東方見雲録

東方見雲録

2025.12.13
XML
カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日   1980年9月24日
意匠図案説明  史跡・湯島聖堂、聖橋を描く
開設場所    〒113-0034 東京都文京区湯島1-5-45
引用サイト: こちら










湯島聖堂の歴史は、主に江戸時代まで遡ります。

創建は元禄3年(1690年)、5代将軍・徳川綱吉が孔子廟を築いたのがはじまりとされています。

それ以前は、林羅山という人物の邸内に位置する「先聖殿」に祀られていました。

林羅山といえば、徳川家康の時代から4代に渡って江戸幕府に仕えた朱子学派の儒学者。

元々は上野忍岡(現在の上野恩賜公園)に私塾を設けていたのですが、幕府の経営に切り替える目的で現在の場所へと遷されたのだそう。


・・・・
林羅山は徳川家康の時代から江戸幕府に仕えていました。

しかしながら、先聖殿を完成させたのは尾張藩の初代藩主・徳川義直。

尾張徳川家は、江戸時代に置いて将軍家に次ぐ地位を持っていたとされる「徳川御三家」の1つです。

5代将軍・綱吉は、湯島聖堂の前身である「忍岡聖堂」を度々訪れていたそうですが、そこが尾張藩寄進の土地ということに難色を示したのでしょう。

これが湯島聖堂が誕生したきっかけであると考えられています。
ちなみに「湯島聖堂」は、敷地内にある他の建造物も含めた名称です。

・・・・

日本の近代教育発祥の地
明治以降の湯島聖堂は、維新の一大変革と共に多様な歴史を歩みました。

学問所が正式に閉鎖されたのは、明治4年(1871年)のこと。



また、日本最初の博物館「書籍館」が築かれたのもこの場所。

興味深いことに、この地に置かれた施設は全て現存しています。

東京師範学校は「筑波大学」、そして東京女子師範学校は「お茶の水女子大学」となって後に移設されました。

その他、明治5年(1872年)には、東京初の博覧会「湯島聖堂博覧会」も開催されました。

実は、これが後の東京国立博物館のはじまりであるとされています。



湯島聖堂と湯島天神(湯島天満宮)の違いとは


引用サイト: こちら

関連サイト:書籍館(しょじゃくかん) こちら
1872年(明治5)文部省が設置した官立では日本最初の公開図書館。東京湯島の旧昌平坂学問所講堂を仮館として発足。蔵書は旧学問所本を中心に和学講談所本を合流し,さらに町田久成(ひさすみ)らの献本によった。これらはのち浅草文庫・千代田文庫をへて内閣文庫所蔵。公共図書館としては,東京書籍館・東京府書籍館などと変遷し,97年帝国図書館,第2次大戦後国立国会図書館となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

関連サイト:国会図書館の誕生 こちら
日本初の近代図書館は、明治5年(1872)8月、文部省が湯島聖堂の大講堂に開設した書籍館(しょじゃくかん)とされています。
 これは、江戸幕府の開成所、昌平坂学問所、医学館などの施設にあった書籍をまとめたものです。書籍館は小さな建物で、2階に閲覧所がありました。蔵書は約1万3000部、約13万冊を超えていたそうです。開業時間は午前9時からなんと午後10時まで。料金は無料でした。

明治7年、政府は書籍館を浅草蔵前に移転、ここを浅草文庫と改称します。そして明治14年、浅草文庫は上野博物館内に移転。明治39年(1906)にようやく独自の建物がつくられました。これが戦前唯一の国立図書館でした。明治29年の閲覧料は1回2銭。


上野帝国図書館(1930)
この建物は「国際子ども図書館」として現存


関連サイト:国際子ども図書館の歴史 こちら

関連日記:2023.03.12の日記 「国立国会図書館 国際子ども図書館」 こちら

関連サイト:湯島聖堂博覧会  東京国立博物館   こちら







明治5年(1872)に一曜斎国輝によって描かれた「古今珍物集覧」という3枚組の錦絵がある。正面の建物と左右の回廊の棚に並ぶ様々な陳列品を強烈な色彩で描いた、変わりだねの1点である。画面手前には水槽に入れた山椒魚、中央に大きな黄金の鯱、正面の堂内には絵画・書跡・珊瑚・金工品、右の棚に剥製・骨格見本・額画、左の棚に染織品・漆器・楽器・陶器類などが網羅的に並べられている。実は、これがわが国における最初の博覧会の陳列風景であった。

明治5年3月10日、湯島聖堂大成殿を会場として文部省博物局による最初の博覧会が開かれた。博覧会の会期は20日間、午前9時から午後4時までの開館時間が設けられた。この博覧会の陳列品は、前年の大学南校(文部省の前身)物産会の資料を引継ぎ、さらに翌年オーストリアで開催されるウィーン万国博覧会の参加準備も兼ね、広く全国に出品を呼びかけ収集している。博覧会出品目録草稿によると陳列品は、御物はじめとする古器旧物(文化財)と剥製、標本などの天産物を中心に600件余りをかぞえ、広汎な種類の展示であったことがうかがえる。特に、大成殿中庭のガラスケースに陳列された名古屋の金鯱は観覧者の注目を集め、博覧会の人気に拍車をかけた。当事者の1人である田中芳男が後に述べているように、この博覧会は観覧者が多く混雑したため入場を制限し、対応策として会期を4月末日まで延長せざるをえなかった。博覧会の入場者総数15万人、1日平均約3,000人の観覧者が大成殿に足を運んだことになる。

明治5年の博覧会は、恒久的な展示を行なう博物館の誕生でもあった。ガラスの陳列ケースの並ぶ室内、さらにケース内の陳列品は、当時の観覧者に新鮮な印象を与えたことだろう。政府によるわが国最初の博覧会の開催、東京国立博物館はこれをもって創立・開館の時としている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.12.21 22:02:25
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: