなかった。 戦いは村人の勝利に終った。村人の歓声を後に、稲葉弥十郎と鬼塚市兵衛の決闘が開始されようとしていた。 野武士の収奪におびえる村人を助けるために、武士たちが力を貸して戦うという話は、黒澤監督の「七人の侍」に似た感じがしますが、これはこれで面白く、よく出来たアクション映画になっています。 豪放磊落な主人公を大友柳太朗さんが、その持ち味を生かせて、役柄が合っているのか好演しています。そして何よりも、はからずも村のために戦うことになってしまう討手の4人の武士たち。そのリーダー格の鬼塚市兵衛を近衛十四郎さんが、これもピッタリと持ち味と役柄が合って、とても良い。 先日から、「忍者狩り」「十七人の忍者」と、偶然にも近衛十四郎さんの出演作を連続して見ましたが、本作がいちばん良かったです。「七人の侍」のような武士が村人を助けて野武士と戦う話と、音楽がギターを用いたハイカラな曲調。馬が駆けまわるなど、どこか西部劇を思わせるものです。これも集団時代劇の一作品といえるのでしょうか。
2023年04月19日
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「若さま侍捕物帖」(1960)監督 佐々木康脚色 結束信二原作 城昌幸企画 中村有隣撮影 山岸長樹美術 吉村晟音楽 万城目正出演 大川橋蔵、山形勲、桜町弘子、花園ひろみ 三田佳子、三島雅夫、千秋実、清川虹子 本編84分 総天然色 シネマスコープサイズ 東映時代劇「若さま侍捕物帖」をレンタルDVDで鑑賞しました。 1960年12月27日公開。ということはお正月映画ですね。先日から「忍者狩り」(64)と「十七人の忍者」(64)を見たのですが、本作はまるでカラーが異なっているというか、これが東映時代劇の従来のカラーです。大スターを主役にした華やかで明朗な、歌や踊りの舞台を加えた単純明快な勧善懲悪の娯楽時代劇。まさにお正月映画としてふさわしい作品ではないでしょうか。 お屠蘇気分の松の内に事件が持ちあがる。御用商酒問屋 伊勢屋がお城に納めた清酒で、毒見役が悶絶して死んだという。城内見回りの番士が下番早々に長屋で斬り殺される。 毒入りの酒を納めた罪状で伊勢屋の主人は獄門、その家族と使用人は遠島、店は取潰しと決まる。「何かの間違いです、よく調べてください」との懸命の訴えも却下され、伊勢屋の主人はショックで倒れて亡くなってしまう。 目明し小吉と奉行所与力 佐々島(千秋実)が調査するが、事件の中心に老中 堀田加賀守(坂東好太郎)がいて、町奉行も手を出せずどうすることもできない。 舟宿「喜仙」の二階座敷に居候する「若さま」(大川橋蔵)は、喜仙の看板娘おいと(桜町弘子)をからかいながら呑気に暮らしているが、与力の佐々島から事件を聞いて関心を持ち、調べ始めることに。 御用商の利権を手にしようとする悪徳商人 唐金屋(三島雅夫)と結託した小納戸役 鈴木采女(山形勲)の企みであることを突きとめる。若さまと呼ばれる旗本の部屋住みらしい若侍が調べているのを知った唐金屋は、ヤクザ者たちに若さまに脅しをかけさせ、その生命を無き者にしようとするが、手練れの若さまに返り討ちにされてしまう。 私腹を肥やすことと色欲しか頭にない鈴木采女は御後室英明院(花柳小菊)を老中 堀田加賀守に抱かせ、加賀守の下で悪事をたくらみ、江戸で評判の琉球踊りの一座の座長でいちばんの踊手 月美香(藤田よし子)と伊勢屋の娘ちか(三田佳子)の二人をわが物にするのと引換えに、伊勢屋の御用商の権利を唐金屋に与える。鈴木采女の横暴は日毎につのるなか、伊勢屋の娘おちかは健気にも鈴木を父の仇と狙い、若さまはその助太刀を買って出る。危険を感じた鈴木は、江戸市中に悪評高い地獄道場のゴロツキ剣客を雇い、若さまを消してしまおうとする。 大川橋蔵の十八番シリーズ「若さま侍捕物帖」。舟宿の娘おいと(桜町弘子)や、矢場の娘お澄(花園ひろみ)だけでなく江戸の女性たちに大人気、大モテの「若さま」。その素性、正体は誰もしらない謎の人物。葵の紋を持つので、徳川家の一族であるらしい。悪事をたくら者を容赦せず、秘剣一文字崩しの剣が華麗に舞う江戸のヒーローです。 1963年頃あたりでしょうか?、先日書いた「十七人の忍者」「忍者狩り」あたりから、東映時代劇がリアル路線に進んでいったらしく、本作のような明朗な単純明快勧善懲悪ヒーロー時代劇が姿を消していったようです。 それまでの、プログラムムービーとして量産された東映娯楽時代劇の大スター、大川橋蔵さんだけでなく、片岡千恵蔵さん、大友柳太朗さん、近衛十四郎さんたちが、時代劇が減ってゆくことも重なって映画での出番がなくなってゆく。 このような大スターがテレビに流れていったことで日本の映画が衰退に向かったと、今まで思っていたのですが、時代劇の大スターたちが映画製作の作品路線が変わったことで、テレビ時代劇へ活躍の場を移すしかなかった必然だったのですかね。
2023年04月18日
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「十七人の忍者」(1963)監督 長谷川安人企画 天尾完次脚本 池上金男撮影 鷲尾元也美術 富田治音楽 鏑木創出演 里見浩太郎、近衛十四郎、三島ゆり子 大友柳太朗、東千代之介、花沢徳衛、薄田研二 本編99分 モノクロ シネマスコープサイズ 東映の忍者時代劇映画「十七人の忍者」をレンタルDVDで鑑賞しました。 1963年7月に公開された作品です。 寛永8年。公儀隠密三ノ組を率いる組頭の甚伍左(じんござ。大友柳太朗)は、駿河大納言 徳川忠長による謀反計画を摘発するため、証拠となる西国外様大名らによる連判状を駿府城から奪取するよう老中 阿部豊後守(薄田研二)に命じられる。甚伍左は連絡係として妹の梢(三島ゆり子)を江戸に残し、配下の15名の忍者たちと数組に分散して駿府に向けて出立する。 阿部豊後守たち幕閣は、重病で臥す将軍徳川秀忠が亡くなる前に、次期将軍の座を狙う駿河大納言忠長を、連判状を謀反の証拠として突きつけ、詰め腹を切らせようと考えている。 駿府城では、雇い入れた根来忍者の才賀孫九郎(近衛十四郎)の指揮によって警備を固めており、駿府に入ろうとした伊賀者のうち5人が次々と捕縛されて斬られる。 忍者の行動に精通する才賀は、甚伍左たち伊賀者が隠れ家とする駿府城下の寺を急襲。甚伍左は配下の者を逃がして、自らは捕らえられる。両足を砕かれた甚伍左は、城内の鬼門櫓にある牢に囚われの身となる。 江戸では将軍秀忠が逝去し、老中 阿部豊後守は梢を駿府に連絡に走らせ、自らも駿府へ向かう。豊後守は連判状を奪えなければ駿河大納言と対面の場で、刺し違える覚悟でいる。 ご老中が駿府に到着するまでに連判状を奪わないとならない。伊賀者たちは、堀を渡って鉄壁の守りを固める城内に忍び込むことを決意する。伊賀者たちは次々と倒されて半四郎(里見浩太郎)と文蔵(東千代之介)の2人となり、城内に入らずに残された梢は才賀に捕まって拷問を受ける。半四郎と文蔵は捜索を逃れて塩蔵に潜み、捜索する藩士が「(梢が捕まったので)隠密はあと1人だ」と話している声を聞く。才賀らが「伊賀者は総勢16人で、潜伏するのは残り1人」と思い込んでいることを知った半四郎と文蔵は敵の錯誤に乗じる。文蔵が決死のオトリとなっている隙に、「17人目の忍者」となった半四郎は梢を助け出し、梢の手裏剣の援護のもとに才賀を倒す。「東映集団時代劇」とされる作品では、「十三人の刺客」(1963)くらいしか知らないのですが、1963年から数年間にいくつか製作されたようです。昨日の「忍者狩り」もその一つらしい。 東映時代劇はひとりの大スターを主人公とした勧善懲悪の物語を量産してきたが、観客に飽きられ始めて、さらに東宝の「用心棒」(61)や「椿三十郎」(62)など新しいリアルな剣劇アクション映画が登場したことから、それまでの形式的、様式的な東映時代劇が古臭く思われるようになり、リアルさを取り入れた新路線としての集団時代劇が誕生したそうです。 駿府城に潜入して謀反計画の連判状を奪いだそうとする伊賀忍者たちと、それを阻止しようとする駿府の藩士たちの攻防。駿府藩士を指揮する根来忍者の才賀孫九郎は、重用されるわけでなく要が済めば放り出されるだろうことを感じている。幕府の職制に組み込まれて働く伊賀甲賀衆を妬み、伊賀者に激しい憎しみと敵愾心を抱く才賀孫九郎の敵役・悪役としての人物像は主役側の伊賀者たちより厚みのあるものになっています。 女忍者の梢を含めて総勢17人の伊賀忍者たちに対抗する根来忍者としては才賀孫九郎がただ一人で、そうではなく彼にも配下の根来忍者集団がいれば、忍者集団映画としてもっと見ごたえがあったかもしれない。「みんな殺されようとも、最後に一人残ればよい。駿府の城が16人の墓場だ」 自分の生命よりも任務遂行を第一とする。任務をはたすために次々と死んでゆく、非情な忍者の厳しさが描かれていて、これぞ忍者映画といえる作品になっています。
2023年04月17日
