おじん0523のヒロ散歩

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2023.01.19
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カテゴリ: 続 日本100名城
名胡桃城址の散策を終え次の目的地は「四万川ダム」。
その前に、今回の旅にあたって妻から「りんごを買ってきて」と言われていたので、名胡桃城址
案内所で近場のりんご販売所を聴いて出発。

11月16日(水) 9:45
国道17号の名胡桃城址前交差点を横切り南方向へ。


Googleマップでは、名胡桃城址から四万川ダムまでは、41.7km、所要時間54分と。
黄色の丸は、今日訪れる主目的の沼田城、名胡桃城、岩櫃城。


名胡桃城址前交差点から坂を上り、この先の下津交差点を右折。


9:50
11代内海彌平治りんご園

先祖の彌平治の名前は園主だけが名乗ることができ、次期園主は「名前に違わない力をつけない
といけません」と語る。すべてが消費者と直結している販売なので、彌平治の名を汚さぬよう、
プライドをもって栽培・販売していると。
県道253号線(渋川下新田線)沿いにあるりんご園である(写真はネットから)。


店頭ではこの時期の品種は新世界を販売していた。
店内で試食品を食べ美味しかったので、1,080円の袋を3袋購入した。


店の横にはりんご園。
りんご狩りもできるようであったが要予約。


若い園長に聴くとりんごの品種「ふじ」はまだ早いと!


絵になるりんごである。
今年は台風被害はどうであったのか。



「新世界蜜入り くるみ」、くるみの意味は?
土産用のりんごを購入、四万川ダムへ向かうことに。


10:00
県道253号線を戻り、ここ下津交差点を右折して県道36号線(渋川下新田線)へ。


県道36号線沿いにはりんご園が広がる。



トンネルの中でみなかみ町から吾妻郡高山村へ入る。


のどかな県道36号線(渋川下新田線)を進む。


ここ中山交差点を右折して国道145号の中之条方面へ。


10:07
県道36号線と国道145号が交差する中山交差点
交差点の西側に「 中山城跡 」がある。
徳川と北条の領土争いが盛んだった頃、真田昌幸は当初北条方に帰属していたものの、一転し
て謀反を起こし、徳川方に付き従います。これを知った北条氏直が北条氏邦に命じ、真田の拠
点「岩櫃城」と「名胡桃城」の中間にある中山の地を占拠させました。この際、北条氏の真田
攻めの拠点として設置されたのが中山城です。
当時は、かつての沼田城主であった沼田顕泰の子「赤見山城守」が城を守っていました。その
後の細かな歴史動向は明らかにされていませんが、北条氏が滅亡した天正十八年(1590年)に、
中山城は廃城となりました。


10:15
国道145号(ロマンチック街道)を進み中之条町へ入る。
左側に観音霊場の看板を見つけ急遽車を停める。


大塚観世音堂 (西向観音)/吾妻三十三観音33番札所
所在地:群馬県吾妻郡中之条町
髙山村と中之条町との境界地にあり、道路脇に車を停め振り返る。境内には古木のさくら。
国道拡幅工事で直線道路になっているがかつての旧街道沿いには多くの寺社があった。


道路脇には、
「真田忍者の里 中之条町」
「国道145号 長野原まで33km、中之条町大塚」の案内が立つ。


中之条町は、群馬県北西部吾妻郡にある町で吾妻郡の観光の中心地である。
郡内で最大の人口を有しており、15,570人 (2020年8月)。
中之条町の汚水マンホール蓋
町の花ヤマユリと、町の木であるケヤキの小枝に止まっている 町の鳥ウグイスのデザインです
が、蓋を4分割しそれぞれ2ヶ所ずつ描かれています。「中之条町」「農村下水」の文字入り。


古木のさくらの木の根元に「上野國吾妻郡」と刻まれた石塔。


道路拡張工事で移設されたのであろうか多くの石塔が立っていた。


大塚観世音由来記
大塚観世音堂は、榛名山大坊満行院菩提寺よりこの地にわかれたものと伝えられる。寺伝に拠
るとその草創は九世紀弘仁年中(810-824)といわれ始め無量山菩提寺と称した。その後応仁
の大乱で中絶したが、十六世紀大永年中(1521-1528)に再興して現在に至るという。
古来吾妻三十三番観世音札所のうち最古の霊場とされている。
昭和三十九年(1964年)本堂敷地を国より払い下げることとなり、大塚村各戸より浄財を集め
金参万七百円也をもってこれを受け入れた。昭和五十一年国道拡幅工事に際し、西方二十五メ
ートルの地より現在の地に移転した。たまたま時代の変遷に伴い宗教法人宗学寺の名義を借り
て境内地の登記をしたが、実態は大塚村の共有財産として保有し村民一体となり宗教上の儀式
はもとより総ての維持管理に当り佛果の鑚仰に努めている。
以上子孫のため、大塚観世音堂の由来を綴り石に刻みてこれを後世に伝える。


