全111件 (111件中 1-50件目)
夜10時代の電車は嫌い。 少し前のことだけど、電車の中で酔っ払ってぐでんぐでんになっているおじさんがいた。 なんか知らんが、私のほうをじーっと見ている。 嫌な予感がした。目を合わせないようにしたけど、無駄だったみたい。 その日私は人からもらった水色のカシミヤのストールをはおっていた。持っている中で一番暖かいストールだから、めっちゃ寒い日にはこれに限る。が、この日はこのストールが災いしたらしい。 おじさんはおもむろに私のほうによってきて、 「お嬢さん、オレンジの方がいいね。その方が男が寄ってくるよ。それじゃあ(水色じゃ)寂しすぎる。」 ・・・とのたまった。 そして、電車を降りていった。 あまりの突然の出来事にあぜんとして何も言葉を返せず、隣にいた女の子には笑われ、、、 すーーーーーっごく、恥ずかしかった(T_T) 大抵の女の子は寒さをたえしのび、短いスカートをはきブーツという姿で(根性で!)寒さよりもオシャレを優先するが、私にはその根性はない。ええ、おしゃれなんかしてませんよ。手抜きですから。だからといって、、、、「男が寄ってくる」はないでしょ!! と、自棄酒を飲もうかと思った。ただでさえ仕事でブルーなのにっっ。 でも、その一方で 「もしや私はダメダメなのでは。カラーコーディネイト教室に通った方が…」という思いが頭をよぎったあたり、私もバカ。 おじさん、あれは親切なアドバイスですか?
February 11, 2006
コメント(0)
行ってきました。 といっても二週間前の話だけど(^^;)←書く暇がなかった。 当日は残念ながら曇り。少し雨がちらついていたけど、どうせぬれるんだから問題はなし。水はきれいだった。海岸はダイバーたちでにぎわってた。 海に入るのは初めて。最初水に入った瞬間がちょっと怖かった。というのもプールと違って、視界が悪い。プールではあんなにクリアに見えた水の中が、海ではこんなに見えないなんて。天候のせいかたぶんいつもよりも白くにごっていた。「見えない!」って思ったら不安になっちゃって。外から見ると海の水も透き通っているのになぁ。 そんな感じで一本目。10メートルもぐった。 ゆっくりゆっくり魚を見ながら泳いでいく。 当たり前だけどプールと違って、海の中では方向感覚がなくなってしまう。斜面はでこぼこしていて、足をうまくつくことができない。さらに浮力を保とうとするんだけど、プールよりも浮きやすいせいか、なかなかバランスを保てない。最初だからやっぱ難しいなぁー。でもそれどころじゃない。魚を見なきゃ! 最初に見たのは青い小さな魚。群れを作っていて、全く人を恐れない。すごく可愛かった。他にもたくさん、たくさん魚がいて水族館みたい☆ウニではないけどそれに似た生物、エビ、アジとかウツボとか。ふぐもいた。ウツボがとても面白い顔をしているもんで、すごく気に入っちゃった。本当にいろんな変な生物がいて面白い。 2本目は20メートル。 20メートルなんてめちゃ深い!とかもぐる前は思ってたけど、もぐってしまうとあっという間。 15メートルを過ぎた辺りからぐっと水温が下がってめちゃくちゃ寒かった。どうやら16度しかなかったみたい。20メートルの先は薄暗くて、この先ってどうなってるんだろう?ってちょっとドキドキした。斜面がどんどん下がってく。 今の自分のスキルでは20メートルが限度だから、この先はまたいつかだな。2本めは大分慣れて、ちゃんと浮力を保てるようになった。けっこー面白かった(^^) 2本目の途中でいいっこ(三角の形をした貝)を見かけた。 昔家族で海へキャンプに行ったときによく採って食べたおいしい貝。こっそり持って帰りたかった!時々食べたくなるんだけど、どこで売っているのだろう。やはり魚屋にはないんだけど。地方に行かなきゃダメかな? にしても、空気が重かったっ。 次の日は激しく筋肉痛だったよ。素もぐりできれば本当は一番いいのになぁ。
September 3, 2005
コメント(0)
今週は忙しかった。すごく疲れた。仕事のスケジュールがおしにおして、自己管理がいきわたらず、何をやるべきなのかわからなくなってきて、混乱状態。ぎりぎりながらもなんとかノルマをこなしてほっとしたけど、気疲れしてすごくぐったり・・・(-_-;)うーん。仕事で疲れるってこういうことなんだな。こういう疲れ方は学生のときにはなかったもんね。こういうときにビールがうまい。そんなことがわかってきた最近。それはさておき。先週合気道の5級試験を受けた。技の数は4つ。自分にはまだ早いかなぁって思ってたんだけど、検定の前日(!)に「君なら大丈夫だよ。受けなよ」と一緒に練習している人から背中を押されて、急遽受けることにした。まだ結果は出てないけど先生に「よい感じですね」と言われたから、受かったかな?5級なんて誰でも受かるんだろうけど、それでもやっぱり受けたことに達成感があるし、これでやっと合気道をやっているって言える気がして少しうれしい。背中を押してくれた人に、すごく感謝。私はいつも自分に自信が持てないので、誰かから背中を押されないとダメだ。以前ポーランド語のスピーチ大会みたいなものに参加したときもそうだった。「別に出ないもんね」と思っていたんだけど、「でなよ、もったいない!」と人から言われて急遽大会の3日前に出場すること決定。結果は、人数が少ないこともあって、実力を伴わない入賞になってしまった。それでも賞品が豪華だったから出場できてラッキーだったんだけど。最近も、ある人から転職を勧められた。「あなたにはこの会社がぴったりだよ、才能あるのに転職しなきゃもったいない!」と。才能・・・・そんなもの、ないっ。あれば苦労してない(;_;)やる気ないまま履歴書だけ送ってみたけど、あえなく予選落ち。ただ、自分の身に付けるべきスキルはわかったから、いい経験にはなった。考えてみれば、背中を押してくれる人がいるかいないかで自分の人生かなり変わっているような気がする。そんな人の存在が本当にありがたいとしみじみ感じる今日この頃。
August 6, 2005
コメント(2)
今日は友達に誘われ、渋谷のシネマライズで『ヒトラー最後の12日間』を観てきた。 結構好評らしくて、マイナーな映画だというのに、会場はほぼ満員!あとちょっと映画館に入るのが遅かったら座れなかったくらい。 映画はやはり重くて、観るのにかなり体力を消耗した。 内容は、本当にタイトルどおり。ヒトラーの秘書だった人の回想から始まり、最後に元秘書本人のコメントの映像で終わる感じ。 戦況が絶望的になって、軍指揮者としての正確な状況判断ができなくなり、酒におぼれ、錯乱していく様子がよく描かれていた。映像の中のSSの軍司令部の建物の中が以前見学した沖縄の海軍指令豪と重なった。 ヒトラーが「同情は最大の敵だ」と言っていたのにはっとした。国民に対する同情も裏切った部下に対する同情も必要ない、と言った彼。 部下がどんどん裏切っていく中で、彼は最後には誰も信じることができなくなる。独裁者の運命っていうのはいつもこうだ。誰も信じられなくて、粛清ばかり繰り返すようになる。その失望の中で自殺するわけだけど、その自殺を共にしたヒトラー夫人のエヴァは忠誠心のみからそれを行ったのではなく、ヒトラーに対する同情もそこには含まれていたんじゃないか、と思う。他にもたくさんの人が自決したけど、少なくともエヴァはそうじゃないかなあ、って。だとしたら皮肉かも・・・ 元秘書の「ずっとユダヤ人虐殺とは自分は関係ないと思っていたが、あるきっかけから目を見開いてその罪と向き合いはじめた」という言葉で映画は締めくくられている。加害の立場にいながらも無関係だと思える加害者と、犠牲者間のそのギャップは一体どうしてなんだろうって気になっていたことがあった。自分は無関係だと思っている人に、どうすれば責任=応答可能性が生まれるんだろうって。でも、この問題を突き詰めていくと哲学的な領域に入ってしまって、今の自分の知識じゃ歯が立たない。そして勉強がしたくなる今日この頃。
July 16, 2005
コメント(0)
生態系が多様であればあるほど自然環境のバランスが絶妙に保たれるように、主義も多様に共存している状態の方が(・・・無理なのかしら・・・)うまくいくのではないか、と最近思い始めた。資本主義一辺倒のこの世界みたいに、何かひとつの主義で世の中が支配されるっていうのにはやっぱり無理がある気がする。 歴史的に共産主義は「敗北」してしまって、もと共産圏の国に住む人々がその結果から共産主義を全否定し憎んでいるのは、悲しいと思ってしまう。私にいえた義理じゃないけど。その問題意識は今も新しいと思うし、その考え方は今も十分生きている。ずっと気になりつつなかなか手をつけられなかったのだけど、ようやくマルクスの端っこをかじってみた。ほんの少しだけ理解して、その考えはスロービジネスにつながるものがある、と感じた。 そのひとつの思想は、「自分の身体は自分のものではない」ということ。資本主義の根底のひとつには「自分の身体の自己所有の正当化」があるらしい。それが、労働力の商品化になっていく。ここで書くと長くなるからやめるけど。。。 なにか、「資本」っていう目に見えない、得体の知れないもの。私はほとんどこれを怪物のように捉えてる。資本は、雪山の上から転がす雪だま。それが大きくなって地球を踏み潰していくような。。。そんなイメージ。それに振り回されて生きているような日常。でも、実際には振り回されているだけではなくて、その「あいだ」やすきまで生きていくことも十分可能で、そうやって生きている人がたくさんいる。その手段の一つがスロービジネスなんだろう。資本主義社会の中のすきまに立ち、下から多様化を促していく手段としてスロービジネスを捉えられるかもしれない。資本主義、一辺倒を少しずつ、崩していく。 社会人になって自由にお金を使えるようになってから、使うならば、スローな世界にお金を費やすようにこころがけるようになった。今はファストな世界で生きているけど、ファストな世界で手に入れたお金を、使える分、スローな世界に回す。そう考えることで、自己満足を得てる。 今は、「あいだ」に生きてる。スローとファストの間。もしくは、資本主義とそのオルタナティブなものの間。中途半端といえば望ましくないかもしれないし、早く脱却したいとも思う。だけど今はせめて、あいだに立つ。 あるものの支配下で、従順でいるように見せかけて、ささやかに反抗する。マイナーすぎる言葉だけど、それを「ペルーク」と言ったりする。「あいだ」に生きるっていうのは、そんな言葉で表せる。たぶんそんな感じだ(←カルスタの影響大)。そしてスロービジネスもペルークなのだと思う。
July 13, 2005
コメント(0)
先週の土曜から9日間の夏休み。 この夏休みは好きなことをして、ゆっくり過ごすことに。 昨日は映画を観に渋谷の文化村に行ってきた。 観てきたのは「DEARフランキー」。 主人公は、9歳の難聴の男の子、フランキー。彼には父親がいない。フランキーが赤ちゃんの頃に、母親が離婚したためだ。母親はフランキーに「父親は船乗りで、当分帰ってこない」と嘘をつき、父親になりきってフランキーと手紙のやり取りをし続けている。あるとき、ひょんなことからクラスメイトに父親と会う約束をしてしまったフランキーのために、母親は一日だけの父親役を探すことになるが・・・というお話。 母親のフランキーに対する愛情と見守り、フランキーの純粋な気持ちや優しさ、父親役とフランキーが心から楽しそうに遊ぶ場面など、3人の気持ちがたんたんとストーリーの中に織り込まれて、嫌味なく話が展開していくので見ていてとても気持ちのいい映画だった。 父親役と別れる場面でフランキーが初めて声を出すのだけど、それが「健常者が喜ぶシーンだね」と、一緒に観に行った連れが少し怒っていた。私はああいう場面をさらっと流して見てしまうけど、立場が違うとやっぱり視点も違うのかもしれない。 にしても、父親役が渋かったなー。 そして今日は友達からもらったDVDを観た。 こちらは、「グッバイレーニン!」 おなじみ、ダニエル・ブリュールの主演。 これもまたいい映画だった(^-^) これも、大事な人を守るために嘘をつく、という点で「DEARフランキー」に似ている。 こっちは逆パターンで、息子が母親に嘘をつく話。背景は、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツ。熱心な社会主義者であり、祖国のために熱心に活動している教育者でもあるアレックスの母親が、あるとき心臓発作を起こしてしまう。原因は、息子アレックスが反社会主義のデモに参加しているのを見てしまったこと。彼女は意識不明に陥り、8ヶ月の間昏睡状態に。彼女が眠っている間、ベルリンの壁は崩壊し、東西が統一し、資本主義の波が行き渡り町並みがどんどん変わっていってしまう。 母親は昏睡状態から目覚めるが、医者から「ショックを与えたら危険」といわれたアレックスは、あの手この手で東ドイツがまだ存続しているように見せかけ、母親をだまし続ける・・・。 面白かったのは、母親の理想である社会主義国・東ドイツがだんだんとアレックス自身の理想の国に創りかえられていくところ。現実的には社会主義が敗北した形になったけれど、映画のお芝居の世界では西から東に難民が入り込み、東が西を受け入れ、資本主義と社会主義が相対化された形になっていた。 アレックスの母親は――本当はアレックスのお芝居に気づいていたかもしれないけど――その理想の国を信じて亡くなった。 そこらへんがよくできてるなぁ、と思った。
