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車では何度も通る交差点ですが、今日は由比ガ浜駐車場に車を止めて、徒歩で行く事にしました。鎌倉はとくに材木座辺りは道が細く車で行ける場所が限られています。5年前は無理して車で行った処でしたがチョット後悔しました。戻ることが出来ない狭い道、5年経っても忘れません。徒歩で見る景色は車で見る景色とはだいぶ違います。ここは、鎌倉時代には湊だったと聞いています。滑川はその名のこりなのでしょうか、水量少なく海へ注がれていきます。そういえばこんなことも言っていた。鎌倉時代は「イルカ」が相当食べられていたそうです。発掘現場ではイルカの骨が出るそうです。なんかちょっと・・・ね~ 伊豆では、今でもイルカ料理が食べれるそうです。聞くところによると「クジラ」に似ているそうです。ここからは、一の鳥居はみえません。お昼は、段葛通りの「小寿々」で辛味そばを食べます。ここは、老舗旅館「茅ヶ崎館」の森さんに教わった蕎麦屋です。県内仕事柄、いろんな蕎麦を食べましたがここの蕎麦は絶品です。ただし、量が少ないので追加でモリを注文します。
2006年11月30日
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現場に携わっていたのが10年、設計やら営業の年数のほうが15年、いつの間にか陸に上がった年数のほうが多くなってしまった。現場に出ていた頃は、庭つくりの比率より手入れの比率のほうが圧倒的に多く、常に庭造りに餓えていたのを思い出します。私には兄がおり、雨休みによく鎌倉の庭を見にいっていました。植木屋さんも2代続くとおのずと管理の比率が高くなる。茅ヶ崎は、防砂林のための松が多く、各屋敷には必ず数十本の松が残っていた。それも高度成長期後、住宅開発で今ではめっきり少なくなっている。地松の手入れは以前本手入れをしているところが多かったが現在では、伐り透かしや野透かしが多く、ひどいところでは枝数を極限まで減らしているお宅も多い。手間仕事は人工(人件費)が掛かるので手間賃が上がれば物理的に量を減らすしかない。この辺で植木屋さんの代が変わることもある。また、代替わりの理由には、施主の代替わりや相続にも関係し、管理費削減によってお得意先を失う。永年のお付き合いしたお客様や手入れをしてたお宅に別れることは寂しいことだった。最近は、植木屋さん自身がお年寄りなのでチェンジすることもあると聞いている。管理が多くとも「庭師」の自意識は高く、刈り込み植木屋にだけはなりたくないという意識があり、手入れにもおのずと枝形成や枝密度、葉密度の極限に努めていた。また、使う道具への関心も高くなり、各地方の鋏に興味を覚えるようになる。現在のように流通がよくない時期の鋏には各地の特色が出ている。昔、先輩に「いい鋏の選びかた」を伝授していただいたか゛どうも胡散臭い。「鋏は、自分の手の大きさと同じぐらいが良い。というのである。しかし、当時は、圧倒的に大久保型の鋏が多く、どれも同じぐらいだったので当てにはならなかった。では、何が「良い鋏」なのか。1、先ず、鋏のスタイルから考えると梃の原理で働く両刃は、作用点つまり握り手(蕨手という)が長いほうが力を入れずに良く切れる。2、次に、蕨手にしっくり収まるもの。といっても手が鋏に慣れるもの。3、刃は、当然、裏隙になっていること、これは、どうしても長時間使っていると葉裏に伐りかすが付いて切れが悪くなる。裏隙が付いていればカスも取り易い。4、できれば家内工業的な器械打ちでも手打ちでも工業品よりも火打ちが甘くなる分、若干鋼が甘いこと、これは刃が硬ければ良いというものでなく、切れかたは鋼が硬いものよりもシットリと切れるからだ。また、硬いとかけ易いものだ。5、心棒は、使っていくうちに減ってくるものだ。裁ちばさみと違ってガタツキが生じてくる。昔このガタツキを直そうと思って叩いたら併せが悪くなり泣いた経験もある。鋏は、早くて2年程度で使えなくなる。もう一つ、心棒の座金は、ゴツイ方が良い。使っていくうちにこの座金もおのずと減って行くからだ。6、アワセリ、何処の部分かというと刃先先端部分最初からピタッとしているほうが気持ちいいかもしれないが永くつかっていると研ぎ出しや心棒の減りで丁度良くなるので「せり」は多いほうが良い。7、刃先の長さ、大きさ、これは通常どの様な手入れをするのかによって異なる。伐り透かしが多いのであればチョイ、ゴツ目。モミジやツバキの枯れ枝も切ると云うより叩き落とすから丁度よい。速さを競う時はそんなところ、昔、兄が岡恒を使って嘆き声を上げて刃の折れた岡恒をみている。