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あの手この手の詐欺が横行しているようだ。私は被害にあったことはないのだが、先日、郵便局を名乗る次のような電話があった。 (郵便局の男)こちらは中央郵便局です。郵便物を届けましたが留守だったので持ち帰りました。再配達の連絡がなく郵便物は中央郵便局に戻ってきています。お預かり期限が来たので電話で尋ねています。不在伝票に荷物番号が書いてあるので確認してください。 (私)そのような伝票は受け取っていません。 (男)近くにご家族はいませんか。 (私)いません。 (男)それではお名前と住所をおしててください。 (私)こちらから電話をかけなおします。 (男)どうしてですか。 (私)不審なてんがありますから。 (男)それでは東京中央郵便局に問い合わせてください。 (私)そうします。 男は不機嫌にいきなり電話をきった。 私はt東京中央郵便局に問い合わせの電話をした。 (中央郵便局)現在、郵便局を名乗る詐欺事件が多く発生しています。郵便物等について郵便局からご利用者に電話連絡することは一切ございません。不審電話についてご連絡してくださりありがとうございました。 私は何かのセールスと思われる電話にはまったく応答しないで電話を切る。その電話は悪意のないセールスかもしれないが、私は人に勧められて物品を購入することは決してないので、私に仕事の依頼ではない商品販売や何かの勧誘の電話をかけてくるのは無駄である。私の時間も無駄にされるだけだ。そんな私のような頑固な人のこころの間隙を突くように、警察官や郵便局やその他その他の公的機関を名乗る詐欺の手口を考え出すのだろう。 犯罪を指向する人間の頭脳とはまことに奇怪なもので、そんな巧妙なはかりごとができるなら、なんでもよいまっとうな仕事に頭を使えば良さそうなのだが、そのようには頭もこころも働かない。 もう10年ほども前のこと。ご近所の方が一人の青年を連れて尋ねて来た。その青年が金を貸してくれないかと言うが、それはできないので、私に相談してみるようにと連れて来たのだ、と。 青年の話を聞くと、アルバイトの仕事を見つけ、その会社に連絡すると、仕事は顧客の未払金の取り立てだが、その前にアルバイト登録料3万円を支払えと言われた。その3万円を貸してもらいたいのだ、と。 私は、「一生懸命に仕事を探しているあなたにその仕事に就くなとは言えませんが、アルバイトの申込者に登録料を請求する会社がまともな会社だとは私は思えないのです。その会社に行ってみましたか? (青年:電話で話しただけです) じつは、そのように登録料などと言って申し込み者からお金をとってそのまま姿を消す、会社として実体のない詐欺行為もあるんです。あるいは、未払金の取り立てに暴力行為がからむ事件も発生しています。もういちど考え直してみてはどうですか? あなたの役にたてる公的機関がないか、探してみましょう。あなたはここに居て私の電話のやりとりを聞いてください。」 私は公的福祉関係に電話をし、ある機関を直接訪ねるように勧めた・・・ 名も知らないその青年の生活のために、私は何かできたのかどうか・・・
May 21, 2026
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肥大化した自己愛(ナルシズム)が、誇大妄想を湧出する病理学的には狂気の人格を形成し、さらに老齢になって前頭葉側頭葉認知症とみられる肉体に表出する顕著な症状(歩行が蛇行し、右足を引きずりながら円をえがく)、ならびに語形成錯誤症を呈し、脳の空白部を埋めるために常に最大級形容詞を付与した断定的で前後の脈絡のない奇妙な作り話をする。子供じみた自己賛辞に終始する多弁。子供じみた虚栄心にいろどられた、歴史的文物の破壊計画。しかも作り話に重ねた手前勝手な計画が権力者として公然と断言されるとき、それはハッタリではない。実行されるのである。日本語には「朝令暮改」という言葉があるが、言説の趣旨はくるくると変わるにしろ、変えているという意識はない。・・・これは精神病理学者Dr. John Garther の見解である。誰を指しているかは言うこともないだろう。社会にとって問題となるのは、この狂気の人格は精神病理学的に「治療」するとか「矯正」するとかを超越してしまっていることである。 「類は類を呼ぶ」ということがある。そして犯罪組織は、その組織を維持するために、統制を生殺与奪の懲罰をもって強力に指向するものだ。軍国主義独裁政権もまた然りである。軍国主義独裁政権というのは常に暴力を内包し、対外的によりもまず真っ先に国民に対して銃口を向けている。そして軍国主義は命令下達によって維持されるので独裁政権と合体しやすいのである。しかし数千万、億を超える人々(国民)を、たった一人の人間の頭脳と精神で治められはしないことは明白であろう。事(こと)は後に起こるのだ。そのことに国民が気づいたとしても、Dr. John Gartherの指摘ではないが一旦その体制を認めてしまった社会(国家)は、「治療」するとか「矯正」するとかが非常に困難なのである。 ・・・さて、それならばこういう権力者を祭り上げてしまった社会は、どうしたら良いのか? いま世界は、答えをみつけられずに腐敗にまかせ、苦悩に這いずっているのかもしれない。
May 20, 2026
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山田維史 「戦争ビジネス国家ポスター」 2024年制作Tadami Yamada "War Business State poster" 2024
May 19, 2026
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山田維史 「核戦争警告ポスター準備絵」 2013年 ディジタルコラージュTadami Yamada "Preparatry illustration for NUCLEARWAR WARNING Poster" 2013, Digital collage
May 18, 2026
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咲き始めたカシワバアジサイ2026年5月17日 (日曜日) 撮影ヤマジノホトトギスこれから長い茎をだして7,8月ころに咲き始める
May 17, 2026
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サッカーW杯出場代表選手26名が発表された。選ばれた諸氏には祝意を申し上げます。 ただ、私はちょっと驚いた。26名中、日本国内のクラブ選手はたった3名だったからだ。すなわち鹿島アントラーズの早川友基氏、サンフレッチェ広島の大迫敬介氏、そしてFC東京の長友佑都氏である。この御三人以外の23名はみな海外のクラブに所属していられる。もちろん全員がすばらしい活躍をしている謂わばスター選手だ。国内クラブ所属の3氏も、ベテラン長友佑都氏は今回でW杯出場5回目であり、いずれも名うてのサッカー・プレイヤーである。 そうしたことを承知でなおも私が驚いたのは、これで今後の国内プレイヤー育成はどうなるのだろう、ということだ。外国勢とのはげしい実戦の機会が与えられずに、国際的試合に通用する選手が育つのだろうか? 森保監督にしてみれば日本代表という重責を背負い、「勝利」しなければならないという重圧を感じている以上、国内組であろうと海外組であろうと、とにかく優秀なプレイヤーを選ぶ必要があったであろう。長友氏のように海外クラブで大活躍したのちに日本に戻られて、後進の範となるような活躍されている選手もいられる。それを思うと、いまさら日本人プレイヤーの育成などはさほど問題ではないのかもしれない。 ・・・私にはわからない。ただ今日はちょっと驚いただけである。
May 16, 2026
