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何となく恋がしたいな…と考えてた。 時々コンビニで見かける若い娘の顔が思い浮かんだ。しかし顔が思い浮かんだだけで何処かで同じ時を過ごしていることすら想像できなかった。 次に考えてみたのは別れた最初の嫁だった。彼女に何かをしてあげたいと考えはしたがそれはそのまま息子の事に繋がるのだな…と思い至ったら恋では無いよなと考えた。 んで、別れた嫁のことを考えてみたのだが何かが違うような気がして為らなかった。 恋をしたいと想う気持ちを持っているのか誰かに側にいて欲しいと考えているのか定かでは無いが今の自分に恋することが出来るだろうか?と頭によぎった疑問符は打ち消すことがどうしても出来ずに僕には恋は出来ないのでは有るまいか?と言う想いを強く感じていた。 恋とは誰かを強く想う事だとすれば僕の最後の恋は誰だったのだろう?。好意を持っただけなら指折り数える事は出来るのだが焦がれるような想いはもう何年もしていないとは哀しいが断言できそうだ。 若い頃は勢いに任せるように恋を始める事が出来たのだが、それじゃあ年齢を重ねたなら静かな恋が出来るか?と言うとどうにも今の僕には甚だ疑問でやはり僕には勢いに任せるような恋しか出来ないのでは有るまいか?などと考えてしまうのだ。 だけど、だけど哀しいかな勢いに任せようにも肝心の勢いすら今の僕には消えているようで、勢いが消えてる僕には勢いに任せるような恋は出来そうに無いと言う現実が有るわけで…。 恋をしたいと想う気持ちはまだ残っているのだが今しばらくは恋がやっぱり出来ないのかな?と思わざるを得ない。 夜中に何を想ったのかこういう事を考えてみての哀しい答えだったかな?。 ぎゅっと心を鷲掴みして朝から晩まで瞼の裏に思い浮かべるような相手が出てこないかな…と考えてみるのだが体力も気力も減退中のこの身ではどうにも誰かに目を向ける事が出来にくいようでんな風に考えると体力気力が充実するまでは待つしか無さそうな塩梅である。 五月の最後の日に恋について現状での考えを何となく書いてみた。つか実際には日付が変わってすぐに書いた文章で寝る前だったのだが昼よりも夜の方が考えやすいのは何故なのだろう?。 今朝は起きたもののここ最近の得意パターンでベッドで横になって過ごしていると親父がやってきて叔母さんの家に電話を入れて山菜を採りに来れないか尋ねてみろと言われたので連絡を入れ明日にも採りに来ると言う流れになった。親父が言う採れる時期は数日の間でしか無いからそれを外すと採れる量はだいぶ変わってしまうから時期というのは大切なのだ。 が、街中で暮らすと天然物には時期があるというのは忘れがちでついつい時期を外してしまいがちに為ることが多い。それゆえ叔母さんの娘で従姉妹であるがきつい言い方になってしまったかも知れない。 その後で親父の妹の息子から連絡が入り何時も頼んでばかりで悪いからパソコンの電源ケーブルを届けて貰うことになり届けに来た後はしばし僕の昔話を聞かせると彼は相当驚いて居た。僕に言わせると驚くほどの事では無いと考えているのだが身を置いた世界が違うと感覚までも違ってしまうのだろう。 彼にDVDを貸して別れ午後になってから冷凍してあったフランクフルトとジャガイモとニンジンで煮込みを作り明日にはカレー粉を入れてカレースープに仕上げるつもり。 午後には郵便局に行き引き落としの確認をしてアイスクリームとカップヌードルを買って帰宅。帰宅後はカップヌードルにお湯を注ぎ昼食とし煮込みの火を止めて部屋でしばらく休憩をし夕食の仕込みをするため裏庭に行きアスパラを適量採って台所に戻りゴーヤとアスパラを適当な大きさに刻み、大根おろしを作ってシラスと和えて一品とし、皿にキャベツを刻んで敷き豚肉とゴーヤとアスパラを炒め塩こしょうを振って味を軽く調え卵を加えて炒めて仕上げにみそ味で味を調え皿にキャベツを敷き詰めた上に載せて食卓に並べて今夜の夕食の支度は完成。 風呂の追い炊きのスイッチを入れ部屋に戻って晩酌をしながら朝のワイドショーの録画を見て今朝のドイツ戦のサッカーの結果を見たり朝方の千葉の事件の速報を見たり杉並で起こった事件の流れを追ったりした。 このところ身につまされる様な家族間の事件が数多く起こって居て、端から見たら立派な居候であるこの身にとっては正直居心地の良いニュースでは無い。幾つかの事件で考えたのはこの人が悪いから事件は起きたと言う事件では無いように感じる事件ばかりが多いように思われて何でこの手の事件が続発してしまうのか?と思わざるを得ない。 さてと今夜は風呂にでも入って身体を温めてから寝ることにしようかね。そういや注射の結果だが肩には若干の違和感が残っては居る物の肩の可動域制限は取り敢えず解消出来ている様だ。今回は何日ぐらい注射の効果は続くのだろう?。
2006/05/31
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今日は本当は治療?と言うタイトルで今日病院に行ってきた際の事を書いて居て食事の支度で中断し晩酌も終えたので再び続きを書き込もうかな?とブラウザを見たら見事に数十行の文章は消え失せていた。 そこで日記を書く途中で見つけたゼストロミンの事を書いてみようかな?と思い、今日の日記のタイトルはゼストロミンとすることにした。 そもそもゼストロミンとの出会いは脳出血の入院の時で入院生活が一月を超えようとするときに消灯前の看護婦の見回りで寝れないのならと貰い始めたのがゼストロミンだった。 確かあの頃は入院一月を経過し一人で行動できるように為っては居たのだが退職は決定していて退院後の生活の不安を覚え始めた頃で脳圧も下がって色んな事を考えられるようになり始めた頃で不安が募って居たのかも知れない。 元々不眠に苦しんだ経験は皆無と言って良い性格だったから不眠に苦しんだと言うより不眠に為ったら苦しむのでは?と考え処方して貰ったと言うのが本音かも知れない。 最初は確か一錠の薬を自分で半分だけにして飲んで居たのだがそのうち飲んでも飲まなくても寝れない事は無いと悟り眠れない苦しみは無いけれど退院後に社会復帰時に不眠で苦しむのは…と考え少しずつ入院中から溜め込んだ薬だった。 退院後は不眠に苦しむと言う事は無かったからもしもと仕舞い込んだ薬が有った事すら記憶の底に沈めて居たのだが…出てきた薬を見てそんな事を考えていた日も有ったのだな…と思った。 人生の折り返しを過ぎてみると処方して貰った薬でも飲み忘れて残したままに為っている薬が少なくないのだな…などと部屋を見ると感じるのだがきっとこの先も捨てることなく持って居るのかも知れないと考えた。 今日は朝起きると親父から盛岡へ行くのかと問われたので病院に行くつもりと答えるとそれなら出かけるのを少し待って叔母さんの家に届けろと申し使って急遽野菜の宅配へと早変わりした。 だが、親父が持たせるつもりの野菜は旬を過ぎて固く大きく成長しすぎで駄目だったとかで届けたのはアスパラと椎茸ともう一品だった。 そのまますぐに叔母さんの家に届けると新鮮な野菜が届いて叔母さんは喜んでいて良かったと感じた。ただね最近ふと感じるのは若い頃には健康に対して無頓着と言って良い生活のように思えたのだが年を重ねるにしたがって健康を気にするように為るのはどうしてなのだろう?。自分の事を考えてもそんな風に思う。 その後病院に行き受付を済ませ診察の順番を待つ間にペインクリニックの問診を受け脳外の診察を受け都内に戻ろうかと考えてる旨の話をすると男だったら当たり前だと背中を押される思いがした。 今の担当の医師は背中を押してくれるのだが、親父はと言うと僕が再び実家を離れるという事に懐疑的で独りでは暮らせないだろうと言い切る。父としては息子のことが心配なのだろうと感謝の念は強くは感じるのだけどもね…。 ペインクリニックの診察を受ける前に肩のレントゲン撮影をしてからしばらく待って診察を開始。しばし会話を重ねた後で触診の後で注射をすることに決まったので問診の時の話では今日は話を聞いて貰うだけでも…と伝えて居ただけに驚かされたが、更に来週の月曜日に神経の専門の先生が来るから見て貰うようにその上で治療の…と言う話の流れにちと驚かされた。 つか僕的な考えでは治療を考えていたわけでは無くペインクリニックを利用して痛みを和らげその上でリハを順調に進めたいと言うか身体の動きの改善を…と考えていた訳でそれが治療をと言う話になるのは…一年以上経過しているのだが改善の余地は有ると診察の結果どう出るかは判らないがね…。 注射は四箇所に触診で痛みを訴える場所にぶすりとして貰った。触診で痛みを訴えを聴いた上での注射だったから僕的な信頼度は高得点かも知れない。 その後用事を済ませて帰路に付き途中定食屋にてラーメンと餃子で昼食として食材を買い求めてから帰宅。帰宅後は食材を仕舞い部屋にて休憩。 夕食の時間が近づいてきたので台所に立ち買ってきた刺身は器に盛りつけアスパラとニンジンで軽く塩味の炒め物を作り食卓に並べ部屋にて晩酌をした。 注射の効果か左指先の痺れは薄らいでいるように感じはするが左肩に冠しても若干の効果は有るかも…と言うのが今の僕の感覚だ。 問診の時もそうだったが診察の時も疑問には色々答えて貰ってその応えも最初の病院の時のような疑問符が付く応えで無かったと言うのも好印象だったかもね。 取り敢えず左上腕部の件に関しては何らかの応えを得ることが出来るだろうからその次は左足の感覚の応えだな。
2006/05/30