July 9, 2005
コメント(0)
「クールビズ」 って言葉が流行ってるのかはやってないのか。 最近はノーネクタイが奨励されているらしい。 それはそれでよいことだとは思う。 あんまり知られていないけど、ネクタイの発祥地はクロアチア。ルーツは、ルイ14世の時代にまでさかのぼる。 クロアチアの兵士たちがパリへ入城していたときに首に巻いていたスカーフ。それが、ネクタイの始まりなのだそう。そのクロアチア兵士のファッションがパリの人々に気に入られ、その後広まっていったのだとか。 私もなぜか一時期ネクタイに憧れて、学生のときとか制服にはリボンじゃなくて、ネクタイばっかりつけていた時期があった。しかし、一般的にはネクタイといえば、男性用。なんで女性はネクタイじゃないんだろう?とずっと思っていた。たまたま旅行することになったクロアチアに、女性用のネクタイも売っている店があることを知り、意気揚々と買いに行った。 ネクタイは男性用よりも短くて、すそが広がっている。いろんな柄があって、どれもかわいい。スチュワーデスのユニフォームにでもなりそうな、上品なネクタイの数々。 ・・・だけど、自分には似合わない・・・(がっくり)。 その女性用のネクタイは、ヨーロッパの女の人にはとっても似合うけれど、どうも日本人には似合わない・・・いや、似合う人もいるのかもしれないけど、少なくとも私には似合わなかった。 それから今はもう、ネクタイに対する興味を失ってしまった。 まあ、そんなことは余談だけど。 そもそも、もともとは兵士さんたちのファッションだったのに、今ではビジネスマンの必需品であり、暑さで厭われているネクタイ。 なんだか、切ない対象になってしまったもんだなー、と思う。
June 24, 2005
コメント(0)
昨日はいつもお世話になっているベアーズウェルという学芸大学駅近くにあるカフェでイベントをやりました。イベントは、インドネシアの伝統芸能、ワヤンの上演。まずは、暗闇の中での火起こしから始まりました。木と木をすり合わせる、あの原始的なやり方で火を起こす。真っ暗闇で、木と木の摩擦音だけが聞こえる。そして徐々に、焦げたようなにおいがしてくる。そうしてわずかに起こった小さな火。大切にしながら、息を吹きかける。ある瞬間。小さな火が、火の玉になった。お客さんたちがどよめきました。起こした火を、ローソクに灯す。ローソクからローソクへ、火をまわしていく。会場が、ランプでほのかに明るくなりました。それから、火の起源についての神話の語り。内容は、忘れちゃったけど・・・。そうして、本番。ガムランの演奏と、光を使った人形劇。人形には細かな美しい模様がくりぬかれていて、その模様がアセチレンランプの照らすスクリーンに映し出される。光の加減で模様が作る影が伸び縮みし、人形同士と、ランプの光とが交錯する。とってもステキな劇でした。通常は電気のランプを使ってやるんだけれど、今回は特別に電気を使わず、アセチレンランプでの上演。そんな今回のイベントは、「100万人のキャンドルナイト」のプレイベントとしての位置づけ。夏至の夜、8時から10時まで、電気を消してキャンドルの灯りですごそう。みんなにミツロウローソクを配って、キャンドルナイトを過ごしてもらうのが、今回のイベントの目的。私は少し手伝っただけだけど、ローソク作りは楽しんでもらえたし、お客さんに喜んでもらえてとってもHAPPYでした♪さあ、21日は素敵なキャンドルナイトを(^-^)
June 19, 2005
コメント(0)
社会人になってからというもの、忙しくって全然日記を更新できてなかった。やば。時間のあるときはとにかく長く、ネタを探して書いていたんだけど、これからは気ままに、テキトーに書こうかな。・・・じゃなきゃ、日記が続かない(^_^:)先週は、ダイビングの講習に初挑戦した☆沖縄に行ってからというもの、ダイビングに憧れてしまって。魚に囲まれたり、海底遺跡を見たり、洞窟を探検したり。。。そんな体験をすることが夢。海の中に差し込む光の美しさに(写真だけど)、すっかり魅せられてしまった。とはいいつつも、泳ぎが苦手で、ずっと水に対する怖さを克服できない私。ある程度泳ぐことはできるけど、息つぎができない。息つぎができないと思うから、体に力が入る。力が入るから余計、うまく泳げない。。。とっても悪循環で、水泳に関してはとにかく挫折続き。なのに、ダイビングに挑戦しようというんだから、我ながら大胆か?「泳げなくても大丈夫」とは言われていたものの、ダイビングはやはり水に対する恐怖を克服しなくちゃできないスポーツ。水の中で息ができるとはいえ、やはり、水に対する恐怖は残ってしまうのだ。でも、気づいたら40分間も水の中にいた。講習はプールだったけど、そんなに長く水中にいるのは初めての体験。とにかく感じたのが、呼吸だった。水の中にいると、自分の呼吸を強く意識する。「ああ、自分はこんな風に、呼吸してるんだな。」陸にいるときは忘れているけど、水中にいると改めて感じる。水中にいると、世界の音がすべて、自分の呼吸だけになってしまったみたいだ。水に対する恐怖。。。克服できるかな?あ、あと、問題はお金だね(^_^;)
June 17, 2005
コメント(0)
ピースリレーの本が私の手元にもやってきた。 それは、ノリ・ハドルさん/きくちゆみさん共著の『バタフライ―もし地球が蝶になったら』。 (ピースリレーについてはhttp://peacerelay.net/jx/modules/tinycontent/index.php?id=2・を参照。) これは、芋虫が蝶になるまでのお話を今の社会に当てはめ、自分たちの「バタフライ性」に気づき、ベスト・ゲーム・プレイヤーとなろうということを提案するもの。 こう簡単に要約してしまうと、自己啓発っぽく聞こえちゃうけど、全くそうではない。資源を食い尽くす、物質・消費主義社会に現在生きている私たちを芋虫に例える。そうではなく、みんなとつながり、分かち合う「蝶々」を目指す。そこで強調されているのは、「無限の存在との一体感」。私たちが地球や他人と一体であること、つながりの中で生きていることを感じる練習をする。それが、今直面している問題の数々を克服する手段となる。それが、ベスト・ゲーム。 このゲームの目標は、「2012年までに平和と健康と豊かさと公平さを地球上にくまなくもたらす」(!!!)というもの。そのためにひとりひとりがベストゲームのプレイヤーとなり、10のルールを守っていく。ちなみに、プレイヤーを増やすことがこの本の目的でもある。 2012年までに・・・ なんて大胆な、目標! と、私は正直面くらってしまった。しかもちょっとスピリチュアルな感じ。・・・でも、今日私がピースリレーでこの本を手にしたのも、「つながり」なんだよね。たぶん。 一体感を感じるようにすること。そしてつながりを大事にして生きること。半信半疑ながらも、この言葉にとても共感した。 じゃあ、今日から私もベスト・ゲーム・プレイヤーになるか。 ルールを守れる自信は全くないけれど。 なんだかわくわくする♪
June 4, 2005
コメント(0)
日常の雑務から解放されて、ふと放心する。それが最近において、一番ほっとできる瞬間。そんなときに、昔好きだったものとか考えていたことをひとつひとつ思い出すことがある。 それは、例えば星空。 そしてそれは、例えばお盆の前頃に大体観察することのできる、ペルセウス座流星群。 観察していたといっても、山奥ではなくて、自宅のベランダから。 もっとロケーションがよければたくさん流星が見えるのだろうけど、家のベランダから見ている分には、せいぜい5分から10分の間にひとつ流れ星が見えればいい方。それでも、ポピュラーな流星群として毎年確実に見ることのできるこの時期を楽しみに、数年間欠かさず見た時期があった。だけど、私が感嘆したのは、流星じゃなくて空全体の動きだった。 暗闇でじっと目を凝らす。目が徐々に慣れていって、最初見えなかった星々が見えるようになる。そこまではいつもの光景。でも、あるときびっくりする現象が起きた。じっと見上げて、観察していると、ふとした瞬間に空全体がものすごい速さで流れていく。雲が、星が、目に見える速さで、星がスピードを上げて動いていく。速い。こんなに速い。あまりにも速くて、吸い込まれそうだ。 空全体が動いてる! あまりにも星をじっと見つめていたから、目が錯覚を起こしたんだろうか。でも、それはずっと続いた。私が見ることをやめるまで。 雲の流れが速いことがしばしばあるように、同じように、星も早く動くことがあるんだ。でも、きっとそれは雲とは違う。星の動きを感じられるかどうかは、空の見方次第なんだ。感じようと思えば感じられる。そして、それは不意にやってくる。 その動きにあまりにも驚いて、これを見た人が他にもいるだろうと思って、次の日学校の隣の席の人に聞いてみた。 「昨日、空がすごい速さで動いてなかった?」 でも、きょとんとされちゃった。 あんなに空の動きが速かったのに、誰も気がつかなかったのかなぁ・・・。 私が一時期星空にこだわったのは、ひとえに小学校のときの友人からの影響。 星座が大好きだった彼女はこんな風に、よく語ってくれたものだった。 日本から見えない、星座があるんだよ。 南十字星もそうだけど(沖縄の一部からは見える)、私が好きなのは、レチクル座。ダイヤの形をしてるんだ。 あとね、昔、アルゴ船座っていう星座があったの。でもあまりにも大きすぎる星座だったから、4つの星座に分けられちゃった。今では、ほ座、とも座、らしんばん座にりゅうこつ座になったんだよ。 「アルゴ船座」の方がかっこよかったのになぁ。確かに、星座盤で見ると、空いっぱいのサイズになっちゃうかもしれないけど。 そんな風に、友達の話を聞いていて、自分も星座や宇宙に惹かれていった。 宇宙にも地平線がある。夜空に星が見えるなら、宇宙の中にある無限の星々が見えるはずなんだけど、実際地上から見える星は限られている。私たちが見ることのできる星たちと見えない星たちとの境目。その宇宙の境目が地平線。難しい理屈はよくわかんないけど、その地平線に妙に挽かれたりして。 それと、昔本で読んだブラックホールの存在。ブラックホールの重力に引き込まれたら、もちろん生きていることはできない。けれど、もし生きることが可能だとしたら、その引き込まれている最中にもう一人の自分が見える。そんな、未知の話とか。 気がついたら、忙しさにかまけてすっかりそんなことも忘れていた。ああ、最近星空見てないな。
June 1, 2005
コメント(0)
5月、6月はなんと言っても木苺の季節。 今はイチゴが真っ盛り。 なぜか、自分の誕生日の週に特にたくさん収穫できるイチゴは、毎年、自分にとってのプレゼント。つぶしたいちごに牛乳をかけて、砂糖をかけて食べるのが最高においしい。 だけど、イチゴよりももっともっと好きなのは、野生の木苺や木の実。子どもの頃たくさん食べたから、私にとっては忘れられない味。けれども周りに聞いてみると、意外にみんな木苺を食べたことのない人が多い。少し田舎なら、探してみると身近に、そこら辺に生えている果実もある。八百屋では決して手に入らない、野性の味。どれもこれからの季節、6月頃に実がなる。道端で見つけて食べてみたら、案外はまっちゃうことうけあい。そこで、おいしい木の実と木苺をちょっと紹介してみようと思う。 ☆桑の実☆ 一番好きな木の実は何かって聞かれたら、間違いなく桑の実だって答えると思う。昔家のすぐ近くに桑畑があって(おそらく蚕を飼っている農家があったのだと思う)、毎年好きなだけ食べることができた。熟した桑の実の色は真っ黒で、最高に甘い。野生の桑の木はよく生えているけど、黒い熟れた状態の実はなかなか生っていないので、おいしい桑の実を食べるのは難しいかもしれない。こんなにおいしいものがなぜ八百屋で売っていないのか、疑問だ。ちなみに近くの桑畑は私が小学生のときにすっかり切られてしまった。大ショックだった(T-T)あのおいしい実を再び食べれるのはいつのことやら。 ↓写真。 http://www.pref.gunma.jp/e/04/sansi/kuwanomizukan/itinose.htm ☆モミジイチゴ☆ 葉っぱがもみじの形をしているから、モミジイチゴなんだと思う。数は多くないけれど、割と大きめの、黄色いつぶつぶの実がなる。見た目もきれいで、宝石みたい。食べるのがもったいないくらいなので、大抵1分くらい(?)見かけを楽しんでから口にほうりこむ。あまりの甘さに感動すること間違いなし。 ↓で写真を見れます。 http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/momiji-itigo.html ☆ゆすら梅☆ 丸い葉っぱに丸い赤い実。なんといっても見かけがとてもかわいらしい上に、実も甘酸っぱくておいしい。私の大好きな植物。でも、庭にあったゆすら梅は数年前に突然枯れてしまった。このときもすごくショックだった。駅から帰る途中にある、事務所の庭にゆすら梅があるのだけど、毎年誰にも食べられることなく腐ってゆくのを見る。それがとても寂しい。忍びないので、いつも私がこっそり食べていたりする(盗みじゃん)。 ↓こんな感じ。すごくかわいい。 http://sam136.cool.ne.jp/Yusura.html ☆ナワシロイチゴ☆ ツル性の木苺。これは本当に野生で、ちょっと田舎ならそこら辺に生えている。地元ではコンクリートの上から垂れ下がっていて、小学生のときに手が届かなくて悔しい思いをした記憶あり。赤くてきれい。酸味あり。 http://had0.big.ous.ac.jp/~hada/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/rosaceae/nawasiroichigo/nawasiroichigo.htm ☆ラズベリー☆ ポピュラー。たくさん実がなるので、収穫のしがいがあることは間違いない。ジャム作りには最適。とっても甘い。 ☆名前不明の木苺☆ 雑木林でよく見かけることができる。実は小さめで黄色。モミジイチゴにはかなわないけど、ほのかに甘くて酸味がある。地元ではよく見るが、ネットでは写真を見つけることができなかった。 ちなみに一番見かけるヘビイチゴは、見かけに反して味は全くない。見かけにだまされて、何回も食べた経験が・・・でも別に毒はありません。 ふらっとキイチゴ散策に、チャリで出かけてみたら楽しいかも☆☆
May 22, 2005
コメント(0)
日曜は教会に行ってきた。 私はクリスチャンじゃないけど、教会の説教は結構面白い。今週は韓国人が日本に留学したために母国でスパイ視され、死刑判決を受けたときの話を牧師さんがしてくれた。イザヤ書の第53章「主の僕」を参照しながら。私は聖書を(以前から読まなきゃなぁとか思いつつ)ちゃんと読んだことはないけど、この部分はすごく気に入ってしまった。キリストが十字架を背負ったことの意味がずっと理解できなかったけど、今になって「我々の罪を背負った」という意味が、ほんの少しだけ、わかったような気がした。 そんな話を聞いてから、「罪」について少し考えた。 そんな折、宗教とは関係ないけど、テッサ・モーリス=スズキの「批判的想像力のために」を読んだ。文体は難しいけど、彼女の立場のわきまえ方とか、考え方とか論調が好き。その彼女の考え方のひとつに「連累」がある。自分がなんとなく気づいていたことをきれいにまとめてくれた言葉だと思って、感激した。学者って本当に言葉や物事をうまく説明する術を知っていて、とてもうらやましい。 彼女は「連累」についてこう説明している。 「わたしは直接に土地を収奪しなかったかもしれないが、その盗まれた土地の上に住む。わたしは虐殺を実際に行わなかったかもしれないが、虐殺の記憶を抹殺するプロセスに関与する。私は「他者」を具体的に迫害しなかったかもしれないが、正当な対応がなされていない過去の迫害によって受益した社会に生きている。」 「罪」の意識からではなく、この「連累」から私たちは歴史に責任を持つ、と述べている。 キリスト教的に言えばきっと罪の意識が先に立つんだろうな・・・。でも、学問的見地からすると「責任」ということになるんだろうか。個人的には、両方含まれるような気がする。私はたぶん両方とも感じる。 新しい歴史教科書を作る人たちが主張するように、 「歴史は物語なんだ」 といわれれば、多くの人が「そうか」と納得してしまうのかもしれない。 でも、歴史を学ぶことの意味が過去の過ちを繰り返さないことにあるとするなら、「連累」から今ある不正義を是正するための手段としての歴史が必要になる。 彼女はそこからさらに発展して、「歴史への真摯さ」ということを唱えるのだけど。難しい。 忙しさにかまけて何もできないことが結局加害者になっちゃうんだよなあ、と思いつつ、連累をかみしめようと思った。 あああ(>_
May 11, 2005
コメント(0)
チーム魂。 これは私の造語ではなくて、沖縄でたまたま知り合った人が教えてくれた言葉。 人生には実に不思議な出会いの巡り合わせがある。 私も大学に入ってからというもの、何回もこのフシギな出会いに驚かされてきた。 ポーランドに行けば、道中知り合いの知り合いに会うことは珍しくない。まあ、ポーランドで日本に興味ある人は自然と限られるからそれほど驚くことではないかもしれないのだけど、それにしても、偶然の出会いは多すぎた。 沖縄の辺野古に行ったときは、テント村で牧師さんと知り合った。そしたらその牧師さんは、なんと私の地元近くの人だった。しかも、今日その牧師さんの夫がなんとうちの母親の知り合いであることが判明。 ちなみに、辺野古には、川田龍平さんも来てたみたいだ。薬害だけじゃなくて、いろんな活動してるんだなぁ!と正直驚いた。彼は絶対(当たり前だけど)私のことを知らないけど、私が行く場所にはどこか川田さんの影がある気がして、一方的に親近感を持っていたりもする(妄想だったりして??)。 まあそんな具体例はどうでもいいとして、とにかく偶然とは思えない思わぬ出会いがあるってことを言いたかった。 そんな中で、ひとつの法則を発見。 自分の興味にしたがって行動していると、いつしか同じ人や誰かしらの知り合いに出会う。もしくは、必ずどこかでつながっている。 それを、沖縄で会った女の人はこう言った。 「それが、『チーム魂』だよ」と。 そして、別れ際に言ってくれた。 「また、『チーム魂』で会えるからね!」と。 この世の中は「チーム魂」でつながってるんだな。
May 7, 2005
コメント(0)
Swiat jest pelen ludzkich lez wiele oczu ciagle mokrych jest kolor skory dzieli znow... 世界は人の涙であふれてる たくさんの目が涙に濡れている 肌の色がまたも世界を割いている・・・ ↑は宮沢和史の「ひとつしかない地球」の一節。 4月のアースデイコンサートで歌われた曲らしい。 この曲をテレビで見たとき、とってもびっくりした。 だって、ポーランド語なんだもの。 島唄がポーランドで流行ってるのは知ってたけど、なんと宮沢がポーランドのロック歌手と共演してたとは。 この曲は日本語バージョンと5ヶ国語バージョンがあって、ポルトガル語、ブルガリア語、ロシア語、ポーランド語、日本語で歌われている。そして、曲の中で三線が使われている。 好きだったブルガリア。そしてポーランドを結びつけてくれた曲。更にこの曲は、沖縄やアースデイにもつながっている。 いや、ただの偶然なんだけど。 あまりにもピンポイントで私の思い入れのある場所をつなげてくれたものだから、この曲を聴けて本当にうれしかった。 その意味で、この曲は私にとって特別になった。 更に。ヨーロッパツアーで宮沢はアウシュヴィッツを訪れた後、ポーランドの小さな町、プシェミシルでライブをやったそうだ。これには、またまたびっくりしてしまった。 プシェミシルはウクライナの国境近く、田舎のとても小さな、けれどきれいな町。最後の旅行として私も友達と訪れたことがあって、その意味で思い入れのある場所。 川沿いに立ち並ぶ家々。町にはウクライナまで見渡せるタタールの丘があり、そこには十字架が立っていた。少し離れたところにはお城。町のなかには教会がたくさんあって、丘の方には修道院があった。 ここに住むことを決めた修道女は、一生そこから出ることはない。家族とさえも、壁越しにしか会うことができない。文字通りキリストと結婚し、一生を祈りにささげることを決意した女の人だから。 そんな話を聞いたときに受けた衝撃。 ちょうどこの日に行われたEU加盟の国民投票の結果。 最後だった友達とのおしゃべり。 そんな、いろんな思い出のある場所なだけに、ライブが行われたことを思うだけで、なんだか感慨深くなってしまう。 本当に本当に小さな町だけど、あそこには、日本人のピアニストが住んでいた。何かと日本とは縁のある場所なのかもしれない。 コシカ/ひとつしかない地球 http://www.five-d.co.jp/miyazawa/jp/koshka/
May 6, 2005
コメント(0)
一昨日、渋谷の文化村で公開したばかりの映画、『ベルリン、僕らの革命(The Educators)』を見てきた。金持ちばかりが優遇される社会に反逆し、主義や理想を追求するため、二人の若者ヤンとピーターは金持ちの家に侵入する。家の中の家具を荒らして「ぜいたくは終わりだ!」っていう警告を残し、家主に恐怖を与える(ただし、何も盗まない)。そんな事件を繰り返し、世間を騒がせる彼らはEducators。ピーターの彼女のユールは、労働搾取に反対する活動をしながらも、借金を返すために一生懸命働く毎日。それも、金持ちの乗るベンツを事故で傷つけてしまったためだった。金持ちにとっては、お小遣い感覚で買うことのできるベンツを自分が弁償しなければならなくなったために、自分の人生をめちゃくちゃにされてしまった彼女。金持ちを憎みつつ、お金を稼ぐために金持ちの奴隷となって働かなければならない現実。そんな中、ひょんなことからユールもヤンとともに、金持ちの家へ侵入に参加。その家は、自分が借金を負っているベンツの持ち主の家だった。というのが、大雑把なあらすじ。これが、すっっごく面白かった☆☆なんといっても、ラストがよくできている。うん、できすぎ。物語の終わり方がなんとも爽快!!なんだよね。私的にはかなりヒットの映画でした。テーマは考え始めたら重いんだけど、ストーリーは軽く展開するし、ラブストーリーや男同士の友情もかなり描かれていて、終わり方はまるでブラックジョーク。誘拐した金持ちのおじさんと彼ら若者3人とのやり取りがとにかく面白かった。金持ちのおじさんも今は体制側にいる人間だけれども、昔は彼ら若者のような理想を持ち、共済主義、学生運動のリーダーだったらしい。だから、ヤンたちと心が通じる部分もあった。体制側の人間と反体制側の人間が仲良く共同生活するところがなんか、ほほえましかった。若者が社会を変えようと革命や理想を純粋に追い求め、逆境にいながらもしたたかに生きる姿がなんともいえずかっこいい。それに、ヤン役のダニエル・ブリュールがめっちゃかっこよかったなぁ(>_
May 2, 2005
コメント(0)
うわわ。忙しかったぁー(>_
April 28, 2005
コメント(0)
それは自転車に乗って家へ向かう途中のこと。いつものことだけど、静かな夜だった。家に近づいてきたとき、不意に猫の鳴き声が聞こえた。声がするほうに目をやると、ちょっとやせた猫がそこにいる。私の自転車の速度に合わせるように、ついてくる。にゃあにゃあ鳴きながら、車輪に身を寄せてくる。車輪に巻き込まれたら危ないなぁ・・・そう思って、自転車の速度を緩めた。あのねえ、悪いけど、ついてきても餌もなにもないよ?そこで立ち止まったら、猫は私の両足の間をすり抜けすり抜け、繰り返す。なんだかかまってほしそうな感じ。このままじゃ、家までついて来ちゃう。うちは、猫飼えないんだよ・・・親が猫嫌いだからね。家までは、あと100メートルだ。そこで腹を決め、私は再び自転車に乗った。猛スピードで、こぎ出す。ついて来れないように、もう追いかけることができないように。そして、猫も猛スピードで走り出した。けれど、私には追いつかない。猫の鳴き声がいっそう大きく聞こえてくる。でも、もう振り返らない。少し申し訳ない気持ちで家路に着いた。ちょっとしてから、ごはんを食べている最中。猫の甘ったるい鳴き声が聞こえてきた。さっきの猫の声だ。「春だからねえ。猫も恋の季節だね」そう、親が言った。ううん、ちがうよ。あれは、私を呼んでるんだよ・・・。夜寝るとき。また猫の鳴き声が聞こえた。・・・まさか、まだいるの?私を探してるの??すると、もう一匹の猫の声が聞こえてきた。・・・そっかあ、よかったね。相手を見つけたんだね。そう思ったらなんだか安心して、とろとろ眠りに落ちていった。
April 17, 2005
コメント(0)
