全259件 (259件中 1-50件目)
近況報告です。私の突然の大阪転勤で小学校6年生の1年間、りいちゃんは愛知の元妻の家、私は大阪と別々に暮らしていましたが、中学校から大阪に引っ越して今はまた、父と子のふたり暮らしをしています。りいちゃんは小学校6年のお盆明けに私立受験に挑戦することを決め、5ヶ月間の試験勉強の末、大阪の私立中学に合格しました。合格発表の会場で、抱き合って喜んでいる親や、泣きながら合格を連絡している親がいました。それを見て、「りいちゃんは本当にすごい学校に合格したんだなあ」って感心しました。早いもので、今年の4月にはもう中学2年生。りいちゃんは小説を書くクラブと英語のクラブの掛け持ちでがんばっています。嵐の熱狂的なファンで、普段はテレビやパソコンにかじりついていますが、試験のときはしっかり勉強もがんばって、中学2年までに中学3年までの範囲を終えるという私立の勉強にもちゃんとついて行っています。天真爛漫な性格も相変わらずで、友達も出来て楽しく中学校生活を送っているようです。そろそろまた転勤がありそうで心配しています。もう少し大阪にいられると良いんですが。
2011年05月05日
コメント(0)
娘と別々に暮らし始めてもう3週間経ちます。生活環境も少しずつ整ってきて、新しい生活にようやく慣れてきました。そして、先週の土日に娘が始めて大阪に遊びにきました。道頓堀を食べ歩いたあと、家でいろいろ話をしたりテレビを見たりして、まったり。夜は、娘の大好物の豆腐ハンバーグを作りました。日曜日は海遊館へ。1日中歩いて足が棒のようになりました。娘との時間は、あっという間に過ぎていった気がしました。別れ際、娘は泣きながら手を振ってくれました。3週間ぶりに会った娘は、何も変わっていませんでした。明るくて元気いっぱいなところ。わがままで生意気なところ。外で食事をしたとき、お店の人に「ありがとう。おいしかった。」っていうところ。また遊びにおいで。いっしょに大阪を楽しもう。
2009年04月21日
コメント(0)
引越しの準備をしていたら、あっという間に時間が経っていた。気がついたら1ヶ月もブログを更新していない。離婚して娘とふたりで暮らし始めてちょうど2年。娘の幸せだけを考えてガムシャラに全力投球し続けてきた。自分の為に使える時間はほとんどなかった。そんな私が、大阪に単身で転勤。娘は元妻が1年間は預かってくれる。寂しいけど、しっかりと自分を見つめなおす時間をもらった。自分の幸せについてきちんと考えてみよう。子供はいつか巣立っていく。そのとき、自分に何が残るのか。「お前のせいで自分の幸せを考える暇がなかった」なんて言ったら子供がかわいそう。ちゃんと自分のことを考えよう。親が幸せじゃないと、子供が心から幸せを感じられないと思う。きっと、幸せはすぐ目の前にある。しっかりと手繰り寄せて幸せをつかむぞ。
2009年03月18日
コメント(4)
大阪への引越しは3月下旬になりそうです。バタバタしててブログ更新が出来ませんでしたが、やっと住む街を決めました。「江坂」という街です。新大阪から地下鉄で2駅。何でもありそうな大都会というイメージです。娘と何度も話した結果、娘はやはり当面は母親の元で3年生のときに通った小学校に行くことになりました。私の仕事がどんな状態になるか見えない。出張が多いかもしれない。帰りが遅くなることもありそう。休日出勤もありそう。そんな中で、娘にさびしい思いをさせなくないから。それに、母親の家の近くに、前の学校のときの大親友がいて、母親の家にお泊りのときにいつも遊んでいます。修学旅行はその友達と行きたいということ。私立の受験にも挑戦したいとのこと。なかなか勉強に集中出来なくてかなり難しそうですが。私立に合格しなければ、大阪に来るということなので、娘のことも頭に入れて住むところを考えましたが、刺激の多い都会に住んでみるもの良いかなと思って、「江坂」を選びました。娘が来るまでに、家の周りの探索をして、おいしい食べ物のお店やおもしろそうなところを見つけておこう。私立に受かっちゃうと悩んじゃうけどな。
2009年02月21日
コメント(2)
大阪への引越しは3月中になりそう。娘との暮らしも残りわずか。転勤が決まってから、いろいろな人に助けられたり、心配してもらったりして、あらためてひとりで生きているわけではないと実感出来た。ひとりで生きているつもりでも、必ずどこかで誰かに助けられているもの。そんなことを考えながら、ふと、思った。私の楽天的な性格は、何とかなるという意識から来てる。分からないことは聞けば良い。出来ないことは出来る人に教えてもらえば良い。それって、結局、誰かに助けてもらうってこと。生活力、経済力、生命力、人間力・・・いろいろな力の源は、人に助けてもらう力だと思う。ひとりで出来ることは、タカが知れている。自分を高めるためには必ず人の力が必要になる。力を持っている人というのは、助けてくれる人がたくさんいる人なんだと思う。人に助けてもらえる人は、どんな人?それは、素直に聞ける人だと思う。こんなこと聞いたらバカにされないかなとか、こんなこと聞いたら相手に迷惑じゃないかなとか余分なことは考えず、素直に「教えて」って言えば良い。買い物で、欲しいものがどこにおいてあるか分からないとき、店員さんに「○○どこにありますか」ってすぐに聞く。そんな些細なことを娘の前で親がちゃんとやってみせる。それが「素直に聞く」第一歩なのかな。
2009年01月31日
