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息子は6歳。昨日言われた一言に傷付いてしまって、今日は鬱。・・・私は心が狭い。たかが6歳の子供に言われたことで、どうしてこう落ち込んでしまうのか。どうして軽く受け流すか、もしくは許し・忘れる事が出来ないのだろう。=======================================================昼メロ、「薔薇と牡丹」そんなもん働いている身には関係ない。けれどそれでブレイクした女優が昨年からテレビに露出している。小沢真珠。デビュー当時は触れれば壊れてしまいそうに繊細な容姿で、本当に可憐だった。その彼女がドラマの中でどんなに変容していようとも、私が知る筈も無く。で、この日。なんでも鑑定団のゲストとして彼女が登場していた。何気に見ていたら、ドラマのシーンのVが流れ、司会に祭り上げられた彼女は決まり文句を再現した。「この、役立たずの、ブタ!!」・・・あ~なんて汚い台詞なんだろう。最近めっきり少なくなった、家族で安心して見れる番組で、なんて事を言わせるんだろう。。。嫌な気分になった。=======================================================で、話は息子に戻る。ポケカを休憩して、最近ムシキングを始めた。アーケードにある子供用のゲーム機で、勝敗は「じゃんけん」で決まる。当然ゲームなので勝つ法則があるが、私はまたハマって出費が嵩むのが嫌なので、敢えて見ないふりをしている。ところがこの日は違った。いつもは「一人でする」という息子が、戦い方(勝ち方)が分からず、助けを求めてきた。勝たせてはやりたかったが時間制限もあり、適当に勘で答えたら、見事外れた。すると息子が、大勢のギャラリーの前で一言。「もぉ~、この、役立たず!!」・・・私は真っ青になった。役に立つとか立たないのか、そんなのモノに対して使う言葉じゃないのか?てめぇいい加減にしろ。自分何様だ。周囲の大人達がウケたのかひいたのかさえ、分からなかった。何も言わずにその場を去った。息子はもうゲームが出来なくなると直感し泣いてすがったがもう、遅い。たまたまテレビで聞いた言葉がインパクトがあったのだろう。でも使い方は正に絶妙なタイミングで、間違っていなかった。あれだけ、「悪い言葉は使うな」と言ってきかせてるのに。私に恥をかかせるつもりで言った訳ではない。でも、だから?情けない事に昨日は眠れなかった。もう、ムシキングには近付かない。大人げ無く子供に復讐するつもりなんて無いし、懲らしめる為でもない(でもこれで懲りて欲しい)、ただ、ものすごく情けない気持ちになるから、もうこのゲーム機には近付きたくない。親にだって、心があるんだよ。何でも受入れられるもんじゃないんだ。
2005年01月16日
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昨日上司に思い切って、勤務時間の1時間短縮を申し出た。それは、「早く帰らせて下さい」という言い方ではなく「他の(私がアシストしている)社員の方と一緒に、ご検討頂けないでしょうか?」という大変(私にしては)控えめな申し出だった。それから24時間経過し。只今。「却下」との事で。会社はこの安月給で、なにがなんでも拘束したいらしい。・・・このご時世に。・・・この歳で。・・・転職できるのかな?・・・どうする、自分。 (T_T)
2005年01月12日
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息子もいよいよ今年は小学校。なんだか未だに信じられない。しかし時は私を待つ事なく動いてゆく。・・・という訳で、毎日ではないのだが、保育園の「お昼寝」が無くなった。昨年年長にあがった時に、週一回の習い事=かきかたが園内で行われる為、昼寝の時間があてがわれた。即効で帰宅しても五時半、手の遅い私が夕食を作り上げるのはほぼ七時前。息子はその時点で既に船をこぎ始めている。ホッペをパチパチして無理やり食べさせ(でも眠くてたまらないので食は進まない)風呂に入れる。無事8時、9時に寝てくれれば良いのだがついうたた寝(夕寝)してしまうと、それから目がギンギンに冴え夜中まで寝てくれない。色々考えて、かきかたの日は、思い切ってレトルトカレーにした。余裕があれば、カツを添えた。息子は××レンジャーカレーを食べられる事(おまけのシールをGETできる)が嬉しいらしく喜んでくれたがいつの間にかシールが束になり、全種類集まったと気付いた時「こんなに手抜きを重ねて来たのか・・・」と本当に情けなくなった。