光のはしら通信
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家のすぐそばに小さい公園があり特にお出掛けしない休日は気分転換によくくつろぎに行きます。家には庭も広いバルコニーもないけれど公園が近くにあって庭に出るような感覚で思い立った時にすぐに利用できる環境がありがたいです。少し前まで桜の花で埋め尽くされていた視界も今では緑でいっぱい。小鳥の囀りを聞いたり緑たちを眺めながらお茶を飲んだりぼーとしたり。家の用事で忙しい日もそんな区切りで気持ちがリセットしています。最近の発見!!わたしは「聴覚情報処理障害」(APD)だったのでした!!!APDとは音は聞こえているのに言葉として聞き取ることに難がある症状です。最近発見された症状らしく聴覚検査をクリアしてしまうし本人にとっては幼い頃からの症状なのでこんなものか?で過ごし続け見過ごしてしまうことも多いらしいです。わたしもそんなものかでやってきたけれど社会に出てからこれまで2回ほど全く別の職場環境で上司にあたる人に聴覚に問題があるのではないか?と言われて検査に行きましたが問題は発覚されず、ただ、自分にはそういう独自の症状があることだけは自覚するようになっていました。未だに診断を受けたわけではないのですがそうなんだろうなと思っています。治療法もまだないらしく生活の知恵などで切り抜けるしかないそうです。APDは発達障害の一種とも言われていてこれも結構なるほどです。普通の人が当たり前にわかることがわかってないことが自分にはあり自分は発達障害なのではないか?と感じることが稀ではあるけどあったんです。昔は間が抜けているとかそれを恐らくは精一杯のお世辞(?)にして(⁇)天然とか言われてたし...人と雑談レベルでの感覚的交流があまりできないし。(これはスターシードあるあるでもありますね)聞こえにくいからどうでもいいような細かい話には労力をさかないようにしてきた幼い頃からの習慣で そのようなコミュニケーション力を伸ばせなかったということはあるのかも?ところで最近発達障害の子どもが増えている理由の一つとして地球の悪き(良いものもある中の悪いほうという意味あいですあくまで)習慣や考え方に染まらないことで高い波動を保ち続ける人たちが地球にとって必要だからというのがあるそうなんですがこういう説も妙に納得!わたしは人の中で孤立してしまいがちな面がある一方で集団心理に流されにくい面があると自覚しています。みんなが悪く言うことに逆に興味を持ってしまうところがあり子どもの頃は学年のいじめられっ子殆ど全員と仲良しでした。皆に人気のある子ともとも普通に仲良しで小学生時代は人生中いちばん友達が多かった時代かもです。いじめられっ子に対しては同情とかは勿論なくて単にその子たちがユニークだったから気が合ったんですね。わたしはというとあんまりいじめられはしなくてどちらかというと敬遠されるタイプなのかも?高校時代の友人にいかにもいじめられそうなわたしがいじめに合わなかった理由を聞いたことがあるのですがいじめがいがなく面白くないからなのでは?と言っていました。また、親や学校から競争社会で生き抜いていく術などを説かれ続け他の価値観もない状況(時代)でも前提となる「競争」そのものに違和感を抱いてそういう概念から外れた価値観で過ごしてこれたのも発達障害ゆえだとしたらその代償の孤立感に関しても許容する気持ちにもなれるというものです。ということで今回はAPDであろうと発達障害であろうとちゃんと存在価値はあるんだよというお話でした。
2024.04.21