Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など 326
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もう写経もあと僅かである。 なんとか頑張ってみよう。 *** ナイル川クルーズ 11日目 カイロへ 朝:空路カイロへ ルクソール→カイロ エジプト63便 7:05→8:15 503kmを時速431km/hで空路を飛ぶ。 世界遺産カイロの観光。 ・ハンハリーリ・バザール ・イスラム地区にあるムハンマド・アリ・モスク 帰国: 成田直行便 当日 17:50発 (日本時間 翌日の0:50発) ******** ・イスラム地区にあるムハンマド・アリ・モスク イスラーム地区南東、モカッタムの丘の城塞中にあるビザンチン 様式モスクは、ムハンマド・アリ朝に建設を開始し、息子により完成。壁装飾、クリスタル・シャンデリア、ステンドグラス円蓋は荘厳である。 市街には丸屋根のモスクの建物が林立している。 同じ城塞内に、軍事博物館、警察博物館、ヨセフの井戸などがある。 信仰深いムスリムは1日5回も礼拝(1回はモスクで祈る)、 女性は肌の露出は禁止で観光客も例外ではない。 ・ハンハリーリバザール 日本人の買物客とみると、人見知りしない陽気な店員が、「山本山」 など日本語を並べる。 香水、パピルス絵画、スカラベ(糞転がし虫)、ミイラ置物、王の石像、 その他の買い物では値引き交渉が(大阪のおばちゃんより)面白い。 おみやげを楽しく買う。
Apr 6, 2012
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ナイル川クルーズ 10日目 ルクソール 午前: ルクソールで下船し、世界遺産のルクソール西岸観光 ・王家の谷のツタンカーメンの墓などに歴代のファラオが眠る ・ハトシェプスト女王葬祭殿の壮大なスケール ・メムノンの巨像 午後: 世界遺産のルクソールの東岸観光 ・カルナック神殿は古代都市テーベの中心にあった 夕刻: ライトアップされ神々しさを増したルクソール神殿を 訪れる。 船中泊 ************** ・王家の谷(WEBの紀行文などから引用抜粋) ナイル川西岸の岩山にあるファラオの墓群から、62基を発掘、 うち10数基が公開されている。 王家の谷では「東の谷」、「西の谷」があり、「西の谷」では「アイの 墓」のみ公開。 個別に見てみる。( )は概略。 ・ツタンカーメンの墓 1922年、英考古学者、ハワード・カーターの発見。 ほとんど盗掘されず、埋葬時のままの豪華な副葬品が残り、「黄金 のマスク、副葬品」は、先日見たカイロ博物館に移されたが、石棺、 ミイラ型棺は墓中に残る。 ・セティ1世の墓(王家の谷で最大規模。玄室天井の天体図には 星座を動物、人間で描写) ・ラムセス1世の墓(在位短く簡素) ・ラムセス3世の墓(メディネト・ハブの大葬祭殿を建設) ・ラムセス4世の墓(壁画の一部のみ良好) ・ラムセス6世の墓(玄室天井の昼・夜を背中合わせした女神ヌゥト 描画が素晴らしい) ・ラムセス7世の墓(壁画未完) ・ラムセス9世の墓(通路壁面に、太陽が冥界を通過する姿、冥界 の神々の姿が見える。) ・メルネプタハの墓(玄室の壁画は痛んでいる) ・トトメス3世の墓(ハトシェプストと確執。壁画は地味) ・トトメス4世の墓(大規模墓で壁画あり) ・サプタハの墓(墓の装飾が立派) ・タウセルト・セトナクトの墓(玄室が2つあり、手前がタウセルト、 奧がセトナクト) ・アイの墓(ツタンカーメンの宰相、後にファラオ) ・ハトシェプスト葬祭殿(WIKIPEDIA抜粋) エジプト・ルクソール西岸にある葬祭殿。 古代エジプト唯一人の女性ファラオ、ハトシェプストが造営、側近 の建築家センムトが設計を行った。 後にトトメス3世により壁画、銘文が削られるなど一部破壊を受ける。 手前にはメンチュヘテプ2世の王墓がある。 葬祭殿と王墓は、後にコプト正教会の教会として使用され、デル・ エル・バハリ(アラビア語「北の修道院」)と呼ばれる。 1997年11月のルクソール事件の現場で、外国人58人を含む 62人が死亡し、多くの日本人新婚旅行者も含まれた。 ・メムノンの巨像(WIKIPEDIA抜粋) 高さ約18m の2体のアメンホテプ3世の像がある。 呼び名はギリシア伝説、トロイア戦争のエチオピア王メムノーンに 由来。 元々は、背後に同王アメンホテプ3世の葬祭殿があり、入口部分で あった。 葬祭殿は第18王朝ファラオ・メルエンプタハが自身の葬祭殿の 石材調達のため破壊された。 向かって右側像は紀元前27年の地震でヒビが入り、夜明けには、 温度差、朝露の蒸発のため、うめき声や口笛のような音を発した。 地理学者ストラボンは著書で巨像が発する声か、近くの人間の声 か解らないと疑問を呈した。 また、『ギリシャ案内記』の編纂者・パウサニアスも声を出すメムノン の巨像について記述している。 ・カルナック神殿 首都カイロからナイル川を600km遡上した東岸に位置する。 新王国時代に繁栄した首都テーベ(現在のルクソール近辺)に 建立。 西岸には歴代の王が眠る「王家の谷」や貴族の墓。 約500m四方神域に歴代の王が増改築を重ねた巨大な複合施設 があり、中心はアメン大神殿。 全体の構成は中心軸の上にあり、六つのピュロン(塔門)で仕切る。 センウセルト1世、アメンホテプ1世、トトメス1世、セティ1世などの、 第18、19王朝の歴代王が造営、増築する。 アメン神殿から神殿が延びており、「聖池」がある。 その副神殿として、南に3km程離れたところにルクソール神殿。 スフィンクスが両側に並ぶ参道で、カルナック神殿とつながる。 毎年洪水季の11日間のオペト大祭のときに、アメン、ムト、コンスの 三柱の神体が聖舟にのせられ、カルナック神殿からルクソール神殿 に運ばれる。 (パムナプトラで有名・・・WIKIPEDIA 以下そのまま) 『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』 (The Mummy)は1999年のアメリカ映画。 スティーブン・ソマーズ監督・脚本のアドベンチャー映画。 1932年公開の 『ミイラ再生』 (カール・フロイント監督)のリメイク作品。 同作は1959年に英国ハマー・フイルム・プロダクションで 『ミイラの幽霊』 (テレンス・フィッシャー監督)としてもリメイクされている。
Apr 5, 2012
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ナイル川クルーズ 9日目 コム・オンボ コム・オンボで下船し、コム・オンボ神殿を訪ねる 船は、ナイル川の水位を調節するエスナの水門を通過 船中泊 *********** (WEBにある、たくさんの「旅行記」から引用させてもらったが、 美しい写真や解説がたくさん掲載されており、素人にも判りや すく、参考となるありがたい紀行文である。) コム・オンボ神殿 コムオンボはルクソールの南167km、アスワンの北46kmに ある。 「コム・オンボ」とは、「金取引に関係する町」、「オリンポスの丘」 などの意味があるとされる。 コムオンボの街外れの、ナイル川に面した、小高い丘の上に建つ コムオンボ神殿はプトレマイオス朝時代、左右対称・二重構造を 持つ神殿で、「ワニの形」・セベク神と「ハヤブサの形」・ホルス神の 2つの神を祭る神殿。 * * セベク神の姿は、鰐or鰐の頭で、角・太陽・円盤・羽根の混合頭飾を 纏った男性である。 wikipediaによると、ホルス神は、最古、最も偉大、最も多様化の神。 通常はハヤブサの頭で、両目が太陽、月である男性の化身。 ホルスは、ホルミオスの名でライオンの外観を、ハルマキスの名で スフィンクスになる。 元来はオシリス、イシスの子・天空神ホルスと、ラーの息子・ホルス なる同名神が二柱存在、習合化したもの。 のちに、幼児神に変化し、母神イシスの膝に乗にのる幼児の姿が 「聖母子像」の原型とも考えられている。 ホルスの元素は、大気、火。その色は、一般には黒、赤、白。 * * 入口、通路、至聖所も2つづつの、2重構造の神殿。 神殿外壁に、AD2世紀頃のローマの医療器具や男根などレリーフ が残る。 エドフ神殿 コム・オンボから1時間ほどでエドフに到着。 エドフは、ルクソールとアスワンの中間に位置する、ナイル川西岸 の町。 エドフには、「隼の形のホルス神」に捧げられた神殿、エドフ神殿 (別名、ホルス神殿)がある。 正面の巨大な塔門をくぐり、多数の列柱に囲まれた広い中庭に出る。 正面の第1列柱室の入口にはホルス神の像があり、上・下のエジプト 統一を象徴する二重王冠を被っている。 この神殿は、紀元前の建設で、最も保存状態が良好といえる。 エスナ水門 ルクソールとアスワンのクルーズの途中、エスナの水門を通過。 川は水門で閉じられているため、航行する船は必ず通過しなけれ ばならない水門である。 一度に2隻しか通過出来ず、水門に到着し、水門を通過するまで 4時間は要する。 まるで運河航行時の水位調整堰のようである。
Apr 4, 2012
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今朝は、火曜日のテニスを奥様達と、強風の中でやってきた。 強風で、ボールが内角にシュートしてくるのには驚いた。 強風の中では、まるでナダル選手のようなスピードとスピンが発生 するようだ。 小生も、強風を味方にする工夫を考えなくちゃーいけない。 昼頃まで、雨は降らずになんとか続けられたが、また疲れた。 いまは、雨戸を閉めているが、ガタガタとうるさく、かなりの風圧で カーテンが部分的に揺れる様に感じる。 竜巻のような風の音が聞こえるが、地震と言い、なにか地球に 異常が訪れているような危険も感じないではない。 防潮堤の高さを気にするよりも、どこに逃げるかを考えるのが先決 のような気がする。 エジプトだったらピラミッドしかないだろうとおもうが、登りにくいかも。 ピラミッドは避難場所ではなくて、ファラオが死後に天界に旅する ための工夫なのだから、一般人の避難なんぞ考えていないのだ。 いっそ原発もピラミッドのような堅牢な構造にしたら安全だが、居住 性が果たして両立するだろうか? また、脱線した!! ****** ナイル川クルーズ 8日目 アスワン & イシス神殿 午前:ナセル湖クルーズを下船し、アスワン観光をする。 アスワンハイダム 切りかけのオベリスク 午後:フィラエ島の世界遺産・イシス神殿 夕刻:ナイル川クルーズ船に乗船 船中泊 *************** アスワンハイダム(WIKIPEDIAを抜粋) 建設目的は、ナイル川の氾濫防止と灌漑用水の確保であるが、 ロウ・ダムだけでは力不足であったために、当時のエジプトの ナセル大統領がソ連の支援を受けてアスワン・ハイ・ダムを国家 的事業として計画を立てた。 堤高111m、堤頂長3,830m,底部最高幅980mの巨大ロック フィルダムである。 アスワン・ハイ・ダムの巨大な貯水池ナセル湖の名はガマール・ アブドゥン=ナーセル大統領の功績をたたえてつけられ、総貯水 容量は111立方km、湛水面積5,250平方km、排水能力11,000 立方kmである。 アスワン・ハイ・ダムの完成によって、毎年のように起こっていた ナイル川の氾濫を防止するとともに、12基の水力発電装置が 210万キロワットの電力を供給。 ダムにより出現したナセル湖から供給される水は不足がちの農業 用水を安定させ、砂漠の緑化も行われた。その一方で、ナイル川 の生態バランスを破壊したなどの批判もあるが、ナセル湖の漁業は とても活発で、豊富な水産物は重要な食料として活用されている。 資金面以外にも、水没地域の約9万人といわれる住民の移住と、 同じく水没地域にあった、古代エジプト遺跡群保護の問題が、 派生した。 住民は主にルクソールからコム・オンボの間に開かれた30の新開地 へと移住させることで解決した。 ヌビア遺跡のアブ・シンベル神殿などの遺跡群は、当初は、その まま水没させてしまう計画だったが、国際社会からの反対の声が強 くユネスコの援助で巨額の費用をかけて湖畔に移築された。 移築されたのはアブ・シンベル神殿だけではなく、アスワン・ロウ・ ダム建設時から水没していたフィラエ島のイシス神殿や、カラブシャ 神殿、アマダ神殿、ワディ・セブアなど10個ほどの遺跡が水面上へ と移設している。 切りかけのオベリスク アスワンから南へ約1キロメートルに古代エジプトの花崗岩石切場 があり、「切りかけのオベリスク」と名の付いた、岩石の切り出し塊が ある。 重さ約1,170トン、高さは40メートル超で、オベリスクとしては、未完 成のまま残されている。 完成していればエジプト最大だが、製作途中で岩中にひび割れが あり、未完成とした説もある。 イシス神殿 アスワンダム(ローダム)は1898年、イギリスが着工1902年に完成 させた当時世界最大のダム(堤長2,140m、高さ51m、花崗岩で 構築)だが、この建設により、フィラエ島のイシス神殿は一度湖底に 沈んだ。 しかし、アスワンハイダムの建設が持ち上がり、世論の沸騰で、10ヶ 月後に、移築が決まり1972年から1980年にかけ、隣のアギルキア 島に移築された。 フィラエ島は南北約400m、東西135m、ナイルで一番美しい島で あり、その上にあった神殿はアスワンダムとアスワンハイダムに挟ま れたナイル川河川内にあるアギルキア島に移設されている。 かつて、聖なる島とされたフィラエ島には、プトレマイオス朝、ローマ 時代まで様々な建築が行われた。 イシス神殿はフィラエ島の主な建築物、ホルス神の母で、オシリス神 の妻なるイシス女神を祭る神殿。
Apr 3, 2012
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ナイル川クルーズ 7日目 ナセル湖クルーズ 午前:ワディ・セプアで下船、テンダーボートで上陸し、ワディ・エル・ セプア神殿、ダッカ宮殿を訪れる。 ラムセス2世が建築した、スフィンクスの並ぶ参道のあるワディ・ エル・セブアを見て、そこから少し砂漠を歩いたところにある、 ギリシャ・ローマ時代のダッカ神殿とマハラッカ神殿を観光する。 午後:のんびりとしたクルーズ 船中泊 以下は、西村洋子女史によるWEBの説明等を借用・抜粋する。 ワディ・エル・セプア神殿 ワディ・エル・セブアとは、アラビア語で「ライオンの谷」の意味で、 砂地に埋もれていたスフィンクスがライオンの形に見えたことから、 ライオンのいる谷となったもので、生きた動物の獅子がいたから ではない。 同じように、エジプトの別の場所で、古代に生きていたクジラの骨 が発見され、ワディ・エル・ヒタン「鯨の谷」と呼ばれているのも、 この呆け頭には面白い。 赤い砂に埋もれたような、赤い砂岩の神殿は、ラムセス2世が、 クシュ総督のセタウに命じて建設した神殿(本来の位置から 北西に4km離れて再建された)。 部分的に日干し煉瓦で造られたために、ほとんど崩壊している。 レンガ壁の石の門は第一中庭に通じ、通路両側には二重王冠を 戴く6体の人頭スフィンクスを配置、さらに第二中庭には、ラー・ホル アクティー神・ハヤブサ頭スフィンクスを左右2体ずつ配置。 第二中庭の左側にラー・ホルアクティー神の小さな礼拝堂、倉庫。 さらに、北の階段上には、石のピュロン(塔門)があり、かつて4体の 王の巨像があったうち一体が残り、アメン神の羊頭・棒を持つ王が いる。 その後方に両側5本ずつ柱列で区切られた中庭がある。 柱の前にはラムセス2世の巨像が立っている。 左側には屠殺場があり、階段を上がると神殿の岩窟部分に出て、 大列柱室、6本の普通の柱、6本の王像を伴う柱があるが、保存 状態はひどい。 キリスト教時代の教会は、後陣と祭壇が今でも西側にあり、壁には 聖人たちが描かれ、両側に側室のある横軸の控間、3部屋があり、 中央の部屋は至聖所。 アメン・ラー神と王の彫像がその奥の壁がんに祭られている。 キリスト教壁画の大部分は博物館に移されたが、使徒ペテロの像は 残されている。 エル・ダッカ神殿 アスワン・ハイダムから南へ約100kmのエル・ダッカ(古代エジプト 名ペル・セルケト、ギリシア名プセルキス)にはトート神を祭る神殿が あったが、1962年から1968年間に、さらに40km南のワーディー・ エル・セブアに移転された。 もとの建設は紀元前220年頃メロエ王国のアルカマニ王により始 められ、プトレマイオス朝とローマ皇帝達により増築された。 ピュロンに使われた、たくさんの石材は、それ以前の古い神殿から 再利用されたものである。 二つのピュロンの南側には階段吹き抜けの入口があり、それを上って ピュロンの屋上に出ることができる。 第一中庭の入口の両側の二本の柱は、プトレマイオス8世、エウエル ゲテス2世の時代に増築された。 後方壁はかつてアルカマニ王の古い神殿の正面の壁だったが、プトレ マイオス4世フィロパトールによって拡大された。 第二中庭の南西部分に、屋上の小神殿に通じる階段があり、アルカ マニ王の礼拝堂は至聖所の控えの間で、その北東にローマ皇帝 アウグストゥスにより、もう一つの至聖所が造られた。 マハラッカ神殿 ダッカ神殿から坂道を下ると、マハラッカ神殿があり、グレコ・ローマン 時代に建てられた神殿で、未完成のまま。壁、柱の装飾もほぼ未完で、唯一レリーフだけが完成。 古代エジプトでは唯一の大変珍しい、屋上へ続く石製の「らせん 階段」のみ。 *** 上で、トート神と言う言葉がでたが、もしかして、「スポーツ振興くじ」 の「toto」は、「東京都」の最初、最後の「ト」「ト」と、エジプト「トート神」 を謎かけしたモノなのだろうか? 関係ないのだろうか? 呆け頭には、悩ましいところである。 市の地域スポーツ団体では、資金面でお世話になっている。
Apr 2, 2012