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ジョン・スタインベックの『チャーリーを連れてアメリカ探索の旅 (TRAVELS WITH CHARLEY IN SEARCH OF AMERICA)』に次の一節がある。〈Sometimes the view of change is distorted by a change in oneself. The room which seemed so large isshrunk, the mountain has become a hill. But this is noillusion on this case.〉(From penguin books p.195) (時に景色の変化は自分自身の変化によってゆがめられることがある。かつては広く見えた部屋が縮み、山が丘になってしまう。しかしこれは錯覚ではない。) 私はこの一節を読みながら、32,3年も前のある夜、故湯浅泰雄博士と町田の通りを歩いていたときのことを思い出した。その夜、湯浅博士は桜美林大学大学院教授を退任され、先生の薫陶を受けてすでに行く道が決まっていた院生4,5人が設けた宴席に出席された。なぜか私を招待してくださり、先生の隣に座らされた。私の頭のなかにはまだ湯浅泰雄全集の企画さへなかったころである。たぶんそれより少し前にその日の院生もいた場で、私の視覚的記憶力に関するちょっとしたことがあったので興味を持たれたのかもしれない。また、先生が創設者の一人である人体科学学会第一回総会のポスターを制作してあげたことも関係していただろう。・・・宴が果て、私は先生のお供をして通りを並んで四方山話をしながら歩いた。そして、昔日の記憶と現実感覚の「ズレ」について話が及んだのではなかったか? ・・・私は、依頼されたイラストレーションのために小さな取材旅行に出かけ、その帰途、7,8歳のときに住んでいた長野県川上村梓山を30数年ぶりに訪ねた。山と山にはさまれた梓川沿いである。私は子供の頃、梓川対岸の山を遠いと思っていた。しかし、30数年ぶりに訪ねると、その山はごく近かった。私の記憶は訂正しようがないが、新たな現実をうまく重ねられなかったのだ。・・・ すると湯浅先生は言われた。同様の経験が先生にもおありだ、と。「幼年時代に遊んだ神社に後年になって行ったのです。子供のころには高いところにある長い石段と思っていたんですが、じつに短くたいしたことがなかった。風景の記憶が自分の肉体的な大小に左右されているんですね。」 スタインベックを読みながら思い出したのはそんなことだ。 ・・・じつは湯浅先生と歩きながら話したとき、先生はもっと重要な打ち明け話をしてくださった。「いままで誰にも話したことがありません」と。・・・したがって私はそのお話を私の胸におさめておくことにするが、経済学をはじめとし東京大学和辻哲郎門下で日本学を研究し、さらに東洋精神史、西洋精神史、宗教心理学、そして現代ニューサイエンスにいたるまで広範な研究をされた先生だが、その湯浅泰雄学の中核であるC・G・ユング研究と身体論に向かわれるきっかけとなった話であった。 ・・・宴の一夜から日ならずして、私は先生の300点におよぶ論文等を読破し、湯浅泰雄全集の企画をし、先生の快諾を得て発刊することになる。私の巻建て目次建てを、「みごとです」と言ってくださった。先生の著作の出版権をもつ多くの出版社が、私の懇請に快く無償で出版権を譲渡してくれたことも書いておこう。
May 15, 2026
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山田維史 「81歳の自画像」 2026年 紙に鉛筆Tadami Yamada "Self-portrait age at 81 years old" 2026, Pencil on paper
May 14, 2026
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山田維史 「陰謀」 2013年 ディジタルコラージュTadami Yamada "Conspiracy" 2013, Digital collage
May 13, 2026
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山田維史 「核戦争警告ポスターのための準備絵」 2013年 ディジタルコラージュTadami Yamada "Preparatory illustration for NUCLEAR WAR WARNING poster" 2013, Digital collage
May 12, 2026
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二葉亭四迷忌(五月十日) 四迷忌に迷いもすまい八十路行く 青穹(山田維史) いや待てよ迷いもするか四迷忌に 八十路過ぐ迷いもするか四迷忌に
May 11, 2026
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60年近くイラストレータ、また画家として、クライアントの依頼に応じて描いてきた。数年前から手元に残っているそれらの自作を整理している。と言っても、保存していた包装を開いて、写真撮影していなかった作品をあらためて撮影するまではいいのだが、さて撮影後、もういちどきちんと包装するのが億劫なのだ。結局、いまのところ山積みしたままで、整理しているのか散らかしているのか、わけがわからない状態である。撮影済み作品は私の別サイトに掲載しつづけている。この楽天ブログにも私の個人的な種々の画像をもう20年間も掲載しているが、じつは古いものから順に楽天運営者が勝手に削除していることがわかった。つまり少なくとも画像に関しては、楽天ブログは保存に適さないことに気が付いた。そこで6年くらい前から別サイトにも画像を掲載することにしたのである。 ところで拙作を掲載するにあたって、作品に作者名や作品題名等のデータを書き入れている。権利関係を明示するためでもあり、日本語と英語で書いている。書きながら、この日本語をどのように英訳するとよいのだろう、と考え込んでしまうことがある。 じつはすでにこのブログ日記で掲載したポスターを、いまこそ時宜に適しているだろうと思いつつ、今日あらためて掲載した。掲載すると同時に反応があった。このポスターは英語バージョンは無く、しかも日本語も松尾芭蕉の有名な俳句「朝顔に我は飯食う男哉」のモジリである。「戦争を仕掛けて飯食う男哉」と、私は書き込んだ。この男が誰であるかは私は明らかにしなかったが、いま世界を見渡せば誰であるかは観客の思いに浮かんでくるであろう。・・・しかし、英語でどのように訳す? 私はいくつかの英文を模索した。なかなか私の言いたいことが表現できない。それに、日本語特有の表現「男哉」の「かな」が難しい。 もう時間切れ(そんなことはないが)と、私は次のように訳してみた。Oh man! who has daily meal of only self by setting wars・・・いかがなものだろう。山田維史「戦争を仕掛けて飯食う男哉 ー ポスター」2025年Tadami Yamada "Oh man! who has daily meal of only self by setting wars ー Poster" 2025
May 10, 2026
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私は中学・高校時代を一人暮らしした会津若松市を青春の城下町と言っているが、昨日5月8日の朝日新聞の地域総合ページのコラムに興味を持った。城郭考古学者・千田善博氏がその「お城探訪」で会津若松市の鶴ヶ城の天守閣に関して新しい千田氏ご自身の説を披瀝していられた。 鶴ヶ城(若松城)は、創建当初の黒川城から戊辰戦争時にいたるまで長い歴史を有する。豊臣秀吉が関白になって5年後の1590年(天正18)、蒲生氏郷が秀吉の命によって会津に入り、鶴ヶ城を建てた。その創建当初の天守閣は、絵図によって七層だったと言われる。その後、城主が加藤嘉明に変わり、次いで加藤明成が1939年(寛永16)に、五層天守閣に造り変えた。規模を縮小した天守閣が建つ天守台石垣は、したがって建物の周囲に帯状の余地を残すことになった。 さて、千田善博氏が新たにした説は、天守閣を囲むこの帯状の余地は、蒲生氏郷の創建当初からその形状であったのであり、天守閣そのものが七層ではなかった。すなわち鶴ヶ城天守閣は、「天守曲輪 (くるわ)」の中に建てられたのである、と。千田氏は次のように説明する。 徳川家康が築いた駿府城は〈 大きな石垣の区画の中央に天守を建て、石垣の端に沿って多聞櫓 (たもんやぐら)を巡らした。駿府城の天守周辺の石垣を「天守台」と説明するのは誤りで、本丸から独立した城内最上位の空間「天守曲輪 (くるわ)」の中に天守を建てたと説明するのが正しい。〉とし、鶴ヶ城は〈氏郷が家康の駿府城に先んじて「天守曲輪」の中に天守を建てた先進的な城(記事引用)〉 千田嘉博氏は鶴ヶ城の天守台は「天守曲輪」と評価し直すべきだ、と述べている。絵図に七層に見えるのは、一階の腰屋根などの装飾を描いているのであって、創建当初から七層天守閣ではなかったのだ、と。 私は城郭建築に不案内なので、千田嘉博説を興味深くここに書き留めて記憶する。明治7年に取り壊される前の満身創痍の天守閣写真には駿府城のような多聞櫓は見当たらない。私が会津若松市に在住した当時の鶴ヶ城は、ただ石垣だけ残るまさに城跡であった。石垣堤を探せば土に埋もれて屋根瓦の小さな欠けらが見つかった。本丸は競輪場だったが、その擂り鉢状の構造物が取り壊され、更地となった広場で自衛隊博覧会が開催された。たぶんそれ以前から天守閣の復元が計画されていたのだろう。博覧会から5年後、私が会津を去ってすぐに、天守閣復元工事が始まったのだった。竣工後、私は東京から両親家族の住む札幌に帰省する途中に立ち寄り、夜の闇の中、雷鳴の轟く大雨に打たれながら復元された天守閣を初めて見やった。そのことは先日このブログに書いた。
May 9, 2026
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山田維史 「政治の腐敗 ー ポスター」 Tadami Yamada "POLITICAL CORRUPTION ー Poster"
