おじん0523のヒロ散歩

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2024.03.21
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にある寺社史蹟巡りに向かった。
スマホの目的地を「宮山駅」にセットして出発、距離は8.5kmで所要時間は35分と。

3月18日(月) 13:30
寒川神社の前を抜け、目久尻川に架かる”寒川大橋”から上流側を望む。
河川敷には菜の花が満開になっていた。種子が流れいたる所で咲いている春の風物詩である。


JR相模線 宮山駅
予定通り約35分で到着した。駅前には戸塚米店があり寒川土産の ”八福餅” を販売していた。


宮山駅は無人駅で自動改札。
寒川神社参拝者が最寄り駅として利用。


さむかわの観光
 二至二分の地
   寒川町のほぼ中央に鎮座する相模國一之宮寒川神社。
   寒川神社と二至(夏至・冬至)二分(春分・秋分)の日の出、日の入り地点を結ぶ線上には、
   多くのパワースポットが並んでいます。


今年訪れたいと思っている寒川神社の北エリア。


宮山駅は単式ホーム1面1線の地上駅で、昨年(令和5年)12月17日に駅舎が新しくなった。


倉見駅側から見る。駅のホームは嵩上げ。


宮山駅の北側に ”首都圏中央連絡自動車道(以降 圏央道)の寒川北インタ” がある。


宮山駅から倉見駅へ向かうが、県道46号線(産業道路)を走らず、相模線に沿って北上。
金網越しに富士山が薄く見えていた。


右上は東海道新幹線の高架橋。

上を圏央道、左右に東海道新幹線、地上をJR相模線が交差する交通の要衝地である。
ここへ来たのは” 新駅予定地” になっているので現状を確認に訪れた。


東京駅から「50K870M」地点。


相模川に架かる橋梁を新幹線が高速で通過。


宮山駅方向を振り返る。右側を相模線が走る。


新幹線下に通路が無かったので倉見駅前への旧道へ戻る。
新幹線の南側敷地は新地になっている。


この辺りの案内板。


Googleマップより。
黄色の丸の上が倉見駅で新駅予定地になっているのであろう。
1997年(平成9年)に新幹線新駅の誘致地区を「寒川町倉見地区」に決定している。

新幹線の高架桁に「第五倉見Bℓ」(50K819M)。


北側からの圏央道と東海道新幹線の立体交差。
こちら側は南側に比べ広いスペースが新地になっている。


敷地内には工場の建屋があるが廃屋に。
現在は、県央・湘南地域に位置する寒川町倉見地区に「東海道新幹線新駅」の誘致が実現する
と、全国の都市との交流・連携が飛躍的に高まり、交通の結節地域となります。
県では、県中央部10市町及び経済団体などと「神奈川県東海道新幹線新駅設置促進期成同盟会」
を設置し、寒川町倉見地区への新駅誘致に取り組んでいる。


東海道新幹線から北側約百メートル程の所にある倉見駅。


倉見駅 (くらみえき)
相模線は、大正10(1921)年9月、茅ヶ崎 ー 寒川間で開業したのを皮切りに、大正15(1926)年
4月に倉見まで、同年7月に厚木まで線路を延ばし、昭和6(1931)年4月に橋本まで全線開通し
ました。
このなかで、倉見駅は、大正15年に開業した当時の建物を今もそのまま使っていて、現存する
相模線の駅舎の中で最も古いものです。
駅舎だけでなく、ホーム、倉庫などすべてが鉄筋コンクリート造りでした。
関東大震災直後ということもあって、地震や火事に備えるために建てられたのですが、補修費
の軽減もねらい、当時としては大変画期的なことだったといわれています。
           平成17年3月 寒川町教育委員会


この写真は撮影年月が記載されていないので不詳だが。
倉見まで開通した大正15(1926)年4月、同年7月に厚木まで延ばし、昭和6(1931)年4月に橋本
まで全線開通したときのものであろうか。


大正15(1926)年に開業した当時の建物。


倉見駅も無人駅になっている。
2014年の乗車人数は1,947人/日(降車客含まず)だが。現在は?。


ホームは島式ホームで1面2線を有する地上駅のため、駅舎とは跨線橋で連絡している。


このため、エレベーターを2021年3月に新設、バリアフリー化された。 


エレベーターの横には ”タヌキの陶器”。


昭和を感じる改札口。


駅前から北側を望む。
寒川町のコミュニティバス「もくせい号」が運行されている。


倉見駅の北側数百メートルに位置する「水神宮」。
鳥居右側に ”コミュニティバス「もくせい号」” のバス停。


倉見水神宮前から南側を振り返る。


倉見水神宮


水神宮(すいじんぐう)
水神宮は水渦難を除くために川、泉などの水辺に祀られます。この水神宮は、相模砂利株式会
社が昭和四年四月に建立したものです。
この地はかつて観音堂(現在は中倉見)が焼失した時の灰を集めた灰塚とよばれていた地です。
「相模五郎の碑」は明治の終り頃、倉見にいた本名須田亀助という名騎手を記念して建てられ
た碑です。娯楽の少ない時代に馬力馬(農耕馬)による草競馬は楽しみで、「競馬の五郎親分」と
人気がありました。     
           平成三十年三月   寒川町教育委員会 


一段高いところに社殿が建っている。


右側の石碑には「名騎手 相模五郎」と。


左側の石碑には「水神宮新築記念」と。


かつては木が聳えていたようだが枯れている。


社殿前から見下ろす。
次の目的地は海老名市にある「正覚寺」。


JX金属(株) 倉見工場前の踏切。


倉見桜緑道、倉見観音堂緑地
倉見水神宮の向かい側に倉見郵便局があり、その角を曲がると踏み切りの先にJX金属 倉見工場
があり、その門の手前、右手から倉見桜緑道がはじまる。


倉見桜緑道は元々、相模川の旧堤防を利用した緑道で延長約460mの道は、海老名市境まで続い
ており、南側を中心に約50本の桜が植えられており、春にはお花見客で賑わうと。


正覚寺への途中にある 「門沢橋南の地蔵」 をスマホの案内で進むが道に迷う。
塀は JX金属倉見工場の北側で、この道を境に右側(北)が海老名市になる。


塀の角に新しい ”道祖神” が建っていた。


海老名市境まで続いている ”倉見桜緑道” を振り返る。
倉見桜緑道に沿って、JX金属倉見工場の東側の塀が続いている。
高い塀沿いに水路があったが。


14:25
井戸、ポンプがあったが何用であろうか。



                                     ー 続く ー






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最終更新日  2024.03.21 03:00:08
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