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家を出て再び独り暮らしを始めるとしたら私は何を持って家を離れるのだろう?。 一番最初に家を離れたのは高校の寮に入るためで、高校二年の途中から寮を出た後は叔母の家に親には黙って居候を開始しそのまま高校卒業まで世話になり続けた。 高校卒業で数日は実家へ帰ったものの一月もしないで専門学校の寮へ入寮するために都内の下町で寮生活を送り翌年には卒業と共に退寮した。 退寮後は中野へ引っ越しをしアパートで独り暮らしを開始今度は新宿の専門学校へ入学通学して居たのだが、今度はアルバイトをすることになりそのまま何時しか学校へは行かなくなってそのままバイト生活へと…。 だが、そんな生活が長く続く訳は無く自堕落な生活へと変わり気づけばアパートを出されることになり、今度はバイト先の取り敢えずのアパートへと移り住み、お金が貯まるのを待って新井薬師の普通の家の離れを借りて住むことになった。 二十歳になった頃からこの離れに住み始め離れが解体される事になる七年後までこのボロ小屋の様な離れに住んで沼袋のアパートへ転居した。 ここでしばらく暮らした後で最初の嫁と出会い嫁のアパートに転がり込む形で新婚生活が始まった。が、妊娠を切っ掛けに水商売だけでは?と考えて昼間の仕事もすることを決めその縁で住まいを今度は保谷市へと変えた。 新しい住まいで子供を為したのだが、互いにしっくり来なくなるようになったのか?僕の浮気が原因だったのか離婚をする事となり母が亡くなった事もあって十数年振りに実家へと戻った。 実家へ戻って見たのだが実家での生活に馴染めなかったと言うことに子供が自閉だと言うことも判り子供の近くで生活したい…と考え半年少しで再び都内へ、今度の引っ越し先は阿佐ヶ谷だった。 阿佐ヶ谷で暮らし始め以前の仕事(水商売)に復帰したものの年越しの頃には二番目の嫁と出会い年を越えてすぐに一緒に倉し始めその夏には昼間の仕事に復帰し住まいも以前の保谷のマンションへと引っ越しすることになった。 んで再婚することになったのだが些細なことで意見が合わなくなりどうにも一緒に暮らして行くことに僕が難色を示し別居生活を送るようになるまでは三年過ぎていたかな?。 結果離婚に至ったのだが出会ってから離婚までは五、六年はかかったかな?。んで四年前に脳出血を起こして倒れて入院を始めるまで独り暮らしを続け、入院後三ヶ月で退院し実家に強制送還されるまでは都内で生活し現在に至っている。 再び独り暮らしを始めようか?と考えている訳だが独り暮らしをする上で何を持って出ようか?と考えると今僕に必要な物は?と考えるとパソコンでは無いかと考えている。 パソコンは現在も続く交友関係を築く元になっているし今後とも使い続ける物であると思うからだ。パソコンを使い始めたのは今から二十年以上前で、最初は字が汚い僕が字の汚さを隠す為に用い始めたのが最初だったが十数年ほど前からパソコン通信を始め今の交友関係の元になった関係を築き今に至る重要なアイテムだからで、パソコン以外の洋服とかも確かに必要だとは思うものの絶対では無いと考えるからで、僕が絶対必要としてるのはパソコンと考えるからだ。 再び都内に出るとしたら何をさておき持ってゆく物は?と考えるとしたらパソコンしか無いと思う。 と昨晩は考えて見たのだけれどよくよく考えてみたら電気や電話が使えたらと言う限定条件が付くから題名通り再び都内に戻るなら…という話だよね。んじゃ電気も電話も無い所になら何を持ってゆきたいのか?と考えてみたら何冊かの文庫本か筆記用具とノートかな?と考えてみた。 今日は午前中に農協に行って親父に頼まれた貯金の切り替えをしたのだが、ふと外貨預金は?と先日某ネットバンクからの外貨預金の誘いが高利率であった事を思い出し尋ねてみたのだがやはりというか皆無であった。定期でこんなに低利率であるなら利回りの良い外貨預金を勧めてみたいと考えが頭をよぎりはしたが止めることにした。 その後銀行に行き郵便局を経由して帰宅。で、先週からの引き続きの肩の怠さに加えて左足の違和感に出かける気にも為れずに終日部屋で過ごした。 夕方になるまで部屋で読書をしながら過ごし夕食の時間が近づいてきたので台所に立ち薯蕷をすり下ろしたり市販の餃子を焼いて食卓に並べ食事の支度を完成させ風呂の追い炊きのスイッチを入れた後は部屋にて晩酌をすることに…。 明日は脳外へ薬の残量が少なくなっているから行き次いでと言っては何だがペインクリニックにも立ち寄って話をしてみてその上で注射をして貰うのも良いかな?と考えている。もし肩に注射をして貰えたなら今の肩に関する悩みは解消できる事を期待しての事だが果たしてどうなる事やら…。
2006/05/29
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毎年Derbyが来ると競馬ファンは今年のDerby馬は…と目を輝かせて話すのだが、田舎で暮らして競馬への関心が薄れ始めて来ると馬券への興味も徐々に薄れると共にDerby?と言うみたいな気分に成りつつある。 米国産のサンデーサイレンスは現役時代とは裏腹に米国での種牡馬時代は評判倒れと散々に言われていた物だが、日本に種牡馬として輸入されると初年度から産駒は米国時の時とは違ってクラシック候補を送り続けてきた。 それは子供の世代だけで無く孫の世代でもクラシック候補を送り出し続けている事を考えると米国内では種牡馬として失敗した同馬だが日本では名だたる名種牡馬の記録を塗り替え続けるほどの成功を収めている。 今日はその産駒としては最後の世代のlastDerbyと成るのだが果たして産駒は有終の美を飾れるかどうか?。 僕としては日本の名手と言われる武豊が選ぶことの無かったこの産駒に今日の期待をかけたいと考えているが果たして結果はどうなる事やら…?。 結果はTV中継を見ることも無く気づけばすでにレースは終了していた時間となっていたのでネットで検索してみると…あったあった。春の二冠馬の誕生となった。 結果から言うと有終の美を飾れなかったのは残念では有るがすでに孫世代が頑張っていることを考えると日本に根付く血統になることは固いかも知れない。 ま、重い血統の二冠馬が誕生したと言うことは二年連続の三冠馬の誕生も有り得るかも?と言う可能性も出てきたと言うことかもね。 今日は終日外出すること無く部屋で録画を見てたりしながら部屋で過ごし夕方になって風呂場の掃除をした後で給湯を開始し台所に立って夕食のおかずの揚げ物を揚げて食卓に並べることにした。揚げ物以外はなめ茸と大根おろしを和えた物で一品とした。 困ったときの冷凍の揚げ物だから買い置きは無駄にはならないとは思うのだが、小屋にある貰い物の冷凍の肉類だけは何時も処理に困ってしまうことが多い。
2006/05/28
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今日は朝からボランティアとは言う物の目が覚めたのは六時前で出発するまでは二時間以上も前に置き始め仕方がないから朝から時間つぶしに昨晩の録画を見てから出かける準備を始める事と為った。 ボランティアと言っても貸与するパソコンを持ってゆきセットアップをして…と考えてのことだったが今日は小学校は運動会でパソコン教室は暇だろうと考えてゆっくりとセットアップを…と考えていると予想に反して中学生が何時もの倍も来てしまいセットアップを慌てて行うことと為ってしまった。 しかも本来は中学生が勝手にインストールして遊んでいるゲームなのだが、前は動いていたと言うのだがセットアップを終えただけのパソコンではどうにもエラーが頻発して動かない。 仕方がないから手を貸すことにしたのだが生憎とゲームに詳しくない僕だからパソコン全般の知識で動かない原因の特定に努めるも肝心要のゲームのセットアップの説明では出来ないのが不思議という程度でしょうがないからエラー表示が出たらエラーの原因と思われる表示からこれぞ!と思われる書き込みを洗濯してネットで調べて…行く内に一時間ほどで原因はDirectXに有ることが判明したのは終了時刻に為っていた。 取り敢えず原因と思われる物をネットで見つけてパソコンに組み込んで動作することを確かめられたから良しとしたいと思うのだが、肝心要のセットアップは不完全だったから来週にでもセットアップを完成させその上で今日の原因を取り除きたいと考えている。 家に帰宅後夕食のおかず作りを開始豚肉を茹でて酢醤油に山葵を加えて茹でた豚肉で和えて一品添える形で薯蕷を小鉢に入れて食卓に並べ部屋にて晩酌。 晩酌後は部屋で寛いで居るのだがどうにも田植えの後の筋肉疲労が抜け切れていないようで節々が痛んで居る。どうにも疲れが抜けにくい身体になってしまっている様で体質改善を望みたいところだ。 さてと今宵も疲労回復に努めたいところだが上手く行くかどうかは定かでは無い…。
2006/05/27
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健康な身体を持つと言うのは珍しい事では無い。当たり前のように身体を動かし無意識に身体を向けたり身体を使うと言うことは殆どの人間は何も考えること無く極当然の事として身体を使っている。 健康な頃の私は身体が動くことを当たり前の事動いて当然のように考えて居たのでは無かろうか?。自身が健康で無くなるまではね…。 健康を害した身体になると動いて当たり前と考えていた身体の動きという物は全ての身体の部位が極普通に動いてこその物で有り何処か一箇所でも動きが悪くなったり普通に動かなくなっただけで他の動きまで挙動を怪しくしてしまう物だと言うことが判ってきている。 言い方を変えるなら健康な身体と言う物が如何に微妙なバランスの上に成り立っているか?と言えるだろう。例えば肩の一部の筋肉の動きが悪くなったとしたら他の筋肉が動きの悪くなった筋肉の動きを庇うように無理をしがちに為ってしまい結果他の筋肉に今までとは別の動きをさせて全体のバランスが崩れてしまう事にも為りかねないと言うことだ。 健康な身体とは身体全体が普通に動いて居てこその普通に他ならず決して過信出来るような物では無いと言うことだ。 最も、自身が健康な身体を失って始めて考えさせられた事で有り本当なら健康だった身体を失う前に考え気をつけなくては為らなかった事だから気づくのが遅すぎたと言えるのかも知れない。 今朝は起きたら体中の関節が軋むような感じを覚えた。昨日の手伝いは?と考えるとこんなに体中が軋むほどの作業だったとはとても思えないのだがそれでも軋むように感じていると言うことは身体がそれほど鈍ってしまっている?か後遺症の残った部分を身体が補って動かしていたために負荷が大きくこんな風に影響が出たのかも知れない。 ま、原因を考えるとあれこれ考えることは出来るものの来れに対する回答は僕自身がこの身体の現状を受け容れるしか無いだろうと言う事だけは間違いないだろう。 と答えは判っては居るのだが今は示談を進めることが先では?と考えているからね…。 今日はのんびり起き出して昼前には家を出て夕食の食材を買いに出かけたのだが買い物をする前には岡崎でラーメンと親子丼で昼食とし隣町の大型スーパーで食材と共に晩酌用の発泡酒を買って帰路に付き途中でコンビニに立ち寄ってアイスクリームも購入してから帰宅。帰宅後は買ってきた食材を冷蔵庫に仕舞い出かける前に婆に用意して貰ったニンジンとジャガイモと冷凍庫に眠っていたフランクフルトで野菜のポトフを作って夕食に備え田植えで使った泥に汚れた服を洗濯機に放り込んで洗濯を開始した。 一昨日叔母の息子の家に貸し出していたパソコンがひとそろい帰ってきたので、交換する形で親父の妹宅のと交換し、更に親父の兄貴宅のモニタが使えないと言うのでそこの家にモニタは置いてきたので持ち帰って居た古いパソコンは明日ボランティアに持ってゆき壊れたパソと入れ替えようと考えていたから明日に備えてケースの開け閉めの方法を確認したりして過ごした。 夕方になって夕食の時間が近づいたので作ったポトフにキャベツのざく切りを加えて煮込み完成させ器に盛りつけ心太も小鉢に盛りつけ食卓に並べ部屋にて晩酌。 晩酌のお供は今日もワイドショーなのだが秋田の事件もそうだが犯人はなかなか特定出来ないのは何故なのだろう?。今回の事件は元が女の子の水死事件が元ならそちらに重点を置いて考えたら判りそうな物では?と素人考えでは思うのだがね。 己が子供の頃の周囲の環境その他を考えると全く変わって来ているのは理解しているつもりでは居るのだが子供達の考え方も全く違って来ているのでは?とも考えると第三者的に批判めいた事を考えてしまうのも何だかだよね。 さてと今宵はまだ身体に疲れが残っているからベッドでゴロゴロ過ごす事にしようかね。