May 8, 2026
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今朝、庭掃除をしていると家の前を登校する子供たちが賑やかにおしゃべりしながら通った。普段は一人で登校する姿が多い。寝坊をしたのか歩きながらおにぎりを頬張りながら駆けて行く子供を見かけたこともある。きょうは連休が明けての初日、連れ立っての登校となったのだろう。元気な声で何を話しているのか。休みの間の楽しかった出来事を報告しあっていたのかもしれない。私は庭を掃きながら、そんな子供達の姿をおもしろく見ていた。 柿の花が咲き、いくつかが庭に散っている。昨年は毎日かなりの量が落花した。それでも成った実の数は150個以上だった。ことしは大きく伐採剪定したので、いまのところ落花は多くない。まだ咲き始めなので、今後はどうなるか。植木屋さんは、「栄養が集中して大きな実になるかもしれません」と言った。 土佐文旦の花も咲き、細く小さな白い花が、こちらの落花は多い。落花の量の多さは毎年のことである。収穫しないままの実も、一個二個という具合だが、庭のあちらこちらに落下してころがっている。 ガクアジサイとカシワバアジサイも蕾が出始めている。咲くまでにはまだ日にちがかかるだろう。
May 7, 2026
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山田維史 「生態系 ー 試作品」 2015年頃 油彩画をディジタル加工Tadami Yamada "ECOSYSTEM ー Prototype" c. 2015, Digital processing of oil painting
May 6, 2026
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憲法の日につづく「こどもの日」に、あえてこの作品を掲載します。山田維史 「悲しみの街 ー ミケランジェロ "うずくまる少年” に拠る」 2013年 キャンヴァスに油彩Tadami Yamada "City of Sadness ー Based on Michelangelo's Crouching Boy" 2013, Oil on canvas
May 5, 2026
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緑の日の「二人静」2026年5月4日 撮影
May 4, 2026
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May 3, 2026
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私は使用する画材についてかなり慎重に選択する。しかし常々信頼していた製品が、製造ロットナンバーの問題なのか、あるいはその時に使用した私の仕事場の気温や湿度等の環境のせいなのか、とんでもない惨事となっとことが無くわない。或るスプレー噴霧式の仕上げ材を使用したときのこと、噴霧した途端に液剤が白い糸状になって蜘蛛の巣のように画面全体に貼り付き、瞬時に硬化した。作品は完全にダメになってしまった。取り返しのつかない災害である。 購入した画材店にその旨を報告すると、画材店は製造元に問い合わせると言ったが、もちろん返答はなかった。 私は同じ頃に初めて購入した、上述の製造会社の油絵用の下塗り絵具を作品制作に使用せずに、テストしてみることにした。噴霧式画材で懲りたからだ。 通常の制作どおりにキャンヴァスに塗り、10年間そのまま放置してみたのである。気の長い話だが、・・・10年後、キャンヴァスに塗った下塗用の絵具は、モノノミゴトにひび割れていた。劈開剥離はしていないが、画面全体がまさに蜘蛛の巣状にひび割れていた。 ああ、10年間は長かったが、本画に使用しなくて正解だった、と思った。私はひび割れが走るキャンヴァスを眺め、それからその罅に赤い絵具を塗り込めてから布で拭き取り、乾燥後に黒い絵具を塗って、それが乾燥してからさらに黒絵具を拭き取って先に塗った赤い色が浮き出るようにした。そこに鉛板を粗く叩いたものを貼り付けた。・・・下に掲載したのが、その「作品」である。山田維史「悲しみ ー 閉じられた窓」(部分) 2000年 ひび割れ加工したキャンヴァスボードに油彩、鉛板Tadami Yamada “Grief ー Be Closed Window” (part) 2000, Oil and lead on cracked canvas board
May 2, 2026
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前年の秋以来、鉢植えの小菊を屋内の窓辺で育てていた。菊花展で買った丈5cmにも満たない文字どおりの小菊である。花が枯れた後に摘花し、施肥をし、折に触れて潅水をしてきた。年始頃には新しい芽が出て、3月には4本の茎が立ち若葉がひらいた。窓から差し込む陽の光を浴びているのだが、なんだか弱々しい感じがした。深窓の淑女ではないにしても、屋内で育てていては「乳母日傘(おんばひがさ)」の感は拭えないかもしれない。そこで一昨日昨日のやや激しい雨になる前に、外に出し、適度の陽を浴びるようにした。・・・そして、私は驚いたのである。弱々しく感じていた小菊が、4本の茎も葉も、ガッシリになっていたのだ。こんなに目に見えて変わるものか! 命の在りようを私は植物たちや昆虫や鳥たちに教わる。いや、突きつけられるのである。 やや寒さを感じた雨がやみ、・・・2,3日後にはまた降るようだが・・・きょうから5月。まさに五月晴れ。小庭の種々の緑がまぶしい。 寒雨やみ五月初日の衣替え 青穹(山田維史)
May 1, 2026
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山田維史 「冒険小説本未使用表紙画」 1984年 キャンヴァスボードに油彩Tadami Yamada “Unused illustration for the book cover of an adventure novel, 1984, Oil on canvasboard
Apr 30, 2026
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きょうの旧作は、1991年に雑誌「ザ・ビッグマン」の特別記事のための挿画。足利尊氏と足利直義(ただよし)である。1991年のNHK大河ドラマは「太平記」で、足利直義役を演じたのは高嶋政伸氏。雑誌の特別記事はその直義に焦点を絞ったものだった。 「ザ・ビッグマン」誌はたしか前年の1990年に「ビッグマン」誌から改称して復刊した。発行元は世界文化社である。 世界文化社は私の大学への通り道にあった。私は小学生時代に同社発行の「科学大観」を愛読していた。各巻が一つの主題で編集されていて、豊富な写真が掲載されていた。巻頭ページには小松崎茂氏の未来科学絵が色刷りされていた。私は大学への往来のたびに、ああここがあの科学大観の出版社か、と思った。法学部の学生だった私はイラストレーター・職業画家になるとはまったく想像もしていなかった。世界文化社から仕事の依頼があったときはちょっと驚いた。しかもSF小説や幻想小説あるいは推理小説の挿画を各社で描いていたが、私の絵はどちらかというとバタ臭く、もちろん依頼があれば何でも描くけれども、まさか日本史に関する絵を注文されるとは思っていなかったので、それで驚きもしたのだった。山田維史 「足利尊氏・直義 ー ザ・ビッグマン誌記事挿画」 1991年 世界文化社刊:キャンヴァスボードに油彩Tadami Yamada “Illustration for magazine article on Shōgun Ashikaga Takawuji and his younger brother Tadayoshi in 1300s” 1991 published by Sekaibunkasha Co., Ltd. : Oil on canvasboard
Apr 29, 2026
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自分の作品に対する世間の評価が、じつは私はその理由があまりわからない。ほとんどまったく気にならないというのが正直な気持ちなのだが・・・。もちろん職業人としては制作を請け負った仕事は、依頼者(社)に利益をもたらさなければならない。私の長い経歴において、私自身のために描いたことはない、と断言できるのだが、とはいえ仕事の喜びとか制作上の新しい発見や工夫の成就に人に知れない喜びと満足感、精神的な充足があることは確かだ。それだからこそ50年60年と工場の製造機械を稼働するようにやってこれた。 世間の評価をあまり気にしないと言ったが、じつは最近、初期作品等を整理しながらあらためてSNS(tumblr)に掲載している。するとそれを見た人たちが「好き」とマークを付けて、さらに自身のブログ等で拙作をリブログして拡散してくれている。ありがたいことだ。しかし、私は不思議に思っているのだ。なぜこの作品を大勢が気に入ってくれているのだろう? と。たとえば下に掲載する39年前にある大企業のために描いた「カマキリ」の絵は、先月末日に掲載し、きょうまで1ヶ月、他の作品に抜きん出て「好き」と言っている。そのほとんどが外国人観客だと推測しているが、・・・なぜ? 作者の私が、その人たちの感受性・・・この作品から何を読み取っているのかを推測しかねているのである。 山田維史 「企業PR誌表紙絵 ー 環境シリーズ “カマキリ”」 1987年 キャンヴァスボードに油彩、アクリル絵の具Tadami Yamada "The cover illustration of a corporate PR magazine ー Ecological Series〈PRAYING MANTIS〉” 1987, Oil and acrylic on canvasboard