コメント(4)
言っても言っても良くならない。そんなときは開き直りが大切。「育て方が悪いんじゃなくて、育ち方が悪いだけ」子供にはいろいろな個性があります。1.何度言っても良くならないこと。2.一度言うと良くなること。3.何も言わなくても、自分で考えて良くなって行くこと。どんな子も1~3をみんな持ってるんじゃないかな。そして、何が1で何が3なのかは、その子の個性によって違うんじゃないかな。あの子は何も言わなくても○○が出来る。あの子は一度注意したら○○が出来るようになった。他の子の2、3だけを見て、どうして自分の子だけ出来ないのかと考えがち。でも、「○○が出来る」と思ったその子にも、何度言っても出来ないことがあるんだと思う。育ち方はその子の個性。いろいろな道筋があって、それぞれが違った育ち方をしながら、最後にはみんな立派な大人になっていく。何度言っても出来ないことも、本当に大切なことは、きちんと出来るまで何度も言い続ければ良い。「育て方」が悪いわけじゃない。ちょっと「育ち方」が悪いだけさ。今のままで大丈夫。自信を持って、根気よく、良い意味で開き直って、長い目でずっと先を見つめながら育てていきたいと思う。
2009年01月25日
コメント(4)
娘の夢は、「作家」と「声優」と「脚本家」になること。娘は本を読むことが大好きで、1日に1冊のペースで本を読んでいます。気に入った本は何度も何度も読んでいます。友達を誘って「劇」をやっています。練習をして、他の友達に見せています。もちろん、その劇の「台本」は娘が作っています。小説をたくさん書いています。どんなテーマでも、どんな書き出しでも、最後には、なぜかみんなファンタジー系になってしまいます。娘の心の中に夢がいっぱい詰まっているからかな。そして、娘は、ラグーナ蒲郡のミュージカルが大好き。どれも、よく考えると、「娘の夢」につながっている気がします。そんな娘に親としてどんな応援が出来るのか。考えた結果、実践していることは・・・勉強をしっかりやらせること。なるべくたくさん旅行に連れて行くこと。映画をたくさん見せること。テレビをたくさん見せること。勉強以外は、ただ、遊ばせているようにも見えるかもしれませんが、私が意識しているのは、「感動」をたくさん経験させるということ。娘の夢の共通点は、人に「感動」を与えることだと思います。自分の心の中にたくさん「感動」が詰まっていなければ、人に「感動」を与えることなど出来ない。今、たっぷりと詰め込んだ「感動」は、将来、娘が作る作品の中にきっと溢れ出すと思っています。もし、娘の夢が途中で別のものに変わったとしても、心の中にいっぱいに詰まった「感動」は、きっと娘を幸せにする。そして娘のまわりの人も幸せにする。娘のまわりが幸せでいっぱいになると良いな。
2009年01月17日
コメント(0)
大阪に転勤することになりました。悩んだ末に、娘は元妻に預けることにしました。元妻も快く引き受けてくれました。3年生のときに家を建てたために転校。4年生で離婚のために転校。今度転校すると小学校6年間で4つ目の小学校になる。大阪に連れて行くと、友達とも離れて、習い事も全部やめさせて、せっかくやる気になった私立中学の受験もあきらめさせることに。私の仕事は夜も遅く、休日出勤もある。長い長いひとりぼっちの時間をすごさせることになってしまう。元妻のところに行けば、3年生のときに通った小学校に行ける。友達もたくさんいる。だから私は一人で大阪に行くことを選びました。娘には月に何回かしか会えなくなります。さびしいなあ。引越しはたぶん3月かな。一人暮らしになったら、ブログの更新も娘に会えるときだけになるかな。距離を置くから分かることもあるかもしれない。親子の絆を強くするための試練なのかもしれない。いつの日か、笑って振り返ることが出来ると信じて、新しい明日に向かって旅立ちます。
2009年01月13日
コメント(4)
夢中で駆け抜けた2008年が終わります。ブログを通じてアドバイスやご意見を下さった皆さん、読んで下さった皆さんに、改めて心から感謝致します。本当にありがとうございました。来年はどんな年になるかな。「人生に無駄なことは一つもない」という父の言葉を信じて、何があっても頑張っていこう。
2008年12月31日
コメント(6)
2学期終了。通知表をもらってきた。一学期より全体的に良くなっていた。先日の個人懇談で先生にも「勉強頑張ってますよ。」と言われた。パパとのふたり暮らしで、パパの帰りが遅い。一人でいる時間がすごく長い。いくらでもサボれる環境の中なのに本当によく頑張っていると思う。分かっているんだけど、親としては欲が出てしまう。出来ていないところに目が行って、どうしたら出来るようになるかと考えてしまう。出来なかったところの話をしそうになってグッと我慢した。まずは、ちゃんと褒めてあげないと。「頑張ったね。成績良かったね。」今の環境の中では、娘にすれば最高の頑張りを見せているのに、もっと頑張れなんて、本当に親は欲張りですね。欲張りすぎて大切なものを見失わないように気をつけないと。いろいろあったけど、娘はちゃんと育ってくれている。このままスクスクと真っ直ぐに育って行ってほしい。パパはちゃんと見てるからね。
2008年12月23日
コメント(4)
