おじん0523のヒロ散歩

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2020.08.24
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カテゴリ: その他のお城
続日本100名城「No.152 小机城」でスタンプを捺印後、帰路の途中綾瀬市にある「城山公園」
へ立寄った。カーナビを「綾瀬市の城山公園」にセット、小机駅を9:10に出発。
城山公園は市役所の西側に位置しており、鎌倉時代源頼朝の御家人として活躍した渋谷重国の
の居城跡と伝えられ、県内でも遺存状態の良好な数少ない城跡の一つであり、大規模な堀切と
土塁が現存している。平成13年6月1日に再整備された、市内で2番目に大きい公園。

令和2年8月18日(火) 9:38
県道45号線を走り綾瀬市へ、所要時間は目的地までは約38kmで50分


9:45
保土ヶ谷バイパスの「下川井インタ交差点」高架下を直進。



10:08
県道45号線は横浜市から大和市に入り車線が片側一車線になり渋滞、車は直進して「茅ヶ崎・
綾瀬」方面へすすむ。
国道467号線と交差する大和市の桜ヶ丘交差点。ここを左折して南下すると江の島へ


10:17
県道45号線の右側は「米海軍 厚木航空施設」で広大な敷地が広がっていた。
この先の、綾瀬大橋入口交差点を左方向へ進む


県道45号線(中原街道)を進む、手前にスポーツ公園があり以前野球の試合で訪れた


この先の早川交差点で右折して綾瀬中央通り(県道42号線)を北上。

10:25
市役所前を過ぎ、この先の城山公園入口交差点を左折



城山公園
所在地:神奈川県綾瀬市早川城山3-4-1
公園は住宅街にあり、無料駐車場も112台で8:30~18:00まで利用できる


城山公園案内図
幹線道路から一本奥に入った住宅地一角にある。幼児から小学生まで楽しめる遊具広場。大人は

心に芝生の桜の広場が広がり、老若男女がくつろげる公園


入口広場から公園内へ


古代の城山
古墳時代の終わり頃から奈良・平安時代にかけて、早川城跡周辺には大きなムラが造られます。
市立城山中学校から早川城跡にかけての台地上からは、100軒を超える竪穴住居址が発見され、
目久尻川を挟んだ対岸の宮久保遺跡(県立綾瀬西高等学校)からも、150軒の竪穴住居址が発掘
調査されています。
古代と呼ばれるこの時代、都を中心に律令国家が確立し、地方には国府、郡衙が設けられまし
た。律令体制を支えた人々は、竃を備えた竪穴住居に住み、収穫した穀物は、掘立柱建物と呼
ばれる倉庫に蓄えていました。住居址内からは、土師器と呼ばれる土器とともに、須恵器と呼
ばれる陶器が出土するようになります。また、鉄製の農耕具類や文字の書かれた土器(墨書土器)
が出土することから、この当時、庶民レベルまで鉄製品や文字が普及し始めたことが分ります。
早川城跡や宮久保遺跡からは、都で作られた奈良三彩と呼ばれる珍しい陶器も出土しています


早川城跡
早川城跡は、地元では古くから「城山」と呼ばれ、鎌倉時代の御家人渋谷氏の城と伝えられて
います。しかし、文献資料がないことから、その実態は明らかではありませんでした。そこで、
綾瀬市教育委員会では平成元年度から平成6年度にかけて、早川城跡の学術調査を行いました。
発掘調査によって、堀切・土塁・物見塚・曲輪等、多くの城郭関連遺構が発見され、県内でも
有数な保存状態の良好な中世城郭であることが明らかになりました。また、城郭が構築される
以前には、縄文時代や古代の集落が営まれていたことも明らかになりました


渋谷氏と早川城跡
渋谷氏は平安時代の末期、綾瀬市域を中心に渋谷荘(吉田荘)という荘園を支配し、勢力をもった
武士でした。『吾妻鏡』によると平治の乱(1159年)に敗れて奥州に落ち延びていく源氏の重臣
佐々木秀義を渋谷重国が保護したとの記事があることから、この頃までには綾瀬市域一帯を支配
下に置いたものと思われます。
鎌倉時代になると、渋谷重国は源頼朝の家臣である御家人となり、その子高重が後をつぎました。
高重は早川次郎と名乗り、早川に拠点を置いて一族を統率していたものと思われます。1213年
の和田合戦では高重は和田義盛に組したため高重はじめ多くの一族が討たれましたが、1247年
宝治合戦の後、その軍功により薩摩国入来院ほかに所領を得、地頭となり、その際多くの一族が
移っていきました。しかし、室町時代の初め頃までは綾瀬市域に渋谷氏の支配が続いたと思われ、
その一族が早川城を築城したものと考えられます


渋谷氏略系図(「入来院氏系図」により)


レクリェーション広場
樹の幹に「これ何の木?」
ヒント 1、北米原産の大高木で、街路樹に多く見えます。
    2、葉がハンテンの形をしています。
    3、花はチューリップそっくりの形をしています。


そういえば街路樹でよく見かけるが????