Apr 28, 2026
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昨夜からの雨が一日中ふりつづいていた。外出予定だったが億劫になって中止した。 この雨を小庭の植物たちが喜んでいる。普段、潅水するのとは違った表情になる。私の思い込みとも言えない。環境がすべて雨で洗われるのだから土埃も流れ、緑が鮮やかに、目に冴え冴えと映るにはちがいない。けれどもやはり植物たちは雨を喜んでいるのだ。 埼玉大学の研究だったと記憶しているが、分子生物学やその可視化技術の発達によって、植物が外部からダメージを与えられると、伝達信号が発せられてダメージを受けない葉などが一種の防御体勢になることが判明した。 もう半世紀以上前から植物の感情・・・というか、外部からの刺激に対する感受性があることが判っていた。たとえば観葉植物に人間が優しさを示すと、植物の組織に反応が現れるというのである。 我が家の柿の木をおおきく伐採剪定したことはこのブログに書いた。あれからさしたる日にちが経っていないのだが、じつは残した太枝からまったく新しい芽があちらこちらに生じ、すでに若葉をひらいているのだ。植木屋さんが「すぐにまた大きくなると思います」と言ったが、大きく伸びるというより、新しい枝を張るであろうことが見て取れる。 私はこのブログで何度か書いているが、柿の木に限らず、小庭のあらゆる植物の生命力には驚嘆させられる。それは私の喜びに変わる。歳をとったなどと慨嘆していられなくなるのである。ハハハハ。
Apr 27, 2026
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山田維史「キャベツ - 食品図鑑」 1987年 週刊文春挿画、文藝春秋刊 : キャンヴァスボードに油彩、鉛筆Tadami Yamada "Cabbage ー Food Encyclopedia"Illustration for weekly magazine SHŪKAN BUNSHUN1987, published by Bungeishunjū Co., Ltd.Oil and pencil on canvasboard
Apr 26, 2026
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山田維史「トリュフ - 食品図鑑」 1987年 週刊文春特集記事挿画:キャンヴァスボードに油彩Tadami Yamada "Truffle ー Food Encyclopedia" Illustration for Weekly Magazine SHŪKAN BUNSHUN,1987, published by Bungeishunjū Co., Ltd.Oil on canvasboard. トリュフを描くに当たってはちょっとした思い出がある。私は当時日本有数の高級トリュフ輸入会社の社長に直接電話して、これこれこういうわけだがトリュフを売ってくださいませんかと話した。社長は、数日後に産地から届くので来社してくれ、と言った。私は約束の日に訪れ、社長に面会した。社長は社員にトリュフを持ってこさせ、「これをお持ちください」と言い、私は「代金は文藝春秋にご請求ください」と申し出ると、社長は「結構です。代金はいりません」と言った。 たしかそのトリュフは一個が当時の金額で20,000円以上だったと記憶している。現在の貨幣価値で30,000円ほどか。 私はトリュフの包みをバッグに入れて帰宅した。バッグから芳醇な香りがたちのぼり、途中で2度3度、バッグの口を開いて、その香りに酔った。 描き上げて入稿後、文藝春秋にトリュフを持参すると、「山田さんがお使いください」と言った。 そして・・・私はまず「オマール海老アスピックのトリュフ添え」をつくった。残りは瓶詰めにし、その後何日間かは家族で私のフランス料理を堪能したのだった。
Apr 25, 2026
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山田維史「カリフラワー - 食品図鑑」 1987年 週刊文春特集記事挿画:キャンヴァスボードに油彩、鉛筆Tadami Yamada "Cauliflower ー Food Encyclopedia" Illustration for Weekly Magazine SHŪKAN BUNSHUN, 1987, published by Bungeishunjū Co., Ltd. Oil and pencil on canvasboard.
Apr 24, 2026
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こでまりにまぎれる嫗翁かな 青穹(山田維史) こでまりや此岸に寄せる波がしら こでまりや此岸へ波はいずこより
Apr 23, 2026
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山田維史「ゲオルグ・ハイム ”十月五日” の表紙絵」1974年 文林書院刊 木版画Tadami Yamada "Book caver illustration of DER FÜNFTE OKTOBER by Georg Heym, 1913" Published by Bunrinshoin Co., 1974. Woodcut.(下の画像は、本のできあがりを想定して厚紙にグァッシュで描き、形にした実物大ダミー。これを出版社と大学側とで検討した。一般会社の幹部等との広告デザインや装丁検討会議では、ダミーによるプレゼンテーションが有効であることを、私は装丁家の栃折久美子氏に教わった。栃折氏に実習講義してもらえたことはありがたかった。1969年だったと記憶している。まだパーソナル・コンピューターがなかった時代ある。上掲の本番用の木版画はこのダミーどおりにほぼそのまま彫った。) この本は、或る大学のドイツ語履修学生の副読本として、オリジナルのドイツ語で出版された。 文林書院は、各大学使用の語学副読本と英語の一般教本を専門に出版していたが、すでに存在しない。個人的な思い出を述べれば、ドイツ語担当編集者・高田氏とは3冊の大学用副読本を作った。 また、フランス語担当の浅沼氏とは1973年1月に生田耕作先生の講義用の本を作ったが、これが文林書院での私の最初の仕事だった。前年の1972年、シュルレアリストのピエールマビーユ "LE MERVEILLEUX (驚異)"のためのイメージ・デッサンをペンとインクで描き、それを浅沼氏は関西在住の生田耕作先生に送っていた。当時、生田先生は二つの大学で講義を持たれていた。そのうちの一校で私のイメージがエロチックだということで拒否された。単純な線で描いたいわば抽象的なものだったが、生田先生はその絵を所蔵したいとおっしゃられた。私は第二案を描いてそれが両校で採択されたという経緯があった。 文林書院が私に依頼した最後の仕事は、英語の一般教本の広告パンフレット製作だった。その表紙デザインのために私はいくつかの箱のオブジェを作り、広告写真家に依頼してスタジオ撮影した。 文林書院が発展的に行人社に社名変更してから、浅沼氏は国学院大学教授で小説家の花輪莞爾先生と私を結びつけてくれた。そして行人社で花輪氏の短編小説集『悪夢名画劇場 I, II』を作った。お二人が我が茅屋を訪ねて来られた日を懐かしく思い出す。高田さんと、ある日、山手線の電車の中でバッタリ出会ったことも思い出す。みなさん故人となられた。
Apr 22, 2026
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山田維史「光球をとらえる」1971年 紙に木炭Tadami Yamada "Capture the Sphere of Light" 1971, Charcoal on paper
Apr 21, 2026