最近メイヤを聴いていて、彼女の歌詞に共感しまくっている。「お金がすべて」という世の中の価値観に対する反感とか、とにかく、「買え」「買え」と訴えてくるTVに対する皮肉。自由を求めたヒッピーに対する憧れ。なんだか、この一週間はみょーに彼女の曲にはまってしまったのでした。すごく気持ちがわかるような気がして。お金はそんなに要らないから、自分の時間がほしいよ。周りは無理を強いてくるけど、私はマイペースに生きたいよ。ひとりひとり違うのに、この世の中はみんなに同じような生き方を強いる。人間でなくなれって言ってるみたい。そんなの、無理なのに。「忙しい」といって、文字通り心を亡くしたくないよ。周りが見えなくなって、考えなくなったらおしまいでしょ。きっと、大事なものが見えなくなっちゃうんだ。みんな楽しそうに話すけど、TVはそんなに興味ない。TVは面白くても、人のことなんかどうでもいいよ。もっと知りたいのは、別のことなのに。何か表面上で生きているような、もうひとつの世界。ここじゃあね、無理だよ?ずっとはきっと、過ごせない。そんなことを、考えて。
April 10, 2005
コメント(2)
ここ数日、親不知の激痛と格闘でした(T_T)4日ほど前、朝起きたとき。何かヘンだな?口の中が痛いぞ?・・・・と思ったのが地獄の始まり。ほっといたら、夜になってから激痛。痛みで夜も眠れず、次の日歯医者へ駆け込んだ。・・・・が、本日休診。・・・今日は、木曜だった。痛みをこらえて、とにかく歯医者を探しまくる。・・・だが。2、3、4件目、、、すべて休診。「第1、3木曜日休診」ってさ、今日は第4木曜日でしょ!なんで今日休みなの~(;_;)って、つっこむ元気ももうないよーーーー。探すこと、5件目。ああああああ。もう限界(泣)。やっと見つけたよさげな歯医者で、とりあえず、痛み止めをもらって、消毒してもらった。旅行の疲れも取れないうちに、イベントやったりなんやかんやと出かけているうちに、気がついたら体が弱っていたらしい。そこに、細菌が・・・入り込んだみたい。「抗生物質を飲めばよくなりますよ」と言われて、・・・・飲んだのに。一向に腫れが引かない。むしろ、ひどくなっているようだ。腫れは喉やアゴまで広がり、頭まで痛くなる始末。・・・明日は入社式なのに?最悪的な、社会人スタート!!鎮痛剤の効果はすぐに切れ、またもや痛みで眠れず、そのまま入社式。モノは食べれない。鎮痛剤で乗り切ったものの。その日の夜は更にイベントの打ち合わせがあった。あああ。もう、ホント忙しいときに限って・・・。次の日。腫れがあまりにも引かないので、いつもの歯医者へ行った。なんと、、、化膿していたらしい。有無を言う暇もなく、切開することに。麻酔は効かず、激痛(TOT)並の痛さじゃないってば!!しかも、この日は卒論の発表日だった。3ヶ月前から決まっていた日程なので、ドタキャンできるわけもなく。ふらふらしながら、会場へ向かった私。歩くだけで、精一杯だった・・・・。幸いその後落ち着いたものの。まだ抜くのはこれからなんだけど。ってことは、この地獄が再び!?もうイヤーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。キレそうな、わたしの4日間でした。ナメてたら、ひどい目にあう親不知。↑今回の教訓。終わり。
April 3, 2005
コメント(0)
ここの闘いで、私が知る限り一番つらいと思えたのは、毎日繰り返される業者とのやり取りだった。業者は、調査のための足場を作りに毎日海へやってくる。しかし、海を守ろうとし、基地に反対する人々は決して彼らに建設を進めさせない。たとえ、一本の単管でも、設置を許せば、それが基地建設につながってしまうのだから。しかし、土建業者にとっては建設が自分の仕事だ。その仕事がどのような意味を持とうとも、それはあくまでも「やらなければならない仕事」である。彼らは労働者であり、その仕事に雇用されている限り、その仕事を断ることはできない。海を守ること、そして人殺しに加担しないようにすることは、彼らの仕事を妨害することでもあるのかもしれなかった。彼らは、労働者としての立場を通そうとする。一方、ここで闘っている人々は、個人個人の意志と判断を通そうとする。当たり前だが、決して折り合わない。そして、敵対する。本当は、敵対すべき相手ではないことは、お互いわかっているのに。どんな問題も、話し合えば、解決する。話せば、わかってくれる。そう純粋に信じていたのは、2、3年前までだろうか。でも、実際は、話しても最後まではわかり合えない。お互い、理解しあえない。・・・立場が、違うから。それは、とても悲しいことだった。同じ人間なのに、立場や考え方、といった「カテゴリー」で人はこうも引き裂かれてしまう。基地建設が取りやめになれば、話は一番早い。そして、お互いのためにも一番いいはずだ。しかし、業者にも、闘っている人にも決定権は何もない。決定権があるのは、現場のことを何も知らない「お上」、つまり政府の人たちだ。結局、私含め「下っ端」の人々は上の決定やマスコミの情報に翻弄されるのだった。そして対立すべきでない者同士が対立させられてしまう。ここに、なにかグロテスクな社会構造がある。複合差別。ともいえるのかもしれない。憎むべき相手は、本来人間ではなく、こうさせてしまう社会構造なのだろう。現場だけでは、決して解決することができない。そして、対立すべき相手でない人々と対立しなければいけないことのつらさ。それが、どんなに精神的苦痛をともなうことか・・・。現場では解決できないからこそ。他の人々の助けが、必要なんです。ここ、沖縄の辺野古では。一日も早く、建設が取りやめになるように。みんな、支援してあげてください。*ここに書いてることはノンフィクションです。支援のためにジュゴンの絵本を売っています。単価は300円。原価は200円で、100円はカンパに使われます。ご希望の方は、asienko@hotmail.comまで連絡してください。発送します。よろしくお願いします!4月23(土)、24日(日)に東京、代々木公園で行われる大イベント、アースデイでも売ります。
March 29, 2005
コメント(0)
(23日のつづき)私は一日中、船の上にいた。そこから櫓を見ていた。揺れるけど、酔いはしなかった。すでに二日間フェリーに乗っていたから、船酔いには強くなったのかもしれない。一日中海の上にいると、潮の満ち干きがよくわかる。小潮、中潮、大潮。その日は中潮の日だった。満潮のときに比べて、2メートルも海面が下がる。すると、海岸から一キロほどあるところなのに、海の底が見える。少し泳いで沖のほう、リーフのほうへ行けば、軽々足がつき、歩けてしまうほどの浅さ。リーフと呼ばれる部分は、底が高くなっていて、シュノーケリングやダイビングに絶好の場所だった。大潮になったら、海岸からここまで歩けてしまうのかな。・・・自分は、やっぱりなまぬるかったのだろうか?人々の顔つきや表情を見て、抱いていたイメージが払拭されるような想いだった。 私が身につけてきた知識や、本で読んだこと、勉強したことはないよりはマシ、と思える程度のものだった。ここにいる人たちは、私が勉強してきたことを、すでに肌で知り、肌で悟っているように思えた。
March 29, 2005
コメント(0)
(昨日のつづき)命を懸けて――といっても過言ではないほど――闘っている人々の話を聞いていて、顔が熱くなってきた。10年弱にわたる闘いにおける不条理の数々の経緯、ここを訪れたフィリピンやパレスチナの人のこと。その日は風が強くて、寒さに凍えそうだったけど、話を聞きながら、そんなささいなことで震えてる自分を戒めたい気持ちになった。この海に基地が建設されることに反対するために、朝から晩まで、時には夜までも人々は座り込みを続けている。文字通り、自分の生活をも、すべて投げ出して。それが、どんなに精神的につらいか。当事者でなければわからないに違いない。それでも。人々は信念を持って、座り続けている。座り込みは――海やジュゴンを守るため?もちろんそういう人々も多い。でも・・・本当は、自分が気持ちよく生きるためだ。「環境を守ろう」、という言葉はあまり好きじゃない。大人が子どもに道徳教育をするように、この言葉はあまりにも陳腐化されている。ときには、偽善的な響きさえ持つような気がする。自分は、環境の中で「生かされて」いる。環境資源がなければ生きていけないのだから。「環境を守ろう」というと、何か主語がすりかわってしまう。本当は「自分たちが生きる」ために、それを目的に、環境資源を残すのだ。屁理屈かもしれないけど。それだけではない。そこにいる人々は、海だけを守ろうとしているわけじゃない。自分が生きぬいた戦争、ベトナム戦争や今行われているイラク戦争のことを思って、櫓に座っている。この地から飛び立っていく人たちが、かの地で人殺しをしている・・・そのことに、耐えられない。この海に基地建設を許すことは、彼らにとって、人殺しに加担することと同じ意味を持つのだ。いや、もうすでに加担している。自分たちはそれを、止められない。けれど、せめて、ここだけでも、守り通したい。罪悪感の中で、生きたくない。だからこの海は、最後の砦。その気持ちは、私も一緒だった。この2年間、無残に殺されていく人々の写真を見るたびに、何かしなければ、という思いに駆られていた。でも何をすればいいのかわからなくて、くすぶっていた。何かができるとすれば、この海かもしれない。そんな気持ちで来たのだけれど・・・
March 23, 2005
コメント(0)
海と自然が好きな人に。その海は透き通っている。透き通っている海は、空の色を映す。雲の厚さ、水深、そして太陽の光の強さによって微妙なグラデーションを織り成す。そこは、サンゴ礁とジュゴンの海。穏やかなさざなみしかない海岸の向こうに、一部分だけ白波が立っているラインが見える。この白波の立っている部分は、リーフと呼ばれる。このリーフの部分に、サンゴの群落がある。そしてそこに色鮮やかな魚たちが住む。もぐれば、とっておきの景色が見れるに違いない。それだけではない。このリーフ沿いに生息するサンゴは島を守る自然の防波堤でもあった。ここの海は一年を通して水温20度以下には下がらないという。この海に、希少なジュゴンが住んでいる。ジュゴンは水温15度以上のところにしか住めない。ジュゴンが住むことのできる、最北端の海、といえる。この海に、海岸から一キロほど行った所だろうか、4つの櫓(やぐら)が立っている。櫓というのは、建物を建設するときの足場に使われるパイプのような金属棒、つまり単管を組み合わせたもののこと。横幅、縦幅ともに3メートルはあるだろうか。それらは、特大のジャングルジムのように、海の上にたたずんでいる。単管には藻が生え、その下には既に魚が住み着いている。ハリセンボンに、キビナゴの子ども。けれども、そんなのどかさとは対照的に、近くには不発弾。そしてそこには、烈しく、座りこみを続ける人々がいた。何のために?――人殺しをさせないために。
March 21, 2005
コメント(0)
今日、帰ってきた。すごく、いろいろなことを感じた旅だった。思いがけなくいろいろな人に出会ったり、その人たちの生き方を見て、感激したり。・・・全部伝えたい、と思う。というより、伝えなくちゃいけない。 私が最初に何かを書きたいって強く思ったのは、旅行でいろんなものを見聞きしたときだった。自分が見たもの全てを書き留めたい。それはたぶん、自分が見た光景をとっておきたいという衝動からカメラのシャッターを無心に押したり、スケッチブックにその場面を写し取ったり、歌を作ったりするのと同じように、それはひとつの表現方法なのだと思う。たぶん人は何かしら、その人にあった方法で何かの形で自分が見たものを残そうとするものなんだろう。私は話がうまくない。自分が感動したことや経験したことをどんなにうまく伝えようとしても、その100分の1も伝わらない。自分の事をよく知っている、家族にさえも、友達にすら。・・・わかってくれない。だから、その欲求不満を文章にぶつけてみる。話をうまくできるようにしよう、と思うとともに、今は文章の方が話すよりもうまく伝わるかもしれない、と思うから。その望みを託して。どうか、届きますように。
March 19, 2005
コメント(0)
予告したとおり、今日は熊野古道について。去年世界遺産に登録された熊野古道。以前はあまりその存在を知られていなかったようだけど(私も知らなかった)、世界遺産となってから観光客は増えているという。熊野古道は平安時代にはじまった、熊野詣の道。熊野三山へ向かう、道だ。伊勢神宮は、身分の高い人しか参詣の許されない場所だったけれど、熊野はあらゆる人々に開かれた参詣の場所だった。岩波新書の『熊野古道』によれば、「信、不信を問わず、浄、不浄を選ばず」という言葉があるらしい。特定の宗教・信仰に拘わらず、また「汚れている」とされた身体障害者やハンセン病の人々にも参詣の許された場所。身分の高い低いに拘わらず、人々が救われようと必死で歩いた道。その門戸の広さから、熊野古道にますます魅力を感じた。「誰でも平等に救われる」っていうのは、重要だよね。特定のものを無条件に信じなければ救われないとか、身分に左右されるとか、そんな話は嘘っぽい。特定の人に利害が絡むのでなければ、全ての人が救われることに誰も困るはずがないのだから。新仏が結びついた、熊野権現の宿る熊野三山。あらゆる人々に開かれた場所。それに象徴されるように、昔は、仏教も神道も混合していた。明確な区別はなされていなかった。「近代」の、明治時代に入る前までは。<つづく>