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ナイル川クルーズ 6日目 アブシンベル・ナセル湖クルーズ 早朝:朝日に輝くアブシンベル神殿へ 昨日の午後は、アブシンベル神殿を十分見学したが、今朝は、 日の出に輝く神殿を訪れて、別の姿を楽しめ、心ゆくまで贅沢に 満喫。 午前: 世界遺産ヌビア遺跡群のカスル・イプリーム ダムの建設で、引越を余儀なくされた、ヌビア遺跡群だが、 唯一つだけ元の場所に屹立するのが、カスル・イブリーム。 アブシンベルの北方40km、カスル・イブリームは穏やかな ナセル湖の中の島に立つ城趾(QASR、カスル、なぜか発音 は英語のcastle似?)として現れる。 もともと、ヌビア統治の要塞として、かなりの高台に設置された出城 だが、平地や涸れ谷が水没し、いまでは島の要塞のような風体を 示す。 ハイダムが出来る前には、この地のイシス女神の信仰と共に、「アス ワンのイシス・フィラエ神殿」に対する「南のフィラエ」と称され、巡礼地 として信仰者から敬われていた所。 現在は遺跡を水辺から眺めるだけだが、石ブロックと日乾レンガが 散乱、倒れそうなアーチが見られ、その廃墟からは、かつての栄華 を想像することは困難である。 かつては、イシス祈願のために、たくさんの老若男女の巡礼者が、 頂上の神殿を目指した姿を、「瞼を閉じれば」、覗うことも出来よう。 ローマ帝国がキリスト教を政治の道具に使ったため、イシス信仰は、 対岸のエジプトでは強い圧力を受けた。 しかし、この遠くヌビア地区までくると、圧力は薄まり、かなり遅くまで 信仰は残り、逆に、イシス女神信仰がキリスト教に影響を与えて、シン ボルやモチーフに取り込まれている。 ヌビア地区の聖地は、イシス信仰、キリスト教、(後日ではイスラム教) などにうまく利用され、その痕跡が残っているのだ。 ちなみに、ローマ皇帝テオドシウス大帝は帝国内のすべての古代 神殿を閉鎖し、キリスト教一色にしようとしたが、フィラエ神殿は抵抗 して、この地域周辺の宗教の自由は1世紀近く保証され、東ローマ 帝国のユスティニアヌス大帝が550年にすべての神殿を閉鎖するま で、しぶとく生き残っている。 午後:アマダ神殿 アマーダにある神殿はヌビア遺跡の中では最も古く、トトメス3世、 アメンヘテプ2世、トトメス4世という3人の王の建設によるもので、 内部のレリーフが部分的だが「色つき」できれいに残っている。 ハイダムの建設に際して、移転を余儀なくされたが、解体するの でなく、元の形のまま、鉄道輸送で移されたものである。 船中泊
Apr 1, 2012
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今朝は、強風の中で、今年度最後の、久しぶりの地域振興テニスの 練習をして、また疲れてしまった。 最近は、「週末」(終末ではない)と言っては、雨がやってくる。 「習慣的」(クセ)になってしまった。 来る来る、と言って、来て貰いたくない物もある。 鉄腕アトムならぬロケットは日本領海には歓迎しない。 親愛なる隣国の土俵で受け入れるしかないのではないか。 ただ、その方向は、ロケットのスピードを遅くするし、海域の 領海問題を抱えて、不明な海上採掘施設もあり、危険である。 他方で、いつのまにか、「消費税値上げが既成事実」のように、 政治の主役が代わっても、絶えず「投球動作に入ろう」としている。 「消費税値上げの球種」しか選抜投手には投げられないようだ。 「いまはそれを投げない方が良い」と、医者から止められていても、 監督と側近だけが、サインで強要している。 「外遊すると、消費税アップに被れる」らしい。 「もっと先に取り組むべきことがある」のが見えなくなる、刹那的 眼病である。 そういえば、眼帯をしていたときもある。 だれが、そのような危うい監督を選んだのか。 監督は、選ばれたら、何をやっても良いのである。 自分の監督行為は、自分しか責任を取れない。 公序良俗に違反しない限りは、全身全霊で自分を信ずる。 ただ、状況判断を誤り、あまり無理をすると、チームの統制を失う ばかりか、他の高校に球種を読まれて逆転ホームランをかっ飛ば されそうである。 そのような、逆転は見たくはないが、試合なら仕方のない事だ。 **さて、呆け頭は、よそ見はやめて、クルーズに戻ろう。** ナイル川クルーズ 5日目 飛行機でカイロ→アスワン→アブシンベルへ 旅行は、一気に目的地の最上流に向けて、空を飛んで、 ナセル湖のアブシンベル空港(アスワン空港を経由)に到着し、 ナセル湖をクルーズ、さらにナイル川を下るルートをとる。 高低差の少ないナイル川を遡上する事は容易いが、時間短縮と セキュリティの面からこのルートが最善と見たからだ。 飛行機:カイロ→アスワン(経由地) エジプト391便 7:00→8:25 1時間25分で684kmを移動、時速483km/h。 アスワン(経由地)→アブシンブル エジプト132便 8:55→9:40 45分で210km(距離はナセル湖までを計算)を時速280km/h。 午後、世界遺産・アブシンブル大神殿、小神殿を観光。 夕方、ナセル湖のクルーズ船に乗船。 「ヌビアが誇る珠玉の遺跡群」を巡る旅に出発。 アブシンベルには、アブシンベル神殿しかないため、飛行機 の日帰り客が多く、飛行機の最終便の後は人もまばらになる。 昼間は混雑している神殿を、ゆっくりと、何時間でも満足のいく までこの神殿と向き合える。 夜はそのままアブシンベル神殿の横で停泊(船中泊)し、 ライトアップされた神殿を眺めながら、キャンドル・ディナー を楽む。 そして夜には「音と光のショー」を見る。 ************ アブシンベル神殿についての補足 (WIKIPEDIAから抜粋) 移設前は、砂岩の岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿で、 大神殿と小神殿からなる。 建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。 祭神は大神殿が太陽神ラーを、小神殿がハトホル女神を祭り、 小神殿は最愛の王妃ネフェルタリのための建造である。 建設後、長い間砂に埋もれ、1813年にスイス人東洋学者 ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトが小壁の一部を発見、 1817年に彼の知人・イタリア人探検家ジョヴァンニ・バッ ティスタ・ベルツォーニが出入口を発掘した。 1960年代、アスワン・ハイ・ダムの建設計画に伴う水没危機 は、ユネスコによる国際的な救済活動で沸騰し、移設となった。 1964年から1968年間に、遺跡は正確に分割、約60m上流の、 川から210m離れた丘、コンクリート製ドーム基盤に移築 された。 現在、アスワン・ハイ・ダム建設により生まれた人造湖・ナセル湖畔 に佇んでいる。 この大規模な移設工事を契機に、「遺跡や自然を保護する 世界遺産」が創設された。 アブシンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡で、文化遺産として 登録されている この神殿では、年2回神殿の奥まで日光が届き、神殿の奥の4体の 像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らすように なっており、観光客の目玉となっている。 本来はラムセス2世の生まれた日(2月22日)と、王に即位した日 (10月22日)にこの現象が起こるものであったが、移設により 日にちがずれてしまった。 アブシンベル大神殿 大神殿の四体の像はラムセス2世で、その前に並ぶ象は家族の像。 奥にはプタハ神、アメン・ラー神、ラー・ホルアクティ神、 ラムセス2世の像がある。 壁には神聖化された聖なる船の前で儀式を行う場面が描写。 浮き彫りに王の業績、北の壁にはカディシュの戦い、南の壁 にはシリア・リビア・ヌビアとの戦いが描写。 アブシンベル小神殿 ハトホル神と王妃ネフェルタリに捧げられた神殿。 立像が6体あり、うち4体は王、2体はネフェルタリである。 脇には王子と王女を配置。 *******
Mar 31, 2012
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ナイル川クルーズ 4日目 カイロに戻り観光、泊 午前中は、アレキサンドリアからバスでカイロまで232kmの旅。 午後は、貴重な出土品のある考古学博物館を見学し、ミイラ室へも 入る。 エジプト考古学博物館は、世界に誇るエジプトの秘宝を展示して おり、2階建ての小さな建物だが100以上の展示室がある。 大人気なのは、2階のツタンカーメンの部屋で、光輝く少年王 ツタンカーメンの黄金マスクを見ることができる。 元のお墓の方は、ルクソールにあり、この旅行の後の方で見る ことができるようだ。 (いま、日本に来ているツタンカーメンの秘宝は昔々,大学4回生 の時、上野で見学した「美しく輝く黄金マスク」なのだろうか ? いや、その他にも、たくさんの副葬品があるのだから、今回はマスク は来ないはずである。見に行くしかないのが自然であるのだ。) その後、モカッタムの丘にあがり、サラーハ・エル・ディーンの城塞 (シタデル,citadel、アラビア語ではカスバ,al Qasba)をみる。 カイロ地区ではオスマン・トルコ様式のモハメッド・アリ・モスクと ミナレット(イスラム教寺院の塔)がハイライトであるが、これは帰り の楽しみに置いておこう。 最後に、オールド・カイロを訪れ、イスラム教とは違う、古代の教会・ コプト教会を訪ねる。 コプト教徒の教会とは、聖バーバラ教会、聖ジョージ教会、ベン・ エズラ・.シナゴーグ(ユダヤ教の聖書の朗読と解説を行う集会所、 コミュニティ )などである。 カイロ市内には交通信号もなく、大渋滞が予想されるので、予定時 間には余裕をもちたい。 お泊まりは「ナイル川の見えるお部屋」である。 *** 考古学博物館にあるツタンカーメンの副葬品に付いて補足 (WIKIPEDIA) 王家の谷にあるツタンカーメン王の墓は、1922年に英・カーナ ヴォン卿の支援のもと考古学者ハワード・カーターにより発見、 発掘された。 ツタンカーメンは王墓としてはきわめて珍しく、3000年以上も 盗掘を受けず(実際には宝石の一部抜き取りはあったが、副葬品 自体は無事だった)、王のミイラに被せた黄金のマスクをはじめ数々 の副葬品がほぼ完全な形で出土。 その発掘は世界を大いに驚かせ、発掘スポンサーのカーナヴォン卿 が墓の公開直後に急死、発掘関係者が次々と不遇の死を遂げたた め、『ファラオの呪い』という伝説、謎解きも広まった。 また、ファラオのミイラにあった大きな外傷から、ツタンカーメン暗殺 説と注目された。 いくつかの傷は、20世紀前半の発掘時のものだと、確認済み。 ツタンカーメンのミイラと、黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品 はエジプトに残された。 そして、黄金のマスクや純金製の第3人型棺をはじめとする副葬品 の大半が、現在はカイロのエジプト考古学博物館に収蔵されて観 光客に公開されている。 またツタンカーメンの墓には、出産直後か死産かと見られる二体 の子供のミイラも一緒に葬られており、これはツタンカーメンの子供 だと考えられている。
Mar 30, 2012
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クルーズを書く前に、市民のテニスの試合に行ってきた。脳幹梗塞なので余り動けないのだが、3-1,1-3,4-0,3-1と善戦してきたので疲れてしまった。(40名近い老若男女 のダブルスで、4ゲーム・ノー・アドバンテージ対戦である。 4-0を3回続けた人物の組を3-1で破ったのが唯一の救い。)あとで書き直すところが、いつもより多くなりそうだ。 ************** ナイル川クルーズ 3日目 アレキサンドリア観光、泊 午前中は、ギザからアレキサンドリアまでバスで244kmを移動。 午後、アレキサンダー大王が築いた港町・アレキサンドリアを観光。 カイロの喧騒から、車で3時間ほど離れた、美しい地中海沿岸の 町アレキサンドリアへ…! アレキサンドリアはクレオパトラがエジプト女王時代の首都で、 ローマ時代の遺跡などが残る。 その後しばらく、さびれた港町であったが、ムハンマド・アリ時代 に進んだ西欧化で、ヨーロッパの歴史や雰囲気が感じられる街へ。 見 所・地中海に面したカーイトゥベーイ城砦 アレキサンダー大王の案で、プトレマイオス2世が紀元前3世紀に 建設した、古代世界7不思議のひとつ、ファロスの灯台の跡に、 15世紀マムルーク朝スルタン・アシュラフ・カーイトゥベーイが 建設した、3層構造の堅固な大理石造りの要塞があり、その後 地震により破壊を受け、イスラム寺院に利用されたが、現在は 内部が海軍博物館となっている。 ・アレキサンドリア図書館 プトレマイオス1世が建造したアレキサンドリア図書館は、 ヘレニズム時代の世界最大の図書館で、幾何学の父・ユーク リッドが通い、文献学者アリスタルコスが館長であった伝説の 図書館。戦禍で破壊、焼失したが、ユネスコとエジプト政府が2億ドルを投じ、 11階建て、総面積85千平方mの巨大で独創的な新しい図書館を ノルウェー人技師の設計で建造し、将来は800万冊の蔵書を収容 することを目指している。・ポンペイの柱 ローマ皇帝ディオクレティアヌスが建てた、図書館や神殿といった 建造物の跡である。 かつて柱は、400本もあったが、今は大きな柱が1本だけ残る。 その昔、ローマの将軍・ポンペイウスのために建てられたと勘違い され、「ポンペイの柱」という名前がついた。 ・カタコンベ 神秘的な地下墓地。本来は貴族階級の墓だったが、3世紀以降 一般の共同墓地となった。 薄暗い階段の下の、分かれた小部屋には、人骨がたくさん重なる。 懐中電灯が必要な場所だ。 ・国立アレクサンドリア博物館 2003年8月オープンした博物館は、地下がファラオの時代、1階は グレコローマン時代、2階には近代とコプト教、イスラームについて の展示がある。 展示品数は少ないものの、海底から発掘された物などは素晴らしい。 市民の生活の足・路面電車に乗車する。 スタンレー・ブリッジの夜景はエキゾチックである。 お泊まりは地中海の見えるお部屋です。
Mar 29, 2012
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ナイル川クルーズ 2日目 ここからの記載は、「自由が丘」氏の旅行日程に基づいているが、 彼自身の細かい記載はないので、代わりに同じ時期に旅行して いる人々の旅行記などを参考に呆けのリハビリ勉強をしてみた。 したがって、かならずしも史実に合致しないかも知れないことを、 お断りする。 旅行記の最終に「自由が丘」氏の感想文を記載する予定である。 ************************ ギザ(または、ギーザ)に滞在し、世界遺産を見る。 午前 ギザの三大ピラミッドとスフィンクスの見学。 1.クフ王のピラミッドなど、三大ピラミッド ピラミッドとは、古代エジプト文字では「昇る」の意で、 「ミル」や 「ムル」と発音、 ヒエログリフでは「△」 と標記する、そのままだ。 「クフ王」(在位BC2589-BC2566)、 「カフラー王」(在位BC2558-BC2532)、 「メンカウラー王」(在位BC2532-BC2503)という エジプト古王国のファラオ達の名前を冠した、三大ピラミッドがある。 この優れた遺跡が建造された時代を「ピラミッド時代」という。 「クフ王のピラミッド」は地震で先端が崩れているが、もとは 146.59mの高さ(10mが崩壊し、現在138.7m)、1底辺は 230.37mあり、1個2.5トンもの石を270~280万個積上た、 「黄金比」の史上最大のピラミッドだ。 建造物としては1880年にケルン大聖堂が建てられるまでは 世界最高の高さを誇っていた。 浅草の直線的なタワーと比べても意味はない。 建設時には、化粧石で見事に輝いていたが、他の建設資材として 必要だったために、上張りはすべて剥がされており、今は無惨な姿 を晒している。 頂上が残り美しい姿のある「カフラー王のピラミッド」は、1底辺の 長さ215m、高さ136.6m(元は144m)の姿でくっきりと聳えており、 正面には葬祭殿を備え、参道は河岸神殿まで500m延び、その 先には、狛犬ならぬ、巨大なスフィンクスが跪いている。 ピラミッドのなかの玄室までの通路は、暑く、かつ、湿度が高く、 悪臭もあり、侵入者に前屈み歩行の、厳しい条件を強制する。 3番目のメンカウラー王ピラミッドは、1底辺が108m、高さ66.5m と、さすがに見劣りがする。 2.太陽の船博物館 クフ王が死後に天空を旅するために造らせたレバノン杉製の2隻の 木造船。 うち、発掘、復元されたクフ王の第一の船は、全長42.32m、全幅 5.66mで、オールは7mもある。 次いで、第二の船を早稲田大学エジプト研究所が電磁波レーダー で地中に存在しているのを確認し、現在も発掘が進行中である。 3.ギザの大スフィンクス 顔は人間のカフラー王に似せ、体が獣の聖獣は全長73.5m、 全高20m、全幅6mの像であり、頭以外は一枚岩彫り出しでは、 世界最大の像である。 顔はアラブ人に削られ、顎髭は大英博物館に持ち去られて無惨で あるが、その巨大さと、三大ピラミッドを背景にする雄姿は神格化 されて感動的でさえある。 カフラー王のピラミッドの葬祭殿からスフィンクスまで参道が延びて おり、一体として再生・復活を神に祈る構造物であろう。 午後 ギザ郊外のピラミッド群 4.メンフィスのラムセス2世の巨像 カイロ市内から南方27kmのナイル西岸にメンフィスがあり、 BC3100頃、ナイル川のデルタ地帯の下エジプトと上流の上エジ プトをナルメル王が統一、古王国を建設し、メンフィスを首都に定め 数百年間栄えた。 メンフィスの遺跡には、大きな建造物はなく、高さ4m、全長8m ほどのアラバスター製スフィンクス像程度。 メンフィス博物館には、ファラオ・ラムセス2世(在位BC1290- BC1224 or BC1279-BC1212)の巨像が倒れた状態で保存 されている。 長さは15mあり、端整な顔立ちで美しく、右足の一部は欠けている。 彼は、エジプト各地に自身の石像はもちろん、アブシンブル神殿、 カルナック神殿など巨大な遺跡をたくさん残している。 5.サッカラでは世界最古のピラミッドと呼ばれる階段ピラミッド ギザの南10kmにある砂漠地帯のオアシス・サッカラでジョゼル王 (在位BC2668-BC2649)がイムホテプに命じて建造した6重の 階段型ピラミッドで、高さ62m、基底部は東西125m、南北109m の長方形。 その他の複合物(セド祭殿、葬祭殿、列柱廊など)と一体を構成。 これらの建物複合群は、東西227m、南北545m、高さ10.4mの 塀で囲まれている。 マスタバ墓は平屋根・直方体の墓廟であり、階段状ピラミッドは、 これを6段に積み重ねた建造物であり、マスタバ墓内部のレリーフ から当時の生活が覗える。 マスタバ墳墓は、この付近には多く存在し、有名な早稲田大学の 吉村作治考古学者も発掘を続け、地元から感謝されている。 6.ダハシュールの赤ピラミッド、屈折ピラミッド さらに、バスに半時間ほど乗ると、砂漠のダハシュールに着く。 そこには、クフ王の父のスネフェル王(在位BC2613-BC2589) が建てた2つのピラミッドがある。 高さ105m、1底辺189mの、途中まで角度54度、それから先は43 度に折れ屈折した、「屈折ピラミッド」と、その失敗を反省して1km 北方に建てた、高さ104.4m、底辺218.5mX221.5m、勾配が 約43度の二等辺三角形ピラミッドがある。 後者は、鉄分が多く含まれる岩を使用したため、赤い色を呈して おり「赤いピラミッド」と呼ばれるが、白い石灰石に覆われていたの が持ち去られ、内部が露出したものである。 クフ王のピラミッドは最も大きいが、その父・スネフェル王はたくさん のピラミッドを造っており、石材使用の量では最も多い王とされる。 以上に見たとおり、クフ王(146m)、カフラー王(136m)、スネフェル 王(104m)の順にピラミッドの高さが競われる。 ギザ泊