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現在、初期習作をはじめ昔の拙作を整理している。そのなかに40年前の1985年に当時の西ドイツの週刊誌の依頼で描いた原画がある。絵の中に「四十年後の日本」と書き込んでいる。その週刊誌の特集タイトル(もちろんドイツ語)だったのだが、これは戦後40年、すなわちこの絵を描いた1985年ということである。・・・今年2026年はあれからさらに40年が経過したわけで、まさに私自身の実年齢とぴたりと重なっている。そんな私の感慨もあり、あえてここに掲載する次第である。山田維史 1985年 キャンヴァスボードに油彩Tadami Yamada 1985, Oil on canvasboard
Apr 18, 2026
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朝、庭の掃き掃除をしているとご近所の方が柿の木を指差して、「全部伐ってしまったんですね」とおっしゃった。下の方の太い枝は残したのだが、門の外側から見るとすっかり伐採したように見える。長い年月の間、150から200個もの実をつけていた柿の木には可哀想なことだったが、植木屋さんが「またすぐに大きくなりますよ。ここにはもう新しい芽が出ています」と幹を指差しながら言ったとおり、残した二本の太枝は若葉を広げている。「栄養がこの枝に集中するから、いい柿が生ると思います」と植木屋さんは言った。 4月が早くも半ばを過ぎた。スーパーマーケットの野菜の棚に筍がならんだ。さっそく一本買った。良い香りがする。 夕食は私が好きな筍飯。毎年、初物の筍は筍飯にする。半分に切って、残りは土佐煮にした。家人が「おいしい!」と感嘆した。このことばが作った私には嬉しい。もちろん私自身も「おいしい!」である。
Apr 17, 2026
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アメリカのニュース番組やYouTube等における主に政治問題解説サイトを視聴すると、その英語の早口に私はまったくついて行けなくなる。20分30分間、まくしたてることにも呆れながら困惑する。のみならずその話法、かならずといってよいほど譬え話を挿入する。取り上げている問題の重要点を、噛み砕いて視聴者が理解しやすいようにしているのであろう。しかしながら私は、かえって冗長になって問題点が薄まっていくように感じる。そして、それが「英語脳」なのだろうか? と思いながら、もしかするとアメリカの一般的な教育過程で、最上の話法(エロキューション)は、そうであらなければならないと教わるのだろうか? 演劇的でもあるディベイト(debate; 論争)教育は、相手の意見に耳を傾け自論を構築する練習に有効であると思うが、同時に何が何でも相手を「やっける」という気質を育むかもしれない。教室ディベイトを 演劇的と私が言うのは、対論者がおたがいの本心と自論は抜きにして、振られた役割で論戦する”ゲーム”だからである。 トランプ大統領の演説や質問に対する答弁は、ことさらに独特である。多弁、冗長、逸脱、すり替え、思いつき、他人攻撃、悪口、自己礼賛・・・と、これらすべてが一度の弁舌に入ってくる。これがトランプ大統領の話法である。政治的弁舌である。 トランプ話法に似たような話法は、日本においても政治ばかりではなくYouTube等のメディアに突然のように現れて論客として人気を獲得している人たちの話法でもある。彼らが取り上げるのは概してゴシップ的な話題ながら、一応正論と言えなくもない。ただし、攻撃している議論に対する自己の立ち位置はあいまいで、相手の論に代わる建設的な自論は多くの場合は持っていない。相手を攻撃することで自己の精神の自立を得ようとしている。つまり、話しているうちに問題点のすり替えを(おそらく無意識に)巧みにおこなっているのである。この論法は、かの (知の巨人と称されている)小林秀雄もやっていたことだ。多くは座談会のような対論の場合だが、小林秀雄はもちろん修辞の巧みさのうちに意識的にやっていたのだ。 それぞれの国々にはそれぞれの「気質」があるとは、しばしば言われる。民族気質もあろう。文化に起因する気質のグループ分けもできるかもしれない。 わが日本国内においても、なかば冗談まじりのこともあるが、大阪人気質だとか名古屋人気質だとか、昔から言われてきた江戸っ子気質だとか。歌謡曲『湯島の白梅』(佐伯孝夫作詞)にも「・・・堅い契りを義理ゆえに 水に流すも 江戸育ち」とある。 もちろん人それぞれに違いないが、おおざっぱながら地方気質があるとも言える。 ところで、過日紹介したジョン・スタインベックの『チャーリーと一緒にアメリカ探しの旅 (TRAVELS WITH CHARLEY IN SEARCH OF AMERICA)』に、こんな一節がある。翻訳してみる。 「ニューイングランド諸州では、簡潔な指示、つまり言葉も文字も少ない簡潔なラコニック(laconic)様式の印刷シートを使用している。ニューヨーク州は、常にあなたに指示を出す。このようにしなさい。これをしなさい。左に押しなさい。右に押しなさい。数秒ごとに威圧的な命令がある。オハイオ州の標識はもっと簡潔である。フレンドリーなアドバイス、提案のようなものだ。一部の州は、最も広大な東部で迷子になる可能性がある冗長なスタイルを使用している。前方の道路状況で何を見つける可能性があるかを教えてくれる州もあれば、自分で見つけるようにしている州もある。ほとんどすべての州が、副詞を捨てて形容詞にしている。徐行運転 (Drive Slow)。安全運転 (Drive Safe)。という具合だ」 スタインベックの観察による指摘は、やはりそれぞれの地方の気質が制度・政策に反映していると見てもよさそうだ。 海外からの旅行者が日本の公共施設の標識のみならず商店内の張り紙の文言に「いきとどいた親切心」を指摘する声を聞くことが少なくない。その声はときに感嘆でさへある。日本人として嬉しい声である。しかし、一方で、外交人を排斥しようとあの手この手を使っている人たちがいることも事実であり、それを日本社会の総意であるかのように制度化しようとしているのも事実である。蛙が可哀想になる喩えだが、「井の中の蛙」的な偏狭気質と言おうか。・・・人間の振る舞いの悪例として動物に喩えることができないほど、人間の気質が堕落しているにちがいない。
Apr 16, 2026
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山田維史 「卵人」 1977年頃Tadami Yamada "Egg-Man" c.1977
Apr 13, 2026
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山道の麓に古い馬頭観音の小祠がある。まさか祠に手を入れて石像の背後に刻まれてあるであろう銘文を読むことができないので、いつの時代の御像かはわからない。昔は馬道だったのだろう。いまでもご近所の方々が折々に花を供えている。また、立ち止まって手を合わせていられるのを見かける。 今朝、といっても9時を過ぎていたが、約束があったので山を下った。馬頭観音の後ろから斜面となる山の雑木林で鶯の鳴き声がした。おそらく若い鶯だ。鳴き声が澄んでいる。私はちょっと立ち止まって、二度三度鳴くのを聴いていた。かつて我が家の小庭の木々にも鶯がやってきて鳴くことがあったが、残念なが近年はやってこなくなった。カラスやハトやヒヨドリやスズメは来るのだが・・・。 先日、植木屋さんが柿の木を伐りにきて、小庭の木々が我が家の人手で植えたのではないこと、おそらく山から風に運ばれたか鳥たちの糞のなかの種子が発芽して、10年20年経つうちに薮になったのだと言うと、ちょっと呆れていた。植木屋さんはシュロの葉を見つけて、これも大木になる、と言った。私の脳裏に樹高1,2メートルのシュロの映像が浮かび、あわてて引き抜いた。 しばらくぶりに電車に乗った。通勤時間を過ぎていたので乗客はまばら。私の前の座席に60歳半ばかと思われる男性が文庫本読んでいた。ハットをかぶって俯いているので目元は窺えないが、口をへの字に結んで熱心に読んでいる。その口元がときどき笑いで綻ぶ。そしてまたへの字になる。・・・何を読んでいるのだろう。 私はしばしば本を読んでいる人を観察する。私自身は電車内で本を読むことはないが、じつは今日はバッグの中に文庫本を一冊入れて来た。約束の時間まで待つことになるかもしれないと思ったのだ。『中国戦乱詩』(鈴木虎雄博士編・和訳、講談社学術文庫)。本書は昭和20年2月に『禹域戦乱詩解』として刊行された漢詩とその和訳および注解。大東亜戦争(第二次世界戦争・太平洋戦争)の終戦半年前、私が生まれる3ヶ月前に、本書を刊行された鈴木虎雄博士の御意志を想わずにはいられない。そしてまさに今、愚かな上にも愚かな世界の為政者たちがまるで殺人と破壊を楽しむように戦争をしている。私はこの漢詩本をもう一度読み直してみようと思い、バッグに入れたのだった。 よけいなことだが、これらの漢詩には私の名前の一字「維」がしばしば使われている。鈴木博士は、「これ」と読まれていられる。たとえば、 不易維王 (やすからずはこれおうなり) 維徳之行 (これとくをおこなう) さてさて、 目には青葉山ほとゝぎすはつ鰹 山口素堂 きょうの夕食は初鰹のたたき。
Apr 10, 2026