答え「ユリノキ」
モクレン科 百合木


堀切と土塁
鎌倉時代に築城されたと推定される早川城跡は、天守閣を持つ江戸時代の城と異なり、自然の
地形を巧みに利用し、堀切と土塁を周囲に巡らした「砦」的な要素の強い城郭であることが発
掘調査によって明らかになりました。堀切とは外敵の侵入を防ぐため、城の周囲に巡らされた
堀のことです


堀切と土塁
堀切の内側には、堀切を掘った土を利用して、土塁と呼ばれる高い土手を築き、さらに堅固な
防御施設を作り上げています。早川城の場合、東西及び南側は急峻な崖に囲まれ、自然の要害
となっています。しかし、北側は平坦なため、幅約11m、深さ5m以上という大規模な堀切と
土塁を築いて敵の侵入を阻んでいます


堀切と土塁
早川城は、有事の際に周囲に暮らす武士たちが集結して、外敵の侵入に備える防御施設として、
また、領民に対しては、権力を誇示するシンボルとしてそれぞれ機能していたものと思われます


公園の中心に芝生の「桜の広場」が広がり3月下旬から「かながわの花の名所100選」に選ばれた
桜が観賞できる


桜の広場の周りの遊歩道に「東郷元帥祖先発祥之地」の石柱が建つ


桜の広場のすみにある物見塚


物見塚と東郷氏祖先発祥地碑
早川城本郭の西側に位置するこの塚は、物見塚と呼ばれています。南北21m、東西23m、高さ
約2mの塚です。発掘調査の結果、表土直下に宝永火山灰(1707年、富士山の噴火による火山灰)
が見られることから江戸時代初期以前に築かれていることは明らかです。また、塚の作り方が土
塁と同様の版築(黒土と赤土を交互に敷きつめて突き固めたもの)であることから、城郭の関連遺
構の一つであり、外敵の侵入を見張るため築かれた塚であると思われます。
物見塚の上には、昭和7年に祖先発祥地東郷会により建てられた「東郷氏祖先発祥地碑」があり
ます。この碑は日露戦争で有名な旧海軍元帥である東郷平八郎の先祖の地であることを記念して
建てられたものです。東郷家は、早川城主であったと伝えられる渋谷氏の末裔の一つでした


物見塚の上に「東郷氏祖先発祥地碑」が建つ


東郷氏祖先発跡地碑
左側に「??乃木??????地」の石碑


桜の広場の南側下に「腰郭と竪堀」


腰郭と竪堀
早川城跡西側の斜面からは、腰郭と呼ばれる防御施設が2ケ所発見されました。
腰郭とは、斜面を人工的に切り崩して平坦面を作り出したもので、敵の侵入を見張り、いざ敵が
攻めてきたときには、第一線の防御施設として機能していたものと考えられます。早川城跡の西
側斜面は、東や南側の斜面に比べ緩やかであり、外敵が侵入しやすい地形です。このため、要所
に腰郭を配して敵に備えています。早川城跡では、いずれの腰郭からも柱穴が発見されており、
小規模な建物が建てられていたようです。
竪堀とは、城郭の斜面に直交して掘られた堀のことをいいます。要所、要所にこうした竪堀を設
けることによって、敵の進入を防ぎ、より堅固な防御施設を作り上げています。
早川城跡では、北側堀切の両端部、及び南端部からこうした竪堀が発見されました。南端部の竪
堀内からは、当時の貨幣として使われた渡来銭(中国の銅銭)が出土しています


腰郭と竪堀の下に「日本庭園」があるがまたの機会に!
日本庭園の隣のわさび田跡地では、6月初旬からホタルが見られる


花木園の「バラ園」
定期的に消毒をしており、この日も消毒中でバラ園は休止中。
バラが見頃になる時期は、毎年、5月中旬頃・10月中旬頃で66種類約500本のバラが香る


園内で清掃業者が作業、「ブロワーで落ちた葉を飛ばしている作業」
最近は作業状態を動画に撮影して市へ提出するようだ


このような看板を立て、作業者も入れて撮影。
私も現役時代は、もの造りで写真を撮影して提出したが動画はなかった。
役所の担当が立会をしなくてもこのような動画で確認するのだ


湿生園について
この湿生園は、早川城山地区の雨水調整池を利用し整備したものです。雨天時は多量の雨水が
流れ込み、池の水位が上昇するため大変危険です。雨天時には近づかず、雨が降り始めたら、
ただちに避難してください       綾瀬市


樹の幹に「これ何の木?」
ヒント 1、山地に生えるブナ科の常緑高木です。
    2、生垣や防風林に利用され農具の柄にしました。
    3、カシの仲間で、材が白いのでこう呼ばれます。


木を見上げる


葉はあまり大きくない


答え「シラカシ」
ブナ科 白樫


縄文時代の城山
早川城跡の発掘調査では、早川城が造られる以前の縄文時代や古代における生活の様子も明らか
になっています。台地平坦部からは約5,000年前にあたる縄文時代中期の竪穴住居址二軒が発見
されました。いずれの住居も使用後ごみ捨て場として利用されており、多量の土器や石器が出土
しています。出土した土器は「勝坂式土器」と呼ばれる、関東地方の縄文式土器の中で最も装飾
性に富んだ土器で、土器に施された文様から、縄文人の創造性の豊かさを知ることができます。
台地上にはさらに多数の竪穴住居址が存在するものと思われます。周辺には、早川天神森遺跡や
道場窪遺跡など、同時期の縄文時代のムラが隣接して作られており、当時、早川城一帯は、豊かな
自然に恵まれ縄文人にとってとても住みやすい場所であったことが想像されます


蓄霊之碑


10:56
城山公園の西側に位置する、幼児から小学生まで楽しめる遊具広場


11:10
朝が早く食事をとっていなかったので城山公園入口交差点の角にある「かつや 神奈川綾瀬店」
へ立ち寄ることに。旧東海道の弥次喜多道中以来の「かつや」での食事


定番 カツ丼(梅)  税抜き 490円をオーダー


昼前であったが、店内は三密を避けた営業で繁盛していた


11:36
綾瀬中央通り(県道42号線)を南下、左側に「コナズ珈琲 神奈川綾瀬店」
看板の色が違うが一瞬ライバルの「コメダ」かと思ったが


明日からは、6年前に行った平成26年(2014)7月の「スイス旅行」をアップします。

                                綾瀬市の城山公園ーEND





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最終更新日  2020.08.24 08:06:00
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