実は、この最後の7番目がいい鋏の選びかたのコツでもある。前段、植木屋が二代続くと当然管理部門が多くなる。地域によって粗い手入れの地域もあれば、極丁寧な手入れもあるのでここで鋏の選びかたが違ってくる。前者、粗い手入れには1、で書いたように力点が遠く、チョットごつ目の鋏が適している。後者の極丁寧な手入れには岡恒ような鋏で十分。この様に使用頻度によってまちまちなので一概にどれが良いとは云えないが1~6までが基本とすればおのずと答えが出てくる。ただし、1から6までを兼ね備えた鋏はあまり市場には出てこない。手入れの余談暮れの日の短い時の手入れの場合。昔、先代は、もう引退して久しいが、鋏はつねにバンドか麻紐、職人は釘袋に鋏を差していた。そのためよく落ち枝とまぎれるか、ソテツの肥やしになるかで鋏が無くなる。次の年、掃除をして「何年か前亡くなった鋏」が出てくる事もある。どちらにしても帰る頃に騒ぎ出す。あれから20年この暮れになると思い出す。写真の鋏は、今まで使っていた京の木鋏です。上の1~7まで十分満たしてくれた鋏です。ただし、この鋏を打つ人も高齢でどんどん少なくなるということです。鋏を見ればどんな手入れをしているか大方、想像が付くというものです。ともあれ鋏のことでこんなに長くなるとは・・・鋏の話は半日はするよ。ま、ここまで読む人はいないだろうけど。
2006年11月29日
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本日は、現場先が皆遠いこともあって勉強会は中止。そのかわり・・・・デザインの話を。構成デザインの単位の章で扱っている「時間」については、様々な「働きの単位」についての単位時間が示されている。短時間のもので人は意識しない時、「人は永く一点を見つめてはいない」から数年の成長単位「子供の頃の見た景色と大人になった時の景色」まで幅広い単位を認識する。もうひとつは、「出発地から目的地へ、目的地から出発地へ」の未知に望む時間の感じかたと、帰還時の感じかただ。人は、其の都度時間についての感じかたが違う。わかりやすく云うと3分間のカップラーメンを待つ時間に似ている。待ち遠しいものには永く感じ、楽しい時間はアッという間に時間が過ぎる。物理的な時間は同じはずなのに。感じる時間とは違うが「左右」の違いもある。庭作りには、アールを使ったパスアプローチを造るが、其の時「左から巡るか、右から巡るか」も同時に考える。「展示会」などの掲示物を見て回る時にも感じかたが違うと感ずるはずだ。行動心理において、右利きの人と左利きの人との違いや右足の役割と左足の役割まで、「飛び石」の第一歩を考えるとワクワクする。
2006年11月27日
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大きなくりの木の下で・・・のほかっちゃんさんありがとうございます。2回目の切番ってすごすです。800人目ありがとうございます。
2006年11月25日
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数年前、「うちに植えたドウダンツツジは、よそのドウダンと違うのではないか?」懐疑心の塊ごとく連絡が入る。紅葉のメカニズムは、今更ながらここで書く必要はないが「きれいに紅葉するか、しないか」は相当重要なことのようだ。気温変化の寒暖の差が激しいほど色付くのだが、野木根占の植栽手法によって樹冠元に植えられたドウダンツツジは、生垣や紅葉を見るだけの単独植栽とは異なり温度差の変化が少ない。したがってドウダンは、着色されたタラコのように紅くはならない。前項、情報が伝えきれていないことで同じことが云える事は、情報の理解力の問題だ。そういっている自分にもよくありがちだが、紅葉を全体で見ることと部分的に見ることでは理解の相違が生じる。総てにおいてそれぞれの役割在っての庭造りは、何処かこの社会に似ている。好きな植物を好きなだけ植える。好きなものを好きなだけ置く。それでは雑然として秩序が無くなるのは目に見えている。何でも頼めば出てくる世の中に神様は微笑んでくれるだろうか。
2006年11月24日