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午前9時から植木屋さんが来て小庭の柿の木の伐採と剪定を開始。私の希望する樹形を考慮しながら、命綱をつけて3時間の作業。伐採木等を小型トラックに積み込み、掃き掃除をし、12時10分に終了。若葉が出始めているが、繁らないうちに伐ろうと思っていたので、一安心だ。空が開け、・・・少し寂しくなったが、また勢いよく伸びるだろう。
Apr 8, 2026
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午前中に伐採・剪定の見積をとるための参考に柿の木の写真、および機材を運び込むためのスペースの写真など、方向を変えて撮影。メールで送信。 私はいわゆる遊興の「花見」はしないが、裏山や浅川の土手の桜は楽しんでいる。 ところで会津若松市在住で、YouTubeで「AIZUチャンネル」を主催しているアキくんが、本日6日の会津鶴ヶ城のみごとな桜を撮影して掲載している。 会津若松市はわたしの青春の城下町であるが、私が熟知している会津若松は65年以上前の街であり、いまの会津若松市にことさら懐かしさを感じるわけではない。・・・と言いたいところだが、青春時代というのは不思議なものでアキくんの映像を観ていると、何かそこはかとなく感覚に触れてくる。 昔の姿をとどめるものはない。しかし、本丸の現在茶室「麟閣」のある背後の土手で中学入学のクラス写真を撮影したことを思い出し、ああ、桜が咲いていた、と。そして私は家族と離れて、知る人もいない町で一人暮らしが始まったことを思い出す。写真の中の私は少し緊張しているようだ・・・などと。 また、戊辰戦争時も鳴らしつづけられた城内の鐘撞堂の鐘は、現在は一日一回、正午のみに鳴らされるとアキくんが言っているが、昔は朝夕に鳴らされていたはず。そして私は西出丸の濠をはさんだ藩校日新館の跡地に住んでいたので、その鐘の音を毎日聞いていたのだった。 ・・・鐘撞堂も私が在住した当時のままではなく、板壁などが修復されているように映像では見えたが・・・。廊下橋の朱色も塗り替えられて、昔より明るい朱色になったようだ。擬宝珠も新しくなり、それらの色には時間が降り積もってはいない。本丸に入る太鼓門への椿坂も、しかり。歩きやすく、また車が通れるように作り変えてしまっている。昔は椿坂から車が入るなどとは、少なくとも私は考えられなかった。 そうそうアキくんが一本の桜に「タカトウヒガンザクラ」と字幕をつけていた。タカトウは、信州高遠である。藩祖保科正之公は、徳川二代将軍秀忠の子であるが正妻の子ではなかったので、生まれるとすぐに高遠藩に養子御預けになった。現在、鶴ヶ城が桜の名所となっているのは、高遠から御厚意で桜が贈られたのである。 私は大学一年のときに、東京から両親の住む札幌へ行く途中、会津若松に立ち寄った。私が会津を去って後に再建していた鶴ヶ城の天守閣が竣工して間も無かった。夜だった。はげしく雨が降っていた。雨のなかで私は、中学入学時にクラス写真を撮った土手の上にたたずんで天守閣を見やった。稲光が走り雷鳴が轟いた。天守閣が闇のなかに紫色に明るんだ。・・・西出丸を出て、濠の一隅にあった貸しボート屋(現在はない)の店先の赤電話からタクシーを呼んだ。店の子息らしい少年がタクシー会社の電話番号をおしえてくれた。そして私は何かを胸に畳んで会津若松駅に向かっのだった。気が強かった私の胸に初めてセンチメンタルが萌したのかもしれない。・・・あのときから61年が過ぎた。AIZUチャンネル「桜満開! 見に行こう」
Apr 6, 2026
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朝方まで二日間降り続いた雨が止んだ。庭の紫陽花はおおよろこびである。ムサシアブミも毎日勢いよく伸びて、筍のような大きな芽の先端から鮮やかな緑の若葉が覗きはじめている。 柿の木も若葉が出始めているが、あまりにも背高く、また枝を大きく広げていて、じつは塀を越して隣家にまで伸び困ったなと思っている。四年ほど前に一度、私自身が伐採して切り口に保護剤を塗布した。しかし植物の生命力はすごい。樹高はいまや7mを優に越す。今日、雨も止んだことだし、葉が繁る前に伐ろうと思い、号具類を用意し、ヘルメットを冠り、軍手を穿いた。木を見上げて、これは私が伐るのは無理だと思った。専門の職人に依頼したほうが良い、と。 明日にでも依頼のメールを送信するために、添付するための写真を撮影した。現場を視察に来るだろうが、見積が確定するまえに一応の検討をつけておきたい。
Apr 5, 2026
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NASA有人月探査船打上げ(4月1日) わが星を離れてむかう春の月 青穹(山田維史) ◯ わが星を離れてむかう朧月 春の地球(ほし)宙(そら)から見れば美しく 四日の雨 わが星の燃ゆるを消すや春の雨 亀鳴くや嘯く人の支配かな ◯ 鳴くや嘯くおろかな国の長(おさ)*【註】亀鳴く:鎌倉時代中期の藤原為家の歌「川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば龜のなくなり」が典拠とされる春の季語。都人為家が田舎村川越に行き、遠く田んぼから聞こえてくる鳴き声に、あれは何だと問うと、村人は「亀が鳴いているのでございます」と応えた。鳴かない亀を鳴いたと言う、その愚かさの喩えになっている。 「希望を失った者は権力者があやつりやすい」・・・ある外国映画のセリフ(題名を失念!)
Apr 4, 2026
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我が家の春の植物の若葉ムサシアブミの芽 2026年4月3日 撮影ヤマジノホトトギス若葉 2026年4月3日 撮影タチツボスミレ 2026年4月3日 撮影カエデ 2026年4月3日 撮影フタリシズカ芽と若葉 2026年4月3日 撮影
Apr 3, 2026
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霊園の道をたどれば辛夷咲く 青穹(山田維史) ひとしずく辛夷の瓣の盞に 赤ん坊の私が祖母に抱かれて指差したのが辛夷だったとか。祖父母や父母の眠る霊園への道筋に、毎年、みごとな辛夷が咲く。 骨壷のまるきに添える花明かり
Apr 2, 2026
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世界中が毎日々々嘘だらけ。なにをおまさらエイプリル・フール。せめて4月1日はトゥルース・オブ・トゥルース・ディーにしたらどうかね。 遅き日のつもりて遠きむかしかな 蕪村 老いの日やつもりて永きあくびかな 青穹(山田維史) むさしあぶみ 一日に一寸のびる芽の力 散りてのち咲く花もあり春なかば
Apr 1, 2026
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四日前の3月26日のBBC NEWS、一日遅れて27日のCNN 等が、フランスの「三銃士」で知られ、国王ルイ14世の側近ダルタニャンのものと思われる遺骨が、オランダの教会の祭壇地下から発掘された、と報じた。遺骨がダルタニャンであるかどうかを確認するために、現在、DNA鑑定がおこなわれているという。 発掘に関わったオランダ・マーストリヒトの聖ペトロ・聖パウロ教会の助祭によれば、遺骨のそばにマスケット銃の薬莢および1660年のルイ14世のミサで贈られた硬貨も見つかっていて、それは史実が伝えることに一致するという。すなわちダルタニャン伯爵シャルル・ド・バ=カステルモールはマーストリヒト包囲戦で喉を銃撃されて死亡した。ルイ14世は遺体をパリに搬送して埋葬することを願ったが、そうはならず、そのままマーストリヒトに埋葬された。遺骨が発見されたのは200年前まで祭壇の卓が置かれていた場所の下の聖別された場所だった。 発見にいたる経緯は、ほとんど偶然に近かったらしく、助祭が床のタイルがいくつか割れていたの調べたところ、掘りすすめると壁にぶつかった。助祭はすぐに考古学者を呼んだ。 「三銃士」はアレクサンドル・ヂュマの小説で最も知られていると思うが、この小説の一部分として物語られる「鉄仮面」もまた良く知られている。 私が鉄仮面を知ったのは子どものころにカバヤ文庫から届いた『謎の鉄仮面』によってであった。1954,5年だったと記憶する。カバヤキャラメルに封入されていた点数カードを送って、希望するカバヤ文庫をもらった。私は何冊も送ってもらっていた。カバヤ文庫についてはずいぶん以前にこのブログに書いた。また、同じ頃、集英社の少年雑誌『おおもしろブック』の漫画別冊付録に「鉄仮面」があった。もう記憶があいまいになっているが、ぼんやりではあるが「絵」を思い出すので、やはり漫画だったと思う。 そうそう、1980年代にディクスン・カーのカヴァー絵を依頼されて東京創元社の戸川安宣氏(東京創元社社長・会長を歴任)としょっちゅう会っていたときだった。何の話からだったか忘れたが、気のおけない茶飲話をしていたときに、戸川氏が「ダルタニャンが好きだ」とおっしゃった。いや、「ポルトスが好きだ」とおっしゃったかな? ちょっと忘れたが、アトス、アラミス、ポルトス、この三銃士と固い友情で結ばれるダルタニャン。ちなみに三銃士の銃士とはフランス国王の 近衛騎兵 Mousquetaires (マスケテール)のことである。・・・私も子どもの頃の読書を話してひとしきり盛り上がったことを思い出した。 どうも私の記憶力も薄れてきている・・・ 三銃士や鉄仮面の物語を映画化した作品はたくさんある。レオナルド・ディカプリオ氏が鉄仮面を取り付けられ、三銃士に救出される映画。あるいは、三銃士がマリー・アントワネットにルイ14世から贈られ盗まれた真珠の首飾りを奪い返し、レオナルド・ダ・ヴィンチが発明した空飛ぶ船に乗って王妃に届ける、奇想天外な映画。そして、まさに現在、YouTubeで配信されているアレクサンドル・ヂュマの「三銃士」を翻案した1939年の「The Man In The Iron MASK (鉄仮面の男)」。この映画、ダルタニャンの死について史実とはまったく異なる。どのよに異なるかって? ・・・それは申しません。しかし、まさかその死から350年以上も後に、埋葬場所が謎だった遺骨が発見されるとは、ダルタニャンも想いもせずに眠っていただろう。映画・鉄仮面の男 字幕版
