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1年以上もの間、「道草みのむし三十路のみしがん」におつきあいいただき、本当にありがとうございました。毎日更新している時などは、サテライト版をあわせると、毎日200人以上の方々が読みに来てくださっていて、続ける励みにさせていただいておりました。感謝感激でございます。また、駄文であるのみならず、たいしてチェックする間もなくUpする毎日で、誤字脱字も多く、大変失礼いたしました。東京生活が始まったら、「道草みのむし三十路のみしがん」をどうしようか、としばらく考えていました。なんせ、とっても「ミシガン」なタイトルなので、このタイトルのまま続けるわけにもいきません。その上、この日記は、大阪にいる母に、異国異文化暮らしでのいろんな経験を話す、という主旨でこれまで書いてきましたが、はたして日本に帰っても、こんなに書きたいこと(つまり、母にしゃべりたいこと)があるのかしら、との不安もあります。まぁ、どの程度書くことがあるのか、は謎ですが、とりあえず日記サイトを引っ越して、新しいブログサイトにて、しばらく続けてみようと思います。引越し先は「寄り道 坂道 東京 徒歩通勤」です。広報についての私見、逆カルチャーショックな経験、相方との二人三脚生活での珍談奇談などを中心に、母に話したい諸々の事、という主旨はそのままに、やっていくつもりでございます。もしまた、お気がむかれましたら「寄り道 坂道~」にも、お立ち寄りいただければ幸いです。本当にこれまで、ありがとうございました。心からお礼申し上げます。Pupa
August 11, 2005
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いよいよ、出ミシガン。サマーリースの部屋を拭き清めてピカピカにし、鍵をして出発準備完了。鍵は、奇しくも隣の棟に住むT先生に無理をお願いして預かっていただき、ライドの労をとってくださったO先生のクルマに乗せていただいてアパートを出る。O先生にも、それから昨夜ご挨拶をしたM氏にも、残り物をいろいろひきとっていただいて、最後までご迷惑かけっぱなし。感謝感謝である。チェックインはスムーズ。なんせ田舎の空港だし、人が少ない。決しておいしくないコーヒーを飲みながらO先生とおしゃべりして待ち時間を過ごす。同僚のO先生には、この2年間、どれほどお世話になったかわからない。セキュリティゲートをくぐり、何度も手をふってお別れした。もう一度、論文のディフェンスのために来春かえってくると思うと、寂しさがあまりなく救われる。これが最後だったら、感慨深すぎて辛かったかもしれない。それでも飛行機が離陸して、眼下にキャンパスが見えた時には涙が出たが、デトロイトに着いた時には、気持ちは東京へ向かっていた。アメリカに残る方法もあったのに、考えた末に選んで帰国するのだから、後悔はすまい、ともう一度自分の気持ちにリマインド。デトロイトから成田へ向かう飛行機の中で、4年ぶりのシャバだから、ゆっくりと頑張っていこう、という思いがはっきりしてくるのを感じた。
August 10, 2005
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1年間暮らした部屋を訪ねる。韓国人のルームメイトと、今ミシガン滞在中の彼女のお母さんに挨拶をするためだ。行き着けの花屋に寄って、手土産の花束を買い、ついでに25日に誕生日を迎える友人へ送る花束の予約もする。この花屋では始めてみた、男性スタッフの彼は、大学の3年生になるところで土の勉強をしていると言っていた。フラワーアレンジメントは決して上手ではなかったが、ノリのいいヤツで、「花束と一緒に何か贈りたい?」と聞くから「愛、ね」って答えたら、「OK、真紅のバラの花束1ダース、愛をたくさん一緒に」などと予約伝票に書いていた。ルームメイトのお母さんは英語ができないし、私は韓国語はしゃべれないのだけど、コミュニケーションなんて結構できてしまうものである。今夜は彼女の手料理がズらーっと並べられて、激ウマの韓国料理Dinner。ウマすぎて食べるのをやめられないほど。唯一知ってる韓国語「マシソヨ(おいしい)」を連発して、夕食をよばれる。幸せ。ルームメイトとしゃべりまくって、別れを惜しみ部屋を辞す。あー、本当にミシガンを離れるんだなぁ、と実感がわいた。
August 8, 2005
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午前中は勉強&片付けを終わらせ、午後からクルマで1時間ほど走ったところにあるBirch Runのアウトレット・モールへ出かけた。相方に頼まれた買い物をするため。1年前、東京でのインターンが決まった時には、アメリカのビジネスカジュアルしか知らないし、ワードローブにもスーツが2つ、カッターシャツも2枚しかなかった相方は、帰国前にアウトレットモールで大慌てで必要最低限のアイテムを買って帰ったのだが、その時買ったBrooks Brothersの形状記憶ビジネスシャツがお気に入りで愛用している。で、無邪気なヤツは東京でBrooks Brothersに寄って同じシャツの値札を見て、気を失いそうになったらしい。同じことはPoloとかJ Crewにも言えて、日本で値札を見ると、我が目を疑いたくなるほど高い値段。普段買い物にはとんと興味のない私たちでも、どっちかがアメリカにいったら、日常アイテムを買出ししなくっちゃという気にもなるってものだ。で、ビジネスシャツ半ダース、とか、バナ・リパの一枚で着れるようなシャツを3枚と・・・という買い物リストを持ってやってきたのだ。Brooks Brothersでは、男性の店員さんがサイズや色を見てくれた。アウトレットショップだから、品揃えにはそんなに幅がないから「あー、その青柄は、前回買わせてもらったの」「えーっと、その色のタイはもう持ってるんだよね」と説明したりしながら選んでいく。「へぇ~これ、日本に持って帰るんだ。この店にも日本人がたくさんくるよ。」と彼が言うので、「あー、そりゃそうだと思うわ。相方が言うには、東京のBrooks Brothersでは、このシャツ、3倍の値段がしてるらしいしね」と答えると、「その話、よく聞くんだけど、やっぱり本当だったんだね」と納得している様子だった。自分のロングコートもアウトレット価格の半額でゲットして、お次はモールに新しくオープンしたバナ・リパのショップにも寄って買い物。この秋、ついにバナ・リパも東京に出店するらしいが、J CrewやGapよろしく、べらぼうな価格で売るのだろう。マーケティングのクラスでデータを見て苦笑したのだが、J Crewの売り上げ額の半分以上が、実は米国ではなく日本であがるものだとか。ブランド戦略の賜物というべきか、足元見られてるというべきかよくわからないが、J Crewなんて、アメリカではGap以上、バナ・リパ未満くらいの価格で、感覚的にはユニクロをもうちょっとクールブランドにした、程度の位置づけだと思っていたのだが、日本に帰ってみたら、まるでCoolestブランドのひとつみたいにデパートにおさまっていて驚いたものだ。品質とか縫製は、日本の国内ブランドのものの方がはるかにいいとは思うが、なんせ日本では、なんでも高い。Tシャツ1枚に2000円とか出す感覚にはどうしてもなじめない、貧乏性の相方と私は、これから先一年分の衣類をアメリカのアウトレットで賄おうという腹積もり。トランクに積んで帰った成果を箱に詰め込み、速達航空小包で、しっかり保証もかけて送り出す。送料は$140もかかったけれど、詰め込んだもの全部で割って考えれば、1点あたり$5かそこらの計算。それでもはるかに日本で調達するより安あがりである。物価の高い日本でのこれからの暮らしを思うとため息が出たりして。
August 7, 2005
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五人分の物品を集めてのMoving Sale。昨秋から足かけ4回目のSaleである。これまでにオンラインでのSaleを2回、コミュニティのMoving Saleに参加したのが1回だったが、成果は今ひとつで、かなりな量の物品が残っているし、今回はついに私のモノも登場しているから結構な物量。棚、イス、かご、プリンター、電子レンジ、ランプ、扇風機から、衣類、文房具、本にいたる小物まで雑多な品揃えである。このSaleの目的は“とにかく、使ってくれる引き取り手をさがすこと”。友人達から物品を預かったのも、みんな“まだ使えるモノを捨てる”ということのできないがゆえのことであって、根本的に営利目的ではない。売り上げも、一部の友人から預かったものの売り上げ以外は寄付しようというプロジェクトだから、儲けることにこだわらない価格設定が可能。したがって、絶対に売りさばいてしまいたい今回は、eBayでの流通価格をざっと調べ、それよりも安く、また付近のスーパーマーケットで始まっている「Back to school」セールよりも安い値段を設定した。時期は、理想を言えば、もう一週間後のほうが、新入生がミシガン入りしてモノを買う時期が来るし、キャンパス人口も増えるのだけど、なんせ、来週水曜日には私は帰国してしまうし、これ以上のこのプロジェクトにマンパワーも経費もかけるわけにはいかないので、この週末に敢行することにしていた。その分、これまで以上に周知活動に力を入れることにし・・・1、$25で地元新聞の売ります・買いますコーナーに3日間の告知記事掲載を申し込み、木曜日から当日まで流してもらう(←実は、ずーっとコレがやってみたかったので実行できてご満悦)2、日本人会のメーリングリストで告知を流す+他の留学生友達に頼んで、韓国コミュニティ、中国人コミュニティ、ラテン系のお友達ネットワークにも同じ内容を流してもらう3、フライヤー(貼り広告)をキャンパスアパートメントの4ヵ所のランドリーと図書館一階の女子トイレに貼り出す4、大きなサインボードとアパート周辺の案内表示を掲出するセールは11時からと告知していたが、段取りの関係で、8時半頃にはキャンパスアパートの入り口にサインボード、アパートメント・コンプレックスの入り口付近に表示を出した。5ヵ所に看板を出して、部屋に戻ってきたとたん、続々とお客さんが到着しはじめる。えーッ!! まだ商品も並べていないのに、「ここでセールやるの?」「商品はどれ?」「並べるの手伝おうか?」と大騒ぎ。「11時からの予定なんだけど」と伝えると、「じゃ、また来るわ」と言ってくれる人もいるが、たいていは、並べた端から品定めがはじまり、どんどん買っていってくれる。このキャンパスアパートの住人は留学生が多い事もあって、お客さんは留学生が中心。あとは、新聞を見たり、たまたま通りがかって立ち寄ってくれた、学生ではない近所の白人などなど。隣の部屋のネパール人家族とその友達もたくさんモノを買ってくれたし、対応やら値切り交渉やらで、息をつくヒマもないほどの大盛況。本来のスタート時間、11時には棚やら何やら、目ぼしい品物は売り切れていたほどだった。お友達のY女史も、お子さん達と一緒に品物を持ってムービングセールに参加してくださり、おかげで、やっとトイレに行くことができるようになった。お隣の棟に住むT先生も、ご自身の売り物を出して参加してくださり、売場はますます華やかに。午後からはM氏も手伝いに来てくださってお客さんの相手をしてくださって大助かり。2時を過ぎると客足もまばらになり、落ち着いたが、それでも夕方7時まで、いろんなお客さんが来てくださり、大物はほぼ完売、小さなものもかなりが売れる大成功になった。日本人は、基本的にMoving Saleでどんどんモノを買う、という習慣がないように感じるが、中国、韓国にしろ、日本以外の国の人たちは、あまりに古くてこちらが心配するような電子レンジでも「これ、ちゃんと動くんだから問題ないわ。私たちもいいのを買うまでの中継ぎで使うだけだし」などと言って、こだわらずに買っていってくれる。文化の違いだなぁ、と実感する。総括すると、上の告知活動の中で一番効果的だったのは、4、続いて1。地元新聞の掲載記事はすごく小さなものだったし、他にも山のように他所のセール告知が出ていたから、効果薄か・・・と思われたのだが、この掲載記事を見て来たという人が結構いたのには驚いた。また、4、の看板は文句なしに効果絶大だった。Advertising & Marketingのクラスで、消費者に近いところでの周知広告の重要性とか、学んだっけ。その瞬間までSaleのことなど知らず、何かを買う予定のなかった人でも、看板を見て、フラッと立ち寄り、せっかく立ち寄ったから、この$2のカゴでも買っていくか、という感じのお客さんを多数みかけた。今回学んだことは、● オンライン・セールでは限界アリ。やっぱりヤードセールの方がはるかに売れ行きが良い● 価格設定は、とにかく安く。Moving saleに出す品物でeBayでの流通価格より高い値段をつけても絶対に売れない。特にキャンパス周辺でのお客さんは、お互いにあまり裕福な家系状態ではないのだから、安くないと引き取り手はない● 日本人コミュニティだけの周知活動では限界がある。留学生仲間のつてを使って、他国籍・民族コミュニティにも手を広げないとおっつかない。新聞の売りますAD、売場周辺の大きな看板は効果絶大● 何人かの品物を一緒に販売して、スケールメリットをだすこと。一人の持ち物では、立ち寄った人が、気に入ったものを見つける可能性が少なく、「ついで買い」も生じにくい夕方、O先生とM氏が用意してくださって、遠征先からN氏も戻ってきてくださり、部屋の前でBBQをしてくださった。ビールがしみること、肉のおいしいこと。N氏は就職祝いにと、大きなアイスケーキを買ってきてくださっていて、みんなで食べる。ウマイ(涙) アメリカにこんなにおいしいアイスがあるのかと驚いたら、ダウンタウンにも支店が出ているCold Stone Ice Creamの店のだという。甘いものに目がないO先生と私は、絶対に行きましょう、と約束したりして、夜がふけた。
August 6, 2005
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木曜日の夕方にOhioからT女史が来られて一泊してくださった。夕ご飯はM氏、F氏と4人で、タイ料理を食べに行く。部屋に戻ってから二人で夜中までしゃべりこむ。金曜日の朝は、土曜日のMoving Saleに向け、倉庫から荷物を運び出す段取り。倉庫を借りているU-Haulでトラックも借り、1時間半かけて荷物をトラックにつみこむ。めでたく倉庫は空になり、解約完了。いやぁ、この貸し倉庫は便利だった。すっかり顔なじみになった倉庫のスタッフに「これまでありがとう!」と御礼を言って鍵を返す。U-Haulの引越し専用中型レンタル・トラックの運転ももう3回目。ガタガタ、ピシピシと素朴でシンプルなトラックを慎重に運転して、15分で部屋に到着。積み下ろしはたった15分。T女史と飲茶ランチを食べた後、クルマで30分のアウトレットモールへ買出しに。T女史はここから隣町のAnn Anoborへ向かわれて、今夜はそこで一泊されるご予定。手を振ってお別れ。買い物をすませて、私は図書館へ戻り、6時までガリガリ作業。7時からは、3月までの勤め先の同僚S先生、H先生と一緒にイタリア料理のEmil’sで夕食。食べておしゃべりして・・・楽しかったぁ。部屋に戻ったら11時前。それから、TVを見ながらMoving Sale用の看板作り。このために確保しておいた大きなダンボール箱を解体、組みなおして、レターサイズの大きな文字を貼り付け、「Moving Sale →」の立て看板を2つ、レターサイズ半分の文字をプリントアウトした紙を紐につけて、運動会の万国旗のようなサインを3つ作った。さて、どのくらい効果があることやら。
August 5, 2005
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スケジュールを必死でこなしている状態にもかかわらず、水曜日の夜、図書館で粘っているところへ友人から“悪魔のささやき”と題したメールが入る。「デトロイトにイチローが来て、今日、明日、明後日が試合」。なんと恐ろしい。短い返信を書きながら、誘惑に克てず、思わずブックマークしてあるタイガースのサイトでスケジュールを確認。なんと、ちょうど良い事に・・・もとい、間の悪い事に、木曜日はナイトゲーム。『どうせ朝5時ごろから稼動しちゃってるから、5時までガンガン頑張ってからなら・・・』と、なんとも意志薄弱に思いは巡る。そこへ畳み掛けるように、“悪魔はさらにささやく”メール着信。「イチローはデトロイトで試合の時は、3日のうち二日は、○△(デトロイト郊外の日本食レストラン)系の店のどこかで食事をするそうなので、そこで張ってれば、生イチローに会えるおまけつき」 くぅぅぅぅ・・・・ ちなみに、このデビル・M氏にしたって夏休みもなく働いている列記とした化学者なので、お忙しいハズだというのに!悪魔のささやきに負けるのが二人なのはシャクなので、他の友人達にもメールを転送。野球に興味はないが日本人選手が出るなら観たい、といつも仰るO氏もご一緒することになり、怒涛の日中をこなして、夕方5時に集合。デトロイトへ向かった。イチローを観るのも楽しいけれど、ダメ虎ファンの私にとっては、タイガースをもう一度観戦できることが嬉しい。タイガース戦対マリナーズ戦なら、チケットは窓口で十分手に入るハズ。プレーボール15分前にスタジアム前にたどりついたが、ちゃんとビジターベンチとライトの中間くらいの位置で23列目をゲットした。悪くないじゃん。シートに座ったら、もうイチローが素振りを始めていた。間に合った!残念ながら、この日のイチローはいいとこなし。が、愛すべりダメ虎・タイガースのできは上々だし、タイガース打線がマリナーズ先発投手をめった打ちにあわせたと思ったら、マリナーズもじりじり追い上げ、ゲーム内容も結構見ごたえがあった。しかも、負け試合ムード漂うマリナーズの中継ぎに、数日前に一軍にあがってきたばっかりの木田登場!! Wow!! つら~い場面を、打ち込まれながらもなんとか投げきって、ホッ。O氏と私は、球場内のスタンドでお気に入りのカクテル・スムージーのタイガースのロゴ入りバット型コンテナーに入ったものを手に入れご満悦。8回には場内整理の係員がチケットをチェックしなくなるのをいいことに、バッターボックス横の空き席に移動してかぶりつき気分も味わう。タイガースの勝利で試合終了!M氏、O氏のおかげで、思いもかけずタイガースの試合見納めまでできて大感激だった。帰国後、ミシガンを懐かしむ要素はいろいろあると思うが、このメジャー・リーグ観戦、特にこのコメリカ・パークでのタイガース観戦は、懐かしくてたまらないものになるだろうなぁ、と思う。
August 4, 2005
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スペースシャトルの最初の打ち上げ予定日の朝、日本で午前4時50分に目覚ましをかけて起き、打ち上げ延期のニュースを見てがっかりしたものだ。それくらい気合が入っているから、7月26日の打ち上げは、一時間前からTVをつけて、固唾をのんで見守った。2年前、コロンビアの事故はライブで見ていて、TVの前で凍りついたものだった。シャトル計画はその経緯とか背景とか、いろいろ手放しで喜べないものがあるのは百も承知だけれど、とにかく無事に行って無事に帰ってきてほしい、と祈りながらシャトルの出発を見送った。もちろんCNNにしろNBCにしとCBSにしろ、シャトル関係がトップニュースなのだが、その報道を見ながら「おぉ、アメリカに帰ってきたなぁ」と感心したのが宇宙飛行士・野口さんの扱い。その直前までいた日本では、まるで野口さんしか搭乗しないかのように、シャトルと言えば野口さん一色だったから、アメリカに帰ってきてからは、その扱いの軽さが非常に印象的だった。まぁ、年齢も一番若いし、フライトも初めてだし、ということもあるのかもしれないが、何にせよ、アメリカのメディアが興味を持って報道する対象ではなかったようだ。打ち上げ直前、CNNライブ中継のアナウンサーがすべての宇宙飛行士を紹介していく段になっても、野口さんについては手元のエピソードというかデータが足りないのかして、他の宇宙飛行士たちに比べてはるかに短くあっさりした紹介。思わず苦笑してしまった。が、この数日のスペースウォーク&機体外壁の修理、というところへきて、野口さんの注目度大アップ。修理活動を担うメインのメンバーの一人なのだから当然と言えば当然なのだが、それ以上に、今最も心配されている機体の「修理」に「日本人エンジニア」が携わっている、というのが非常に頼もしい印象を与えるらしく、NBCでもCNNでも、やたらと“Japanese”が強調されている感じである。十把一絡げにした「国民性」なんてものに基づく性格とか人柄の描写は、ステレオタイプのとなりにある極めて危うい考え方だと知りつつも、やっぱり「国民性」とか「民族性」ってあるよなぁ、と思う時がある。何にせよ、お知り合いでも何でもないけれど、同胞としては野口さんの活躍は嬉しいし、野口さんの働きを頼もしげに語り合ってるアンカーたちの会話を聞いているのも意味なく嬉しい。とにもかくにも、全員が元気で帰ってきてほしいな、とニュースを見るたびに思っている。
August 3, 2005
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サマーリースしてる部屋はCartoon Networkが入る。普段は見ないが、なんせ時差ぼけでへんな時間に目が覚めて、夜中に適当にチャンネルをまわしていたら、Cartoon Networkで「ルパン三世」をやっているのを見つけた。その後は「犬夜叉」で「Cowboy Bebop」。で、何に感心しながら1時間半も見てしまったかというと、声優さん。もちろんどれも全て吹き替え版なのだけれど、オリジナル版の声優さんに非常によく似た声の声優をアテているのには、あらためて驚いた。次元大介なんて、「アレ?小林清志って英語しゃべれたのかも」と思ってしまうほど、しゃべり方はもちろんのこと、声が似ている。犬夜叉のかごめも違和感ないし、Bebopのジェッドとかエドなんて、まるでオリジナルを聞いているみたい。しゃべり方もかなり忠実に再現されているし、意外に丁寧な作りにちょっと感心した。でも、石川五右衛門が酒を飲むときに、すする音をさせていたのには、「うぅ~ん、惜しい・・・」。文化考証も、そこまでは行き届かなかったか。後からこの話をした友人ともなぜそうなちゃってるのか話し合ったのだが、たぶん、音をさせないと飲んでるってことが表現できないからだろう、という結論に至った。確かに日本人なら、徳利と盃を知ってるから、「あぁ、五右衛門は酒を飲んでるのね」と勝手に理解するが、徳利と盃を知らない異文化の人が見たら、よくわからない、ということになるのかも。何にせよ、ジャパニメーション、結構丁寧に扱われているんだな、と感じてちょっと嬉しかったが、くれぐれも、私はアニオタではない。
August 2, 2005
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3カ月半も日記をスキップ。なんせ、壁紙は桜吹雪のままです。せっかく365件の日記を達成した直後だったのに、そこから100日もつけてないんじゃ、もうとっくに「日記」の名にはふさわしくないシロモノになっているのですが、8月1日、なんだかキリもよく、また身辺状況の区切りもよく、ようやく再開しようという意気込みが出てきました。メールをくださった方々、ありがとうございました。時々様子を見に来てくださった方々、大変失礼いたしました。m(_ _)m100日もあると、いろんな事ができますし、起こりますし、また人生だって変わっちゃうもんだなぁ、とつくづく思います。4月末から5月はじめは、母と一緒にフランス→ベルギー→ドイツ→オランダと旅行してきました。Eurail Passを駆使しての鉄道旅行。大名・ラクチン旅行をしたがってた母を疲れさせたかもしれませんが、いい勉強になった旅行でした。その後一旦ミシガンに戻ってから、日本へ帰国。5月中旬からの一週間は、うちの大学のStudy Abroadプログラムのひとつ、“Advertising in Asia”コース日本日程のアテンドをさせていただきました。いろんな意味で、本当にいい勉強になったし、貴重でおもしろい体験でした。名古屋でプログラムご一行様を送り出してから、大阪へたどりついたところで、親類の葬式の知らせ。予定になかった島根行きを波乱万丈の中で敢行し、東京でやっと落ち着いた生活になったのは6月に入ってから。朝は6時半出社という相方の生活にあわせ、大変規則正しい毎日を送りながら、通院&休養 + 勉強&就職活動。お給料の入るアシスタントシップも3月末で終わったし、修士論文作業の傍ら、食っていくための次のステップの段取りは就職活動だったわけですが、当初は日本での仕事の口はあまりアテにしてなくて、とにかくダメもと海外でやってみるか・・・と準備していました。が、東京のJob marketで試しにキョロキョロしてみると、4年前には考えられなかったほど仕事がある。書類審査が通って、面接でお話しを聞いてみても結構おもしろい。あぁ、これならいいかな、と思っていたところでいくつか内定をいただき、同時に、選考にもれたりもする中で自分のResumeの弱点も学び、とにかく今はまだまだ経験を積んでいくことが必要だという結論に至り、東京で働き始めることにしました。ばりばりの民間企業の企業広報です。non profit組織の、できれば国際開発関係の広報をめざしていた私が、なんでまた民間企業の広報としてスタートすることにしたのか、というナゾの就活珍談は、またそのうち書くと思います。拠点を東京へ移す事にした、もうひとつの大きな要因は、自分の年齢と生き方のかねあい。東京で、ちょっとスローダウンした規則正しい生活を送りながら、また、一体どこで就職するんだという具体的な疑問を自分になげかけながら、極めて素朴な事実―やりたいこと全部を同時にすることはできない―をしみじみと感じました。そんなことに今さら気づくなんてお恥ずかしい限りですが、今しかできないこと、10年後のほうができそうなことなどなど、いろんなことをもう一度整理し、考え選択し、後悔しないかどうかを自分に確かめる。そういう貴重なステップになりました。先週ミシガンに戻ってきて、修論作業やら、片づけやらでバタバタすごしています。まだジェットラグも残ってますが、再来週には帰国するので、時差ぼけはあまり解消しないほうがいいのかも?! 懐かしいミシガンは早や秋の気配。今日も一日図書館にこもりながら、美しい夏の風景をながめています。
August 1, 2005
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4月15日 金曜日寝不足。体調不良も続行中。しかも予定になかったことが次々入り、やってもやってもTo-Doリストが減らない。その上、肝心の書き作業が、三歩進んで二歩下がってる。これ以上書くと泣き言になりそうなので、全然違う話題にて。先日、Lansing State Journalを読んでいたら、“Emoticons”の紹介をしていた。Emotion + iconsで、Emoticons。要するに顔文字。日本でも随分知られてきたけれど、こっちの顔文字は日本とは全然違っていて、さーっぱりわからない。だいぶ慣れたけど、なんせ見た目ではわからないから、クラスメートが使ってきたりするとLansing State Journalはいくつか、頻出&超レアものだけ紹介していたが、ネタ元のNerd TimesはSmiley⇔English辞書になっていた。Happy :-) or :)Angry :- or >:(Sad : ( or (:-\Abraham Lincoln =):-)=Butterfly } {A smile. Sarcastic or joking statement .:-) Big smile :))Really big smile :-)))リンカーンなんて、全然わからん。まさしく文化の違いです。これって、英語圏は共通なのかしらん?