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「忍者狩り」(1964)監督 山内鉄也企画 森義雄脚本 高田宏治撮影 赤塚滋美術 井川徳道音楽 津島利章助監督 中島貞夫出演 近衛十四郎、田村高広、河原崎長一郎 佐藤慶、山城新伍、天津敏、北条きく子、高森和子 本編87分 モノクロ シネマスコープサイズ 東映の時代劇映画「忍者狩り」をレンタルDVDで鑑賞しました。 1964年9月の公開です。世の中が忍者ブームの頃で、私は小学生だったので映画を見られる年齢ではなく、テレビの「隠密剣士」と「忍者部隊月光」くらいしか知らないのですが、映画ではいろいろたくさんあったんですね。本作はそんな頃の一作です。 徳川三代将軍家光の時代。幕府は体制を不動のものにするため豊臣恩顧の外様大名を取潰す政策をとった。藩主が危篤におちいった伊予松山20万石の蒲生家が、嫡子種丸の家督相続を願い出る。相続は認可され、将軍家お墨付き状が与えられる。松山藩蒲生家を潰そうと企む幕府は、そのお墨付を奪って、それを改易の口実とするために、闇の蔵人(天津敏)を頭領とする甲賀忍者の一群を送り込む。松山藩の城代家老 会沢土佐(田村高広)は、幕府の陰謀に対抗するために4人の腕利きの浪人を雇う。「忍者狩り」のために松山藩に雇われた、和田倉五郎左衛門(近衛十四郎)、永長八右衛門(佐藤慶)、筧新蔵(山城新伍)、天野弥次郎(河原崎長一郎)たち4人の浪人者。彼らはかつて幕府の謀略で主家を取潰された経験があり、忍者の暗躍に精通する者たちだった。 東映時代劇といえば華やかで明るいイメージがあるのですが、本作はそのモノクロ映像のせいもあるのか、暗くてハードな内容になっています。 暗躍する幕府の隠密 甲賀忍者と4人の浪人者の攻防を描いた忍者映画なので、明朗な時代劇になりようがないのは当然だが、藩士として採用された6人の者たちの中に忍者がいるというので、全員を片端から切り殺してしまう。拷問しても口を割らないという忍者が相手では容疑者すべてを殺してしまうのがもっとも確実な手段で、それしかないのはわかるのですが、残酷で非情な描写です。敵味方の斬合いと云うより殺し合いと云うほうが適っている凄惨な時代劇です。 忍者を潜入させて藩を取り潰す口実を探し出し、なければ作り出して言いがかりをつけ、外様大名を潰そうとする幕府。それに対抗するために大名に雇われた浪人者たち、という設定はさいとう・たかをさんの劇画「影狩り」の元ネタになっているようです。「忍者狩り」浪人のリーダー格の和田倉五郎左衛門を演ずる近衛十四郎さんは、このあと「素浪人月影兵庫」などのテレビ時代劇の方へ移っていくのですが、その迫力ある殺陣はさすがです。時代劇でチャンバラが上手な俳優では近衛さんが一番なのではないでしょうか。 甲賀忍者の頭領を天津敏さんが演じていますが、姿を見せないでワハハハ、という不気味な笑い声など「隠密剣士」と同じようなキャラになっています。
2023年04月15日
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「D坂の殺人事件 」(1997)監督 実相寺昭雄製作 黒澤満、植村徹企画 大木淳吉、小坂恵一原作 江戸川乱歩脚本 薩川昭夫撮影 中堀正夫美術 池谷仙克音楽 池辺晋一郎出演 真田広之、嶋田久作、三輪ひとみ 吉行由実、岸部一徳、大家由祐子 東映 本編90分 カラー ビスタサイズ 映画「D坂の殺人事件」をレンタルDVDで鑑賞しました。江戸川乱歩の傑作短編「D坂の殺人事件」と「心理試験」を原作とした、1997年11月に公開された東映作品です 昭和2年金融恐慌の頃。東京市本郷区団子坂にある古本屋「粋古洞(すいこどう)」。真向かいにカフェ「ラ・ポエーム」があり、通りに面した窓から粋古洞の店先が見える。 粋古洞のおかみ 須永時子(吉行由美)が、美術品修復家 蕗屋清一郎(真田広之)を訪れ、伝説の責め絵師の傑作である連作集「不知火」の贋作を依頼する。天井知らずの価値がある大江春泥の贋作制作を依頼どおりに仕上げた蕗屋は、同じものを二部描いて、原本を焼却してしまう。 二部の内の一部を原本、一部を贋作として時子に納めた蕗屋に、その出来栄えに満足した時子はつづけて大江春泥の幻の作品「明烏」の贋作を依頼する。今度は見本とする原本が無いのだが、「あなたの腕なら描ける」と。時子にモデルとしてカフェ、ラ・ポエームの女給花崎マユミ(大家由祐子)を提供されるが、現実の女ではどうしても描けない蕗屋は、自分が女装して、自分をモデルにして「明烏」を完成させる。その見事に出来上がった「明烏」に大満足の時子は、大江春泥のモデルを撮った古い写真アルバムを見せる。そこに写っているのが若き日の時子だと知らされた蕗屋は驚きます。 蕗屋は、贋作を作った後に見本とした本物を焼却して、この世から消し去ってしまうのを信条としていた。自分をモデルにして描いた「明烏」のモデルが他に存在するのが許せない蕗屋は、翌々日、報酬を受取りに粋古洞を訪れたさいに時子を絞殺する。 死体の第一発見者である粋古洞の従業員 斉藤(斉藤聡介)が逮捕されるが、予審判事の笠森(岸部一徳)は斉藤が犯人だとは思えなかった。粋古洞の殺人現場捜査で大江春泥の贋作が発見されたことで、時子が贋作作りに関与していたことが判明。時子が蕗屋清一郎と会っていたことで、笠森判事は蕗屋に疑惑を抱く。斉藤と蕗屋のどちらが時子殺害の犯人なのか? 笠森判事は両人に心理試験をおこない、その結果は斉藤が犯人と判定されるが、それでも確信が持てない。笠森判事は試験結果の分析を友人の明智小五郎(嶋田久作)に依頼する。明智は蕗屋が犯人であると断言するが、その具体的な証拠がない。 江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」は惨虐色情者(サド)と被虐色情者(マゾ)の姦通が思わぬ事件に発展した話で、それに「心理試験」の守銭奴ばあさん殺害事件の2人の容疑者に嘘発見器?の心理試験をおこなう話を合わせて、「責め絵」の贋作制作に関する話を映画だけのオリジナルエピソードとして加えています。 江戸川乱歩のすべて読んだわけではないのでわかりませんが、乱歩の作品に「責め絵」に関する話があるのでしょうか? 乱歩の世界としては雰囲気がちょっと違うような気がします。確かに乱歩の世界は「倒錯性欲者の世界」が多いのですが、「緊縛」はともかく「責め絵」はちがうのではないか。 それはともかく、映画「D坂の殺人事件」は面白く鑑賞しました。「責め絵」の贋作を描く真田広之さん、明智探偵の嶋田久作さん、判事の岸部一徳さんも役をうまく演じていて良かったです。 それと明智探偵の助手 小林芳雄少年を演じた三輪ひとみさんが、なぜか印象に強く残ります。事件解決後の蕗屋清一郎のアトリエで、こっそりと赤い襦袢をまとい、赤い絵具を口紅にした小林少年が鏡の前でうっとりと妖しい顔をする。「少年探偵団」のシリーズでも小林君が女の子に変装するし、少年探偵の小林君って、そんな趣味があったのかと納得しました。 古本屋「粋古洞」のおかみさん 須永時子は「芋虫」のヒロインの名前ですね。大江春泥は「陰獣」の作家の名前。カフェの女給 花崎マユミは「少年探偵」シリーズの探偵団のお姉さんの名前。それと蕗屋清一郎の履歴を紹介する場面で出てくる平田東一というのは「蜘蛛男」に出てくる不良青年の名前です。
2023年03月30日
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江戸川乱歩の長編「蜘蛛男」を読み終えて、「幽霊塔」を読み始めました。共に、挿絵が入った創元推理文庫の本です。 先日から、「三角館の恐怖」「孤島の鬼」「黒蜥蜴」を読み、そして「蜘蛛男」の順なのですが、乱歩の最高傑作とされる「孤島の鬼」はやはり面白かったです。現代では穏当を欠くという理由で、とても書けない設定だが、さすが乱歩と感心させられる物語でした。 で、「蜘蛛男」ですが、「蜘蛛男というと、年配のお方は、ああ、見世物の蜘蛛男のことか、と早合点をなさるかもしれぬ」との書出しで始まります。短い胴に足が短く腕が長くというような外見が蜘蛛みたいな、というそんな男ではなく、性格が蜘蛛のように残忍無比な殺人狂の犯罪を描いた作品です。 以降、ネタバレあります。 東京のとあるビルの貸事務所を借りた美術商を名乗る謎の男が、事務員募集の広告を出して、応募者のなかから自分の好みの女性を選び、それを空き家に連れ込んで惨殺する。バラバラにした体の一部をそれぞれ石膏で覆って、デッサン用の石膏像として学校や美術用具の店に配る。求人広告に応募したまま行方不明となった女性の姉が、犯罪学者であり素人探偵の畔柳(くろやなぎ)友助に捜索調査を依頼に訪れます。そして彼女も賊にさらわれて殺害される。 畔柳博士は警視庁の波越警部とも懇意であり、これまでにも警察に協力して難事件をいくつも解決に導いている人物だという。畔柳博士は助手の野崎青年とともに、蜘蛛男という凶悪犯罪者を追うことになります。蜘蛛男から畔柳博士に犯行予告の挑戦状が送られてくる。蜘蛛男の次の標的は女優の富士洋子で、畔柳博士や波越警部は彼女の身辺警護をするが・・・。 社会を恐怖に陥れる怪物蜘蛛男と名探偵畔柳博士の対決という形で物語が始まり、進むのですが、読んでいる間じゅう、何か落ち着かず、居心地の悪い、ヤキモキする気持ちが続きます。 読み始めるとすぐに、畔柳博士がうさん臭く感じられ、彼が怪しいと読者は気づくことでしょう。居心地の悪さ、ヤキモキする読書感は、主人公である名探偵に対する不信感であり、読者がすぐに気づいたのに、鈍感な警察の波越警部たちが彼を信頼しきっていることからくるのではないでしょうか。 これは、後半になって明智小五郎探偵が現れることによって、読者はようやく安堵できる。 明智探偵が現れるやいなや、すぐに畔柳博士の正体を暴露します。ここから蜘蛛男対明智小五郎の対決となって、読者はようやく信頼できる主人公を見出して安心することになります。 読者はすぐに、本来は主人公であるべきはずの探偵役 畔柳博士が怪しいと感じるので、ネタバレにはあたらないかと思うので書きますが、この探偵役の人物が真犯人だったというのは、ミステリ小説としては反則なのではないか? 最後まで読者に主人公だと思わせておいてそれをひっくり返すというならまだしも(こっちの方が反則か)、途中ですぐに探偵役が怪しいと感じることからの、そのために主人公不在の落ち着かない気持ちで読み進めることになってしまったのでは。 江戸川乱歩の通俗怪奇(猟奇?)冒険探偵小説です。以前に、乱歩の変態嗜好というか、死体愛玩、死体玩弄嗜好の倒錯性にゲンナリ、うんざりして、短編集を除いて持っていた乱歩の長編小説をすべて処分してしまいました。いま、改めてそれらを古本で買い求めて再読し始めました。以前と同じようにゲンナリするか、または異なった面白さを感じることになるか、現在の時点ではまだ不明です。
