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11月18日(木) 10:00
熊野磨崖仏から県道655号線(新城山香線)を北上。
国東半島は安山岩と凝灰岩が採れる石材の場所だけに浸食で奇抜な岩肌が。
10:03
熊野磨崖仏からしばらく県道655号線(新城山香線)を北上すると、左側にお出迎えの人の列!
思わず車を止め停車。
「ようこそ田染の郷へ 真木大堂へようこそ」と表示された多数のカカシが飾ってある。
誰かおられるのかと思い探すが、どのカカシとも目が合わず。
仕方がなく私が入り記念写真。
傍では天高く花もお迎え。
皇帝ダリアの大輪とつぼみ。
奥に小さな社殿。
県道655号線脇の標高:118.3m にある「隨願寺(ずいがんじ)」。
隨願寺
所在地: 大分県豊後高田市田染真木
境内の建物は地蔵堂1宇のみである。安置されている地蔵菩薩像はかなりの古仏とみられるとの
ことだが閉ざされ中は見えず。地蔵堂前にも石塔・石仏などがみられる 。
隨願寺 縁起
六郷満山分末寺の一なり。 養老年間(717-724)、馬城山傳乗寺三十六坊の一坊として
創始。一時寺観壮麗を極めたりと言うも、今は唯九尺四面の堂宇を存ずるのみ。 断礎
塔碑累々として往時の盛観を偲ばしむ。 ものふりたる堂内には、厨子に下御門本尊地
蔵仏を安置す。「隨願寺」と墨書した扁額、その裏に残る墨筆。
六郷満山峰入行者祈祷墨書柱・二柱(文化十四年(1817)・天保八年(1837)) 格子戸に
墨書・彫刻された欄間・ 長押
に唐草模様を遺す。
老朽化にともない平成十五年二月 小畑通治の遺志をつぎ妻京子これを再建す。
落慶にあたり之の碑を建立し後世に遺す。
小畑光則。
隨願寺前から県道655号線(新城山香線)沿いに立つカカシ。
皇帝ダリアと・・・が咲く。
広場があり地元の方々が植えられた花壇。
10:09
後でよく見るとこの先数百メートルのところに「真木大堂」があったのだが。
カーナビも「真木大堂」を示す。
目的地までは、12km、到着予定 10:34 と、目的地だけを考えていたので残念。
走りだすと前方に「真木大堂 P → 」の標識が目に入ったが。
真木大堂は直ぐ左側にあったようだ。
真木大堂(馬城山伝乗寺)(まきさんでんじょうじ)
所在地:大分県豊後高田市田染真木1796
真木大堂は、かつて隆盛しながらも火災で焼失した「幻の大寺」とされる馬城山伝乗寺の堂宇の
一つと伝えられています。
国指定の重要文化財である仏像9体を有しており、特に日本一の大きさを誇る水牛にまたがった
木造大威徳明王像や藤原時代の作である阿弥陀如来座像など、仏像ファン必見の名所です。
この地域散在していた石塔・石仏を損壊や紛失から守るために、これらを一堂に集めた古代公園
が大堂裏手に整備されました。この公園内には、かって伝乗寺が田染盆地に36坊もの伽藍を擁し
て隆盛を誇っていた頃の名残が、随所にあり散策を楽しむことができますと。
10:12
この先の交差点を左折、県道34号線(豊後高田安岐線)を西方向へ。
真中交差点に建つ、田染郵便局。直進すると「国宝・富貴寺(ふきじ)大堂」へ。
10:20
この先を右折して、豊後高田市街へ。
10:26
豊後高田昭和の町手前の並木道も紅葉。
10:27
豊後高田昭和の町、「新町通り商店街」へ入り、駐車場を探す。
10:30
豊後高田商工会議所横の「昭和の町駐車場」。
所在地:大分県豊後高田市新町964
30分までは無料の有料駐車場、この日は平日で空いていたが休祭日は混んでいると。
ここへ駐車して「昭和の町」を散策に。
昭和の町 散策ご案内
昭和の町とは、総延長550mの通りは普通に歩けば15分もかかりませんが、その通り沿いに点々
と立ち並ぶ ” 昭和の店 ” の一軒一軒を訪ねてみましょう。
昭和の思い出をさがして、昭和の建物に足をとめ、一店一宝に目をとめ、一店一品を手にとり、
そして笑顔でお客様と語らう昭和の商人に心をとめていただければ、いつの間にかやさしく懐か
しい昭和の時期が流れ過ぎているかもしれません。
駐車場横に、「ようこそ昭和の町へ、 ここ ⇐
近道」の看板があり進む。
前方に「おみやげ、ギャラリー、お食事処」。
豊後高田市のマンホール蓋。
出会いの里
右側に「ベルハウス」。
昔ながらの手押し井戸ポンプ、石祠。
出会いの里の中に水路があり、「木工作品」を販売。
黒毛和牛 メンチカツ
ここを訪れた多くの芸能人の写真が掲示されていた。
10:35
新町通り商店街の東方向を望む。
豊後高田市の中心商店街は、江戸時代から明治、大正、昭和30年代にかけて、国東半島でもっと