April 15, 2005
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4月14日 木曜日Spartansスイミング・プロコーチ、M氏の寛大&ご親切なコーディネートで、Spartansバスケットチームの本拠地、Breslin Centerに隣接した“バスケット・ビル”の施設見学に行ってきた。来月か、再来月の「出たっきり邦人」掲載原稿用取材が主たる目的だが、体育会出身、仕事上スポーツイベント関連組織にも関わってきた身としては、興味津々の取材対象である。ほとんど徹夜の頭もミーハーに冴えわたって、いざバスケ・ビルへ。ありえないことに、男子バスケチームのOperation Director氏自らの施設ガイドツアー。光栄すぎて、適当なお礼の言葉も見つからないほど。そのうえ!なんと!信じられないことにぃぃぃぃ!! M氏と一緒に訪れたバスケット・ビルの入り口前で、携帯電話でエネルギッシュに話しながら、こちらに向かって微笑んだアナタは、コーチP!!(NCAAでファイナルまでいった、女子バスのヘッドコーチ)そして、施設を案内していただきつつ、Directorのお話を伺いつつ、通りかかったミーティングルームには、男子バスケのヘッド・コーチ、Izzo!! Oh, my goodness!! しかも・・・しかも・・・Directorと一緒になって、Izzoは私たちを会議室に招き入れ、握手までしてくれたではないかっっ(感涙)。情けないことに、ファイナル4のお祝いを口にするのが精一杯。これまでやってきた、いわゆる著名人のインタビュー取材でも、相手が“有名人”だからって言葉をなくすことなどありえなかったが、気構えのないところに、仕事ではなく、個人的尊敬の念をともなう相手が予告ナシで出てくると、まさにアワアワ・・・状態。ただのミーハー。Izzo。評判にたがわぬ、なんともフレンドリーな、でもオーラの漂う人でした。え?バスケ・ビルの凄さ?もう一言やワンパラブラフではとても追いつきません。取材の詳細は、来月か再来月の第一週に、「出たきり邦人」掲載原稿としてご報告予定です。
April 14, 2005
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4月13日 水曜日このポストが楽天日記での365件目になる。この日記に移ってきてからはもう370日になるのだが、以前使っていた日記システムからの移動に数日を要したり、その後書いてない日もあったりで、開設以来の日数はあまり意味がなく、この“365件目”というほうが、「へぇー、そんなになるのかぁ」と多少感慨深い。日記を書き始めることにしたのは、Izzyluvさんの日記を拝見したのがきっかけだった。「友達へのメールがわりに書いている」とお聞きし、ナルホド!と思ったのが最初。渡米してきて以来、日本にいる家族や従姉、メールをくれる友人達にも近況や日々の冒険を知らせたいとも思うのだけど、文字通り学業に追われて、それぞれのメールにマメに返信することもできずしばしばご無沙汰しがちだったり、誰もへの返信に同じようなことを何度も書いたりすることもあって、何か言い方法がないものかしらん、と思っていた矢先だった。確かに、オンライン日記を書いて、見たい時に覗いてもらえれば、とりあえず生きていることはわかってもらえるし、気が向いた時に、異国生活で引き起こしている珍談奇談の数々も読んでもらえるだろう。最初は、適当に見つけたオンライン日記サービスを使っていたのだが、楽天日記が随分サービスも充実してきたことを知り、引っ越してきたのが去年の今ごろだった。この日記のコンセプトは、タイトル下にも書いているように、ミシガンで戻り学生生活の中で出会う、母に話したいと思ったことが基本。渡米してくるまでは実家で毎日ベラベラと、その日あったこと、思ったこと、考えたことを片っ端から母にしゃべってたものだが、それをそのままこの日記でもやっている。したがって内容は、“多くの人にウケルもの”“読者に何か提供できるもの”などでは全くなく、私が母にしゃべりたいこと(爆)。要するに、非常に独りよがりにできあがっております。そうやって始めた日記だったけれど、しばらくたってから、別の効用も発見した。ひとつは、日本語力の維持。英語はさしてうまくならないのに、日本語力の減退は目もあてられない。日記をつけていてすら、昨年のものと今のものとを比べると、文章のバラバラ具合、て・に・を・はの怪しさ、言葉のチョイスの稚拙さは拍車がかかるばかり。これでこの日記を書いてなかったら、ヒドイことになっていただろうと思う。もうひとつは、メモ機能。異文化生活で、あんなに強烈にいろんなことに驚かされたり、悪戦苦闘したり、それによって色んな事を考えたりするのだけど、時間が経つと以外に忘れているものだ。数ヶ月前の日記を読み返しながら、「あー、こんなこともあったっけ」とか「そんなこと考えたっけな」と思うこともしばしばあり、この日記に書き留めていなかったら忘れてしまっていたんだろうな、と思う。これには、滞米も3年半を過ぎ、アメリカという異文化での生活にもなれ、カルチャーショック・ステージも次段階へ進みつつあることも作用しているのだろう。この社会にも慣れてきて、多少は経験値もあがり、当然物事への新鮮味は薄れてくる。もちろんそうでなければいけないのだけど、比較文化の中では、感覚が新鮮なうちにしかキャッチできないこともたくさんある。それを、まだ新鮮味を感じるうちに書き留めとめてきたのは、良かったかな、とも思う。・・・とまぁ、極めて個人的なサイトなのですが、日々覗いてくださるお客様もあり、掲示板や、直メールでいただくコメントにも励まされて、365件を迎えることができました。皆様ありがとうございました。今後とも、お付き合いいただければ幸いです。ところで、肝心の母は、この日記を読むためにPCの前に座るということはない。でも読んでないわけではない。それは、せっせと画面を“プリントアウトして”くれている、我が弟の働きに他ならない。オンラインなのに“プリントアウト”とは(爆)
April 13, 2005
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4月12日 火曜日2週間前に、「今週は多少は余裕があるはず」などと甘い考えで、ヘアカットの予約を今日にしてあった。その考えはホントに甘かったのだけど、いつもカットしてもらっている理髪師・Tさんの予約をとるのは大変なので、がんばっていくことにする。東南アジア人のTさんは、年明けから新しいヘアサロンに移った。年末にカットしに行った時に、新しいお店の電話番号などをもらってあったから、今日はその新しいヘアサロンへ行ったのだ。前のヘアサロンも悪くないところだったけど、新しいお店は清潔だし明るいし、しかも設備がよくてとってもいい感じ。年末に、Tさんが店を移ることを教えてくれた時に、「(今度の店は)設備がよくて、いろんな新しいこともできそうだったから移ることを決めたんだ」と話していたけれど、ナルホドである。適度に愛想も良くて、その辺もプロの理髪師さんなTさんは、とってもニコニコしながら出てきて「Pupa、よく来てくれたねぇ!」と言いガッチリ握手してから、席へ案内してくれた。いつもTさんは私にヘアカラーやらなんやらをしたがるのだけど、私はガンとしてカットしかしないので、彼ももう諦めて奨めない。「いつもと一緒・・・なんだよね?」なんて言いながらカット開始。「本当にいいお店ねぇ。ここで働くの、素敵でしょうね!」と言うと、そうなんだよ、と嬉しそう。彼はこの店には請われて移っている。この店のオーナーが前の店で働いていた彼に電話してきて、引き抜いたのだ。彼の技術とプロっぷりを考えれば不思議な話ではないけれど、より大きくて人気のある店からの誘いだから、いわゆる出世である。それにしても、年末に前の店で、カットしてもらいながら彼がお店を移る件を話している時から思っていたのだが、彼は前の店の中で、大っぴらに店を移る件を話していたし、前の店の人々も別にそれを気にとめる風も、眉をひそめる様子もなかった。私が帰るときにも、はばかる様子もなく、移る先の店の連絡先をくれたものだ。私の日本人的感覚では、エッ、いいの?ってな感じだったものだ。彼が前の店で、他のヘアドレッサー達との比較ベースでどのくらい集客力があったかは知る由もないが、“明日の予約を入れる”などは不可能な程度には人気があったから、前の店でも惜しくなかったわけではなかろうと思われる。事実、今日聞いてみたら、私同様、彼のロイヤルカスタマーは、ほとんど新しい店にスイッチしてしまっているから、前の店でもダメージがないわけではない。その辺のコンフリクトはないのかしらん。「う~ん、僕が店のために働いてる立場だったらそういうこともあるかもしれないけど、僕はいわば自分のために働いてるっていう感じだからねぇ。」というのが、Tさんの回答。要するに彼はフリーランスの理髪師さんのようなもので、彼を抱えたがるお店を拠点にしてビジネスしてるってことになるらしい。だから、前のお店でも惜しがってくれたそうだが、より大きくてモダンな店からの誘いということで、喜こんでもくれたそうな。一時間弱でカット終了。いつも通り仕上がりはバッチリ。やっぱり、アジア人の髪はアジア人の理髪師さんじゃなきゃなぁ。ストレート黒髪の客のカットが珍しいのか、お店の他のスタッフも通りかかっては仕上がりを見ていく。手鏡でバックも確認させてもらいながら「Tさん、東京へ来ないの?最近東京でもノン・ジャパニーズのビジネスマン増えたから、英語が出来て技術の確かなヘアドレッサーはきっと重宝がられるよ。カットの単価も高いしね。」なんてふざけると、「いやぁ、実家(カンボジア)にも近いし、いいかもねぇ。東京では給料がいいと聞いたこともあるよ、でも生活費もとっても高いじゃない(笑)」以前に、あなたならN.Y.とかChicagoでもやっていけるんじゃないの?と聞いたら「僕は、モデルさんを綺麗にするよりも、普通の人をモデルさんのように綺麗にする方が好きなんだよ」と言っていた彼だから、東京には来てくれなさそうだ。また7月に来るね、と約束して店を出た。夏以降、どこへ行くことになるのかいまだに皆目見当もつかないが、海外にしろ日本にしろ、また彼のようないい理髪師さんを見つけるのは大変だろうなと思う。
April 12, 2005
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4月11日 月曜日打てば響かないオツムの私は、開発のクラスのTerm paperで停滞していた。追加資料を加えて書き直すだけならなんてことなかったのだけど、掴みきれていないコンセプトがあってひっかかってしまったのだ。一人で延々と考えても仕方がないし、こういう時には教授に聞くしかない。先週金曜日以来、教授とやりとりしたメール8通。こういう時、オフィスアワーがあれば訪ねていって、直接いろいろ話ができて、たいていはそれで疑問も解決できるのだけど、なんせオンラインクラスの教授は現在アリゾナにいらっしゃる。クラスメートの多くはもうほとんど完成のようなペーパーをポストしているのだけど、私は最初半分のドラフトをとりあえずポストして、スタック。根本的な事にひっかかっているのはわかってるので、とにかくなる早で“何がわかってないのか”を解明して先へ進まねばならない。私がひっかかっていたのは、analysisパート。もともとの発端は、descriptionパートを書きながら、どうしても内容がanalysisと混じるので、どう分けるべきなのか質問したのが最初。その件については指示をもらって前進したのだが、どうにもすっきりしない。これまでの経験上、このすっきりしなさ加減は、1)何か根本的に勘違いしている、2)大事なことを見落としている、3)論理がねじれている、のどれかだから、大いなる危険信号。なので、Analysisパートを書き始める前に内容のメモを教授に送って、方向性がこれでいいのか相談したのだ。そしたら教授からの返事は、「私は、このクラスでの取り組みで、ピックアップしたプロジェクトに関するjudgmentを求めているわけではないのです。やってほしいことはAnalysisです。」ドッキリ。これまで、analysisを苦手だと思ったことはなかったし、仕事でもアカデミックでもやって違うと言われたこともなかった。だが、今回はどうやら、あきらかに踏み違えているらしい。JudgmentとAnalysisの違い。言葉じゃわかるし、意味もわかってるつもりだったけど、“つもり”にしか過ぎなかったようだ。う~ん・・・正直に「どうやら根本的に思い込んでしまっていて、まだイマイチよくわかってないようです。」と返事をしたら、「私の考えでは、judgmentとは何かを評価することです。それは、何が良いか悪いか決めることであり、それは、それが好きか嫌いか(の判断)である可能性もあります。このクラスでのペーパーに限らず実社会でも、良いjudgmentは可能かもしれない、その前に、まずanalyzeできていれば。(中略)なぜ私がこの取り組みをTerm paperでやるかというと、私は現実世界であまりにも多くの開発プロジェクトが、案件を最初にdescribeできず、analyzeもできない人々によって評価し、判断されてきたと思うからです。明確になりましたか?」目を通して、もう一回読み直して、思わず「It’s clear to me now.」と声に出してしまった。やっぱり、わかってるつもりで、わかってなかった。教授のjudgmentの解釈は私も賛同するものだし、決して目新しいものではない。それでありながら自分の思考の中ではいつのまにかdescription、analysis、judgment、evaluationがぐちゃぐちゃになってしまっていたのだ。そりゃ、すっきりしなかったわけである。しかも、無意識のうちにケースのjudgmentにジャンプしてしまっていたことが、なんとも情けない。この教授が書かれたクラスのテキストの中で『アカデミックの人間は、何が間違っていたのかを探しがちだし、現場の人間は何がうまく行きそうかを考えるものだ。』 (Chambers, Robert. (1993). Challenging the Professions-Frontiers for Rural Development. London, Intermediate Technology Publication.) という引用が紹介されている。思い出して読み返してみたが、耳が痛い。でも、ここでわかって良かった思うことにしよう(苦笑)。そして、この教授の下でこのクラスを履修して本当に良かったと思った。
April 11, 2005
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4月11日 月曜日PCの前に貼りつきっぱなしで日曜日が過ぎて、月曜日になって。某所からスピーチ原稿のアイディア出し依頼があって、結構時間をとられて涙目。いや、頼んでいただけるんだから、ありがたいんです。それはマジメに。でも、4月に入ってからやたらとこのスピーチ原稿関係が多い。日本の暦じゃ新年度ですから不思議でもないけど。 こういう急いて考えている時、打てば響くようなオツムがほしい、と思う。でも、どっちにしても奇抜な発想が求められるような話は私にはこないから、地道で手堅い理詰めのばっかり。よって裏とりに時間がかかる、と。いつものパターン。昼過ぎに郵便屋さんがやってきて、荷物を届けてくれた。マニラに出張してた友達から、マニラの新聞どっさり。その新聞のおもしろそうなことは、書き始めたら一晩かかるのでおいとくとして、見事なのはこの切手。思わず撮影。
April 11, 2005
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4月9日 土曜日良くないことに、ここ数日の後遺症か夜昼が逆転していて、朝8時ごろまで勉強していて、昼12時半くらいまで寝ていた。朝は日本の実家に電話し、母としゃべりこんでから、イギリスのロイヤル・ウェディングの中継を見ながら眠りについた。最近早寝早起きをめざすルームメイトは、無理やり5時半に起き出して土曜日朝の礼拝に出かけてゆき、そのまま昼寝しないようにカフェ、図書館と渡り歩いて、期末ペーパーを書いていたらしい。彼女が部屋に戻ってきたのは夜中も1時過ぎ。こっちも、(彼女曰く)彼女が早朝に出かける時も彼女が帰ってきた時も同じ格好でコンピュータに向かっていたから、お互いに苦笑。院生二人住まいで学期末を迎えるとこんなもんである。昼間韓国マーケットにも行ってきたんだと、ルームメイトはいろいろ食材を買い込んできてキッチンでゴソゴソ片付けていた。午前1時半過ぎ、もはや完全に煮詰まって、思考が先へ進まない私があきらめて、寝酒にとワインをとりにキッチンへ行ったら、彼女はなにやら一生懸命料理をし始めている。すっかり煮詰まっている彼女も、気晴らしにチゲ鍋を作ることにしたらしい。彼女はキッチンで料理しながら、私は隣のリビングで呑みながら、四方山話にしばし華を咲かせる。北京の反日運動の話と日本の歴史教育のこと、最近の韓国事情、三十路話、キャリアのこと、親のこと云々。魚の入ったチゲ鍋、彼女は「甘すぎる~!あと、何を足したらいいんだ?」なんて首をかしげていたが、私にはすでに充分おいしかった。真夜中2時半のチゲ鍋。忙殺されている毎日の中で、ちょっぴり時間が止まっているようなひと時だった。
April 9, 2005
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4月8日 金曜日オンラインで履修している『International Rural Development』のクラスは、期末に向けてTerm Paperが進行中。成績の60%を占めるこのペーパー、自分で開発関係のプロジェクトを見つけてきて、そのプロジェクトをクラスで学んできた様々なポイントに基づいて記述することと分析することが課題。私の国際開発へのアプローチは、様々なプロジェクトにおけるCommunication Strategyが主眼だから、このTerm Paperもいわゆる“Public Relations disaster”といえるボリビアのあるケースをピックアップしていた。なんせ暴動まで起きたケースだから、新聞記事やら反プロジェクト派のWebsiteやらで、資料の量には困らないのだけれど、プロジェクト実施組織のオフィシャルの資料が手薄。組織の出している別件のレポートやら何やらで、例としては何度も触れられたりはしているのだけど、ドンズバで書かれたものは4Pものの評価レポートしか見つからず、存在するはずのプロジェクトそのもののレポートは、手を変え品を変え、検索ワードをいろいろ変えてみても、見つけることができずにいた。修士論文に使う資料なら問い合わせてでも探すけど(実際、そのために霞ヶ関でめんどくさい情報公開請求までしたんだし)、どこか他に出す予定もないTerm paperだし、相談した教授も「手に入るものだけでOK。何もかもを正確に記述することが主眼じゃないから」(そりゃそうだ)ってな回答だったから、手に入った資料をつなぎあわせて前半のプロジェクト内容の記述パートをラフドラフトながら書き上げてあった。で、昨夜。分析パートを書きながら、サポートできるような類似例をさがして資料を検索していたら・・・なんか、全然想像もしてなかったようなタイトルで、でも明らかに該当プロジェクトの、立ち上げのプラン書と7年後に出された経過レポートがあるじゃないの ・・・誰か私に、これはウソだ、何かの間違えだと言ってくれ。見つけちまったものは読まねばならない。が、そのレポート、なんと175ページ。しかも添付資料に含まれているプロジェクト実施地方の役所が書いた見解書はスペイン語のみ。英語読むのだってそんなに早くないのに、スペイン語なんてもう、三歩進んで二歩下がるスピードだというのに。もちろん、スペイン語パートなんて精読したわけではないけれど、全175ページ、とにかく目を通させていただきました、ハイ。読み終えたら、とっくに朝日がさしこんでました。しかも、やっぱりつなぎ合わせの資料では補いきれてない部分や、誤解してる部分もあって、記述パートも三分の一は書き換え決定。くぅ~。最初に資料を見つけられなかった、我が無能っぷりを呪う。分析パートだけなら土曜日いっぱいくらいであがるかな、と思っていたのに、やっぱり、そうは問屋が卸さなかった。ガックリ・・・
April 8, 2005
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4月8日金曜日相方が東京の桜を送ってきてくれた。通勤途中の携帯カメラ撮影。昨日はCNNでワシントンの桜が咲き始めたことを言っていたっけ。日本の桜は、もう4年見ていない。来年の桜は、東京で一緒に見るのだろうか。
April 8, 2005
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4月7日 木曜日&英語で電話するってのはまだまだ大変で、込み入った内容の時は、アンチョコを作っておかないとアチャーっという結果になりかねない。3年前なんて、とてもじゃないけど電話なんてできなかったし、去年あたりからやっと、full transcriptなしでも電話できるようになったから、マシにはなってるんだけど、そもそも私の英語そのものが、体調とか脳が起きてるかどうかにかなり左右される脆いものだから、絶対に間違えてはいけないような電話の時は今でもメモがかかせない。で、何を気合い入れて電話したかというと、Chicago White Sox vs. Seattle Marinersのチケット予約。Detroit Tigersのスタジアムにはよく通ったけれど、なんせChicagoはクルマで4時間の距離だから、ちょっと野球観に行く・・・という感じにはならず、White Soxの試合にもスタジアムにも行ったことがなかったのだ。そろそろミシガン撤収態勢に入っている私の、「野球も今シーズンの、見たいんです・・・」とのワガママに乗っかってくださる方4人。ちょうどSeattle Marinersがやってくることがわかり、出かけることになったのだ。この忙しいのにで、もちろんチケット手配は言いだしっぺの私の役目。野球のチケットは、席にこだわらないならTicketmasterのオンラインで購入するのが一番簡単なのだが、これはほとんど席が選べないに等しい。しかも、チケット5枚をオンラインのシステムで検索すると、横並び5席でゲット可能なところしか探してくれないから、2階席や3階席しか買えなかったりする。だから席を指定したければ電話に限る。去年松井を見にTigers vs. N.Y. Yankeesを観に行った時も、電話をかけてバックネット裏の席をさがしてもらったら、前後の席で4席とれるところを見つけてくれ、おかげでバッターボックスの松井をとくと観戦できたものだ。同じように、今回のような、イチローのプレーを見たいからライトにできるだけ近いとこ、なんてことになるとオンラインでは無理。やっぱり電話だ。ところが、これを英語で説明するのは(私には)意外に難しい。そこで、いくつかのパターンで英文を作ってメモしておき、それを手に電話をかけた。電話はあまり待たされずにつながったが、先方の声を聞いて早くもアチャー。ゴモゴモしゃべり系の男性である。苦手なんだよなぁ。面と向かって聞いてても聞き取れないのに、電話じゃかなり辛い。かけなおそうかなぁ、とも思いつつ、とりあえず頼んでみる。「ライトフィールダーに一番近くて、しかもフィールドからもできるだけ近い席を探してるの。BOX104から114くらいまでの間で、一番フィールドに近い席を探してくれませんか?」「無言」「・・・(英語ワケわかんなかったかなぁ)」「・・・5席?」「そう。(なんだ通じてるじゃん。愛想悪い人だなー)」「・・・あったよ。BOX110の7列目。」「エ?! 7列目?! (急いで目の前のコンピュータ上のシーティングチャートを確認して)うわぁ~、すごい!!」「・・・だろ?」(無愛想な声のままだが、ちょっと得意げな響きあり)「念のためになんだけど、ブルペン上はどう?」「・・・あるけど、24列目だね」「あ、じゃぁ、もうその110の7列目でいい。ありがとう!」どうやら、単に口数が少ないだけで、無愛想だとか、私の英語に嫌気がさしてる、というわけではなかったらしい。「じゃ、まず名前から」「〇〇〇、これファーストネームで、△△△、これがファミリーネームね。」「△△△・・・うーん・・・」「△△△って発音するの。知ってるわ。これ、英語ネイティブの人にとっては変な音でしょ」「ハハハ、おもしろいね。」「(あ、なんだ結構ダイジョウブじゃん)」「じゃ、次、住所。」「えーっと、〇△◇の、※※、☆☆・・・・・」「あ、最初のナンバー確かめるよ。〇△◇?」「そう。あ~、私、0(zero)が発音できないのよねぇ。ちゃんと聞こえなかったかな。」「難しい音なんだね。でも全然マシだよ。スペイン語ネイティブの連中は、zeって音がないから『セロ、セロ』って言うからなぁ」「あぁー、知ってるよぉ。去年スペイン語のクラスとったんだけど、先生zeroって言えなかったもんね」「そうだろ(笑)」「私、日本人なんだけど、何回練習しても、英語ネイティブの人が出してる音にならないんだよね。」「あー、日本からか。だからライト・フィールダーに近いとこなんだね。」「あ、わかる?」「Ichiroだろ?」「そうなの。Seattleまで行けないけど、Chicagoなら行けるしね」「いいゲームになるといいね。ま、あんまり活躍してもらっても困るけどな」そう、私はChicago White Soxのボックス・オフィスにかけてるんだから、彼にとってはIchiroは敵のスターなわけです。チケットはすぐにPDFファイルでメールに送られてきた。良かったヨ、ちゃんと説明できて。