「自信」は親が育てるもの。育て方によってみんなが身に付けられるものだと思う。「根拠のない自信」という言葉がある。でも、自信の根拠って何?何かが出来ること?何かを知ってること?それでは技術や知識を持っていても自信が持てない人がたくさんいることは説明出来ない。実は「自信」にはもともと根拠なんてないんじゃないかな。どうすれば「自信」を持った子になるんだろう。きっと「自信」はうまくいって褒められた記憶から生まれるんじゃないかと私は思う。何かに挑戦する。うまくいく。褒められる。そういう体験をたくさんしておくと、新しいことに挑戦するときにその記憶が蘇る。出来たという記憶が、次もきっと出来るという「自信」になる。どんなことでも完璧に出来ることは少ない。逆に、全く出来ないことも少ない。やった本人でさえ、出来たのか出来なかった分からないことも多い。最後まで完璧に出来ない限りで来た実感が得られにくい。そんなときに「ここまで出来た」と、きちんと教えてあげて、ちゃんと褒めてあげることが親の大切な役割なんだと思う。そうやってチャレンジした結果をきちんと理解すれば、どれだけ頑張ればどこまで出来るのか、あとどれくらい頑張ればやりきれるのかが分かる。自分の一歩目の足跡がどこに残されたのかが分かる。たとえ最後までやりきれなかったとしても、自分の一歩一歩の足跡がちゃんと確認出来れば、それはうまくいったのと同じことになると思う。そうやって育った子は、新しいことにチャレンジすることを怖がらない子になる。一歩一歩の足跡が分かるから、ゴールまでの道筋が見える子になる。だから、出来るという「自信」を持つことが出来る。新しいことは本当は楽しいものなんだよ。ワクワクするものなんだよ。もっともっといろいろなことに挑戦して、自分の可能性を見つけ出して欲しい。誰もが必ず何かの才能を持っているはずだから。「自信」を持って自分の人生を歩んで行って欲しい。■関連ブログ 子供の自信の育て方 出来ないのか、まだ出来ないのか
2008年12月14日
コメント(4)
「子供達を責めないで」ずーっと前に(たぶん)ヒットした歌?です。(歌といっても、全部セリフですが。)学生の頃、友人が買ったレコードを聞きながら何度も大笑いしました。他人事のように笑っていましたが、よく考えてみると、大人は多かれ少なかれ、同じようなことをやってしまっているような気がします。子供を叱っているとき、一歩引いて見ると、結構、おかしなこと、ばかばかしいことをやっちゃってます。怒りがこみ上げてきたときは、この歌?を思い出してみると良いかもしれませんよ。子供たちを責めないで(動画)動画では少しセリフが変わってます。テレビ用にアレンジしたみたいです。下のものがオリジナルです。「子供達を責めないで」 歌:伊武雅刀 作曲:Barnum Reeve 作詞:秋元康 私は 子供が 嫌いです・・・ 子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で 前向きな姿勢と 無いものねだり 心変わりと 出来心で生きている 甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする オジンだ 入れ歯だ カツラだと はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ 私ははっきりいっで絶壁です 努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない 人生の深みも 渋みも 何にも持っていない そのくせ 下から見上げるようなあの態度 火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種 いつも一家の問題児 そんなお荷物みたいな そんな宅急便みたいな そんな子供達が嫌いだ 私は思うのです この世の中から子供がひとりもいなくなってくれたらと 大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう 私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています 私は子供が嫌いだ ウン! 子供が世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか いいえ 子供は常に私達おとなの足を引っぱるだけです 身勝手で 足が臭い ハンバーグ エビフライ カニしゅまい コーラ 赤いウインナー カレーライス スパゲティナポリタン 好きなものしか食べたがらない 嫌いな物にはフタをする 泣けばすむと思っている所がズルイ 何でも食う子供も嫌いだ スクスクと背ばかり高くなり 定職もなくブラブラしやがって 逃げ足が速く いつも強いものにつく あの世間体を気にする目がいやだ あの計算高い物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ 何が天真爛漫だ 何が無邪気だ 何が星目がちな つぶらな瞳だ そんな子供のために 私達おとなは 何もする必要はありませんよ 第一私達おとながそうやったところで ひとりでもお礼を言う子供がいますか これだけ子供がいながらひとりとして 感謝する子供なんていないでしょう だったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ ありがとう ネ 私達おとなだけで 刹那的に生きましょう 子供はきらいだ 子供は大嫌いだ 離せ 俺は大人だぞ 誰が何といおうと私は子供が嫌いだ 私は本当に子供が嫌いだ!!!