2023年03月27日
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「江戸川乱歩と名作ミステリーの世界」の創刊号「屋根裏の散歩者」(税込み499円)を読んだのがきっかけで、久しく読んでいなかった江戸川乱歩の長編作品を読み始めました。 とりあえず新潮文庫「江戸川乱歩名作選」に載っている中編「石榴」と短編の「目羅博士(目羅博士の不思議な犯罪)」を初めに再読し、創元推理文庫の長編「孤島の鬼」と「三角館の恐怖」を読了。そして「黒蜥蜴」を読み始めたところです。 江戸川乱歩の作品は、現時点では新潮文庫の短編集が2冊。光文社文庫と創元推理文庫、春陽堂の春陽文庫、角川文庫、集英社文庫などから出ていますが、自分的には光文社文庫の「江戸川乱歩全集」と創元推理文庫のものが気に入っています。 光文社文庫の全集は各巻700ページを超える分厚い本で、全30巻。 創元推理文庫のシリーズは連載時の挿絵が復刻されて載っているのが大きな特徴です。挿絵に興味がなければ文字が大きい光文社文庫が良いかと思いますが、昭和初期時代の雑誌や新聞に連載された当時の挿絵があることで、雰囲気が感じられて味わい深い感じがします。 私が江戸川乱歩を知ったのは、ご多分に漏れず小学校の図書室にあったポプラ社(光文社かも?)の「少年探偵団と怪人二十面相」のシリーズです。小学生の1、2年の頃に「少年」に載っていたのを読んだ記憶もありますが。 本格的に乱歩作品を読んだのは、1973年頃だったかに角川文庫から青い表紙カバーの、宮田雅之さんのおどろおどろしい切絵をデザインした大人向けの全作品が全20巻で刊行された時。この時に、「黒蜥蜴」「蜘蛛男」「魔術師」「吸血鬼」「黄金仮面」「地獄の道化師」などを読んだのですが、ストーリーなど内容はまったく憶えていません。 そんなわけで、これからの再読は初めて読むようなもので、新鮮な読書の楽しさを味わえそうです。 書店で隔週発売の「江戸川乱歩と名作ミステリーの世界」ですが、創刊号が499円だったけれど、第2号以降は1999円で、解説も解題も、註釈もない、ネットの青空文庫を製本しただけの内容です。第2号「D坂の殺人事件」、第4号「人間椅子」第5号「パノラマ島奇譚」、第9号「黒蜥蜴」第10号「怪人二十面相」と、乱歩作品の、この5冊を買うとしたら、全部で1万円にもなる。それだけのお金があれば、光文社文庫や創元推理文庫の本を何冊買えるだろうか(安い古本をさがせばもっと買える)。 光文社文庫の全集には解説、解題、註釈、著名人による「私と乱歩」が載っていて読みごたえがあります。創元推理文庫は復刻された挿絵が味わい深い本。それらを読む方がよほど楽しい読書時間を得られるのではないでしょうか。 先日、ネット通販で古本の創元推理文庫の長編作品を何冊が買って(送料を含めて一冊350円ほど)、その「孤島の鬼」「三角館の恐怖」を読んで、次に「蜘蛛男」「魔術師」「吸血鬼」と読み進めようかと思ったのですが、半世紀ぶりに読む「黒蜥蜴」にしました。この挿絵のすばらしさ。随所に挿絵があるのとないのとでは、雰囲気がまったくちがいますね。
2023年03月18日
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「鳳(おおとり)城の花嫁」 (1957)監督 松田定次製作 大川博企画 マキノ光雄、大森康正脚本 中山文夫撮影 川崎新太郎美術 鈴木孝俊音楽 深井史郎出演 大友柳太朗、志村喬、長谷川裕見子、中原ひとみ 田崎潤、進藤英太郎、原健策、三島雅夫、松浦築枝、風見章子 本編85分 総天然色 シネマスコープサイズ 東映時代劇「鳳城の花嫁」をレンタルDVDで鑑賞しました。 下総 松平28万石の城主 松平安房守(三島雅夫)の鳳城では、能の観劇に見せ掛けた、若殿 源太郎(大友柳太朗)のお見合いが行なわれていた。が、肝心の源太郎はまったく関心がなく騎馬の槍試合に夢中になっている。来年は30歳になるというのに結婚に無関心な源太郎にやきもきする両親や老臣たちだった。 源太郎は、自分が皆に心痛させていると気づき、ならば「三国一の花嫁を自分で探してくる」と書きおいて、城を抜け出して江戸へと旅立つ。 江戸への途中で出会った浪人者(田崎潤)に印籠や着物を売った金の上前をはねられたり、これまで買い物はおろかお金を持ったこともない、人の好い世間知らずの若様だった。 そんな彼が、悪辣な旗本グループ「赤柄組」のボス (新藤英太郎)に目をつけられた呉服問屋の美人姉妹の危機を救うことになります。姉のおきぬ(長谷川裕見子)と妹のおみつ(中原ひとみ)。妹は源太郎が若殿様とはつゆ知らず、姉とくっつけようと世話を焼く。源太郎も姉のおきぬに好意をもつのだが、朴念仁の若殿は恋に不器用なためにどうもうまくいかない。 嫁は自分で探すといって単身で江戸へ出た若殿様が、美人姉妹の危機を救ったのが縁で、悪い旗本 赤柄組の悪謀をくじく話です。花嫁探しの花嫁を簡単に見つけてしまうあたり、物語的にはそれほど良くできているとは思えず、東映時代劇の傑作、佳作とはいえないかもしれません。 この作品の位置づけとして注目されるのは、日本映画界にとって初のシネマスコープ作品だということのようです。「鳳城の花嫁」は1957年(昭和32年)4月2日公開。新東宝の「明治天皇と日露戦争」が4月29日公開で、東映に先を越された。この1957年が日本にとってシネマスコープ映画の誕生年なんですね。この年以前はスタンダードサイズの映画ばかりだったのが、これ以降は、邦画の各映画会社が競うようにほとんどの作品がシネマスコープサイズになります。 アメリカの20世紀フォックスが初めてのシネマスコープ映画「聖衣」を公開したのが1953年12月26日。「シネマスコープ」が登録商標なために日本では使えず、東映は「東映スコープ」、日活は「日活スコープ」、松竹は「松竹グランドスコープ」、東宝は「東宝スコープ」と名付けた。 大映は、当初はビスタビジョンを採用したが機材に費用がかかるのでシネマスコープに変更し、「大映スコープ」としたそうです。 黒澤明監督の「蜘蛛巣城」(1957)はまだスタンダードサイズですが、1958年の「隠し砦の三悪人」からは東宝スコープになりましたね。 横に幅広いシネマスコープを好む監督もいれば、アルフレッド・ヒッチコックのようにビスタビジョンのサイズを好む監督もいたようですが。
2023年02月26日
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漫画家の松本零士さんの訃報をテレビのニュースで知りました。 急性心不全で13日にお亡くなりになったそうです。85歳とのこと。 ニュースを見ていて思ったのですが、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」が代表作にされるけれど、そのようなテレビのアニメとして話題になった作品ではなくて、漫画家だから、やはりマンガ作品を代表作として紹介してほしいなあ、と。 私は小学生の頃に、マンガ月刊誌の「日の丸」と「ぼくら」を愛読していました。 その頃に連載していた、「電光オズマ」と「ララミー牧場」。それと「燃えろ南十字星」が大好きでした。当時は松本零士名義ではなくて、本名の松本あきら(晟)で発表していましたね。「電光オズマ」は講談社の「ぼくら」、「ララミー牧場」と「燃えろ南十字星」は集英社の「日の丸」(のちに「少年ブック」に吸収された)での連載で、松本零士さんは1938年の生まれだから、この時はまだ25歳か26歳で、ずいぶん若かったのですね。「燃えろ南十字星」はゼロ戦パイロットが主人公の戦記マンガです。のちに「ビッグコミックオリジナル」で不定期掲載された「ザ・コクピット」の原型?となるような作品でした。当時は戦記ブームの末期にあたる時期だと思うのですが、松本さんが描く戦闘機や兵器は、他の漫画家の作品である「紫電改のタカ」や「大空のちかい」「0戦はやと」などとは異なるものがあって、メカ好きな子供だった私はとても気にいっていました。メカに対するこだわりのようなものを感じました。その感じは小沢さとるさんの作品と共通するマニアックな雰囲気だったのだろうか。 手塚治虫さん、横山光輝さん、石森章太郎さん、水木しげるさん、桑田次郎さん、一峰大二さん、白土三平さん、望月三起也さん、さいとう・たかをさん、藤子不二雄Aさん・・・・ 私がマンガを夢中になって読んでいた頃の、マンガ作家さんがみんなお亡くなりになってしまった。 夢のあるマンガがあったことで、夢のある楽しい少年時代を送ることができました。どうもありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