April 7, 2005
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4月5日 火曜日&(その1からの続き)その原因はいくつもある。アメリカ内外でいろんな人がこの事態を分析してきたけど、整理すると以下のようになる。まず、9・11以降のアメリカは、反戦、反アフガン/イラク政策=反愛国者という図式が形成されてしまい、Spiral of Silence(沈黙の螺旋)現象が生じている。ヒステリックな風潮の中では、物事を対極で語る傾向が強くなるから、愛国者でも反戦でありえるといった論も、特に公の場でヒステリックな白黒論争に打ち消されてしまう。したがって反戦を唱える社会のオピニオン・リーダー層をはじめ一般市民は、まともな議論にならないため沈黙してしまう。ヒステリーが相手では道理は通じない。冗談ではなく命の危険まであるのだから、沈黙が蔓延しても不思議とは言えない。(大げさに言えば、イチ大学院生にしかすぎない私にしても、日本語だからこうやって好きに書いているが、もし英語でアメリカ人社会の中にあるシステムを使ってブログを書いていたら、恐らくもっとトーンダウンしているor匿名性を高くしていることだろうと思う。私のサイトなど極めて私的なものだから、本サイト・さてらいと版あわせて一日のお客様は250人くらいのものだが、検索エンジンを使えばどこからでもひっかかる。ブログで盛大に反戦を提唱していて、何かの弾みで、日本人留学生である私が書いていることを知ったヒステリックな愛国者に、ある日キャンパス歩いていたら殴られたとか、或いはクルマに乗ったところを撃たれたなんてことになっても、筋書きとしてはさして不思議でもない。私がVIPでないから、余計にそういう危険性がある。例えばマイケル・ムーアを襲ったら、誰がやったのか大騒ぎになるだろうが、私みたいな一般人に何かおこっても取りざたもされないだろう。Patriot Actも問題だが、それよりもっと厄介なのは巷のヒステリックな愛国者の方である。“秘密警察”など存在しなくても、自らその役目を演じたがる人々は社会の中には存在する。その構造は何もアメリカに限ったことではないと思う。随分と大げさな例えを挙げたけれど、そういうことだと思う)マス・メディアも同様である。反戦・反アフガニスタン/イラク政策をポジティブにフューチャーすれば、盛大なバックラッシュと恐らく何百通・何千通という抗議の電話・メール・手紙を受け取ることになるだろうし、スポンサーがつかなくなる可能性も大いにある。商業メディアなのだから、スポンサーがつかなければ番組そのものが作れない。商業メディアである以上、時流にのっかっている方が手堅いのだ。したがって、マス・メディアにインプットされる“反戦論調とその論拠”が少ない上に、メディアはそれを取り上げたがらない。それゆえ、反戦をサポートできる裏付け情報は出回っているのだけれど、破片になってあちこちに散発的に出てくるだけで、そのパズルがつなぎ合わされてビッグピクチャーがメディア・アジェンダ、或いはパブリック・アジェンダに上ってくることがない。さらに別の方向に、この状況をドライブするベクトルが存在する。上のような要素があっても、このドキュメンタリー映画の監督やMichel Mooreに限らず、すでにたくさんの人々が、ブッシュ政権がなりふり構わず戦争に急ぐメカニズムと背景に気づき、全体像を描いている。いろんな障害があったとしても、ブッシュ政権が持ち出した、イラクの大量破壊兵器説なんかよりは、よっぽど辻褄が合っているそれらの全体像が、なぜ大きなムーブメントを形成するに至らないのか。いろんなところに飛び散っている破片が一つになることがないよう、社会が反戦=反愛国心という図式を持ちつづけるよう、注意深くマス・メディアを管理或いはコントロールしているのは誰か。アメリカ憲法の、かの有名な第一条で保護された『言論の自由』だが、この『First Amendment』に唯一勝るのは『Homeland Security』である。2003年、大学院に入って最初の学期でとっていたクラスで、教授がこの点を指摘していた。当時はまだイマイチ良くわからなかったが、今になってその重大性に気づく。『Homeland Security』を盾にとる限り、政権はマス・メディアに対してかなりの管理を及ぼすことができる。少なくとも、世論が『Homeland Security』に気をとられている限りはOKというわけだ。ドキュメンタリー『Rush to War』は、ショートフィルム『On Alert』と同時上映だった。このフィルムはThe American Film Instituteの学生による修士課程仕上げのフィルムだということだ。失業中の元警備員の男は、毎日マス・メディアの報じる「テロの可能性」「テロの攻撃は今日か?」といった報道をクリップしながら、だんだんそれに取り付かれていく。男の目には、何もかもがテロリストの策略にうつる。男は街の美術館の警備員として再就職したが、忘れ物のバックパックを見つけて、テロだと大騒ぎし、一日で解雇されてしまう。美術館の警備チーフに「そんなことではダメだ。俺達はテロに備えなければならないんだ!」とつめよる彼を振り払うチーフを殴りつけて失神させてしまった男は、チーフを自室に軟禁してしまう。パトカーのサイレンが近づいてくる中で、男は・・・・『On Alert』のワンシーン・・・というお話。筋書きはありがちなものだが、今のアメリカに重ね合わせると非常におもしろかった。『Rush to War』の中で、誰かが言っていた。「アメリカがより安全になる方法は、よりいいヤツになるしかないんだ」。多くの人がなかなかそれに気づかず、Homeland Securityのかけ声の元に警備レベルを上げ、アメリカに入ってくる人みんなに指紋と写真を要求し、Patriot Actでeメールまで詮索し、上げ下げされるテロ・アラームを見ながら怯えている。管理・コントロールされるマス・メディアに加えてもう一点。Social Changeにおいてマス・メディアの果たす役割は大きい。その逆は、Propagandaにおいてもマス・メディアの果たす役割は大きい、ということになる。3月13日のNew York Timesが『Under Bush, a New Age of Prepackaged TV News』というタイトルで、ブッシュ政権の下で、夥しい数のビデオニュースがマス・メディアに配布され、使われている事をレポートしていた。ビデオリリース自体は目新しい手法ではないし、TV局側も取材の手間隙と経費を浮かせることができるため、結構ビデオリリース映像を使っているという事実についてはいくつも調査結果が出ている。が、政権が莫大な金と労力をつぎ込んでこれをやるというのは話が違ってくる。それで、教育や医療政策のプロモをやるならまだ話はかわいいが、戦争政策のプロモということになると話が違ってくる。''Thank you, Bush. Thank you, U.S.A.,'' a jubilant Iraqi-American told a camera crew in Kansas City for a segment about reaction to the fall of Baghdad. A second report told of ''another success'' in the Bush administration's ''drive to strengthen aviation security''; the reporter called it ''one of the most remarkable campaigns in aviation history.'' A third segment, broadcast in January, described the administration's determination to open markets for American farmers. To a viewer, each report looked like any other 90-second segment on the local news. In fact, the federal government produced all three. The report from Kansas City was made by the State Department. The ''reporter'' covering airport safety was actually a public relations professional working under a false name for the Transportation Security Administration. The farming segment was done by the Agriculture Department's office of communications….“ From Under Bush, a New Age of Prepackaged News. by David Barstow; Robin Stein. The New York Times, March 13, 2005 (なんちゃって訳:カンザス・シティで、歓喜のイラク・アメリカ人が「ありがとうBush、ありがとうアメリカ!」と、バグダット陥落のニュースに応じてカメラに向かって言う。次のレポートは、ブッシュ政権が航空の安全強化策においてまた新たな快挙を遂げたと報じる。レポーターは「航空史の中で最も素晴らしいキャンペーンだ」という。3つ目は、政権がアメリカ農民のために、市場開放する決定をしたことを報じている。視聴者にとっては、どれもローカルニュースの90秒枠に見えたかもしれないが、これらはすべて連邦政府によって製作されたものだ。カンザス・シティからのレポートはState Department作。空港警備に関するレポートは、Transportation Security Administrationに雇われたPRのプロが、偽の名前でレポーターになりすまして撮ったもの。農業の話題は、Agriculture Departmentのコミュニケーション部が製作したものだ)いやぁ、すごいですねー。
April 6, 2005
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4月5日 火曜日&先週金曜日の夜、第8回East Lansing Film Festivalの一環で上映された、ドキュメンタリー『Rush to War』とショートフィルム『On Alert』を見てきた。会場はキャンパス内の、いつもの週末はキャンパスシネマになる教室のひとつ。キャンパスで観る映画としては高い、学生$5という料金設定のためか、会場に観客は多かったが、学生よりも大学の教員やスタッフ、その他大人の観客の方が目立っていた。『Rush to War』は、9・11の3週間後から、DirectorのRobert Taicherとカメラクルーが西海岸から東海岸をカメラをかついで移動しながらひろった一般アメリカ人の声に加え、政府役人、外交エキスパート、ジャーナリスト、連邦議会議員、元在外大使、ノンフィクション作家、外国人映画監督、反戦アクティビスト、学生のインタビュー、そしてNorm Chomsky、Howard Zinn、元国連武器捜査官チーフのScott Ritter等々の講演会からの引用などで構成されていた。なぜアメリカは戦争をしているのか。なぜ、他国をめちゃくちゃにし、こんなに世界中から憎まれ孤立し、また自国の若い兵士達を毎日失いながら、戦争をしているのか。いろんな分野のエキスパートや知識人が持っている破片をつなぎ合わせて描き出した結論は、「この戦争おかしいじゃないか」映画が終わってから、映画祭に招待されていたこの映画の監督、Robert Taicherによる質疑応答があった。いくつか興味深いやりとりもあった。イランで育ったという女性観客が、フィルムの中で非常にクレバーな中東の人々のコメントが紹介されていたことについて、「こういう、まともなコメントを言う人々を取り上げてくれてありがとう。9・11以降のマス・メディアの中東の人々、中東出身の人々の紹介の仕方はバイアスがあってひどいものだった。中東の人々、中東出身者だって、みんながみんな好戦的なわけではないし、ちゃんと考えてもいるのに、そういう面はちっとも出てこない。」とコメントしていた。9・11以降の中東系の人々に対する有形無形の社会的プレッシャーは凄まじい。第二次世界大戦時の在米日本人社会への扱いがしばしば引き合いに出されるほどである。メディアの取り挙げ方もかなりバイアスがかかっている。同じ女性が、「アメリカの人々は、もっと地理を勉強すべきだ。アフガニスタンとイラクは同じ国ではない。間にはイランがはさまっている。そんな常識的な事を、知らない人が多すぎるのではないか。」ともコメントしていた。いや、ごもっとも。この日記でもしばしば書いてきたけれど、アメリカ人の地理及びその周辺知識に関する知識はかなり怪しい。このコメントで彼女がほのめかしているのは、フセインとビン・ラディン/アルカイダの関連をとりざたしてイラク戦争を始める理由の一つにしたブッシュ政権への批判だと思うが、そのブッシュ政権の言い様に、まんまとひっかかるアメリカ一般大衆の、世界に関する知識の乏しさを彼女は嘆いているのだろう。ある男性観客は「この映画を誰に観てほしいのか」と監督に質問した。「本当に観てほしい人は、たぶんこの部屋に来ている人々ではないと思うが」とつけたしながら。聞いていた私まで思わず苦笑してしまった。これは私が最近勝手に「Super Size Me の法則」と名づけている現象のこと。映画『Super Size Me』は、強烈な啓蒙メッセージを含む秀作ドキュメンタリーだと思うが、本当にこれを見て啓蒙されなければいけない人々はこの映画を見ないのである。(2004年9月23日の日記より)監督は「いや、誰でもみんなに観てほしいと思っている」なんて当り障りなく答えていたけど。若い、学生とおぼしきアメリカ人の兄ちゃんが、ベラベラと自己満足チックなコメントをしていた。まぁ、何か言わなくちゃ、言いたい、という気持ちはわかるのでそれはいいんだけど、「僕が言いたいのは、今日ここへ来ている人たちが、物事の深層をよく見て考えてほしいってことなんだ」とノタマッたのには、思わず苦笑してしまった。あのねぇー、考えなきゃいけないのは、キミ達なんだよ。この日一緒に部屋に座って映画を観た、明らかに他国出身の人々(私たちのような見るからにアジア人を含む)をはじめ、世界中の人々は、アメリカの行動を見て、いろんなこととっくに考えてるの。監督は、アメリカ人自身が気づいてないこと、考えてないことを憂いてこのドキュメンタリーを撮ったんじゃない・・・と言ってやりたかったヨ。監督も苦笑して「たとえばさっきコメントしたイラン育ちの彼女などは、その必要はないじゃないか」と返していたが。現状に対して批判的な視点を持ってるだけマシだけど、アメリカの多くの人々だけが、他国の人々の認識・理解レベルから大きく取り残されていることに気づいてないあたりが“アメリカ的だ”なんて思った。自分だけが事態に気づき愁いている、といった思考回路も青いけどサ。実際、私にとって、このドキュメンタリーが伝える視点も事実もメッセージにも、特に目新しいことはなかった。すでに多くの人が考え、言ってきたことである。例えば、インタビューや識者のコメントの中で、アメリカの短絡的でアグレッシブな中東の石油政策にもしばしば言及していたが、そんなことは今さら・・・というレベルの話である。1993年にD.C.のThe Brookings Instituteが出版した『Do Institutions Matter?』の中で、George Washington Univ. とMITとBrookingsの学者が、アメリカ、カナダ、フランス、西ドイツ(研究当時)、日本、各国の、石油を含むエネルギー政策について比較政策ベースで研究しているが、アメリカのエネルギー政策が他国に比べると短期的で一貫性がなく、しかも多くのveto pointとinterest groupsに振り回される傾向にあることを指摘している。短期的で一貫性がなく、interest groupのvetoにドライブ・・・まるで現状を言い当てているような話だけれど、1993年段階でこういう研究が出てくるんだから、その参考文献リストを見ても、それ以前もそれ以後も多くの人がすでにその点を指摘し、考え、研究してきているに違いない。問題は、それら戦争の原因になっているポイントの数々がアメリカ人の中で論じられていないことではないだろうか。いや、この言い方には大いに語弊がある。だいたい、アメリカ人なんて括り方には無理があるのだけど、その話は今日はおいておくとして、9・11以降だって、私が知っている限りでも多くのアメリカ人がブッシュの政策、アメリカの向かっている方向、戦争そのものに疑問を唱えて、その原因について推論を展開して論じていたし、反戦デモンストレーションだってあった。が、まずいのは、その声や意見がマス・メディアで大きく扱われることがないから、ムーブメントにならないことだ。Social Changeにおいてマス・メディアが果たす役割は大きい。マス・メディアの報道は、一件一件を単発で捉える限りは、一過性の性質が強く、一瞬は大きなインパクトを作れても、後に続くフォローアップ報道がなければ、大きな論調を生み出すには至りにくい。たとえば、New York Timesあたりがブッシュ政権の石油政策を糾弾する記事を一本、充分な裏付け調査と共に掲載したとする。が、この記事に、NY Times自身がフォローアップ記事を継続的に掲載し続け、またNew York Times以外の新聞、TV、雑誌メディアがネタに飛びつき、自らも報じ始める、世論を形成する一般市民の中にある論調を生み出すには至らない。これは、記事にウォーターゲート事件のようなスキャンダル性があれば、周辺メディアがわっと飛びつくので話は別だが、スキャンダル性があるのかないのかグレーゾーン内にある件の場合は、たとえN.Y.Timesが報じてもなかなか追随は出てこない。そうするとその記事は、たまたま目を留めて呼んだ人には問題提起できるし、将来的に、何かのテーマで記事を検索している人の資料になったり、引用されたりすることはあるかもしれないが、大きなムーブメントにはなりにくい。また、たとえその件にスキャンダル性や違法性があって、ワッと他メディアが飛びついたとしても、メディア・アジェンダのキャパシティは常にゼロ・サムだから(単純に言えば、30分のニュース番組が、その日ニュースが多いからといって45分にはならないということ)、その件によっぽどの即日的即物的インパクトが一定量以上の人々にない限りは、やはりその件に関する報道は日が経るにつれてあっという間に減少していく。(それゆえ、企業のスキャンダル報道に対する対処の中に、“とにかく波風を立てずに一定期間をしのぎ切る”という作戦が成立しうるのだ。どんなにメディアに叩かれてもそれは一過性に過ぎず、相当なダメージがあっても、ある程度のブランド力or優位的ポジショニングができていれば、時間さえ経てば事態はある程度落ち着くのが見えているからだが、それは置いといて)9・11以来、一般人並にTV、新聞報道を見てきたが、まずは反戦・反イラク/アフガニスタン政策論がマス・メディアで扱われる絶対量が少なく、その上、たとえどこかで報道されても、それが大きな論調を形成するところまで育たないのだ。(続く)
April 6, 2005
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4月5日 火曜日どうにか課題を終わらせポストして、夕方の道をM氏のお宅まで急ぐ。途中のスーパーでサラダの材料を買い、M氏のお台所をお借りして準備。週日にもかかわらず、7人が集合。バスケット女子決勝戦までに、味噌煮込みうどん、サラダに焼き肉で腹ごしらえをし、いざ試合開始。うーん・・・強い。相手のBaylor大である。みんな小柄なのだが、切れのいいプレーと抜群の機動力でSpartans女子、何もさせてもらえず。ワンゴール返しても、すぐにワンゴールとられる。スリーポイントなんかも決められて、点差はみるみる開く。結局大差で敗れてMarch madnessは終わった。いやぁ、よくぞここまで頑張った。オフィスで仕事中の相方に、メールで結果を知らせたら、「このSpartansが(男女チーム一緒に)歴史的な活躍をした時にミシガンにいて良かったじゃないの」と返事が来た。仰るとおり。ミシガン在住3年半、ここを去る間際になって、こんなに自分の大学のチームを応援できるチャンスがあったなんてラッキーだった。
April 5, 2005
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4月4日 月曜日&・・・机に向かう一日。わき目もふらず。はぁ~。友人が成田から北京経由でモンゴルへの長期出張へ出発するので、東部時間の夜、日本時間の午前中、そろそろ成田でゲートをくぐったかな、という頃合に電話してみる。北京で一泊できるそうで、天安門広場を見に行くと言っていた。モンゴルはまだまだマイナス10度ワールドだが、北京はどうなのかしら。夜が明け始めてからベッドに入った。ペーパーは完成せず。明日、クリアな頭でもう一度読まないと、とても修正できそうにない。
April 4, 2005
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4月3日 日曜日昨日はたっぷり遊んでしまったので、今日は朝からせっせと机に向かう。修士論文を書いてる間に大いに遅れをとったオンラインのクラスの課題もやっつけないといけないのに、日本からパラパラと頼まれ仕事も舞い込んで、それもどうにかこなさねばならず。良いお天気の戸外を眺めつつ、結局一歩も外へ出ずに日が暮れた・・・といっても、昨夜からサマータイムが始まって、一時間前倒しで進行しているので、すっかり日が暮れるのは20時半頃なのだ。男子同様ファイナル4まで勝ち上がったSpartans女子バスケットボール準決勝。仕事しながら見ていたのだが、後半開始直後に16点差が着いた時には、昨夜ズルズルと点差をあけられて負けた男子の試合の二の舞を見るようで気がのらず、できるだけ横目で見る程度にしていたのだが、ガンガン追い上げはじめたラスト5分は、もうすっかりそっちのけでTVの前で大騒ぎ。混戦の末逆転、そして見事なインターセプトから鮮やかなドリブルシュートで駄目押しのゴールが決まると、思わずガッツポーズ!すごい~!! 見てよかったヨ・・・と興奮冷めやらぬところへ、M氏から仲間内へ一斉メールが入る。火曜日夜の女子決勝戦を見るための「召集」である。宿題が終わればモチロン参加。いや、そのために、終わらせるぞー!