March 3, 2005
コメント(0)
車で友達とドライブに行くのがちょっと夢だった。運転できるようになりたい、と思って教習に行ったのは一年半前。だが、その夢はあえなく破れた。マニュアルで取る気満々だった私は教官にまず始めに言われた言葉が「オートマにしたら?」それでもあきらめず、マニュアルで通してみた。案の定、卒検に二回落ち、泣いて教官を困らせた私。学科試験は一発で受かるも、実技で爆沈。免許を取ってからも兄には「お前の運転する車には乗りたくない。」と言われ、父には運転の指導を放棄される始末。言うまでもなく、ペーパーです。今、友達が教習に行っている。彼女も私と同じように苦労している様子。文系女って・・・だめなの??車って誰でも運転できるんじゃなかったの??今日改めて、悲しくなった私でした。免許持ってるけど、運転できるようになりたい(T_T)
March 3, 2005
コメント(2)
伊勢神宮って奥が深い!!三重に旅行に行った際、熊野古道だけでなく、伊勢神宮の外宮と内宮にも行ってきた。本当はまず熊野古道について書こうと思っていたのだけど、伊勢神宮のことから始めてみたい。伊勢神宮は有名な観光地だけど、私は今回始めて参詣。明治神宮もそうだけど、なんか神社の空気って好き。参道の行く先々に立つ高樹齢の木々の存在感はなんとも言えない。そしてそこにできる木陰から放たれるようなとヒヤッとした空気と砂利道がそういう雰囲気を作るんだろう。伊勢神宮が、現在立っているすぐ隣の土地に、20年おき、交互に遷宮されていることを今回初めて知った。立てて20年たったら取り壊され、その隣に全く同じ型の建物が建立される。何の予備知識もなかった私は、繰り返し行われるその遷宮の伝統は天武天皇以来、1300年も続いている(!)ということに驚いた。次の遷宮予定は平成25年らしい(確か)。遷宮予定地の近くに立っている看板に拠れば、天武天皇が「20年おきに」と命じたので、その伝統がずっと途絶えることなく続いているという。でもなんでそう命じたんだろう?さておき、私はジャパン・フォー・サステナビリティの枝廣淳子さんのメルマガを購読しているのだけど、そこにまさにいいタイミングでこの伊勢神宮の秘密が書いてあった。なんで遷宮は20年おきなのか?伊勢神宮の建物の形は、メルマガに拠れば、穀物倉庫の形なのだそう。20年というのは倉庫の大体の寿命。当時は飢饉に備えて常時穀物を備えなければならなかった。倉庫がだめになってしまったら食糧もだめになってしまうから、常に立て替えなければならなかった。それはいわば、人々の命を守るためのもの。その想いが伊勢神宮に受け継がれているらしい。話は変わって、日本の建築と外国の建築の比較でよくなされる話として、こういうのがある。ヨーロッパの教会や建築はできるだけ建物自体を壊さず、修復してその当初立てられた形をできるだけ保っていく。一方、日本の建築は、完全に壊した上で、全く同じ形に再現する。日本の場合は、そうやって型を継承することで、型が永遠に受け継いでいく。私は、ヨーロッパみたいに壊れた部分を修復し保全していく、というやり方のほうがいいと想っていた。だって、そのほうが物を大事にしている気がするからだ。なんで日本はいちいち壊してしまうのだろう?日本式は物を大事にしてないんじゃないか?でも、それは全くの勘違いだったことがメルマガでわかった。伊勢神宮を立てるための木は、ゆっくり大事に材木として育てられていく。そして取り壊された後の材木も、鳥居に使われ、更にその後も全国の神社の立替の木に使われる。そうやって、木が無駄にされずに使われ続けていくのだそうだ。それは、宗教の思想をも表しているみたいだけど・・・。まだまだ日本についても知らなくちゃなあ(>_
February 28, 2005
コメント(0)
私は基本的に、自然の力とか、科学だけでは解明できない、何か大きなものの存在ってどちらかといえば信じてる方です。信じてるって言っても特定の宗教を信じているわけではなく、ただ漠然となんだけど、本当に漠然。まあ、そうなったのには経緯があります。例えば、月の力。海の波が月の引力でによって引き起こされていることを考えると、月の存在は、人間の身体にも多大な影響を及ぼしているはずだということ。それは容易に納得できる。満月に赤ちゃんが比較的多く生まれたり。新月に木を切るとその木は長持ちする、という話があったり。それから水。水の研究家である江本勝さんは、人間の意識が、水の結晶の仕方に大きな影響を与えるということを証明したらしい。愛の言葉を書いた紙、そしてもう一方に罵倒する言葉を書いた紙をケースに貼り付け、それぞれの水の結晶を見た。すると、愛の言葉が書かれた紙が貼り付けられたケース内の水の結晶だけはとてもきれいな結晶になったそうだ。水が人間の気持ちを読み取るなんて??最近What the Bleep Do We Know?という映画があったみたいだけど、この映画の中でこのことが紹介されているみたい(私は見てないけど)。ちなみにこの映画の中には量子力学や物理学者も登場している。スピリチュアルと科学を融合させた形になっているみたい。人間の身体の70パーセントは水でできている。それに、人の気持ちは自分の身体や他人に影響を与える。そう考えると、人間の意識が水に影響を与えるというのは、全くとっぴな話でもないかもしれない。そんなことを知ったり、エコロジーに興味を持ったりしているうち、なんだか自分は世界の中で「生かされている」ような気がしてきた。それは、手塚治虫の描くような世界観に似た感覚(火の鳥とか)。それで、スピリチュアルなものにも興味がわいてきた。それは、本当に最近だけど。でも、イマイチ踏み切れない。というのも、スピリチュアルや、ニューエイジは、いかがわしいというイメージがあるからだ。今日とあるカルチャーセンターに行ったら怪しげな講座を見つけた。その名は「○○○教室」(すいません、匿名で。)。内容は、私的には面白い。というか、かなり大笑い。なんでも、4年前に地球は、よくわかんないけど光によって統一されたらしい。だから、人類皆光とともに歩かなければ前に進めないのだそう。しかも「911のテロも闇とのぶつかりが示された形」なんだって。・・・うーん。すごく美辞麗句なのはわかるけど、言ってる意味がわかんない・・・。でもカルチャーで講座があるくらいだから人気があるってことだよね。人気があるといえば大○○○も。前からずっと思ってたけど、私にはどうしてこの人が人気があるのかわからない。だって、「第二次大戦はチャーチルとヒトラーの念力の戦いだった」って言ってるんだよ。念力の戦い!!!!今ほどポピュラーになる前、友人のマンションにこの人の本が入ってた。それでちらっと見たのだけど、そのときは「こんなの相手にされるはずがない」って思った。むしろ、「面白い作り話」として笑いながら読めると思った。なのに今は、本がベスト20以内に入ってるんだから。なんでだろう・・・。たぶん、スピリチュアルなものって存在すると思うんだけど、大半がこういういかがわしいものに覆われている気がする。それが切ない。でも、光が統一されたのはなんで4年前なのか、とっても知りたいと思った今日でした(^_^;)。
February 26, 2005
コメント(0)
人々が救いを求めて歩いた巡礼の道、熊野古道。そこは日本初のエコロジスト、南方熊楠のゆかりの地でもある。世界遺産になって初めてその名前を知ってから、その土地の奥ゆかさに憧れ、今回友達と一緒に訪れることに。三重県へ、3泊4日の旅。「千年前の人々が見た景色を、あなたも見るかもしれない」確かこんな風だった、熊野古道のポスターに書かれたキャッチフレーズ。古道を歩くことは、私にとって巡礼ではなくハイキングに過ぎないけど、それでも過去を追体験しようとしてみる。よろずの神様や、人々の巡礼の姿を思い浮かべてみたり。後日、そんな熊野古道について少し、書いてみます☆
February 25, 2005
コメント(0)
4.幼なじみ「(ここにいる)みんなは幼なじみだよ。こんなガキの頃からのね」そう切り出したのは、ホテルの女主人と一緒に私を部屋に迎えに来た彼だ。青年は「ガキ」の頃の背丈を手で示した。他のみんなはすでにジュークボックスの方で、音楽にあわせて騒がしく踊っていた。「…でも、仲よさそうに見えるけどね、友達とは言えないよ。」この会話が、みんなに聞こえないのを確かめてからそう言った。私はびっくりした。「みんなライバルなんだ。誰が多く金を稼ぐか。あそこにいるあいつだって、スペインに出稼ぎに行くという連絡さえくれなかったんだ。スペインに数年いて、電話をくれたのはたった一回さ。」「ドイツ人はみんなで協力しようとする。でもポーランド人は、協力しようとはしないんだ。みんなライバルなんだよ。この血がね、そうさせるんだ。そういう民族なんだ」彼はそうこっそりと教えてくれたのだった。寂しそうな表情をしていた。あんなに仲よさそうに見えるのに・・・。本当の友達じゃないなんて。寂しい。でも、どこかで心は、本当は、通じてるんじゃないのかな。私はここではただのお客だ。全く関係のない他人にだから話せることってあるのかもしれない。身近な人だからこそ話せないことも、あるんだとしたら。私は翌朝早くに、駅を出た。ホテルの女主人さんが出てきて、出口まで送ってくれた。「私たちのことを覚えていてね!」、と。辺りは曇っていてまだ寒い。再びここを訪れることはもうないだろう。そう思って、自然の景色を目に焼き付けてから、人気のない電車に乗り込んだ。ポーランドではイースターが終わると、真っ白い、長い冬は終わりを告げる。一度死んでしまったかのような木々に芽がつきはじめ、やがてその葉が開き、新緑が辺りを覆い始める。私にとっては特に長い冬であり、待ちこがれた春。冬があまりにも長いと、芽をつけた枝を見つけただけで春を想い、感嘆するようになる。私はポーランドにいて初めて、春が訪れることの「奇跡」を知った。死後3日後に甦ったキリストを祝う復活祭。そのキリストの復活とともに気候は暖かくなり、裸の木々は命を取り戻す。その春の訪れの「奇跡」は、まるでキリストの復活の奇跡を更に際立たせ、象徴づけているかのようだ。「本当によくできているよ。」そんな風に友人が言った事がある。確かによくできている。この時期にあって、復活祭。行事というのは、本来どこでも季節とともにある、ということを感じさせる。そんな、イースターの時期の出来事。この旅の印象は、なんとなく寂しく、そして同時に人の暖かさを感じるものだった。印象に残るのはあのひっそりとした錆びれた駅、でもゆたかな自然と、イースターのゆったりと流れる空気。緑に囲まれた河沿いで遊ぶ男の子たち、と水をかけられた思い出。あの場所を思い出そうとして頭に思い浮かぶのは、いろんなものが混ざり合ってひとつのうねりを織り成すような、織り成す、としか表現のできない感覚。そんな印象の、旅。(終わり)
February 24, 2005
コメント(0)
3.山に住む人々この日私を苦しめたのは、水の恐怖ではなくてむしろ空腹だった。湖を眺めてから、近くの町を見学しつつぶらぶらした。その後帰路に着き、食料を調達しようと店を探したが、祭日のためにレストランや店が開いていない。何もすることがなくなって、結局ホテルに戻った。いくらイースターだからといって、いくら田舎だとは言え、こんなに何もない土地だとは。明日もお店がやってなかったらどうしよう?もう昼から何も食べていない。お腹はペコペコ。こうなったら明日、フロントに物乞いに行くしかないかも…。うっ、情けないなぁ。ひとり部屋に座り、読書をしていたけれど、不安げになってきた。きゅうきゅうなるお腹を押さえつつ体力を温存するため寝よう、と思ったその時、部屋をノックする音が聞こえた。(……誰?)全く心当たりがない。一体誰だろう・・・?ドアを開けるか、開けまいか。どうしよう。考えている間、またノックの音が聞こえた。私は結局、こわごわドアを開けた。そこに立っていたのは女の人だった。妙齢を過ぎたあたりだろうか。その表情からは、とても感じのよさそうな人であることが窺える。私はほっとした。「ホテルの部屋に一人だなんて!寂しいでしょう、私たちのところへいらっしゃい」どうやら私が一人でいることを、レセプションのお兄さんから聞いたようだ。レセプションのお兄さんは、私がアジア人で珍しかったからだろう、あれやこれやといろいろなことを興味津々に聞いてきた。そして、女の人の隣には、青年がいた。「ピェルニクはいかが?」といって、ハート型のチョコレートクッキーみたいなお菓子を差し出してくれた。(食べ物だ・・・)思わず、見入ってしまう。「俺のハートだよ♪」「・・・・・・」(・・・はあ?)……私はこの手のジョークが苦手だ。(どうして、ポーランド人ってこうなんだろう・・・)どうやら下の階にあるバーでみんなが集まっているらしい。この親切な人たちは、独りでいる私をどうやら不憫に思って、全く部外者なのにも拘わらず集まりに招待してくれたのだった。