読書の秋になり、園から本を借りて来るようになり、その本選びにまた昼寝の時間があてがわれた。まごう事無き手抜き料理は、週二回になった。(せっかく借りて来ても、眠いので読みこなすのが大変だった)・・・週、1・2回なら。そう思って今までやり過ごしてきたけれど、これが毎日になるのだ。・・・もうこんな生活は続けられない!心の中は悲鳴で一杯になった。いっそ今の仕事を辞められたらどんなに気持ちは楽になるだろう?でも自分一人の気持ちが楽になって、家族全体の生活が苦しくなるのは、本末転倒のような?転職し正社員としてバリバリ働いて沢山稼いで、そのお金でもって食事をアウトソージングするか?このまましがないパート社員として生活を切り詰め、早くて安くて旨い愛情料理を提供するか?(それが出来ればな)・・・二者択一しか思い付かなかった。そして今朝上司に、勤務時間の「一時間短縮」を申し出た。(いっそ社会保険の扶養範囲(140万円か?)に納めてくれたらどんなに楽だろう。「ワシはパートじゃ!」と開き直れるのに。)・・・申し出に対し、上司は、しっぶーーーーい顔をした。パートというだけでこんなにもプライドを踏みにじられ、激安の時給に耐えているのにこれ以上、何を譲れというのか?でもって、毎日こんなに暇なのに、 まだ何か?●覚書/社会保険料の扶養範囲<130万円> 健康保険の被扶養者になるかどうかの判断が130万円です。この130万円はこれから先1年間で130万円の収入が見込まれない場合に、健康保険の被扶養者として認定されます。上記の所得税の判断のように過去1年間の総収入額ではありません。 被扶養者として認定されると、妻の健康保険と年金の保険料は夫が納める社会保険料でまかなわれることになります。 ただし、妻の収入が130万円未満でも、所定労働時間が同じ職場の社員の4分の3以上の場合、妻が自分で健康保険に加入し、夫の健康保険の被扶養者から抜けますので、妻の収入に応じた社会保険料を払うことになります。これは、勤務時間の要件が収入の要件よりも優先しているからです。 ・・・4分の3かー・・・つー事は、終業を5時から、3時30分にすれば良い訳か?
2005年01月11日
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夏道が終わってから・・・秋は近場で大会が無かったので見送り・・・気が付けば冬。公私ともにイベント続きで、気が付けば全くと言ってよい程バトルしていない。目下の目標であったジムの開設も行わなかった。息子としみじみ語る、「最近、やってないよなぁ・・・」。お世話になっていたジムからお誘いのメールを頂いた。が、お断り。・・・男は良いよなぁ、仕事以外には、くうねるあそぶしか無いんだから。ちなみに世はダブルバトルの時代に突入しているらしい。予想はしていたが全くもって未知の世界。ご指南頂かなくては遊びようもない。半年の間にぐんぐん引き離されて、正直悔しい。ところで標題の件。ハタと気が付いて取り急ぎ応募はしてみた。幸い今回はシングルバトルだそうだ。しかし全国で行われるホビーショー。ポケモンのブースがあるとの事で(しかも行けば限定のカードも頂けるとの事で)雪をかき分け行くつもりだったが、保育園の発表会とWブッキングしていた事が判明!超、ショック・・・(がっくり(T_T))
2005年01月06日
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正月に起こったささやかだが胸くそ(失礼)悪い出来事を何度も何度も反芻している。そんな事したくないが、未消化だからしょうがない。私なりに我慢に我慢に我慢を重ねて、表面上平和な家庭を維持してきた。(我慢は夫も同じことかも知れない。けれど彼の罪は消えない。)けれど根本的に何一つ解決が出来ていない・・・それはまるで抜けない棘のようで・・・少しでも触れる度に激痛が走って、感情が堰を切ってしまう。こんな自分は醜い、と思う。虚しいし、悲しい。自分1人で考えたところで何も解決はしないし、かと言って夫がこの棘を抜く為に協力してくれる訳でもない。「キリクと魔女」を観た。魔女カラバに、私は同情した。この棘を抜くには、一体どうしたら良いものか。他の人に助けを求める訳にはいかないと思う。これこそ夫婦の問題だし、解決してこそ本当の夫婦だと思う。でも私達は、本当の夫婦なのか?本当の夫婦になれるのか?・・・少なくとも、夫はそんな事思ってもいない。
2005年01月05日