April 3, 2005
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4月2日土曜日朝、5時過ぎに目が覚めてしまい、「うわぁ、5時過ぎてる!!」と時計を見てびっくり跳ね起きてから、もう土曜日にはこんなに早く起きなくてもいいことを思い出して大苦笑。習慣とは恐ろしいもの。おかげで、寝坊は一度もしない2年間だったのだけど。そこからお茶を飲んで、仕事のない喜びをかみしめつつ、ゆっくりベッドにもぐりこんだのがいけなかった。携帯電話の音で再び目覚めると、10時10分。今度こそ、うひゃぁ~。M氏とM女史と10時に待ち合わせをしていたのに、寝過ごしたのだ。M氏も電話の向こうで苦笑されている。ゴメンナサイ(泣)。迎えに来てくださるとのことで、大慌てで着替えて出かける。今日は、1時間ほど離れたデトロイト近郊のノバイまで、買出しに連れていっていただくのだ。結局40分以上も出発を遅らせてしまい平謝りである。遅刻したくせに、ノバイではM氏にランチを奢っていただき恐縮・・・。これまで知らなかった和食レストランだったが、すし定食のおいしかったこと(感涙)。満腹幸せな胃袋を抱えて、日本人がパンを焼いてるパン屋さんで食パンとあんぱんをゲットし、日本食材マーケットでY女史から指令のあった今夜の鍋料理の材料も購入。ついつい、自分のチキンラーメンも買ってしまったり。うーん、こういうものが食器棚にあると、非常に危険なんだけど。快調に街へ戻ってきたら夕方4時。今夜の男子バスケNCAAトーナメント準決勝戦のTV観戦鍋の会は7時から。2時間ちょっと勉強してからM氏のお宅へうかがう。今日はN氏のお誕生日も“ついでに”お祝いしようということで、バスケには興味ないと仰るO氏も参加。総勢10人になった。Y女史調理による石狩&家康鍋で乾杯。そしていよいよSpartansの試合。強豪North Carolina相手に前半リードしちゃったのがまずかったかなぁ。後半に入ってからバタバタバターっと点をとられ、後は追いつけず。コーチIzzoの顔にあきらめかのような笑みがあるのを見て、Spartansの2005年NCAAは終わったことを感じる。North Carolinaのエース、Mayが化け物ぶりを見せつけてくれるのに対し、Spartansは、Kentucky戦では決まっていたシュートも攻撃も通用せず。無理もないよ。これ、全米大学の準決勝なんだもん。どこのチームも強いに決まってる。いやぁ、ここまで良くがんばった。充分夢を見せてもらったよ。ハーフタイムの間に、M氏と一緒に今日は試合観戦のために無料開放されているキャンパスのアリーナ、Breslin Centerまで行ってみた。思ったより人が集まっていて、アリーナ上の4面スクリーンで試合を見ている。音響さんも会場に来ているようで、TV放送の音とは別に、後半戦の最初には応援歌のFight Songも流されたりして気がきいている。一緒にFight Songを歌い手拍子して、後半戦開始を見守った。5分くらい見ていて、ワンプレーごとにオーッとかワーッとかなってる会場を後にして、走ってM氏宅まで帰ってきたら、えらい点差をつけられていた。ファイナル4戦で負けて、大学当局も地域コミュニティも心配していた「暴動」はどうなったか。やはりダウンタウンでは人が集まったそうなのだが、まだ「暴動」というほどでもない段階で警察が催涙弾を放ったとかで、今現在(4月5日)大いにもめている。この試合後の、ダウンタウンとキャンパス傍のアパートメントコンプレックス計2ヵ所の騒ぎの中で、結局43人が逮捕され半分が大学の学生だったそうだが、警察のアクションはprematureだったとして、随分非難の声もあがっているそうな。どうなることやら。それにしても、運悪く巻き込まれた類は別にして、あれだけ「やるな」と言われるのに騒動を起こすのは、「やるな」と言われるからこそわざとやる、という確信犯なのだろう。バカをやりたい年齢の身に覚えは大いにあるけれど、何にせよ子どもじみた話ではなかろうか。
April 2, 2005
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出たきり邦人・北米・オセアニア編330号/4月1日配信号に掲載していただいた原稿です。---------------------------------------------〓アメリカ・ミシガン発〓道草みのむし三十路のみしがん第19回★Big Dance on and around the campus「それにしても、スポーツの話題が多いですねぇ」と時々メールをいただく。私が体育会出身だからということもあるが、なんせ娯楽の少ないこの中西部のド田舎では、スポーツ以外にさしたる楽しみがないというのも原因の一つ。とは言え、いつもスポーツの話ばかりではイカン、と今月は全然違うトピックを準備していたのだが・・・あまりにもホットな出来事が現在進行中なので、やっぱりスポーツの話題。しかし、ここはアメリカ。残念ながらサッカーの話ではありません。こちらは大学バスケットボールシーズンたけなわなのである。“March Madness”とか“Big Dance”と聞いて、NCAA男子バスケットボールトーナメントのことだとわかる方は、アメリカン・カレッジスポーツファンに違いない。アメリカにいると、3月中旬から下旬にかけては、スポーツチャンネルでも新聞でもこのフレーズばかりが飛び込んでくるようになる。全米大学バスケットボールの頂点を決めるこのトーナメントは、全米スポーツファンにとっては3月の風物詩でもあるのだ。今年このNCAA男子トーナメント、そして平行して行われているNCAA女子トーナメントでウチの大学のチーム・Spartansが揃ってまさかの快進撃。4月1日時点で、男女共にファイナル4まで勝ち進んでいて、今週末の準決勝戦に向け、大学町は文字通り大騒ぎになっている。男女揃ってのファイナル4進出は史上6校目の快挙だとか。Spartansの男子は、2000年のNCAAトーナメントで優勝し、その時の話は今だに教授・学生問わずに好まれる伝説。それ以前には、マジック・ジョンソンがエースだった1979年にもタイトルを勝ち取っていて、バスケットでは有名校のひとつ。特にヘッド・コーチのTom Izzoは若い選手・若いアシスタントコーチを育て上げることに定評がある有数の名監督。2000年のチャンピオンシップも彼による功績だが、大学コミュニティを虜にしたのは、彼が数々のNBAチームからの巨額オファーを断って、Spartansを率い続けていること。北部ミシガン出身の彼の、その破格のロイヤルティが、このコミュニティの彼への支持を絶対的なものにしている。キャンパスショップで人気のTシャツのひとつは“Izzoism”とプリントされたものだし、2000年の大統領選挙の折、この界隈で一番ポピュラーだったバンパーステッカーは、ブッシュのものでもゴアのものでもなく、“Bush×、Gore×、Izzo 〇”というものだったほど。デトロイトの大手新聞は彼のことを「単なるヘッドコーチではない。大学全体の大使なのだ」と称した。そんなIzzoに率いられながらも、2000年以降のSpartansは揮ったり揮わなかったりで、2001年こそファイナル4までいったが、2002年は初戦敗退、2003年はエリート・エイト、昨年はまたしても初戦敗退で、話題にすらならなかったものだ。それが、第5シードでスタートした今年のトーナメントでは、スウィート・シックスティーン(ベスト16)戦で、大本命・第1シード校のDuke大学を破ってスポーツ・コラムニスト達をあっと驚かせ(いや、慌てさせ?!)、先週日曜日のエリート・エイト戦では、第2シード校の強豪Kentucky大学を、目まぐるしいシーソーゲームと二度にわたる延長戦の末に下して、ファイナル4をもぎとったのだ。たかが大学スポーツで“街中が大騒ぎ”とは大げさな、と思われるむきもあるかもしれないが、アイビーリーグ校でもなければ、東海岸や西海岸の超有名校でもない地方州立大学にとって、大学スポーツが果たす広告塔としての役割は生半なものではない。全米ネットワークやスポーツチャンネルで盛大に放送されるバスケットボールやフットボールの出来は、大学の寄付金集め、優秀な学生のリクルーティング、スポーツ特待生のスカウト、或いは卒業する学生の就職活動に至るまで、良きにつけ悪しきにつけ、大学経営のあらゆるところに影響を及ぼす。大学の名声が上がる・・・以上に具体的な波及効果があるから、ウチのようなマンモス大学がスポーツチーム運営にかける気合はハンパではない。この快進撃による財政面でのプラスはすでに見え始めている。例えば、ウチの大学が所属するBig Tenと呼ばれる11の大学からなるスポーツカンファレンスは、今回のトーナメントで3チームがエリート・エイト進出を果たしたことによりメンバー大学それぞれが130万ドル(約1億3650万円)を受け取ることになる。お金の出所は、NCAAとトーナメントのTV放映権を持つCBSスポーツとの契約金。このインセンティブをどう使うかは、各大学に一任されているそうだ。大学当局はもちろん、キャンパス内外の騒ぎは言うまでもない。日曜日試合直後から、日刊の大学新聞はもちろん、地元紙、地元テレビ局、そしてデトロイト地区の新聞やテレビ局にいたるまで、ファイナル4進出に大フィーバー。ダウンタウンの大学グッズショップも火曜日にはファイナル4・Tシャツや帽子を売り出し、飛ぶように売れているそうな。大学新聞のオンライン投票では、66%の回答者が何らかのファイナル4グッズを買うつもりだと答えている。大学側は今週土曜日の準決勝戦では、キャンパス内のアリーナを、セントルイスで行われる試合を大型スクリーン観戦するために無料開放することを決定し、ローカルニュースやケーブルチャンネルでその案内が流されている。同じBig Tenカンファレンス内でファイナル4まで生き残ったIllinois大学とSpartansのオフィシャル・ファンチームは、セントルイスの会場前でお互いに応援Tシャツを交換し、互いの健闘を祈ることにしたそうだ。この話題がこんなにホットなのは、ただ浮かれ騒ぎばかりでなく、大学街コミュニティにはさらなる深刻な懸案もあるためだ。1999年にSpartansがファイナル4戦でDuke大に敗退した時、ダウンタウンで約1万人の暴動が起こり、クルマに火をつけるは、商店の窓ガラスは割るはで被害総額25万ドル(約2625万円)という騒動になった。投入された催涙弾類は135発、132人が逮捕され、うち72人が大学の学生だったこの暴動で、全米に“暴動大学”というおよそありがたくないニックネームが流布してしまった。大学側もいろいろ対策を講じたのだが、2003年、エリート・エイト戦でテキサス大に負けた時にも再び暴動発生。規模は2000人と前回よりマシだったが、被害総額4万ドル(約420万円)、催涙弾など135発が投入され、30人が逮捕されてしまった。さすがにこの時には州議会も怒り狂い、州立大学への予算カット提案が議会で取りざたされただけでなく、州政府・市政府共に、使用した催涙弾の請求書を大学へ転送するか否かといった話まで持ち上がったほどだった。そんな経緯があるから、日曜日のエリート・エイト戦直前のダウンタウンはあちこちにパトカーが待機。試合直後のローカル・ニュースのダウンタウン中継は『暴動ナシ』の大見出しでスタートするという有様。大型スクリーンを備え、スポーツゲームの折には客で溢れるダウンタウンのレストランやバーでは、店で使う食器を、陶器やガラスからプラスチックに変えて土曜日の準決勝戦に備えるのだそうだ。キャンパス界隈では、“節度ある観戦パーティ”を訴えるチラシやポスターがいたるところに張り出され、ローカルラジオの公共アナウンス枠でも同様のメッセージが流される。大学当局が今日行った記者会見では、学長が地元警察と市当局のスタッフと一緒にプレスの前に立ち、大学側の暴動防止にかけたやる気と本気をアピールしていた。さらに今日昼過ぎには、大学留学生課からメールが届き、留学生課のホームページ内に特設された『Celebration 101』というページを読めとのお達し。当のページは「暴動は逮捕の対象」、「あまりよく知らない人々とのパーティに出かけるな」「パーティによる騒音行為は1000ドルの罰金と3日間の刑務所」「誰かが急性アルコール中毒になった時には」と微に入り細にわたる内容を、非常にわかりやすい英語で説明してあった。続いてアカウントに届いたメールの差出人はなんと『Coach Tom Izzo』。「Make no mistake, the world is watching... Your celebrations have been full of Spartan Pride and they’ve been appropriate and respectful of others.(適当訳:世間が注目する中で過ちを犯すな。キミ達の祝い方はこれまでSpartansの誇りにかない、適切で他への敬意もあったのだから)」3段落にわたるe-mailは、これまでのサポートに感謝を述べつつ、暗に「暴動は起こすな」というメッセージだった。大学当局、スポーツ運営部、学内の各セクションやキャンパス自治警察、市当局や地域警察と周辺コミュニティが連携した危機管理対策が透けてみえる。いい加減懲りているからとはいえ、大学と周辺コミュニティ、大学生と周辺コミュニティが、隣の他人ではなく同じコミュニティのメンバーとして普段から関係を築いているからこそだとも思う。東部時間の4月2日土曜日夜、SpartansはNorth Carolinaと決勝進出をかけてのゲームである。下馬評では断然North Carolina有利というゲームの勝敗の行方は、もちろん気になるどころの騒ぎではなく、私も友人10人と誘い合わせてTV観戦の予定だが、ゲーム後のキャンパス界隈の動向も気になるところ。地域コミュニティあげての危機管理対策が機能してほしいものだ。今週末はまた氷点下、雪模様になるらしいミシガン。三寒四温で、少しずつ春の気配が感じられるようにはなった。バスケット騒ぎが終わる頃には一気に春がやってくることだろう。Pupa
April 1, 2005
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3月30日水曜日机に向かって勉強していたら、窓の外を何か大きな物体が通りかかる気配。顔をあげたら、大きな鳥が二羽、ゆうゆうと歩いて、丘の上の雑木林へ向かっていた。慌てて構えたカメラは間に合わず、随分鳥が小さく写ってしまってますが、実際には、身長が70cmか80cmくらいはありそうな大きな鳥で、ニワトリの3~4倍はありそうな図体である。この鳥を見かけたのはこれが初めてではなく、秋にも十数羽の群れでやはり、丘の上の雑木林へ向けて悠々と歩いていっていた。昨日は、窓のすぐ外でガサガサ音がしたと思ったら、ふわふわのしっぽが、窓の前を行ったりきたりしていた。大きなリスが何か食べ物をみつけて食べているのだ。美しい月夜だった昨夜は、ルームメイトが12時ごろ帰ってきて、「アパートの前の丘の下に、鹿が3頭いたよ」と言っていた。先日は、買い物して帰ってきたら、アパートの戸口のところで私の足元を、うさぎが二羽駆け抜けていった。ぐっと暖かくなって、今日の最高気温などは大阪や東京よりも高かったほど。動物も活動しはじめて、自然保護区域に隣接するこのあたりは、サファリパーク化しているらしい。ミシガンの冬には何の未練もないが、この環境とおさらばすることだけはちょっと惜しい気もしたりして。
March 30, 2005
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夕方、先日退職した土曜日の勤め先の校長先生からお電話をいただいた。マヌケな私が、大事な書類を持ち帰ってしまったため昨日それを送り出してあったのだが、校長先生はそれが届いたということと一緒に、昨年のうちに帰国した中学3年生の生徒のひとりが、地元の高校に見事合格したことを知らせてくださった。やったぁー!! これで、昨年担任していた現中学3年生は、全員高校進学が決まった。今年彼ら彼女らの担任だったO先生も直後にお電話をくださり、二人で「本当に良かったですねぇ」としみじみ言い合った。O先生など、今年直接担任されていたのだから、本当にほっとされたことだろう。昔、高校の先生や予備校のテューターが大学合格を喜んでくれた時も、「まぁ、お仕事だし喜んでくれるんだろうな」などと、心の中では多少冷めて、というか遠慮して思ってたところがあったものだが、今さらながら、先生たちもテューターも心底喜んでいてくれてたんだな、と思う。高校生になる彼ら彼女ら一人一人が、それぞれの生活を精一杯生きていってほしいなと心から思う。この知らせのおかげで、今日は本当にいい一日になった。
March 29, 2005
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相方の誕生日。老けた見かけからはイメージできないが、ようやく30歳になってくれて、一番喜んでいるのは私である。もう20歳代と30歳代ではなく、三十路同士である。もともと、年下男とつきあうことになるなど、絶対にありえないと思っていたのだが(私の好みは、高倉健に緒方拳に渡辺謙ですから)、ヤツのふけた物腰と物言いのせいで、最初に会った時に同い年かちょっと上だと思い込んでしまったのだ。(騙したのか、思い込みかは未だ決着のつかない議論)付き合い始めたのは私が30歳になる直前で、たまたま私の誕生日前後の日程でニューヨークへ行くことにしていた相方にひっついて、私もマンハッタンへ行った。9・11からまだ2ヵ月のニューヨークで、グランドゼロとその周囲の復興の様子を見て、いろんなことを話し合った。滞米3ヵ月程度で、まだまだアメリカへの理解が足りなかった私に、相方がいろんな背景や事象を説明していたものだ。翌日は私の30歳の誕生日という夜は、メトロポリタン・オペラへ連れていってくれた。翌日から公演だった「椿姫」のチケットはべらぼうな値段だったので、その前日の、あまりメジャーでないプログラム「ルイザ・ミラー」。学生の身分では天井桟敷でも贅沢なほどだったが、(ぎりぎり)身の丈範囲内で奮発してくれた模様。前もってストーリーも予習していたし、相方も私もヘビメタよりクラシックという好みだから、文字通り素晴らしい公演を堪能して外へ出たら深夜を過ぎて誕生日になっていた。素敵な30歳のプレゼントだった。自分はそうやってちゃんと祝っておいてもらいながら、私が相方の記念すべき30歳の誕生日にしたことといえば・・・カードを送ったことくらい(爆) 言い訳するわけじゃないが、祝ってくれるなら5月に私が一時帰国してからがいいと言うし、何かほしいものはないのかと聞いても何もないというし、相方が毎年私の誕生日に贈ってくれるようなバラの花束を、(むさくるしい)単身男所帯の相方に贈ってもしかたがないし・・・というわけで、とりあえずはペンディング。30歳になるまでに・・・と本人が思っていた目標はどうにかクリアして迎えた30歳代。働き盛りのがんばりどころで、プレッシャーもジレンマも増えるでしょうが、まぁ何より健康には気をつけて、30歳代を楽しんでほしいと思う。
March 28, 2005