Mar 28, 2012
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今回のシリーズが自由が丘氏からの最後のクルーズ紀行の報告に なるかも知れない。 彼が、奥さんと12日間にわたってエジプト旅行した足跡を、めい てい君がWEBの力を借りて、まずは辿ってみたいとおもう。 X年2月1日 成田空港発カイロ行きエジプト航空965便14:25発(現地カイロ時間では7:25)↓カイロ 22:10着成田→カイロ間 大気圏距離9,616km を14時間45分要し、 巡航時速652km/hで飛行。 エジプト航空というと、運航責任者はイスラム禁酒国民であり、 日本の航空会社のようなアルコール類などの機内サービスは期待 できない。 美しいスチューワデスは、この国の婦人が砂漠でスカーフを巻いて 居るのをTVで見ていれば期待できない。 機内で活発に動いているのは屈強な男性ばかりである。 それに、航空機の装備内容などを日本と同様程度に期待しては ならないだろう。 乗客のほとんどは、日本人観光客でも、「アルコール」は自分での 持ち込み、クッションも必要なら自前で、機内の映像・音声はアラ ビヤ語だと観念すべし。 「郷に入っては郷に従う」のが習いだ。 When in Egypt, do as Egyptian do ! 機内夕食のメニューは、「牛丼」、「チキン唐揚げ」、「白身魚の ポアレ」から選択(別の旅行会社の例)する。 当然ながら、爪の割れた「ブタの肉」などが出て来ないはずである。 夕食のあとは、おにぎり1個、翌朝に朝食サービス。 この、おにぎり1個が美味しく感じるくらいの出来映え。 空港について、ビザを取得し、現地通貨の小銭に両替をして チップ(トイレにも必要、東南アジアの国でも同じであった)、 ミネラルウオーターなどの購入に備える。 空港内でも、イスラム教徒は礼拝儀式を行うので、それに驚くよう では、1日に何回もメッカの方角に礼拝するイスラム教徒の国を 旅する資格はない。 道路を歩いていると気がつくだろうが、シンガポールは公衆道徳が 素晴らしく(罰金が高い)、街が綺麗なのだが、ここはゴミが多すぎる。 道路の交差点、横断歩道も交通信号は期待しないで、車との 「あうんの呼吸」を大事にしよう。 さて、成田空港は2月の初めでもあり、まだ寒かった。 東京の2月の平均最低気温は2.4度、平均最高気温は10度である のに対し、カイロは同様に9.3度、20.7度と高く、平均最高気温は 倍となり、東京の5月並みに近い。 さらに、内陸部には砂漠もあり、東京の6月の平均最高気温並み 以上である。 日本の2月では、平均最低気温と平均最高気温の差が7.5度なの に対して、カイロでは11.4度、ルクソールでは18.6度と、朝・昼の 温度差が大きい。 一日が大きく温度によって左右されるので体調の維持が難しい。 平均最高気温・最低気温(摂氏度数) 季節月冬季12冬季2春季3春季5夏季6夏季8秋季9秋季11東京12.34.610.02.412.95.122.715.125.218.930.824.226.820.716.79.5アレキサンドリア20.411.219.29.721.011.226.516.728.220.230.422.929.421.324.414.8カイロ20.710.420.79.323.711.332.417.434.517.934.821.632.319.924.113.9ルクソール24.77.725.46.829.010.739.320.740.722.641.023.538.521.529.612.3アスワン25.59.926.19.430.412.638.521.142.124.241.324.739.622.230.214.5 年間を通じてみると、地中海・海洋性気候が「優勢な」アレキサン ドリア、カイロはまだしも、内陸は砂漠地帯で、赤道近くに位置 するため、ナイル川に沿っているとは言え、緑は少なく乾燥して おり、また温度は高止まりである。 ルクソールでは46度にもなり、砂漠では照り返しで50度もありえて、 午後は仕事にならない。 アスワンはナセル湖やアスワン・ハイダムの建設で砂漠に雲が発生 していくらか涼しくなったとは言え、なお高温であり、注意が必要。 現地人はラマダン月には、日中は水さえ口に出来ず苦しそうである。 観光は、できるだけ午前中に回り、午後は避け、博物館は夕方にも 開いており、それを利用した方がよいようだ。 タオルと水は必需品で、水分は汗で排出されるが「トイレが近い方」 は観光地に入る直前は少なめの水分補給をお勧めする。 ピラミッド内は真っ暗で懐中電灯をもち、余計なものは一切身に つけない(落とし物は捜せないので)、蒸し暑いのでタオルは欠か せない。 これらの説明からも、難行苦行のツアーである。 風邪を引いたり、お腹を壊したりすると、前途無効のツアーに なりそう。 カイロ着後、約12km離れた「ギザ」へバスで向かう。 これからの、観光地間の距離を調べておく。 アレキサンドリア 177km861km1043km1409km カイロ684km 866km1232km アスワン182km 548km ルクソール366km ナセル湖(ナセル湖はアブシンベルの近く) 明朝は目が覚めると、部屋からピラミッドが見えるはずである。
Mar 27, 2012
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折角だから、「自由が丘」氏の名文で終わりとする。 ********** フロリダ港上陸。 フロリダ白砂海岸線の長さ美しさに感動。 寒くもあり泳ぐ人はまばら。 海岸のレストランでモヒートを飲む。 ラム酒、ライムにフンダンのペパーミントの葉が入る。 爽やかな口当たり。 特大グラスにたっぷり。 かなり強いアルコールでしばらくして、足元がふらつく。 夜はJEOシーフードレストラン。 ストーンクラブ、即ち石蟹。 メキシコ湾産、デカイ爪に中身たっぷり。 蟹を「旭川」以来、お腹一杯に食べる。 今夜フロリダに泊まる。 明日朝2時過ぎにモーニングコール。 そしてこの旅は終わる。 カリブ海、兎に角美しい海でした。 亜熱帯のせいか、私達を包み込むような、爽やかに、 暖かい気候でした。 見る観光スポットは予想外に有りません。 その結果、船の甲板で、海を、そして、空を、たっぷり 眺める時間がありました。 終。 此処まで良く読んで下さいました。 厚く感謝を申し上げます。 私達の楽しみが、今後何等かの形で、皆様にお返し 出来るよう心致します。 有難う御座いました。 ******************** ここからめいてい君です。 復路は、多分であるが・・・ マイアミ空港発 9:20 (成田時間同日23:20) Boeing 757 シカゴ(オヘア)空港着11:40 (成田時間翌日 2:40) <1577便の巡航> 1915kmを 3時間20分 < 時速 575km/h > シカゴ(オヘア)空港発12:25 (成田時間翌日 3:25) Boeing 777 東京国際空港(成田)着16:30 <翌日> <153便の巡航>10110kmを 13時間05分で < 時速 773km/h > ついでに、[往路]VS[復路]のスピードを比較してみる:<国際便> [往路巡航速度]成田→シカゴ 873km/h [復路巡航速度]シカゴ→成田 773km/h ・・・<[往路]/[復路](%) 113%>・・・ <米国国内便> [往路]シカゴ→マイアミ 659km/h [復路]マイアミ→シカゴ 575km/h ・・・<[往路]/[復路](%) 115%>・・・ 「行きはよいよい、帰りは怖い」、でした。 ご苦労様でした!!! さて、次は、最終のクルーズかも。 エジプトのナイル川クルーズを行程表を追ってから、 「自由が丘」氏の思いを紹介したい。 この呆けにできるかどうか??? あくまで、呆けのトレーニングの続行である!!!
Mar 25, 2012
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「自由が丘」氏の独壇場です。 ************** メキシコ湾東のフロリダに向けて終日、航海。 快晴、かなりの風。 少しクルーズのご説明。 近年団塊世代のリタイアもあり、世界的にブーム。 新造船建設も盛ん。 今や10屯処か、タンカー並みに20万屯も建造中。 クルーズは海外旅行の移動手段が汽車、バスでなく船と言うこと。 あの面倒な荷物移動の不用が最大利点。 船内のイベントは朝から晩まで一日中あり。 プール大会、船内散歩ミニゴルフ、エステ、図書館、病院、 美容室、映画等 完全無欠のミニタウン、 夜にはかなり専門的ショーやバー、カジノ等繁華街もなる。 謂わばミニ版現代の方舟みたいだ。 **ディナーの主菜** ホタテのソテー、地中海野菜とポテトのソテー添え。 ニューヨークステーキ、トマトとシューストロングポテト添え。 全て、数種類の前菜、スープ、デザート、チーズ、 パンがセットされている。 ***************
Mar 24, 2012
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10:00メキシコ領の、ユカタン半島の先の沖合の島・ コスメルに入港。 「コスメル」とはマヤ語で「燕の島」という意味であり、 もしかすると、宮本武蔵VS佐々木小次郎の巌流島のように 海燕が飛び交う 島なのであろう。 日本にも、此島に魅せられて、「コスメル」というシステム・ ソリューション会社が設立されているようだ。 小生なぞ、化粧品のcosmetics や、宇宙のcosmos を連想 してしまう。 山口百恵の「こすもす」もあったっけ。 世界屈指の透明度を誇る海はマリンスポーツの天国。 神秘のマヤ文明を偲ぶトゥルム遺跡も必見。 チャンカナブ海洋公園も見所。 ***ここから、「自由が丘」氏の名文です。*** ************** メキシコ南部ユカタン半島の東側に位置するコスメル島停泊。 メキシコは人口一億、国土は日本の五倍、先住民と スペインの混血が六割強、宗教はカトリック90%。 このメキシコも過去スペインに侵略植民地化された後、 隣国米国との戦争に敗れ、国土の半分は取られる等 苦難苦闘の歴史の国家。 そんな国への上陸はあの陽気なマリアッチの音楽に迎えられる。 船で本土に渡り、マヤ文明のトゥムル遺跡に。 紺碧の海辺に、15世紀頃要塞跡。 至るところにイグアナが草を 食む姿があり。 過去が現在に同居している姿の象徴かもしれない。 マダマダ相当に貧しい感じ。 **ディナーの主菜** ビーフテンダーロイン、トリュフとマディラ酒のデミグラス ソース、ポテト添え。 ロブスターティルと海老。 レモンバター、アスパラガスと ライス添え。 ********** ここから、めいてい君です。 コスメル港を出港予定は18:00 (マイアミ時間は17:00)で、翌日は終日クルーズのあと、明後日の 8:00にマイアミに到着の予定である。 港間の直線距離は909kmあり、39時間を要するから 平均時速23km/hで進む予定である。 めいてい君は40年ほど前に、メキシコ・シティから ケレタロ、レオン、グアダラハラ、アメリカ国境近くの モンテレーまでを36日間、工業調査のお伴で訪れて、 その記憶を日記に書いているので、お暇なときに覗いて おくれ。 日記で昨年の10月2日&3日に「メキシコ合衆国の基本情報」を、 その後から19日までに、その時の記憶を留めてみた。 ・・・誠に、年寄りの冷や水ではあるが・・・ 脱線、脱線。 ++++++++++++ 追記:このクルーズで、マヤ文明の最後の砦の「トゥルム遺跡」を 訪れているが、この遺跡は、断崖にありカリブの海をバックにした 風光明媚な砦である。 小生が登ったメキシコ・シテイの太陽・月のピラミッドや、NHKの 世界遺産収録DVDで見るチチェンイツアのピラミッドのような謎め いたものは多く残っていないが、この地ならではの、セノーテ (石灰層が剔られ、水没したもので鍾乳洞もある深い泉・池)の 涼しさと、カリブ海の素晴らしい環境を享受する、この遺跡で マヤ文明の儚さに感嘆するばかりである。
Mar 23, 2012
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午前8時グランド・ケイマンのジョージタウン入港。 出港予定は16:00である。 かつては、海賊達の隠れ家であったが、今では、 ダイビングとカラフルな珊瑚礁で有名。 島のシンボルのアカエイと泳ぐツアーが人気。 世界一の透明度を誇り、美しい珊瑚礁の海や豊かな 自然が豊富に残っている。 セブンマイルビーチはこの国のメインリゾート エリア。 英国領土・ケイマン諸島の基本事情は別途用意しました。 「ちゃんこ鍋」のような、寄せ集めです。 ここから、クルーザー「自由が丘」氏の名文です。 ************** 英国領ケイマン諸島 カリブ海北部キューバの南 英国王室直轄植民地 人口42,000人 アフリカ黒人と欧州白人の混血が40% ラム酒、カリプソ音楽、海賊物語の宝島のモデル島 昨日が大雨、本日快晴、強風 あの鍵鼻、片目の海賊宝島船長が桟橋にお出迎え 観光客の財布の中身を平和的に略奪が魂胆 昨日のジャマイカの貧困色とは大違いで、英国色が強く 街も小綺麗、清潔 綺麗な海、砂浜、別荘群、海水浴客、 珊瑚礁、ダイビング カリブ海有数の観光地 *** ディナーの主菜 *** アラスカ・キングクラブ、足肉、溶かしバターレモン添え 赤ポテト ギン・ココアスパイスをすり込んだ ポークテンダーロインロースト、 茄子とズッキーニのラタトゥイュ、 マッシュポテトのトリフかけ添え ********* ここから、めいてい君の戯言が始まります。 16時ジョージタウンを出港(メキシコ・コスメル時間17時)、 メキシコ・コスメルに向かう。 コスメル港には明朝10:00入港予定である。 港間は607kmあり、17時間を要するから 35.7km/h(全速力の約9割)の速いスピードを 出す予定だ。 +++++++++++++++++今問題を起こしているAIJ投資顧問会社は、英文の略号はAIJが 頭に付くが、英文の正式名は、AIJ Investment Advisors CO.LTD.である。 AIがつくので、信頼性の高いAmerican Insurance 会社の ような錯覚や、人工知能のような錯覚がでるが、本来はAIJ IAな のである。 AIJ自身は 何の意味もない、悪意の混乱要因なのである。 他人を信用させるためには、自分を信用するのが最も大事という 社訓を持って、自分だけを神格化してきた社長のおごりが剥がれ たものである。 実際は演技に過ぎなくとも、素晴らしいと信じさせる気持ちが 本物かどうかは、欲が絡んでくると見えない物だと今一度 反省すべきである。 何事も、儲かる者が有れば、損する者が居る、ゼロサムの社会で 安定的に高利回りが稼げるようなうまい話は無い。 そのようなうまい話なら、自分が銀行から借りてでも、投資すれば いいのだが、どっこい、銀行はそんな話は無いことを知っている。 他人を騙して金を集めるしか方法がないような話が、ごろごろして いるのだから、「お堅い年金を預かるものが投機的資金に投資」 するようなことは禁止すべきなのだ。 自由化、自由化を曲解したための出来事であるので、政府は 消費増税の話の前に、年金運用の法律から是正すべきである。 あまりの自由化は、社会保障そのものを壊してしまうかも知れ ないのである。 日本の人工知能が他国民を騙したなら国賊だが、同じ日本人・ 日本国民を騙したのであり、早急に国会に呼び出して、国内問題・ 国内の民心の動揺をもたらした重要問題として糾弾すべきである。 特に、手持ち資金がないのに、胴元から信用で何倍もの資金を 借りて運用するような、てこの原理を使用する運用方法は国際的に ルールを構築し直す必要があり、このまま行けば、人類の穀物 相場は人類の生存のための食糧の確保を危うくするほどの脅威 を見せ始めている。 貨幣経済は必要だが、梃子まで持ち出して経済を壊すのを手伝う のが、経済学者の仕事ではない。 通貨・貨幣が危機的状況に陥っている現在に、投機的社会から あるべき道に導いてくれるような、新しい理論厚生経済学者が現れ て欲しいものである。 呆け老人の独り言である。 ++++++++++++++++++
Mar 22, 2012
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午前8時、ジャマイカのオーチョリオスに到着。 レゲエ音楽で知られるジャマイカはカリブ海きっての観光地、 木と水の大地、ジャマイカ、183mの滝を登る、人気のダンズ リバーの滝登りはスリル満点、ジャングルの筏下りも楽しめる。 「ドルフィン・コーヴ」では熱帯雨林に囲まれた自然の入り江で、 イルカと泳いだり遊んだり。 午後五時の出港までのお楽しみです。 ジャマイカ国の基本情報は別途用意しました。 「自由が丘」氏の始まりです。 ************ ジャマイカのダンズリバーの滝登り ジャマイカはキューバの南144キロ、秋田県程の面積、 人口280万人、英国連邦国 北京オリンピック100m優勝者の出身地 スペイン、英国により、アフリカから奴隷として連れて こられた子孫が、人口の90% コーヒーで有名なブルーマゥンテン山から流れる川滝を 昇るツァー 激流、段々の沢を観光客50名が手を繋ぎ昇る遊び 頭や顔から濁流、泥水に浸かり全身ビッショリ、 説明も難しい激流 行軍 馬鹿馬鹿しく、とんでもない、大爆笑、ずぶ濡れツァー ***ハミングバード*** とてもチイチャク可憐な鳥です 体長、数センチ、長いしっぽ、色は黒で嘴は極楽鳥色 蜜を求め花に嘴を伸ばし、空中で羽をパタパタと全力 振幅させる様は、如何にも可愛らしい 数匹のハミングバードの宴、あの白雪姫の小人達の 宴みたいだ。 **ディナーの主菜** ギン・海老のブランデーフランベ、トマトのピリ辛ソース、 パールライス添え。 ローストビーフ、バローロ赤ワインソース、トウモロコシ ケーキ添え **************** ジャマイカ国を午後5時に出港して、グランド・ケイマン国 のジョージ・タウンに向かう。 入港は午前8時の予定である。 港間は437kmであり、15時間を要する航海で、29km/h のスピードを予定している。
