ガーデンデザイナーのブログ
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久しぶりに『SCAPETECTURE』LANDSCAPE ARCHITECTURE OF TOMORROW1977年 昭和52年3月25日江山正美氏の本を開いた。閉じた後、裏表紙にはこのように綴られている。造園の歴史は古く、近代造園学が生まれてからもすでに百年を超える。長い間造園はあまりにも芸術として取り扱われすぎてきた。造園のもつ他面の合理性ないし科学性にはあまり眼が向けられなかった。名神高速道路がつくられていたとき(1962)、公団の苗圃を訪ねた造園の学生O君は、中央分離帯の植栽などなどについて「私たちの造園はあなた方の絵空事とはちがう」といわれた。これまでの造園を、これほど痛烈に批判した言葉はない。造園を藝術と理解したカントの線からは、科学としての造園は生まれない。この本は柄にもなくカントに対抗し、科学としての造園学の体系化を試みた異端の書である。家のそばに一本の樹を植えるとき、どこに植えたら美しいかという造園学が成り立つ反面、どこに植えたら環境気候を緩和するかという造園学が成り立つ。後者の造園学が本書である。これは異端書というより、もっと早くから育ってよい造園学ではなかったか。『ランドスケープ・アーキテクチュア―人間のための自然環境の造成』の著者J・O・サイモンド(1961)は、造園学はこれから挑戦する新しい分野であると主張した。本書はまたその意味で挑戦の書でもある。(著者)彼はこの書を書き終えまもなく闘病の末亡くなる。寄寓にも上に書かれている逆のことが私にもおきていた。植栽の描かれた図面を見ていた電機さんに云われた事、「お宅らの図面は、単なる絵だよ」だって配植数値が明確じゃないからと、、、いまから30年程前この様に云われた。デザインは直訳すると設計である。設計とは「はかりもうける」と書いて設計である。後、すぐに寸法を入れて頭を下げた。先日、関西のあるグループが主催する集会に参加した。この業種は特殊であると或るご年配のご意見。わたしもそのように思う。TVのセットのように石を据えツクバイやトウロウを置き、傍らに枝振りのよい松や雑木を添えることで日本庭園に見える。不思議に様になる。そして客が喜んでくれればそれでよい。と、、、それでいいと私も思う。しかし、客は、どこまで理解しているだろうか。理解していなくとも「いいと思えば」それでいい。よく解らない。よく解らないようにしている。そう感じた。何がいいのかお互いが理解したらいいのに、私だけがその様に思っているのだろうか。自身、「人がいて家があり庭がある」と説き、一木一草一石に恵まれた材料の持つよき処を醸し出す仕事としてこの業界に携わり、この場の石の勢いと樹のスケール。それは景としての型があるからと心得ております。しかし、それらの多くを若き日に「なぜ好いのか?なぜそうなのか?」を訊ねても誰の答えのない質問に自問自答する日々を送っておりました。そうしたなかで一冊の出会いが東京農大当時の教科書であった江山正美氏の『明日の造園学』です。当時、造園にデザイン?という時代にデザインの根拠を示した書であり熟読する中でこの書の「知行合一」知識と技術が一体になる実感を得られることができました。「なぜ好いのか?なぜそうなのか?」自問自答する多くの要素、樹形や石の摂理に蹲の設えや灯篭を添えることで坪庭や庭園もどきが出来上がり、それらしく見えてしまう。のと同じく、さりげない石を据え樹形の柔らかな樹を植えることで雑木の庭という容(かたち)になってしまうことはその素材の力であり、自身の力が微力なる物であることに気が付いてしまうことでありました。熟読の後、実践を得るために様々な現象や事象を試しこれを一冊のテキストに纏め上げました。江山正美氏はある種の哲学を感じ、それ以上のものも含めヒューマンスケールがなぜ大事なのかこの中では淡々と描かれております。この書に描かれているある種の哲学とはなにか、「人とはどのようなものなのか」ということ、このヒューマンスケールを通して「人とはどのようなものなのか」が解説されております。スケールの捉え方、ヒューマンスケールの捉え方、データー化された数値、角度による意識、右と左の意識、竹垣の動縁におけるプログレッシブル、江戸期からの比率五七・五八の比やフラクタルまで「人とはどのようなものなのか」それらを追求していく「自分はいったい何をつくっているのか」内容は、自身の疑問もあり教義の解り難さを解き画像や引用を多く取り入れた内容に纏めました。が、結果纏め上げた後、これに捉われる事なくのびのびと庭造りに励むことが大切であると悟っています。矛盾しているように思われるがこのテキストの内容が大事ではなく造る側、依頼する側が共有できる言語や記号として理解される庭造りがしたいと思っております。今年で五十代の半ばが過ぎ周りを見ても一頃に比べると若年層が減少し、一人でも多くの後継者が増えてくれることを願います。なによりもわたし自身がこの業界の未来に憂いを懐いている一人でもあります。2013年6月12日 野崎幸夫
2013年06月15日
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