2008年12月06日
コメント(0)
私立中学の説明会に行って来ました。中高一貫教育。教育方針、設備、雰囲気・・・どれをとっても最高の環境。もし娘がこの環境の中に入れたら、本当に大きく成長出来るんだろうな。それにしても、私立中学の試験は大変。なぜこんなに難しいのか考えてみた。目的は2つだと思う。目的の一つは基礎学力をしっかりと身に付けた子を選ぶ為。一定のレベルの学力を持った子を選ぶことで入学後の教育をスムーズに進められるから。そしてもう一つの目的は、長い期間頑張り続けられる人を選抜する為。いろいろなことを我慢してずっと勉強を続けられた子は、きっと他のいろいろな困難にも耐える力があると考えられているから。でも、頑張れる子かどうか、そんな方法でしか本当に見分けられないのかなあ。私には、入試は頑張れることを証明するために子供たちがチキンレースをしているようにしか見えない。どこまで我慢できるかを競う我慢大会みたい。ひどい人は、それが大学に入るまでずっと続く。大学に入るまでずっと我慢大会をしてた子が本当に自分の行きたい道に行けるんだろうか。子供の間にやっておくべき大切なことがあるのではないか。子供が経験すべきことをきちんと経験しながら、行きたい学校に行くことって本当に出来ないのかなあ。二兎を追うものは一兎をも得ずというけれど、娘にはあえて二兎を追って欲しい。その結果、うまくいかなくても、またそこから別の道が続いてる。頑張ったことはけして無駄にはならない。人生には無駄なことは何一つないんだから。
2008年11月30日
コメント(2)
今、娘はアイスクリーム作りにはまってます。初めは、ココアや牛乳、バターを使って、何かお菓子を作ろうとしたことが始まりでした。たまたま冷凍庫に入れて固めたところ、アイスクリームみたいになりました。こうやればアイスクリームみたいになるんだ。それから、いろいろな味に挑戦するようになりました。コーヒー味、抹茶味、バニラ味。抹茶はちょっと失敗だったけど、みんなそれなりのアイスクリームになりました。娘は、コーンフレークとシロップを混ぜて固めたり、クルトンにフルーツソースをかけたり、ありものを混ぜ合わせてデザートにしてしまいます。私を驚かせようと、私にないしょで作っています。会社から帰ったときに「冷蔵庫見ちゃだめだよ」と娘が言ったときは何かを作った合図です。ひとつだけ問題があります。本当においしく出来たとき、「パパもうそれ以上食べちゃだめ」と言って、4分の3くらい娘が食べてしまうこと。おいしく出来たときこそ、いっぱい食べたいんだけどな。
2008年11月24日
コメント(0)
昨日、娘とラグーナ蒲郡に行って来ました。飾りつけもショーの内容もすっかりクリスマスでした。劇にはまっている娘はここのショーが大好きです。いつもは海の冒険物語のショー。その他にハロウィンの時期はハロウィンのショー。そしてクリスマスの時期にはクリスマスのショー。1年の中で3種類のショーがあるために昨年から1年に3回ラグーナ蒲郡に行っています。ショーのメンバーの方が何人かやめられたので、どんなショーになるか心配しましたが、娘は今年のショーも気に入ったようです。ショーはしっかりとビデオに収めてきました。娘は、友達といっしょに歌と踊りを覚えてみんなに見せるとはりきっています。車で片道1時間半。疲れましたが、娘の笑顔を見てると、また連れて行きたいと思ってしまいます。娘の眼はしっかりと輝いています。
2008年11月16日
コメント(0)
私は、「どうせ」という言葉が大嫌いです。すべての可能性を消し去ってしまう魔法の言葉だから。この言葉を使ったとたんに、人はそこに立ち止まって、一切の努力も思考もやめてしまいます。人はどんなときにこの言葉を使うのだろう。何かをやりかけて、うまくいかないとき。カベにぶつかったとき。どちらにしても、まだ結果が出る前、スタートを切る前に言ってることさえある。なぜ、こんな言葉を使ってしまうのだろう。失敗する可能性を感じ取るから。自分が傷つく可能性を感じるから。人が成長していくものだということを知らないから。背伸びして、やり切ったときの感動を知らないから。たくさんの選択肢、可能性が見えていないから。失敗したときにどうすれば良いかを知らないから。どんなことだって失敗することも成功することもある。だけど、失敗も成功も、必ずその続きがある。どちらにしても、その先にまた、選択肢が広がっている。失敗したあと、どうするか。成功したあと、どうするか。それが見えないから一歩目を踏み出せない。人の成長は階段を上るようなもの。成功は1段上がる。失敗は1段下がる。ただそれだけのこと。そこからまた、いろいろな方向に向かって階段が続いてる。自分がどこに行きたいか。よく考えて次の階段に進めば良い。そして、1段下りたところには、より多くの上りの階段がつながっている。どこの階段を進んでも、どこかでは下る場面がある。下ったときは、一休みしてまた上がれば良い。最後に行きたいところにたどり着けば良い。行きかたは無限にある。そして、行きかたは「生き方」につながる。どうやってそこにたどりつくかは、そのまま、その人の「生き方」になる。ゆっくり行っても、急いで行って、最短距離で行っても、遠回りしても、全部の行き方に意味がある。私がカベにぶつかったとき、私の父が行ってくれた言葉がある。「人生に無駄なことはひとつもない」悪いことがあっても、それは必ず将来の良いことにつながっているのだと教えてくれた。「どうせ」という言葉は、この言葉の反対側にある。こんな言葉は誰にも使って欲しくない。そして、娘にも「人生に無駄なことはひとつもない」と、心の底から考えられる人になって欲しい。
2008年11月09日
コメント(2)
叱り方の強さを1から10までで表現すると、どんなときが1でどんなときが10になってるか考えたことがありますか?常に10で叱ってたら、子供にとっては、いつもすごく悪いことをしている気持ちになります。そうなると、反応は次の2種類のどちらかになりがちです。1.自分はだめな子だと考えてしまう(原因は自分と考える)2.また怒ってると考えてしまう(原因は相手と考える)どちらにしても、叱られている本当の原因には向かわないことが多くなると思います。逆に、いつも1ばかりで叱っていたら、何をしても叱られないのと同じ。叱る強ささは1が良いか10が良いかというのではなく、叱る内容によって強弱を意識的につけることが、ものすごく重要なことだと思います。強弱は言い換えると「変化」。変化することで違いを感じる。違いの意味を考える。内容に意識が向かう。もちろん、どちらにしても1度注意しただけでは行動は変わりませんが、それでも、ずっと強弱を意識して叱るのと、いつも同じ強さでしかるのとでは、長い間にきっと大きな差が生まれると思います。いつも怒ってしまうのならなおさらです。怒るのは叱るのとは明らかに違います。腹が立ったら叱らずに黙る。冷静になってからきちんと叱る。そうしないと強弱は付けられません。難しいことですが、私はそういう叱り方を理想と考えています。
2008年11月03日
コメント(6)
つい先ほど、仕事から帰りました。23時過ぎ。ここのところずっとこんな感じ。娘は当然寝てました。ひとりでご飯を食べて、ひとりでお風呂に入って、ひとりで寝る。そんなことを何度もやらせてしまってる。本当にごめんね。会社に何度かメールがありました。10時ごろに「何時に帰れる分からない」と返信。娘からの返信は、「そっか。じゃあおやすみ。」この返信を見て、何かホッとして心が軽くなりました。君がいつの間にか強く、やさしくなったのを感じることが出来てパパはうれしいよ。ありがとう。
2008年10月28日
コメント(2)
私は「頑張れ!」という言葉が大好きです。力が沸いて来る魔法の言葉。「頑張れ!」って言ってもらうと、疲れや嫌なことが吹っ飛びます。頑張ってる人に「頑張れ!」というと、「もっと頑張れ」という意味になる。追い込んでしまうことになる。だから、頑張っている人に「頑張れ!」って言うのは良くないんだという考えがあります。最近はそういう考え方の方が主流になりつつあるような気がします。でも、それは間違ってると思う。「頑張れ!」って言ってくれた人の心の中は、 ・応援してるよ ・ちゃんとあなたのことを見てるからね ・全力を出し切ってね ・困難に負けないでねという純粋な励ましの気持ちでいっぱいだと思う。素直に心を受け取れば、すばらしい言葉だと思う。「頑張れ!」って言葉は、「おやすみなさい」と似てる。どちらも言葉そのものにはあまり意味がないんじゃないかな。「おやすみなさい」を文字通り受け取ると、「寝なさい!」という意味になる。でも、それは「寝なさい!」と指示しているわけではない。「頑張れ!」もそれと同じで、「頑張りなさい」と言ってるんじゃなくて、励ましの思いを伝えようとしているだけ。心を素直に受け取れば元気が沸いて来る。先日、休日出勤で会社に出かけるとき、娘が言ってくれた。「頑張ってね。でも、頑張りすぎないでね。」疲れてフラフラだった体も心も元気になりました。これがあるから頑張れるんですよね。
2008年10月18日
コメント(3)
忙しいを通り越して、「過酷」。仕事が重い。心身ともに疲労感でいっぱい。5時間しかない睡眠時間なのに、なかなか寝付けない上にすぐに目が覚める。寝た気がしない。かなりやばい状態かも。そんな中で家事をやっている時間だけ仕事のことが頭から離れる。唯一、頭を休める時間になってる。娘がいてくれて、家事がある。それでギリギリ心のバランスを保ってる気がする。「過酷」な状況の中で一番大切なことは。心が折れないこと。このまま何とか心のバランスを保ちながら、早くこの「過酷」な状況から脱出したいな。
2008年10月12日
コメント(4)
昨日は運動会。風が強く、9月にしては寒い一日でしたが、子供達は元気いっぱいでした。娘は特別に運動が得意なわけではありませんが、ずっと笑顔で本当に楽しそうでした。そして、もうひとつ娘にとっての楽しい初体験も。放送委員として、競技のアナウンス。娘がアナウンスを担当した競技は、来賓・職員の方の競技。声優になるのが夢という娘は楽しみながらしっかりと自分の役目を果たしました。笑顔って良いですね。心の中から溢れてきた笑顔は、みんなを幸せにする力がある気がします。ずっとその笑顔を忘れないでね。
2008年09月28日
コメント(0)
最近、叱ると反発することが多くなった娘。それに伴って、親子喧嘩も多くなってきました。でも、それほど後を引くことはありません。それは、仲直りのきっかけをたくさん持っているから。・どちらかがあやまれば仲直り。・話題を変えて相手が乗ってくれば仲直り。・おやつタイムにすれば仲直り。・ご飯を食べ始めたら仲直り。・お手伝いを頼んで、やってくれたら仲直り。・「おやすみなさい」と言って「おやすみなさい」の返事を すれば仲直り。・喧嘩したまま寝てしまっても、朝、目が覚めれば仲直り。喧嘩が長引くのは、意地を張るから。でも、喧嘩なんてつまらない。きっかけさえあれば、すぐに仲直り出来るはず。仲直りのきっかけは、仲直りしたいというサインになります。私から娘へ、娘から私へ、サインを出すことで仲直りしたいという気持ちが伝えられます。すぐに仲直りが出来ると思うから、安心して言いたいことが言える。腹の中に不満をためることなくぶつかり合える。反発を恐れずに思い切って叱れる。親子の信頼はこういう環境作りから築き上げられるものだと私は信じています。
2008年09月21日
コメント(2)
親が言っているから正しい。親の言うことを聞いていたら間違いない。親に口答えしてはいけない。そんな叱り方をする人をよく見かけます。この叱り方には2つ、大きな問題があります。1つは、権威のある人が言ったことは内容を良く考えないでまるごと受け入れる習慣を刷り込んでしまうこと。そしてもう1つは、理由や原因を教えないことで、自分で考える力を奪い取ってしまうこと。親が言っているから正しい。そういう考え方が刷り込まれて育っていくと、成長の過程で出会う先生、先輩、上司へと、どんどん対象が広がっていく。変化の激しい時代の中で、昨日正しかったことが今日も正しいとは限らない。どんなにえらい人でも間違えることはある。誰が言った言葉であっても、それが常に正しいとは言えない時代になってる。何かを変えていける人は、「なぜそうなっているのか」、「どうすればもっと良くなるか」を考えられる人。あの人が言ったから間違いないと考える人には世の中は変えられない。「誰が言ったから正しい」ではなく、「なぜ正しい」かを考える力をしっかりと身につけさせよう。叱り方を変えることがその第一歩。親の立場にすがって子供を叱るのではなく、「なぜ」をしっかり話してあげよう。ほんの小さな一歩が、大きな可能性を生むかもしれない。子供はみんな大きな可能性を秘めているのだから。
2008年09月14日
コメント(0)
チャレンジ出来ない子が増えている。出来ないのは、失敗すると叱られるから。それって、もしかして、親が刷り込んでる?自分の子をチャレンジ出来ない子にしたい親はいないはず。なぜ、チャレンジしない子にしてしまうのか?それは、親の中で子供がチャレンジしているのかどうか区別がついていないから。頑張れば出来ることと、出来るかどうか分からないチャレンジとで結果に対する親の反応が同じになってませんか?出来たか出来なかったかがすべてになってませんか?チャレンジは、出来るかどうか分からないもの。頑張れば出来ることと同じ扱いではやってられない。子供が何かにチャレンジしたときは、チャレンジしたことをまず褒めてあげなきゃ。そして、チャレンジした結果、うまくいかなくても怒らない。うまくいったらめちゃくちゃ褒める。うまくいかなかったときは、「今度やるときは、こういうやり方なら出来るかもしれないよ」とヒントをあげると次も頑張ってみようと思えるのでは。子供にとって何がチャレンジで何が頑張れば出来ることか、子供の成長段階や得意・不得意によっも変わります。大人の目からは、「こんなことも出来ないの?」ということも、その子にとって本当に「こんなこと」なのかどうかもう一度考える必要があると思う。どんなに簡単なことでも、その子にとって初めてのことなら、それはチャレンジです。子供にはもともと新しいことにチャレンジする心があります。誰でも初めは新しいことに興味を持って、チャレンジして、いろいろなことを身に付けてきたはず。チャレンジは出来て当たり前ではありません。そして、大人にとっては何でもないことが子供にとってはチャレンジになります。それを親が見失ったとき、子供からチャレンジする心が奪われていくんだと思います。【関連ブログ】 戦わないことと負けないこと
2008年09月06日
コメント(6)
娘に聞いてみました。「今までで一番悲しかったことは?」「朝食べようと思っておいておいたケーキを パパが食べちゃったこと」「2番目はパパとママが離婚したこと」「3番目は旅行のとき行こうと思ってたケーキ屋さんが 閉まってたこと」しょぼっ!離婚ってケーキ以下?「学校では悲しいことないの?」「ない。だって学校楽しいもん。」「友達と喧嘩したりしないの?」「喧嘩してもすぐ仲直りするから」どうやら、うちの娘にはあまり悲しいことはないようです。どんな大変なことも持ち前の明るさで吹き飛ばしてくれる娘に心から感謝しています。これからも楽しいことがたくさんあると良いね。
2008年08月31日
コメント(4)
娘の夏休みもあと1週間。今日は娘の夏休みの勉強がどこまで出来ているか確認しました。学校の宿題、私が出した宿題(チャレンジ、漢字)、塾の宿題、読書感想文、自由研究、物語作りなど、本当に盛りだくさん。キャンプがあり、東京旅行があり、帰省があり、映画にもたくさん行きました。遅れそうになりながらも頑張って、今日までにやると約束したところまでちゃんとやっていました。たとえそれがご褒美欲しさだとしても、よく頑張ったと褒めてやりたい。勉強だけでなく、テレビもしっかり見て、ゲームもたくさんやって、本もたくさん読んで、娘にとって充実した夏休みになった思います。それにもうひとつ。私の仕事があまりにも忙しくてフラフラになっているのをみて、「私がお皿洗う!」といって、お皿を洗ってくれるようになりました。「お料理もやりたい」と言ってくれています。この夏休み、お手伝いの量が確実に増えてきています。それも、自分から進んで。単にお手伝いをしてもらって助かるというだけでなく、何か言葉に表せない「しあわせ」を感じています。
2008年08月24日
コメント(0)
帰省していました。買い物に行ったり、水族館に行ったりと、それなりに忙しい休日となりましたが、しっかり充電出来ました。頭痛持ちなのですが、帰省の間はすっかり頭痛が収まっていました。仕事や家事からの解放感と、家族、親戚の暖かさが疲れを癒してくれました。ありがとうございました。今日から家事再開。そして明日から仕事。明日、目を覚ましたところから、また、戦闘開始です。さあ、頑張ろう!!