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全米大学男子バスケットボールのNCAAトーナメントが大詰めになってきた。そして、なんと我がSpartansが、今夜Kentucky大を破ってFinal Four進出を決めてしまった。Go Green!!そもそも、金曜日夜に、第1シード校の大本命、Duke大を破ってElite Eightになった時点で、びっくりだったのに、第5シードのSpartansが、第2シードのKentucky大に勝つなんて、この街の外では、誰も想像すらしなかったかも。金曜日にElite Eightになった時に、スポーツ好きの仲間うちで、日曜日の夕方はTV観戦のため集合、という段取りが自動的に決まっていた。で、誘い合わせて8人も集合、しかも両脇が空き部屋で大騒ぎしてもダイジョウブという、スポーツ観戦にはおあつらえ向きのM氏のお宅におしかけた。下馬評はもちろん、Kentucky大が有利。TV桟敷ですら、「ウチがKentucky相手にどこまで喰らいつけるか」という感じだったのに、なんとわずかなリードを保って第二セットも終わりかけで終了間じかまでこぎつけた。「おぉぉ、勝っちゃうよぉ!」と思ったのも束の間。さすが相手は名だたる強豪。ラスト1秒で放たれた3点シュートが、ホイッスルと同時にバスケットへ飛び込む。ぎゃぁぁぁぁぁ~・・・。が、実はこれは、この試合のドラマの始まりにしか過ぎなかった。Kentucky大渾身と気合の3点シュートは、シュート時にラインを踏んだか踏まなかったかで、審判陣がコート横の小さなモニターの前でフリーズして判定する大騒動に発展。身じろぎもせず、モニターを見入ってチェックしている審判陣の判定を待ちくたびれて、TVアナウンサーまで「Whatever, let’s play!」なんて言い出してしまうほど。TV桟敷ももちろん侃侃諤諤。何度も繰り返してReplyされる、問題のシュートシーンを見ながら、「踏んでる?」「いや、踏んでないかも」「シューズの底が白いのもまずいよ」とぎゃぁぎゃぁ。審判団も困ったことだろう。なんせ、このシュートを有効にすれば、Kentucky大が土壇場においついて、試合はオーバータイムに突入。しかも、しかもシュート時のチャージに対してファールをとることにしたら、Kentucky大がフリースローをゲットして、恐らく逆転勝利。でも、そうしたらSpartan側は黙っちゃいないわけである。散々待った挙句、3点シュートはカウント、ファールはなし、ということで試合はオーバータイムに突入。気持ちが切れかけのSpartansはオーバータイムの立ち上がりが悪く、ボンボンと点を取られて差をつけられた。もうダメか・・・と思ったら、ここでまさかの粘りを発揮、これまたラスト秒単位のがんばりで同点に追いつき、試合は2度目のオーバータイムへ。見ているこっちまで胃がよじれそうだが、相変わらずのシーソーゲームを制して、最後にSpartanが勝ちをもぎ取った!ホントに勝ったよぉ!!2000年にはこのNCAAトーナメントを制し全米1位になったSpartansもその後は、2001年Final Four, 2002年は初戦敗退、2003年はElite Eightまで、昨年は初戦敗退で、話題にすらならなかったものだ。それが、今年はFinal Fourを成し遂げたとは。しかも、Spartansの女子バスケチームも、この試合の直後に女子トーナメント戦を戦い、なんとElite Eight進出を果たした。まさにGreat night. このNCAAトーナメントは、March Madness とか Big Danceというニックネームを持つほど、この季節のカレッジスポーツの風物詩。Elite Eight戦からは、もちろん全米ネットワークで生中継。ESPNやらFOX Sportsも臨戦態勢で報じる。ベスト16はSweet Sixteen, ベスト8はElite Eight, ベスト4は Final Fourという特別な呼び方もある。「なんでSweet Sixteen、Elite Eightなのかしら」、と話題になり、みんな調べたりもしてみたが、語源は見つからず。私はN氏の「駅伝で「花の1区」とか言うじゃないですか。アレと一緒じゃないですか」という解説に一票。そして、今年のFinal Fourをかけたマッチはいつもに増して暑かったらしい。ESPNのPat Fordeは「Four games. Four total overtimes. Four incredible competitions, all decided by single digits, all containing last-minute drama, all with a great back story to tell……Four games. Four overtime periods. Four hundred memories. Four thousand thrills.」と書いていたが、この日は他3試合もすごかったのだ。次はいよいよFinalをかけて、土曜日にNorth Carolina戦である。ESPNのオンラインPollでは、現在North Carolinaがトップで、次にIllinois、そしてLouisville、最後にSpartansでたった9%の優勝予想だが、私にとっては、もうここまでいいゲームと夢を見せてくれたのだから言うことなし。日曜日にTV桟敷で、またまた一生懸命、Go Green!と応援するだけである。のりのり・オマケSpartans Fight Song
March 27, 2005
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土曜日の勤め先は引継ぎをする最終勤務日。今週はチョコチョコと、2年前前任の先生から引き継いで以来使用してきた指導書や教科書に加え、新たに買い足していただいて使ってきた参考書や問題集を整理し、その他後任の方に参考にしていただけそうな資料などなどを詰めていったら、結構思い切っていろんなものを処分したと思ったのに大きな紙袋2つ分になった。そっか、こんなにモノを使ってたんだっけ。紙袋を抱えてヨロヨロしながら、通勤バスに乗り込む。この黄色い小型スクールバスに乗るのも今日が最後かと思うと・・・ウレシイ(爆)。朝7時集合のはずなのになかなか来ないし、狭いし揺れるし夏は暑いし、ホントこのスクールバスってのは、1時間以上も移動するようには作られてないものなんだ、と思ったものだ。時間にはルーズでも、気のやさしいいいドライバーさんだったけど。バスの中で、私の仕事を引き継ぐ新任の先生と初めて顔合わせ。友人のO氏から、同窓で寮仲間の方だとは聞いていたが、お目にかかるのは今日が初である。誠実で真面目そうな方で、生徒達もラッキーである。退職者が一人だけだった昨年に比べて今年度末は、12人の常勤教師のうち5人が入れ替わる。新任の方5人のうちお二人は以前からの知人だったから、バスの中で近況を交換。年度末の引継ぎ日は、私が着任し、3人が入れ替わった私が着任した年にはなかったものだが、今年は学年度末の一日が、児童・生徒は学校お休み、新旧の教師は全員出勤して引継ぎや新年度の準備に時間をあてることになったのだ。大賛成である。私が着任した時は、事前にサブ教員として学校へ来たこともなくいきなりの採用・着任で、引継ぎは週日にキャンパス近くのカフェで前任の先生とお話しただけ。当時はクルマもないから1時間以上離れたところにある学校や教室を自分で見たこともないままに初出勤し、始業式・入学式。そして1時間後には授業開始と、なんともひどい状況だったものだ。もちろん、状況に文句を言ってる場合ではないし、やらなくちゃいけないことをただ全力でやり、サバイバルを試みた初出勤日だったが、この状況で責任もって仕事をしろ、生徒との対応やteachingのクオリティを作れ/保て、生徒の特に安全面について管理することを求められても/期待されても困る、と痛切に思ったものだ。だから、校長先生が今年度のスケジュールを作ってくださった時に、年度末の一日を引き継ぎ日にあててくださったのにはもう大賛成だった。後任の先生が同じような目に合われたのでは、お気の毒すぎるし、改善のない組織にロクなことはない。朝のうちは、生徒の一人が、2週間前に風邪をひいて受けられなかった学年末試験を受験しに来て、そのテスト監督をしながら雑務整理、続いて引継ぎ開始。普段ランチは自分で持っていくお弁当なのだが、今日は校長先生と事務員の方のお取り計らいで、近くのインド料理レストランでビュッフェをよばれる。お料理もおいしかったし、先生方とのおしゃべりも楽しかった。学校に戻って引継ぎの続き。2時を過ぎて、来年度も勤務される先生方は会議に入り、私は片付けたりしていた。そうこうしているうちに、先週からの予定どおり、生徒の一人が学校へ到着。キャッチボールをする約束をしていたから、私の予定に合わせて学校まで来てくれたのだ。私はグローブもシューズも持ってきていたし、このために今日はパンツスタイルでやる気満々。ヒールから履き替えてグランドへ出た。このキャッチボールの経緯は、冬の初め頃に、クラス唯一の男子生徒で野球少年の彼と示しあわせて昼休みにキャッチボールをしたのだが、「またやろうね!」と約束したのにその後は雪が降って本格的な冬になってしまいできずにいたのだ。先週やっと雪が融けたから、終業式の日に、もし来週雪が降らず、お家の方がいいよと仰ったらキャッチボールをしよう、と約束したのである。生徒同士で相談していたらしく、もう二人、バトルクリーク在住の生徒もやってきてくれたし、さらには彼ら彼女らの昨年度の担任で、今年同様に退職されるY先生もお誘いして、グランドで5人で輪になってキャッチボールをした。もう肌寒くはないし、芝のグランドも春らしくなってきたし、たった20分くらいだったが、しっかり汗までかいてキャッチボールを楽しんだ。さすがにリトルリーグで野球をやってる彼のピッチングはうまい。私にキャッチボールを教えたのも、ボールやグローブを買ってくれたのも相方だが、教わっておいて良かった、と思った。呼ばれて職員室に戻り、先生方寄せ書きのカードもいただいて、終会も終了。別の街にお住まいの社会人採用の先生方にお礼とご挨拶を申し上げ、何かと親切にしてくださったカストディアンさんのDさんにも用意してあったプレゼントを渡すことができ、もう通勤バスが来ているからとせかされながらバタバタ荷物をまとめて外へ出たら、さっきキャッチボールをした生徒たちが待っていてくれた。元気な声を聞きつつ、肩を組んで写真をとってもらい、ハグして握手してバスに乗り込んだら涙が出た。休みの日なのに都合をつけて学校までやってきて見送ってくれた、彼ら彼女らの優しさと行動力には感服した。彼女らは「ありがとう」と言ってくれるが、「一年間ありがとう」、と言いたいのはこちらの方である。街へ着いて、O先生とカフェで引継ぎの続き。そして7時に、T先生、O先生、S先生、H先生と中華料理レストランで待ち合わせた。T先生が数週間前から声をかけてくださり、段取りしてくださっていたのだ。中華料理屋でワイワイ、四方山話をしつつご馳走になる。みんな疲れてるし、忙しいスケジュールの中なのに、その心遣いが身に沁みる。昨年、やっぱりこうやって近い同僚と集まって、退職した同期の退職祝いディナーをしたものだが、それから一年。長いようで、あっという間だった。同期・同僚に恵まれて、仕事に専念させてもらえたことは本当に感謝である。家に帰り着いたら、オハイオのT女史や、今日もオフィスでお仕事されていたらしいY女史からも「お疲れさま」とメールやeカードを贈ってくださっていた。相方も「2年間よくがんばりました」と電話してきてくれた。励ましてもらったり、悩みや愚痴を聞いてもらったり、友人や相方にもお世話になってきた。母や従姉にも。教材にする本や新聞記事を送ってもらったり、ネタをもらったり、随分サポートしてもらった。たった2年、週に一回だけの勤務のはずなのに、多くの人をお騒がせしつづけたものだ。いろんな意味で、私の大学院生活とは切っても切り離せなかった2年間の勤務が終了。心からほっとした。
March 26, 2005
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何か書く気合がないので、写真だけ・・・ 教授に、とりあえずドラフトを送り出した直後の机の上。この反対側にあるコンピュータデスクの上は、人格を疑われそうなほどぐちゃぐちゃなので、写真を撮るのも恐ろしかった。日本で仕事してる頃に、机の上がぐちゃぐちゃな奴は仕事もできないって言われたような(苦笑)
March 25, 2005
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朝から、なんだか耳慣れた、でも久しぶりに聞く、ガガガガガガガガ・・・という音が聞こえてきた。アパートのメンテナンスのお兄ちゃんが、元気に裏山の芝を刈っている音だ。まだところどころ雪が残っているが、大方はこの数日で融けている。雪もなくなっていよいよ、芝でも手入れしようかという春が来たらしい。北国ミシガン、とは言え、あと一雪か二雪は覚悟しなければならないだろうが、それでもこの雪解けの雰囲気は、いよいよ春が来たー、という感じである。ワケもなく外出したいような日だが、相変わらず熱はひかないし、やたら具合が悪いし、顔のブツブツは増えてるし、図書館へ行くのすらあきらめて部屋に篭って書いていたが、夕方、ちょっと元気を出して、クルマで5分の郵便局へ荷物を出しにいった。運良く、顔なじみの窓口のおばさんにあたり、荷物を処理してもらいながらおしゃべり。「春が来たのかしらね」と言ったら、「そうね、今度こそ春がきてほしいわ。できれば、長めの春がいいわね。ほら、よくあるじゃない、春になったと思ったら、たった一週間くらいで夏がきちゃうこと」と言う。ふーん、ミシガン人もそう思ってるんだ。なんせここでは、ついに春到来!と思ったとたんに初夏が来るような変動ぶり。アメリカ人の学生など、昨日まではフリース着てたくせに、翌日はタンクトップだったりするほどである。いや、大げさでなく。“四季のある国”から来たものにとっては、なんとも情緒に欠ける気がするものだが、ミシガン人もそう思ってるとは知らなかった。帰り道、大学の放牧場の横を走っていたら、馬がたくさん放牧場に出ていた。冬の間はその数も少なかったものだが、暖かくなって厩舎から出ている数も多いのだろうか。少し小高くなった丘の上に褐色のシルエットが何頭も見えて、これまた春っぽい景色だった。ミシガン最後の冬も、そろそろ終わりなんだなぁ、と嬉しいやら感慨深いやら。
March 22, 2005
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4月末から約一週間、母と一緒に念願のヨーロッパ旅行である。私に土曜日の仕事があるうちは、母が休みがとれても私が土曜日をまたいでは休みが取れず・・・という状況だったのだが、今月末で仕事は終わりだから、来月からは土曜日を気遣う必要がなくなるし、今学期は論文以外はオンラインの一クラスだけで自分で前倒しができる。しかも、まだ就職が決まってるわけでもないから、恐らくこれからの人生の中でも稀なフレキシブルさである。そんなこんなで、ようやっと行ける段取りになったのだ。旅行業界ベテランの従姉のおかげで、母が日本-ヨーロッパを往復するチケットも手配されたし、私のアメリカ-ヨーロッパ往復チケットも、Northwestの気前のいいプロモーションのおかげでかなり安く手に入った。論文のために、昆虫標本張りに机に張り付いてる毎日だが、チョコチョコと、このヨーロッパ旅行の準備をするのが唯一の気晴らしで、楽しんでやってるのだが・・・突如問題発覚。母がパリへ着くのが4月30日。そして翌5月1日(日)はなんとメーデー。パリからブリュッセルを経由してドイツへ入り、帰りはアムステルダムから飛行機に乗るのだが、メーデーが国の休日になっているベルギーでは、ブリュッセルでもかなりの美術館やレストランが閉まってしまうというのだ。しかも、翌2日は月曜日で、定休日という公共施設も多く、おやまぁ、という感じ。王立美術館や楽器博物館にメールしてみたが、やはり5月1日は休みとか。こりゃぁ、まっすぐドイツ入りかなぁと思っていたところへ、ブリュッセル観光のワタシ的一番の目玉、王立Toone人形劇場からは、「5月1日も開いてるよ」と返事が来た。しかも、「あなたが遠くの国から来るなら、席の予約は心配しなくていいですよ。用意してあげるからね」となんとも心温まるメッセージが添えてあって感激。このメール一通でブリュッセル1泊・半日観光決定。6年前に行った時にも、散歩するだけでも素敵な街だったし、社会科系の母とECのセンターシティを訪ねるのは何もなくても楽しいだろうし。一年の半分は雨という都市だから、天気だけが心配なのだけど。
March 21, 2005
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(これが、3月19日・土曜日の日記) 2年間勤めてきた土曜日の勤務先で、今日は卒業式・修了式・離任式があった。去年担任し、今年は公民を教えていた中学3年生が卒業、今年担任していた中学2年生は修了して終業式、そして、今年度いっぱいで退職させていただく私の離任式である。幼児部から高等部まで一緒に勉強しているこの学校では、卒業式も商学部・中学部・高等部合同で行う。卒業と言っても学校の特性上、高校生以外は、また新学年から新学部で勉強することになるから去年はあまり感慨がなかったが、今年は昨年・今年と教えた学年が卒業するというので、次々に名前を呼ばれ、修了証書を受け取る姿を見ていたら、彼ら彼女らそれぞれのいろんな姿、事件やエピソードが、文字通り走馬灯のように思い出されて涙が出た。先週、卒業式の練習の方法や必要性について、卒業学年担任のO先生が校長先生と話している時に、校長先生が「卒業式というのは、それまで育ててきた親にとっても節目なんですよ」と仰った。親になったことのないO先生も私も、その視点を持ち合わせていなかった自分達に気づいて、その点についてしみじみ話し合った。三十路になるまでわかっていなかったのだから、自分達が大学を卒業した22や23歳の頃は、到底そんなことはイメージもできなかったものだ。親不孝なことである。先週のそんなやりとりもあったから、会場の後ろや舞台袖にまわって、一生懸命カメラを構えている保護者の姿を見ながら、どんなに感慨深いものだろうか、と思っていた。離任式では、離任する教師は短いスピーチをするように言われていて、一応3分程度のスピーチを用意して覚えてあったのだが、私の直前に挨拶した先生がスピーチ途中で涙がこぼれてしまったのを見てもらい泣きしそうになり、覚えた原稿などすっかり飛んでしまった。ここで、続けて私が泣いてはイカンと思うのだが、マイクを前に今にも声が震えそうで気がキでなく、もう何を話しているかわからなかった。職業柄、仕事だと思えば人前でアガってもコントロールできるし、マイクの前で立ち往生することもほとんどないのだが(ただし、日本語ならば(苦笑))、この挨拶ばかりはマズかった。後から校長先生とお話したら、校長先生は離任式の挨拶で、これは泣いてしまいそうだ、と思う時は、あえて原稿を手に一生懸命読み上げるようにされるそうだ。私もそうすれば良かった。修了式・離任式を終えて教室に戻り、中学2年生に成績表を手渡す。今年からフォーマットがかわって書くスペースの少なくなった成績表は、膨大に書かなければいけなかった去年までに比べれば作業としては随分ラクになったのだが、実際、特に学年末に、生徒に成績表というオフィシャルなフォーマットを通して伝えておきたいことをできる限り書こうと思うと全然スペースが足りないものだ。悪筆な上にコチョコチョと小さな字で、しかも欄外まで使って書き込んだ成績表は決して読みやすいものではなく、保護者や生徒には悪いなと思うのだが、スペースのために内容を割愛する気にはならず、校長先生の黙認をいいことに、それで通してしまった。合わせて、中2、中3の生徒全員に、一人一冊ずつ本をプレゼントするために用意してあったのでそれも渡す。この本のプレゼントは昨年退職した同期がしていたことで、いいアイディアだと思い真似したもの。冬、日本に帰国した時に、一人一人の傾向やら趣味やらに合わせてそれぞれ文庫本を一冊ずつ選んであった。昨夜、本に添えるそれぞれへのメッセージを書き、包装していたら、結局徹夜になってしまった。メッセージ書きに時間がかかったからだ。受け持ち生徒数が計14人くらいで、しかも相手が中学生くらいになると、一人一人に対して書くメッセージのネタには困らない。顔も名前もクラスでの様子も、“こちらに見えている限りは”個々に把握できるから、成績表同様、それぞれへのパーソナルメッセージも、書く事がない、なんて事態には陥らないものだ。脇へ逸れるが、こういった点から考えても、少人数学級は、非常に大切なのではないかと痛感する。ここでの仕事が週イチで、パートタイムの職であることもあるが、30人、40人の生徒を把握するなど、私の能力では到底無理だし、プロの先生にとっても生半なことではないだろうと常々感じてきた。確かに数学を教えている時には、ある程度のスケールダイナミクスが必要だと思う点もあるが、それも生徒の理解度や実力に応じた個別指導に基づいた上でのことだ。学校で集団学習、学習塾で個別指導が補われている、という観点もあるだろうが、generally speaking, 学校と、学習塾では、活動の目的が違うだろうと思うし、その目的から考えれば、私の勝手な意見の中では、“社会”(not equal 社会科)を学ぶ学校こそ少人数指導であるべきで、学習塾は集団指導でもいい。いろんな“社会活動”を経験し、学ぶ場である学校は少人数指導をベースに、たまに組織全体のサイズを活用したスケールダイナミクスを取り入れるできなのではないかと思う。さて、生徒達は、寄せ書きと花束をみんなで用意してくれていた。一足先に帰国していった生徒のコメントや今日は欠席している生徒のコメントまでちゃんと書いてあって、生徒達が、何週間も前から協力してこの寄せ書きを用意してくれていたことを知り、泣けて泣けて仕方がなかった。仕事だから、今日は泣くまいと思っていたのだが、案じていたようにやっぱりダメだった。今年は週に一時間しか教えていなかった中3生も、思いがけず寄せ書きの色紙を贈ってくれてなんとも言えず嬉しかったし、その他、それぞれの生徒やその保護者の方々からもびっしり書き込まれたメッセージカードやプレゼントをいただき、感激するやら恐縮するやら。体育館に降りて、次々と写真を撮り、保護者の方々にもいろいろと声をかけていただき、ハグや握手や笑顔や涙やお花や・・・まだ別れの実感はなく、何より、短い間だったが、勤め上げることができて良かったと心から思った。この学校での仕事は、これまでにしてきた仕事に比べれば、労働条件も待遇も、決して文句を言えるようなものではないし、アメリカで学生をしながら合法的に働き収入を得る機会を与えていただいたのだから感謝こそあれ、というところだが、実際には、私の力不足もあっていろんな意味でかなりキツイ仕事ではあった。何より直接の相手が生身の人間、しかもティーンネイジャーというのは、思った以上にハードだった。悩んだり、心配したり、試行錯誤もしばしばだったし、失敗したことも数え切れないほどあり、寝覚めが悪かったり、疲れたりも日常茶飯事だったものだ。体力的にもきつく、無欠勤で通せたのは、ひとえに親友や同僚、校長先生のサポートのおかげだった。一方で、生徒から、或いは彼らとのクラスでのやりとりや、保護者や同僚や校長先生から学んだことも膨大だった。毎週毎週目に見えて成長していく生徒を見ていると、量りきれないほどのパワーと元気ももらったものだ。また、ともすれば狭視界に陥りがちで、理想主義か机上の空論のトラップにはまってもおかしくないアカデミックの中で、実社会に近い環境と感覚を維持できたことも大きかった。生徒達からのメッセージなどから推察するに、私は、彼ら、彼女らの中ではかなり厳しい教師であったらしい。宿題の量はできる限り減らしていたし、学業においてそんなにdemandingだったつもりはないが、挨拶や基本マナー、話し方にはうるさいし、大声で叱ったりするし、というところが原因か。実際叱る時にはかならずその理由もつけるようにしていたし、生徒にしてみれば、「めんどくさい」と言えば「めんどくさくないことが、この世の中にあると思ってんの」と返されるし、「答えのないことはいっぱいある」とか言われて「まずは自分の頭で考えなさい」とか言われるし・・・と相当“扱いにくい”教師だったことだろう。そういう扱いにくさ、ウルササも“怖い教師イメージ”を煽った原因かもしれない。別に、“優しい先生”と言われることをめざしたつもりは毛頭ないが、中学生相手に厳しすぎたのかしら、とも今さら思ってみたり。こういう私のウルササは、もう40年も教育者をやっている母の影響に他ならない。現代っ子の、何に対しても受け身で、与えられることに慣れ、与えられたことしかできない姿を憂えるこの人は、我が家のファミリービジネスである保育園の園児にとっては「鬼より怖い園長先生」である。子どもに迎合しない、つまり子ども扱いしない姿勢もまるっきりこの人のウケウリ。子どもとは本気で接し、本気で叱り、本気で遊ばなければ意味がないというのがこの人の理念である。家業に興味を示さなかった不肖の娘にそれを直接教えたわけではなかったが、寄ると触ると、そういう話を聞きつづけてきたのだから、門前の小僧といっても染まり方は半端ではない。母と同じレベルには到底できないが、少なくともその姿勢を手本にしてるわけで、生徒にしてみればそりゃぁ、怖かったかもな、と納得する。“道は自分で探し、考え、切り開くもので、誰かが用意してくれるものではありません。考え、切り開く力を自ら養っていってください。すべての知識、どんな経験もそのための材料です”と、生徒に贈った本に添えたカードに書いた。私のような未熟者が言うのは口幅ったい、エラそうなコメントではあるが敢えて書いたのは、生徒たちが抱く、“何のために学校で勉強したり活動したりするのか”という疑問に対する私なりの説明のつもりだからある。説明であって、答えではない。答えはきっと人によって違うことで、それは彼ら彼女らが自分で見つけることだと思う。来週土曜日は生徒たちはお休みで、私は新任の先生や次学年の先生と引継ぎに一日を使い、それで仕事終了である。
