琥珀(amber)とは、4000万年前の樹脂が化石となった物である。
*バルト海沿岸は産地として有名
エカテリーナ宮の琥珀装飾は元々1701年にドイツのフリードリヒ1世が製作を命じ、その後ロシア-ドイツの友好の証としてロシアに寄贈される。
このユニークな「装飾板」はエルミタージュに飾られた。
エカテリーナ1世が最高級の琥珀装飾を施し、1755年にエリザベータの命でエカテリーナ宮に移され、1770年に祝典応接室として完成する。
エカテリーナ2世は琥珀の間がお気に入りで許可した者のみ入室を許された。
ん? 意外に狭い。
「うわー!」
「はぁー!」
あちこちで日本語が飛び交う。
琥珀の艶って独特だなぁと思う。
きんぴかでもなく、クリスタルほど、透明じゃなく、木から見ればやっぱり光っているし。
色んな色の琥珀があるし、天然のものを寄木細工やモザイクのように集めてあるので、単色じゃない分、落ち着かないと言えば落ち着かない。
樹脂の化石をこれだけ集めたエネルギーや労力、財力に感嘆するばかりだ。
1941年、ドイツがソ連に侵攻した時、ドイツ軍は6-7人で36時間かけて琥珀の間を解体し、持って帰ってしまう。
またまた泥棒。
その上、略奪の限りを尽くした後は、この美しいエカテリーナ宮を爆破しようとした。
地下に爆薬がしかけられたのをすんでのところでソ連兵が阻止したと言うのがロシア側の発表。
ってことはソ連兵は国の至宝が略奪されて行くのを見ていたってこと?
6tの琥珀をトラックに積むのを?
1944年までは琥珀博物館としてケーニヒスベルク城で展示された。
*ケーニヒスベルグはフリードリヒ1世ゆかりの土地
フリードリヒ1世はまさか自分が友好の証として寄贈したあの琥珀がもっと高価な物となり、帰郷するとは思ってもみなかっただろう。
しかも略奪。
今度はソ連がドイツに侵攻。
琥珀の間は見つからないまま、城は爆破された。
腹いせのようにソ連はこのドイツ固有の土地をカリーニングラード(スターリンの腹心の名。飛び地のロシア領)と改め、北方領土の様に奪う。
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