も栄えた町でした。江戸時代から海上運輸で栄え、昭和初期にも京阪神に行き来した運搬船が多
数停泊していました。五本の幹線が集まり、半島奥地や海岸部・宇佐方面への要衝になっていた
のです。しかし、だんだんと時代の波に取り残され、多くの商店街と同じく寂しい町になってい
ました商店街が元気だった最後の時代、あの昭和30年代の活気を蘇らせようと平成13年(2001)
に立ち上げたのが「昭和の町」の取組みである。
当初7店舗からスタートした昭和の町認定店は現在53店舗に増え、いまでは、
年間約40万人の来訪者を迎える商店街になりましたと。
商店街には懐かしい照明灯も。
旧共同野村銀行社屋
無料で見学できるようであったがスルー。
旧共同野村銀行社屋
その昔、当地は優れた仏教文化の宝庫として知られていた。その後、江戸時代から、肥後の国・
島原藩の飛地として独自の発展を遂げた。地理的には交通の要衝であり、桂川は天然の良港で
国東半島の産物の集積地として栄え、農業・塩田・製竹・養蚕・和蝋等の産業により、明治に
入っても大いに繁栄していた。日清戦争(明治27~28年)の後、経済界は空前の好景気となり、
当地にも富豪「野村財閥」が生まれた。この野村財閥の開祖、野村礼次郎氏は明治45年(1912
年)に共同野村銀行を設立した。昭和8年(1933年)に本社事務所を建設。これが現在の建物であ
る。共同野村銀行は第2次世界大戦(昭和16~20年)による戦時金融統制の一環として、大分合
同銀行(現在の大分銀行)に合併された。戦後昭和23年(1948年)2月、西日本無尽㈱(その後、西
日本銀行から西日本シティー銀行へ)が当建物を買収し、同社高田支店となった。
平成5年(1993年)西日本銀行が移転し、大分市の投資家が購入したが、利用されず廃墟同然の
姿となっていた。平成16年(2004年)10月、大分石油㈱・ホテル清照がこれを買収し、補修の
上、保存・活用する事となった。店舗の内部は、一階の道路に面した部屋は吹き抜けで自然の
光あふれる大きな空間になっており、キャットウオークを巡らし優雅さを表現し、外部は、正
面壁のタイル張り、中央に銅製模様欄間付きの出入口、その上壁に3本の装飾円柱、高い軒蛇
腹には上部の唐草模様と彫刻装飾を施してあり、古典主義的な様式をデザインした優れた姿形
を持っている。
大分石油㈱・ホテル清照
登録有形文化財 第44-0165号
この建造物は貴重な国民的財産です 文化庁
商店街には、チキンカレー、ハンバーガーの幟が立つ。
また、商店街には紅白の垂れ幕が下がるが今日は平日で観光客も少ない。
古い建物の壁面に「コーヒーハウス ブラジル 伯刺西爾珈琲舎」。
マスターが優しく、カレーはもちろん美味しいコーヒーソフトクリームがオススメ!と。
街角の座る「カエル」。
カエルには古来より
金カエル
福カエル
無事カエル
などの語呂合わせから
お金が還ってくる
幸運が還ってくる
人が帰ってくる
というように非常に縁起がいい生き物として愛されてきました。
また、
迎える
との意味もあり、
市外県外より多くのお客様を迎えられるように
という願いも込められます。
そしてカエルは前にしか飛ばないため、
仕事運が向上する象徴にもなっています。
さらには、
変える
という意味もあり、様々な状況を良い方向へ変えてくれると言われています。
60周年記念品
豊後高田商工会議所青年部
10:38
出会いの里
お食事処もあり昼時には多くに来客があるのか。
和牛肉 金岡
店先に、「14 肉のかなおか」 パンフレットに「14」。
創業:昭和26年
建築:昭和26年
一店一宝
初代手回しの肉切り機
お店での人気商品は初代おかみが家族のおかずに作っていたコロッケ。
懐かしいコロッケの味はB級グルメと呼ぶにはあまりにももったいなく、安くて美味
しい極上のテイクアウト商品。お店自慢のあつあつコロッケを頬張りながら商店街を
散策ください。
店内に入り、ケースの中にいろんなミンチ、コロッケを陳列。
朝食をとっていなかったので、コロッケを食べることに。
店内の隅に置かれていた、
一店一宝
初代手回しの肉切り機
店の前に道を挟んでテント小屋。
コロッケを2個オーダーするが、「これから揚げるので前のテントで」と。
テントの前に「コロッケの食べ歩きもまた楽しいですよ」
昭和の町のお肉屋さん 肉のかなおか
いろんなコロッケ
10:51
待つこと5~10分で、今日の朝食+昼食?のコロッケ2個、
丁寧に袋にコロッケの名が書かれていた。
揚げたてで熱かったが、空いたお腹には最高であった。
ー 続く ー
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