
【ゆるしの40日--DAY 13--】
●限界だらけの愛の中で
人間は愛なしには生きてはいけません
。ですから皆、愛を求めてその生涯をさ迷い歩くのです。ちまたでは、あちこちで愛という言葉を耳にします。人気テレビドラマや話題の映画はどれも「愛」をテーマにしたものばかりですし、書店の店頭に並ぶベストセラーの本のタイトルやテーマも「愛」がほとんどです。「愛」について歌えば、たちまちオリコンチャートベスト10に入るし、ヒット商品やファッション雑誌なども「いかに愛される人になれるか」という切り口で売り上げを伸ばしています。
しかし、私達が住む人間社会で語られる愛は、どれも 限界
を抱えています。たとえ、どれだけ愛し合う人間関係であっても、又、たとえ、どれほどの強い深い愛情関係であっても、 わたしたちの持つ愛には必ず「条件」がついてまわる
からです。
例えば、
「 あなたがこれぐらい私を 愛してくれるならば
、私もこれぐらいあなたを愛します
」
「 私がこれぐらいあなたを 愛しているのだから
、あなたもこれぐらい私を愛して欲しい
」
「 あなたがこれぐらい してくれるならば
、私もあなたをゆるします
」
「 あなたをゆるしてあげるから、 これこれをしなさい
」
というギブ&テイクとも言えるような 条件付き
のものです。
親子関係や夫婦関係、恋人関係や友人関係などで、その人間関係をこじらせてしまう大きな 原因
が、「 わたしはこれぐらいしてあげているのに、あなたはこれっぽっちもしてくれない
」という不平不満にあります。あなたもそのような感情に襲われ、腹を立てたり嫉妬をしたりしたことはないでしょうか。
つまり、わたしたち人間の持つ愛は、 条件付で不完全な愛
であるために、移り変わりやすく結果的に人を裏切ってしまったり、1歩間違えれば憎しみにも変わり、人を裁いたり、恨んだり、嫉妬したり、傷つけたりと、途方もない数の罪へと発展する怖さを抱えているのです。一度は永遠の愛を約束して結婚したはずのカップルが、冷え切った愛に絶望し別れてしまうというケースはよくある現実の話です。
ある人は、「 母親が子どもへ思う愛は、とても深いではないか
」と言います。もちろんその通りです。わたしも子育てをする妻の姿を見て、母が子を愛する愛情の深さと絆の強さを思わされます。それは、「 この子ためだったなら、死んでもいい
」と言わしめるほどの強い愛です。しかし一般的な母親の愛は、そのどれ程の強い愛情があったとしても、そこにもまた「 わたしのお腹を痛めて産んだ、わたしの子だから
」 という条件がついている
のです。
さらに、人間の愛は条件付で不完全である、ということがハッキリと現していることがあります。それは、自分に好意を持ってくれている人や愛してくれている人を愛することは簡単だけでども、逆に、 自分を 愛してくれない
人、自分のことを 嫌っている
人を愛することはとても難しい
、という問題です。
あなたはいかがでしょうか。例えば、あなたを憎んでいる人、つらく当たる人、悪意を持って危害を加えようとする人などを、心から愛することはできるでしょうか。普通の感覚ではおそらく無理でしょう。ここが、わたしたち人間の持つ愛の限界であり、わたしたちはその限界の中で真実の愛を求めて生涯をさ迷い歩いているのです。
これらのことから、この地上における人間の社会の中で、決して裏切ることのない冷えることのない永遠に変わらない 真実の愛を探しても、決して見つけることはできません
。
では、いったいどうしたら真実の愛を見つけることが出来るのでしょうか。その唯一の方法があります。それが、イエス・キリストです。ヨハネの3:16が「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された
」と、証するように、 真実の愛はイエス・キリストただお一人を通して、人類の歴史に初めて示されました
。
● 無条件の愛
神様の愛とは、 無条件の愛
です。神様は、「 あなたがこれぐらいしてくれたらから、これぐらい愛しましょう
」とか、「 あなたがこれをしなかったら、わたしも愛しません
」 というような条件を一切つけません
。
重要なのは、神様があなたを愛してくださっているという事実だけです。あなた自身が何をしたかは、まったく関係がありません。神様に気に入られることをしたり、神様の気分を良くしたから、その見返りで愛してくださる、ということではないのです。
それどころか、あなたがどのような状態であるかに関わらず、神様の無限の愛はイエス・キリストの十字架を通して示されたと聖書は証します。
わたしたちがまだ罪人であったとき
、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する 愛を示されました
。(ローマ5:8)
そうです。
あなたがたとえ、神様の愛を受けるにはふさわしくない者であろうとも、たとえ神様の御心とは程遠い生活をしていようとも、まだ罪人であるにも関わらず、主イエスはその罪を担い、身代わりで苦しみを受け、命を捧げてくださいました。その十字架を通してその完全なる愛は 2000年前に既に示されたのです。
●無条件の愛をたとえるなら
主イエスが教えた「 放蕩息子(ほうとうむすこ)
」のたとえ話をよくご存知でしょう。
二人息子の一人が、父親がまだ生きているうちから財産を半分受け取って家を飛び出し、豪華に国外旅行に出かけ毎日遊んで暮らしました。しまいには、その財産をすべて使い果たしてしまったのです。豚の糞尿を始末するという日雇いのアルバイトをしながらも、その豚のエサでお腹を満たしたいと思うほどに、貧しく落ちぶれてしまっていたとき、彼はふと父親のことを思い出し、こう言うのです。
「ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と。」(ルカ15:18-19)
そして、彼は父親の住む実家へと帰って行きました。「怒られるだろうな。もしかしたら、勘当されて、門前払いで追い返されるかも・・・」という不安の中、重い足取りで一歩一歩と家へ向かって歩いていると、彼は遠くに立っている父親を見つけたのですが、まったく予想していなかった驚くような出来事が起こったのです。
そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、 まだ 遠く離れていた
のに
、 父親は息子を 見つけて
、 憐れに思い
、 走り寄って
首を 抱き
、 接吻
した
。(ルカ15:20)
さらに、彼を驚かせたのはそれだけではありません。父親は家来たちにこのように言ったのです。
「急いでいちばん良い服を 持って来て
、この子に 着せ
、手に指輪を はめて
やり、足に履物を 履かせ
なさい。それから、肥えた子牛を連れて来て 屠りなさい
。食べて 祝おう
。 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった
からだ。」(ルカ 15:22-24)
そしてその晩、彼のために祝宴がもたれたのです。
このたとえ話は、 神の愛がどれほど大きく
、あなたがどのような状況にあろうとも、 いつも変わらずに注がれ続けている
ものであることを教えています。
DAY14へ続く
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※ゆるしの40日バックナンバー
DAY 1 ゆるせない苦しみ
DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?
/ DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?
/ DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)
/ DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?
/ DAY 6 どれほどの苦しみだったのか
/ DAY 7 十字架の苦しみ
/ DAY 8 十字架の痛み
/ DAY 9 二つの音の狭間で
/ DAY 10 ド真ん中にあるもの
/ DAY 11 あなたへの問い
/ DAY 12 二つの意味
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