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エクステリアとは、インテリア内部に対して外部を示すとされているが、正確には場所を示しているのではなく、それぞれの外面や側面を示している。インテリアは、壁内部の造作物を示すのではなく仕上げられた表装部分や室内に設置された家具等の表装を表している。つまり、エクステリアは、外装しめしていることになる。エクステリアのexは前、exitは出口を示す。では、テリアのterrierはなにか、テリアはテリトリーの語源を持ち、地域や区域を現している。現在では、エクステリアというとエクステリア部材(扉・フェンス・カーポート)を示すように捉えられている。インテリアに対してエクステリアなのでフロント部分の駐車場や庭、アプローチなどの施設をも包括し、外部の言語としてつかわれている。つくづくこの日本が表面的で流され易いかを表している。閉じることを前提としたエクステリアは、ひとたび閉じない部分が発生すると後者のいうエクステリアは成立しない。一方、庭はどうか?庭造りは余分な物を出来るだけ排除し、洗練された物だけが残されていく。エクステリアの云う、機能性が美しい物になるのはいつになったらなるのだろう。さて先週勉強会では、皆の描いている石組みのイメージはどういうものか確認の意味でも写真を持ち寄って検証しようということになった。見ているようで見ていない。つまり、どういう経緯で石の表情が出来上がっていくのか考証をすることになっていた。そこで今回は、中堅者の撮った写真を基に考証してみた。写真は、葉山の森戸海岸。ここは、唯一富士が正面に見える景勝地として知られている。手前には岩場の岩礁が見える。おそらくこの付近は、数万年前の地殻変動によって隆起して山となり岩場となったのだろう。そこへ何度も波にあらわれ弱い部分が削りとられ荒磯となったことがいえる。写真は、葉山から見える逗子披露山を見る。葉山森戸の岩礁を撮ったもの 先ずは全体を見てみる。次の場面では、絵になり易い構図で岩礁をみている。ここで、重要なのは既に絵になる場所を被験者が探し始めていることだ。つまり、絵にならない余分な要素を排除している。ここで云えることは、人は在るがままの状態は好まず常に絵としての構図を創り、心地よさを求め探し始め、経験視によるモデルを創り庭に映していく。そこでは岩礁の成り立ち、地層の節理を考証し、波にあらわれ風化した岩の成り立ちを理解する事になる。解りやすく云うと庭は物まね同様、デフォルメされパターンとして庭造りの礎となる。
2006年11月21日
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11/17 サイトのTOPリニューアルしました。http://www.primrose.jp/ずいぶんすっきりしました。
2006年11月18日
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庭師の師ととは何か 庭師のほかに道化師・山師・美容師・魔術師・錬金術師・裁縫師・教師・祈祷師・陰陽師・看護師・ペテン師・詐欺師・師のついた職業はたくさん?ある。中には職業としていいのか、って職業もあるけど国が認める資格もあれば名乗ることで認知される業種もある。共通しているのは、その道に精通し、卓越していることかと思う。精通し、卓越。それが確かなことかどうかは、或る基準にのっとって計るものだと思う。たとえば善悪のはっきりしている詐欺師やペテン師だったら単純にいえば捕まった時点で基準からはずれる。建築や造園には国家試験があるから或る程度の基準にはなる。かといって資格を持っているから「庭が造れる」とは限らない。運転免許と同じで運転のうまい人もいれば下手な人もいる。また、評論が旨くても実際には形に出来ない者もいる。実習の項で触れた様に、造る前に「これを造る」と自分で描いたものと違うものになってしまうのも困りものだ。また、「もやもや」した状態のままでのぞむデザイナーと造り手も多くみかける。植木屋さんでも15メートルぐらいの樹を猿のように登り、「数年後にはこのように」と描いた形に仕上げていければよいが、ただ形にして、伐ればよいという植木屋さんもいる。それもこれもお手本となる基準が無いのと情報が少なすぎるのが原因かと思う。手間をかけイモ、四つ・八つのように「忌み目地」を意識した乱貼りたとえば石貼りの目地、どんな職人が貼るのか分らないが、貼ってあればよい貼り方もあれば、手間をかけイモ、四つ・八つのように「忌み目地」を意識して貼る職人もいる。それらは、予算の問題とは言い切れない。もし、お客に見破られず「忌み目地」を知りながら貼り込むとしたらそれは庭師に非ず詐欺師である。ましてや「貼れていればよい」単価と同じ単価で相見積される庭師も多いことだろう。それともお客様が望んでいる事なのだろうか。オーナーへの情報があまりにも少ない。「忌み目地」だらけの目地 これでいいのか?