Mar 21, 2012
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「自由が丘」氏の名文をお楽しみ下さい。 ******************** カリブ海終日航海 ほぼ快晴、波なし、漆黒の絨毯の海に囲まれる 船の下を覗き見ればかなり速いスピード 甲板で空を眺めれば、船の振動揺れも感じず、 動いて居る感じ無し 昼間は甲板のプールを中心に、泳ぐ人、 ジャグジー、日向ぼっこ、 食べる、飲む、本を読む、寝る、 歩く人が様々に集う 凄い人 暑くもなく寒くもなく最高の天気の中、 皆んな、とても愉しそう 急流プール、何度挑戦しても上場のバーに到達せず 無邪気に皆んな大笑い 甲板で夕陽に向かい日光浴 クルーズの楽しみはと聞かれれば、 最上階のデッキでぼんやり海を眺める時を挙げたい 見渡す限り海、目の前島、遠い島 デッキチェァーに寝そべれば、垂直上空の色、形を変える雲、 その雲の流れ そんな風景をボーと眺めて居ると、様々な想いが次々に浮かん では消える それらも自然に、海の中に消えてしまうようで、そんな時の 流れは至福だ 本日の夕食はフォーマルディ カジュアルディはまさに自由、 フォーマルディは航海中、普通は二晩ある 男性はタキシード、スーツ、女性はドレス ちょっとばかりのオメカシ 長身美形の人は女優さん見たいに船内プロムナードを闊歩、 お肉タップリの御婦人は、豊穣の乳房を胸一杯に解放する 大胆なドレスでオメカシ 愛すべき女性達に変身する *** ディナーの主菜*** 地元の貝のサフラン入りトマトシチュー、 ガーリックトースト添え。 子羊のすね肉煮込み、スリービーンキャセロール。 *****************
Mar 20, 2012
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クルーズ2日目 バハマ諸島 ・・・・・・・・ 話は現実にもどり今夕は、大学のゼミ同級生の集まりが 竹橋近くであり、その前に有志が集まってお茶の水でカラ オケしようと呼び出され、出かけるのでいつもの準備不足だ。 呼び出し幹事は、いまもっての大学教授、年は取っても、スマート で、女子大生には人気抜群のゼミであるそうだ。 小生の脳幹梗塞を心配して、出席できるかを、昨日も電話があった。 自分のことができない小生とは違い、旧友のなかでの元気者である。 NHKの「海外のど自慢」で優勝した豪傑もいるがこちらは音痴で 行こう。 どうせ、誰も真面目に聴いていないのだからね ! ・・・・・・・・・・・・・・ さあ、「自由が丘」氏の独壇場である。 *************** バハマ諸島ケイズ島 テンダー ボートで上陸 無人島 白砂 透明な海水、足元に泳ぐ熱帯魚、ハシャグ水遊び 17世紀悪名高いカリブの海賊の溜まり場 また、バハマ諸島は南北戦争敗者の逃げ場 この島の野外レストランでは、焼き立てハンバーガー、果物、 クッキーは食べ放題で、全て無料。 食うに困ったら、この島にどうぞ。 ***ディナーの主菜*** ギン・海老のニューバーグ、生クリーム、卵黄、シェリー酒のソース さやえんどう、人参、ライス添え 牛テンダーロインのステーキ マデラ酒とトリフのデミグラスソース。 ******* 16:00 出発してジャマイカ島に向かって進む。 明日は、終日クルーズをして、明後日の朝にジャマイカ島の オーチョリオス(UTC+5+夏時間なし、メキシコ以外は時差を 考慮する必要なし)に8:00到着予定。 直線距離は696.7kmであるが、途中にキューバ島があり 遠く迂回するので40時間要する。 (時間はかかり17km/hの直線速度しかでない。) ・・・・・・・・・・・・ バハマ国の基本情報は別紙で用意しました。
Mar 19, 2012
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クルーズ1日目、マイアミ出港は16:00予定。 さあ「自由が丘」氏のカリブ海の物語である。 ************** フロリダは亜熱帯? 気温30℃辺り。 暑さもさることながら、かなりのムット感。 米国人が暖かさを求めて集まる冬場の避寒地とか。 あの地中海の乾いた、刺すような空気、光では無い。 空の色も空色と青、海は緑と紺の違いか? 想定外? ***乗船した豪華クルーズ船について*** ルビー・プリンセス号。 乗客定員: 3,070人 乗組員 : 1,100人 総トン数: 113,000屯 全長: 290m 全幅: 36m 高さ: 19階 巡航速度: 22.1ノット(40km/h) 建造: 2008年11月。 船籍: バミューダ。 今回は38ケ国からの客で3,065人(英国人500人)。 午後4時フロリダ州マイアミ港を出港。 ***「本日のディナーの主菜」を紹介する*** じっくりローストした5つの星の牛リブ。 ローズマリー風味、ローストトマト、アイダホポスト詰め。 ギン・スズキとアスパラガスの焦がしバター風味、 レモンとピラフ添え。 ************* マイアミ港を16:00に出港してバハマ諸島に向かう。 明日は、その諸島のグレートストラップケイ (ノルウェージャン・プライベート・アイランド)に寄港する予定で、 バハマ諸島までは、直線距離は459kmある。 予定到着時間は8:00a.m. (バハマはマイアミとの時差はない)ので、 16時間かかり、28.7km/hで進む計算になる。
Mar 18, 2012
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カリブ海クルーズ (写経その1) 往路 [自由が丘]氏のクルーズ体験記を再び東方に転じて採り上げる。 カリビアン(パイアレイトでなく)・クルーズである。 米から遥か大西洋沖「魔のトライアングル」を訪問するのではない。 大西洋に対する消波堤のような形の、西インド諸島の西内海を 航海する旅であり、美しい島々を巡る旅である。 コロンブスが、ここはインドだと錯覚した場所であり、海賊が出没 し、見える右目で、奪った宝物を洞窟深くに隠す海域であった。 今では、日本の企業年金が、亀やワニが住む島のなかで、神隠 しのように、忽然と消え去る「魔の領域」である。 The Caman Islands (ケイマン諸島)は、めいてい君の仕事 がら、担保とする船の船籍証明書などを見るので、外国船籍などの 手段で利用される、tax haven (税金天国)とは知っていたが、 海賊よりすごい神業が支配するとは、「小生の想定外」である。 エリザベス二世女王の支配する英国領土の島なのだから、これ だけ世間を騒がせれば、女王陛下の007を派遣して、会計の 透明化や健全化などに務めるであろうことを期待したい。 フロリダ半島先端のマイアミから、直ぐ、バハマ諸島・キューバ 間を東北東に進み、ハイチの手前で右折(南南西に向かい)、 ジャマイカ島に達し、更に右折(西北西に航路を変えて)、 グランドケイマン島、さらにメキシコ・ユカタン半島の沖の コスメル島に上陸、航路を右折(北北東にとり)、キューバ の西の端をかすめてマイアミに向かうクルーズである。 海峡としては、サンタレン海峡、ウインドワード海峡、(カリブ海)、 ユカタン海峡、(メキシコ湾東端、)フロリダ海峡というのが、小生の 理解である。 では、「自由が丘」氏の旅について語ろう。 ****** 20XX年11月X日の夜7時成田空港発 by A.A. 十六夜。 前日は満月。 ふと疑問? カリブ海でも満月かどうか? 成田空港からシカゴ経由で、フロリダに向かう夜、飛行機から クッキリとした月。 世界中何処で見ても月の形は同じ。 大発見。 「白輝なる十六夜、我れ天空をよぎる。」 まるで、映画ETのあのシーンでした。 成田ーシカゴ11時間, シカゴーフロリダ3時間。 成田ーフロリダ間、 延べ約20時間、時差15h。 ****** めいてい君ができるだけ正確に時間を追ってみる。 めいてい君が時間のことを言うのは、脳幹梗塞のチェックなの であまり気にしないで貰いたい。 呆けているので、今日は何月何日、今何時とよく「主治医」や 「奥さん」に確かめられるから、癖が付いたのだ。 11月X日18時45分 東京国際空港(成田)発 AA (シカゴ時間 同日 3:45、フロリダ時間 4:45) シカゴ(オヘア空港)着 15:20 [Boeing 777 所要時間 11時間35分] シカゴ(オヘア空港)発 17:45 (フロリダ時間 18:45) フロリダ(マイアミ空港)着21:40 [Boeing 757 所要時間 2時間55分] 成田ーシカゴーフロリダ間、飛行時間+待ち時間は延べ 16時間55分(うち乗り継ぎ時間2時間25分)。 成田-シカゴ間が11時間35分で、距離は10110.202km だから、時速873km/hで飛んだことになる。 シカゴーフロリダというと、フロリダには空港がいくつもあるので マイアミ空港に限定すると、1915.46kmを659km/hで 飛んだことになる。 成田からシカゴ経由でマイアミまでは、11967.325kmの 距離があり、航空時間は14時間30分で、 825km/h で飛んだことになる。 ただし、このほかにシカゴでの待ち時間は約2時間半である。 自由が丘氏がマイアミまで、20時間もかかったと思うのは、実際 には、時差を勘案しても約17時間のはずである。 しかし、自由が丘玄関から成田の空玄関出発までは3時間ほど かかったので、延べで20時間、と感じたのではあるまいか。 月の美しさがよほど素晴らしかったに違いない。 誰かさんのように、月が二つ存在する空虚な世間ではないようだ。 小生は近眼・乱視なので、ぼやけて巨大な月ばかり見ているが。 ********** 下手ながら「マイアミビーチ・ルンバ」をレスポール・ギターの ハイポジションで演奏?した脳幹梗塞前の、昔むかしを思い出す。 マイアミでの見所は、マイアミ・ビーチ、ビスカヤ・ミュージアム& ガーデン、世界遺産エヴァーグレイ国立公園。 ここでは、一年中降り注ぐ眩しい太陽、青い空のもと、世界遺産 公園、美しい海をエアーボートツアーしながら楽しめる。 米国の基本事情については、今年の1月12日に「めいてい君 の日記」に記載しているので見ておくれ !
Mar 17, 2012
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昨夜、コペンハーゲン空港を現地時間の午後3時45分に出発。 (日本時間では、前日の22時45分に当たる。) そして、距離8716.573kmを飛んで、今日の9時35分に 成田空港に到着した。 ::::::::: 夏の時差は7時間であり、移動時間は10時間50分だから、 移動平均速度は804.6km/h である。 :::::::: まとめ:以下は[自由が丘]氏の主文である。 ************************ 初夏・爽やかな・バルト海クルーズ バルト海クルーズ。 エストニア、ノルウェー、スゥエーデン、フィンランド、 ポーランド、そして、ロシアのサンクトペテルブルグ (旧レニングラード)。 北緯55~60度位。 謂わば、ヨーロッパの奥座敷に位置する。 昔ハンザ同盟国として隆盛を極め、海賊バイキングが バッコした地域でもある。 旅の面白さはなんといっても知らぬ他国の探訪である。 年を取ったせいか、荷物移動、バス移動が辛い。 クルーズは一端荷物を船の部屋に入れれば終わり。 楽チン 楽チン 元々、海が大好き。甲板からの見晴らし。ただただボンヤリ そこに居るだけ。 快晴であれば、360度の海と空を全身で独占出来る。 海の色、空の色、風が、香りが、微妙に変化する。 空は真っ青な空色、海は紺碧。 少し肌寒いが、暖かい甲板のジャグジーに身体を伸ばす。 極楽、 極楽 そして食事は正にレストラン並の豪華さ。 作る心配も、後片付けの心配も無く、食べ放題、お酒以外 は無料。 全ての時の流れが、のどかだ とは言え訪れた東側の彼の地は、暗い重い歴史を背負っ ている。 ナポレオンによる侵略、そして近年では、ナチスドイツ、 更にはロシア共産主義による侵略、支配で艱難辛苦の苦しみ、 奴隷化、搾取、弾圧、虐殺等の暗い過去。 ユートピアの国造りを目指した共産主義は、現在の何と無く 貧しい街並み、歩く人の顔つき、服装を観れば、なぜか、 もの悲しい。 更に強国による侵略支配で国の統治を失った国々は悲惨な 運命を辿っている。 ガイドの若い女の子ですら、身内に被害者が有るらしく、 余り話たがらない。 自国自衛の必要を痛感した。 代表的港街、ストックホルム、ヘルシンキ等は観光化し、 現在の経済的隆盛をもあるが、何故か空気が止まっている ように、静かだ。 ポーランドのグダンスク港は有数の美港であるが、第二次 世界大戦でドイツロシアの衝突激戦で市街地の9割が壊滅 焦土化。 現在は街並みが完全に復元し大変な賑わいであるが、 ただ長崎のハウステンボスみたいだ。 また、エストニアのタリンは、中心を流れる運河、曲がり くねった狭い路地、剥き出しの石造りの建物、街を囲む城壁。 オスロの港は珍しく起伏のある緑の街並みに囲まれ、コペン ハーゲンの運河遊覧は美しく、中世そのままで感動的である。 此方周辺の気候は厳しく晴れる日は、精々年間60日程度、 冬の日照時間はなんと一時間位になり、気温もマイナス20 ~30度以下に、しょっちゅうなるそうだ。 私達の旅は快晴が奇跡的に続いている。 欧州の奥座敷と言われ、初夏の木々、マロニエ、ライラック等 の花々が咲き乱れ、ふんだんな緑、自然の中で、中世の面影を 残す街並みで、静かに、ゆっくり、暮らす人々を垣間見る事が 出来た旅でも有った。 幸運にも、今回、北欧、バルチック海を訪れることが出来 ました。 この体験、感動を何らかの形で、皆様方のお役に立てる よう、心 致します。 お読み戴き有難う御座いました。 ************** 次は「自由が丘」氏の「カリビアン・クルーズ体験記」を お借りしよう。
Mar 15, 2012
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オスロを昨日の午後2時に出港し、今朝7時に483.847km 離れたコペンハーゲン港に到着した。 17時間を要したので、船足は時速28.5km/hであった。 豪華船を下船して、バルト海クルーズ自体はこれで終わり、 あとはコペンハーゲンを観光して、空の旅で帰るだけとなった! :::::::::::::::: いよいよ、帰国地、デンマーク王国 コペンハーゲン。 国土面積は日本の10%で、人口は550万人。 欧州の北の拠点港、バルト海入り口。運河沿いにカラフルな カフェ、レストラン、商店が並ぶ間を、観光船でのんびり遊覧。 運河沿いの目の前に、余りにも有名な、アンデルセンの「人魚姫」。 僅か全長80センチの小さな銅像。着衣無しの「裸像」。 この地の寒さ、冬場の結氷、吹雪を想像すれば、せつなくなる。 「幸福の王子」のように、魂には決して凍らぬ、永久のぬくもり、 暖かさがあるのだろう・・・・・ :::::::::::::::::::: 「海岸の遠足」の時間が少なく、オプションは2つだけである。 すでに、荷物のスーツ・ケースをドアの外に出す際に、空港に 直接行く指示の付いたタグを付けるだけで、コペンハーゲン 空港で受け取れば良い方式であり、最後の遠足も楽ちんである。 下船から、空港への移動手段として遠足が設定されているのだ。 ::::::::: * コペンハーゲンとチボリガーデン 5時間、$99~ 竜が尾を巻いた形の塔のある旧証券取引所、16世紀建造の ホルメン教会、市庁舎などの車窓の景色を楽しみながら、 有名な遊園地のチボリ公園に行って、1時間半ほど自由時間を 楽しんだ後、ニューハウンの運河沿いの道を空港へ向かう。 空港で、下船時に預けた荷物類を受け取る。 * コペンハーゲンと漁村ドラオアー 4時間、$79~ 850年の歴史を持つ市内観光。 市庁舎広場、チボリ公園、ニュー・カールスベア美術館、 国会議事堂、女王の謁見の間があるチュリスチャンボー宮殿、 運河沿いにカフェやレストランがある水夫の街・ニューハウン、 四つの宮殿に囲まれたアマリエンボー宮殿広場などを車窓から 観光する。 その後で、中世ハンザ同盟の商人達が鰊を買い付けに訪れた 漁村・ドラオアを訪れる。 漁村の衰退と共に、人口1万3千人は空港関連の仕事に転換 している。 中世の佇まいのままの、この村を廻ったあと、空港に向かう。 ::::::::::::::::::::: 自由が丘氏が採用したツアーオプションは、彼の報告の内容 から判断して貰いたい。 ツアー以外にも、自分たちで愉しむ方法もあるのだから。 ::::::::::::: コペンハーゲン空港を現地時間午後3時45分発。 故郷・日本の 東京国際空港(成田空港)へ向かって、 ・・・・・・ 二人で向かう空の旅 ・・・・・・・・
Mar 14, 2012
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奇跡のビザ発行人~杉原千畝~ 第2次世界大戦開戦後、ユダヤ人排斥を掲げるナチス・ドイツに 追われ人々はドイツ勢力圏を脱し、安全な国への脱出を必死に なって試みた。 バルト海に面す小国リトアニアにもドイツ、ポーランドから逃れた ユダヤ人がたくさんいたが、そのリトアニアにもナチス・ドイツは押し 寄せ、リトアニアのユダヤ人脱出可能ルートはソ連からシベリア鉄道 を通り、日本経由での脱出ルートしかなかった。 この脱出ルートには日本通過を認めるビザが必要であった。 リトアニア領事代理・杉原千畝はこれらユダヤ人にビザを発給 すべく外務省に何度も掛け合ったが、ドイツとの三国同盟を結ん でいた関係上、外交的配慮から返事は 「 NO ! 」。 そこで杉原千畝は独断でビザを発給することを決断。 リトアニアはその直後、ソ連が併合、外務省からは領事館の 撤収命令。 杉原千畝はベルリン行きの列車が出る瞬間までビザ発給を続け、 6000人ものユダヤ人の命を救った。 ナチス・ドイツの強力な戦力に恐れをなした人々や、「キリストを ありもしない罪人として告発したユダの行為を嫌うキリスト教徒とし ての心情だけに執心して見過ごそうとした欧米人が多い中で、杉 原外交官のこの毅然とした、咄嗟の判断は、ユダヤ人からは救世 主のごとき「人類愛」の振る舞いととらえられ、死んだ今でも感謝が 絶えないのである。 バルト海に残る伝説として忘れてはならない日本人である。 イソップやアンデルセンよりすごい本物の話だと思う。
