東方見雲録

東方見雲録

2026.03.11
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カテゴリ: 土木



使用開始日    1980年8月27日
意匠図案説明   歴代横綱之碑、重文・旧弾正橋を描く
開設場所     〒135-0046 東京都江東区牡丹3-8-3
引用サイト: こちら

重文・旧弾正橋

江東区富岡の八幡堀遊歩道にかかる人道橋。八幡堀の八幡とは、富岡八幡宮のこと。富岡八幡宮の東に流れる運河が八幡堀です。現在は埋め立てられ八幡堀遊歩道となっていますが、旧掘割を利用した遊歩道の凹部に架けられたのが八幡橋です。鉄橋としては日本最古のもので、国の重要文化財に指定されています。






この八幡橋、もともとは、明治11年、東京市京橋区(現・中央区)の楓川(現在、川は埋め立てられ首都高速都心環状線が通っています)に架けられた弾正橋。アメリカ人技師スクワイヤー・ウイップル(Squire Whipple)の発明した特許(1840年に特許を取得)をベースにして、工部省赤羽分局が製作、架橋した「文明開化のシンボルのような橋」なのです。
設計は明治初年にアメリカに留学して工学を学んだ松本荘一郎。

現在、「鉄橋」といえば鋼(はがね=強度を高めた鉄合金)でできていますが、この橋は純粋な鉄製のトラス橋です。
専門的にいえば、アーチ材を鋳鉄製、引張材は錬鉄製という鋳錬混合の独特な構造手法で、鋳鉄橋から錬鉄橋にいたる過渡期の鉄橋として非常に価値が高い文化財として、昭和52年に国の重要文化財に指定されています。


初代の木製の橋が架橋された江戸時代初期に、東詰に2代目南町奉行を務めた島田弾正の邸宅があったため、弾正橋と名付けられました。

明治11年に架橋の八幡橋(旧弾正橋)は、橋長15.76m(8間2尺)、幅員9.1m(5間)というトラス橋。明治11年ということで、まだ馬車の往来程度しか想定していない幅しかありません。
ピンの接合部に菊の紋形の花弁装飾が施されていることにも注目を。

大正12年の関東大震災当時までは現役でしたが、関東大震災の復興計画で、廃橋となり、昭和4年に八幡堀に移設されました。
移設当時は八幡堀は運河で、昭和30年代ころには傍らに材木問屋が並び、運河にも巨木が浮かんでいました。
現在、八幡堀遊歩道・富岡八幡宮周辺は、深川門前仲町景観重点地区に指定され、昔ながらの情緒が残されています。
引用サイト:tokyo-trip   こちら

島田弾正
島田 利正(しまだ としまさ)は安土桃山時代から江戸時代前期の武将、旗本。江戸町奉行(2代目南町奉行)を務めた。
・・・・
江戸南町奉行時代、現在の北八丁堀付近に屋敷があり、付近にあった楓川に架かる橋が利正の官名にちなんで弾正橋と呼称された。明暦の大火の後に島田家の屋敷は湯島に移されたが、弾正橋の名称はそのまま残った。何度か架替えされた歴代の弾正橋のうち、明治時代初期に国産初の鉄橋として再架されたものは現在、江東区の富岡八幡宮そばに八幡橋として移築されている。
引用サイト:Wikipedia情報   こちら

富岡八幡宮


歴代の横綱を顕彰するこの碑は、第12代横綱・陣幕久五郎が発起人となり、1900(明治33)年に奉納されました。奉納時は御本殿の裏手に位置していましたが、1923(大正12)年の関東大震災の後、現在の地に遷されました。
引用サイト: こちら

関連サイト:富岡八幡宮   こちら

関連日記:2007.01.07の日記 深川七福神・富岡八幡   こちら
関連日記:2007.01.16の日記 伊能忠敬出立の地    こちら
こちら





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Last updated  2026.03.11 00:00:28
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