2006/05/26
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地域差の出る田植えのシーズンだが北東北のこの地域では田植えシーズンの終盤に差し掛かっている所と言えそうだ。 今朝は起きると速攻で一服用のパンを飲み物を購入に隣町まで出かけ、買ったらすぐに自宅まで戻り慌ただしく着替えて今度は家の裏から田んぼまで苗運びに明け暮れた。今年で三シーズン目と言うこともあって苗運びは手慣れた物とは言っても事故の後遺症の影響が出るところは使えないから動かせる所だけ使って苗を運ぶ事に終始した。田んぼから見える周囲の山並みは軒並み緑が映えて居るのだが、一箇所だけ八幡平の尾根らしき物が見える場所があってそこだけは未だに尾根の一部には白い雪が残っているのが見える。 ま、ちょっとした高地では雪が残っているのは珍しい事では無いから…と言っては見たものの標高で考えると同じ様な高さの山には雪が残っては居ないことを考えると特殊な気候と言えるのかも知れない。 ン十年振りで三シーズン田植えの手伝いをしているわけだが都内にもし戻ることがあったら田植えに手伝いできていた遠縁の人達とはひょっとしたらもう遭うことも無いのかも?と考えると不思議な感じがした。 結局好天の中終日田植えに外に出て夕方になって帰宅。裏の畑で夕食に使うアスパラを収穫し台所にてアスパラと椎茸の素焼きと鯖の水煮を使って大根おろしと合わせて一品の計二品で夕食のおかずとし食卓に並べて自室に戻って晩酌とした。 好天の中田植えを手伝ったからか首筋とかがひりひりするからひょっとして日焼けをしたかもしれない。歩行の面ではどうにも足の運びが悪くなっている様で少し距離を歩いただけで足の裏が痛くなるなんて働き始めたらどうするの?と言う感じかも…。 そういや、事故の後遺症と言えるかも知れないのだが?握力が弱くなってきていると言うか何か物を掴もうとしたときなど手首に痛みが走るのは何故なのだろう?。交通事故以前には無かった事が幾つか見つかるとまたこれも後遺症なのかな?と言う意識が出てきてしまう。 さてと、今宵は風呂にでも入って昼間の疲れを洗い落として寝ることにしたいのだが…。
2006/05/25
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今でこそ日本中でブロードバンドと声高に叫ばれるようになりはしたがインターネットの世界が現在も広がり続けては居てもそのインターネットですら高々十数年の歴史しか無い。 パソコンの世界ですら今のようにWindowsで誰でもが使えるようになって十数年にしか為らないのだが今では何処でもネットに繋いで捜し物をすることが当たり前に為りつつ有るように感じている。 技術の進歩は人々に多くの事を教授してくれるから有り難いことでは有るとは判っては居てもその技術を生かすことの出来ない人にとっては高嶺の花で有り続けることには変わりは無い。 僕的には二十数年前からパソコンに興味を持ち所有し触り始めパソ通を始めそして月日は流れ当然のようにインターネットを始めた人間にとっては現在の流れは得に奇異とも感じていない。 また、都内では各家庭に一台はパソコンが普及している現在ではネットが使えると言う事は当たり前とも考えるのだが都会と田舎のパソコンの普及率の違いはそのままネットの普及率の違いにも為るわけで声高に叫ばれるブロードバンドの普及には少々違和感を感じざるをえないのだ。 我が街の各家庭でのパソコンの普及率は三割に満たない程度でネットに繋げる環境に有ると言うのはその中の一割程度?と言う環境でネットが身近な物か?と言うと都会ほど身近な物であるとは言えないやね。 そんな中で昨日中学生に聞いた話だが学校の授業でこのところはネットで調べなさいと先生が言っていたと言う言葉は世間的な常識?的な発言だったのかも知れないとは思うが、地域の特性を無視した発言では無いのかな?先生の発言としては問題が有るのでは無いの?と考えさせられてしまった。 パソコンはそれだけでも使えるがネットに繋いで使うのは当たり前と考える僕だからネットに繋いで検索したら…とは思いはしても街の中でのパソコンの普及率を考えてもネットの利用を考えても何だかね…。 もっとも、僕の頃はパソコンを使えなくても何とかなった世代であるが、昨今の学生の学校内外でパソコンを使えることが当たり前的な状況を考えると普及は速やかに行われなくてはいけないと思うのだが…。 今朝はのんびりと起き出したものの昨日の約束で昼前には出かけなくてはいけなかったので約束の時間までを録画を見たりしながら過ごし電話を入れて約束の時間にはまだ間があったけど出発することにした。 叔母の家に到着後昨日不具合が出てしまったソフトは一旦削除してOSのアップデートを行った後で不具合のあったソフトを再インストールしてみたところ問題無く動作することを確認。以前家で同じソフトを使用していたときに古いOSでは問題出まくりだったのだがOSのバージョンを上げることで使用できた経験を同様に生かすことが出来て良かった。 叔母の家で昼食を御馳走になりセットアップを完了してフリーのウィルスソフトを導入して本日の作業は完了した。ネットオークションを試みたいという願望が有るようだから画像のアップロードが上手くできないとの事であるから近日中に再度伺うことになるかも…ね。 近場の身内?で子供の頃から知ってる相手だからと言う事もあるがパソコンを普通に使う人が近在に増えるという事はパソコン普及率の低い土地にあったは良い啓蒙活動になるやも知れないからと言う下心が無いとは言えないよね。 取り敢えず本日の約束を果たして帰宅し家で夕方まで寛いだ後は風呂場の掃除をし給湯を開始し、夕食の準備で揚げ物を揚げ大根おろしを作ってシラスおろしとして食卓に並べ給湯を止めた後は部屋に戻って晩酌を楽しんだ。 今日の昼は他所のお宅で御馳走になったのだがお金を支払って食べるというのでは無く自分以外が作った食事を食べる機会が少ないと他で食べる食事に感動しそうになる自分が居る。 さてと今宵ものほほんと夜を過ごし明日の田植えに備えたい所である。
2006/05/24
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朝から天気は曇り何となくダラダラと過ごして居ると叔母の息子が昨年貸し出したパソコンを持ってくると連絡を入れて来たので届けるのを待ってしばし談笑した。 談笑した後で部屋に戻りさてどうしよう?と考えたらもう一人の叔母の息子に貸し出しているパソコンと交換することを思い立ち連絡を入れると後少しで家に帰ると聞いたので家までパソコンを運び貸し出していたパソコンを本体モニタ事交換し取り敢えず使えるようにした後で夕食をごちそうになって親父の兄の家に向かい壊れて使えないというパソコンのモニタを使える物を貸し出し、その後プリンタやデジカメとの接続を出来るように帰宅した。お親父の妹宅の子供も親父の兄の孫達も最近の御子様達を取り囲むパソコン事情は急激に進んでいるようでパソコンを家で使えるような環境と言うのは必須になりつつあるのは明白と言えそうだ。 僕的にはパソコンを使い始めたのは二十年以上前からであるから使える環境であるというのは当たり前なのだが都会みたいに一家に一台という環境は有り得ない田舎のパソコン環境で都会と同様の事を求められても対応できない家が多い土地では子供もそうだが親にとっても負担は少なくないから何だかな…と思わざるをえない。 午後から家を出たのだが家に帰り着いたのは夜の九時過ぎだから何か疲れた火曜となった。明日も昼にはもう一度親父の妹の家に出かけセットアップはするつもり…。
2006/05/23
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朝起きると親父から声が掛かって言われるままに取り立てのアスパラと椎茸を叔母さんの家に届けることとなった。出かけることは今日明日にでも夕食の食材を買い求めなきゃいけないと考えていたので渡りに船でもあった。 道路は混む事も無く順調に流れ叔母さんの家に到着。姪に届け物を渡し近くの姉の家にも分けて貰うことにしてしばし姪と話し込んだ。 姪に引き籠もりと言われる僕だけど、姪から言われるほど引きこもっているつもりはさらさら無いしそんなことを言ったら姪の方が余程に心配かも知れない。 つか、かつて心に病を抱えた娘さんの話し相手になっていた事が有り対応は凄く微妙でデリケートであると判っているだけに姪の事は余り言わずに山菜採りとかの話に終始した。 そのまま帰路に付くと関西の友から連絡が入ったのでしばしお話をして考えさせられたのは良くも悪くも若い頃のようながむしゃらさが自分には欠けてしまって居るのでは?と言うことだった。自分のことはさておいても今日から新たな出発と言っていたから声援を遠くから送りたいところ。 大型スーパーで食材と晩酌用の酒を買って帰宅。昼は買ってきた物で済ませのんべんだらりとした午後を過ごし夕方には夕食の準備でレトルトのハンバーグと自家製の温野菜で一品作って食卓に並べようとしたところで汁物が無い事を発見したので急遽餃子スープを作って食卓に並べ風呂の追い炊きのスイッチを入れて部屋に戻って晩酌をした。 今日も晩酌のお供はワイドショーだったのだが引き籠もりが親を殺したと言う事件が取り上げられているのを見て自分も端から見たら引きこもって居るように見えるのかな?と他人事には思えなかった。 さて今宵もぼーっと夜長を過ごすとしようかね。
2006/05/22
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友人の一人に連絡を入れてみた。すぐには連絡は取れなかったのだがその日の夕方には連絡が入ってきた。 連絡が取れないからひょっとしてまた入院でもしたのかな?と考えていたら連絡が取れて確認をしてみると案の定入院中で明日は手術と言うことだった。 友人なのだから何か元気ずける話でも…と考えてみたのだが気の効いた事が思い浮かばず他愛の無い話に終始してしまった。 昨日今週末には退院するかも?と聞いていた友人に電話を入れてみると電話に出なかったからまだ退院はしていないのかな?と考えていると夜になって携帯に着信が入っていたので退院してると考え電話を入れてみたところ、退院は来週初めになるとか?。 入院してからの経緯を聞いてみると倒れた病気以外にもいくつか別の事が解ってそれゆえ入院が長くなってしまったとか…。しかも退院は一応はするけどまた時期がきたら再入院して手術を受けなくてはいけないとか…。 大変だなとは思いはしたが話が出来たことで安心出来た気がしたからそのまま伝え後日の再会を約束して電話は終了。 入院生活が大変なことは頭では解っては居るのだけれど、それでも似たような症状で入院してみないと解ってあげることは難しいのだろう。 友人として何かしてあげたいと思っては見たが動けぬ自分の状況が何だかもどかしい限りである。 友人知人と言うと一般的には同年代が多かったり年下の人達が多いのでは無かろうか?。僕の友人で同年代の人は確かに居ることは居るのだが、圧倒的に多いのは人生の先輩と呼べる人達が多いのは僕がどうしてもいい歳をして甘えがちな所が残っているからだろうか?。 多くの友に今後ともよろしくねと声を大にして言いたい。そして健康で居続けてねとも願いたいところである。 今日は終日部屋で過ごすことになった。外出は午前中にスポーツ新聞を買いに出かけた事と、午後から親父の一服を買いに出た位で部屋でゴロゴロ過ごして見たり録画鑑賞をしていたりするだけの一日となった。 夕方には夕食の準備でコロッケを揚げたり肉巻きを焼いたりして皿に並べ心太を小鉢に盛りつけ食卓に並べ部屋にて晩酌。 とこんな風に一日を過ごしたのだけど本当は更新を去年の九月から行っていなかったHPの更新をわずかづつだが行い始めて居るから出来るだけ早くに行ってしまいたいところだがなかなかね…。 ま、有る程度復活出来たなら片方の処理をどうするかは考えなくてはいけないのかも…と思っている。 取り敢えずリハビリの方は肩から肘への痺れを考えながら行いたいと考えているのだが、考えていても痺れは抜けやしないからペインクリニックを検討すべきなのではあるまいか?。 今夜は取り貯めた録画を鑑賞し来週の録画に備えたいと考えている。
2006/05/21
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早朝から家業の手伝いを頼まれ起きて早々に着替えて裏山に登って山葡萄の畑に入って農薬散布の手伝いをすることになった。 僕の記憶が確かなら昨年の同じ時期は山葡萄の葉が茂っていた気がするのだが今年は冬が僅かに長かった所為もあるのか山葡萄の生育は若干遅れ目の様子であった。 例年だと茂った葉陰に点在するように見えるたんぽぽが今年はまるでそこら一面に植えたかのような姿を見せて居るではないか!思わず綺麗だな…と少し見とれてしまっていた。 僕がまだ幼かった頃は裏山はリンゴ畑で今の時期ならリンゴの花が咲き乱れて目を下に向けて地面に咲くたんぽぽに目を向けることは無かったろう。幼かった僕はリンゴの木に登って遊んだ記憶が今も残っている。 そういやたんぽぽをこんなにまじまじと綺麗だと見た事なんて初めてでは無いだろうか?。小さな頃から春になればそこら中何処にでもたんぽぽは咲いていたから綺麗と眺める対象とは考えたことが無かった花だった。 でも改めてよく見てみると綺麗な黄色をしていたのだな…とちょっぴり感動を味わった気分だった。 と昨日の雑感を書いてみた。 今朝は気が付いたらまだ五時少し前だというのに外はすっかり明るくなっていた。とは言え余りにも眠かったので二度寝をしたのだがボランティアに出かける時間には起き出して着替えて持ってゆく物を揃えて家を出た。 何時もの様に途中でコンビニに寄り朝食代わりのサンドイッチと日中飲むお茶のペットボトルを買ってボランティアの場所に向かいボランティアを開始。 本当はボランティアの開始の前に事務の人と世間話をしばしした。二人とも同い年と言うことも有ってか適当な話題には事欠かない都内に住んでいたことも有ると言うからね。 今日のボランティアは起動ファイルが請われてしまったパソの初期化と再セットアップが主たる目的だったのだがやはりというか予想通り一日がかりの作業となった。昼は事務の人の好意でピザを分けて貰い食べ今後のパソについてあれやこれやと話をしてみたのだが御役所仕事は自由に出来る事がほとんど無いので難しいだろう。僕もそんなことは知っているのだがそれでも一応は話をしてみなくちゃと考えてのことだった。 あれやこれやでどうにか一台のセットアップは完了したので来週にでももう一台の再セットアップを行いたいと考えている。 終了時刻までボランティアをして帰宅ししばし部屋で寛いだ後に台所に立ち豚肉とモヤシの炒め物を作り加えて汁物が無かったので汁物も作って食卓に並べた後は風呂の追い炊きのスイッチを入れて部屋にて晩酌。 晩酌の友は取り貯めた録画なのだが全部見るには半日以上は掛かってしまう量だから見たのはニュース番組からとした。 さてと今宵ものんびりと録画でも見ながら夜長を過ごすことにしようかね。
2006/05/20
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我が街の屋根と言えば当然八幡平に連なる峰々と言うことになるだろう。たまたま午後に出かけて時間が有ったからふと街の屋根に連なる道路を通り抜けてみようと思い立ち秋田県境の村まで車を走らせた。 通ったルートと言えばその昔九戸氏が花輪の敵を攻めたときに使ったルートの間逆を通って屋根へと通ってみたのだが五月も半ばを過ぎたというのにやはりというか道路沿いには残雪がちらほら残っていた。 今は誰も住む者が居なくなった袰部だが第二次大戦後は開拓地として開け小学校まで出来るほどの人が居た地域だというのに今じゃ人っ子一人暮らさぬ地域となって数十年も経ってしまっている。 僕が産まれた頃の古い地図には家屋が有った事を示す家屋表示が袰部には幾つもあったのだが、通り抜けた道路脇には家が建っていた事を示す物としては道路からの引き込み跡程度しか残っては居ない。 ま、人工が減ってしまったのは山間部だからと言う訳では無くて街全体の人数も減り続けていて僕が産まれた頃の半分位しか居ないのでは無かろうか?。 それゆえ街で全部で七つあった小学校は今では統廃合でたったの二つになって通った小学校はすでに取り壊されてしまっているからね。 街の屋根に行く道すがらあれやこれやと想いを巡らせ馳せては見たけど正直明るい話題は一つもないのが現状だろう。 ただ、明るい話題が無い今だからこそチャンスも沢山あると言えると思うのだがそのチャンスも見出す人が居てこそチャンスと成り得るのだろう…と思い浮かばない僕は誰かが気づくことを祈らずには居られぬ気分だ。 今朝は六時過ぎから親父の手伝いで農薬散布を手伝うはずが親父に起こされたのは五時半だった。五時半と言っても外はすっかり明るくなっていて思わず時計が狂っているのかと考えたほど。 着替えもそこそこに家の裏手の畑から裏山の畑までたっぷり六時間以上かけて農薬散布を手伝った。軽作業で有ることは知っては居たのだが、意外にも後遺症の残ってる身体には結構強い作業となった。 昼近くまで手伝って何とか終了し午後からは疲れも有ってかベッドの上でゴロゴロと過ごしてしまった。最も只たんにゴロゴロしていた訳でも無く風呂場の掃除をしたり洗濯をしたりもしていたのだがね。 夕方になって夕食のおかず作りを開始。本日のメニューはアジのフライにキャベツの千切りもう一つは薯蕷をすり下ろし味を付けてご飯の上にかけて食卓に並べ風呂の給湯を開始して部屋にて晩酌。 晩酌のお供はワイドショーの録画なのだがお隣秋田で小学生が殺されたという事件なのだが追肥と月ほど前に事故として処理された事故死?と関連が疑われると聞いてしっかりしろよ警察!と言いたくなってしまった。 そりゃ殆どはしっかり警察は頑張って居ると思うのだが、時々こんな風に失敗?が見つかるとどうしても全体が駄目なように見えてしまいがちだからね。 さてと今宵も酒でも飲みながらのんびりと録画鑑賞して過ごすかね。
2006/05/19
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昨日自転車でひーひー言った身体だから翌日はきっと筋肉痛に悩まされることに為るのでは?と考えていたのだけれど、翌日目覚めてみると心配していた足の筋肉痛は無かった。 と言う事は身体自体のポテンシャルは二年振りの自転車に乗った程度では筋肉痛を起こすことは無いと言うことで改めて自身の身体を産んでくれた両親に感謝したいと改めて思った。 ただし足に限っては筋肉痛と言うことは無かったけれど左肩に関してはハンドルを押さえた手を身体で支えたと言う負荷が掛かったからか左肩だけは非常に重苦しさを感じている。 同じように右肩にも負荷は掛かったはずなのだが右肩に重苦しさが無いことを考えると左肩が重苦しいのは事故の影響が大きいと言わざるを得まい。 つか事故を起こす前年にはリハビリで自転車には良く乗っていたのだが自転車に乗って左肩だけが重苦しくなると言う事は無かったからで交通事故の後遺症として左肩の動きが制限を受けていると言うのが今更ながらに判ったと言うべきかも知れない。 元が健康で丈夫な身体だったから事故以前の身体に戻りたい戻したいという想いは今でもあるが現実的には元に戻すと言うことは半分は諦めねば為らぬのかも知れない。 んじゃあ足の運びは?と言うとこちらはこちらで改善の望みが無いと決まったわけでもないから昨日同様のトレーニングをこなして何とか改善の道を探りたいと考えている。 自転車に乗って左肩の違和感を感じなく為る頃には再びバイクに乗ることも出来ないわけでは無いと考えるからバイクライフを取り戻したいと願っている。つか自転車に乗れる時点でバイクにも乗れるだろうとは自分では考えているのだけど、それでも長時間は難しいかな?今の自分なりの判断かな?。 そういや、昨日自転車に乗って小学校への通学路を走って居るときに砂利道になって運転が怪しくなった時があったけれど、何が危ないと言うと肩の動きと腰の押さえが効かずに危険だったと思うからその辺をスムースに出来なくてはね。 