Mar 13, 2012
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昨日の終日航海で海を眺めて、今朝は7時にオスロ港に到着。 都合37時間で780.43kmを突っ走ったのであり、速度は 21.1km/hである。 ::::::::: ノルウェー王国の首都オスロ。 日本と同じ国土面積ながら、人口は僅か450万人。 港の背後の緑深い丘陵地帯に囲まれたとても美しい港。 彫刻家、哲学者ヴィーゲランによる、人間とか人生を表現する像、 121人の男女をオベリスクで表現した、「人間の塔」。 100年前に出来た時、裸体や哲学的人間の業を表現した作品は 不評であったが、現代の私たちには胸に迫るものがある。 一見に値する。 国立美術館、あのムンクの、〔叫び〕。 苦しそうである。 :::::::::::::: 「海岸の遠足」は、 9のオプションがある。 いくつか紹介したい。 :::: * ヴァイキング博物館とハーデランガラス工場 5.5時間、$99~ ヴァイキング博物館を見学後、豊かな郊外の農業地帯を車窓 から眺め、200年以上の伝統のあるこの国最古のガラス工場、 ハーデラン・グラスヴェルクを訪問し、職人のガラス吹き工程を 見て、附属博物館での展示物を見学し、ショッピング。 工場内の歴史ある美しい建物内でコーヒー、紅茶、ペストリーの サービスがある。 帰路は、フィヨルドで形成された湖岸を走る。 ::: * 海運国ノルウェーの伝統 3.5時間、$99~ 埠頭から歩いて、古い帆船を模した観光船に乗り込んで、美しい オスロ・フィヨルドのクルーズ。 12世紀修道院のある島、灯台、象徴的な2つの塔を持つ市庁舎、 港外の住宅などを海から見学。 ビグドイ半島では下船して、1892年に建造され、北極海・南極 点航海に使用されたフラム号を展示するフラム博物館を見学。 さらに、ノルウェー海運の歴史を20分間のマルチスクリーン映像で 見て、展示を巡り、帰りはバスでオスカー1世の離宮を眺めながら 埠頭にもどる。 ::::: *ヴァイキング博物館とオスロハイライト 3.5時間、$65~ 国会議事堂、国立劇場、王宮などを車窓から見て、ヴァイキング 博物館を訪れ、次にスキージャンプの発祥地、1952年冬季 オリンピック会場のホルメンコーレンの丘へ、さらにフログネル 公園内のビーゲランの製作した彫刻像の数々を自由に見学し て、ショッピングをして埠頭までご自身で戻ります。 ::::::: * 国立美術館とオスロハイライト 3.5時間、$49~ 新旧交わるビル街のオスロ市内から、美しい庭園に囲まれた 木造の住宅が見られる郊外へ、さらにジャンプ競技場での パノラマ風景を観賞。 市内へ戻り、国会議事堂、国立劇場、王宮などを車窓で見ながら 世界最大の彫刻公園へ。 人生をテーマにしたビーゲランの彫刻群を鑑賞した後、ムンクの 「叫び」をはじめ国内、国外の名作絵画を収蔵する国立美術館を 訪れる。 :::::::: *市内ウオークと市庁舎、アーケシュフース城 3時間、 $45~ 埠頭からの観光で、港を見下ろす丘の上のルーズベルト 米大統領の 像を見ながら、ノーベル平和賞の授与式で知 られる市庁舎へ、イプセンと ビヨルソンの彫像が並び立つ 国立劇場から王宮へ。 目抜き通りのカール・ヨハン通り、オスロ大学、ボヘミアン達の たまり場だったグランド・カフェ、国会議事堂、中世には王宮の あったアーケシェフース城塞を横切り、船の埠頭へ戻る。 ::::::::::::: 埠頭から午後2時にはオスロ港を出港して、終着港であり、かつ 始発港のコペンハーゲンに向かう。
Mar 13, 2012
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前夜の6時にグダンスクからノルウェーのオスロに向けて出発。 今日は終日の航海。 午後から快晴ながらも強風が吹く。 但し船は揺れず。 ::::::::::::::少し脱線する。 ::::::::: <多島海について> 土地が沈降、海水が侵入したリアス式海岸が更に沈降、小高い 山の頂だけが海面に浮き出、たくさんの島が現れる海域が 多島海である。 :: 先日、The 世界遺産 「リバウンドする北欧の大地ハイコースト」 を録画した。 かつて、ボスニア湾は厚い氷河に覆われ、その重みで海中に 沈んでいた地表が、氷河が溶け、その重みから解放され、再び 現れ、次々とリバウンドして洗濯板のような陸地が現れる様を映 し出していた。 このように氷河の重みで沈降し、地球温暖化でリバウンドした り、地表自体の沈み込みで沈降したりして多島海は形成される。 (地球が生きている現実の証拠であり、別の極端な次元であるが、 プレート同士の衝突で、ヒマラヤ・エベレストは8千メートルも盛り上 がったが、それが地球の生き様である)。 :::: 日本は、多島海で構成される五大国家の一つという。 多島海国家の五大国とはインドネシア(島の数18,110)、 日本(島の数6,852)、フィリッピン(島の数7,109)、次いで、 ニュージーランド、イギリスである。 :::: 島嶼部性(海岸線距離/陸地面積)の観点からは7千を越える島 から成るフィリッピンが1位で、6千以上の島から成る日本が 2位である。 :::: 主な多島海では、エーゲ海、バルト海、カリブ海などがある。 バルト海について述べると、ヨーロッパ大陸本土とスカンジ ナビア半島、および出口付近でユトランド半島に囲まれている。 ::::: 海域北部の奥深くまで、スウェーデンとフィンランドに面して ボスニア湾(Gulf of Bothnia、で国名のBosna i Hercegovina とは関係ない)、 東部にはフィンランドとロシア、エストニアに面してフィン ランド湾 ; エストニアとラトビアに面してリガ湾、 南部にはリトアニアとポーランドに面してグダニスク(グダンスク) 湾などの湾がある。 :::::: 外海とはカテガット海峡を経てスカゲラック海峡で北海と結 ばれている。 ::: 細かく見ると、バルト海は北東方面で、スカンジナヴィア半島の 根元付近で、白海・バルト海運河が造られて、大きな船こそ通過 できないが、北の外海の白海、さらにはバレンツ海につながっ ており、西南方面では、ドイツのキールからキール運河が西南に 延びて外海の北海と結ばれているなど、小航路ではあるが、 運河による近回り航路も貫通して、整備されている。 ::: また、デンマークは、首都が島にあって、多くの島を抱えているが、 国土に、大陸のユトランド半島を含んでいるので、多島海国家 ではありえない。 :::::::: グダンスクからオスロまでの航海は、バルト海の出口に向かう 航海であり、スカンジナビア半島と、ユトランド半島が、弁の格好 をしているような間隙を縫って進む、際どいような、海峡航路である。 途中に、昔、クロンボー城のように海峡通過税を徴収した城も あり、風光明媚である。 ::::::::: 丸一日のクルージングで退屈なので、バルト海について記してみた。
Mar 12, 2012
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昨日は、エストニアのタリンを午後1時に出港して、 今朝9時にポーランドのグディニアに入港した。 時差で見ると、タリンは「UTC+2時間+1夏時間」でグディニアは 「UTC+1時間+1夏時間」だから、時差調整は+1時間加算である。 港間の676.865kmは21時間を要したので、32.2km/hのスピ ードで走ったことになり,いままでの航海で一番早い。 クルーズ船の巡航速度は24ノット(44.5km/h)であるから、 その7割程度の速力で頑張ったことになる。 :::::::::::::::::::::::: ポーランド グディニアおよびグダンスク(グダニスク)。 国土は日本の80%程度。 人口39,000千人。 1939年9月1日にドイツ軍艦の奇襲により、此処に第二次世界 大戦の火蓋が切って落とされる。独ソの激戦地となり市街地の 90%は焦土化。 独立のために戦った、あの「連帯のワレサ議長」を思い出す。 中世のドイツ風市街地に完全に復元されているが、やや張りぼて 的で、街が醸し出す歴史の重み、風情が今一つ。 昔から「琥珀」の産地で有名。 ヒットラーのナチスや共産主義のソ連に近接する国々は侵略に より国家は消滅し、略奪弾圧により艱難辛苦の苦しみを味わう。 ::::::::::::::::::::::: グディニア ,グダンスク・・・ ポーランド クディニアの港から乗り合いバスでほぼ1時間の距離にグダンスク があり、バルト海で最も古く、最も重要な美しい街の一つである。 その市の9割は、第二次世界大戦で破壊されたが、その建築上 の逸品は、細かいところまで復元されている。 :::::旧市街 グダンスクの旧市街は琥珀の宝石や商品を覗いてみるのには 素晴らしい場所で、琥珀に関しては世界の中心の一つであり、 化石化された松脂は宝石として、また、人々の治療薬として 何世紀も珍重されてきた。:::::::::: マルボルク要塞(ドイツ騎士団の城・文化遺産) ヨーロッパで最大の中世の城であり、チュートン人(ドイツ人)の 騎士団に建設され13世紀には王宮になった。 マルボルク要塞は第二次大戦までは、どのような猛攻撃でも持ち こたえたが、その時にはほぼ半壊となった。 骨身を惜しまぬ再建で、今日の荘厳な城の姿を取り戻している。 :::::: セント・メアリー教会 この中世の傑作は世界で最も大きい煉瓦造りの教会であり、 ほぼ2万5千人の礼拝者が座って収容できる大きさであり、 15世紀以来、グダンスク彫像・あわれみの聖母マリア像を 痛切に感じさせるのである。 ::::::::::::::::::::: グディニアはグダンスクというポーランドの寓話の街への港の 入口である。 この町・グダンスクは、1千年以上の歴史があり、すなわち、 グダンスクの歴史は AD 997年 に始まる。 ハンザ同盟の一員として、グダンスクはバルト海で最も裕福な 港であり、ヨーロッパ全体の芸術家、知識層を惹き付ける文化 の中心であった。 しかしながら、その伝統は1939年9月1日に、ドイツ戦艦が市の 北方の駐屯地に向けて火蓋を切ったことで危機に曝され、第二次 世界大戦の先触れとなった。 戦争の終末まで、グダンスクは破壊に曝され、誇り高きポーランド はロシア占領下に置かれた。 市は旧市街の再建に不屈の闘志を示し、1980年にグダンスク の市民は共産主義の鉄の支配より強力なことを証明し、食料暴 動から団結(以下では連帯と訳す)の誕生、鉄のカーテンを崩壊 させるピボット(旋回軸)の役割を果たすTRADE-LABOR MOVEMENT(独立自主労働組合・連帯の運動)へと展開。 また、グダンスクは世界に冠たる琥珀のセンターの一つ。 この化石樹脂は何世紀も宝石および国民の治療薬として 崇められてきた。 グダンスクの旧市街は琥珀の宝石や商品を覗いてみるには 素晴らしい場所である。 :::::::::::::::::::::: 市の観光ツアー一覧 :::マルボルク城 :寓話の様な大きさと、優れて赤煉瓦建物である、 このUNESCO指定の中世の要塞兼博物館はノガット河を上から 見下ろしている。 :::セント・メアリー教会:世界最大の煉瓦造り教会の一つで、 ゴシック建築の傑作、このローマ教会は14世紀にできたもので、 なかに教区民を2万5千人収容できる。 :::Oliwa 聖堂(オリーバ大聖堂):12世紀に遡るこの特異な、 古い修道院はお城のような複数の塔、大理石の祭壇、画の傑作、 かつてヨーロッパでは最大であった伝説のパイプオルガンがある。 :::::::::::::団結(連帯)広場:グダンスク造船所の第二ゲートに位置した この有名な記念碑は共産主義体制に対する、連帯で結ばれ、 1970年の歴史的ストライキで倒れた労働者達を追悼している。 :::グダンスク造船所:連帯の基礎、労働組合の自治が1980年に 示された、これらの造船所からは千以上の船が引き渡され、多くの 歴史的なストライキを主宰することとなった。 ::::::::::::: グダンスク観光、市ツアーの9プランの抜粋 *グダンスク、セント・メアリー教会、マルボルク城 8時間 $99~ ポーランドの豊富な歴史がこの行動的な、丸1日の案内で 判る。 中世のマルボルク城はユネスコの世界遺産登録。 寓話の街グダンスクをガイドと共に歩こう。 そして、グダンスク最高のレストランの一つで伝統的な昼食を 楽しみ自由時間では買い物をエンジョイしよう。 *グダンスク、オリバ大聖堂 7時間、$85~ グダンスクの主要街を歩いて巡る寓話の歴史探訪。 セント・メアリー教会と、墓標が点在する、古の石畳を見て、 13世紀のオリバ大聖堂では7876個の木製、錫製の素晴らしい パイプオルガンに接し、オルガンによる古典音楽の演奏の リサイタルに耳を傾けよう。 *グダンスク、セント・メアリー教会 4時間、$39~ グダンスクの主要街(ゴシック、ルネッサンス、バロック建造物あり) の歴史探訪。 豊かな建築遺産を見るべく、訪れたセント・メアリー教会、世界で 最も大きな煉瓦教会は2万5千人もの礼拝者を受け入れて、 特異な15世紀の天文学時計(黄道十二宮)が自慢げである。 おみやげや、琥珀宝石のお店も楽しめる。 *グダンスク、グディニアとSopot 5時間、$49~ アメリカ革命の英雄を記念する、現代的なグディニアの有名な 広場を見よう。 グダンスクの歴史的主要街を、自由時間に探索、グダンスクの 田舎風ホテルのスナックで寛いでみよう。 *グダンスク、連帯運動 5.5時間、$49~ グダンスクは長い、激流の歴史を耐えてきた。 この遠足は市の最も重要な地点を訪問する。 連帯の生誕地である、かつてのレーニン造船所を見る。 自主管理労組・連帯本部の歴史的展示品を見て回る。 主要街を歩いて周り、第二次世界大戦が始まった場所をみる。 *グダンスク 琥珀展示 5.5時間 $45~ グダンスクの歴史的主要街を歩くツアーで、セント・メアリー教会、 世界最大の煉瓦教会を見てから、琥珀工場で宝石が、化石の 樹液からどのように創られるかを学び、琥珀のサイズ、清澄性、 色彩の多様性を見る。 その他に、自分用ツアー組合せ 5.5時間$39~、 自分用 5.5時間、$29~、 自分用、自由時間多い3.75時間 $29~ などがある。 :::::::::::::::::: 上記については、英語の「PRINCESS CRUISES」のホーム ページから、 「Ports & Excursions」 の「Gdansk(Gdynia)、 Poland」を選び、「Excursion Details」を、慣れない自分なりの 翻訳を行ったもので、ぎこちない。 ::::::::::::: グディニア港を夕刻6時に出港して、バルト海から、海峡を縫って 進む、ノルウェーのオスロへの、2日がかりのクルージングが始まる。
Mar 11, 2012
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7日目:前夜6時にサンクトペテルブルグ(UTC+4+夏時間0) を出港して、今朝7時にエストニアのタリン(UTC+2+夏時間1) に到着したので、13時間+1時間=14時間かかり、309.02km を速度22.1km/hで進んだことになる。 ::::::::::::::::::::: エストニア共和国 タリン。 エストニアといえば、相撲の把瑠都関の故郷。 北海道の6割の国土、人口は140万人、現在の国境は、南に バルト三国の一つラトビア、東にロシアと隣接している。 かつて、第二次世界大戦以前には、ソ連とドイツから相互の侵入 により厳しい支配を受けたが、ソ連の支配下で数十万人が虐殺 された悲惨な過去を持つ。 1991年夏、ソ連の崩壊で独立。 ガイドの若い女性に依れば、当時の人々の多くは、共産主義の 強制支配、略奪、虐殺等で、国民相互間での監視体制もあり、 猜疑的になっており、暗い過去を背負って生きているとの事。 現在は表面的には過去の暗さは無く、貿易中継地として栄え た面影を残している。 街の丘陵地帯には城壁、曲がりくねった細い路地裏道、迷路に 迷う建物群には、特産のリネン雑貨、ウール衣料等の店が狭い 間口でひしめきあう。 かなりヨーロッパの雰囲気を残しており、見学には小さい街並み ながら楽しい。 月曜日の昼間ながら観光客の賑わいあり。 :::::::::::::::::::::::: タリンの「海岸の遠足」には5つのプランがある。 滞在は4時間しかないのだから、少ないのは仕方がない。 ガドリオルグ宮殿美術館、野外博物館、市庁舎広場、山の手、 下町旧市街などの組合せで、時間は2.5時間から4時間で、 料金は$35~$69。 ::::::::::::::: バルト三国の最も北に位置した、この都はスカンジナビアの 雰囲気が漂い、ハンザ同盟時代の貿易港として栄えた数多く の建物が旧市街に残り、当時の繁栄が偲ばれる。 タリン旧市街の城壁側で下車、徒歩でトームペアの丘に登る。 エストニア議会があるバロック様式のトームペア城と並んで、 金のイコンやモザイクで装飾されたロシア正教・アレクサンドル・ ネフスキー寺院が立つ宮殿広場に出る。 市内最古のドーム教会といわれるセント・メアリー教会の墓所 では彫刻のある石棺、60余りの中世貴族の紋章がみられる。 いまは、美術館となっているが、ロシアのピョートル大帝によって、 エカテリーナ妃のために造られたガドリオルグ宮殿を巡る。 野外博物館では、18~19世紀の各地の農家など60軒以上の 建物を見学し、買い物も出来る。 街では、手工芸品マーケットで、皮革、ガラス製品、婦人帽、 陶磁器などを求めることができる。 3万人収容の野外音楽堂、1893年にフインランド湾で沈没した ロシア軍艦「ルサルカ」の鎮魂碑などを巡るコースもある。 ::::::::::::: 13時にタリン港を出港し、ポーランドのグダンスクに向かう。 ::::::::::::::::::: めいてい君の日記では、このエストニア、次のポーランドの 基本事情がまだできていないので、今回の旅の終わった後で、 これらを含めて残った東欧諸国について追記することとしたい。