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・・・私は欠陥品だろうか?正月が来る度に思い悩む。運悪くキッカケがあった時には、この思いは爆発・暴走する。今年はその年だった。今私の内には、いっそ家ごと燃やしてしまいたいような絶え難い破壊衝動がある。私の視野は狭い。価値観は偏狭だ。だから、私と一緒に小さな世界に閉じこもる必要は無い。こと、大きくなって欲しい息子には。精神不安定で大声を出してキレる威圧的な自分から、息子を解放したいと思う。正月の帰省は、絶好のチャンスだ。********************************************************過去に色んな事があって、私は夫の両親と、精神的・一方的に決別した。心中穏やかな自分を維持する為に「会わない」と決めた。それを夫が黙認している事に対しては、少しだが感謝している。(けれどそれは罪滅ぼしという行為には、到底及ばない)夫は、私の思う理想の夫と比べれば充分下等だが息子の父親としては、上等である。彼が両親から受けた溺愛を息子に投影させなければ、極上である。・・・私には兄弟がいない。即ち母方の従兄弟を、息子に用意する事が出来ない。夫は逆に3人兄弟、息子の従兄弟が4人いる。よって正月の里帰りには息子も夫も、彼の実家で羽を伸ばして、楽しんできて欲しい、そう思って自分は遠慮するのである。もっともこれは建前で、夫の実家に行っても身の置き所が無いまま不衛生な食器で不味い食事を勧められ下痢をして帰宅するのが嫌なだけなのだ。*******************************************************さて皆さんは、「家族のルール」というのを持っているだろうか?例えば夕食は極力一緒に取る、とか、休日は一緒に過ごす、とか。私は明確にではないのだが「家族が別行動をする時は、行き先と帰宅(合流)時間を打ち合わせておく」と決めている。こと、昼食や夕食の時間と重なる時は、重要だ。こんな事決めなくても、家族なら、相手の行動や食事の内容を気遣うのは当然だと思う。夫は見事裏切った。他にも精神が壊れるほどの裏切り行為をしているから目くじら立てる必要は無かったのかも知れない。けれど今日の私は止まらなかった。今回の夫の罪・・・否、手落ちはささやかなものだった。14時に実家へ行って、(行くのは分かる、見送ったから)何時に帰ってくるのか分からない食事も食べたのかどうしたのか連絡ないショートメールで簡単に質問しても返ってこない・・・ただ、これだけ。手作りパンを焼いたりした私が悪かったのか。おせちは食べ飽きたようだから、洋食にしよう。何時頃帰るからそれにあわせて発酵を始めよう、何時位に焼きあがるようにしよう、帰宅予定が1時間、2時間と延期されても前向きに過ごそうと努力した。けれど何の具体的な連絡もないまま突然帰宅してきた21時・・・。息子の夕食に何を食べさせたのか、私が何か食べたのかそれすら訊かない、話さない。この時に思ったのだ。私は家庭の常備薬のような存在なのだ、と。無ければ困る。ただ、それだけで私の生き様とかアイデンティティとか、「私自身」という個性はこの父子には必要ないのだ、と。今、私はこれからどうやって「自分」を生きていけば良いのか分からない。若い頃は夢や希望、可能性が沢山あった。けれど一緒になった時にその全てを反対され当時「彼を好きだ」と思っていた私は、その全てを放棄した。私の思う自分は今もうどこにも無い。ある意味全てを失ってなお、我が身を消耗させて生きてゆく日々。磨り減って磨り減ってこれ以上なにも無くなった時が、私の死期だと言うのか。こんな人生はこれ以上送りたくない。変えるか終わらせるか夫はこの極論が嫌なのだと言う。嫌で結構私を二元論者に仕立てたのは、優柔不断で自己中心的な、貴方です。
2005年01月03日
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結婚したのは24の時。出会ったのは平成元年・・・21の時・・・出会ってすぐの時に結婚を意識していた。あの時は「運命の人」だと思っていた。(運命・・・それが自分にとって良い事とは限らないから、きっと本当に「運命の人」なのだろう)その時夫はフリーター。お互い高卒であったものの私は上場企業と呼ばれる会社で前途洋洋、やりがいとプライドを持って、毎日を送っていた。けれど夫の両親は(注:僻地生まれの僻地暮らし、自分の狭い常識が世界の常識の全てだと信じている人種)どこの馬の骨とも分からない小娘に、大切な長男をすんなり渡そう筈もなく「若気の至りだ」とやんわりほのめかし、私たちが別れるのを待っていた。その時私がそれに気付いて、見切りを付けていれば良かったのか?ここがターニングポイントだったのだろうか?