2006年11月16日
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中堅者の石組です。彼は当社に来て3年が過ぎました。つい、この間まで掴めていなかった「勢い」や「動線」が掴めてきたようで「ひらめくと」ものすごい勢いで吸収していきます。写真は、「荒磯」を表しているそうです。波をかぶり前方をえぐる様子がよく出ています。これは背後からの写真です。なんだか動物の背中にも見えますよね。あくまでも模型での実習ですから実際にどのくらい実力が出せるか楽しみです。
2006年11月15日
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昨日の実習風景です。5週目に入った実習では据付の基本ルールの確認と描いた形が表現できるか、といった段階に入りました。システム化されたゲームとは違い。自分の手と思考が同時に働かなければなりません。安定感や波の動き、漂い感、たった二石で表現出来るでしょうか。本人曰く、景色や風景はよく観る機会はあっても具体的な石そのものを観ることが無いので「モヤモヤ」して描けないらしい。当然の事だがモノをよく観察することは今後の製作に大きく関わる。観るだけでなくデッサンも含め大切なこと。もう一つ、課題は「自然に」だ。自然を描くのだけれども自然ではない。「自然」にも色々あるよね。さぁどんな自然があるかな?
2006年11月14日
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毎週、月曜日は弊社の勉強会があります。全20章209pを毎週一章づつ勉強していきます。時折、特集を組んでいますがここ、4週続けて石組の講義と実習です。若干一人がどうしても「勢い」について飲み込めていません。ですから何度でも判るまで続けます。この基本を理解できず、単に絵を描いているような奴にデザイナーなどと云わせない。空間構成や日本で庭造りをしていくうえで避けて通れない道だ。私のところでは、工事部門と管理部門が分かれており、本来、現場などで脚立の立て方時に斜面における脚立の掛け方について教えることなのですが、実習で教えることになります。そもそも三脚の足は常に垂直Y軸を保ち、片足斜面の場合、踏み場のどちらかの足から出てしまうと脚外となって倒れることになる。この共通している三角形から学ぶことは脚立と石を組む三股(サンマタ)は自立し、重量物を据える、運ぶなど共通した要素が強いということだ。応用して考えると対象物が三角形より逸脱しているとバランスを崩して転倒することを学ばなければならない。それは常にチェンブロックの鎖が示すように常に垂直線上に足があり、二本の脚内に存在することを教えてくれる。また、平庭での三石組みの場合、配石位置と勢いの発する見えないベクトルを結んだ時、その答えが得られる。三角形を基本とする構成や質量配分は応用を通じて皆同じことが言える。植栽の立ていれ、配植位置など応用は様々にある。身近なところでは、「いけばな」で応用できる。このそれぞれの「勢い」のコントロールが出来るようになるのが基本だ。実習といっても「盤景」に近い模型で実習になります。滝口、一石、二石、三石組み、延段、飛び石、二つ組、三つ組です。盤景は、昔何処の同業宅にいっても庭先にあり、これで石据えの練習をしていたことが窺えます。盤景とは、楕円形で浅い陶器に水を張り石をバランスよく設置して景色をつくるセットいいます。盆景・盤景・水盤景があり、盆景は、盆栽を伴ったもの、盤景は風景を題材に石の特徴を利用し、山や海、流れなど装飾性が強い。水盤は、主に水に浸した石に苔を載せ配置していきます。材料が水盤と石、水だけなので無駄な装飾は一切無いのが特徴。その他を取り入れると「俗」っぽくなる。石は、コケの乗り易い軽石や火山岩のボクを多く用いた。遊び感覚で「配石、石の根張り、勢い」を設えていく。40年程前子供の頃、よく庭先で遊んでいるとこの水盤にぶつかり、中でコケタ石を子供ながらに元に戻そうと必死に組んだことを思い出します。でも元には戻らない。据えつけた石の表情は様々で元あった形には記憶には残っていても再現が難しかった。それだけ据える人、水量、石の持つ資質に左右されるのでやっているうちにかなりはまってしまって長い時間、兄と遊んでいた記憶があります。お互い10歳前後の子供のくせに兄が能書を言いながら組んでいる姿を思い出します。