バーの入り口からは、もう30歳くらいの男性やら女性やら、が集まっているのが見えた。私を迎えに来てくれた女の人のだんなさんらしき人もいるようだ。カウンターでは中学生くらいの男の子が立派にお酒を振舞っている。部屋の奥にはジュークボックスがあって、今流行りの洋楽が流れていた。踊っている人もいる。私はこわごわ中に入った。みんなは私を暖かく迎え入れてくれた。「よくこの町に来てくれたわね!」私を迎えに来た女の人は、このホテルの経営者だった。どうやら友達同士、幼なじみで集まってパーティーをやっているらしい。そんな全く身内の集まりに、私のような部外者を招待するなんて、本当にここの人たちは変わっている。それとも私がアジア人で珍しいから誘ってくれたのだろうか。いずれにせよ、部屋で座っているよりはずっと面白そうだった。何せここには食べ物がある。ホテルの女主人、エヴァは土地の話をし始めた。「ここはいい所よ。今はまだ寒いけど、夏はいいわよ!ハイキングもできるし、湖もあってね…」私はまさにその自然が見たくてここに来た。けれど、時期が悪かったようだ。ポーランドでは4月といえどやっと春が訪れたばかりで、まだまだ暖かいとは言えないのだ。ここの人たちは、土地の自然を誇りにしているようだった。「一度東の町の方に住んでたことがあるけど、気候が合わなかったの。町にいると、時々頭が痛くなるのよ。ここでは(山のある土地では)そんなことはない。やっぱりここが一番いいわ。」そうすると付け加えるように、「俺は山の民だよ。ここで生まれ育った。誇りを持っているんだ」と、だんなさんが堂々と言った。私はその時、山が多い日本のことを思い浮かべた。山が多い日本でも、町に住んでいると頭が痛くなる、なんて話は聞いた事がない。そういえば、山で育ったクラスメートのアメリカ人は「ポーランドは山がないから寂しい」と言っていた。山ってそれほど人に影響を与えるものなんだろうか。私は山に親しみを持っているけれど、そこまで感じることはできない。ふと、うらやましい、と思った。山の多い国に住んでいるのに、その山の存在を感じることができない自分。それは、自分が町に住んでいるからかもしれないが……。(続く)
February 19, 2005
コメント(0)
2.「水をかける月曜日」私は町で絶好のターゲットだった。中国人と思われ、子どもにからかわれる。まあ、そんなことはよくあること。外国人なんていないであろう土地に私が歩くだけでもとにかく目立つのだ。そういう場所で歩くのは思いのほか度胸がいる。それは私が小心者だからかもしれないが、見知らぬ土地を歩くこと、そして人からの視線に緊張しない人は少なくないだろう。それでもいつも好奇心のほうが勝つのだった。それは、「水をかける月曜日」だった。ポーランドでは、キリストの復活祭、つまりイースターの月曜日に、男の子が女の子に水をかける習慣がある。聖水をかける、という意味らしいのだけど、実際私が体験したのはそんなにありがたいものではなかった。水をかける、というより「ぶっかける」と言う方が正確かもしれない。この本来神聖であろう祭日の名の下に、バケツを持って、町行く女性に当たりかまわず水を「ぶっかけて」よい日。小さな男の子たちにとっては面白い日なのだろうが、女性にとってははなはだ迷惑というか、町を歩く気になれない日であることには違いない。私もその存在を知らなかったわけではない。ただ旅行に来ているのだから、「水をかける月曜日」だろうがなんだろうが、ホテルに引きこもっていては意味がないだろう。朝、ホテルを出、注意を払いながら町へ出かけていった。その日は、湖まで行くつもりだったのだ。結果から言ってしまえば、「大丈夫だろう」という私の考えは、甘かった。それは、駅へ向かう商店街らしき通りを歩いていく途中。ある建物を通り過ぎる際、突如上の方から水が降ってきた。そしてそれは見事私の頭に命中した。頭を抱え、とっさに上を見た。…しかし、水をかけたであろう人物の姿はもうそこにはなかった。……やられた。死角、だった。まさか、上から来るなんて!!そう思ってまもなく、子どもたちがバケツを持って私のほうに駆け寄ってきた。身の危機を感じてとっさに逃げるも、間に合わず。子どもたちは、わーっ、とうれしそうに騒ぎながら、駆けていく。私は頭からびしょぬれになった。しめった頭をかかえ、ぬれた服を見やってため息をつき、ふと通りの向こう側を見ると、若いポーランド人の女性がやはり水をかけられている。彼女も逃げられなかったみたいだ。……なんて迷惑な習慣……。しかし私はホテルには戻らず、ぬれたままバスへ乗り込み、湖へ向かうことにした。(続く)
February 16, 2005
コメント(0)
今回は数回に分けて、紀行文を書こうと思う。ずっと書こうと思っていて、書けずにいた2年前の旅の思い出。いや、ただ単に書く勢いが今までなかっただけなのだけど。この旅のことを思い出すとき、私はなぜだか郷愁に近いものを感じる。なんとも言えないのだけど、暖かさと寂しさが混ざったような、感覚。そんなこの旅の印象をここでおすそわけします。*独断と偏見で書いているので、その辺は誤解しないようにお願いしますm(__)m.☆。・★。・☆。・☆。・1.山へ向かう道ポーランドはその名前の由来からしても、ほとんどが平地の国。日本にいると、遠くの風景に山々が見えることに慣れてしまっている。そのせいか、ポーランドに山がないことに物足りなくなってしまうことがある。電車に乗りながら風景を見ていても、窓から見えるその景色に大きな変化はない。見えるのは、農地、牛、緩やかな丘、林。のどかだけれど、なんとなく飽きてしまう。ただポーランドにも、南のスロヴァキアに近いほうには山々がある。そう、カルパチア山脈。山の方へ行ってみたい、という気持ちから、私は南へ向かうことにした。それは2年前の春のことだった。山と平地で気候は違うのだろうか。もちろん違うのだろうけど、私はそれを肌で感じることはできない。できるとしても、認識できるのは空気の違いくらいだろう。でも、どうやら山で育った人は、その気候の違いを身体で感じ取れることができるそうだ。今回私が書くのは、そんな山のある土地、そして山に囲まれた土地に住む人たちの話。キリストの復活祭、イースターの時期、私は南へ一人旅に出た。スロヴァキアに近いとある町に行くことが目的だった。電車に何時間乗っていたかはもう覚えてない。だけど、目的地に近づくに連れて、車窓からの風景がだんだんと寂しくなっていく。これまで見たような農地ののどかな風景でもなく、森でもない。殺風景というべきか。人の手が入っていない、荒れた感じ。そして車内に人気はない。遠くのほうで、車掌さんたちの話し声だけが聞こえる。そのなんとなく不安な感覚は今でも思い出す。そんな風景を見ながらコンパートメントに一人で座っていると、明らかに麻薬常習者と思われる男の人が入ってきた。目はうつろ。焦点が定まらない。おまけに酒臭い。周りに人はいなかった。少し遠くで、検察官と思われる人たちの声がするだけだ。どうしようか。でも、怖くはなかった。なぜか、自分は大丈夫だろうという根拠のない自信から。(ただ、自分がここから出て行くには上の荷物を下ろさないと…でも重いし…あの人の側を通るのはちょっとな…)そう考えているうち、「タバコをくれ」とその人は言った。「持ってない」と返す。それでも彼は、あきらめきれないようだった。おそらく何かがないと、気を紛らわせることができないんだろう。それ以降彼は半端放心状態に見えた。こんなにすさんだ人は見たことがなかった。そのうち検察官の人が来た。もちろんその男が乗車券を持っているはずはなく、車内から追い払ってくれた。まもなく目的地に着いた。降りてから、周りの静けさに驚く。いくらイースターだとはいえ、こんなに人気がないものなんだろうか。しかも、駅の周りには何もない。地図は持っていなかった。ただ、泊まろうと思っていたホテルの住所をメモしただけ。とにかく歩き回るしかない。小1時間ほど歩いて、見つからずに観念した私は向こうからやってきたおじさんに道を聞いた。おじさんは、町の中心まで案内してくれた。町の中の一番高い丘に私たちはいるようだった。ここから向こう側にひらかれた景色が見える。自分が歩いてきた方向とは反対側だった。一本の大きな道路が走っている。その手前には住宅街。道路を挟んだ向こうには木々と川。そしてホテルが見える。「さあ、あそこが君の泊まるホテルだ」「ここの階段から降りるといい」その先には、長い、下り階段があった。町の中心を兼ねるこの丘が、私には象徴的な存在に思えた。(続く)
February 15, 2005
コメント(0)
今日はお決まり、バレンタイン☆私も生チョコやゼリーを作ってお世話になった人に配ることにしました。それにしても渋谷のチョコ売り場、人がすごかったなぁ…。バレンタインといえば、私が生まれて初めて(!)男の人からチョコをもらったのはポーランドにいたときでした。もちろん、クラスのみんなに配ってた義理チョコだったんだけど。それでも嬉しかったなぁ☆だって初めてだったもの、自分がもらう立場になるのは。まあ自分があげるのも楽しいんだけど、あげる側になるだけじゃなくて、私も誰かからチョコが欲しい…と思う。誰かくださいっ。そもそもなんで女だけがあげなきゃいけないのだろう(←卑屈)。男女問わず、あげたい人にあげるという習慣が日本でも根付けばいいのになーって思う。女の子同士でお菓子を作って交換するって言うのは中高生時代よくあったけど、そういうのもアリだよね。あげたい人が誰にでもあげられる日になれば、もっと楽しいのにな。
February 14, 2005
コメント(2)
以前作ったミツロウローソク(もちろんただ溶かして固めただけ。上に少しだけデコレーション♪)に、今日はレース花模様で編んだ毛糸をかぶせてみました。実は最初花瓶敷きを作ろうと思ったのに、気がついたらこんな形に・・・そう、失敗したんです。(>_
February 13, 2005
コメント(0)
魯迅といえば、中国白話文学の代表。と世界史を習ったことのある人なら覚えていることと思う。私にはそれ以上の知識がないけれど、魯迅についてはあるエピソードが今も印象に残っている。「阿Q正伝」の主人公である阿Qはどうしようもない人間だ。あほであり、社会の最下層にいる存在。そして周りからも軽蔑・侮蔑されている。けれど阿Qはそんな自分に嘆くこともない。世間のことなどどこ吹く風なのだ。自分は落ちぶれた存在である、ということは自覚している。でも、いつでも自分よりも暮らしぶりの悪い、自分よりもひどいと思われる人間はいるものだ。自分よりも「下」である人間を見て、自分はまだ「上」だと考え優越感に浸る。阿Qはそういう人間だった。魯迅は、日本の仙台医学校(現在の東北大学にあたる)に留学していたという。留学中、日本人からあるビデオを見せられたそうだ。それは、日本人が中国人を殴っている、という内容のものだった。魯迅はこれに大ショックを受けた。とはいっても、日本人が中国人を殴っていることにショックを受けたのではない。中国人が、殴られている同胞の中国人を見て笑っていることに彼はショックを受けたのだった。これが、阿Q正伝を執筆するひとつのきっかけになったという。これは東北大学で伝えられた伝説だ、と東北大学出身の世界史の先生が教えてくれた。これが実際に本当の話かどうかはわからないけれど、それはそれで印象に残る話だった。差別されている人間が更に「下」である人間を見て笑う。そういう当時の中国人の状況(もちろんもっと様々な背景も含まれていただろうけど)を嘆いた。そして憤りを感じたんだろう。誰か他人を否定しないと自分のアイデンティティを保てない。そういうのは、よくあることだ。話は変わって、大学の先生が、私の卒論を読んでくれたときに「文章っていうのはやっぱりその人の思考方法を表してるのかな」とおっしゃった。なるほどなあ、確かに文章を読むとその人の考え方がわかるし、何を大事にしているのかわかるような気がする。まあ、当然のことといえば当然かもしれないけど、作家にとらわれず、友達とか、いろいろな人の文章を読むと本当にそう思えてくる。文学はその当時の社会背景が多分に影響されるものだ。その社会の中で自分は何を貫き通すのか、それを文学に託した人たち。そう考えると、文学はその人の思考方法を表すだけでなく、生き方そのものといえるかもしれない。魯迅を読んだのはもう4年前だけど、そんなことを考えつつ今一度読み返そうと思った。
February 12, 2005
コメント(0)
今日は作ってみました、ホット生チョコレート!友達が生チョコの作り方を教えてくれたのでそれを応用して、ホット生チョコレートを。☆ホット生チョコレートの作り方☆*生クリーム*ブラックチョコレート*バター(少し)*ミルク・生クリームとチョコの割合は1:2で(g)。後の分量は適当・好みでお願いします(いい加減で申し訳ないですが)。市販のブラックチョコレート(カカオのバーセンテージが高いものがよい。私が使ったのは、60%)を細かく刻む。生クリームをカップに注ぐ。溶かしたバターも入れる。→レンジで温める(沸騰させてはいけない。する直前の温度がよい)。温めたカップに細かく刻んだチョコレートを注ぐ。→混ぜてから、お湯を注ぐ。→更にミルクを注ぐ。再びレンジでチン。これで、ココアよりずっと濃厚なホット生チョコレートの出来上がり。カロリーが高いことは間違いありません(笑)それと、今日は編み物第二弾です☆↓ 首に巻くスカーフ代わり。基本的な編み方、ネット編みでひたすら編んだだけ。一重で首に巻くのもいいけれど、二重まきにして、前をかわいいブローチで留めるといい感じです(^-^)今回はうまくいきました♪
February 11, 2005
コメント(0)
今日は自分にとって一つの節目、区切りの日。最後のテスト&卒論報告会を終え、あとは卒業を控えるのみ。そんな今日は、勉強からの解放とも言える日。解放感。でもそれと同時に寂しさを感じる日でもあった。自分なりに一生懸命書いた卒論。効率的に働かない頭をフル回転させて、論じた。でも実際報告してみて、足りないところを先生に鋭く指摘される。そして、みんなの卒論の出来のよさに感嘆。まあ比べたって仕方ないんだけど、自分のはやっぱりまだまだダメだなー、と痛感。でもこの卒論は、拙くても今の自分の力で書ける限りを尽くしたもの。その意味で、満足している。ただ、もっと勉強したいなって気持ちが沸々とまたわいて来た。勉強したくても、これからは個人的に勉強するしかない。そしてこの卒論の課題となったものをこの先書く場はもうないんだな、と思ってなんとなく寂しくなった。でも、これからは自分なりに勉強していこう!と決意(^-^)話は変わって、今日の報告の際に友達の卒論を読んだ。その内容がとても面白かった。惹かれたのは、大雑把に言って「越境者」。私の関心は、少なからず「境界線」や「カテゴリー」というものにもあった。世界の紛争、民族問題を考える際に、「自分たち」と「あいつら」を分けてしまうものは何なのか、という問は自分の中に漠然と存在した気がする。そのときに目の前に立ちはだかってくるものが、その自分たちと他人を分けてしまうものとしての「境界線」や「カテゴリー」。争いの根源の原因のひとつがここにあるのだとしたら、いかに自分たちはこの境界線やカテゴリーから自由になれるんだろう?越境者。国境だけではない。複数のカテゴリーを横断する存在。あらゆるものに引かれる境界を越える。私は、越えたい、と思った。越境者になりたい。なれるものなら。そんなことを考えさせられた、論文だった。これは私の論文ともつながるところがある。私は、人々の変化していくアイデンティティを捉えようとした。そのことで、ある可能性を見出せると思った。自分たちが持つアイデンティティもまた複数のカテゴリーの重なるところに位置するものなら、きっと精神的にその境界を越えることも可能なんだろう。でも、その手段はまだわからない。
February 10, 2005
コメント(0)
↑今日UFOキャッチャーで500円でゲットしたコリラックマ☆わーい♪♪宇宙にも地平線がある。夜空に星が見えるなら、宇宙の中にある無限の星々が見えるはずなんだけど、実際見える星は限られている。私たちが見ることのできる星たちと見えない星たちとの境目。その宇宙の境目が地平線。難しい理屈はよくわかんないけど、昔、その地平線に妙に挽かれた。地平線の向こうはどうなってるんだろう?もうひとつ惹かれたのは、昔本で読んだブラックホールの存在。ブラックホールの重力に引き込まれたら、もちろん生きていることはできない。けれど、もし生きることが可能だとしたら、その引き込まれている最中にもう一人の自分が見えるのだ(うろ覚えな知識なので、間違っていたらごめんなさい)。授業中にスタニスワフ・レムの「惑星ソラリス」の映画をちょこっと見た。彼は考えた。人類が宇宙に惹かれるのは、なぜか。それは、全く異質なものや異質な生物への興味からではない。自分自身を映す鏡としての宇宙が見たいのだ、と。人間は、私たちと全く似ても似つかない、異質の生物を探そうとしてるんだろうか?いや、きっと自分たちの理解できない存在は好まない。むしろ、人間は自分たちと似ている存在としての星もしくは宇宙人を探そうとしているんじゃないか。地平線の向こう側やブラックホールの中のもう一人の自分を見たい、という気持ちに駆られたのは、自分自身を見たかったからなんだろうか。
February 8, 2005
コメント(0)
飲み込まれたくない。バイトで週一回早朝の満員電車に乗るだけでも疲れてしまうのに、一体4月から毎日片道一時間半、この電車に乗るのに耐えられるんだろうか?と思うとちょっと気が重い。といっても大半の人がそれをガマンして通勤してるんだろうけど・・・何よりイヤなのは、人口密度の高い殺伐とした電車の中にいるだけでイライラしてくることだ。別に苛立ちたくないし、苛立つ理由もないのに。その苛立ちに対して、私はいつも反抗したくなる。人が苛立ってるのに反抗するんじゃなくて、自分が苛立ってくるのに対して反抗したくなる。苛立ってその場の雰囲気に飲み込まれるのが嫌だから。常に「外」から客観的に電車の中を眺めていたい。その場にいると同時に。私は最近殺伐とした満員電車に乗ると、アウシュビッツへ囚人たちが輸送されていく場面をなんとなく思い浮かべてしまうことがある。飛躍・誇張しすぎだけど、「行きたくない場所」へ向かう電車、という意味で。まあ、そう思いつつ、満員電車に乗ってる自分を笑い飛ばす。苛立ちそうになったら、そんな自分を笑う。音楽を聴いたり、本を読んだりして、別の世界とつながりながら、周りの殺伐とした状況から距離を置く。そしてそこから今自分のいる状況を見る。そうすることでその場から自分を守れる気がする。いつもどこかで飲み込まれたらおしまいだって思ってる。いま自分がいる場所、それが全ての世界じゃない。いつもどこかで別の世界とつながりながら、そのことでいま自分のいる世界を見直す。飲み込まれないように、飲み込まれないように。そうすると、今自分のおかれた状況を笑い飛ばせる気がするんだ。満員電車だけじゃなくて、社会に組み込まれている自分自身や、それを取り巻く社会を見るときにおいても。
February 7, 2005
コメント(2)
うちの庭の木には、ゆずがたくさんなっている。腐らせるのももったいないので、ゆずを使って何かを作ってみよう。そこでまず、*ゆず版レモネード=ゆず茶?を作ってみた。↑ちょっと光の加減で色が悪いけど。作り方はいたって簡単。レシピというほどのものでもない。用意するものは小さなゆず一個と砂糖。ゆずは半分に切って、マグカップの中に汁を絞る。そしてゆずの皮を細かく切る。切った皮を2、3つまみほど小皿に載せて、その上に大さじ一杯ほどの砂糖をかける。それで、ラップをしてレンジでチン。砂糖が溶けたら、それを汁の入れたマグカップへ入れる。そこにお湯を100~120cc程入れて、更に好みで砂糖を入れる。甘いのが好きだったら大さじ一杯以上入れたほうがいいかも。それで、できあがり。こうすると、ゆずの皮が甘くておいしい。たくさん皮を入れると苦くなるので注意。*あとはにんじんとゆずの甘煮。コレも実に簡単。外で食べておいしかったから、家で真似して作ってみた。にんじんを乱切り、ゆずを輪切りにする。→鍋に入れる。にんじんは先に少し煮ておくといい。みずをこぼして、更にゆずの輪切りを入れる。そして、砂糖をたくさんかける。これも好みで、適当に。そしてただひたすら煮るだけ。にんじんとゆずってこれが意外と素敵なコンビだったりする。結構おいしい。あとは、赤ワインとゆずも実は合うんです。寒天で赤ワインゼリーを作って、そこにレンジでチンしたゆずの皮(ゆず茶で作ったのと同じように砂糖をかけたもの)を適当にちらすだけ。これも、苦くならないように適当に散らすのがいい。とってもおいしい♪-------------------さて、ここからは普通に日記。やっと会社法の短いレポートが終わって、あとはポーランド語のテストだけ。あとは卒論の報告と、ゼミ生の卒論の批評。あと二回行けば、大学も終わり。今思うとあっという間。でも、自分が本当に勉強したいことがわかってきたというか、やっと学問がわかりかけたところで卒業、というのもなんだか寂しい気がする。まだまだ勉強したいことは一杯あるのに。勉強は何かしらの形で絶対続けていく+いつか院に行きたいな。
February 4, 2005
コメント(0)
うーん、最近夢見が悪い。というか、悪夢は度々あるんだけど、いい夢よりも悪夢のほうが多い。しかも、その内容が中途半端じゃないほど恐ろしい。恐ろしすぎて、夜中に目が覚める。眠いけど、すぐに寝てしまうと夢の続きを見てしまう。それが怖いから、必死に眠らないようにする。これが続くと、はっきりいってもう参ってしまう。いつも何かに命を狙われていて、必死で逃げ惑うか抵抗しなきゃならない。そういう夢。最近見たのはこんな夢↓不気味なほど静かな住宅街。人っ子一人見当たらないが、代わりに人食い猫がその辺をうろうろしている。仲間は別の場所に隠れていて、私は辺りの様子を探りに外へ出た。人食い猫に見つからないように、必死で隠れながら前を進んでいく。・・・細心の注意を払っていたのに、人食い猫に見つかった。もうダメだ!って思ったとき、急に人食い猫が消えた。更に前に進んでいくと、小さな男の子が不意に現れた。かなり体力を使い果たしているような様子。「ここはもうダメだから、みんなに伝えて。この町から逃げて」。そう言って、また消えてしまった。・・・どうしよう。みんなのいるところまで結構な距離がある。そこまで猫に見つからずに無事で戻れるんだろうか?そうやって途方に暮れている所で目が覚めた。もうひとつの夢↓何か大きな部屋にトランプが並んでいる。私たちは、そのトランプを制限時間以内に適当な順番に並び替えなくちゃいけないことになっているらしい。並び替えた後、何かの魔法でトランプを反転させる。反転すれば、合格だ。みんなが次々に並び替えていく。みんな合格している。私は一人、悪戦苦闘。トランプの順番は頭の中に入っているはずなのに、思うように並び替えることができない。制限時間まであと少し。制限時間以内に終わらなかったら、どうやら私は消されるようだ。あと数十秒。落ち着け落ち着け、あと少し。並び替えて、反転させようとした。・・・なのに、うまくいかなかった。もう時間がない! そう思ったとき、辺りが真っ白になった。そして目が覚めた。後は、形のない夢。↓なにかぐるぐるとしたものがある。どうやらそれはうずまき模様。私はその中に巻き込まれていく。脱する方法なんてわからず、ただもがいている。・・・もうイヤ(T_T)どうにかしてほしい。まるでゲームの中にいるか、ファンタジーのようなんだけど、私はゲームもやってないし、ファンタジー小説も読んでない。現実において得に際立った悩みなんてないし、毎日楽しく過ごしてる。だから、現実が夢に反映されているとも思えない。なのに、なんでいっつもこう苦しい夢を見るんだろう。いつも目覚める度、自分が夢の中ではなく、現実に生きてることに喜びを覚える。現実のほうがずっと楽しい。うーん、それとも私の深層心理ってやばいのかなぁ??怖くて寝れないのだけは勘弁して欲しい。・・・といっても、いっつも恐怖よりも睡眠欲のほうが勝っちゃうんだけど・・・。
February 1, 2005
コメント(1)
このキャンドル立ては新百合ヶ丘をフラフラしていた時に見つけたもの。夜に駅の近くを歩いていたら何やら向こう側にロウソクの炎がたくさんゆらゆら揺れている。それがとてもキレイだったから、魅せられるようにそこへ近づいた。そしたら、おにいさんがたくさんキャンドル立てを売っていた。この写真だと見にくいけど、このキャンドル立てにはかわいいクマの柄がついている。一目で気に入って即購入(^^;)これにロウソクを灯して、暗闇で見ると、この赤い色から炎の色が透けて、そのゆらめきが天井に映し出されてとっても幻想的☆このキャンドル立ては「フィモ」っていうドイツ製の粘土でできているのだそう。もちろんお兄さんの手作り。ドイツ人と共同で製作しているという。「フィモで作品を創って売ってるのは僕たちだけだよ」といっていた。それが本当なら、結構珍しいものなのかも!と思うとちょっと得した気分♪しかもこのお店、たまにしか出てないみたいだし。余裕のある日には、このキャンドル立てにロウソクを灯し、これを持ち込んで、お風呂に入る。そして電気を消す。ロウソクのゆらめきっていうのは、リラックスするのに結構効果があるらしい。その天井に移った炎のゆらめきは本当に落ち着くし、時間を忘れてその炎に魅入ってしまう。それをここで見せられないのは残念なんだけど。このキャンドル立てにミツロウのロウソクを灯すのが最高。ミツロウの甘いにおいと、この炎のゆらめき、そしてお風呂・・・で癒し効果は倍増、なはず☆
January 30, 2005
コメント(0)