Mar 30, 2026
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いささかならず私は驚いている。アメリカだけでなく世界の大都市で「NO KINGS RALLY」と称してトランプ大統領に対する抗議集会がおこなわれた。 ワシントンDC、ニューヨーク、ミネアポリス、テキサス州オースティンやダラス、そしてパリで、ローマで、テル・アビブで。各地の参加者はそれぞれ数万人におよぶ。ニューヨークの集会にはニューヨーク司法長官レティティア・ジェームズ氏やロバート・デ・ニーロ氏が参加。ミネアポリスの集会にはジェーン・フォンダ氏や州知事ティム・ウォルズ氏、ペギー・フラナガン議員、ブルース・スプリングスティーン氏、ジョン・バエズ氏、歌手マギー・ロジャー氏などが演説した。 (追記:CNNによれば全米での抗議デモストレーション参加者は数百万人。800万人という数字もある。) この集会で参加者はプラカードや横断幕にどんなメッセージを書いているか、私がニュース映像で目にとめたものを例によって書き出してみる。こうしたプラカードは端的な訴求力を要求されるので、おおむね簡単な英語である。私は過去3回、このブログでそれらを見てきた。しかし今回、これまで見かけなかった英語があった。 最初にトランプ政権のトップを実名で糾弾したワシントンDCの横断幕から・・・⚫️ TRUMP, BONDI, VANCE, PATEL, MILLER, HEGSETH, LEAVITT ARREST THEM! (トランプ、ボンディ、ヴァンス、パテル、ミラー、ヘグセス、リーヴィット 彼らを逮捕しろ!)⚫️ Tear the FASCHIST, Down ⬇︎ (ファシストを引き剥がして降ろせ)⚫️ If There's Any Country Deserving Regime Change, It's the United States, (体制変換する価値がある国があるとすれば、それは合衆国だ)⚫️ USAID (註: USA ID とUS AIDを掛けている。アメリカ合衆国自己証明・合衆国救済)⚫️ Protect Children (子供たちを守れ)⚫️ Fight Back Vote Yes! (反撃しよう賛成票を投じよう!)⚫️ No Kings Since 1776 (1776年以降 王はいない)⚫️ George III was more mentally competent, We fired him! (ジョージ3世はもっと有能だったが我々は彼を打ち負かした! 註:イギリス国王ジョージ3世の治世は内外に仕掛けた戦争に明け暮れた。しかしながら1775年に始まったアメリカの独立戦争で、彼はアメリカの13の植民地を失うはめになった)⚫️ Hands Off NYC! (ニューヨーク市から手を引け!)⚫️ They Lie (やつらは嘘をつく) ⚫️ Dignity (品位を備える)⚫️ Freedom of Speech (言論の自由) ⚫️ Peace is Power (平和が力だ)⚫️ We Have A Constitution, Not A King (我々は憲法を持っている。王ではない)⚫️ You Can't Bomb Your Way Out Of The EPSTEIN FILES (あんたはエプスタイン・ファイルから爆撃で脱出することはできない)⚫️ Little Dic tator Energy (註:掛け言葉。卑小な独裁者の元気・短小チ◯ポの精力、dic(k)を連想させている)⚫️ UNIDOS (統一) ⚫️ No War With IRAN (イランと戦争をやめろ)⚫️ American Against Origarchy (アメリカ人は独裁政治に反対)⚫️ No King Here. TRUMP iIs Not Healthy Fot Children And Other Living Things! (王はここにはいらない。トランプは子供達や他の生活の事柄に対して健全でない)⚫️ We're Citizens, Not Subjects! (我々は市民だ、家来ではない!)⚫️ We Vote Not Crown! (我々は王位には投票しない!)⚫️ Guardians of Pedophiles (小児性愛者の守護者たち)⚫️ 💲200B For Healthcare, Not War On IRAN! (2千億ドルはイラン戦争にではなく健康保護に)⚫️ TRUMP'S YES MAN We See You, and We're Sick Of You (トランプのイエス・マン 隷従者よ、我々はあんたたちを見ている。そして、むかついている)⚫️ No Faux King Way! (偽りの王の道は認めない!)⚫️ DONALD, You Ignorant SLUT (ドナルド、無知な売女め)⚫️ Grandparents Whistle For Truth And Freedom. Stop All Wars (祖父母が真実と自由を口笛で呼んでいるぞ。すべての戦争をやめろ)⚫️ DIssent Is Patriotic ACLU (意義を申し立てることは愛国的だ。- アメリカ自由人権協会)⚫️ ICE Must Go! Whole Trump Fascist Regime Must Go Now! (移民捜査局は出て行け! すべてのトランプ・ファシスト体制は今すぐ出て行け!)⚫️ 250 Years Of No Kings (250年間 王はいなかった)⚫️ End Imperialism (帝国主義の終焉)⚫️ No One Is Illegal On Stolen Land (盗んだ土地には違法な者はいない。 註:逆説的皮肉)⚫️ Free Palestine, Lebanon (パレスチナとレバノンを救え)⚫️ Too Orange, Too Senile, To Rule! (オレンジ色すぎる、もうろくすぎる、規則を! 註;トランプ大統領の顔色が不健康なオレンジ色になっている。オレンジ色がアメリカ社会でフェイク・キングの代名詞になりつつある)⚫️ Enough Already!!! (もうたくさんだ!!!)⚫️ Stop The U.S.-ISRAELI War On IRAN The Revcom Corps For The Emanciation Of Humanity (イランに対するアメリカ-イスラエル戦争をやめろ。ー 人類解放のための革命軍団)⚫️ Who Voted For This? Lets Talk or Please Talk to Someone! (これに投票したのは誰だ? 話合おう、あるいは誰かに話してください)⚫️ Regime Vhange Starts At Home (体制変換は家庭ではじまる)⚫️ Goverment Serve The People (政府は国民に奉仕するものだ)⚫️ Impeach Covict Remove (弾劾して罪人を取り除け)⚫️ Republican Cowards, Speak Up! (共和党の臆病者たちよ、声をあげろ!)⚫️ Imagine America Without TRUMP (トランプがいないアメリカを想いえがけ)
Mar 29, 2026
