東方見雲録

東方見雲録

2026.03.26
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日         1997年9月9日
意匠図案説明   中央区役所、新富橋欄干を描く
開設場所     〒104-0041 中央区新富2-5-1

引用サイト: こちら

新富橋
新富橋は、高速道路を越える橋で、銀座から新富町の間で利用します。

大正時代の地図を見ますと、楓川と築地川は、連絡運河で繋がっていました。
また、新富橋の南隣の三吉橋の碑にも、連絡運河で連接されていた旨の記述があります。
このため、新富橋の西側にある公園の名称は、楓川新富橋公園となっています。
現在の高速道路は、築地川と楓川を埋め立てて建設されていますので、新富橋の下は、高速道路となっています。

新富橋のたもとには、新富復興稲荷社が置かれています。
今回の橋巡りでは、高速道路の建設に伴い、河川や運河が消えていく中、昔の名前や歴史を残そうとする先人の想いや知恵を感じ取りました。
特に、運搬や移動の重要な役割を担っていた水運経路の変遷を知ることができ、極めて有意義でした。








引用サイト: こちら

関連サイト:今はなき銀座の橋を探して こちら

関連サイト:三島由紀夫「橋づくし」の舞台 こちら




関連サイト:新富町の三叉橋 「三吉橋」 こちら
三吉橋について
三吉橋は、関東大震災の復興事業の一環として、昭和4年に架けられた橋です。震災前は「合引橋」が築地と新富町を結んでいましたが、復興の過程で新たな運河が開削され(築地川のL字型に屈曲した地点に、利便性のため隣の楓川と結ぶ水路(楓川・築地川連絡運河)が造られ、川がT字型の三叉の形となりました)、周辺地域の分断を避けるためにY字型の三叉橋として三吉橋が建設されました。当時、築地川が流れており、舟運が盛んでしたが、高度成長期に入ると川は埋め立てられ、昭和37年(1962)には首都高速道路が通る陸橋へと変わりました。現在の三吉橋は平成5年(1993)に改修され、架橋当時の鈴蘭燈を再現するなど、歴史を感じさせるデザインが施されています。
築地・銀座と新富町、八丁堀を結ぶこの橋には、震災復興の歴史や都市の変遷が刻まれています。形式は「三股型単純鋼板桁橋」とのこと。(「三吉橋」石碑等から引用・編集)

















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Last updated  2026.03.26 06:22:16
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