今朝は目覚めと共に親父から野菜の宅配を命じられ早々に着替えて盛岡の姉と叔母の家に野菜を届けた。そりゃ取れたての新鮮な野菜が届くのだから貰う方としては文句は無いだろうけど、運ぶ身とすればどうせ運ぶならまとめて大量に…と考えるのだが居候としては否とは言えないから仕方が無いかな。 野菜の宅配を終えた跡は四月一杯まで通った病院に行き診療明細のコピーを貰って帰路に付き途中でラーメンでも食べて…と考えたが時間が早かったのでマックのドライブスルーにてハンバーガーを買って食べながら帰宅するつもりが百円バーガーはいつの間にか終了していたので仕方無く普通のハンバーガーを買って食べながら戻る途中で食材と晩酌用の酒を買い込んで帰宅。 途中で明日手伝う農薬散布用の農薬を購入して…帰るつもりが肝心な農薬が届くのが昼過ぎだとか言われたので一旦帰宅し購入してきた物はそれぞれしまい込んで昼寝をしたところで農薬を取りに行って帰宅。 夕方になって夕食のおかずを作り始め取り敢えず食卓に並べて部屋にて晩酌をした。 かれこれ通院終了から三週間ほど過ぎたわけだが頑強に残る後遺症は何処か?と言うのを自分でも明確に此処に強く残っていると言える様に為ってきている。最も明確に出てるのは左肩にべったりと張り付くような痺れと可動域の制限だろう。 そりゃ脳出血の後遺症として左肩に多少違和感が無かった訳じゃ無いが、それでもここまで酷くは無かった以前は上方にあげずらいというのは有るには有ったけど今みたいに痛みを感じることは無かったし以前は可動域の制限は無かったからね。 次に感じているのは左足の膝の筋肉だろうか?以前は時々足を引きずることは有ったのだが、今みたいに歩いて足に痛みが走る事なんて無かったからね。 そういや保険会社から手紙が届いていたから電話を入れて内容の確認をして返信する旨を伝えて置いた。一応今後の予定としては二ヶ月以内に自賠責の判定が出るだろう…との事だった。本心で言うなら争う気満々なのだが判定が出るまでは迅速に進むことを願って言いたいことも言わずにおくことにしている。 さてと今宵はなるべく早く休んで明日の早朝からの農薬散布に備えたいと考えている。肩に痛みと張りを感じているから風呂に入って暖かくして血行を良くしてから寝た方が良いかもね。
2006/05/18
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時間が出来たので小屋の奥から自転車を引っ張り出してタイヤの空気が抜けていたから補充して一昨年リハ用として使っていた自転車を二年振りに使ってみることにした。 昨年の事故以来歩様が少し怪しくなっていたので大丈夫かな?とは思ったのだが脳出血で倒れたときだって自転車に乗れるようになったらリハビリはもう終わりだよと言われたことを思い出していた。 右足で押し出して何とか乗り込んでペダルを踏み出してみると歩様に難のある左足の運びはぎこちないものの自転車は意外にもスムースに走り出していた。 小学校の頃の登校路を自転車で進んだのだが当時は交通量の少ない山道を…と言うことだったので足への負担はそれなりであった。二年前の頃にはこんなに足に負担を覚えなかったのだが去年一年交通事故の影響ですっかり歩く機会が激減したのも影響したのだろう、通学路を越えて山を下り歯医者への道程はとてもきつく、やっとたどり着いた岡崎で昼食を食べようと自転車を降りるときには足下がふらついて転びそうになったほどだ。 好きな味の岡崎の筈が歯への詰め物が取れていた所為か味は今ひとつと感じたほどだった。食後は駅前まで出てお茶を飲んで午後からの歯医者の時間を待って歯医者へ行き取れた詰め物を再度詰め直して貰い他は微調整して貰った。歯医者では待ち時間が結構あったので少し寝ていたかも知れない。 帰りは下りだから気楽なもんだと自転車をこぎ出してみると下りは確かに下りなのだがやませの吹く地域の特性か下りで楽なはずが向かい風で全然楽には帰っては来れなかった。 慣れてきたら毎日でも続けたいと思うのだが取り敢えずは隔日にでも往復12kmを走って足の運びが出来るだけスムースに出来るように続けたいところだ。 自転車だから足にだけ効くかと考えていたのだが、意外にもハンドルを手で押さえるから肩にもそれなりの負担が掛かるみたいで帰ってきた頃には左肩が張っていたところを考えると肩にも負荷を与えられると言う事が解ったのも良かったかも。 取り敢えずは腕立て伏せと腹筋と自転車だけでは有るが無理せず続けてゆきたいと考えている。 昨日の今日で疲れが残っては居ないと考えたのも束の間疲れは確かに残っていたようで朝起きてから結局一度は親父の一服を買いに出かけてきたものの終日部屋でゴロゴロ寝て過ごすこととなった。 夕方にはアスパラと揚げの煮物を作り夕食の時間が近づいたところでショウガ焼き擬きを作って食卓に並べ部屋にて晩酌。 こうして今日も昨日と大差ない夜を過ごすことと為った。夜はこのまま酒でも飲みながら録画を見て過ごすことと為るだろう。
2006/05/17
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麦酒の味わいは捨てがたいけど財布にやさしい発泡酒を毎晩のように晩酌で飲むことが多いのだけれど、空き缶を見るとそこには「その他の雑酒」と書かれていた。 そりゃ麦酒では無い麦酒擬きの発泡酒ではあるけれど、だけど麦酒の如き喉越しで麦酒と比べても家計に優しい発泡酒として人気も知名度も広く知れ渡っている発泡酒がその他の雑酒?と言う表示は如何な物だろう?。 人気も知名度から言ってもその他の雑酒という表記には如何な物かと僕的には思うのだが如何かな?。 朝は普通に起き出したものの親父に言われるままに叔母さんの家まで山菜を届けることを命じられたので命じられたままに着替えて帰りには歯医者に寄ってくるつもりで着替えて車で出ることに…。 途中で自動販売機でお茶を買ったのがけちの付け初めで叔母さん家に到着してみたものの誰も不在で仕方がないから屋外の冷蔵庫に入れて帰路に付いた。 が、ふと財布に手をあてると入れていたはずの財布がない車の中に落ちてる様子が無い事から考えるとお茶を買ったときに落としたのだとさっさと家路を急ごうと車を走らせていると親父から電話で財布が届いているとのこと。 取り敢えず家に帰り玄関で財布を手にして再び家を出て歯医者に行ってみると午前中は休診で今日は午後だけ…というので一旦家に帰ったもののさてどうしようと考えてリハビリを兼ねて自転車で行くことを思い立ち出かけることにした。 行く道は普段走り慣れてる道路ではなく懐かしい道を選んで岡崎まで行きラーメンライスで昼食として友人に電話をしてみると不在だった。 そのまま歯医者に向かい歯の治療をして貰ったのだけども治して貰うのも三度目では信頼性が有るとはとても考えられないけど仕方がないだろう。 歯医者を終え帰宅ししばし部屋で寛いだ後で夕食の準備に台所に行きキャベツの千切りを作り鮭のフライを揚げ一品もう一品は心太を小鉢に盛りつけ食卓に並べ自室に戻って一人晩酌を楽しんだ。 晩酌後はゆっくり酒を飲みながら何時もの様に録画を見て過ごしていると携帯が鳴ったので出てみると友人からだった。 ひょっとしたらまた入院したのかな?と危惧した予想が的中していたようで明日手術だとかここ数年年に何度となく手術を繰り返して慣れているとは言え何だかね…。気の利いた言葉が言えるわけもなくありきたりの言葉しか掛けることは出来なかったが術後は苦しいとこぼしていたからなるべく楽に過ごして欲しいと願うことぐらいしか出来ない。 友人との電話が済むと今度は別の知人から電話が入りあれやこれやとネットの質問を受けたので答えられる範囲で答えて置いた。この知人は新たな幸せを見つけることが出来た様だからそれなりに上手く行って欲しいかな。 さて今宵も夜長をのんびりと過ごす事としようかね。 そういや、今年中に新たな自作を模索しているのだけれど欲しい物ばかりで考えているととんでも無く大きなマシンに仕上がりそうで凄く不安な気分と言うか何というか?。理想のパソって難しいな…。
2006/05/16
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母の日に最後に贈ったのは何年前に為るだろう?。実母は亡くなってからすでに十四年も過ぎてしまっているし母が亡くなった後は新宿のおっかあに母の日は花を贈っていたように覚えているがその新宿のおっかあも亡くなってからは誰にもあげてないのだな…と思った。 今更ながら考えるでもなくつくづく親不孝な息子だったのだなと思わずには居れない。数えられるほどの孝行しかしていないのだが、親不孝の数は数えようと思っても数え切れないほどと言う有様では押して呵るべしかもね。 親孝行出来ていますか?親孝行したいときには親は無しとは良く言った言葉だと思ってしまうが、何時か母に尋ねることが出来たなら貴方の息子は良い息子だったかどうかを尋ねてみたいと考えている。 そういや亡くなった母には未だに頼み事をその時々にしてしまって居るのだが、それは僕の友人知人で亡くなった人達とあの世で仲良くして欲しいと僕が頼んでいるのだが、いずれ再び逢えたなら開口一番に呵られてしまうのかも知れないな…。 今朝は起きると共に昨晩録画しておいた色んな番組を見ながら過ごし隣町まで買い物に出かけ晩酌用の酒と昼飯用の弁当を買って帰宅。帰宅後は早速弁当を食べた後は洗濯をして夕食の準備にアスパラを湯がいたり冷凍庫から肉を出したりしながら洗濯物を干して午後は終了。 夕食の準備の時間を見計らって台所の方に行き風呂場の掃除&給湯を開始し今夜の豚肉とアスパラの炒め物の味噌タレを作ったところで大根おろしを作ってホタテの塩からと和えて一品とし、解凍した豚肉を適当な大きさに切って焼いて火が通った所でアスパラを加えて炒め仕上げに味噌タレで味を調え皿に取り分け食卓に並べて出来上がり。頃合いを見計らって給湯を止めたところで部屋に戻って晩酌をすることに…。 晩酌後歯茎に引っかかった肉片を取り除こうと爪楊枝を使っていると先週治して付けて貰った詰め物が驚くほどあっさりと取れてしまった。これじゃあどうしようも無いから明日にでもまた歯医者に行って付けて貰わなくちゃね。 冷凍庫にはまだ食材は残っているから特に買わずとも二日三日は何とかなるから何とかなる内は買い出しは控えようと思っている。 さてと夜はまだまだこれからだから夜長はのほほんとのんびりと過ごしたいところ…。
2006/05/15
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朝っぱらから婆が部屋にやってきて買ってきた魚を昼間料理をして欲しいと言ってきた。叔母との話でおかずの調理は夕飯の時だけと言う約束に加え、何を考えたのか買ってきてある魚とはウナギの蒲焼きじゃ調理と言っても限られてくる。 おまけにウナギの蒲焼きを買ってきた直後に婆が言ってのけた一言はこれを煮て…ウナギの蒲焼きを煮て何を作れと言うのだろう?。作る物が決まっているなら自分で作れば良いのに僕に調理を依頼されてもね…。 ウナギの蒲焼きだから取り敢えず焼いてタレをかけて鰻重にでもと考えたのだがタレは何処を見ても入って無かったのでやむなく昼はウナギを揚げて皿に載せて出したのだが婆は一言美味しくないだとさ…。 う巻きにするにはウナギが大きいからと夕飯はウナ玉子丼にすることを決め親父に頼まれた油と一服を買って田んぼに届けた以外は部屋で過ごし夕方には台所に立ちアスパラを湯がいて簡単なサラダとしてウナ玉子丼を作って食卓に並べて部屋に戻って晩酌をした。 取り敢えず収穫されたアスパラ半分は湯がいて使ったのだけど残ったアスパラは明日までにはしなびてしまうのでは?と考えると食べる分だけ取ればいいのにと思ってしまうのは僕だけだろうか?。 新鮮で美味しく食べれる野菜と言うのは瑞々しいからこそ美味しいのであってしなびてしまった野菜に美味しさは少しも感じないに違いない。 野菜にしてもそうだが自分で調理方法も考えないで買ってきた魚を僕にどうしろと言うのか?とついつい腹を立ててしまう僕が居る。 血縁関係のある僕でさえこんなに我慢が出来ないと感じている婆だけども、血縁関係の全く無い親父はよく我慢できる物だと考えさせられてしまう。 子供は自身の親を超える事を目指す物と聞くのだが、平凡?で有る親父の人生で有るがしてきた事を考えると僕にはとても出来ない事ばかりで僕はとても親父の背中を乗り越えることなど出来ないのでは?と考えさせられている。 さてと今宵も夜長は録画でも見ながら酒でも飲んで過ごそうかな…。
2006/05/14
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街や道路の片隅で老人を見かけるたびに優しい気持ちに為れるのだが、何故だか家だと婆に対して優しい気持ちに為れない自分が居るのはいったいどういう訳なのだろう?。 老人に対して偏見を持っているとは自分のことは思わないけど、外で見かける老人と家で休んでいる婆とを比較して考えると同じ老人に対してこんなにも違う考えを抱いてしまう自分の考えを何故だろうと思わざるを得ない。 街で困った老人を見かけると手を差し伸べてあげなくちゃいけないなと素直に感じる僕が居るのは事実なんだが、家で婆がよたよたと歩く格好を見ると冷酷に先は長いことは無いなと考える僕が居る。 不思議なもので幼い頃から一緒に暮らした婆への感情と一緒には暮らしてこなかった親類の婆への感情は哀しいほどに違ってしまったのは何故なのだろう?。 母方の祖母と父方の祖母への思いは天と地ほどの開きが生じてしまっているが幼かった頃からそんな風に考えて生きて来た訳では無く積み重ねてきた感情がこんな風に考えるようになってしまったと言えるのでは無かろうか?。 そんな風に考えてしまう僕が居るわけなのだが、そんな風に考えてしまうと言ってそれを態度に出しているかと言えばそんな事も無いのは現実でだからこそ自身でストレスと感じる気持ちが強くなってしまっているのであろう。 優しい気持ちと相反する冷たい気持ちそのどちらをも持っている僕と言う人間。どちらも僕の一面であり僕の気持ちの現れだとは判っては居るのだけどもどうにも納得出来ない面でも有るのだよね。 ある意味身内であるからこそ強い見方をしてしまうのかもしれないが相反する気持ちは多分無くなる事も消えてしまう事も無いのだろう。それゆえ僕は自分が抱えるジレンマにこうして苦しむわけでこればっかりは現状では改善の余地は無いとしか言えないのかもしれない。 今朝は起きるとすぐに昨日作った今夜のおかずを煮たたせた後で着替えを始めて出かける準備が整ったところで家を出て向かった先はコンビニだった。 コンビニでは朝食代わりのカップヌードルと水分補給用のペットボトルを購入し車に戻ってカップヌードルを食べたところでボランティアの公民館に向かった。 公民館には昨日の約束通りに到着しボランティアを開始したのだけれど外付けHDがクラッシュしていらい修復もしていないから収集活動は無し。んじゃネットサーフィンでもしていたかというと本日はそんなことは無かったけど…日記の下書きなんぞを行っていた。 昼食は事務の人が作ってくれたスープスパを頂いて今日は何時に無くボランティアをしていたように思った。次週も来ることになったが次週はセットアップのCDを持参してブルー画面で凍ったままのパソの再セットアップを行うことに…。 時給が下がって申し訳ないと盛んに事務の人に言われたのだけど僕的には最近の子供事情を垣間見ることが出来良い経験に為っていると考えているから時給のダウンなど全然気にしていないのだが何であんなに気にするのかな?。 パソの前からなかなか離れようとしない子供が居たので時間ギリギリまで居て僕の今日のボランティアは終了し晩酌用の酒を買い込んで帰宅した。 しばし部屋で寛いだ後は朝暖めた角煮擬きを再加熱して暖めて食卓に並べて部屋に戻って晩酌。 今宵も酒でも飲みながらのほほんと夜長を楽しむこととしようかね。
2006/05/13
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最近という訳では無いと思うし今に始まった話では無いのだが時々こんな風に実家での生活にストレスを感じてしまう事がある。 そもそも実家での生活をと考えたのは脳出血で一人暮らしは心許ないから…実家での家族との生活を始めた筈だったのだけど実際には帰ることを決めた理由の大きな物は食事の支度とかが自分だけでは駄目だろうと言う考えからだった。 だけど実家に戻ってすぐに食事の支度は自分で…という事が解り、尚かつ自分の分だけで無く家族の分も…となって帰る早々予定は違っていたと言う事もある。 はっきり言って自分の分だけの食事の支度なら自分の健康と好みを考えてそれなりに選択して行えば好きとか嫌いとかに関係なく作るだけなのだが…。 家族の分というと自分の好みだけで無く家族の好みも入れて食べる物をと言うと半分以上は自分の好みでは無い事の方が多くなってくるのは事実である。 今日だって婆に言いたいことは沢山あったのだが、言っても詮無いことだから言わずに腹の中に納めたのだが、こうして自分の中に納める行為がストレスを貯めてしまって何時かはその溜まったストレスが捌け口を求めて暴発してしまうのでは?と恐れる気持ちも僕の中には在るわけで…。 仕方が無い事と判っては居てもこうして貯めるしかない現状ではストレス発散の方法は見つけられそうに無いんだよね。溜息一つ付けば幸せが一つ逃げてゆくと言うがそれでも溜息を付くことくらいしか無いという哀しい状況だよね。 今朝はゆっくり起きた後は何気に台所に立ち明日の夕食のおかずの仕込みを始めた。作ったのは豚の角煮擬きで一応角煮風に作るから鍋が沸騰した後はコトコト煮込んで取り敢えずの準備は完成。 一旦火を止めて親父に頼まれた用事を済ませに農協まで行きお金を下ろして月末に再度お金を下ろす相談をし銀行へと向かって車の税金を振り込み帰宅。 帰宅後はまた煮込みを始め小一時間ほど煮込んだ後は出汁を加えて更に煮込み一時間ほど煮込んで仕上げた後は先日作って冷蔵庫に入れて置いた煮物を出して鍋に移して煮込んで夕食に備えた。 夕食の時間が近づいたので台所に行き再度鍋を温めもう一品はあっさり大根おろしとホタテの塩からで和え物を作って…と考えているとどういう訳か婆が刺身を買ってきたので僕は温めた煮物を皿に盛りつけ部屋に戻って晩酌をした。 そういや、昼過ぎに春先まで行っていたボランティアの事務の人から連絡が入って明日出て貰えないか?との事だったので断る理由も無いから明日から出ることを諒解した。これでしばらくは週末の予定は決まったかな?。 さて今宵はどんな夜長を過ごすことになるのやら?と書いてはみたが昨晩と違ったような夜を過ごすというような事は無さそうだよね。
2006/05/12
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この夏には新しくパソを自作しようと散々考えて来たのだが骨子となる所はほぼこんな感じで…と言う所は頭の中で大体纏まりつつある。 今度自作をするとしたら、今までのように現有マシンからパーツを部品取りして使って作るのでは無く全て新しく組んでみたいと考えている。 MB A8N32-SLI DELUXE 30,000 CPU AMD4400+ 60,000 Video GeForce7900GT 50,000 memory 2G 20,000 HardDisc 120G×2 14,000 300G×2 30,000 Case 20,000 電源 10,000 CD/DVD 10,000 水冷 40,000 と上記の様な構成で組んで他にはTVCaptureカードを二枚組み込んでAV機器を併せ持つような感じのパソに組みたいと考えている。他には外付けHDを新規で組んだりモニタは液晶の大型ワイドでとか考えて見ると予算もそれなりに掛かってしまうなと言う感じだろうか?。 CPUのデュアルと言うのは来年早々に変更に為るという新しいOSに対応を考えての物だし、memoryの大きさだってその辺を睨んでの物、Videocardはそれなりに性能の良い物をHardDiscにしてもRAIDを使ってより速いアクセスできる環境を考えての物だし、水冷を取り入れようと考えたのは都内では熱暴走を起こしたことの無いマシンであったのに北東北で熱暴走に晒された経験から必要と感じたからこその組み合わせとなった。 ただね、上記の構成と販売店独自の組み合わせでの似た感じの組み合わせパソの価格の微妙な違いを考えると実際の購入するときはやはり己の足を秋葉原に運んで現地で比較対象した上で検討をしなくちゃいけないなと言うのが現時点での僕の考えかな?。 とは言う物の実際に秋葉原に足を運ぶのは何時頃に為る事やら…。 今朝は一見普通に起き出して…朝からベッドでゴロゴロ過ごし家の裏手でアスパラを収穫し夕飯の食材に…と考えた以外はうだうだと部屋で過ごし夕方になって台所に立ち取っておいたアスパラを短冊切りにしてタラの芽も適当に切って鍋にお湯を沸かせ湯がいてマヨネーズとゴマで和えてサラダ擬きを完成させ冷凍庫に買い置きしてあった牡蠣フライを揚げてサラダと共に皿に盛りつけ食卓に並べた。 自分用のおかずを持って部屋にて晩酌を済ませたものの腹の具合はと言うと満腹には程遠い限りで寂しい感じ。 明日は先日作って冷蔵庫に仕舞って置いた煮物を暖めて夕食に饗するつもりで居るがサイドメニューととしてホタテの塩辛を大根おろしで和えてもう一品にしたいと考えている。他には豚の角煮に再度挑戦するつもりで明日にでも作ろうと考えて居るがどうなる事やら…。 今宵も取り置きしてあるDVDでも鑑賞しながら夜長を過ごしたいと考えている。