とにかく毎日家を飛び出して金も無いままインスタントラーメンをそのままかじって生活する彼を放ってはおけず私は毎日会社帰り、ご飯を作りに通った。けれどある寒い日かぼちゃを切っていて、夫の母親が持たせた安い菜切り包丁が折れ刃が深く深く私の親指に突き刺さった。(今でも傷は残っている)出血も痛みも酷く、ケイタイなど存在しない時代仕方なく夫のバイト先に電話をして、帰りに包帯を買って来てくれるよう頼んだ。それまでの1時間・・・痛みに何度も気が遠くなった。結局止血が出来てから料理の続きをする気も起こらず私はいつもの通りバイクに乗って帰った。その日は珍しく雪が降り、ヘッドライトに照らされた雪はまるで白い「漫画の集中線」のようだった。こう書くと色気もなにもない表現だが、とにかく幻想的な光景だった。けれどその反面、私は惨めだった。片手運転でシフトチェンジままならない恐怖、痛み、寒さ・・・どうして私はこんな家政婦みたいな事をやっているのだろう?私の時間を無駄にしているんだしゃないか?もうこんな思いをして通うのは嫌だ。そう思って半同棲を、同棲に変えたい、と思った。当時・・・男女別姓についての議論が始まったばかりだった。私は自分が「嫁」扱いされるのは、心底絶え難いと思っていた。だから極力結婚という事態に発展?させたくなかったのだけれど堅物で小心者なので「同棲」という事実=爆弾を抱えたまま、会社員としての生活を維持できる自信は無かった。よって「結婚を前提として」という建前を持ち出した。実際、アパートを借りるのも一苦労だった。不動産屋のオヤジに「来年入籍する」と説明したら、文字通り鼻で笑われ役所では、住民票を写す際窓口の女に、喧嘩を売るような口調でこう言われたのだ。「同居人ですか!それとも内縁ですか!?」と。それと平行して、彼の親が馬の骨の素性を確認すべく、うちに乗り込んで来た。私は一人っ子だった。すると挨拶もそこそこに、相手の親はこう言い放った。「(婿養子の必要は無いと確認して)じゃぁ、この子はうちにくれるんじゃな!?」・・・私は犬っ子か・・・その時私は卓袱台をひっくり返して「俺はモノじゃねぇ!誰のモノでもねぇ!!」と叫びたかったが当時は殊勝にも、(この場を丸く治めなくては・・・)と、親に任せて一切口出ししなかった。で、一応婚約の証として、リングを貰った、と公表した。チープな価値観しか持たない彼の両親は、「さっすがうちの息子じゃぁ」と言った。内心呆れた。しかしそれは、エンゲージリングとは一桁違う安いファッションリングで、彼からの贈り物では無い。私はどんな安物でも良いから、彼の意思を形として贈って欲しかった。「私の為にリングを選んでくれる」・・・その事実だけで充分だった。その事をクリスマスを視野に入れ、恥を忍んで彼に頼んでいた。(そういう事はわざわざ言いたくなかったが)大体頼まなければ検討もしないのか?それすら惨めな気がしないでもない。とにかく。田舎の長男として甘やかされて育った夫は、「人の気持ちを汲み取る」という高等な芸は出来ないらしい。結婚の予感が確信になった年のクリスマス・イブ・・・2人だけのパーティ。私は手作りディナーを奮発した。活きたオマールエビまで用意した。そして、思わせぶりな様子の彼がサプライズ!と称して目の前に出したプレゼントはおよそ2千円と思われる、子供用のツリーだった。。。でも折角のクリスマス、手作りディナーも台無しにしたくなった。私は満身の力を込めて涙腺に力を入れ(入るのか?)、涙が出るのを我慢した。世はバブル。巷ではそれはそれは豪奢なクリスマスの夜を過ごすカップルばかり。でも私はそんなもの欲しくなかった。欲しかったのは、どんなに安くても良い、彼の気持ちをリング型にしたものだった。結局年が明け両親が会う段になり、私が彼を従えて、体裁作りの為の安いファッションリングを購入したのである。・・・これが全ての始まりだったのかも知れない。この時「(私にとっては)こりゃだめだ」と見切りを付けてバイバイしていれば、この後16年・・・もしかしたら死ぬまで・・・続く、ささやかな期待を裏切る行為に、泣く事もなかった。もとより、伴侶に期待などする方がおかしいのかも知れない。けれど若かった私は、自分の期待に応えてくれる存在が彼氏なのだ、と思っていたのだ。そんな奇特な人はこの世に存在するのだろうか?しないのであれば、結婚したのは人生最大の過ちかも知れない。18歳まで私は結婚という行為を、「人生の最大の堕落だ!」と称していた。20年前の私の方が正しかったのだとしたら、なんだか、かなり、癪だなぁ。。。
2005年01月02日
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