March 21, 2005
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(これが、3月20日・日曜日の日記)ランドリー室で洗濯して部屋へ戻ってきたら、隣の部屋の女の子がくっついてきた。最近よくアパートの廊下で遊んでいて、how are you? くらいは言葉を交わす程度に顔なじみである。「部屋の中見せて」というから、いいわよ、と部屋へ入れてやった。私の部屋までくっついてきて、珍しそうになんだかんだ眺めている。そして机の上のコンピュータ2台を見つけて、やりたいと言うから、洗濯物を片付けている間、しばらくPCで遊ばせておいた。小学2年生か3年生くらいかと思ったら、まだ6歳だそうな。“幼稚園”で、今週は一日中PCでお絵かきしたそうである。彼女曰くkindergartenだから、ホントに幼稚園なのかどうかわからないが、一日中PCでお絵かきはまずいでしょー、と内心思ったり。ふと思いついて、彼女の名前をカタカナ打ちしてプリントアウトしてやったりしつつ、その後30分ほどはおしゃべりしたりしながらつきあっていたが、カリカリになって論文書いてる途中だし、「あのね、まだたくさん勉強しなくちゃいけないから」と正直に言って、じゃぁね、と送り出した。その代わりに、火曜日のお昼、お母さんがいいと言ったらお茶を飲みにいらっしゃい、と約束した。そうしたら、1時間ほどして、ドアをノックする音。出てみたら、彼女である。「もうお勉強終わった?」「まだまだよぉ(笑)」さらに1時間ほどして、またノックの音。「終わった?」「(爆笑)全然終わってないわよ。今晩眠れるかどうかわからないくらい、たっくさん勉強しなくちゃいけないのよ」「ふーん」たまたま手にもっていた本を見せて「ほらね、これを全部読まなくちゃいけないし、まだ他にもいっぱい本を読まなくちゃいけないの」と話してやると、どれくらいわかったのかは不明だが、気が済んだ様子で帰っていった。さらに2時間ほどして、今度は私が母と電話している間に、またやってきた。ルームメイトが買い物して帰ってきたのに、くっついてきたようだ。ちょうどイチゴを買ってきたルームメイトが、じゃぁ、イチゴを食べるか?と聞いてやったようで、イチゴを食べ、しばらくリビングで一人で遊んでいたようだが、もう夕食時だし、ルームメイトが適当なところで送り出したようだ。後からルームメイトと二人で、彼女が言葉少なに語った話を合わせてみて、どうやら彼女の両親は別居中(か、離婚)していて、彼女は一週間は隣室のお母さんの家、一週間はお父さんの家と移動して暮らしているらしいことがわかった。珍しい話でもなく、もはや驚きもしないが、一週間ずつ移動する生活が6歳児にとって良い生活とも思えず、なかなか大変だよな、と思った。
March 20, 2005
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朝イチに、調べモノをしようとGoogleを開いたら、こんなことになっていた。そっか、St. Patrick’s Dayだっけ。去年はおもしろがって友達と緑ビールを飲みに行ったけど、今年はそれどころではないので、気づきもしなかった。ブッシュさんもアイルランドのPMと一緒に、こういうことになってたらしい。この人、緑のネクタイが・・・似合わないなぁ。柄の選び方がまずいのかしら。カナダのPMも緑のマフラーでしたとさ。論文でめちゃくちゃ追い込まれている上に、勤め先は日本のカレンダーに従っているから学期末で成績表つけやらでおおわらわ。プラス今月末でめでたく退職なので、引継ぎの準備やら、最後に生徒へ渡すものなんかの準備も結構手間どっている。が、まぁ、この辺までは予定してたところだから計算のうちだったのだが、加えて、予定外に就職活動作業に追われるやら、どうしても見逃したくなかった求人が突然出てくるやらで、テンヤワンヤに。で、マジかよぉ(涙)・・・と思っていたところへ、なんと今週月曜日には食中り・・・もう、ホント、踏まれたり蹴られたりな気分。月曜日締め切りだった課題を3つのうち2つまでは終えた後だったから、二次災害は免れたが、一時はこりゃ危ないかも、と思うほどの七転八倒。数時間で小康状態にこぎつけたので、翌日になってから病院へ行った。先生に「卵かと思うんですけど」と言ったら、先生は「卵だったらもっと大変なことになってるから、卵じゃないよ」との見解。いろいろ話し合った末に、出来合いのものを買って食べたフィッシュフライが原因ではないか、ということになった。普段は出来合いの惣菜など絶対に買わないのだが、フィッシュフライは自分ではほとんど作らないので、例外。生ものじゃあるまいし、フライしてあるんだから、ま、大丈夫と思ったのだが、電話で顛末を話した母には「認識が甘い!」と叱られた。もらった薬の副作用がまたぞろしんどかったが、それからもだいぶん復調して無事モノも食べられるようになりホッとした。と、そんなこんなで、しばらく日記をご無沙汰しておりました。勉強していたら、相方から荷物が届いた。ホワイトディの贈り物を送ったと言ってたっけ。年末に二人でお茶した店のお菓子詰め合わせとは、気が利いているじゃないの。もっとも、オフィスの入ってるビルの中にある店だから、というのが現実か。相変わらず6時半には出勤、夜11時に帰ってきて、今日は早かったなんて言ってるジャパニーズビジネスマンしているようだし。箱を空けてみたら、ケーキやらクッキーやらいろいろ。昨日なら食べられなかったかもしれないが、今日はおいしそうに見えて食べてみた。日本のお菓子はいいねぇ。味が細やかで。ベルギーワッフルも入ってる。ベルギーへ行った時に大喜びで食べてみたけど、正直なところ日本のほうがおいしいと思ったものだ。どっちがおいしいという問題でなく、日本で売るものは日本人の好みに合わせてあるからかも。さて、書き作業に戻ります。
March 18, 2005
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(その1から続く)デトロイト経済振興協会はスーパーボウルに絡んで、期間中約12万人の一般客、3千人の報道関係者がデトロイトを訪れ、一人あたり平均4日間デトロイトに滞在すると見込んでいる。スーパーボウルはゲームそのものだけでなくそのプレイベントが約1週間にわたって開催される一大フェスティバル。1982年以来四半世紀ぶりに到来する、経済効果$300M(約\315億)のビッグイベントにかけるデトロイトの気合いはすごく、早くも地元経済界、スポーツ界、政界、アカデミックの総力戦になりつつある。オハイオ生まれで、デトロイトに拠点を置くかつての名ドライバーにして名レースチーム監督、そして億万長者ビジネスマンのロジャー・ペンスキーがスーパーボウルXLの実行委員会を率いているのもすごいが(決してお飾りではなく、アクティブなリーダーらしい)、地元スポーツ界もアメフト関係者だけでなく、愛されるダメトラ・デトロイトタイガースや、ストでシーズンキャンセルでもデトロイトの誇り・アイスホッケーのレッドウィングスの選手や関係者達も全面協力態勢で、早くもプレスツアーなどに参加して、話題作りにいそしんでいる。市行政も周辺自治体もこれを契機に道路の修復計画や街の整備に乗り出して、もちろんミシガン州知事も大喜び。デトロイト郊外の州立大学のひとつは、学長オフィス直轄で学生ボランティアのリクルートキャンペーンをはっている。実行委員会によれば、運営資金の$14.5Mのうち、$11Mはすでに寄付等で集まったそうだ。ホテル2万室が確保済み、8千人必要とされるボランティアのうち4500人もすでに登録済みとの発表もあった。開催決定の発表以来充分な時間があったこともあり、NFL本体のスーパーボウル・ディレクターも「デトロイトは準備が早くて素晴らしい」とコメントしたとかしないとか、地元紙も追い風をあおる。一年前のテストイベントも無事に終わり、実行委員会はそのイベントの分析と改善点のリストアップを急いでいるそうだ。これからの300日はきっと、あっという間である。デトロイト出身の友人は、「スーパーボウルでも何でも、デトロイトにはとにかく何か明るい材料が必要なんだよ。」と言う。「貧富の差とか人種差別とか経済荒廃とか犯罪とか、いろんな問題がありすぎるから。何か大きなインパクトがないと這い上がれない」かつて工業ベルトとよばれた中西部地帯は、アメリカ自動車産業の世界市場での苦戦の煽りをもろにうけ、工業面でははかばかしくない。今ではラスト・ベルト(Rust belt)の呼び名もすっかり一般的になってしまった。昨日も、私の街にあるGMの工場が突如工場閉鎖を発表して大騒ぎになっていた。閉鎖するとは予想されていたが、従業員も市長も今年いっぱいは大丈夫だろうと思っていたのに、今年5月には閉鎖するというのだ。来年度まで持ちこたえられなかったらしい。アメリカ人ですら、「買えるものなら日本車がいい」と言うほど、日本車の評価も人気も非常に高い。相対的にアメリカ国産車の販売は苦戦する。自動車産業を基幹として繁栄したモーターシティ・デトロイトは、かつての工業ベルトの花形であり、今はラスト・ベルトの代表格である。2006年2月5日のスーパーボウルXLに向けてのこれから一年、デトロイトにとって、せめても前向きな月日になればと思う。Pupa
March 4, 2005
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メルマガ出たきり邦人、北米・オセアニア編323号掲載原稿です。================================出たっきり邦人■北米・オセアニア編■〓アメリカ・ミシガン発〓道草みのむし三十路のみしがん第18回★スーパーボウル・フィーバー~来年はデトロイト開催2月第一週の日曜日は、スーパーボウル・サンデー。開催地には10万人が押し寄せ、全米で8500万人以上がテレビ観戦すると言われるという、アメリカ最大のスポーツイベントの日である。一人でTV観戦してもつまらないということなのか、この日は“スーパーボウル・パーティ”というのがポピュラーで、友達同士や家族・親類で寄り集まって、ビールを片手に、ピザやプレッツェル、チップスをほおばりながらゲーム観戦というのがよくあるパターン。したがって、スーパーマーケットは前の週から、ビールやチップスを積み上げて盛大に“スーパーボウル・セール”。学生同士でパーティをやるとおぼしき男の子たちは、瓶ビールでは間に合わないのか、なんと一抱えもあるバレル缶(164リットル)でビールを買いつけ、クルマに積み込んで帰っていく。もちろんテレビはスーパーボウルの話題でいっぱい。特にアメフトに興味がなくても、「あぁ、今週末はスーパーボウルだっけ」と気づく。アメリカに来て3年半。スーパーボウル・サンデーももう4度目になるが、アメフトにそこまで思い入れがあるでもなし、これまではヨソ様の祭りという感じだった。が、今年はアメリカ人の友人が自宅でパーティをするからぜひ来いと誘ってくれたので、いったいミシガン人達がどうスーパーボウル・サンデーを楽しむのかにも興味をひかれるし、出かけることにした。デトロイト近郊出身のその友人は、修士課程を卒業後、デトロイトで数年働いてから博士号をとるためにアカデミックに戻ってきた人で、学生としては多少財政的に余裕がある。奥さんと2歳の娘と一緒にキャンパスからクルマで20分ほど離れた住宅街の一軒屋に暮らしていて、彼の家の地下室には、大きな大きなテレビがあるのだ。普段は娘の遊び部屋か、友人の勉強部屋になっているその地下室に、その日はイスやらソファーがたくさん運び込まれて、すっかりパーティ態勢。こういう誰かの家や部屋でのパーティにおよばれする時は、何か食べるものか飲むものを持っていくのが慣習だから、ホストが用意したビールやプレッツェル、ピザやサラダの横に、それぞれが持ってきたスナック菓子やビールなどがどんどん並べられていく。余談だが、ポップコーンと言えば映画かビデオ鑑賞だし、ホットドッグなら野球観戦、プレッツェルはアメフト、という“お約束”の連想がある。たとえば、友達が遊びに来て、ポップコーンを持って来たと言ったら、「何の映画(のビデオ)を借りてきたの?」と聞くという具合。「外で食べるホットドッグもいいわね」と言えば、「野球観戦に連れて行け」という催促である。ところが、2002年の一月以来、プレッツェルといえば必ずその場の誰かが何かしら言いたがる、さらなる“お約束”がくっついた。これはTVでアメフトを見ながらプレッツェルをほおばり、喉に詰まらせて大騒ぎになったブッシュ大統領のせいだ。この日も誰かが、アメフト観戦にはかかせないプレッツェルを皿に出しながら「気を失ってる場合じゃないから、今日は食べないぞ」なんて言っていた。さて、この日集まったのは家主である友人の従兄弟や、同じカリキュラムの同僚達、その友達といった顔ぶれ。3分の二はアメリカ人で3分の一が韓国、トルコ、オーストラリア、タイ、中国、日本からの留学生というメンバーだった。大学院生ばかりのため比較的年齢層が高く、パーティ自体は随分落ち着いた雰囲気。アメリカ人達はもちろんアメフトのルールに精通しているが、留学生組はほとんど知識がない。それでもパーティにやってきたのは、私同様、アメリカ人がどう楽しむかに興味があるからだ。アメリカ人参加者の一人が、まだ試合も落ち着いているファースト・クォーターの間に、アメフト・ルール基礎のキソを即席で講義してくれたのだが、その説明のわかりやすさと手際の良さに感心。彼らのアメフトに対する熱意と造詣の深さに舌を巻いてしまった。もっとも彼は、異文化体験者への配慮からそうしたというよりも、ワンプレーごとに「エーッ、今のは何したの?」「何でプレーが止まったの?」「次はどうなるの?」と騒いで聞きまくる連中を、先にまとめて教育しておいた方が自分の観戦に集中できると考えたのかもしれない。ニューイングランド・パトリオット対フィラデルフィア・イーグルスの追った追われたゲームがおもしろくなかったわけではないが、アメリカ人達を見ているほうがはるかに面白い。こういうところは国が違っても一緒というところか、まるで日本のサッカー日本代表戦よろしく、すっかりみんなヘッド・コーチ状態。ワンプレー、ワンプレーに歓声を上げたり、悲鳴と共に頭をかきむしったりするだけでは飽き足らず、プレーが途切れるごとに、戦略を巡って熱心な議論がはじまるし、プレーが再会する時にはかけ声をかけて気合を入れ、はたまた息をつめて、まるで自分がこれから目の前にいるプレーヤーにタックルするかの勢い。トルコ人と一緒に、「この光景はサッカーがアメフトに変わっただけで、私たちの国と変わらないよねぇ」と言い合った。スーパーボウルTV観戦は他にも楽みがある。スーパーボウルは、全米の年間TV番組の中で最も高い視聴率を集めるプログラムである。このプログラムの間に流される広告は、30秒スポット1枠が$2.4M(約\2億5200万)というべらぼうな広告枠の値段も話題なら、その内容も各社スーパーボウル特別バージョンだったり、この日が初オンエアというプレミア広告を持ってくるため注目の的。ゲームの何カ月も前から、広告枠の売れ行きが新聞などでも報じられるし、ゲームの前日には、過去の話題の広告を集めた特集番組まで放送される。ゲームの翌週には新聞・雑誌の広告ウォッチングコラムが一斉に批評を出すという具合。私の所属する学部はその名も広告学部だから(私のカリキュラムは広告とはコンセプトの異なる広報だが)、毎年このスーパーボウル・ナイトには、学部の教授達はみんな集まって30社・約60の広告スポットの評価会をし、結果を公表する。スーパーボウルの視聴者は基本的には男性が中心。広告スポットの常連はビール会社である。そのほか、ペプシ・コーラも毎年力が入った特別バージョンだし、クライスラーなどの自動車メーカーや、宅配のFedEx、ファーストフード・ジャイアンツのマクドナルドやピザ・ハットなども恒例の顔ぶれ。広告の内容は、スーパーボウルをモチーフにしたパロディあり、動物あり、我が道を行くものあり、と様々だが、今年、パーティ参加者に一番うけていたのはFedEx/Kinko’sだったし、シニカルな笑いを誘ったのは去年のジャネット・ジャクソン・ハーフタイムショー事件をパロディにしたGoDaddy.comの広告。ちなみにこのGoDaddy.comの広告は、“表現方法”にクレームをつけたNFLのプレッシャーで、放送局のFOXが2度目のオンエアを中止し、後日騒ぎになったいわくモノ。うちの学部の教授達による評価会ではバドワイザーのバド・ライトの広告がトップになり、昨年散々な評判だったことの汚名を挽回していた。(スーパーボウル2005の広告は、以下のサイトで見ることができますhttp://dyn.ifilm.com/superbowlads/ )ちなみに、スーパーボウルが全米年間注目度ナンバーワンの広告スポットなら、先週日曜日に行われたアカデミー賞がナンバー2スポット。30秒のスポットが1枠$1.6M(約\1億6800万)で、こちらも各社プレミア広告を並べてくる。ただし、こちらの視聴者は女性が中心。内容も、グッと女性を意識したものになる。年々視聴率は低下傾向にあるアカデミー賞だが、「それでも広告を出す意義はあるのか?」とインタビューされた大手広告代理店の副社長は、「みんながTVでそれを見るためにパーティをするなんて、アカデミー賞かスーパーボウル以外にありますか?視聴率以上に、アカデミーやスーパーボウルのスポットに広告を出すのは大事なんですよ」と答えていた。さて、スーパーボウル。ドローで迎えたハーフタイムショーに登場したポールマッカートニーが『ヘイ・ジュード』で締めくくるのを見ながら、同じコミュニケーション系メジャーのアメリカ人と一緒に、「いやぁ、クラシックなショーだったねぇ」「去年のジャネット事件のせいだねぇ」と言い合う。去年のジャネット・ジャクソン事件は、放送局への法規制強化の是非、倫理、表現の自由等々、様々なトピックをめぐってこの一年間、放送業界を侃侃諤諤、戦々恐々の状態に持っていってしまった。マーケティングやブランドマネージメント、IT,広報といったビジネス関連分野を専攻するメンバーばかりが集まったこのパーティでは、このハーフタイムショーがどういったものになるのかにも関心が集まっていたのだ。そして始まった後半戦も追った追われたの展開。ゲームを横目に、今日はホストとして忙しい友人と、来年の話になった。2006年のスーパーボウルはデトロイトで開催されるのである。私「やっぱり楽しみでしょ。観に行きたい?」友人「冗談だろ。チケットいくらするか知ってるか?」私「$600だっけ?あれでも一番安いシートなんじゃない」友人「いずれにせよまず手に入らないし、手に入れるにはとんでもない金をつまないと無理だよ。なんせスーパーボウルだからな。もっともデトロイトには、家を売ってでも観に行きたいと思ってる奴がいっぱいいるだろうけどね」私「もしも、もしもよ、デトロイト・ライオンズ(NFLイチの弱小プロフットボールチーム)が出ることになったら?」友人「俺だけじゃなくて、デトロイト中の奴が家を売るよ(爆笑)」パトリオットがイーグルスを破って、スーパーボウル2005は終わっていったが、デトロイト開催の関係者はヒートアップ。翌週はミシガン内のあちこちのローカル紙が「さぁ、いよいよ次はデトロイト」と報じていた。(続く)