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数日前からジョン・スタインベックの「Travels With Charley In Search Of America (チャーリーとアメリカを探す旅)」を読んでいる。スタインベックがチャーリーという犬とともに、ロシナンテと名付けた3/4トンのピックアップ・トラクで、アメリカの36州を巡る旅の話である。 スタインベックは長年ニューヨークに住んでいる。ほかにシカゴあるいはサン・フランシスコにちょっと居たことがあるだけ。しかしニューヨークはもはやフランスのパリやイングランドのロンドンのようではない。ニューヨークにアメリカを代表することはできない。スタインベックは「作家としてアメリカを語っていなかった」と気づいたのである。作家として名声を得たが、ニューヨークで25年間の空白の時を過ごしたのだ、と。アメリカ国内をこの目で見、この耳で聞かなければならい・・・。 そして、どこにでも駐車可能なピックアップ・トラックを用意する。トレーラーでは大きすぎると考えた。車体に「ロシナンテ」と書いた。ロシナンテはドン・キホーテの馬の名である。 私は毎晩少しずつ読んでいるので、まだスタインベックは旅に出発していない。 ところで、なぜ私がこの本を私の本棚から探し出したかというと、じつは数年前から車載動画をYouTubeに掲載しながらアメリカ50州の街・・・観光客がおそらく行かない街を訪ねている人がいて、その映像はアメリカの繁栄はほぼ都市部に限られていて、いわば田舎町は、そこが歴史的に意義のある町であり各種産業が栄え鉄道が敷設された町であろうと、いまや人口わずか数百人から2,3千人となり、見る影もなく寂れ、あるいはゴースト・タウン化している。日中だというのに人影さへない。・・・いたるところの町々がほぼ廃墟化しているのである。 動画の撮影者は、自分の推測や想像をまじえた説明はしない。ダウンタウン(中心街)の様子を見せ、住宅地にも入ってみる。・・・そこに映し出されるのは、ニューヨークのマンハッタンの繁栄と雑踏とはまったく無縁な、むしろ真逆なアメリカの姿である。 ・・・あれはたしかスティーヴン・セガール主演の映画沈黙シーリーズの1作だったが、スティーヴン・セガールが娘の結婚式に出席するためにニューヨークにやって来てタクシーに乗る。するとタクシーの運転手がバックミラー越しに「カリフォルニアですか?」。「どうしてわかる」とセガール。すると運転手は「ニューヨークではそんなに日に焼けません」と言う。 ニューヨークにもマンハッタンとはまったくことなるフォレスト・ヒルのような高級住宅地がある。静寂にみたされた気品さえ窺わせる街である。観光客がおそらく見ない、アメリカ経済社会に堅実に根付いて暮らす人々の街である。 スタインベックの上述の初版本は1962年に出版されている。したがってYouTubeの動画に記録されたアメリカの町々の現状とはことなる。その異なるところに、私は考えるべき何事かがあるのではないかと思っている。 街や山村や農村が人口流出等によって廃墟化しているのは、日本とて同様である。近年、コロナヴィルス禍による観光客の減少で温泉地等が破綻を来し、廃墟化が世間の目にあらためて認識された。あるいは郊外型大型店舗の進出によって中心街の小売店が廃業に追い込まれ、いわゆるシャッター街が多出した。・・・これらの事例には、街をどのようにデザインしたらよいかという問題があるだろう。アメリカ式の郊外型店舗の出現は、高齢者の生活を無視しがちだ、ということも問題であろう。YouTube アメリカ・ロード・トリップYouTube アメリカ・ロード・トリップYouTube アメリカ・ロード・トリップYouTube アメリカ・ロード・トリップYouTube アメリカ・ロード・トリップYouTube アメリカ・ロード・トリップ
Mar 28, 2026
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春雨や宿かす鳥の名もしらず 青穹(山田維史) 甍打つおと寒々と春の雨 老骨は寒けれどさて草萌える
Mar 26, 2026
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なんだか寒い日だ。小雨が降っている。 その雨に打たれて庭の木瓜(ぼけ)の紅が鮮やかだ。2026年3月25日 撮影 下の写真は窓辺の小菊の若葉。 その後ろの像は、古代中国伝説の南極仙翁(寿老人)。長寿の象徴の仙果である桃を手にしていられる。この唐金(青銅)像は祖父の時代からのもので、右手に長い杖を持っていられたのだが、私が幼少だったころに失われてしまった。その杖の形状はまだ私の記憶にあるので、新たに鋳造しようと思いながらできずに長い年月が経っている。2026年3月25日 撮影
Mar 25, 2026
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世界情勢、社会情勢について書こうにも、あまりにも酷さが酷く、人間のばかっぽさに我も人間ながら絶望的になりそうで書けない。 そこでごく些細などうでもよいことを書く。 長年にわたってアメリカ映画を観てきたが、自転車が出てくると、その自転車にはいわゆるスタンドが備わっていないことに気付く。おとなでも子供でも勢いよく乗って来て、止まり、そのままズデンと横倒しにしてしまう。日本人の私にはそれがいささか不可解な光景だ。日本製の自転車は、競技用は別にして、一般車にはすべてスタンドが装備されている。後車輪を挟む∐型のものや、片側だけの亅型のものなどだ。こんなものを取り付けて製造することなど簡単であろうに・・・と私は思ったものだ。 スタンドの有る無しとは関係ないが、私はニューヨークでしょっちゅう目にしていた光景を思い出す。自転車でやってきて、どこかへ用足しに行く。そのとき自転車は街路樹とか何か適当な鉄柱などに横づけて頑丈な鎖で縛り付ける。さらに前後の車輪を分解して取り外し、手に持って出かけるのだ。盗難防止のためであるが、私はこれには呆れるやら驚くやら。そうでもしなければ、ニューヨークという街は安心できないのだろう。 ところで、自転車のスタンドの話に戻ると、アメリカの自転車にもスタンドが装備されているものもあるらしいのだ。実話をもとにしたエド・ハリス氏が国語教師を演じている学園映画『スクール・ディズ (原題:That's What I Am)』にそれが出てきた。現在作家となり活躍する人の少年時代の物語だが、その少年がアルバイトの新聞配達するときに乗っている自転車だ。その自転車を乗り回すシーンは何度かあるが、スタンドを下ろして止めるシーンは一度だけ。・・・私の記憶をあれこれ探って、アメリカ映画に出てくる自転車にスタンドが付いていたのはこれが初めてだ。映画『E. T.』は空を飛ぶ自転車のシーンは有名で、子供達が自転車を乗り回すシーンはたくさんある。しかしその自転車にはスタンドは装備されていない。 蛇足だが、映画『That's What I Am』は、「それが私」ということ。教師が子供達に自己の発見と自愛を教える物語である。私自身の樋口カエ子先生をおもいだし ・・・まあ、こんなことはどうでもよいのだが、やはり物扱いにたいする考え方の違い、文化の違いがあると言ってよいかもしれない
Mar 23, 2026
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WBC (ワールド・ベースボール・クラッシック)の決勝戦。USA vs ベネズエラは日本時間18日 (現地時間17日) にマイアミでおこなわれ、2−3でベネズエラが優勝した。史上初の快挙となった。ベネズエラは無論のこと、チャンピオン・カップが南米大陸にもたらされることも史上初めてである。 日本でおこなわれた準々決勝戦で日本と対戦したベネズエラ。連覇を期待された日本チームは、激戦の末にアクーニャ Jr氏の逆転3塁ホームランで敗れた。私は日本人として残念ではあったが、ベネズエラの勝利を祝して胸中でベイコクには負けるなよ、と声援を送った。 しかし、そのときベネズエラがほんとうにUSAと決勝を戦うとは想っていなかった。USAチームが勝ち進んで行くとも想っていなかった。ただ何はどうあれ主権国家の大統領を拉致してその国を攻撃したギャングライクな大統領の鼻をあかしてやれ、と思っただけだ。 決勝戦でベネズエラが3-2となり、USAを残り二つのアウトで押さえ込めば勝利となったとき、外野手であったアクーニャ Jr.氏がフィールドで泣きだすのが目撃された。グラブで顔を隠すのだけれど、あふれでる涙を抑えきれない。守備の構えをするのだが、涙がとめどなくあふれる。そのたびに目頭をぬぐっていた。 ・・・ロナルド・アクーニャ jr.氏はUSAで活躍するNLBのスーパースターであるが、準々決勝の対日本戦で山本由伸投手からホームランを奪ったのは彼であった。日本の野球ファンの中には複雑な思いでアクーニャ Jr.氏のグラブに髭面をうずめる姿を見ていたかもしれない。そしてベネズエラ選手たちの胸中には、言葉のどんな意味でも「国を背負っている」という思いがあったのではないか、と私は思った。スポーツに政治は持ち込まないことは、当然の原則としなければならないと思う。しかしながら、ほとんど妄想とも言える自己の物語に固執して世界で暴走する狂ったナルシストとその隷従政府にベネズエラは自国の主権を侵されて、純粋スポーツ精神などと言ってはいられまい。それは政治の問題でもなければ、スポーツ・オンリーの問題でもなく、心理学の問題だからである。如何?
Mar 18, 2026
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