2006/05/11
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蕾が膨らむだけでなかなか咲かなかった木蓮が花を咲かせた。その姿は枯れ木に白の大きめの造花を大量に点けているかと思わせる光景であるが花の香りは麗しく匂いたっている。 庭に咲く水仙やチューリップの花も綺麗だとは思うが空に浮かぶように咲く木蓮を見ていると水に浮かぶ蓮の花を想像してしまうのは僕だけだろうか?。 今朝は起きると親父に請われて叔母さんの家まで届け物をし先日頼んだ宛名書きを貰って帰路に付き帰りがけにおにぎりと晩酌用のアルコールと食材を買い求めて帰宅。 帰ってくる途中で先日歯に被せた物が取れてしまったので歯医者に寄って治して貰って帰宅した。帰宅後はおにぎりを食べて…気づくと夕方まで爆寝していた。 んで、台所に立ち買い置きの焼きラーメンを作って食卓に並べ部屋に戻り晩酌。こんな感じで今日一日が過ぎようとしている。 ふと考えるとこんな生活を始めて四年近い日々を暮らして来ているのだが、働いていた頃の想いから何時でも社会復帰できるつもりで居るのだけれど本当に復帰できるかどうかはやってみなくては判らないだろう?と考えている。 さてと今宵ものんびりとベッドで寛ぎながら夜長を楽しみたいと考えている。
2006/05/10
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家の窓から見える山肌の中腹ぐらいに桃色の染みの様に見える木があるがあれは山桜の花が咲いているのだろう。家の裏に有る垂れ桜も蕾が膨らんで桃色の膨らみを見せ始めているから家の垂れ桜の開花ももう間近を思わせている。 そうかと思えば好天に田んぼまで出て行ってみたのだが八幡平からの吹き下ろしの風はとても冷たくて時期的には春も終わりが近いという時期なのだが冷たい風には春先を感じさせる位だ。 今朝は朝から用事を済ませるために盛岡へと出かけ用事を済ませて帰路に付き途中定食屋にてラーメンと餃子で昼食とし適当に食材と晩酌用の酒を買って帰宅。帰宅後は早速買ってきたジャガイモの皮を剥き昆布で出汁を取りジャガイモと大根を炊いて煮込みを作った。 盛岡への行き帰りで桜の花が散るところに出会いその花吹雪に看取れてしまった。都内に住む頃は毎年のように桜の花見を楽しんだりツーリングで桜の花のトンネルを抜けたりしていたことを思い出してみたが、どうにも北東北の春は生き急いでるように一斉に咲き乱れるようでどうにも僕的には味わい足りないように感じてしまう。 夕食の時間に合わせるように風呂の掃除をして給湯を開始、煮込みを暖めそれと共にニラ玉を作って食卓に並べ煮物も取り分けて食卓に並べた後は部屋に戻って晩酌を開始。 春が急速に来ているのと同じように日の落ちる時間も急激に遅くなり始めているから夕食の時間を何時に考えるべきかで何だかな…という感じかな?。 急激に春が過ぎようとしてるのに併せるように気温も上昇を始めて寒くないから凌ぎやすくて良いと思うのだが、それと同時にパソの熱暴走の不安が出てくるのは痛し痒しか?。次に自作を組むとしたら水冷で組みたいと考えている。 さて、今夜ものほほんと夜長を過ごす事にするかね。
2006/05/09
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長い長い連休明けの筈なんだけど…僕はと言えば終日部屋でのんびりと過ごした。親父から声が掛かればそれなりに手伝うことも厭わないのだが、取り敢えずすることが無いときはこうしてのんべんだらりと部屋で寛いで過ごす事が多いのは間違いない事実である。 昼過ぎにはインスタントラーメンを作り食べそのまま昼寝をして過ごし夕方には台所に立ち夕食のおかずを作った。今夜はなめ茸おろしとエノキの炒め煮を作り食卓に並べ、自分用としては角煮の残りを暖めて晩酌のおかずに晩酌を楽しんだ。 晩酌後には歯に引っかかったのが気になって歯の間を突っつく間に歯への詰め物が取れてしまったのには困ってしまった。てか数日中には歯医者へ行くことになりそう。 確かに現在進行形で僕が何もしていないのは間違いなく事実であるのだけど、それには一応僕なりの考えが有って示談が済んだら…という風に考えての事なのだが周りには受け容れて貰えないよね。 色々考えて見てこの地域で仕事を求める事は限りなく不可に近いと考え、この地域で不可なら再び関東に出て職をと考えると先立つ物が必要になるわけで、先立つ物は今の僕には逆立ちしても何も出るはずもないから示談を待って示談のお金を当てにしてそれでもって道を踏み出せれば…と考えて居る。 もっとはっきり言えば親からお金を出して貰って…出る事は僕の選択肢には考えられないから、それなら示談を待って…その上でと言う風に考えているわけだ。 とは言っても先月末に後遺障害診断書を書いて貰ったばかりで保険会社に送ったのだけど、保険会社が自賠責に上申するのがおそらく今月中とすると速くて来月後半に為らないと後遺障害の認定の可否が判らないと思われ、認定がずれ込むと再来月に認定の可否が決まるであろうと考えることが出来るわけだ。 認定の可否が決定したとしてもそれで話が終わるはずもなく、認定されたとしても等級次第では異議申し立てという話にも為るであろうし、等級が妥当だとしても今度は保険会社からの示談の提示を待って金額の妥当性を考え妥当なら判子を付いてお終いとすぐにも為るだろうし、妥当でないならそこから争う姿勢で挑まなくては為らない訳で…と考えてゆくと示談は速くて夏以降という見方も出来るのだな…とまだまだ先の話だなと考えてしまう。
2006/05/08
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今朝は朝から雨が降っていた。雨が降ると言うことは気圧に変化が有ると言うことで必然?的に鞭打ち患者は痛みを訴えることが多いように僕の身体にも変化が現れ朝から身体の上腕部の関節が軋む様な感覚があった。 とは言え朝からすることも無いし叔母と姉が来ているから僕が手を出すことは何もないから僕がした事と言えば途中で新聞を会に出て位でそれ以外は終日部屋で過ごすこととなった。結局夕方夕食の準備に台所に立ち薯蕷をすり下ろした以外は角煮を温め盛りつけて食卓に並べ、薯蕷は丼にご飯を盛りつけのりを振りかけた上に薯蕷をかけて食卓に並べ完成。 僕はと言えば部屋にて録画を見ながら晩酌を楽しんだ。 今日スポーツ新聞を買いに出た時に感じた事だが競馬を考えてスポーツ新聞を買ったのは良いがどうにも馬券を買う気が失せてしまったみたいで予想する気にも慣れなかったから結局馬柱はちらりと見はしたが買うことはなかった。 友人でかつては馬券仲間だった友が居るのだけれど、その友が数年前から中々馬券に興味を示さなくなって来ているのに違和感を感じた僕であるが上手く言えないのだが丁度今の僕のような感覚になったから馬券から足が遠のいたのかも知れないなと感じた。 年齢による嗜好の変化という物は必ず起こりえる物であるから来るべき物が来たそんな感じであるのかも知れない。 僕の趣味と言える物は読書とパソとバイクと言えるかも知れないけどそのどれもがン十年以上続いてきたものだが何時かは見向きもしないときが来てしまうのだろうか?。 何となくそんなことを考えてみた連休最後の日曜日であった。
2006/05/07
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姉との関係は幼い頃から良い関係とは言えなかった様に記憶している。何故だったのかは記憶していないが今にして考えるなら年子で産まれて姉は物心付いた頃から祖母の部屋で、僕は両親の部屋でそれぞれ寝ていたことも有ったのでは?と今なら思えるが小中高と顔を合わせて口を開けば口げんかが始まって居たように思う。 姉との微妙な関係に変化が訪れたのは二十代の終わりの母の死の頃からだった。母が亡くなる以前はもう何年も口を訊いたことが無い関係であったのだが、母の入院にともなって姉とも言葉を交わすように為っていった。必要最低限の情報を尋ねるためには姉とも話さないといけなかったと言うのがその理由だった。 病床の母が苦笑いして姉との関係を口にすることは有ったが当時それ以上に心配していたのは僕の離婚の問題だった。僕の問題はさておき母が亡くなる前に姉の花嫁姿を見せてあげたいと母の入院先まで呼び出したりしたのはそれだけ母の事を考えての事だった。 母が亡くなってまた以前のような話をすることもない兄弟に戻ったのだが、それから十年して僕が倒れ田舎に戻ることになってようやく姉と普通に会話をするように為ってきた。それは二十代の頃のように兄弟で有りながら肌が合わないと感じる事が少なくなったと言うよりも色んな意味で会話を持つことが必要であるからと言うことは大きいのだろう。 でも会話が出来る様に為りはしたが友人には腹を割った話は出来ても血を分けた兄弟だとどうにも遠慮する気持ちが強くなってしまう。 今日は朝から終日部屋でゴロゴロして過ごし途中で食べたのは豚の角煮と共に煮付けたジャガイモだけ…過ごした。午前中には洗濯をし午後には風呂場の掃除&給湯を開始夕食の準備は姉と夕方やって来た叔母さんに任せてのんびり過ごした。 晩酌の友は山盛りの刺身と揚げ物で晩酌。今夜は?今夜もノンビリと夜長を過ごしたいと考えている。
2006/05/06
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世間的には子供の日だけど小さな子供の居ない家では子供の日と言う名目が有るだけで特に何も無いまま過ぎてゆく物かもね。 朝起きると用事を果たしに盛岡へと出かけるために着替えてから家を出た。何時もは普通に国道を使って行くところなのだが、気分が変わって山道を通って隣町まで出ることにした。予想通り?と言うか山道は所々に道路の脇にはまだ雪が残っている所も少なくなかったし七時雨には雪が結構残っていた。 七時雨を右手に見ながら隣町へと抜けて行くと道路沿いには梅の花や桜の花が咲いているのを見ては短い春を生き急いでいる様な感覚を覚えた。 何とか盛岡へと到着し用事を済ませようとしてみたのだが結果用事を済ませることは出来なくてそのまま本屋に立ち寄り数冊の本を買って帰路に付き途中の定食屋でラーメンと餃子を食べ夕食の食材を買い求めて帰宅し明日用の豚の角煮を仕込んでいると姉の子供が部屋にやってきたので居間に行ってみると姉が来ていた。 姉が来た=夕食の用意は姉と言うことになるので、今夜用と考えた鰹のタタキはどうした物か?。と悩んでみても始まらない。今夜は無理でも明日の晩では何とかしたいと思うのだけど…。 なんやかんやと姉の子に振り回されつつ豚の角煮擬きは一応は仕上げたので後は今夜の夕食は手巻きの残りを貰って食べるか?茹でたジャガイモでも食べるつもり…。 昨日の今日で木蓮の花が咲くのかな?と考えていたのだけど一日経って見ると蕾がより膨らみこそすれ咲くには至らなかったのは予想外だった。この速度で咲くなら数日は必要とするのかもね。