Mar 10, 2012
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6日目: 今日は、サンクトペテルブルグの「海岸の遠足」の 抜粋を説明する。 14のオプションがある。 一番高いものからいくつが挙げてみる。 :::::::::::::: *「個人観光手配・8時間」$899~ 定員8名の個人またはグループでのバン貸し切り、エアコン付き 英語ガイド付き。 ガイドの食事代は別途必要。 :::::::::::::::::: *「エルミタージュ黄金の間、ピョ-トル、エカテリーナ宮殿 2日間」 23.5時間、$599~ 入館見学箇所:ピョートル宮殿と庭園、ペテロバヴロスク要塞、 イサク聖堂、エルミタージュ博物館とゴールドルーム、エカテ リーナ宮殿、王室馬車博物館、ユスポフ宮殿、流血の聖堂 運河クルーズ:フォンタンカ河、モイカ河、ネバ河へと サンクト・ペテルブルグを運河から1時間、シャンペンを 飲みながらの観光 写真撮影:イサク聖堂広場、宮殿広場、巡洋艦オーロラ、 青銅の騎士像など 昼食1回目:キャビア、シャンペン、ウォッカなどロシア式の食事 とショーがある。 2回目:市内最高級レストラン また、エカテリーナ宮殿では王冠の間で、女帝とクワルテットの 歓迎を受け、シャンペンパーティを楽しみ、ダンスを見学。 レストランでの夕食は伝統的なロシア料理が、ワイン、ウォッカ やレッドキャビアなどとサービスされる。 ::::::::::::::::::::: その他には、 *「エルミタージュ、ピョ-トル宮殿と運河クルーズ2日間」 18.5時間、&399~、 *「エカテリーナ宮殿での夜会」 5時間、$199~、 *「エカテリーナ宮殿とピョ-トル宮殿」 9.5時間、$199~、 また、上記を個々に組み合わせたもの、「ロシアバレエの夕べ」、 「ロシア民族舞踏の夕べ」などが、時間では3.25時間から、 料金では$49からある。 昨日、1日目の帰船は、翌日の行動のために午後5時と早め であった。 :::::::::::::::: サンクト・ペトルブルグで夢の2日間を充分堪能した後、午後6時、 次の寄港地であるエストニアのタリンに向けて出港した。
Mar 9, 2012
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いま、旧友が、小生の脳幹梗塞のリハビリに協力してくれて彼のプリンセス・クルーズ体験談を辿らせて貰っている。 旧友の体験談は素晴らしい物であり、彼の読者を喜ばせているが、彼が体験談を広く公表する意図がないため、彼の周りの少数の方しか味わえないのである。 小生は、彼の体験談をそのまま記載するのは、脳のトレーニングにはならないため、彼の体験談を軸足として、プリンセス・クルーズ会社のパンフレット、ツアー日程、ショア・エクスカーションなどの記事をWEBで探して、補強したり、その他の資料を参照している。 ホンの最近であるが、同社が新しいホームページを立ち上げて、世界の読者に魅力を訴えている。 残念ながら、日本語ではなくて英語であるが、ビデオもふんだんに入れて、詳しく説明している。 旧友の体験談には、こまかい説明はないものの、同社の説明文から取捨選択して補強していくこととしたい。Princess Cruisesあくまで、脳トレの一環、病気回復のための脳トレであるので、もし、読まれる方は、頭の病気の患者が書いていると認識して下さい。 小生も、脳が疲れたら休みますので、そのときはご勘弁下さい。 旧友のあたたかい気持ちには大変感謝いたしています。 本当は、そのうちに体験記を公開したら良いと思います。 ・・・・めいてい記
Mar 8, 2012
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5日目 前夜、6時ヘルシンキ(UTC+2+夏時間1時間)港を出港し、ロシアのサンクトペテルブルグ(UTC+4+夏時間0時間)に向かい、今朝の6時半に到着。 この間の直線距離は287.516kmであり、12.5Hから、時差1時間を減算すると所要時間は11.5時間だから、25km/hで移動している。::::::::::::::::::::翌日を含めて滞在を続ける。昼間は、「海岸の遠足」をして、夜は船内に帰るパターンである。サンクトペテルブルグ(旧名、レニーグラード)は世界三大美術館と言われるエルミタージュ美術館(ピートル一世の宮殿跡)があり、ダ・ヴィンチ、レンブランド、ラファエロ、からルノアール、マチス、ピカソ、セザンヌ等の収蔵品は300万点。その数は兎も角、世界美術史を飾る程の作品は余り無い感じ。モネ模様の派手なネクタイを購入。街は石造りのビル群、区画整然。キチンと真っ直ぐ90度。何と無く埃ぽく薄汚れた街並み。ソ連製自家用車は旧型サニー並みで、廃車寸前。 走る多くは外車。ガイド曰く、「トヨタ、ホンダ等世界中の車を作っている」と、胸を張る。一般人の月給は5万位で、家賃は1万位が平均。肉類野菜は安いが、その他は輸入品が多く日本並の物価らしい。ガイドの女性は低所得を嘆いて居た。船内の催しで、ロシア人によるトロイカショー。フィナァーレで美形の男女全員が、軍服姿で国旗を振り回して居たのには驚き。 :::::::::::::::::::::サンクトペテルブルグのエカテリーナ宮殿。後世マリーアントワネットと何かと比較された、女帝エカテリーナ2世の夏の宮殿。1770年完成ながら、第2次世界大戦でナチスドイツ軍に破壊、略奪され、2003年復元。禁断の部屋、「琥珀の間」の煌びやかさ。 続いて、ピョートル宮殿。 金箔、鏡の豪華絢爛の大宮殿。大庭園には、総数64の噴水群。これも1714年完成ながら、ドイツ軍に破壊され1958年に復元完了。この両宮殿は、ふんだんな金箔仕様でピカピカで圧倒される。でも、暫く見学していると、いつか?どこか?で見たような宮殿。そう、パリ郊外の「ベルサイユ宮殿」に瓜二つに気がつく。この時代、欧州、パリ等の文化に憧れ、模倣することにより、皇帝の権勢を誇示したらしい。 ::::::::::::::::::::::: ロシアの基本事情については、「めいてい君の日記」の今年 1月31日に掲載しているので、参照願えれば幸いである。
Mar 8, 2012
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4日目: 前夜17時、ストックホルム港(UTC+1)を出港。 今朝は、時差として1時間減算する必要のある、フィンランド のヘルシンキ(UTC+2)に10時、入港。港間は、396.483kmだから、時差(1h)を減算して16時間 かかったことになる。直線投影移動速度は、24.8km/hである。フィンランド共和国の国土は、日本の9割ながら、人口は600万人。 その首都のヘルシンキに到着である。水平線の彼方の平地で、入り組む港、何船もの巨大クルーズ船、 帆船、ヨット、彼方には冬場結氷時の砕氷船の基地が見える。市街地の3割は緑地化すべし、の法律があり、街並みは緑、 みどり、ミドリ、夏のみどりさん。北欧特有の光と冷気で鮮明な若葉の輝きがあり、街を歩けば、 鶏のヒヨコみたいな、正に白人の若い女性の闊歩が特に目立つ。シベリウスのマスク像と石の教会も見所である。 ::::::::::::::::::::今回も、「海岸の遠足」の6オプションのいくつかを紹介する。1. 世界遺産スオメンリンナ要塞(3時間半、$75~) フェリーで20分、クリミア戦争のころの建造で、「北のジブラル タル」といわれる海城城塞のある島へ行き、250年の歴史のある スオメンリンナ要塞を見学し、帰路には港を展望するカフェ、公園、 ビーチ、優雅な建物の探訪やショッピングをする。2.パルヴォーと田園風景 (7時間、$169~)ヘルシンキ市内の観光スポット(沖合のスオメンリンナ要塞、 国会議事堂、フィンランディアホール、オペラハウス、ジャン・ シベリウス記念碑などがあるが、そのうちのいくつか)を車窓から 観光して、19世紀初頭の新古典主義の重厚な建物に囲まれた 元老院広場で下車、さらに岩をくりぬいて建設されたユニークな デザインのテンペリアウキオ教会を巡り、つぎに、郊外50kmにある、 当国2番目に古い町・パルボーへ。古橋から街を望んだあと、石畳の古道を進み、古い木造建物群 や市庁舎を巡り、旧市街で散策とショッピング。更に農村部をバスで進みシポーへ、100年の歴史を持つ馬を 飼育する農家を訪問し、農園主の邸宅で美味しい料理に舌鼓 を打ち、市内に戻っては30分ほどのショッピングができる。 ::::::::::::::::: 18時にはヘルシンキ港を出港し、一路ロシアのサンクトペテル ブルグへ向かう。 ::::::::::::::::::::::::::::::::フィンランドの基本情報については、昨年の11月24日付けの 「めいてい君の日記」に記載してあるので、参照願えれば幸い。 今年の、2月24日には北欧との家計調査比較でも触れている。
Mar 7, 2012
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3日目 :朝の10時にスウェーデンのストックホルムに入港した。 2日目は、終日がバルト海クルージングであり、コペンハーゲン~ ストックホルム間の522.543kmを,38時間(時差なし)で移動し たことになる。 直線距離の投影移動時速は13.8km/hと、ゆっくりしたもの であった、というよりも、スカジナビア半島がふくらんだ分だけ、 航路が大きく迂回しているのである。 :::::::::::::::::::::::::: スェーデン王国の国土は日本の1.2倍であるが、人口は僅か に700万人である。 ::::::::::::::::::: ストックホルムは豊かな木々があふれた、瀟洒で静かな港街である。 北欧のベニスと言われるほど、美しい街で、半島や島をいくつもの 橋がつなぎ、その間を縫うように運河が流れる。 旧市街のガムラスタンには世界遺産に指定され、中世の建物と 石畳の小道が続く街並みがある。 洒落たブチック、アートギャラリー、レストラン、ショップなどで 賑わっている。 :::::::::::::::: 国王の戴冠式が行われる大寺院で「セント・ジョージと龍」の 彫刻、玉座を見学し、王宮内の武器博物館の地下室では、 住むネズミの助けを借りて秘密の宝石箱を開けるのも楽しみ。 ::::::::::::::::: ノルディックシー・ホテルに行くと、零下5度に保たれたアイス・ バーがあり、その中では、北部の河で採取した氷で造作された 氷の室内装飾を楽しみ、カットされた氷のグラスで、防寒具を着 用してのウォッカを味わえるのである。 ::::::::::::::::::::::: 旧証券取引所内にノーベル博物館があり、その歴史や、受賞者 の展示物をみることができる。 その後、ヴァイキングの古城を思わせる重厚な佇まいの市庁舎 を訪れる。 「破壊の象徴であるダイナマイトを発明したノーベル」は、ダイナ マイトで得られた利益をノーベル賞という平和基金に投じている。 その、平和の象徴であるノーベル賞の祝賀晩餐会が開かれる 何も無い、がらんとした石の広間で座ると、椅子もチャチにみえる。 でもあの晩餐会の豪華さはすばらしく、「青の間」の大理石の 階段を2階から、国王皇族と受賞者が堂々と広間に降りて来る。 受賞者でない私は、逆に1階から階段を登り、2階の、金のモザ イクで飾られた黄金の間・舞踏会の大広間を抜けて、右側の トイレに行った。 出口の売店で、メダル・チョコを買う。 あの益川さんが数百枚買った、小さいメダル・チョコで、一枚 何んと200円なり。 脳味噌が食欲を出しているようであり、「脳」が食「べるでしょう」 をおみやげとした。 市庁舎の地下レストランでは最新のノーベル賞記念パーティ を再現した昼食を、受賞でなくとも、このツアーでは、同じテー ブル・セッティングで楽しめるのである。 :::::::::::::::::::::: ノーベルの発明で思うのだが、発明した物は「爆発物」として いろいろの使い方があり、単なる破壊としての手段道具、例えば、 「アフガンのバーミヤン石像の破壊」、銃砲の発射でのダイナマイト、 他方では、新たな生産のための開削手段道具「各地の鉱物資源掘削、 スイス・ゼメリング鉄道開通工事など」、その利用が使う側の扱いで 平和にも、戦争、破壊にもなる、極端性をもっている。 ノーベル氏は極端性のうちにも、人間性のある利用法を願って 平和賞を掲げたと信ずる者である。 :::::::::::::::::::: さらに、国立美術館、王立劇場を車窓から眺めて、ユールゴー デン島に行くと、17世紀建造した直後に海に沈んだ、美しい彫刻 のある「木造戦艦・パーサ号」がみられる。 ::::::::::::::::::::: 郊外に向かい、メーラレン湖に面した当国最古の町・シグ トーナで聖母マリア教会、小さな市庁舎、当国最古の石造り 教会跡、最古の街並み・ストラガタンなどを見学できる。 ::::::::::::::::: 西の郊外への道を選べば、メーラレン湖に浮かぶローベン島に 立つ、ドロットニングホルム宮殿は1981年から王室の居城として 使用され、広大な庭園に劇場、中国風東屋あり、その気高さから 「北欧のベルサイユ」と呼ばれる。 18世紀末のスウェーデン国王・グスタフ3世は強大な権力を誇り、 芸術愛好家でもあって、宮殿をこよなく愛し、毎夜、晩餐会や舞 踏会を催し、劇場ではオペラを上演した。 ここで、自ら演じていたところを、政敵が放ったピストルの凶弾に 倒れ死亡した、グスタフ3世と王家一族の悲劇が有名である。 ::::::::::::::::::: ストックホルムの「ショア・エクスカーション」 (海岸の遠足?) がオプションで13プランある。 「武器庫のネズミとガムラスタン」などが一番安く、3時間で $49(~)で、一番高いのが、「ガムラスタン、市庁舎と ノーベル賞の昼食」の5時間,$379である。 ::::::::::::::::::::::: 「写経者」としては、「世界遺産・ドロットニングホルム宮殿」だ ろうが、4.5時間で$79とある。 これらから判断すると、費用は、「航空料金」、「クルーズ料金」、 「港の遠足料金」がそれぞれ加わわることとなり、また、楽しみ 方も広がることになり、何回も同じ方面にクルーズする人の 気持ちが分かるような気がする。 このほかにも、ツアーガイドへのTIP(終日なら$5を目安) など、いろいろありそう。:::::::::::::::::::余談: 脳と言えば、ストックホルム症候群というのがある。 1973年、ストックホルムの銀行強盗で、犯人は数人の人質をとり 立てこもる。 警官隊との何度かの衝突のあと、人質の解放は、1週間後である。 しかし、人質を放後、事件関係者は不思議に気づく。 当然、犯人を憎むべき人質が、口々に犯人をかばう証言をする だけではなく、「感謝されるはずの」警察を、侮辱するようなこと さえ口にする。さらに、事件解決後、人質1人の女性が、あろうことか、犯人グル ープの一人と結婚する。 これが、最初有名になった「ストックホルム症候群」である。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 黄昏のストックホルムの港を、ドラの響きの中17時に出航する。 :::::::::: スウェーデンの基本事情については、「めいてい君の日記」昨年 11月27日を参照いただければ幸いである。
Mar 6, 2012
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2日目 前夜にコペンハーゲン港を出ると、そこは、スウェーデン との国境の境界にあるエーレスンド海峡(大きくはカテガット海峡 南端部分)である。 北に向かえば、30kmさきに、エーレスンド海峡の海峡通行税 を徴税するための、大砲を海に向けて構えた、世界遺産のクロン ボー城があるはずだ。 (ボーは城なので、当地では「城」は付けない。先のノルウェー・ オーロラクルーズの旅ではノールカップをノール「岬」という。) 北への航路は、後日の8日目から9日目にクダンスクからオスロ に向かうクルージングまでお預けである。 船首を南に向けてバルト海に入り、船首を「北北東」に舵を切る。 午前中は曇天・小雨であったが、昼頃から快晴となり、北の青空を 見上げる。 みんな一斉にデッキに出て、プールに入る人はわずか数分で 寒さに震えている。 一体全体、当地の白人は、体温が高いのか、肌が鈍いのか、 半袖のTシャツ、薄手の胸開きブラウスで悠然としている ? バルト海 ? 日本のお相撲さんの大関・把瑠都(バルト)凱斗関の名前。 彼はこれから行くバルト海の奥のエストニア出身だ。 地図をみれば、Baltic Sea (バルティック・シー)とあり、 バルティック ? バルチック艦隊。 ロシアないし旧ソビエト連邦海軍のバルト海に展開する艦隊を バルト海艦隊(バルト艦隊、バルチック艦隊、Baltic Fleet)と 言うが、日本では、日露戦争の時に帝政ロシアが編成した第二、 第三太平洋艦隊であり、旅順に封じ込められた極東太平洋艦隊 を救助すべく、ここから引き抜かれた、あらたな艦隊を指す。 :::::::::::::::::::: 日露戦争では、バルチック艦隊(その基地は、当初のレニン グラード近くの港から、ラトビア共和国のリエパーヤ港へ移動 している)が、本来の守備範囲を離れて、その主力の戦力を はるか日本まで送っている。 中・重量級は喜望峰沖経由組に、軽量級は地中海スエズ 運河経由組とに別れて出港、マダガスタル島で合流し、遅れ て出発した追加派遣組と、ベトナムのカムラン湾で、再度合流 した後に、ウラジオストクを目指したが、対馬沖で東郷平八郎の 率いる日本の連合艦隊と激戦の後に敗れた。 バルチック海は、彼等の本来の守備範囲であり、通っていった 海路の始まりなのである。 余談であるが、彼等の航海は、すばらしく長距離であり、 バルト海からカテガット海峡、スガゲラグ海峡を抜けて、 北海に出て、イギリスの東岸沖で、英国の漁船を、敵国 日本艦隊が待ち受けていると誤認して砲撃し、漁民を殺 傷した。 怖いと思えば、夕闇で芒が幽霊に見える譬えもある。 勇猛で怖い顔の軍人でも怖いものは怖いのである。 これで、日本との同盟国でもあった英国とは戦争寸前にまで 緊迫した状態がうまれ、敵視されたから、その友邦国・フラン スや海外領土からも協力してもらえず、補給もままならない、 半年間の航海となり、本来の遠洋航海には不向きな、小さい不向きな、小さい 駆逐艦まで連れた遠征は、「奇跡の航海」とも言われて、 「高く評価されている」という。 あまりにも遠い国を、傲慢にも攻撃するという「無茶な覇権 主義」を、自らの危うい内政統治よりも優先した帝政政治は、 脳幹梗塞の小生には「航海(後悔)先に立たず」としか思え ない暴挙であった。 「小指」ではなく、「航海」で、帝政は崩壊したのであった。 NHKの1年越しドラマ・坂の上の雲を思い出す。 :::::::::::::::::::::::: おりしも、水平線ぴったりに太陽が真っ赤に沈んでゆく。 時刻は夜9時32分を指している。 本日は、終日のクルージングであった。