境内には多くの常夜灯や石塔・石仏などが置かれていた。
左側の常夜灯には「寛政四年(1792) 奉納」と刻まれていた。


町重 吾妻三十三番札所再興記念碑
     中之条町教育委員会
石塔には「吾妻三十三番札所観世音?」と。


国道145号(ロマンチック街道)を振り返る。この先は吾妻郡高山村。


観音堂の建立年は不明だが、昭和51年(1976年)の道路拡幅工事に伴い若干移動していると。


観音堂は閉められていた。


大塚基盤整備事業完成記念碑
大塚地区は経済発展と共に近代化農業が発展する中に田畑に散在し耕地も不整形で、
狭く農道は狭小で曲折甚しく田においては湿田多く特に大塚温泉近辺は整備事業も
不可能ではないかとの噂さえあるほどの超湿田であった。用水は素堀多くその為漏水
し多大の人力を必要とした。この条件が願望の機械化農業に対応出来ず常日頃住民の
悩みであったが昭和五十七年十二月より町の強力な指導により村興し事業の一環と
して団体営土地基盤整備事業を取り入れて七年間の歳月を費し組合員九十七名一致
団結総面積二十二町一反0畝十二歩総事業費二億四千七百万円で中之条町初の団体営
土地基盤整備事業が完成をみたので、石に刻み後世の伝えるものとなり
事業の内訳左の通り
  田の面積  十八町二反0畝二十七歩  田反当り経費 百十万円
  畑の面積   三町八反九畝 十五歩  畑反当り経費 六十万円
  補助率   国 四十五%  県 二十七%  町 十三%  個人 十五%
石碑の裏には組合員名が刻まれていた。


耕地の中に牧歌的な民家が建つ。


観音堂横から東方向を望む。右側の低地を名久田川が流れる。


国道沿いに建っていた「大塚用水改修記念碑」の石碑
大塚用水は昭和十三年先人の偉大なる努力により手掘りによる素掘り隊道であり洪水
等の都度土砂が堆積し役員組合員等により手掘りによるバケツリレーで搬出し約六十
年余の維持管理をしてきた。各施設の老朽化が進み陥没漏水等が発生現況施設が民地
内及び国道を横断しており交通量の増加等に伴い危険にある。温故知新勇躍意を決し
全面改修を決断したのである。補助事業を模索して県営ため池等整備事業(用排水施設
整備小規模)を取入れ尻高用水組合との連帯と強調で百年の計を立てたのである。
この用水は灌漑だけでなく防火用水として大きく役立っている。国県町関係機関の強
力な指導のもと、平成四年度採択平成六年度に完成したのである。・・・中略・・・
茲に完成を記念して石に刻み永遠の大塚村尻高村の発展を願い後世に伝えるものである


左側の柵の中には多くの石塔・石仏が建っていた。


10:25
観音堂で約10分滞在した後国道145号を進み、カーナビはこの先を右折。


ここ伊勢町下交差点を右折。


伊勢町下交差点にある、ファミリーマート中之条伊勢町下店。


国道145号のJR吾妻線 中之条駅前交差


この先を斜め右方向へ
案内板には右方向に「中之条税務署 300m」「吾妻中央高等学校 400m」と。


国道145号から国道353号への分岐点、伊勢町上交差点を右


国道353号を、四万(しま)、暮坂峠方面へ進む。
右方向は「大道(だいどう)峠」。


10:30
中之条町の旧街道を抜け、上之町交差点を右方向へ進み国道353号を更に進む。


国道353号沿いにも多くのりんご直売店があった。
左側には「金井農園」。


続いて右側に「白樺りんご園」と。


10:35
国道353号を進み隊道、左側を四万川が流れる。
この辺りには、桑田城跡、内山城跡、仙蔵城(内山城)跡と山城がある。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2023.01.19 08:49:07
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