2008年08月17日
コメント(0)
娘の夢をかなえる旅をしてきました。今日一日お休みをもらって、土日月の2泊3日の強行軍。1日目はNHKのスタジオパークと東京タワー。2日目はフジテレビの冒険王。3日目は日本テレビの「カンボジア学校建設プロジェクト」と浅草。3日ともテレビ局が入った日程です。将来、声優と作家と脚本家になりたいという娘は、テレビの世界に憧れています。そして、娘にとっては、東京はテレビの中の世界。すっと憧れていました。「夢の東京旅行まであと○日」という日めくりまで作って楽しみにしていた旅行でした。1日目は、スタジオパークで声優体験。憧れの東京タワーからの夜景を楽しんで1日目終了。2日目は冒険王開門の朝10時から終了の夕方18時までフル活動。120分待ちの列に並んで「めちゃイケ海の家」に行ってテレビの中の世界を実体験。イマイチカレー、バカバーガー、みかんブランを食べて、め印良品の店を見て(買ったのはレモンアイスだけ)、ラッパのシャワー、めがねのトイレットペーパーも見て、いろいろなところで記念撮影。フジテレビ社屋内のスタンプラリーをやって、冒険ランドでは「短縮鉄道の夜」を体験。最後に新橋でりいぱぱが出張のときに良く行くお気に入りのうどんやさんで食事をして2日目終了。3日目は日本テレビの「カンボジア学校建設プロジェクト」。絵を見るだけと甘く見ていたら、100分待ち。でも2日目の炎天下の120分待ちを経験していたのでそれほど苦にならず。ついでに「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」のナース研修??のようなゲームもやって浅草へ。天ぷらを食べて、お店を見て歩きながらポイントで記念写真。娘の憧れのテレビの世界をほんの少しだけ実体験。テレビの中でしか見たことがないものを実際に見て、触って、食べて、やってみて、何かを感じてくれれば良い。憧れを憧れだけで終わらせないように。夢の本当の大きさを、夢との距離を、本当の夢の姿を、夢の裏側で支えている人の努力を感じて欲しい。そして、いつの日か自分の力で夢を実現して欲しい。夢はかなえるもの。東京に行ってみたいという夢はかなった。次にかなうのはどんな夢だろう。そうやって次々に夢をかなえていって、いつか気づいたら、大きな夢もかなってる。娘の人生がそんな人生になっていくことを心から願っています。
2008年08月04日
コメント(0)
親がちゃんと育てないと子供は立派な大人になれないと思いますか?これまで私は、「子供をちゃんと育てなきゃ」と思って夢中でやってきました。「私の育て方でこの子の人生が決まる」なんて考えてました。(のんびり子育てなりに、一応は考えてるんですよ)でも、良ーく考えると、そんなことないんですね。娘の人生は娘自身が決めるもの。親の影響が小さいとは言わないけど、それが100%なんてありえない。平日、娘と話が出来る時間は朝、夜合わせてもせいぜい3時間くらい。接している時間は、学校の先生や友達の方がはるかに長い。先生や友達からたくさんのことを学んでいるはず。それ以外にも本を読んだり、テレビや映画を見たり、習い事にいったり、娘はいろいろなところでいろいろな人から学んでる。親から学ぶことはその中の一部でしかない。親が育て方を間違えたからすぐにそれが原因で子供がおかしくなるなんてことはないと思う。もっと気楽に考えても良いんだ。まだまだしつけがちゃんと出来ていない。忘れ物が多い方かも。勉強ももっと教えてあげなきゃ。娘の夢をかなえるために何か手助けをしてあげたい。娘が悩んでいるときは、相談に乗ってあげたい。親だから、いろいろ考えるけど、無理して頑張るのはやーめた。出来ることはやってあげよう。そんな感じで気楽に構えた方が子供にとっても良いんじゃないかな。そんなことを考えたら、のんびりな私の子育てがさらにのんびりになってしまうかも。ま、そんな子育てもありだと良いと思いませんか。
2008年07月26日
コメント(2)
一学期が終わり、娘が通知表をもらってきた。私があまり勉強を見てあげることが出来ていないことを考えると娘が自力でどれだけ努力しているかが分かる成績だった。成績はともかくとして、通知表を見ていて気になることがある。今の通知表は丸、二重丸、三重丸の3段階評価。(3年生のときは三角、丸、二重丸だった気がする)学校によって多少、付け方が違うのかもしれないけれど、共通しているのは、×をつけないということ。どうでも良いことなのかもしれないけど、よく考えると、なぜこんな付け方になっているのか不思議。普通に考えれば、3段階にするなら○△×かABCで良いのでは。子供に×やCを付けたくない。それは、もしかしたら、やさしさなのかもしれない。でも、それは間違ったやさしさだと思う。×がついたらそれで終わりという誤った考え方がその根底にある気がする。通知表というのは子供の成長をあらわすもの。成績は身長や体重と同じ。今の状態はこうだということをあらわしているだけ。×はまだ伸ばせていないところを示しているだけ。将来、その子の夢をかなえるときに必要なものなら、頑張って伸ばせば良い。必要ないものなら、そのままにしておいても良い。そういう判断に使うためにも、通知表は、まだ足りないところを「足りないよ」とちゃんと伝えてあげないといけないと思う。足りないところに○をつけて本当にそれが伝わるのかなあ。これから先、受験があり、社会の中での競争があり、どこに行っても評価や競争から逃げられない。子供が傷つかないようにと、競争や順番を意識させない環境で育てておいて、いきなりそんな競争の世界に放り込まれたら、あまりのギャップに立ちすくんでしまわないだろうか。世の中にはいろいろな分野がある。学校では習わない能力を必要とすることもたくさんある。