Mar 5, 2012
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自由が丘氏のクルーズを、小生の「仮想空間を使って写経する」 試みであり、多少のバグをご勘弁願いたい。 また、昨夜はTVで「タイタニック」を見て疲れた。 :::::::::::::::::::::: 今日は、電車で1時間かけて、同じ市ながら、2つの市を通り、 また、自分の住む市内に戻る作業で、昔・干拓地、今は住宅街 が広がる、海側の松林に囲まれたテニスコートに行 った。 海側のコートは震災でもあればひとたまりもなさそうであった。 この付近は、先の東日本大震災で液状化現象が起き、水道が 出なくなり、クリーンセンターの浴場が開放されたという。 疲れていただけではあるまいが、コートの東端の方に来る球 が、急に伸びて、さし込まれる具合だ。 見ただけでは判らないが、サーフェイスが水平から曲面に変化し ているかもしれない。 普段利用しているコートは高台の避難指定場所にある。 小生の自宅も、別の避難場所に指定された区域にある。 練習を2時間して戻り、昼間から風呂に入って、録画した DVD[地球絶景紀行#95]を覧ながらキーを叩いている。 昔なら、風呂に入ったなら、必ず生ビールを飲んだものだ。 特に、テニスの後のビヤガーデンでのビールは美味しかった。 脳幹梗塞になってから、酒は、砂をなめるようなまずい味が してアルコールとはおさらばしており、不思議なことに、 「ノン・アルコール」ビールでさえ、まずく感じ、それで酔ったよう な変な感覚に陥る始末、人間が安くできているように自分でも感じ るようになった。 いやいや、アルコールだけを自分で飲む分には、さほどでは ないが、おつまみ、果物は、ホステスに自分で取らせるように すると、法外な値段をつけられる。 むかし、独身の頃に、先輩と二人で、いちげんで入った 歌舞伎町のバーで、「鴨られて」腕時計を預けて翌日に数 万円もって行った覚えがあり、バーも質屋と同じと記憶して いる。 当時は、神田の料理屋「菊清」と歌舞伎町のお座敷「蝦夷 御殿」が先輩(の親父が社長場に使用)とのねぐらであった が、時間があったので、別の所に「いちげん」で入ったのが 失敗だった。 そういえば、蝦夷御殿では、いまでは大女優の方が、現場を 知りたいと行って、われわれが屯していたところで、若かりし 我々に安心して、寛いで休憩していたのを思い出す。 また、また脱線、脱線だ。 :::::::::::::::::::::::::::::: 現地1日目 デンマークのコペンハーゲンへ。成田空港発、11時30分、スカンジナビア航空で、飛行時間7時間を経て、時差が7時間ある目的地に夕方の4時5分に到着。 木々は、新緑の輝きを増し、煉瓦葺きの瀟洒な建物群が、少し刺すような寒気の中を迎えてくれた。 :::::::::::::: デンマークの首都コペンハーゲンは、「北欧のパリ」と比喩される、北欧を代表する都市である。 現地の発音は、「ケベンハウン」と聞こえる。おとぎの国のような、人魚姫の像、王宮、博物館、美術館、小さな教会などが宝石のように鏤められている。この美しい街並みの散策や、世界初の歩行者天国「ストロイエ」でのショッピングが楽しみであるが、今日は、出港が夜8時なので、 時間が無く、帰りの楽しみである。。ヨーロッパ大陸にあるのではなく、この国の東部のシェラン島の海岸に位置し、市の人口は52万人、県人口は112万人対岸のスウェーデンの市を含めた都市圏域では280万と北欧最大の都市圏となる。小さな漁村であったが、所有した司教のもとで要塞化が行われ良質な港湾は商業化が進み、ドイツのハンザ同盟から攻撃を受けた。スウェーデンからの攻撃(氷上侵攻の北方戦争)、英国からの艦隊攻撃(コペンハーゲンの海戦で停戦命令を受けて見えない片目に望遠 鏡を当てて惚けたネルソン司令官の逸話は有名で、英国軍の 砲撃で城壁の街は破壊されたが、その復興が街の近代化を 助けた)、第二次世界大戦のドイツ軍の占領で「モデル被占領国」 から「抵抗の時代」を経て戦後を迎えた。「住むには高くつくが、世界で一番暮らしやすい都市」と 言われる。コペンハーゲンは北欧クルーズ船の発着駅であり、空港まで10kmと近く、スウェーデン南部(さらにストックホルム)とも大橋の完成で、特急 列車などが直結している。対岸のドイツに行くには、特急列車に乗ったままで、列車ごと レールで引き込んだ、フェリーがバルト海を渡って運んでくれる。 ::::::::::::::コペンハーゲン港では豪華クルーズ船、エメラルドプリンセス号 が待ち受けていた。 添乗員は、以前に同型(クローン姉妹船)のプリンセス号に乗船 したときにお会いした、添乗員と奇しくも同じ人であり、まるで 「あの時、あの人、あの船」、という、「バック ツー ザ フューチャー !」の偶然の錯覚に ギャフーン! となった。 ::::::::::::::::::::::: 船の出航というと、写経者としては、今はないが、「宇高連絡船」 といって、四国の・高松と本州岡山の宇野を結ぶ連絡船(船内 にレールがあり列車ごと運搬する)で、ジャジャジャジャーンと 大きなドラが鳴り、蛍の光だか、なにかの音楽に包まれて、 紙テープが何本も千切れて波間に消えてゆき、船の中、岸 壁から手が振られて、それも青い暗闇に消えてゆく、そんな 光景だろうか? 観光に出るだけなので、誰も見送りはないかも知れない。 とにかくは、目的地・ストックホルムに向かうバルト海の豪華 客船の船旅の始まりである。 :::::::: デンマーク国および次の訪問国スウェーデンの基本事情 については、当「めいてい君の日記」の昨年11月27日分 を参照いただけると嬉しい限りである。
Mar 4, 2012
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以下は、ほとんど自由が丘に住む旧友・本人のものを少しだけ アジャストしただけの「写経」である。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 基本的にいえば、クルーズ船は、夕方出港し、夜間は次の 目的地に向かい、翌朝現地到着、昼間、上陸して観光、夕方 には、帰船の繰り返しである。 荷物は、乗船手続完了次第に、部屋に搬入され、下船まで そのままである。 部屋は景色の良い海側か、内側か、窓の有無、ベランダ有無、 シャワーやバスタブの有無、上層階か下層階か、部屋面積が 16平方メートルから37平方メートルのどの辺か、の各種組合わ せで料金に原則、倍以上の差がでる。 また、ハイシーズンと閑散期では、これまた、かなりの料金 差がでるみたいだ。 手頃なのは、最低グレード室となるが、内側、窓なし、シャ ワーだけ、下層階、を閑散期に利用することだ。 クルーズ料金は、ポートチャージ($280 ;$=USドル)、 政府関連諸税(約$200)を除いて、mini=100,MAX=384 の開きがある。 (2名1室船内の全食事付き:単位は米ドル/人) 内側ツイン $1,890(=100) ~$2,140 視界限定海側ツイン $ 2,240(119)~$2,340、 海側ツイン $ 2,500(132)~$2,650 海側ツイン・バルコニー付き $2,815(149)~$3,040 ミニスイート・バルコニー・バスタブ付$3,565(189)~$3,865 ファミリースイート・バルコニー・バスタブ付$5,165(273) スイート・バルコニニー・バスタブ付$5,765(305)~$7,265 乗客対乗務員比率は、高級船で1:0.9、普通船で1:0.6。 サービス乗務員は、インドネシア人が大半で、手を上げ、声を 掛ければ、何でも、直ちに、やってくれる。 エメラルド・プリンセス号クラスだと、運営業者は同じだから、 添乗員が異動しており、どこかのクルーズで再会することもあっ て、良い意味での「ぎゃふん」としたことがあった。 幸いにも、先方も覚えてくれていたような風情であった。 船内は、ミニタウンのようで、各種食堂、売店、病院、ダンス ホール、カラオケ、劇場、サウナ、図書館、礼拝場、ジャグジー、 プール等々、そう、「コンビニ観光船」といったところである。 24時間レストランが開かれ、お酒を除き、原則、どんなに食べ ても、飲んでも無料、というより乗船費に含まれている。 それにしても、客にはメタボのなんと多いことか? 100キロ超級の、ぶよぶよが、どて!どて!と居る。 話言葉から察すると米会話?のようで、これが日本脱出での、 カルチャー(?)ショックの一つだ。 夜になれば華麗なショータイムとして、歌、寸劇、マジック、踊り、 地中海では、アイスショーもある等で船内生活を厭きさせない。 航海中の夜の晩餐会は、通常、2回ほどだが、「ドレスコード: フォーマル」と称して、御洒落、おめかしの日がある。 男性はタキシード、女性は(イブニング・)ドレスが基本ながら、 最近では、男性は背広・ネクタイ、女性は披露宴クラスが、多い という。 それでも、その晩は、船中がかなり華やかな雰囲気になる。 一度、同行グループの60歳くらいの御婦人2人が、「ベルサイユ の薔薇のヒロイン」みたいな、くるくる巻きの長い毛の鬘、ドレス、 立派な厚化粧で登場し、度肝を抜かれた。 本人曰く「一生に1回はこんな格好をしてみたかった !・・・」。 愛すべき御婦人達であった。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: それでは、明夕8時に、コペンハーゲン港をエメラルド・プリンセス は出港する。 日本の成田をSASで、明朝11:40に出発して、8,720km 離れたコペンハーゲンに移動速度763km/hで、11時間25分 要して、16:05(現地時間は成田との夏時差7時間を調整済み) に到着する予定である。 それまでしばし休憩とする。 明日から、原則1日毎に現地情報を「写経+アルファー」で記す。 追信:昨深夜、自由が丘氏のクルーズの内容・時間割などが 過去に遡って、トレースできた。 運行会社の、ツアーの全記録ともなる歴史を辿っていって やっと見つけたのである。 脳梗塞の小生には、かなりのロードがかかったので、本日の 2時間テニスは懸念されたが、体力はなんとか保てた。 あしたも、2時間テニスはあるので、今日は休み休みで行こう。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::クルーズ船の船内娯楽施設の抜粋 *アトリウム:毎日数回のストリート・パフォーマンス :ピアノや弦楽四重奏 :インターナショナル・カフェの軽食*デッキ :野外シアター :リラクゼーション・エリア :プール :ゴルフ、バスケット・ボールなどのスポーツ*大きなシアター :毎晩の華麗なショー
Mar 3, 2012
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初夏の爽やかなバルト海クルーズ 自由が丘の旧友から次なるクルーズ紀行が届いているが、 なかなかヨーロッパの時間感覚には合わせられない。 行ったことがない奴にはわからんぞなもし、と言われれば それまでだ。 ご本人の著作権問題もあるが、できるだけ本人の気風を残して 「写経」していくこととしたい。 小生としては、時差やサマータイム、さらに、距離の計算 に弱いので、その前に、ここで、整理しておきたい。 1.航空機による移動距離、時間など 航空機については< ◎◎VIKING>というヴァイキングの英雄 の名前を冠した、スカンジナビア航空である。 「航空機の移動時間は、行きが11時間25分で、帰りは 10時間50分をかけて、空港間8720kmを移動し、 行きが763km/h、帰りが805km/hの速度であった。」 <計算> 行きは<スカンジナビア航空 往路> 1日目 スカンジナビア航空 SK 984便 * 成田発 11:40 (日本時間JST=UTC+9) <コペンハーゲン夏時間で当日 4:40に当たる> <距離8716.573kmを通過> * コペンハーゲン(デンマーク)着 16:05(UTC+1+夏1時間) **夏の時差7時間 移動時間11hour25minutes** <移動平均速度763km/hour> 帰りは<スカンジナビア航空 復路> 12日目 スカンジナビア航空 SK 983 * コペンハーゲン(デンマーク)発15:45 (UTC+1+夏1) <日本時間は当日の 22:45に当たる> <距離8716.573kmを逆戻り> *成田到着 翌日 9:35 **夏の時差7時間、移動時間10hour50minutes** <移動平均速度804.6km/hour> 航空機だけの往復の総移動距離 17,433km 2.クルーズ * ******* クルーズ船の概要 <エメラルド・プリンセス号> 総トン数 113,000トン 全長 290m 全幅 36m 巡航速度 24ノット(44.5km/h) 乗客数 3,070人 乗組員数1,100人 客室数 1,532室 プライベート・バルコニー 900室 船籍 バミューダ 主要設備 プールデッキの巨大スクリーン、プール(4) ショウ・ラウンジ(3)、ダイニングルーム(3) サブレストラン(6;イタリアン、ステーキ、 24hブッフェレストランなど) <エメラルド・プリンセス号航路> ・・港間距離と、時差、サマータイム・・ 航路case1 (旧友の自由が丘氏のコース) 1日目*コペンハーゲン(デンマーク)<UTC+1+夏1時間>出港 20:002日目 海上クルーズ (直線距離522.543km) 3日目*ストックホルム(スウェ-デン)<UTC+1+夏1時間>入港 10:00 :::::::::::出港 17:00 (396.483km) 4日目*ヘルシンキ(フインランド) <UTC+2+夏1時間>入港 10:00 ::::::::::::::::出港 18:00 (287.516km) 5日目*サンクトペテルブルグ(ロシア)<UTC+4+夏0時間>入港 6:306日目 サンクトペテルブルグ(ロシア) ::::::::::::::::::::出港 18:00 (309.02km) 7日目*タリン(エストニア) <UTC+2+夏1時間>入港 7:00 ::::::::::::::::出港 13:00 (676.865km) 8日目*クダンスク(ポーランド) <UTC+1+夏1時間>入港 9:00 ::::::::::::::::::::::出港 18:009日目 海上クルーズ (780.43km) 10日目*オスロ(ノルウェー)・・・<UTC+1+夏1時間>入港 7:00 ::::::::::::::::出港 14:00 (483.847km) 11日目*コペンハーゲン(デンマーク)<UTC+1+夏1時間>入港 7:00 :::::::::::::::::::::クルーズ距離合計 3456.704km 航路case2(同クルーズ船の現在の航路設定) 1日目コペンハーゲン(デンマーク)(UTC+1+夏1時間) 港出港 18:00 2日目オスロ(ノルウェー)(UTC+1+夏1時間) 港入港10:00 [時差調整不要] <直線距離483.847km、所要時間16時間、投影速度30km/h> :::::::::::::::::::::::::::::出港 19:00 3日目オーフス(デンマーク)(UTC+1+夏1時間) 港入港 12:00 [時差調整不要] <直線距離418.796km,所要時間17時間、投影速度24.6km/h> :::::::::::::::::::::::: 出港 19:00 4日目ワルネミュンデ(ドイツ)(UTC+1+夏1時間) (Warnemunde 読み方:バルネミュンデ) 港入港 7:00 [時差調整不要] <直線距離252.298km,所要時間12時間、投影速度21.0km/h> ::::::::::::::::::::::::::::: 出港21:00 5日目・・・・終日クルージング・・・・・ 6日目タリン(エストニア)(UTC+2+夏1時間) 港入港 8:00 [時差調整必要▼1時間] 形式所要時間35-1=34 <直線距離967.55km,所要時間34時間、投影速度28.5km/h> ::::::::::::::::::::::::::: 出港17:00 7日目サンクトペテルブルグ(ロシア)(UTC+4+夏0時間) 港入港 6:30 [時差調整必要▼1時間] 形式所要時間13.5-1=12.5 <直線距離309.02km,所要時間12.5時間、投影速度24.7km/h> :::::::::::::::::::::::::::: 8日目 出港 18:00 9日目ヘルシンキ(フィンランド) (UTC+2+夏1時間) 港入港 7:00 [時差調整必要+1時間] 形式所要時間13+1=14 <直線距離287.516km,所要時間14時間、投影速度20.5km/h> ::::::::::::::::::::::::::::: 出港 16:00 10日目ストックホルム(スウェーデン)(UTC+1+夏1時間) 港入港 7:00 [時差調整必要+1時間] 形式所要時間15+1=16 <直線距離396.483km,所要時間16時間、投影速度24.8km/h> ::::::::::::::::::::::::::出港14:00 11日目・・・・終日クルージング・・・・・ <直線距離522.543km,所要時間39時間、投影速度13.4km/h> 12日目コペンハーゲン(デンマーク) (UTC+1+夏1時間) 港入港 5:00 :::::::::::::::::::::::::::::::::::case2 クルーズ距離合計 3638.053km