2023年02月20日
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「江戸川乱歩と名作ミステリーの世界」創刊号(税込み499円)の「屋根裏の散歩者」を読み始めました。 現代でいうところの「アパート」の屋根裏に忍んで、各部屋をのぞき見をする男が、天井板の節穴から、眼下に眠っている男の口に毒薬を落として殺害するのを、明智小五郎探偵が看破する話です。江戸川乱歩の代表作ともいえるくらいに有名な短編ですが、私にとっては、「D坂の殺人事件」や「二銭銅貨」「心理試験」「陰獣」などの方がミステリ小説として面白いと思います。 江戸川乱歩のたくさんある作品では、長編よりも短編のほうが読んで面白いです。乱歩を読んだことがない若い人で、読んでみようかと思う人にお勧めするならば、やはり新潮文庫の2冊、「江戸川乱歩傑作選」と「江戸川乱歩名作選」です。入門書としての評価も高く、とりあえずは、この2冊から読むのが良いでしょう。 今回、発売された「江戸川乱歩と名作ミステリーの世界」ですが、第2号からは税込みで1999円になるという。現在の出版不況は、本の価格が高すぎるのが一因なのではないか?そんな状況下で、こんなに高額で、誰が買うのだろうか?という不安を感じます。 今回の隔週で刊行される名作シリーズは、ネットの青空文庫でも容易に読める作品ばかりです。この創刊号「屋根裏の散歩者」も青空文庫の文字データを製本しただけのものであり、解説や解題、注釈のページは一切なく、適正と思える価格は高くても1000円が上限ではないかと。 ミステリ好き、本好きにとっては、興味を感じる企画かもしれないけれど、全体に装丁が安っぽく、ページ数も少ない。こんなシリーズ本を買い続ける人がいるだろうか。 企画としては、このような安直なものより、江戸川乱歩に限定し、その代表的長編作品を各号、一作のみを取り上げて(短編なら2、3作品)、その本編全文と、乱歩文学の徹底的な研究分析と解説、評論。テレビや映画など映像化作品の紹介、複数の著名人によるエッセイを満載した分厚い、ソフトカバーにして、2段組みで400ページぐらいの紙質を落としても、読み応えのある読本にしたほうが読書人には受けるのでは? 定価1999円なら、それくらいのことは可能だと思いますが。 乱歩文学にくわしい識者への原稿依頼と、煩雑な整理と編集などに手間と費用をかけたくなく、ネットの青空文庫から持ってきたのをそのまま製本すれば簡単で安上がりだと。結局はそういうことでしょうか?
2023年02月18日
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大槻ケンヂさんが出ているテレビCM「江戸川乱歩と名作ミステリーの世界」を見て、興味津々、さっそく書店でその創刊号を買った。店頭には10冊ばかり平積みにされていました。 創刊号は499円(454円+税)です。第2号からは例のごとく、高くなって1999円(1817円+税)になります。 創刊号は江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」で、表題作と、「二銭銅貨」「赤い部屋」「蟲」「鏡地獄」「押絵と旅する男」の、全6編が収録されています。 レトロなデザインのハードカバー本で、この創刊号は全238ページぐらいです。 こういうのに目がないので、すぐに飛びついてしまいます。でも第2号からは1999円になるので、買わないと思う。でも第2号の「D坂の殺人事件」は欲しいなあ、でも高いなあ。 江戸川乱歩の他に、夢野久作、小栗虫太郎、坂口安吾、エドガー・アラン・ポー、コナン・ドイルなどが予定されています。全部で100号の予定だと聞きましたが、内容と価格がつりあわず、頓挫しないで最後まで完結できるのだろうか? 隔週の刊行です。
2023年02月17日
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今朝の新聞記事で知ったのですが、アメリカのポピュラー音楽 作曲家バート・バカラックさんが2月8日にお亡くなりになりました。ロサンゼルスの自宅で自然死だそうです。94歳 バート・バカラック Burt Bacharach 1928年 5月12日 - 2023年 2月8日 個人的な思い出ですが、私が高校生時の学友に洋楽好きなのがいてレコード盤をたくさん持っていました。彼は外国のポピュラー音楽は好きだけれども、映画はそれほど関心がない。私は映画が好きだが洋楽には知識がない。そんな二人だったけれど、映画の音楽としては共通するものがあり、気が合って話がはずみました。 映画「卒業」のサイモン&ガーファンクル、「イージー・ライダー」のステッペンウルフの曲。そして「明日に向って撃て!」でB・J・トーマスが歌って大ヒットしたバート・バカラックの「雨にぬれても」。そんな映画音楽の話や、流行の末期を向かえていたグループサウンズの話題で盛り上がったものです。ザ・ゴールデン・カップスの「長い髪の少女」が大好きだった、彼との懐かしい思い出です。 バート・バカラックさんのお顔を写真でご存じの方も多いと思いますが、映画俳優のようにハンサムな顔立ちです。1960年頃から、「雨にぬれても」(69年)でアカデミー主題歌賞を受賞した1970年頃にかけて、作詞家のハル・デヴィッドとコンビを組んで数々のヒット曲を発表。 2人のコンビによる、カーペンターズの代表的な「遥かなる影」は私の好きな曲です。1967年の映画「カジノ・ロワイヤル」では「恋の面影」をダスティ・スプリングフィールドさんが歌って、これもとても素敵な曲です。 バート・バカラックさんの訃報を知って、昔の学友を思い出しました。
2023年02月11日
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グリム昔話集の「ラプンツェル(野ぢしゃ)」について、昨日のつづきです。 塔の上に幽閉されているラプンツェルが、自分の長い髪を窓から垂らして、それを王子が伝って上がってくる。愛し合うふたりは、魔女に知られないように毎晩、ひそかに逢引きを重ねます。 私が呼んでいる本、新潮文庫「白雪姫 グリム童話集1」(植田敏郎 訳)と、角川文庫「完訳 グリム童話 I さようなら魔法使いのお婆さん」(関敬吾・川端豊彦 訳)では、ラプンツェルが王子、つまり男性とあっているのを魔女が知るのは、ラプンツェルがうっかりと口を滑らせたからになっています。「王子さまは軽いのに、おばさまは重いので引き上げるのが大変だわ」と。それで、覚った魔女が怒ってラプンツェルを追い出してしまうことになる。 これを読んで、記憶をにあるものと違う感じがしました。古い記憶ではラプンツェルが「最近、洋服のウエストがきついの」と魔女に話したことで、彼女が妊娠しているのを知られてしまうのですが、今回呼んだ本では2冊とも記憶とは異なっています。 現在、ふつうに刊行されている「グリム童話集」は1857年に刊行された第7版だそうで、私の記憶にある話は、どうやらそれ以前の版だったようです。男との性描写や妊娠を暗示させる「洋服のおなかがきついの」というセリフが変更されたのだそうです。 読んでいて思ったのは、勧善懲悪(善を勧め、悪を懲らす)の内容であるグリムの昔話なのに、なぜか?、すべての発端である夫婦が、魔女が大切にしている畑から野ぢしゃを盗んで食べたこと、つまり盗みをした夫と、それをさせた女房は罰せられない。夫婦から子供を取り上げて塔に幽閉した魔女も罰せられないことです。 王子は塔から飛び降りた時にイバラが目に突き刺さって、痛い思いをして目が見えなくなる。魔女を裏切って妊娠したラプンツェルは髪を切られて追い出され、荒野の森でさみしく暮らすことになる。罰を受けたのは、若い王子とラプンツェルの方です。 親に内緒で、親の許可を得ないで若い男女が密かにデートをして妊娠してしまった、そのことが「悪」として描かれているのではないか。道徳観が現代人とは異なっているようです。
2023年02月10日