2006年11月13日
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同じ、「茅ヶ崎の文化景観を育む会」のメンバー日本画家中尾誠さんの作品(評価額600万相当)が南湖公民館に展示された後、廃棄されていることがわかった。中尾さんは「預けた」、市側は、「譲り受けた」と双方の認識相違があったといっている。が、恥ずかしくも200号の画にサインまで入っている画を廃棄する神経を疑う。先年亡くなった小林米作氏(科学映画家)同様あまりにも文化的な水準が低い。科学映画家として世界的にも認められた人物であるにもかかわらず、あまり知られてはいない。没後、留守居の方から「茅ヶ崎の三奇人」といわれた小林氏であるが、二人目は「開高健」、後の一人はいったい誰なのか。その、小林邸から譲り受けた「流木その他、清浦邸(明治期の総理大臣)にあった鞍馬のつくばい、灯篭、明治初年と思われる横浜にあった外国領事の門柱他」は弊社にある
2006年11月10日
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一昨日新刊のドゥーパが来た。弊社では2件分、新たな材質「ハナマサ」を使った例も出ている。私達は新たな材質が出ると貪欲に分析します。いったい何で出来ているのか?、どのように使うのか。何に使えるのか。どうやって活かそうか。様々な可能性を幾つも出します。常に携わっているので当たり前のことですが、どんな時も常に意識しています。4年ほど前から近くの中学校で総合学習の講師をしています。ここで大切なことは質問には教科書通りの答えを求めることでなく、子供自身の答えを出してもらうことです。小さな頃、好奇心旺盛だった彼らは、何時の日か解答通りを答えようと訓練されます。そこには、様々な発想や創造を塞ぎこんでしまう環境があります。知識や理解には当然必要とされる履修科目でもありますが「誤った答えはだめ」と云わんばかりの毎日では創造も発想もあったものではありません。先生も生徒も同時に考える。その答えには誤りも正解も無い。なぜなら教科書にも無い質問だからだ。たとえば植物には全てとは云わないが葉がある。では、この葉にはどの様な意味があるのだろうか、ここまでは教科書とおりの答えが多い。ではいろんな種類の葉は一体なぜ違うのか?あなただったら、どう答えるだろうか。おっと!長くなるのでこの話は後日にしましょう。プロとアマの違いは、まず、考える時間が豊富にあること。次に熟練という意味では毎日作業すればこれまた旨くなるのは当然。もうひとつは材料の熟知だろうか違って当然。ただし、古典の云う石組み(イワグミ)は、プロとしてイッパシにやっている職人でも判っていない者も多い。文章で説明するのも限界はあるが美術的な力も必要とされる。目に見えない質量、ベクトルといった勢い示す方向性がなかなか身につかない。それもこれも「自らの答え」を見出そうとしないかぎり見えてこないものだ
2006年11月09日
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なんの為のツクバイなのだろうか。あれからGooglでツクバイをイメージで検索したところツクバイで2300件のヒット。そのうちまともに造られているのは30件ほど、わずかに1.3%しかない。いまから9年まえ1997年に初めてレンガ水栓を提案製作した。施主の奥様と話を交わしているうちに建物隅に使いにくい「コン柱水栓」がある。遠い処にあるコン柱からジョウロを使っての作業はノン・センス。この使いにくいコン柱水栓をどうにかしようということでポーチへ向かう途中の景色にすることでそのすべてが解消された。その当時、動物水栓の存在はあまり知られてはいなかったように記憶している。今では、あたりまえのように各ブロックメーカーがこぞって水栓を製造販売しているが、私の処にはなんの挨拶も無い。元々「水栓」の言葉も或る出版プロダクションとの打ち合わせの時に付けた名称で商標登録もしていない。厳密に言えば、既に存在するものにおいての名称は商標登録が難しいと思っていたからだ。初めて造る水栓だったので形をどんなものにしようか思案の末、素材はレンガ。形は上部をロカイユといわれる、ロココの語源と言われる貝殻模様にする。施主が「だいじょうぶ? お墓に見えないかしら?」少々不安気味。庭の景色にすることには自信があった。当時から変わらず「露地庭」が基本だったからだ。「露地、景色、待合、ツクバイ、延べ段」「もてなす形」すべて構成は同じ。その一つが「水栓」なだけ。いかに古典が大事かがわかる。時々ホームセンターで見る「形だけの水栓」を見ると無性に腹がたつ「使いにくい水栓」無知なる者の偶像物