Mar 2, 2012
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今朝は、昨日の、天気予報通りに雪が積もり、車検のために 愛車・PAJERO MINI を近くのGAS STAND に預けて、歩 道を、あさいちの 雪道の歩き方指導のとおりに雪を踏みしめ て、帰ってきた。 そういえば、イギリス・ロンドンから半年おきに日本に帰ってきて いた、上品な、だけど試合となれば英国魂があらわれる奥さんは この前は居なかったのでお会いするのは半年後だろう。 昨年は、みなさんへのおみやげとして、ウインブルドンのスポー ツ用小物グッズをいただき驚いた。 なぜか、使うのが勿体なく思われて、書棚に飾ってある。 また逢うときまで、お元気で、ご活躍を祈るばかりである。 さて、雪の中で、旧友のアラスカ氷河クルーズの後編を続けて みる。 <現地5日目> シトカ滞在 (8時~17時) 港は、遠浅のためテンダーボートで上陸する。 インディアンのトーテムポール群と、ロシア正教会の立派な教会の コラボレーションが美しい。 10分ほど先に歴史公園があり、北方多雨地帯でヒンヤリとした 冷気が鬱蒼とした原生林に漂い、木の上から米国旗の白頭鷲が 睨んでいる。 小説好きな方なら、芥川賞作家・大庭みな子さんの書いた、 夫の転勤地での生活体験記録「三匹の蟹」を思い出すはず。 (帰国後、40年ぶりに読み返すも、またもや不解。) <彼女の著作につての解説がgeociteis にあった> <現地6日目> ケチカン滞在 (7時~13時) ジュノーに次ぐアラスカ4番目の街、生活臭さのない、細長 い港町、前庭に芝生と、満開のシャクナゲが咲く洒落た個人 住宅街を後背地に、数階建てのビル群が見える港町である。 埋め立て地で丸太を切ったり、投げたり、登ったりの「木こり ショー」を見物、運河沿いの土産展をからかい、くわえタバコで 真っ赤な胸開きドレスを着た姿の娼婦の館跡は見学料5ドル と聞いて入るのをやめ、お嬢さんの見せ物、白頭鷲を見る。 <現地7日目> ビクトリア滞在( 20時上陸~22時帰船) ビクトリアの地理はややこしいが、開拓時代は英直轄領、現在は カナダ領でブリティッシュ・コロンビア州の州都である。 ただし州の最大の都市は本土のバンクーバーである。 ビクトリアの人口は30万人で、英国の情緒がたっぷりである。 フェアモント・エンプレスホテルのアフタヌーン・ティー、英国風 ガーデニングで有名なブッチャート・ガーデン(残念ながら行け ずじまい)、港の商店街、メインストレートのビル街、夕方ながら 観光客でかなりの賑わいを見せ、真っ赤なメイプルツリーの国旗 が多数はためき、薄暮有闇の風情あり。 チョコレートを買って帰船する。 <ビクトリア市の観光案内が WEBにあるので参照> <現地8日目>シアトル滞在 (8時帰港し下船;出発地に戻ったことになる) 太平洋西海岸最大の都市で、周辺を含めて人口300万人である。 古くから、天然の良港で貿易港、軍港として繁栄する。 高緯度ながら海洋性気候に恵まれ温暖で、安定的な降雨日 が多く、森林資源が豊富で、製材、パルプ、製紙業が盛んである。 ボーイング、マイクロソフト、アマゾン、スターバックスなど世界 的な大企業の発祥地でもある。 しかい、日本人にとっては、「イチロー」のシアトル・マリナーズで の活躍のおかげで、現地の日本人は胸を張って生活できる、と 現地邦人ガイドは話す。 また、最近は、「ノーモア福島」なので静かにしているとのこと である。 シアトル空港発成田行 13:50 デルタ航空 に乗船 (夏時間だから日本との時差16時間) (日本では翌日の午前5時50分) 船内の目前のTVが画面不調であり、キャビン・アテンダントに 言うと、なんと、お詫びに「白ワイン」一本を呉れた気前よさ! <日付変更線通過> <9日目> 成田空港着 16:20 無事帰る。・・・・・・・・ さて、自由が丘に住む旧友の乗船したクルーザーであるが、 下記のように、今回のクルーズより、少し北方のハバード氷河沖 で<タイタニック号沈没事故寸前の微細な事故>を起こした形跡 のNEWSがある。 とにかく、流氷との衝突でなくとも、イタリアのような人的海難 事故もあるので、お気を付けて世界旅をして頂きたい、と思う次第。 Westerdam Lightly Damaged in Alaska Following Allision Thursday, 12 May 2011. The United States Coast Guard is investigating an allision between the 935-foot cruise ship Westerdam and ice in the vicinity of Yakutat Bay Wednesday, May 11. The Westerdam was reportedly maneuvering through ice near Hubbard Glacier Tuesday evening when it sustained damage approximately 15 feet below the waterline. The hull was reportedly not breached and no injuries or pollution were reported. The Westerdam continued on her voyage to Sitka, where she was met by Coast Guard officials, along with the classification society for the ship, Lloyd's Register, according to a spokesperson for the Coast Guard. 補記:訪問地の地理の整理 世界地図で、北から整理すると、アリューシャン列島の根本 付近にアンカレッジがあり、東(右)の方角に、ハバード氷河、 少し東南にグレイシャーベイの湾があり、更に東南の入り江の 奥にジュノーがあり、その南西沖の、アラスカ湾に面した島に シトカがある。 さらに東南に多数の島の間を進むとケチカンがある。 ここら辺より手前の陸地の海側は米のアラスカ州だが、直ぐ 先(地図では右側)は、コースト山脈で、その東側はカナダである。 ケチカンを過ぎると、陸も海もカナダ領となり、かなり離れて、 東南に進むと、大きなバンクーバー島があり、その東端にビク トリアがある。 ビクトリアから見て、東北東の方角、陸地側にバンクーバー があり、そこまでがカナダ領である。 ビクトリアから見て東南の方角、奥まった入り江にシアトルが あるが、そこはもはや、米国のワシントン州に入ることになる。 シアトルは市域56万人、都市圏304万人、広域都市圏370 万人の大都市である。 以上。
Feb 29, 2012
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自由が丘に住む旧友がオーロラクルーズの見聞記を送っ てくれ、先日紹介した。 脳幹梗塞の小生のために、もっとたくさん紹介してくれるように 依頼している。 すでにご夫婦で30回以上も海外旅行に出かけているのだ。 今度は、「アラスカのグレイシャーベイを巡るクルーズ記」を メールしてくれた。 彼の執筆をそのままお伝えしたいが、著作権がありそうもいかず、 以下は、小生が勝手な時間設定をし、小生なりに「意(異)訳」 したものである。 いつも、世界遺産の旅をTVで愉しんでいるのと、同じような 感覚(「世界ふれあい街歩き」も好きである)で、訳者自身が旅行し ている気分になっている、のをお許しあれ! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 冒険家・植村直己さんではないが、氷河、氷山を何となく 見てみたいので、気楽なクルーズ船からの見物に出かけた。 場所は、アラスカ、さあ、シアトル直行便で出発である! <1日目> 成田発16:10 デルタ航空 シアトル直行便 ・・・・・・・・ さてシアトルはいま何時だろう。 時差があるが、時差は17時間である。 いや、時差だけではない、アメリカにはデイライト・セイビング・ タイム(DST;夏時間)があり、アラスカ地区では3月の第2日曜 午前2時から11月の第1日曜午前2時までは、時計の針を1時 間ばかり巻き戻すことになっている。 そうすると、夏時間での時差は、16時間である。 冬時間のTime table (=not DST season) London today 10:00、Tokyo today 19:00、Seattle today 2:00 である。 当時は夏時間であり、日本の成田発 16:10 はシアトル時間 では、前日の23:10(DST)となるはず。 (日付変更線通過) <現地1日目> シアトル着 現地時間1日目 9:05(DST) (成田時間は、今、翌日の午前 1:05 でいいのだろうか) いずれにせよ、移動時間に、9時間55分を要したことになる。 成田からシアトルまでの直線距離は、WEBで7657.6km。 <距離約7657.6km/飛行時間9時間55分=時速772km/h> であるから、ジェット機の平均航続時速は約770km/h だ。 ・・・・・・・・・・・・ 昼頃 豪華クルーズ船(注)に乗船 ・・・・・・・・・・・・・・(WEB情報による)・・・・・・・・ (注)豪華クルーズ船 ウェステルダム号 総トン数 82,348トン 乗客定員 1,848人 全長 950フィート 就航 2004年 主要附属設備 レストラン 4, 屋外スイミングルーム,スパ&サロン、 スウィートラウンジ,カジノ,フィットネスセンター バスケットボール、バレーボールコート ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ シアトル出港 16:00 <現地2日目> 終日クルーズ かなりの揺れの中を、シアトル港から真北に向かって2日に わたる航海である。 大好きな海、船の最上階のデッキに登れば、360度の海原、 ただただ、呆然と海の先の水平線をたどれば、船尾の方角に 長く、遠いスクリューの軌跡がかすむ。 太陽の光を正面に受け、スクリューの軌跡を過去とすれば、 今いる船上が現在、船の進む方向こそ未来、その未来に、 地球上の様々な、自然の場、文化の場にこの足で立ってみたい。 船の上では、安楽椅子に横たわり、真っ青な空、流れる白雲、 横切る海鳥の群れをぼんやりと眺め、夜になっては、白い月光が 海上に揺らめく、輝く月の導き(月の道)を歩いてゆきたい。 その先には、銀河鉄道があるかも。 さらに暗さが増すと、その空には満天の星々、プラネタリウム のごとき中を、キラリと流れ星、・・忘我無我、穏やかな至福の時。 <現地3日目> グレイシャー・ベイ(氷河湾)国立公園 (海上の滞在10時~19時) 同公園の面積は1万3千平方キロメートル、その8割が自然 保護地域である。 はるか昔、ウィスコンシン氷河期、ここ南東アラスカ一帯は、 大氷河に覆われていたが、次第に氷河は後退し、グレイシャー・ ベイを生み出したのである。 港から見える氷河は、湾内に16が現存し、幅約3km、高さ (厚み)80mで、フェアウェザー峰(標高4,665m)から続く。 奥行きは少なくとも6.5kmあり、涼冷な太陽光、空気、空間 の中で、氷河は「薄い水色な光を発している」。 まさに初夏、真っ白な雪を頂く、2~3千メートルクラスの山脈を 抱えるフイヨルドの中、紺碧に輝く海面を巨大クルーズ船がゆっ たりと進むこと3時間以上も、船の最先端デッキに陣取り(タイタニ ック号の主人公の気分?)、雲一つ無いアラスカ晴れを360度 楽しんでいると、氷河地帯に到着、陸地の氷河先端から1km沖 合に停泊する。 (先月、事故を起こしたイタリア客船は陸地近くに接近し座礁し たが、実は、このクルーズ船も小氷塊に接触事故を受けていた らしく、後で知った。) 公園内には道路もなく、この氷河は海から眺めるしかないのだ。 <アラスカ氷河の眺めは you-tubeにも多載されている> 幻想的な輝きに見とれていると、突然に、氷河の一部が海に 崩れ落ち、海が爆発、隆起、・・・目で見た3,4秒後に滑落時の 轟音が追いかける。 まるで隅田川かどこかの花火見物のような反応。 1時間に数回も、甲板の混雑の中からドドーと一斉に万国共 通の驚嘆の叫び声が上がる。 さて、このアラスカだが、日本の面積の4.7倍ある。 ロシアはかつて、クリミア戦費で困窮し、なんと米国に720万ドル で売却したというのだ。 アラスカは、いまでは、アメリカ大陸の国にとって、国防上重要 な拠点であり、天然資源の宝庫である。 時代が違うが、ロシアが、「日本古来の小さな北方領土」も、 格安で手放したアラスカのように、拘泥しないなら、有り難い話、 なのにと思う。 <現地4日目> ジュノー(アラスカ州の州都、人口3万1千人) (滞在は7時~20時) 2008年の米大統領選挙の共和党副大統領候補・ペイリン 女史が州知事だったところである。 ジュノーは、同名人が同僚のハリスと共に金採掘を始め、 1年後には世界有数の金鉱脈を発見、鉱夫達が街の名をジュ ノーと命名し、発展を遂げ、捕鯨、毛皮の街・シトカが寂れると 州都もここに移されている。 ジュノーのダウンタウンからわずか21kmのところに、北米で 最も近寄りやすいメンデンホール氷河があり、バスで1時間 ほどで行ける。 氷河から流れる激流滝をみる。 <メンデンホール氷河も You-tubeに掲載されている> オプションで、「ヘリコプターでの氷河着陸、犬ソリ体験」 が一人5万円超であり、数人が参加した(you-tube参照あれ)。 これを節約して、代わりに、人の腕ほどの美味なタラバガニ の昼食を選択して満腹となる。 ・・・後編をご期待・・・
Feb 28, 2012
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懐かしい、会社の同窓生からメールが届いた。 あの自由が丘にすむリッチマンである。 今年になって、1週間ばかり豪華客船による北極圏 (ノルウェー)オーロラ・クルーズに夫婦で乗船した 経験談をすこし紹介する。 彼は、すでに、アラスカ氷河、エーゲ海、カリブ海、地中海、 ナイル川、バルト海のクルーズをして、時折そのクルーズ談義 をメールしてくれている。 ノルウェーについての基本事情は、昨年12月11日の日記で 説明したので省略し、彼の行程をトレースする。 ノルウェーの地名は、小生なりの地図、WEBでの地名とした。 この地域の文字は発音は似ていても、書き方が難しい。 読み方は色々あるが、中には、旅行会社が旅行案内に 日本語の誤った表記をしているものがあるので、現地での 使用は憚るべきものがあるようだ。 <1日目>成田空港を「○○ VIKING」のマークが付いた、 スカンジナビア航空・SASで飛び立ち、コペンハーゲン、 オスロを経由して、ベルゲンに19時間後に到着。 <2日目>市内観光。北欧最大の貿易港として干鱈などの 輸出で繁栄した形跡は、ハンザ同盟時代の木造建築物とし て「世界遺産」に登録されている。 フロイエン山のケーブルから墨絵のような港町を眺める。 この港は、北海油田の港湾窓口でもある。 午後は作曲家グリーク(グリーグとも発音)の別荘を見学。 夕刻、イタリアの豪華客船とは、ほど遠いが、貨客船 (16千トン)に乗船する。 ・・・・・・・・・・・・・・ 追記 船名:ミッドナットソル号(沿岸急行船) 総トン数:16,151 トン 乗客 : 1,000人 全長 : 135.75m 速力 : 18ノット 建造年 : 2003年 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <3日目>オーレスン(Alesund だが、旅行会社が誤って オースレンとプリントしている。北欧専門のはずだが、現地の 地名を間違えるとは失礼なことである。)に入港し、大火の後に 運河に沿って再建されたアールヌーボー調の建物が、雪の 白と、姿の見えない太陽光に照らされ、淡いシルエットである。 午後3時、出港。 <4日目>トロンハイム入港。北欧の幻想的な朝焼けの景色 を楽しみながら、ニーダロス大聖堂を見学した後、正午に出港。 午後3時過ぎ、フィヨルドの山々が紅くほのかに染まる日没。 午後6時頃、闇夜に白っぽい真綿状の塊が天空いっぱいに棚引 く。 オーロラの出現である。 <5日目>午前中、船長主催の「北極圏通過儀式」として、 海の神・ネプチューンに扮装した船長から、船客は背中に 冷たい小氷塊を入れて貰う。 昼過ぎ、ボードーに入港。スパイクタイヤで疾走する車から の粉塵が凄い。午後3時出港。 <6日目>午後2時半トロムソに入港。 8頭のハスキー犬の引く3人乗り犬橇(そり)に乗る。 犬橇の大きさは、長さ3メートル、幅60cm、1列縦隊編成で、 真っ暗な雪原を、御者がハロゲン・カンテラの明かりを頼りに 30分もガタビシと走らせる。 尻が痛い。 船内に戻る。 夕方6時半からの食事中、満天のオーロラが現れる。 全員が陶酔の時を楽しむ。 極夜の寒い、冷たい、痛い空気の中で、5時間にもわたり 飲まず、食わず、トイレにも行く気にもならぬ、「恍惚の時空 を経験する」。 このクルーズでのクライマックスである。 (翌日の新聞で50年ぶりの大オーロラと報道される。) <7日目>昼前にホニングスボーグ(ホニングスヴォーグとも 発音)に入港。 北欧最北端ノールカップ岬(カップは岬なのでノール岬とも いう)見学。 断崖絶壁。 正午過ぎ、というのに日没。 午後2時には暗闇。 オーロラは出ているが、昨夜に比べて地味。 <8日目>終点のキルケネスに入港。ロシアとの国境の町。 マイナス15度。今回のクルーズでの最低温度。 空路オスロへ2時間。 <9日目>昼にオスロ発、コペンハーゲン経由、成田へ。 <10日目> 朝11時前、無事に成田着。 以上が、友人のメールの「旅行記の内容」である。 愛妻ともども、いつまでも、お元気で、世界を旅していただき たい、と思う次第である。 彼のメールは文才が溢れるような紀行文であるが、著作権が あるので小生なりに拙文で記載した。
Feb 23, 2012
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