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「塔の上のラプンツェル」のタイトルでディズニーのアニメ映画になった、グリム昔話の「ラプンツェル(野ぢしゃ)」ですが、原作は、映画とは「塔の上に幽閉される」が同じだけで、ずいぶん異なる話ですね。 むかしむかしあるところに、子どものいない夫婦がいました。 ある日、奥さんが家の裏窓から見える、塀に囲まれた魔女の庭に生えている、新鮮でおいしそうなラプンツェルを見て、食べたくてたまらなくなりました。食べられないと思うほどに、その食べたい気持ちは強くなり、奥さんは次第にげっそりと痩せてしまいました。 ラプンツェルを食べさせないと死んでしまうと思った旦那さんは、塀を乗り越えて、こっそりと魔女の庭へ侵入しラプンツェルを盗んで来ました。念願がかなってそれを食べた奥さんは、もっともっと食べたいと、旦那さんに取りに行かせました。 それを見つけて怒った魔女は、もし夫婦の間に子どもが生まれたらその子どもを渡すことを条件に、ラプンツェルを好きなだけ持っていくのを許してくれました。 それからしばらくして、夫婦の間に女の子が生まれると、魔女が約束どおりに子どもを連れて行きました。魔女は子どもに「ラプンツェル」と名づけて、育てました。 ラプンツェルが12歳になると、魔女は森の中にある階段も出入り口もない高い塔にラプンツェルを閉じ込めました。魔女が塔の中へ入る時には、ラプンツェルに長い髪(12メートルもある)を下まで垂らしてもらって、その髪を伝ってよじ登っていました。 ある日、ある国の王子が偶然に塔の前を通りかかり、塔の上から聞こえてくる美しい歌声に聞き惚れました。塔の上にどんな女性がいるのか一目見てみたいと思っていると、魔女が髪を伝ってよじ登っているではないか。自分も試してみようと思いました。 こうして王子とラプンツェルは出会うなり、ふたりは恋に落ちました。昼は魔女が来るので毎夜ごとに秘密の逢瀬を楽しみ、王子はラプンツェルと結婚の約束をしました。 魔女は王子が通っているのを気づきませんでしたが、ある時、ラプンツェルがうっかりと口をすべらせてしまいます。「王子さまは軽くて楽なのに、おばさまは重いので引き上げるのが大変だわ」と。それを聞いた魔女は、男と会っていたラプンツェルを怒り、彼女の美しい長い髪を切り落とし、荒野にある森の中へ追い出しました。 ラプンツェルに会おうと塔を登ってきた王子は、待ち伏せていた魔女に嘲笑され、恋しい人に二度と会えないと絶望した王子は塔の上から飛び降りました。 いばらの藪に落ちた王子は棘で目を刺してしまい、王子の両目はつぶれてしまいました。盲目となった王子が森や荒野をさまよい続けていると、ラプンツェルがいる荒れた森にたどり着きました。 王子は聞き覚えのある歌声を耳にしました。ラプンツェルは双子の男の子と女の子を産んで、森の中で暮らし続けていたのです。 再会を喜んだラプンツェルが王子を抱きしめ、涙を流した、その涙が王子の目を濡らしました。すると、王子の目はもとのように見えるようになりました。 王子はラプンツェル親子を自分の国へ連れて帰り、長く幸せに暮らしました。 あらすじだけになりました。つづきは明日へ。
2023年02月09日
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古本で買った2冊、「完訳 グリム童話 I さようなら魔法使いのお婆さん」関敬吾・川端豊彦/訳 角川文庫と、「白雪姫 グリム童話集1」植田敏郎/訳 新潮文庫を読んでいます。「グリム童話集」は、19世紀にドイツのグリム兄弟(兄ヤーコプ、弟ヴィルヘルム)が古くから語り継がれた民話・説話をいろんな人から聞き集めて出版した本です。 1812年に初版第1巻(86編)、1815年に第2巻(70編)が刊行され、その後7回改訂版が出され、1857年の第7版が決定版とされるそうで、現在ひろく読まれているのは、この第7版だそうです。 日本ではドイツ語のメルヒェン、メルヘンを「童話」と訳したために子供向けの本だと思われていますが、「グリム昔話集」か「グリム説話集」とするほうが適しているのかもしれない。 何年か前に「本当は怖いグリム童話」という本がベストセラーになり、グリム童話のブームが起きたことがあります。「白雪姫」や「シンデレラ」などのディズニーアニメ映画のイメージしか持っていない人たちを対象に、そうではないんだよ、本当は残酷な刑罰や風習などが描かれていて、欲深く、悪いおこないをした者には、因果応報の恐ろしい刑罰が与えられ、報復されるのだぞ、というテーマだったのでは。「白雪姫」「灰かぶり」「鵞鳥番の少女」「ヘンゼルとグレーテル」「赤ずきんちゃん」などを読んだのですが、とても面白い話です。数ページの短い話なので、読みやすいし、長い話はしんどいなと感じる身としては、ありがたい読み物です。大げさに言えば、最近、これほど面白いと感じた本はありません。 厳しさを放棄した現代の甘っちょろい世の中。他人に迷惑をかけても平気な人たち、自分の欲望を満たすためには他人を傷つけても平気な人たち、何をしても許されると思っている人がたくさんいる。こんな世の中に、いったい誰がしたのだ? そんな現代だからこそ、このグリム童話集が面白く感じるのかもしれません。
2023年02月08日
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フランク・プゥルセル・グランドオーケストラが演奏する「アドロ」という名曲があります。 この曲はメキシコのラテン音楽らしいですね。哀しみのある流麗な美しい曲調が大好きです。 1972~73年にフジテレビ系で放送された連続ドラマ「光る海」の主題曲として使われ、昨年7月にお亡くなりになった島田陽子さんが出ていたこともあって、今でも心に残っています。 島田陽子さん(葉山久美子の役)、中野良子さん(石田美枝子の役)、沖雅也さん。それに田辺靖雄、小林麻美、久我美子、河内桃子、芦田伸介さんが出演。「石田美枝子は・・・」とか、矢島正明さんのナレーションが入った記憶がありますが、矢島さんではなかったかも? とても面白く、健康的な若者たちのさわやかさがあって好ましい、素敵な青春ドラマで、毎週欠かさずに見ていました。都会では月曜の夜だったようですが、石川県では木曜だったか?の夜9時30分からの放送でした。 もういちど見たいと思ってもかなわない望みです。「光る海」は石坂洋二郎さんの同名青春小説をテレビドラマ化したものですが、石坂洋二郎さんの小説、「陽のあたる坂道」や「寒い朝」など、かつては新潮文庫や角川文庫からたくさん出ていた作品も、現在はすべて絶版になっています。 現在では、見る人も読む人もいなくて商品価値がないとされるのか。青春小説は時代遅れなのかもしれないけれど、それにしても、昔の懐かしいドラマや、小説が、打ち捨てられてしまい、なくなって消えてしまうのは、大変もったいなく、惜しいことです。古典でもなんでも良いから残してほしいと思います。
2023年02月06日
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先日、「女優ベスト150 わが青春のアイドル」(文春文庫)を読んでいて思ったのですが、「女優」の「優」の字にはどのような意味があるのだろう、なぜ「優」なのだろう?と。「俳優」「男優」「女優」「名優」「優秀」「優良」「優等」「優越」「優勢」「優劣」「優勝」「優先」「優しい」 辞典(新選漢和辞典 小学館)で調べると、「優」の項では、 意味として、1. ゆたか、多い、厚い、広い。2. のびやか、ゆるやか。 3. やさしい、しとやか。 4. いうがままになる。 5. すぐれる。6. たわむれる、おどけ。 7. わざおぎ(わざをぎ)役者、芸人。 映画俳優とか女優とかの場合は、7番目の「わざおぎ。役者、芸人」が当たっているようです。「俳優」の漢字は「俳」も「優」も部首は人偏です。にんべんは人を意味し、「憂」は「ゆるやかでやわらぐ」という意味だそうな。優は人の心がゆったりすること。また、しなやかな動作をする役者を表すとともに、人よりすぐれる意味になる。「俳優」と書いて「わざおぎ(わざをぎ)と読むそうですが、古事記や日本書紀にみえる古語で「いろいろのおもしろおかしい事を舞ったり歌ったりして、神人の心をやわらげ楽しませる人のこと。天岩戸の前で舞い歌った人たちのことだろうか。「俳優」の「俳」は、1. わざおぎ、芸人。 2. おどけ、たわむれ。 3. さまよう、うろつく。 舞台で演技をする役者たちをいい、貴族の宴会で芸をした者のこと。 ふだんは、こんなこと考えないのですがね。
2022年11月26日