March 4, 2005
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ケーブルチャンネルのTurner Classic Movies (TCM)の3月の特集のテーマは「Product Placement in the Movies」だそうな。The New York TimesのADコラムニスト・Stuart Elliottが紹介している。Product Placement(日本語表記ではプロダクト・プレースメントかプレイスメントのどちらかのようです)は、映画やTV番組の中にいろんな形で商品を登場させることで商品広告を行う手法。((OO7トリビアじゃないんだけどさ-Product and Issue Placement / 2004年4月19日の日記でもProduct PlacementとIssue Placementについて書いてました、そういえば)これは決して新しい手法というわけではなく、手法として鮮烈にインパクトを残し、その後Madison Avenue*とハリウッドの間のProduct Placementビジネスを本格化させたのは、1982年のE.T.だとか。*ニューヨークのマジソン・アベニュー。広告会社が軒を連ねていることから、広告業界の代名詞ではここで問題。商品は何だったでしょう?1、ETをのせて空を飛んだ自転車2、エリオットが着ていたジャンバー3、E.T.が好んだチョコレートキャンディ答えは、3。Hershey’sのReece’s Pieces Candyは、このビッグヒット映画のおかげで売上げを伸ばした。製品のホームページでも「REESE’S PIECES candy makes its big screen debut as E.T.’s favorite candy in the movie E.T. THE EXTRA-TERRESTRIAL.」と紹介している。」この「Product Placement in the Movies」特集の中では、どのように映画の登場人物にある商品が関連付けられ広告をしていくのか、に注目するのだそうだ。Stuart Elliottは、この写真に、「"The Seven Year Itch," with Marilyn Monroe and Tom Ewell in 1955, had a scene with Bell potato chips. One specialist today wonders, "With Marilyn holding the product, who's really looking at the chips?"」とキャプションをつけている。商品と映画のストーリーを関連付けるのも簡単ではなかっただろう。特集で紹介される映画のひとつ『Scarface(暗黒街の顔役)』(1938年)では、映画のプロデューサーが映画に登場する葉巻をどこのものにするのかオークションをやって、Owl Cigarsが$250,000でその「出演権」を競り落とした。でも、Owl葉巻は確かに映画の中で登場したのだけど、そこには他社の葉巻も出てきたとか(爆。今じゃ考えられない)。『You’ll Never get Rich』(1941年)ではフレッド・アステラがChesterfield Cigaretteをお気に入りの煙草としていつも吸っているのだが、それはChesterfield Cigaretteが映画の広告スポンサーだったからだ。コカ・コーラ社などはこの手法に長い歴史があって、1933年の『Dinner at Eight(晩餐八時)』以来、自社のソフトドリンクを映画の中やポスターで広告してきているということだ。『Father of the Bride (花嫁の父)』(1950年)もそのひとつ。スペンサー。トレーシーが娘の婚約パーティでゲストにコカ・コーラ社のソフトドリンクをすすめる、という具合。でも、先ほども書いたようにこの広告手法が本格的になるのは1980年代以降。その後の映画はもうあの手この手。007なんかもふんだんにこの広告手法がちりばめられている。トム・ハンクスとメグ・ライアンの『You’ve got mail』なんかは、AOLとマッキントッシュと大型ディスカウント書店大手Barns & Noblesとスターバックス・コーヒーのプロモーション映画みたいなもの。TV番組も同様で、ドラマやなんかで、商品ロゴや商品名がバッチリ写ったり、筋に絡んだりしたら、よっぽど特殊な事情やストーリーにかかせないアイテムというものでない限り、Product Placementだと考えるのが妥当。例:http://www.med.sc.edu:1081/prodplacement.htm でProduct Placementの例が写真で紹介されています。日本でも同様の手法が使われているのだろうけど、私が知っているのは逆のエピソードだけ。アニメ『エヴァンゲリオン』の中で主要人物のひとりが愛飲していたのが金色の缶に入った「YEBICHU」というビールだったのだが、番組のスポンサーに某ビール会社がついていたためクレームがついて、確か特にロゴのないビール缶に変わっていたように思う。日本では最近、どうなっているのだろうか。チラチラネットを見ていると、「PR手法」ということになっているのが“?”なのだが。
March 2, 2005
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私の驚きポイントは大きく分けて2点。ひとつは、リーマン・ブラザーズが沈黙している2週間の間に、メディアによって作り上げられたイメージのあまりのダーティなことである。リーマン・ブラザーズがなぜ、危機管理コミュニケーション、ダメージコントロールの見地から考えるとありえないほど長い2週間もの間ノーコメントを通したのかはわからない。証券取引の当事者だから何か規制があるのか、クライアントに関わる守秘義務の関係か、或いは同社の戦略なのかは、IRの知識のない私には判断できないのだが、この間広報室の電話は鳴りっぱなしだっただろうし、レポーターの急襲に会いそうな関係者をガードするのも大変だったと思う。でも沈黙。そしてその間にメディアが牽引して社会に出来上がった「リーマン・ブラザーズ像」というのは、まるっきり“悪役”である。「実際彼らのビジネスはそうだ」という意見もあるだろうし、一部新聞が社説などで書いたように「外資に対する感情的な過剰反応だ」という意見もあるだろう。同社と仕事をしたことがないから、そのどちらなのかは私にはわからない。ここでの主旨はイメージのみである。この例は、何か事が起こり、憶測が飛び交う中で企業が沈黙していると、どのようにメディアによってイメージが形成されていくかの実証的な一例ではないかと思う。確かに、外資系資本の放送メディア経営権取得があったとすれば、いろんな面で一考を要する問題だと思う。が、それよりも、憶測の域を出ないが、一部メディアは、ライブドア・ホリエモンとニッポン放送・フジテレビの応酬というただでさえ面白い筋書きの中に、一般には良く知られていない(たぶん経済記者以外のメディア関係者にとっても耳慣れなかった)「外資系証券会社」が登場したため、それを“わかりやすい”図式の役回りに仕立て上げることでより話を面白くしたという面はなかっただろうか。わかりやすい図式、わかりやすい話は読者・視聴者のウケがいいものだ。その話の中である役割にはめ込まれると、イメージは勝手に構築されていく。危機管理コミュニケーションではやはり、早いメディア対応がダメージコントロールのカギになるということだろう。もうひとつは、24日に出されたリーマン・ブラザーズのプレスリリースの文面と、それに対するメディアの反応である。最初にこのプレスリリースの文面を読んだ時には、その文面の平易さ、証券会社のプレスリリースとは思えない“やさしい表現”に目を疑い、呆然としたものだ。一般的に言って、証券会社の出すプレスリリースというのは専門用語を知らないとわけがわからないものである。一般商品のプレスリリースと違って、専門用語を知っていることが前提のメディアに対して出す性質のものだから、通常“誰にでもわかる”表現をめざす必要はない。ところがこのリリースは「ライブドア社の資金調達をお手伝い」「外資によるメディア産業への参入を後押し」「ライブドア社の大株主になろうという意図は持っておりません。」と誰にでもわかる表現で、誰にも誤解がないように書かれている。その上、このリリースのタイトルだったCBについても「CBは、資本市場で幅広く使われている資金調達手段です。」と戦略的でありながら丁寧でわかりやすい説明付き。およそ外資系証券会社の通常のプレスリリースからはかけ離れている。これを読みながら、このたった一段落を書くために表現を練り上げ関係者を調整するのに半日がかりだっただろうか、と想像しつつも、あまりの表現の平易さに、まさかこれがリーマン・ブラザーズ広報の大きな布石になるとは思いもしなかった。ところが、TVメディアも新聞メディアも、上記のように一斉にリーマンのプレスリリースを報道。しかもほぼ発表どおりの表現で報じられている。検証してないが、これは一度メディアの中で悪役イメージをつけられてしまった企業の扱われ方としては、異例の反応と言えるのではないかと思う。リーマン・ブラザーズ東京の広報部がどこまで状況分析、先を読んでこのリリースを書いたかは何ら推し量る術がないが、この中学生の教科書ばりに“わかりやすい表現”のプレスリリースは、経済紙だけでなく一般メディアがこの状況下のターゲット・オーディエンスであることを充分に意識したものであることは間違いないし、“外資”“冷徹”“合理主義”“支配”“貪欲”“危険”=実はよくわからない、なんだか怖そうな存在、というイメージに対して、“とっつきやすさ”“わかりやすさ”“親しみやすさ”でもってカウンターをかけたということになるだろう。また、在日外資系証券会社の中でも外国人率が高いといわれる同社が、東京支社にも広報部を持っていたことも、この広報的成功の鍵ではないかと思う。もしリーマン・ブラザーズが広報機能をニューヨーク本社で統括していたとしたら、おそらくこの対応はできなかったと思われる。日本のメディアの傾向、論調、それによって作られた社会の空気、日本人の傾向を分析できる現地スタッフが機能してこそでてきたこのプレスリリースだろう。“Think globally, act locally”と、グローバル戦略の中ではよくいうが、その実践例と言える。いろんな広報ケースを観察したり分析したりするにつけ、会ってみたい影の立役者はたくさんいるが、リーマン・ブラザーズ東京の、このリリースを執筆した人にもぜひ会って話を聞いてみたいものだ。
March 1, 2005
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ライブドアvs.ニッポン放送の件は、あまり関心もなく推移を眺めていたのだが、広報の見地から非常におもしろい動きがあって、俄然興味をかきたてられた。(注:ここから先の記述について、「事象」はネット上のニュース報道などから収集したものですが、広報に関する「分析」は2次的な資料に基づく類推的・主観的なものであり、かつ当事者・関係者への取材を一切行っていない推測の域を出ないものです。又、証券関係は門前小僧以下ですので、証券関係の専門知識は不確かであることをあらかじめご了承ください。)外資系証券会社の中では比較的小兵のリーマン・ブラザーズの名前が、ライブドアがらみでヘッドラインに登場し始めたのは2月上旬。今現在オンラインソースで確認できる限りでは、2月8日のラジオNIKKEIの「ライブドア、CB800億発行へ」で、「ライブドア(東証マザーズ)は8日、2010年満期のユーロ円建転換社債型新株予約権付社債800億円を発表すると発表した。払込期日は今月24日で、第三者割当方式(海外における私募)によって全額をリーマン・ブラザーズに割り当てる。調達資金はM&A資金等に充当するとしている。」が出始めのようだ。同日、ライブドアはニッポン放送の発行済み株式のうち、グループで35%を取得したことを発表し、リーマン・ブラザーズ証券が資金調達に携わっていることを明らかにしている。その後、2月9日の毎日新聞「ライブドア:ニッポン放送株取得の舞台裏」のように、“外国人が大量売却?”といった憶測報道が約一週間相次いだあと、17日に判明したリーマン・ブラザーズによるライブドア株の空売りを経て、共同通信は18日に「リーマンが利ざや稼ぎを狙って空売りを仕掛けたとみられる。」「ライブドアにとっては、米証券の冷徹な合理主義を見せつけられた格好で、フジテレビジョンとのニッポン放送株買収合戦の帰すうにも影響を及ぼしそうだ。」と報道。同日、麻生総務相が閣議後の会見で電波法の外資規制の強化などの見直し改定の考えを示したのに絡めて『(放送)電波は個人的な特殊な人にぽっと持って行かれちゃうイメージは日本では受けない。公共のものという意識がある』と発言。共同通信は「ライブドアは日本企業だが、資金調達などで米系のリーマン・ブラザーズ証券が大きな役割を果たしており、この点を意識した発言とみられる。」と報道を締めくくっている。 Asahi.comは 18日深夜にポストした記事で「総務省が法改正の検討に入ったのは、取得資金を出した米系投資銀行のリーマン・ブラザーズグループが、ライブドア株の大量保有を通じてニッポン放送に対する影響力を持つ可能性が出てきたためだ。」 「リーマンは予約権行使でライブドアの株式を持ち、議決権を最大約4割持つ場合が考えられる。もしそうなった場合、同放送に対する議決権約38%を持ったライブドアを通じ、リーマンは間接的に同放送に対する最大16%程度の議決権を持つこともありえる。このため、16日時点の外国人・企業の議決権(11.9%)と合わせて20%以上になる可能性もある、と総務省はみている。」と報道。19日の日刊ゲンダイは、「ハゲタカの本領発揮だ。米系リーマン・ブラザーズ証券が、ライブドア株890万株を即日売却していたことで、あらためて外資のエゲツナイ手口が浮き彫りになった。」20日には産経新聞が「ニッポン放送株大量取得 リーマン社間接支配の危険性」の見出しで、“ソフトバンクとルパート・マードックが、テレビ朝日の株買収を試みた一件”を引用しながら「米リーマン・ブラザーズ証券がニッポン放送を間接的に支配しかねない構図となっている。」「ライブドアの場合はリーマン社がライブドアを通じてニッポン放送を「支配」しかねない危険性をはらんだままだ。」「リーマン社がライブドアから引き受けた八百億円の社債(MSCB)を株式に転換していくと、ライブドアの堀江貴文社長を抜いて同社の筆頭株主に躍り出る可能性がある。」と報道。21日には「米リーマン・ブラザーズ証券がライブドア株を大量に保有して、ニッポン放送の経営に間接的に影響力を発揮する可能性があるため、自民党を中心に「公共財の電波を外資が握るのは問題だ」との意見が出ている。」との報道も流れた。22日の日経ビジネスは「「大和のお粗末、リーマンの貪欲」、ライブドアのニッポン放送株取得」と題して村上ファンドの村上世彰氏のインタビューを掲載し、「リーマンはライブドアのCB(転換社債型新株予約権付社債)の引き受けにより、800億円を同社に投資した。売上高100億円のライブドアにその8倍もの資金を投じたことで、リーマンは気前のいい投資家に映る。しかし、その取引構図を見ると、利益への執着ぶりがよく分かる。堀江社長ばかりが目立つが、資金提供などを仕組んだリーマンこそが陰の主役だ。」と報じている。同日Asahi.comも「電波法改正案、今国会提出へ 放送局の外資規制強化」の見出しで、「リーマンが新株予約権を行使すれば、ライブドアの議決権を最大で約4割持つ計算になり、ニッポン放送への外国人・企業の議決権比率は直接、間接合わせて20%以上になるとみられる。このため特に与党内から「間接支配も規制すべきだ」という声が急速に高まった。 」と報道。同じ日、Nikkei.netは竹中経済相の「私に対してもハゲタカの味方との議論があるが全くナンセンス」と発言したことを伝え、「ニッポン放送株の買収を巡るライブドアの手法に関連して、外資による郵便貯金・簡易保険の買収が郵政民営化の目的との批判が自民党内から出ていることに強く反論した。」と報道している。23日の自民調査会の内容は「国家の安全保障の観点からも外資による放送局支配は望ましくない」との意見が相次いだ。この問題はライブドアがニッポン放送株式を取得するために、米リーマン・ブラザーズ証券に転換社債型新株予約権付社債(CB)を割り当てることがきっかけ。リーマンによるニッポン放送の間接支配の可能性があるため、調査会では「できるだけ早く法律を改正すべきだ」との意見が大勢を占めた。」と報じられる。それまで日経新聞の経済欄ニュースの他ではほとんどお目にかかることがなく、一般層にはほとんど無名だったリーマン・ブラザーズの名前は約2週間の間に一気に一般紙の社会面に進出したのだが、一般的にはよく知られていない「外資」の会社が衆目の話題に登場してきただけに、その印象は、“独り勝ち”“冷徹”“合理主義”“支配”“貪欲”“危険”“ハゲタカ”と、どうにもダークにできあがってしまった。その中、24日、リーマン・ブラザーズがプレスリリースを出した。「リーマン・ブラザーズは、本日株式会社ライブドアが発行する800億円の転換社債型新株予約権付き社債(CB)の発行総額全額の払い込みを完了いたしました。CBは、資本市場で幅広く使われている資金調達手段です。 リーマン・ブラザーズの本案件においての役割は、ライブドア社に対する資金提供であり、本CBへの投資は、ライブドア社の資金調達をお手伝いすることのみを目的としたものです。当社は今回のファイナンスを通じ、外資によるメディア産業への参入を後押ししたり、また当社がライブドア社の大株主になろうという意図は持っておりません。(後略)」このリリースは即日メディア各社で「リーマンは今回のファイナンスについて、「外資によるメディア産業への参入を後押ししたり、ライブドアの大株主になろうという意図はない」としている。」日経新聞「リーマン・ブラザーズによると、同社の役割はライブドアに対する資金提供で、このCBへの投資はライブドアの資金調達を手伝うことのみを目的としたもの、という。また、今回のファイナンスを通じて、外資によるメディア産業参入の後押しやライブドアの大株主になる意図はない、としている。」ロイター「リーマン・ブラザーズによると、同社の役割はライブドアに対する資金提供で、このCBへの投資はライブドアの資金調達を手伝うことのみを目的としたもの、という。また、今回のファイナンスを通じて、外資によるメディア産業参入の後押しやライブドアの大株主になる意図はない、としている。」朝日新聞「リーマン広報部は「資金調達を手伝うことのみを目的としたもので、外資によるメディア産業への参入を後押ししたり、ライブドアの大株主になろうという意図はない」とのコメントを発表した。」毎日新聞「リーマン社は同日、CBの全額払い込みを完了したと発表。同社は「外資によるメディア産業への参入を後押ししたり、ライブドアの大株主になろうという意図はない」としている。」産経新聞と、報じられ、翌日には日経新聞がリーマン・ブラザーズの在日代表のインタビューを掲載して「ライブドアの株式取得、リーマンが手法考案など否定」と報道。“リーマン・ブラザーズ暗躍陰謀説”は一気に沈静化に向かった。
March 1, 2005
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またしても雪の一日。コンピュータを置いているデスクは窓に面しているから、粉雪が降り続く外の風景が目に入る。もう三月が来るなんて、信じられないような景色だけれど、実はこういう雪が降る時はそんなに寒くない。夕方Faxを送るためにチョロっと外出したが、手袋なしでも5分くらいは雪かきできるくらい、緩い寒さだった。春よ、来い♪はーやく来い♪
February 28, 2005
