東方見雲録

東方見雲録

2022.10.30
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カテゴリ: ランドスケープ
孤篷庵忘筌
大徳寺孤篷庵は慶長13年(1608)、小堀遠州によって龍光院内に江月宗玩こうげつそうがんを開基として小庵を創立したのが始まりです。寛永20年(1643)には、現在地に移転し独立し、そのとき堂宇が拡充されたものと考えられています。残念なことに寛政5年(1793)に焼失しました。しかし近衛家や松平不昧(まつだいらふまい)らの援助によって、元の通りに再建されたのが現在の姿です。


孤篷庵 平面図 作図/筆者
アプローチは西側(図の左)、十二畳のうち北側の三畳は相伴席としての意味を持つ

その中に位置する忘筌は、L字形に構成された十二畳の書院座敷です。L字形にすることで、相伴席を組み込んだ形式となっています。北側の三畳部分です。遠州の師である古田織部は、敷居と鴨居によって厳密に区分された相伴席を表現しましたが、ここでは緩やかな区分となっています。また点前座と床の間を並べることも遠州の得意としたところで、これらを景色、つまり鑑賞の対象として表現しているのです。


忘筌 中敷居の下に草庵の露地が構成される    写真/孤篷庵所蔵・宮野正喜撮影

もっとも注目される部分は縁先の構成です。中敷居の上に障子が建てられ、その下が吹き放たれています。生け垣で囲われ、茶の湯の庭として必要最小限の手水鉢(ちょうずばち)、燈籠(とうろう)を室内から見せています。逆に他には何も見えません。その軒内部分が露地に相当します。つまりタタキの中に飛石が打たれ、沓脱(くつぬぎ)石から縁へ上がるように組み立てられています。中敷居があるため縁への上がり口は躙口のように頭を下げないと通れないような仕組みになっています。つまりこれは草庵茶室の躙り入る方法を書院に応用したものです。またこの上がり口の位置は座敷の中央となっており、その左右で空間の上下の意味を変えた平面構成となっています。

室内は面取り角柱に長押なげしが付けられ、下が張付壁、上が漆喰壁となっています。天井はいわゆる砂摺り天井と呼ばれ、杢目(もくめ)を浮き立たせそれに胡粉(ごふん)を塗った竿縁天井です。点前座と床の間の境部分は風炉先窓ふろさきまどのように吹き抜かれ井桁の格子を組み、下半分を唐紙張りとしています。炉ははじめ台目切りであったと言いますが、現在は四畳半切りに構えられています。

部屋の基本的な組み立てが端正な書院造なのですが、天井部分や縁先の組み立てなどが草庵的なものです。書院と草庵を組み合わせた、遠州らしい座敷です。

こちら

関連日記:2022.11.09の日記  茶室「忘筌」   こちら





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Last updated  2026.01.06 20:15:04
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