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「女優ベスト150 わが青春のアイドル」文春文庫ビジュアル版。 1990年4月に発売された文庫本です。「週刊文春」編集部が1989年7月におこなったアンケートを原票に編集されたもので、映画好きの著名人249人が選んだ「わが青春のアイドル150人」。 邦画女優編と洋画女優編にわかれていて、邦画からベスト172人、洋画から151人の名前が並んでいます。 邦画女優では、 第1位 久我美子、第2位 高峰秀子、第3位 吉永小百合、第4位 原節子、第5位 桂木洋子、第6位 芦川いづみ、第7位 桑野通子、第8位 若山セツ子、第9位 有田紀子、第10位 桑野みゆき、第11位 八千草薫、第12位 市川春代 ・・・・ 洋画女優では 第1位 フランソワーズ・アルヌール、第2位オードリーヘップバーン、第3位 コリンヌ・リュシェール、第4位 イングリッド・バーグマン、第5位 アナベラ、第6位 アヌーク・エーメ、第7位 マリナ・ヴラディ、第8位 ダニエル・ダリュー、第9位 ヴィヴィアン・リー、第10位 ゲイル・ラッセル ・・・・ 編集部の企画趣旨は、「映画史を飾る大女優」ではなく、青春の日々に密かに胸を焦がした「私だけのアイドル」を公開していただきたい、とのことですが、並んでいる名前をみると、回答者が趣旨を理解していないのか、「映画史を飾る大女優」になっているのではないだろうか? 邦画の高峰秀子さんや吉永小百合さん、原節子さんなど、ほかにも山田五十鈴(23位)、美空ひばり(32位)、仙石規子(46位タイ)、田中絹代(60位タイ)、山本富士子(131位)などなど。 それに洋画のオードリーヘップバーンやイングリッド・バーグマン、ヴィヴィアン・リーなどは、青春の日々に密かに・・・というのとは違うのでは? このような大女優をあげて、私だけの密かなアイドルです、といわれても、なんか違うなーと思ってしまいます。 宮下順子さん(58位)永島暎子さん(75位タイ)杉本美樹さん(88位タイ)、渥美マリさん(124位)は、この方々の名前をあげた人はきっと正直に回答なさったのかな。白川和子さんや田中真理さんの名前がないのが寂しいですが。 以上のように思ったのですが、回答者にはさまざまな年齢の方がいて、第12位の市川春代などは大正2年の生まれで、60位の田中絹代もそうですが、その映画は昭和初期の頃。その名前をあげた人たちは、その女優さんと同年代なのでしょう。 そのような昭和初期の時代に青春の胸を焦がした、対象となる女優さんは、現代や昭和30年代以降の人たちとは環境が異なっていて、限られていたのかもしれません。 私の年代では、酒井和歌子さん(39位)や内藤洋子さん(27位)、松原智恵子さん(147位)あたりかな? でもそのような清純派タイプは好みではなく、以前にも書いたかと思いますが、中学生の時に見た東宝怪獣映画の水野久美さん(37位)ですね。「フランケンシュタイン対地底怪獣」「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」です。 高校生になると邦画ではなく洋画ばかり見ていたので、外国の女優さんに憧れるようになりました。アメリカ映画よりフランスやイタリアの女優さんが良かったです。 ドミニク・サンダ(69位)、ステファニア・サンドレッリ(135位タイ)、それに名前がなかったけれどピア・デゲルマルクという女優さんです。
2022年11月16日
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毎月1日になると、翌月の放送予定作品が発表されるのですが、 映画専門チャンネル ムービープラスで12月16日と24日に「西部番外地」が放送されます。「西部番外地」1970年アメリカ映画、日本公開1971年 監督はバーナード・L・コワルスキー、出演がデヴィッド・ジャンセンとジーン・セバーグ。 たいへん珍しい映画で、もう半世紀近くも前に一度だけ見たのですが、ストーリーなどまったく覚えていない。もう一度見たいと思っていたので、放送されるのが待ち遠しく、楽しみです。 それとマカロニウエスタンの「復讐のジャンゴ 岩山の決闘」。1966年作品だそうで、こんな映画があったのは知らない。日本未公開ではなかと? グレン・サクソン(こんな俳優は知らない)とフェルナンド・サンチョが共演とのことで、ちょっと興味があるので見てみようと思います。12月23日、27日です。
2022年11月03日
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昨日の映画「壮烈新選組 幕末の動乱」(1960年 東映)。 幼い舞妓 千恵菊の役を好演した植木千恵さんは片岡千恵蔵さんの娘なんですね。今の今まで知りませんでした。 どうりで、息の合った演技をしていた、というか、彼女を見る千恵蔵さんの優しい眼差しは愛娘に向ける目だったのか、と納得しました。 新選組の隊長(局長)近藤勇 天保5年10月15日(1834年11月5日)生まれ、 慶応4年4月25日(1868年5月17日) 33歳で刑死。 武蔵国多摩郡の農家に生まれ、江戸の天然理心流 近藤周助の養子となり、道場を継ぐ。文久3年(1863)の将軍家茂上洛に際し、警固のための浪士隊に参加して上京するが、そのまま京に残留。京都守護職の配下で新選組を組織し、のちに隊長となる。 映画「壮烈新選組 幕末の動乱」で近藤勇を演じた片岡千恵蔵さんは明治36年(1903)3月30日生まれだから、撮影時は57歳です。 東宝映画「新選組」(1969年12月公開)での三船敏郎さんは1920年4月生まれだから、49歳で近藤勇の役を演じました。嵐勘寿郎さんや市川右太衛門さんなどもそうですが、昔から新選組の近藤勇は貫禄のある年配の大スターが演じるものと決まっていたようです。 2004年のNHK大河ドラマ「新選組!」では27歳の香取慎吾さんが近藤役を演じました。 新選組が結成された文久3年(1863)3月当時の近藤勇は28歳だから、本来は香取慎吾さんが年齢的にはもっとも近いイメージなのでしょう。この大河ドラマでは、出演者の新選組隊士全体が若い俳優ばかりで、本当の新選組は若者の集団だったのだな、と実感したものです。 東映の大スター片岡千恵蔵さんの近藤勇はとても良かったです。池田屋へ斬りこんださいの、太刀さばき、鬼神のように敵を圧倒する迫力。年齢的にはともかくも、千恵蔵さんの近藤勇は「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」(1959)「赤穂浪士」(1961)の大石内蔵助の役と共に当たり役なのではないだろうか。 ちなみに、テレビ時代劇では、中村竹哉、舟橋元、平幹二郎、鶴田浩二、松方弘樹、渡哲也さんなどが近藤勇を演じていました。
2022年10月16日
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「壮烈新選組 幕末の動乱」(1960)監督 佐々木康製作 大川博原作 白井喬二脚本 比佐芳武撮影 伊藤武夫美術 川島泰三音楽 万城目正出演 片岡千恵蔵、大川橋蔵、大友柳太朗、高田浩吉 月形龍之介、里見浩太郎、山形勲、黒川弥太郎、若山富三郎 大川恵子、花柳小菊、千原しのぶ、花園ひろみ、植木千恵 本編101分 総天然色、シネマスコープサイズ 久しぶりに、面白いと思った時代劇映画を見ました。1960年公開の東映映画「壮烈新選組 幕末の動乱」、レンタルDVDでの鑑賞です。 幕末の京都での新選組の活躍を描いた作品ですが、新選組の熱心なファンが「史実とちがう」といって文句を云うかもしれない。私は娯楽時代劇に史実を持ち込んで批判するのはナンセンスだと思っているので、少しも気にならないし、楽しく鑑賞しました。 新選組の結成時から伊藤甲子太郎(月形龍之介)が3番隊長として存在し、1番隊長が芹沢鴨(山形勲)、2番隊長が近藤勇(片岡千恵蔵)。 幕府は尽忠報国の浪士隊を募って京に送るが不評を理由に解散、江戸に戻ることになる。試衛館の近藤勇(片岡千恵蔵)と水戸浪士の芹沢鴨(山形勲)は京に残留。京都守護職の会津候支配に嘆願し、伊東甲子太郎(月形龍之介)を加えて、新選組が結成される。 長州の桂小五郎(高田浩吉)は、薩長連合に向けて藩論を統一するために、留守を但馬織之助(大川橋蔵)と倉原新兵衛(大友柳太朗)に任せて国許へ戻る。京では勤皇派を名乗る押込み強盗が横行し、但馬織之助が犯人だとの密告状が新選組に届く。それは織之助の恋人(花園ひろみ)に横恋慕した前畑三十郎(徳大寺伸)の仕業だった。 幕府の密偵お蝶(花柳小菊)の調査で、押込み強盗は芹沢鴨が裏で操っていることを知った近藤は、芹沢を成敗する。同志の但馬を密告したことを倉原新兵衛に感づかれた前畑は、池田屋で勤皇派の集会があることを新選組に密告。新選組の池田屋襲撃から辛うじて逃れた織之助は、幾松(大川恵子)に匿われる。 祇園祭でにぎわう夜、新選組が池田屋を襲撃する。死闘のなか、追われて逃げた織之助を必死にかばう舞妓千恵菊(植木千恵)の健気な勇気に感動した近藤勇は、「この近藤は鬼でも閻魔でもない。人の真心に泣く男だ」と云って、見逃すのだった。 時代が変転する中で、新選組から分離脱退した伊東甲子太郎は、薩摩藩へ寝返る手土産として近藤勇を待ち伏せて襲う。危機に陥った近藤を助けたのは、池田屋の時に見逃してくれた近藤に恩義を感じていた勤王派の但馬と倉原新兵衛だった。 知らせを受けて駆け付けた新選組隊士たちを前に近藤は、「誠と義を貫くことこそ人の道」だと語り、引き上げを命じる。 東映のオールスターというより、当時の東映には時代劇スターがたくさんいたのだな、と感心させられる映画です。シネマスコープの広い画面を活かした、これだけの時代劇映画は現在のスター不在の映画界では到底、作ることができないだろう。 池田屋に斬りこんだ近藤勇 片岡千恵蔵さんの、その鬼神のような貫禄と迫力。土方歳三役の黒川弥太郎、沖田総司の若山富三郎(若い)たち新選組隊士の凛々しい格好良さ。 そして、大川恵子さんの幾松、花園ひろみさん。新選組の密偵を務める花柳小菊さんなど。女優陣の美しい華やかさ。特に印象に残るのは幼い舞妓を演じた植木千恵さん(当時11歳)の、可憐な演技です。かくまわれた大川橋蔵さんを必死になってかばい、踏み込もうとする新選組の猛者を前にしてひるむことなく立ちふさがる。その勇気ある健気さに感動した近藤勇。彼女を見る片岡千恵蔵さんが見せる優しい眼差し。 勧善懲悪の、娯楽時代劇はこうあるべきです。昔の華やかな東映時代劇映画の面白さ、楽しさです。
