東方見雲録

東方見雲録

2026.05.09
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日    1976年8月1日
意匠図案説明   碑文谷公園、日本近代文学館を描く
開設場所     〒152-8799 東京都目黒区目黒本町1-15-16
引用サイト: こちら

碑文谷公園

碑文谷公園を象徴する弁天池(碑文谷池)
引用サイト:碑文谷公園で遊ぼう! 東急   こちら



碑文谷公園の真ん中にある弁天池は、その昔、荏原郡碑文谷村共有の水田灌漑用ため池で、村人の「命の水」となっていました。現在は「ボート場」があり、有料でボート遊び(土曜日・日曜日及び祝日開業)ができます。ウサギ・モルモット・犬などとのふれあい(無料)ができ、引き馬・ポニー教室(有料)でポニーにふれたり乗ったりできる「こども動物広場」もあります。
また、地域の方々やボランティアの手によって、北側の小公園(愛称:花の公園)やバラ花壇、池脇の花壇などが美しく手入れされ、公園利用者の目を楽しませています。
太鼓橋でつながる池の中の小島には、昔から地域の方々の手で管理されてきた厳島神社があり、神社手前の松の木の冬の風物詩「雪つり」とともに、地域住民や利用者に親しまれています。



こちら



日本近代文学館

公益財団法人日本近代文学館(にほんきんだいぶんがくかん)は、東京都目黒区の駒場公園内に建つ文学館およびそれを運営する公益財団法人。姉妹館に1984年開館の神奈川近代文学館がある。引用サイト: こちら


関連サイト:全国文学館協議会   こちら

関連サイト:駒場公園   こちら
駒場公園は、加賀百万石(今の石川県)の当主だった旧前田家の前田利為侯爵駒場邸跡です。
前田侯爵がこの地に邸宅をかまえたのは昭和のはじめのこと。明治11年設立以来、近代農業に輝かしい業績を残した駒場農学校(後の東京帝国大学農学部)が本郷に移転した跡地を、第一高等学校(現在の東京大学教養学部)、東京農業教育専門学校(東京教育大学農学部、現在の筑波移転跡地)とともに分割使用したものです。
建物は、昭和初期の和洋両建築の粋を集めたもので、化粧レンガやタイル張りのほどこされた洋館は昭和4年、書院づくりの和館は昭和5年に完成し、自然の巨木を生かし、名石をあしらった幽すいな奥庭や、芝生の広場が設けられました。
和館は侯爵がロンドン駐在武官であったことから、外人客接待用に建てたとも言われています。

華々しい社交の場となったこの優雅な豪邸も、第二次大戦中の前田侯爵の不慮の死ののち私人の手に渡り、終戦とともに占領軍に接収されました。
昭和32年10月に接収が解除されるまでの12年間は、連合軍司令官の官邸などとして使われました。
現在の公園は、昭和42年に東京都が公園として開園したもので、昭和50年4月から目黒区に移管されました。

洋館・和館共に平成25年に重要文化財の指定を受けております。

また、水屋、寄付、待合所を備えた茶室や和室も有料施設として利用いただけます。縁側からは、流れのある池、芝や池の配置がみごとに調和した庭園がのぞめ、落ち着いた雰囲気を味わうことができるでしょう。
そして、洋館は別記の時間帯に開館しており、和館北側には日本近代文学館が設置されて、近代文学に関する資料が閲覧できます。









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Last updated  2026.05.09 00:00:07
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