今日はとある学会みたいなものに行ってきて、そこで中東の話を聞いた。興味深かった。と同時に中東のことを私はまったく知らないっていうことを痛感した。いろいろな人々がいるけど、自分が生きている世界においてはまったく当たり前な概念そのものが存在しなかったり、制度や常識が全く違ったり・・・。当たり前なことなんだけど、それをあまりにも知らなさ過ぎる。911の自爆「テロ」のパイロットはエジプト人が含まれていた。彼の名前は忘れたけど、彼は普通の青年だった。普通に大学にも通っていたそうだ。何が彼を過激イスラム原理主義にしたのか?それはヨーロッパでの生活が一因でもあるという。イスラム教徒に対する差別。テロの温床になってるものって、そんなに単純じゃない。テロ行為は許されるべき行為ではないとしても、「テロリスト」になってしまう理由がある。その理由を考えることを私たちはあまりにも軽視しすぎている。善と悪の二項対立が成り立つのは、おとぎ話かファンタジーの中の世界だけだ。世の中全部そんなに単純じゃない。相手を「悪」だと決め付ければ、自分たちは自動的に「正義」になる。それ以上考えなくていい。本当に楽だね。こういうふうに、人々は簡単なことを好む。わかりにくいことはイヤだから。それを知っている権力者は実にわかりやすい言葉を使う。でもわかりやすいってことは同時にたくさんのことが省略されているってことでもある。そのわかりやすい言葉の行間にどれほど大事なものがそぎ落とされていることか。物事を忠実に説明するにはどうしても複雑になるし、難しくなるのが当然。だからわかりやすい言葉っていうのはある意味危険なんだ。尾崎豊の「銃声の証明」の歌詞はすごい。この曲は911が起こる前、10年以上昔の曲だけど、これを聴いたとき、やっぱり中東が思い浮かんだ。いや、世界中で起こっていることかもしれないけど。彼の歌詞のように、もしかしたら私たち自身が「テロリスト」を育てているのかもしれない。そのことに彼は気づいてたんだろうか。私はようやく最近そう思い始めた。「銃声の証明」より一部 (尾崎豊)権力を潰すことだけを教えられてきた俺はテロリスト平和など生み出せやしない俺はテロリストこの世に生きる人々の一人一人に責任があるならこの革命と一緒に命を共にするんだ生きていることに罪を感じることなく生きる人々よお前はこの世のテロリスト俺を育てたテロリスト
January 29, 2005
コメント(0)
今日は家庭教師最後の日でした。おもいがけず、花束をもらえて感激(*^-^*)それにしても、ここの家庭にはびっくりしました。歓談中、お父さんにあの中田選手から電話がかかってきたんだから。さて、今日のオススメはパオロ・マッツァリーノ著『反社会学講座』。今日大学の生協で見かけてちらっと立ち読み、速攻買ってしまいました(出費・・・)。めっちゃ、面白かった。電車の中でニヤニヤしてる私って怪しい…。うすうす「これっておかしいよなー」って思っていたことを明確な論理、データで証明してくれた本だから読んでてかなり気持ちがいい。気分爽快でした☆世の中には一見うなずきたくなるようだけれども「果たして本当かな?」と思う言説がたくさんまかり通っているもんです。「若者のフリーター急増が問題である」「少年凶悪犯罪が近年増えている→少年法を改正せよ」「学生の学力低下が深刻だ」「少子化問題」「高齢化社会云々」「道徳心の腐敗→愛国心を持たなくちゃ」等等。どれも聞き覚えのある、というかうんざりするほど聞かされているようなフレーズ。でも、これって本当なの?そんなに世間で騒がれているほどそんなに「深刻」な問題なの?テレビや新聞の言うことを全て信じている人は別として、少し考えてみるとこういった言説はなんだかいかがわしい。と思っている人は少なくないはず(少ないかな…)。この「反社会学講座」では、痛烈な皮肉を交えながら(これが面白いよ)こういった言説のウラ・いかがわしさ・論拠のなさ→デタラメをあざやかに証明してくれる。一部目次から引用。「キレやすいのは誰だ」「パラサイトシングルが日本を救う」「公平な社会を作るバカ息子(娘も)」「日本人は勤勉ではない」「フリーターのおかげなのです」「スーペー少子化論争」・・・続く。読めば、批判的・分析的思考も身につく。電車の中のつり広告のキャッチフレーズやジャーナリスティックな文章、果ては自民党の憲法改正のポイントまで、笑い飛ばせるようになること、うけあい。上の言説を信じている人もいない人も是非一読することをオススメします☆もちろん、この著者の言うことを100%信じることもできないけど、私は8、9割方この人の言うことに賛成。上の言説が全く論拠のないことであることに対する批判は読んでからにしよう。ちなみに、↓のサイトでこの本の大部分が読めます。http://mazzan.at.infoseek.co.jp/註:この本はいわゆる世間一般のジャーナリズムに対しての批判であって、そのタイトルが示すように「社会学の批判」では決してないと思う。論調の矛先がジャーナリズムではなく、社会学そのものに向けられてしまっているのがちょっと気になるかも。実際社会学はきちんとした学問であって、きちんとした研究がなされてます(おそらく一部の人を除いて)。その辺誤解しないように、その上で、一読を。
January 25, 2005
コメント(1)
ふと思い出したので、今日はレレレのおじさんについてのありがたいお話を。去年の年越しで「解時」というイベントがあって(既に少しブログにも書いたけど)、神谷町、東京タワーの近くにある光明寺に友達と行ってきました。そのイベントのプログラムの中にお坊さんの法話があって、そのお坊さんが「レレレのおじさん」のお話をしてくれたのです。それがとても印象的だったからここでおすそわけ(無断借用ごめんなさい、お坊さん)。お坊さんというと60歳くらいのおじさん、もしくはおじいさんをイメージしてしまう。法話というと、人生を悟った上でためになるありがたいお話、もしくは仏教の法典の解釈の話とかちょっとかたい話を想像しちゃうんだけど、全くこの予想は裏切られました。どうやらこのときのお坊さんは私と変わらないくらいの年齢(おそらく20代前半)。話も固いものじゃなくて、普通のちょっといい話といった感じ。まあ前置きはさておき、本題はレレレのおじさんです。レレレのおじさんってあれね。天才バカボンに出てくるあのキャラ。いつも「おでかけですか?レレレのレー」って言って、お掃除している変なおじさん。しかもそれしか言えないし、他の登場人物が何を言っても「?」で全く話を理解しない。一体何のためのキャラなのかナゾだけど、まあいい味出してる(ちなみに私はバカボン全作読破してます、笑)。そのお坊さんによると、実は、バカボンは仏様なのだそうです。どの変が仏様なのかよくわからないんだけど、特にレレレのおじさんは仏教の法典に出てくるシュリハンダカというお釈迦様の弟子に似ているのだそう。このシュリハンダカという人はまあ私はよく知らないんだけど、本当にバカで、お釈迦様の言うことは全く理解しないし、他の弟子からもバカにされていた。そんなシュリハンダカにお釈迦様はただひたすら掃除することを命じたのだそうだ。シュリハンダカはひたすら掃除し続けた。そして、気がついた。掃除しても掃除してもほこりはつもるし、チリが降ってくる。それに終わりがないことを。振り払っても振り払っても降ってくるチリとかほこり。これはまさに煩悩なんだ。追い出そうとしても×2頭からとにかく追いやることのできない、煩悩の存在。まあシュリハンダカはそういうことを悟ったのだそうです。バカにされていたのにも拘らず。まさにそれがレレレのおじさんなんだ!!!彼はそんなにありがたい存在だったのね・・・・。と目からうろこでした。ちなみに私バカボン結構好きなんだよね。新しいやつはダメ、元祖が好き。今もう本自体は絶版だと思うけど、昔家にはボロボロのマンガがあって、幼稚園くらいのときに飽きるほど読んだ。今思うとああいうマンガって今ない気がする。めちゃギャグなのに、なんかほろりとくるというか、なんかどのキャラも哀愁が漂ってるんだ。脇役のニャロメもウナギイヌもどこかかわいそうだし、悪役も。悪役は結局バカボンのパパにひどい復讐されたりして、始めは悪役にむかつきつつも、最後には同情してしまうのです。赤塚のマンガでは、「ヒッピーちゃん」も好きだった。・・・たぶん、私の世代ではおそらく誰も知らない、幻のマンガだと思う。猫のフーを連れて永遠と放浪する意地悪なこじきの女の子、ヒッピーちゃん。性格超悪いんだけど、なのに時々人情味がある。もう読めないかなぁ。ボロボロでも、捨てなければよかった、といまさら後悔。
January 24, 2005
コメント(0)
手巻きラジオ、最近購入しました。コレ↓ 電池要らず、手巻き発電式。LEDライト、ブザー付。携帯電話にも充電可能という代物。1分くらい巻けば、1時間くらいラジオが聞ける。携帯電話の場合1分巻くと、3分通話が可能。去年は災害が多かったせいか、世間では防災グッズとして結構売れているらしい。でも私は災害対策というより、エコという観点でずっと気になっていたので買ったという感じ。ちょっと巻けばラジオはすぐに聴ける。知らなかったけど、ラジオって案外電力食わないんだな。寝る前に30秒くらい巻いて、ラジオを聴きながら寝る。そうすると、寝る頃に電源が切れるから、ちょうどいい。まあステレオのスリープ機能使ったっていいんだけどさ。個人的には待機電力のことを最近考え始めて、あえてステレオのプラグは抜いてるっていうのもあるけど。まあそこまで考えなくても、ぐるぐる回してラジオを聴く。なんかシンプルでいいでしょ。リモコンとは違った味わい深さ、みたいなね。それから一回手巻き充電で携帯をフルに充電してみようと思ったが、あえなく挫折。携帯ってかなりの電力を食ってるんだなぁー。ということを体で実感。電化製品ってとにかくプラグを差せば動くから、その消費電力の大きさって普段全く意識しないんだけど(意識するとすればブレーカーが落ちるときくらいか)、こうやって自分で発電してみるとそれを体感できるっていうかね。それも、面白いのでは。まあ、そう思う人は少数派かしら。ただ、これやっぱデザインがちょっと気に入らないんだよなあ。あとこのラジオ、充電池を内蔵していて、そこに電力をためてるんだよね。電池要らずとはいっても永久に使えるわけじゃないみたい。だからいつこの充電池がいつ使えなくなるのかも気になるところ。耐久性はあるようだけど、見たところ自分で取替えできそうもないし。この点を改善すれば、エコ商品としてはかなり立派なものになると思うんだけど。個人的には、木のラジオが欲しいんだけどな・・・。外枠が木でできていて、手巻き充電ではなく、手巻き発電式だったら文句なし。欲しいといっても売ってないから、自分で作るしかないか?(←でも作れない)そういえば、去年のシュウカツを思い出した。何を思ったかとある小さな電力会社を受けた。二次面接のとき。「日本中のフィットネスクラブの自転車に発電機をつけて、その電力を売りたいです」、と面接官に言った私。(←結構本気だった)見事に落ちました。後日友人に話したら、「バカだね」と言われました。私も今、そう思う。
January 22, 2005
コメント(2)
りらっくま、だらっくま。今日は卒論提出後の初ゼミだった。私の卒論のテーマはとっつきにくいのか、卒論報告会で進んで読んでくれようとする人は一人しかいなかった。・・・・がーん。テーマがマイナーすぎた?関心が似ているはずの、同じゼミ内でも更にマイノリティって一体・・・。でもゼミ以外で「面白そうだから読みたい」って言ってくれた先生がいたり(感謝)、「よく書けてるね」と言ってくれた人もいたので(お世辞かもしれないが)とりあえず、満足でした(*^-^*)誰か一人にでも読んでもらって、内容に興味を持ってもらえればそれでよし。でも卒論の内容は秘密♪卒論が終わったので、(まだテストも授業もあるけど)息抜きに編み物を始めてみた。ipod人気で資本主義の手先と化した友人からipodを中古で買ったので(そんな自分も新品主義の手先←矛盾)、早速、ipodケースを作ってみた。これが試作品第一号↓ ・・・不格好。でもいいんだ、第一号だから!網目が増えなくなっただけ、上達したと思う。次は何をつくろうかな。
January 21, 2005
コメント(0)
最近読書熱が高じてきた。昔はあまり本を読むほうじゃなかったのに、フシギだな・・・。卒論の息抜きで、冬休みはいろいろな本に手を出した。ツイアビの酋長が初めてヨーロッパの文明を見たときの演説集「パパラギ」、遠藤周作訳、モーリヤック「テレーズ・デスケルウ」、大橋「はじめての構造主義」、太宰治「斜陽」、遠藤周作「彼の生きかた」、ゴンブロヴィッチの「トランス=アトランティック」(途中)、姜尚中とテッサ・モーリス=スズキの対談「デモクラシーの冒険」(これもまだ途中)。暇があったらちょっとずつ感想を書いていこうと思ってるんだけど、今日はジョージ・オーウェルの「1984年」を。長いです。聞いてた通り、怖い小説だった~(>_
January 20, 2005
コメント(0)
全111件 (111件中 1-50件目)