2022年10月15日
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「哀愁の夜」(1966 日活)監督 西河克己企画 笹井英男脚本 千葉茂樹撮影 高村倉太郎美術 佐谷晃能音楽 池田正義出演 舟木一夫、和泉雅子、藤竜也、山本陽子 神田隆、浜田寅彦、柳瀬志郎 本編85分 総天然色 シネマスコープサイズ チャンネルNECOで放送された日活映画「哀愁の夜」を録画して鑑賞しました。 1966年3月27日に公開(東京地区)された作品です。 弁護士見習いの木場正彦(舟木一夫)は、仕事帰りの夜更け、信号無視の車に轢かれそうになる。運転していたのは宇月美紗緒(和泉雅子)という女性で、美紗緒が謝罪した時、ヤクザのチンピラたちに車を囲まれる。正彦の機転で美紗緒を逃がすことができたが、正彦はヤクザがたむろするバーに連れこまれてしまう。そこでヤクザの男が業界紙の編集長 広瀬(杉江弘)を痛めつけているのを見た正彦は、そのヤクザを見て驚く。それは小学校時代の同級生 吉田一也(藤竜也)だった。 一也の友達とのことで正彦は無事に帰されるが、翌朝の新聞で、広瀬が殺された記事を見て、犯人として一也が逮捕されたことを知る。 一也の無実を信じる正彦は、事件の真相調査を始める。仕事の用事で宇月産業を訪問した正彦は、そこで美紗緒と再会。彼女は宇月産業社長(神田隆)の娘だったのだ。美紗緒はアニメ会社Qプロダクションの代表取締役をしていて、「オバケのQ太郎」を製作している現場へ正彦を案内する。お互いに好意を持って惹かれあう二人だが。宇月産業には総務部長(浜田寅彦)がいかがわしい地回りと面会しているなど、正彦は怪しいものを感じるのだった。 昨日の「友を送る歌」は同年の6月に公開、9月にはあの「絶唱」が公開される。この1966年は舟木一夫さんのレコード盤が立て続けに発売され、それらが映画化されて、「絶唱」はこの年の第8回日本レコード大賞を受賞。NHKの紅白歌合戦にも同曲で出場するという、1963年6月に「高校三年生」でデビューしてから3年が経つのですが。まだまだ人気絶頂期が続いていました。「哀愁の夜」は舟木一夫さんの歌謡映画といえる作品で、映画の中で、バックミュージックではなく舟木さんが歌い出すシーンがあって、真剣にストーリーを追って見ていると戸惑いを覚えます。ミュージカル映画ではないのだから、背景に挿入歌として曲を流すだけでいいのではないか。 正義漢の弁護士志望の若者が、友人の無実を証明しようと奔走する話で、恋した女性の父親が事件の黒幕だったというのは、この手の物語では定番です。 事件を追及するサスペンスストーリーがメインなのか、ヒロインとの恋愛がメインなのか、どっちつかずの展開。娯楽映画としては、昨日の「友を送る歌」の方が格段に面白くて楽しめました。 和泉雅子さんも今回の役はあまり冴えない感じがする。TVアニメの「オバケのQ太郎」を製作しているというのは面白い場面だけれど、提供の不二家の人がお菓子の差し入れを持ってくるのだが、これは本当の不二家の社員かもしれない?
2022年09月12日
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「友を送る歌」(1966 日活)監督 西河克己企画 笹井英男脚本 棚田吾郎撮影 高村倉太郎美術 佐谷晃能音楽 池田正義出演 舟木一夫、山内賢、和泉雅子 二谷英明、江戸屋猫八、土方弘、中野未知子 本編77分 総天然色 シネマスコープサイズ チャンネルNECOで放送された時に録画した「友を送る歌」を鑑賞しました。 1966年(昭和41年)6月公開の日活映画です。 北海道に住む大津良夫(舟木一夫)と中川玄一(山内賢)は親友同士だった。二人は横浜で船乗りになるのが夢で、先輩にあたる中川玄一が一足先に横浜へ向かう。二年後、大津良夫が玄一を訪ねて横浜港にやって来る。 良夫は玄一が乗っているという「あさひ丸」を尋ねるが不明で途方にくれていた時、船員組合に弁当を配達しているみどり(和泉雅子)という女の子と出会う。彼女は父(江戸屋猫八)の食堂「みなと亭」に出入りしていた玄一を知っていたが、彼は店に支払う船員組合の金を持ち逃げしたきり音沙汰がないと云う。 良夫はオンボロ船の船長 田山(二谷英明)と、小学生の息子マン坊と親しくなる。良夫とみどりは横浜の街で偶然 玄一に出会い、親友に再会した玄一は、入った店で外国航路の体験談を得意げに語る。良夫は嬉しく聞いていたが、みどりには玄一のホラ話がうさん臭く、すっかり変わってしまった彼が信じられない。 玄一がやくざ風の男 黒沼(土方弘)と店の奥に消えたあと、睡眠薬の入った酒で酔って意識もうろうの良夫は玄一が持っていたスーツケースが置きっぱなしになっていたのを持ち帰る。翌朝、スーツケースを開けた良夫は密輸品らしい大量の腕時計が入っているのを見て驚く。黒沼はスーツケースを紛失した玄一を責め、取り戻すよう命令する。玄一は船員になるどころか密輸品の運び屋をさせられる泥沼にはまりこんでいたのだった。 悪の道に入り込んでしまった親友を救おうとする主人公を舟木一夫さんが演じています。先に見た「高校三年生」「続 高校三年生」では脇役で、この時はまだ台詞を云えればそれでいい、との扱いだったのが、「友を送る歌」では堂々たる主役を演じています。 舟木一夫、山内賢のコンビでは弱いと思われたのか、ベテランの二谷英明さんが彼らをバックアップする形で、オンボロ船の船長役で出演している。クライマックスのヤクザのアジトに乗り込んだ玄一(山内賢)を助けに行くのも彼の役。この乱闘の殴り合いで舟木一夫さんが働いていないのは、舟木さんに殴り合いはふさわしくないとの判断からでしょうか。 二谷英明さんに世話をしてもらった船員見習いの仕事で舟木一夫さんが乗り込んだ客船が横浜港を出港してゆき、見送る和泉雅子さんと大きく手を振りあう別れのシーンが、映画のエンディングらしい余韻を残します。 舟木さんと山内賢さんに和泉雅子さんが加わり、青春映画ともアクション映画とも、どちらともいえない感じの、ユーモアを加えた明るい作品になっています。 横浜港で、舟木さんの着替えと1万円が入ったバッグを二人組のチンピラが盗むのですが、そのバッグを組の事務所に持ち帰ってボスに叱られる。「そんな物で足が付いたらどうするんだッ!ばかやろう。持ち主に返してこい! 返してくるまで顔を出すなッ!」とドヤされるのが人の良さを感じて可笑しい。
2022年09月11日
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「続 高校三年生」 (1964 大映)監督 弓削太郎企画 竹谷豊一郎原案 森本吉彦脚本 池田一朗撮影 宗川信夫美術 仲美喜雄音楽 池野成出演 姿美千子、倉石功、東京子、渚まゆみ、舟木一夫 松村達雄、村田知栄子、成田三樹夫、内田朝雄、工藤堅太郎、滝田裕介 本編80分 総天然色 シネマスコープサイズ チャンネルNECOで放送された「続 高校三年生」を録画して鑑賞しました。 東京のマンモス団地に千葉県の銚子から引っ越して来た高津明子(姿三千子)の家族。 高校三年生の明子は、見栄っ張りで世間体を異常に気にする母親(村田知栄子)にうんざりしていた。父親(松村達雄)は温厚な人物で、銚子では支店長をしていて、東京への栄転だった。 転校生の明子は、同級生の不良がかった山中(工藤堅太郎)にからまれるが、逆にやりこめる。明子の毅然とした態度を気に入った俊子(東京子)と夏子(渚まゆみ)、クラスの優等生 早川孝(倉石功)と意気投合し、4人は大の仲良しになる。 いっしょに勉強をしたり、仲良しの4人だったが、それぞれ家庭の悩みを持っていた。 俊子の母親(根岸明美)はバーに勤めていて、ボーイフレンドがたくさんいるらしく、帰宅はいつも深夜。孤独な生活と、母親のふしだらな生活態度が気に入らない。 夏子は、父親が「ハッスルちゃん」というエッチな漫画を週刊誌に描いていて、若い娘として父親の職業を恥ずかしく思っていた。 早川孝は母雄を亡くし、父親(内田朝雄)、中学生の弟(佐藤正三郎)と鉄工所の工員住宅に住んでいる。父親は孝を工科大学に入れてエンジニアにするのが夢だが、孝は軽い色弱なために工科に進めないのを父に言い出せずにいた。弟が代わりに工科大学へ進んでくれればいいのだが、その弟は勉強をせずに遊んでばかりいる。 そして高津明子は、母親が虚栄心が強く世間体ばかりを気にして職業に偏見を持ち、バーのママの娘と付き合うのを禁じたり、しまいには、工員の息子との交際をやめさせようと、学校に乗り込んで担任教師に直訴までするモンスターぶり。この母親の破廉恥な行動に激怒した明子はハンガーストライキを決行する。 舟木一夫さんの大ヒット曲「高校三年生」を主題歌とする映画だが、高校三年生の学園生活の悩みを描くというより、家庭や家族問題の悩みを描いています。 本編80分ばかりの見易くて、前作に劣らない(と思う)おもしろい作品でした。話がというより、出演者たちの魅力で最後まで引っ張ったという感じだろうか。 主人公の姿三千子さんと、倉石功さんの清潔な好ましさが、なんといっても魅力的です。 主人公の仲良しの友達 俊子が、バー勤めをしている母親のボーイフレンドが運転するオープンカーで葉山の海へ遊びに行き、彼を誘惑するのだが、たしなめられて帰宅する。そのボーイフレンドを演じるのが成田三樹夫さん。俊子をひっぱたいて諭す、見た目によらず? 常識のある紳士ぶりを見せて印象に残ります(儲け役)。 舟木一夫さんは、早川孝の弟があこがれの目でみる工員の先輩の役。前作のクラスメイトの役より格段に好印象が残る役になっています。でも、その「高校三年生」の主題歌と作品内容が一致していない感じがします。
2022年09月10日
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昨日の夕方6時半ごろだったかに、テレビを見ていたら古谷一行さんがお亡くなりになったとのテロップが出ました。 意外な人の訃報に驚いたというか、思いもしない人が亡くなったので驚きました。まだ78歳だそうです。 サスペンスドラマを始め、たくさんのテレビドラマに出演なさいましたが、私にとっては、やはり「横溝正史シリーズ」です。 質の高いテレビドラマであり、映画の石坂浩二さんに負けていない、金田一耕助を演じて、印象に強く残っています。今でも時々、録画したのを見ているくらいです。 古谷一行さんにとっては、「横溝正史シリーズ」は降ってわいた話だったそうです。1977年の当時、古谷さんは「新選組始末記」の撮影でいそがしかった時で、そこへ金田一耕助をやらないか、との話が持ち込まれたと。古谷さんは「新選組始末記」のプロデューサーに相談したら、「ぜひ、やりなさい」と快諾してくれたそうです。この時にプロデューサーが「ダメだ」と云っていたら、金田一耕助の役は生まれなかった。「横溝正史シリーズ」はとても豪華に作られた作品です。映画で活躍なさった監督や撮影、美術スタッフが参加して、出演俳優も一流で良かったです。 1977年、「新選組始末記」で古谷さんは土方歳三を演じ、沖田総司は草刈正雄さんでした。これも良くできた時代劇だったと思うのですが、当時はスタッフも俳優も潤沢な時代だったのでしょうか。 角川文庫の横溝正史ブームにうまく乗ったことで、「横溝正史シリーズ」は相乗効果での大ヒットとなったようですが、エンディングで流れる茶木みやこさんのテーマ曲「幻の人」が番組の締めくくりとして思い出深いです。
2022年09月03日
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昭和16年12月8日(ハワイ時間12月7日)。日本はアメリカのハワイ真珠湾を攻撃して、日米開戦に踏み切りました。 この日本海軍機動部隊によるパールハーバー奇襲攻撃を描いたアメリカ映画「トラ・トラ・トラ!」(1970)は、アメリカでは興行的に失敗して大赤字になったのですが、なぜか日本では高く評価する人が多いようです。 私は、この映画は、確かに見ていて面白いけれど、ラストシーンが気に入らない。と以前に何度か書きました。 奇襲成功の報告に沸き立つ幕僚にかこまれた山本五十六連合艦隊司令長官(山村 聡)が浮かぬ顔で「眠れる巨人を起こしてしまった」と云う。この台詞の意味は、奇襲には成功したが、宣戦布告の手交が遅れてしまったことで、アメリカの国民が怒って一致団結して立ち向かって来るだろう、と。「眠れる巨人」と表現するが、アメリカは眠っていたわけではない。日本がアメリカと戦争する決意をすると同時期に、アメリカは日本との戦争は避けられないと判断し、準備を始めている。「こちらからは手を出さず、戦争開始の最初の一弾は日本側に撃たせる」とのことで、その日本の第一弾がハワイだとは思っていなかっただけのこと。 開戦早々に真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃して大きなダメージを与え、敵国民の士気を阻喪させて講和に持ち込む。この速戦即決しか勝ち目はないと。しかし通告が遅れたことで、敵を怒らせてしまった、ということだが、これを逆に考えれば、もしも通告が予定通りに行われていたならば、アメリカ人は本当に士気を阻喪して日本との戦争を避けようとしただろうか? 、そんなことはあり得ず、通告が間に合おうが遅れようが関係なく、攻撃されてアメリカ国民がおとなしくしているはずがないだろう。 そういう意味で、この映画「トラ・トラ・トラ!」を気に入らないと、以前に書きました。 山本五十六連合艦隊司令長官が考えた真珠湾のアメリカ太平洋艦隊撃滅計画は、そのようないい加減なものではなく、ハワイ攻撃はこの戦争の雌雄を決する大決戦のつもりだったのではないかと、最近考えるようになりました。 真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を徹底的に叩いて壊滅させ、港湾施設や燃料備蓄タンクを破壊し、完全な灰燼としてしまう。それでも不足なら、戦艦を近接させてハワイを、島が消滅するくらいに猛砲撃する。 そのためには機動部隊の魚雷や爆弾が無くなるまで、何度も何度も、二撃、三撃、四撃と反復攻撃を加える必要があるだろう。 ところが、そんな山本五十六長官の考えを、攻撃任務を受けた機動部隊は理解していなかった。 奇襲に成功して、敵の戦艦群にダメージを与えた。空母はいなかったが、在泊している戦艦群を、浅い真珠湾(水深の平均は12メートル)に尻もちをつかせただけなのだが、目的を達したと判断し、ただ一撃を加えただけで帰って来た。敵の軍艦さえ叩けば良く、港湾施設や燃料備蓄タンクはそのまま手つかずで残して来た。山本長官の決戦思想と、現場の指揮官たちの「戦争は敵の軍艦を沈めること」という戦争観のちがいなのか。 敵の空母(エンタープライズ)の位置が不明で、その反撃が怖い。味方の損害が微小なのを幸い、発見されないうちに早く帰ろう。怖いので早く帰ろう、と。 映画「トラ・トラ・トラ!」では、南雲機動部隊長官(東野英治郎)が、「戦争はまだ始まったばかりだ。この艦隊を無事に連れ戻すのがわしの任務だ」みたいなことを云います。このハワイ攻撃は決戦ではなく、まだ戦争は始まったばかりで、これからだ、との認識です。 そして、山本長官の早期講和のための決戦思想とは、どのようなものだったのだろう? 真珠湾奇襲攻撃は一応は成功したが、それだけでは、アメリカ軍民の士気を阻喪させるにはいたらない。もっと大きな損害を与えないとならない。どれだけの損害を与えれば、アメリカ国民の士気が阻喪するのだろう? そんなことが可能なのだろうか?
2022年08月16日
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今日は8月15日。「終戦記念日」「終戦の日」。「終戦記念日」という言い方に抵抗を感じるので「終戦の日」が良いかと思います。 新聞などを見ると、この季節には「戦争体験を語りつぐ」との見出しを目にします。戦争体験と戦時下体験。高齢化が進むなか、体験者は年々減少しています。 うちの父親は20年以上前に亡くなりましたが、ついに戦争体験を語ることがありませんでした。 満州で終戦を迎え、ロシアにシベリアへ連れていかれて強制労働をさせられた。日本に帰ってこられたのは昭和23年の秋だったらしいのですが、戦地でのことやシベリア抑留の体験を一言も語らなかった。 子供の私が、戦争の話を聞くと、すぐにそらしてしまった。何かの折につぶやいた「軍靴のザクザクいう音が、耳の奥に残って忘れられない」と、これだけです。 思い出したくない、忘れてしまいたい、本当に戦争で地獄のような悲惨な体験をした人はそうなのではないか。戦地での体験など、思い出したくない。それを人に語るなどとんでもない。 以前にも書いたかと思いますが、子供たちに「戦争の悲惨さを教える平和教育」とは何なのか? 戦争体験とは、日本だけのことでなく、戦勝国にも戦争体験者はいる。戦争に負けて悲惨な目に遭っただけが戦争体験ではないだろう。戦勝国と戦敗国では戦争の意識も異なるだろう。 南の島に送られて守備についたが、アメリカ軍から相手にされず、アメリカの飛行機は頭の上を飛んで行くだけで1発の爆弾も落とされなかった。毎日毎日、畑を耕していたという兵隊さんの話を聞いたことがあります。100人いれば、100通りの体験があるのだろう。 そんなことよりも、なぜ日本は戦争をしたのか? 戦争以外の選択肢はなかったのか? 対米英戦を回避できなかったのか? なぜ勝てる見込みがない戦争を、空襲されて焼け野原になり、原爆を落とされるまで、ずるずると続けてしまったのか? なぜもっと早くに降伏しなかったのか? そのようなことを学校の授業で、先生が生徒といっしょに考える授業が必要なのではないだろうか。「戦争は悲惨だからやってはいけない」「平和が何より大切」を唱えているだけではだめで、「話し合いで解決を」というのは常套句であり、そう言っておけば何も考えずに済む逃げ言葉ではないだろうか。
2022年08月15日
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