2006/05/05
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このところ朝は鳥の囀りで目覚めることが多くなってきている。障子の破れ目から目に飛び込んでくるのは大きく育った木蓮の木と膨らみ始めた木蓮の蕾である。 まるで空に浮かんだ白い蕾の群れは何と言ったら良いのだろう?。とても不思議な光景で有るかの様な気がして為らない。 床に着きながら毎日このように木蓮を眺めていると立って見るのと違いは無いはず何だけど違った風景に見えてくるから不思議な物だ。 たぶん後十日もしないうちに花を開くとは思うが花を開いたときには僕にどんな風景を見せてくれるのだろう。 そう言えば、かつて木蓮というHNを使う女性が居たけれど、今でも何処かで木蓮と呼ばれることが有るのだろうか?。 木蓮の蕾を見ながら唐突に木蓮というHNを使う女性が居た事は思い出せたが、何度かオフで逢っている筈なのだがエピソードは思い出せてもお顔までは思い出す事は出来なかった。 夕方に為る頃には蕾も膨らんで花が咲きそうになってきているから、明日辺りは一輪二輪と花を咲かせるかも知れない。 今日は一応朝には起きはしたのだが終日部屋で過ごしていた。途中昨日今日は牡蠣フライを…と考えていたのだけれど冷蔵庫の買い置きを見て予定変更することにし午後から里芋と烏賊の煮付けを作り添え物として大根おろしと鯖の水煮にしたのだが晩酌が済んで台所に食器を持って行って見るとまたしても婆の箸が付いた物は大根おろしと鯖の水煮だけ煮付けは大丈夫?と考えていただけにショックであった。 明日は出かけてくるつもりだから夕食は簡単に済ませようと思うがさて何を作ろうか考えてしまう。一応冷蔵庫には牡蠣フライも入っていれば肉が少し有るから二日程度分には十分で有るのだが、それでも一応は買い足しの分を考えて置かなくてはね。 今宵ものんびりと夜長を過ごす事にしようかね。
2006/05/04
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何気に三年前の日記を見る。丁度ゴールデンウィークの最中の三年前の今日の日記には前日歌舞伎町で飲んで酔っぱらって路駐の車の陰で寝ていたことが書かれていた。 そういや、確かにそんなことが有った事を覚えちゃ居るがゴールデンウィークの真っ最中に歌舞伎町で酔っぱらって路上で寝込んでいたなんて自分で読んでも気恥ずかしい気がした。確かあの頃は太ることを気にし始め食べずに飲む何て事を度々行っていたからそりゃべろべろに酔っぱらうわけだよね。 けど、体重を気にする何て現在進行形の今の僕と同じ何だけど、それでも今の僕よりは間違いなく食べていた物な…。食事の量を気にするのはあの頃も今も大して変わりは無いのだけどあの頃より食べる量も酒量も確実に少なくなっているにも係わらずそれでも最近太り始めていると言うのは何故なのだろう?。 日記自体はネットに2000年以前の日記から残っているから時々あの当時は?と考えながら見ることが有るのだが、良いことと悪いことのどちらを書いてる比率が高いかと自分なりに比較してみると悪いことの方が断然多い様に感じている。 しかも公衆良俗に反した行動は書いてない事の方が多いのも事実なんだよね。全てを書いていたら非難はゴーゴーだったかも知れない。 今日はのんびりと起き出して部屋で寛いで過ごし昼近くには洗濯をしたりし午後の日差しを受けて暖かな部屋で寛ぎ夕方までを過ごした。 んで、夕方になって風呂場の掃除をし給湯を開始、給湯しながらラーメン作りを開始して親父が帰ってくるのに合わせる形で作ったのは良いが結果としては悪かんかった。繊維質を多く含む野菜を多くと考え作っているのだけれど婆的には好みでは無いのだろう正直むかついた。 品数が多くても駄目、味が濃いのも駄目それじゃあと考えて作ったのにも駄目を出されてしまうのではね。こうなりゃ徹底的に婆が嫌いな物ばかり作ってやろうかな?とも考えてしまう。明日は牡蠣フライと心太にでもするかね。 晩酌の後は一人のんびりと寛ぐことにしよう。早々ここ数日の腕立て伏せで上腕が張って来ている様な感覚がしてきているつか、肩が張って動きがぎこちないと言うべきか?。とは言え最低でも一月は続けてみないと何とも言えないと考えているから続けることは決定…。
2006/05/03
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世間ではゴールデンウィークの真っ最中、世間がゴールデンウィークと言うことは僕にとってもゴールデンウィークという事になるのだけれど僕自身がゴールデンウィークであると感じた最後のゴールデンウィークは03年のゴールデンウィークが最後であの年の夏を境に長期休暇中のこの身には毎日が休日であるのも同じだから世間的なゴールデンウィークの感覚の外に身を置いていると言う風に考えている。 パートタイムでもフルタイムでも働いていたらこんな風には考えないとは思うのだが長いお休みの真っ最中では致し方あるまい。 哀しい話だが先立つ物が無いと何も出来ないから今はいち早い示談への道筋が付いたらその先を現実の物として考えられるのでは無いだろうか?。頭の中では示談が済んだら…と考えていることは幾つか有るのだけれど考えは一つだけでは無く幾つもあるし示談への一歩を踏み出したばかりではどうなるかの予測すら立てられない現状ではどうなるか?は先のまだ先…である。 あの日から三度目のゴールデンウィークを迎えているのだが来年は疲れているからのんびり休みたいと考えるようなゴールデンウィークを迎えたいと願って居る。 今日は朝から親父の訪問を受け、親父に言われるままに叔母さん家の姪に宛名書きを依頼しに出かけた。尋ねてみると姪も居れば叔母さんも居たのだが二人とも早々に出かけるとかで依頼しただけで僕は帰路に付くことにし帰りに軽く食材を買い求めて帰宅。 冷蔵庫に食材を仕舞い部屋に戻って買ってきたスポーツ新聞を眺めながらサンドイッチを食べたりおにぎりを食べたりしながら昼食を済ませた。二十歳の女の子がプロメジャースポーツで好成績をあげたものの悔し涙を流している様は未来の女王を思わせるにふさわしいと考えた。 午後からはのんびりと昼寝を楽しみ途中で夕食のおかずにと切り干し大根を炊いたりして過ごし夕食の時間ギリギリに台所に立ち餃子を焼いて食卓に並べ部屋に戻って晩酌をした。 晩酌後腹が落ち着くのを待って今日も腕立て伏せを行った。塵も積もれば山になる、小さな事からコツコツと…と考え徐々に運動量を増やしてゆきたいと考えている。 さて今宵の夜長は何をして過ごすことにしようかな?。
2006/05/02
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朝起きてそう言えば今日はエイプリルフールだったなと一人思いこんで起き出した。んで日記にはエイプリルフールにちなんで嘘を書いてみようか?などと考えてみた。 だがそんなに時間を経ずして今日は五月一日でエイプリルフールはその名の通り四月一日であった事を思い出し何故四月一日と五月一日を勘違いしてエイプリルフールなどと考えてしまったのかと一人苦笑いをしてしまった。 そういやエイプリルフールの当日に嘘を言ったことは無いけれど、エイプリルフール以外の日に付かなくても良い嘘をついてしまった事が何度か有る。大抵は言い訳に過ぎないのだけど、最後には言い訳で有るのだが怒り出してしまったりと何とも見苦しい物だったな…と今ではそんな風に思い出してみる。 相手には誠実に対応したいと病の僕は今は考えているのだけれど、これが社会生活に復帰しても続けられる考えで有ることを祈りたい気分である。 今朝は起きると叔母の車が庭にあった。親父に尋ねると婆を病院に連れて行くとか?聴いたのでそうなんだ…と聞き流してのんびり着替えて出かける準備をした後で車に乗り込んで郵便局にて後遺障害診断書を保険会社に郵送し親父に頼まれた貯金を下ろした後は隣町まで買い物に出かけた後で家路につき親父の昼食は何を用意してあげようかな?と考えつつ帰宅してみると病院に出かけると聞いたからてっきり帰りは午後になる物と考えていた婆が台所に立って食事の用意をしていたので僕の出る幕は無いと判断し部屋に戻りのほほんと寛ぐことにした。 結局、夕方までのんびりと過ごし適当な頃合いを見計らって台所に立ちキャベツのゴマ和えを作ったりシラスだいこんを作ったり豚肉とピーマンの炒め物を作ったりして食卓に並べ夕食の準備は完了。風呂の追い炊きのスイッチを入れて部屋に戻って晩酌を楽しんだ。 今夜は何時もなら二品程度しか作らないのだが三品とおかずが多かったかも…と考えて居ると案の定婆はシラスだいこんにしか手を付けては居なかった。取り敢えず親父は何にでも手を付けてくれるのだが、婆はどうにもサラダ系統には手をなかなか付けてはくれない。体のことを考えると繊維質は必要だと思えばこそメニューに加えているのにね。 明日は親父の用で盛岡へ行ってくる事にどうやら為りそうな塩梅。僕としては何もすることが無いのだから拒む理由も無いと言う所か?。 今日は腕立て伏せをしたように体に少しずつ負荷をかけその負荷に負けないような体にしていきたいと考えているところ。上半身だけでは無く歩行も有る程度の距離を歩いても平気になれるようにしてゆきたいと考えている。 って考えてみたらこれって去年の事故前のリハビリと同じなんだよね。って事は事故以前と同様の所には戻って無いのが現状で事故以前と同じ様な所までは戻りたいという気持ちの表れなんだな…と今更ながら感じている。 さて今夜はのほほんと夜を過ごして寝る前には風呂に入って体を温めリラックスした気分でのんびり眠りたいと思っている。
2006/05/01
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