東方見雲録

東方見雲録

2026.07.25
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カテゴリ: 文化



「正しさ」やロマンチックな革命幻想だけでは暴走の危険がある。
小さく具体的で、長期にわたり元に戻りにくい変化を積み重ねることが現実的。
批判と同時に「愛」や「関与」を伴う場づくりを——それが“庭”の戦略。

結論
対談は、閉塞した情報社会を動かす鍵として“庭”を位置付け、匿名性の回復×具体的実践でオルタナティブを紡ぎ直す道筋を探った。巨大な仕組みを一撃で覆すのではなく、複数の“小さな亀裂”を粘り強く連結することが、これからの社会変革のリアリズムだと締めくくられた。
引用サイト:10works note   こちら

関連サイト:『庭の話』が100倍面白くなる自己解説テキスト   ​ こちら


関連サイト:ハンナ・アーレント『人間の条件』労働・仕事・活動の違いを説明できる? こちら
① 人間の活動は「労働」「仕事」「活動」に分かれる
アーレントは、人間の活動を以下の3つに分類しました。

労働(Labor):生命維持のための活動(食料生産、家事、育児など)
仕事(Work):人工物や文化を創造する活動(芸術、建築、製造業など)
活動(Action):公共空間での言論や政治的な行動(討論、政治参加、社会運動など)

彼女は、「現代社会では『労働』が中心となり、『活動』が軽視されている」と述べました。つまり、人々は生活のために働くことに追われ、政治的な自由や公共的な対話の場が失われつつあるというのです。

② 近代社会は「労働中心」の社会になった
アーレントは、近代社会では「労働が人間の主な活動となり、消費文化が支配的になった」と主張しました。

消費社会では、人々は生産と消費のサイクルに組み込まれ、自由な思考や政治的活動の時間が奪われる

人間の価値が「経済的生産性」で測られるようになり、精神的・公共的な活動が二の次になる


アーレントは、「人間の真の自由は、他者と対話し、新しい価値を生み出すことにある」と考えました。彼女は、古代ギリシャのポリス(都市国家)における市民の討論や政治参加を理想とし、現代社会でもそのような「公共空間」が必要だと主張しました。

④ 科学技術の発展が人間の条件を変えつつある
アーレントは、核兵器や宇宙開発などの科学技術の進歩が、人間の存在のあり方を変える可能性があると警告しました。彼女は、「技術の進歩が人間をより自由にするのか、それとも管理される存在にするのか」という問いを投げかけました。

関連サイト:荒地に吹く風が示す道しるべ | ジル・クレマン「第三風景宣言」 こちら
わたしの考えでは、庭とは風景と環境を含んでいる。風景とはわたしたちの周囲の、わたしたちが知覚するものの文化的な部分であり、環境とは、少しばかり客観的で科学的な部分である。庭とはまさに、人間の自然との関係の現実である。

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結論として、ジル・クレマンの『第三風景宣言』は、彼の理想とする風景論や「地球の庭づくり」について語った、政治的な意味合いを持つ著作です。同時にそれは、国家体制や経済システムに対するアンチテーゼとも言える、ある種アナーキーなマニフェストでもあります。
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第三風景は、第三身分に依拠する(第三世界ではなく)。権力も、権力への服従も表わさない空間である。
ジル・クレマン『第三風景宣言』p.22
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いかなる場合でも、第三風景はわたしたちの生活圏において無意識の領域にゆだねられた部分として見ることができる。すなわち出来事がしまいこまれ、一見したところ定めがたいかたちで姿を現すような深層である。
ジル・クレマン『第三風景宣言』p.106
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第三風景のない生活圏とは、無意識のない精神のようなものであろう。こうした魔物不在の完璧な状況は、既知のいかなる文化にも存在しない。
ジル・クレマン『第三風景宣言』p.107
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地位について 

・地球全体を視野に入れる。
・第三風景が道徳的、社会的、政治的な規制から逸脱することを保護する。
・地球という庭における定めがたい断片である第三風景を、遺産ではなく、未来の共同空間として提示する。
ジル・クレマン『第三風景宣言』p.114
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流動性と進化について

・人間かされた環境と第三風景とのあいだの交流の動きを促進する。

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社会との関係について

・非生産性を政治の高みへと押しあげる。

・生物の成長としての発展を、経済の成長と発展の反対にあるものとして価値づける。
ジル・クレマン『第三風景宣言』pp.115-118

関連サイト:「プラットフォームの本来の多様性」を考えるために重要な「第三風景」というキーワード こちら
この第三風景は、あらゆる場所に存在する。耕作放棄された農地、都市のビルの隙間、高速道路の雑草の茂る道端─これらはすべて、極相に至った場所でもなければ、人間の手によって管理されているわけでもない「第三風景」だ。

ここまで述べれば明らかだろう。クレマンの作庭は、この第三風景のもつ多様性をいかに人間が関与し作り上げた場所に、つまり「庭」に実現するかを目的にしている。

第一(森林)と第二(農地)の風景が第三風景よりも生物多様性が低いとクレマンが考えるのは、前二者が相対的に「動いていない」場所だからだ。

人間(庭師)が介入することによって第三風景のような多様性を、特定の囲われた場所に、それも「荒れ地」である「第三風景」とは異なり量的にも生物の豊かなかたちに構築すること、それがクレマンの作庭なのだ。
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クレマンは庭師の介入を主張する。庭師の介入によって、第三風景の生物多様性を維持しながらも、緑豊かな空間を人為的に構築し、それを維持すること。「できるだけ合わせて、なるべく逆らわない」─クレマンの述べる庭師の知恵は、そのために導き出されたものなのだ。

クレマンの主張する「動いている庭」、それは「地球という庭」のなかでもっとも「動いて」いる第三風景の多様性を庭師が介入して維持しながら人間の目に、手に触れやすいものに改変したものなのだ。
・・・・
クレマンが「できるだけ合わせて、なるべく逆らわない」のは、あくまでその庭で人間が接することのできる生態系を多様に保つためにすぎない。

だからこそ、クレマンはバイカルハナウドや笹のような、繁殖力の強い外来種をけっして排除しないが、その一方でこれらの植物がその庭を支配することを許さない。自然にまったく手を加えず、そのままにしておいたとき、少なくともその「庭」という囲われた場所は必ずしも多様にはならないからだ。

Web2.0の作り変えるサイバースペースが、無条件で多様な発信の場になると信じていた今世紀初頭のシリコンバレーの楽観的な技術主義者たちよりも、クレマンという庭師はありのままであることの限界を知っているのだ


関連日記:2026.03.22の日記  オルタナティブ   こちら





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Last updated  2026.07.25 23:23:29
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