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風邪で寝込んでいた期間のシワ寄せと、予定してなかった事態が重なり、なんだかべらぼうに忙しい。午前中からフル稼働だけれど、どう計算しても全部をオンタイムで終わらせることができないような。そんな中だが、今月初めから予定していたルームメイトのBirthday dinnerを敢行。料理と掃除を同時進行、2時間で準備。ルームメイトと何度も会っているM氏とY女史も手料理を持って駆けつけてくださったし、アメ人のJとルームメイトと同国人のCくんも忙しい中スケジュールを調整して来てくださった。ケーキも焼いて、キャンドルも立てて、Happy Birthdayも歌って。最近悩み多き彼女だが、ちっとは気が晴れてくれたのであれば良いがと、思う。テレビではアカデミーの中継をかけっぱなしにしていた。そういえば昼間つけていたCNN Headlineで、アカデミーにちなんで、政治の世界の今年のアカデミーは・・・とやっていた。番組が選ぶ主演女優はヒラリー・クリントンだとか。去年の民主党大会での、ケリー支持を呼びかける熱烈なスピーチが決め手だそうな。主演男優賞はブッシュ大統領。昨年の大統領選の大詰めの時期に、『ケリー氏は敵ではないのだ』とやったスピーチの様子がピックアップされていた。確かに政治家って、大物になればなるほど役者さん顔負けの演技力かも。本家アカデミーの方は、私にとってはモーガン・フリーマンが授賞しただけで、もう満足でした。
February 27, 2005
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木曜日にようやく熱が下がりきり、風邪からも回復した模様。この風邪は本当にタチが悪く長かった。金曜日。この日図書館に返却しなければいけない350Pの本のコピーをとりに、一枚4セントでコピーできるStudent Serviceビルまで出かけていったら、なんとオフィスは工事中で、この日の午後に限って休み。チッ。ダウンタウンの教科書・グッズ屋も安かったことを思い出して行ってみたら、一枚5セントだった。やったー。参考文献をイチイチ購入していたらとてもお金がもたないので、どうしても、という本以外は、コピー頼み。安いコピースポットは学生の必須アイテムである。それにしても350Pのコピーは結構な手間。30分がかりでコピーを終えたら、見ていた店のおばさんに「疲れたでしょう」と労わってもらったりして。その足で同じダウンタウンにロースクールが開いているタックス・クリニックに寄る。日本に帰った友人のタックス・リターンの手続きや必要書類がわかりかねたので聞きに行ったのだが、すぐに質問にも答えてくれたし助かった。土曜日の仕事の準備はたいてい金曜日一日がかりだが、今日はなんだかんだでスタートが遅くなり、アレコレやっていたら結局寝そびれてしまった。相変わらずの手際の悪さ。午前3時を過ぎると、寝過ごすのが怖くてもう眠る気がしなくなる。今日は帰国する生徒のお別れ会で、ポットラックランチをする約束をしていたので、眠るのをあきらめて料理をし、出勤。もちろん、帰ってきたらドロドロに疲れていて、母と電話している間はまだ良かったが、相方と電話をし始めたら10分で眠くなって、最後は何をしゃべってるのかわからなかった。朝目が覚めたら、電話は机の上にあったから、一応ちゃんと通話を切ったらしいが。
February 25, 2005
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論文・レポート3つ分がぐちゃぐちゃになっている文献と資料の山を、いくらなんでもなぁ、とズボラを反省しながら整理。部屋のテレビではドラマ『The West Wing』の再放送をかけっぱなしにしていた。今日のストーリーは、インフルエンザでひっくりかえたのに仕事をしたがるJed Bartlet大統領を、ハーバードの医学教授だった奥さんのAbbeyが、なだめたりおどしたりしながら休ませるというのがモチーフ。それにしてもファーストレディがハーバードのMDとはすごい設定。Tom Clancyものの主人公Jack Ryanの奥さんElizabethもジョンズ・ホプキンス大学の医学博士だったから、何かこのへんに、“アメリカ流理想の高学歴インテリ嫁”の典型像があるような・・・。でも、ジェフリー・アーチャーの『ダウニング街10番地をめざせ』でサッチャーさんを継いで首相になる設定の主人公Simonの奥さんElizabethも、女医さんという設定だったし・・・さてドラマ。寝室で、「いろいろ問題が起こってるんだよ。Situation Roomにも行かなくちゃいけないし・・・」とごねるJedに全くとりあわず検温するAbbeyがピシッと言ったのが「I don’t care even Canada invaded Michigan.」(カナダがミシガンを侵略したって私はお構いなしよ)爆。そんなところでミシガンを引き合いに出すなよぉ。アメリカとカナダの関係は、イギリスとフランス、関西と関東、尾張と三河の関係に似てるなと思う。決して仲良くない。アメリカ人の友人が教えてくれたが、いまだにカナダが攻めてくると冗談でも本気でも思っているアメリカ人は少なくないらしいし、試しに“Canada”“U.S.””invade”とGoogleの検索ボックスにタイプしてみたら、「カナダを侵略すべきだ」とか「アメリカのカナダ侵略の可能性」とかいったアメリカ/カナダ人の作っているサイトがゾロゾロと出てきた。で、カナダが最初に制圧するのはミシガンらしい。まぁ、ミシガン州の右半分は湖をはさんでカナダに面してますから(笑)
February 23, 2005
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あるレポートにPRとマス・メディアについての概略を書いていてふと、そういえば、マス・メディアや、いわゆるマスコミという対象とのつきあいも長くなったなぁ、と思った。思いおこせば、大学で新聞学を専攻して、新聞を読んだりTVを見ていただけのところから、何かしらマス・メディアの構造や動向を考えたり、報道の仕方やトピックの扱い方を分析したりするようになってからでも1△年が経っている・・・(あ~、これ以上正確に年数を計算するのはやめとこ)社会へ出て最初の仕事はマス・メディアの端くれで、企画とか取材手法とかデザインとか印刷システムなどのスキルを叩き込まれる傍ら、情報がその源からどう発信/収集され、ゲートキーパーをくぐってマス・メディアにのって伝播していくのかというしくみを知った。マス・メディアはその名の通り“媒体”であって、情報の発信者であると同時に情報の受け手でもあることを実感したのもこの時期で、マス・メディアに情報を提供し、かつオモテにウラに思いもよらなかった影響力を発揮する広報(Public Relations)の存在を知ったのもこの時だった。次の仕事ではマス・メディアを介して情報を発信していく広報サイドに立場をスイッチしたのだが、立場を変えてみて初めて、マス・メディア→読者というそれまで意識していた簡単な図式から、情報の発信元→マス・メディア→パブリック(“読者”或いは“視聴者”ではない)という流れを整理して考えられるようになった。しかも“パブリック”と一口に言ってもいろいろなセグメントがあってひとまとめにはできない存在だし、マス・メディアも媒体によってその伝播の仕方も違えばインパクトや情報の信憑性にも差があることを具体的に知ったのも、この仕事についてからだった。この頃はインターネットが一般化し始め、新しいコミュニケーション媒体としてWebサイトがクライアントとの仕事の中でも出てきていて、コミュニケーション媒体と情報の受け手の関係を業界全体が見直している時期でもあった上に、基本的にクライアント仕事だったから、クライアントに企画を理解してもらうにはわかりやすく説明する必要があった、ということもマス・メディアをめぐるいろんな要素の相関関係を体系立てて考えるようになった要因だとも思う。この時の仕事の延長線上にあった三つ目の仕事は、マス・メディア、特にマスコミとの距離がもっと近くて複雑だった。この時知ったことは、組織も私もマスコミに対して絶対にオープンにしない情報があるし、マスコミも知っていても書かないことがある、ということだった。記者会見で出す情報、質疑応答で出す回答は調整と擦り合わせを経たものでなければその後の問題の方が大きくなる構造も納得はしなくても理解はしたし、物事は白黒で語れることの方がはるかに少ないことを学んだのもこの仕事でだった。リークやスクープの突発性、危険性やインパクトも経験する一方で、すごい労力と予算をつぎこんでも実質的な効果はゼロ、ということが大いにあることも実感した。根も葉もないことが平気で報じられていくこともあれば、本当の話はなかなか報道されないし、報道されてもそのボリュームもインパクトもわずか、ということもたくさんあった。結局、新聞やTVなどで報じられることは、そのストーリー全体に比すれば氷山のほんの一角にしか過ぎず、水面下に隠れて見えない部分を考慮しなければ全像を推し量ることもできないし、それとて“真実”を知るには、たぶんほど遠い。仕事を離れた今、記者会見やらなんやらを見ていてもそこで“真実”が“全部”語られることなんて、よっぽど特殊な事情がない限りありえない、と思いながら見る。事が大きければ大きいほど、問題が複雑で関わる人や組織が大きければ大きいほど、その傾向は当然強くなる。カメラの回っているところでどこぞのレポーターが「ホントのこと言えよ!」なんて怒鳴っているのを見たりすると、怒鳴る方もナンセンスだが、怒鳴られる方も言われても仕方ないよな、と思ったりする。だからと言って、本当のことを洗いざらいマスコミの前で話すなんて、これまたありえない。レポート用のざっくりとした概略を書き終えて、マス・メディアやマスコミを学んだり、一緒に仕事したりしてきても、私が知ったこと理解したことはまだまだ全体の一片にしか過ぎないし、学術的な理解でもないなぁと、思っていた。でも、これから先、マス・メディアを学術面で探求することもしないだろうな、とも。・・・ということは、結局身についたのは、報道を斜めから見る曲がった性格だけかも(涙)P.S. 訪欧中のブッシュ大統領はドイツにも行ってますが、ワイン最高!さんの22日の日記にブッシュの来訪を控えたドイツ・マインツの様子がレポートされています。あんまりおもしろくて明日まで待てなかったので、今日ご紹介。これも、少なくともアメリカのマス・メディアは語らない話だよねぇ。
February 22, 2005
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うちの大学にも主に学部生を対象にしたStudy Abroadプログラムがあって、毎年約60カ国を行き先に200以上のプログラムが実施されている。各カレッジがStudy Abroad課と協力してカレッジの領域に沿ってプログラムをアレンジしている。プログラムによって3クレジット(単位)~10数クレジットと、クレジット数はまちまちだし、参加の前提条件も内容によっていろいろである。そのうち、うちの学部がStudy Abroad課と共催しているのが“Advertising in Asia”. 東京・北京・香港で広告代理店を訪問してレクチャーを受けたり、香港で広告関係のカンファレンスに出席したりする夏休みの1ヵ月・6クレジットのプログラムである。縁あって、そのうち日本滞在の1週間のアテンドをする話をいただき、今日はそのミーティングに行ってきた。このプログラムは中国人のL教授が引率され、去年はM女史が日本でのアテンドをされたのだが、今夏M女史は秋学期からの就職先も決まられ、博士論文も大詰めとお忙しいため、代わりにとL教授に私を紹介してくださったのだ。英語も堪能、普段から学部生のクラスを教えていらっしゃる優秀な博士学生のM女史に比べ、私では相当見劣りしてしまうし、何より19歳や20歳の(やんちゃ盛りの)アメリカ人学生相手に、私の英語力で添乗員が勤まるのか甚だ不安である。日本での滞在先である東京も京都も名古屋も私の守備範囲内だが、付き添う相手は日本語もまったくできない、社会経験もないキッズである。しかも複数。だが、これも貴重な経験を積む機会。昨秋インターン先でメディア対応を担当するかどうか迷っていた時に友人が送ってきてくれたメッセージ、“強めの敵キャラを恐れてスライムばっかりと戦っていても自分のレベルがなかなかアップしない。やられる可能性が高くて受けるダメージがでかくても、強めのキャラを叩けば、一気にレベルアップできるってもんだ”、をもう一度読み返して、務めさせていただくことにした。今日のミーティングはL教授との顔合わせ。M女史と一緒にL教授のオフィスで約30分少々、お二人から昨年のプログラムの話やスケジュールなどを伺う。いくつか未決定の事項について、調べ物や打診などの役割もいただいた。プログラムの日本滞在は5月中旬の一週間。5月はちょうど日本にいる予定だったから日程的にもちょうどよいタイミング。去年のM女史の“見聞録”を読んだり伺ったりするにつけ興味深い経験になりそうで、どの程度お役に立てるのか未だ不安もあるが、ツアー自体は楽しみでもある。ミーティングの後、M女史のオフィスにお邪魔して、アメリカン・アカデミックでの就職活動にまつわるいろんな体験談を伺った。経験談は重みが違う・・・と思いながらお忙しい人をつかまえて話し込んでしまった。その後慌てて図書館へ。修士論文のLiterature Reviewも大詰めだが、ここへきてあるトピックを独立して章立てることにしたので、今日は補助の参考文献をピックアップしたかったのだ。アドバイザーや、開発の教授や、ライブラリアンに手伝ってもらって作った文献リストを持って2フロアにまたがる関係書架の間をウロウロ。約一時間を費やし、十数冊をピックアップして貸し出し窓口へ。窓口でさらに、オンラインでリコールをかけていた一冊を受け取って全部で16冊になった。さすがにちょっと心配になって受付のお姉ちゃんに「これ全部、一度にチェックアウトできるのかしら」と聞いた。一度に借り出せる冊数に制限があるかも、と思ったのだ。そうしたらお姉ちゃん「七百数十冊まで借りられるわよ」とウィンク。あ、そ。本を抱えて受け付けデスクを離れたところでスペイン語のB先生にばったり。「きゃぁ!」「わぁぉ!」と久々の再会に大騒ぎ。メールではやりとりしているが、彼女も忙しい人だし私もバタバタし通しで1カ月ほど会ってなかった。彼女は、先日メールで、日本語/スペイン語の会話パートナーにと紹介してくれた彼女の同僚Aと一緒で、「¡Finalmente!」と初対面の挨拶。「あー、私、風邪のウィルス持ってるから気をつけて」と二人に言うと、「ダイジョウブよ。この時期みんな媒介者だから。」「僕ももう先週インフルエンザやったから、免疫ができてるよ」と返事が返ってきた。学生にも伝染されるし大変らしい。図書館を出て、今度はY女史のオフィスへ。今朝ほどメールをいただいて、お手製のイチゴ煮をお裾分けしてくださるということだったで、図々しくも大喜びで寄らせていただいたのだ。色目も鮮やかなイチゴ煮。あまりにおいしそうなので、帰宅早々、これまた自家製のヨーグルトにかけて食べてみたらその美味しいこと!!久々にヘルシーを実感する味だった。ドラマ『The West Wing』の再放送をしているケーブルのBravoチャンネル。今日は朝11時から午前1時まで『President’s Day, the West Wing Marathon』と題して16話を流し続けている。そうか、President’s Dayだっけ。まったく興味はないが、当代の大統領は訪欧中で、ベルギーへ到着したニュースと、700人のアンチ・ブッシュ・デモンストレーターがブリュッセルでラリーをしたというニュースが同時に報じられている。大統領が訪欧しないとEUの中心地ブリュッセルのブの字も聞くことがないこの国の日々のニュースってすごい、と違うことに感心したりして。ちなみにPresident’s Dayは初代大統領ワシントンの記念日なのだそうな。
February 21, 2005
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夕方までベッドに留まるヘロヘロ日曜日。熱が上がったり下がったりするのがやり切れない。ベッドから手の届く範囲に読まなくちゃいけない資料や本を集めておいたがあまり進まず。こんな時はベッドの上でボーっと新聞を繰って、脳みそのウォーミングアップをしたいものだと思うが、残念ながら今はペーパーの新聞は購読せずもっぱらネット頼み。仕方なくネットをつないでヘッドラインをチェックし、いくつかプリントアウトする。ワシントンポストがアメリカ新聞業界の苦悩を報じていた。『Hard News-Daily papers face unprecedented competition』と題した記事は、今に始まったことではない、インターネットとケーブルニュースチャンネルに押される紙版新聞の苦戦ぶりの話。記事によれば・・・シアトル・タイムズの発行主は「ベビーブーマーズが今も新聞紙売上の牽引層だが、問題は18歳から35歳までの世代が、ベビーブーマーズの代替にならないことだ」と分析する。ある広告バイヤーは「今は誰も、朝シリアルを食べながら新聞を読むために半時間を費やすことができないんですよ。みんなもうシリアルを食べない。我が社のクライアントにはGeneral Millsがありますがね。今はみんなシリアルでなくヨーグルトバーを通勤途中に食べているんですよ。」購読者数自体の減少も問題だが、それ以上に、購読者数が減ることで広告枠が売れなくなることが収支上の大きな痛手になり、充分な取材態勢をとれなかったり、海外特派員の削減などに跳ね返る。そうすると、Quality paperのQuality paperたる価値が維持できず、さらに読者離れをおこす。もちろん各社インターネット版の展開にも力を入れているし、日本の携帯ネットで読める新聞同様、BlackBerryなどの小型ネット端末で読める記事の配信やヘッドラインのe-mail配信サービスにも力を入れているのだが、別の問題は、ネット広告の価値がまだそんなに高くは認められておらず、Web版の広告収益はなかなか経営支出を賄うまでには追いつかない。例えばワシントンポストの場合、2004年の1月から9月までで、紙版の広告収入は$433millionであるのに対し、ネット版の広告収入は$45millionにとどまる。$45millionではワシントンポストの規模と品質を賄うことは到底できない、というわけだ。2003年、ワシントンポストのWeb版もニューヨークタイムズのWeb版もようやく黒字を達成したところだというから決して楽なビジネスではない。Dow Jones & Co.電子版の社長は「あまりに多くの新聞社Webサイトが消費者に対し自らの価値を下げて接してきたことが問題だ」と分析する。ほとんどの新聞社のWebサイトが、そのスタート時点から無料で記事を提供してきた。今やニュース情報消費者の間には、ニュースメディアが提供するニュースは無料で読めるもの、という理解がスタンダードになっている。各社ともWeb版にも購読料を設定したいところだが、そうすると無料でニュースが提供されている社へ利用者が移動していくだけに終わる可能性が高い。一部、ウォールストリート・ジャーナルやESPNマガジンのWeb版は、Web版特別記事や詳細情報などの掲載に伴って課金をはじめているが、メジャーペーパーのWeb版は打開策を模索中といったところ。2001年の”dot com crash”以降、ネット広告の売上は好調で2004年の上半期だけで40%増だったそうだが、それでもネット広告は年間総広告支出(Total Ad Spending)の3%に過ぎないそうな。(Washingtonpost.com. Sunday, February 20, 2005. http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A37138-2005Feb19.html) 確かに、Web版より紙面を好む私でも、学生価格の月$24を払ってでも紙版を購読するか、というとしていない。キャンパスに行けば、学部のビルでウォール・ストリートとニューヨークタイムズが無料で配布されていて手に入るのも購読料を節約させている理由。紙版を好むのは、Web版では自分がクリックしない限り目を通さない情報も、紙版なら知らずに目に入ってキャッチすることができるからだが、今の学生という身分ではニュースを読むのが自分自身の知識向上と心がけの域を出ないから、無料で手に入るWeb版がありながらわざわざ購読するか、というとそうはならない。そのうちまた、日々のニュースと隣り合わせの職に戻れば紙版がなくてはやっていけないとは思うが。インターネットが普及したからといって紙ニュース媒体がなくなることはないだろう、という持論を持ってはいるが、一方で経営、マーケティングの面から考えると、紙版の購読者減少→紙版の広告収入減少→収益低下に伴う取材力の低下→情報品質の低下→紙版・Web版共に読者離れ、というシナリオの可能性は否定できない。新聞業界、確かに非常に難しい時代にあるようだ。
February 20, 2005
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