2006年11月08日
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昨日、「庭を見てほしい」と依頼のあったお宅に伺いました。当初、植物の管理面の相談だったのですが造られている「モノ」に話が移り、ふとツクバイに目を遣ると・・・なんと!びつくーり しつらえとしては使えない形だけのツクバイが其処にある。つくばいとは. つくばい【蹲い・蹲踞】ツクバヒ つくばうこと うずくまること、露地庭の手水鉢チヨウズバチ は、ひしゃくを持った腕が水鉢に無理なく、腕さばきのできる状態を理想の型とする。役石の標準的な高さは示されてはいない。なぜならほとんどがその主人の体型や正客を予想して高さや前石を決定するからである。湯桶・手燭は流派によって「しつらえ」が違っていることも認識しておくこと。およそ、茶道経験の無い職人の「あさはかな」造形だ。知る者にとってはとても恥ずかしく映り、客を欺く事にも気づかぬまま過ごしている職人がまかり通っているとは・・・・残念!!
2006年11月07日
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ご迷惑おかけしました。メール送信復旧いたしました。
2006年11月07日
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ただいま、送信不通です。ご迷惑おかけしています。11月4日(土)から受信は可能ですが送信ができません。ネットショップならびに湘南企画工芸のお客様にはご迷惑をおかけします。明日、プロバイダーに連絡し復旧に努めます。
2006年11月06日
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ここ、湘南は当然ながら塩害は免れない。明治40年当時には何も無かった海べりは大正期には防砂林が植林される。正月三が日に行われる恒例の駅伝でおなじみの海岸風景は、別荘文化とともに育まれてきた。 さて、この土地で樹種を選択するには其れなりの知識がないと泣きをみる。まず、塩害に対する知識と長年の観察力が要求される。 本来、対潮性のある植物なんてそんなに多くはない。代表的な樹ではツバキやコニファー類だろうか、葉肉が厚く細かな葉組織に守られたものだけが生き残る。落葉樹は大方敬遠される。 しかし、なぜ対潮か?と考えたことがあるだろうか。今年の台風は、雨台風が多く風台風が無かった。この地域では風向きによっては潮と共に風にのってくる。いくらアルミで出来たアンテナでも錆びて朽ち果ててしまう。例によって水をかけて雨が蒸発する前に流すのが基本作業。 そしていくら潮に強いといわれていても松やコニファーでも塩もみにされて赤く変色してしまう。つまり、対潮性がある樹なんて初めから存在しない。強いと云われている理由には其れなりの理由がある。さぁー考えよう。「なぜ対潮なのか」ヒント 常緑ではマツ、マキをはじめ針葉樹全般、落葉樹では、確認されているものでもサルスベリ、ザクロ、ニシキギがある。
2006年11月05日
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いつの間にか50件の閲覧しかもエロブログまで・・・文化の日の今日は邸園文化祭参加で湘南の庭のルーツを語っておりました。明治31年に駅舎が開設されて以来急速に発展した湘南。立派な庭園もなく松と芝生のシンプルな姿が湘南の庭のルーツ。
2006年11月03日
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まったくの 初心者でよく解っていない。 つづくのかなぁ~ 不安だ。
2006年11月02日
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