すべての分野で一番になる必要はない。自分には何が出来るのか。自分は何が得意なのか。それに気がつけば良い。そして、通知表の成績が悪いところは、「まだ伸ばしていないところ」「これから伸ばせるところ」「これから頑張らなければならないところ」を教えてくれていると考えれば良い。車のスピードメーターが30kmを指しているからといって、その車は時速30kmしか出せないとは考えない。今時速30km出ていると考えるはず。もっと速く走る必要があれば、アクセルを踏めば良い。そのままで良ければ、そのままのスピードで走れば良い。時速40kmを切ったら表示が「少し遅めです。」なんて表現に変わったら、怖くて車を運転出来なくなる。通知表もこれと同じだと思う。本当のやさしさって何だろう。本当に子供のことを考えるとはどういうことなのだろう。そんなことを通知表から考えてしまいました。ちょっと考えすぎなのかなあ。【関連ブログ】 出来ないのか、まだ出来ないのか ここまで出来た 戦わないことと負けないこと
2008年07月19日
コメント(0)
あなたは自分のことが好きですか?自分のことが好きと言えるか言えないか。それは怒られて育ったか褒められて育ったかということと少なからず、関係があるような気がします。いつも怒られていると自分に自信が持てなくなります。自己評価が低くなります。「自分に悪いところがあるから怒られるんだ」と心のどこかで無意識に考えてしまいます。もちろん自分を嫌いになる理由はそればかりではありませんが、過度に怒られた子は自分のことが好きになりにくい傾向はあると思います。子供に自分が好きかどうか聞いて見ましょう。自分が嫌いだと答えたら、どこかに問題を抱えているのかも。これも子供の状態、心の中を知るひとつの方法になるのでは。試しに、うちの娘にも聞いてみました。「りいちゃん、自分のこと好き?」「好きだよ」「どんなところが好き?」「全部」「・・・」うーん。ちょっと褒める方が多すぎたかも。うちはもう少し怒っても良さそうです。
2008年07月13日
コメント(4)
久し振りに土曜日、日曜日両方休めたので、昨日と今日は娘とお菓子作り。昨日はポテトチップスに挑戦。そして、今朝の朝食はドーナツ。昼食はアメリカンドックとクレープ。クレープでは、カスタードクリームにも初挑戦。今回のお菓子作りのテーマは、「家にあるものだけで、ここまで出来る」何かを作ろうと意気込んで買い物に行くと、いらないものまで買ってしまいがち。結局、出来上がりを買うより高いものになることも。だから、今回は「家にあるものだけ」。それでも結構おいしいものが出来る。ひとつだけ失敗したのは、写真をとるのを忘れて食べちゃった。まあ、おいしかったけど、見た目はいまいちだったからちょうど良いか。必要なものを買ってくるのではなくて、今あるものから何が出来るかを考えて工夫して作る。たまにはこういうのも面白い。いつでも必要なものが揃えられるとは限らない。足りないものを知恵で補う。ちょっとした工夫で思いがけないものが生み出せる。そんな経験の中から、いろいろな場面で応用出来る知恵を育んでいけたら。そんなことを考えながら娘とすごした休日でした。
2008年07月06日
コメント(4)
どんなものでも、インプットとアウトプットがあります。きちんとインプットしないと、ちゃんとしたアウトプットは出てこない。そういう意味では子育てもゲームでも基本は同じようなもの。インプットの方法、量、順番、タイミング、どれかが間違うと思った通りのアウトプットが出てこない。勉強、生活態度、言葉遣い、行儀、ご飯の食べ方、習慣、健康・・・求めるアウトプットはいろいろあります。そして、それぞれ、インプットの仕方も違うはず。DSとWiiではやり方が違います。ポケモンバトルが得意でもやわらか頭塾がうまく出来るとは限りません。それぞれに合った適切なインプットが出来たときに、思った通りのアプトプットが出てきます。子育ても同じだと思います。やり方がわからないだけなら、やり方を教えるだけで出来るようになります。でも、習慣になっていることや、やりたいことと違うことは、1回教えただけでは変わりません。十分なインプットの量が必要です。ポケモンバトルで1回勝っただけでレベル100にならないのと同じです。子供が思い通りにならないとき、子供の才能や自分の育て方に不安を持ってしまいがちですが、量が足りないだけなのかもしれない。順番が違うだけなのかもしれない。少し方法を変えるだけで違う結果が出るのかもしれない。1つ間違いなく言えることは、子育ては、すぐに結果が出ないことが多いということ。今やっていることで何かが変わるのは、1か月先かもしれない。1年先かもしれない。もしかしたら10年後、20年後かもしれない。本当にこれで良いのかなと心配になります。でも、インプットしたことは確実に子供の中に溜まってる。いつか花が咲く種を植えているようなもの。大きくてきれいな花が咲くことを信じて、今日も明日も、せっせとインプットしていきます。
2008年06月29日
コメント(6)
大人が問題児と考える子はどんな子ですか?大人の言うことを聞かない子?大人の予想を超えたことをする子?どんなことにも言い訳をする子?よく嘘をつく子?落ち着きのない子?それなら、うち子にはみんな当てはまります。でも、これが問題だとは思いません。大人の言うことを何でも聞くなんて子供らしくない。行動がすべて大人の予想の範囲内なんてつまらない。何に対しても言い訳をしないなんてちょっと心配。嘘をつかない人なんていない。落ち着きのないのは元気な証拠。考えてみれば、これは単に子供らしい行動。大人になれば、自然になくなっていく行動。そして、逆に、現代を生きる上で必要とされる能力。自分の考えをしっかり持って、人の言いなりにならない力。人の予想を超えた発想力。どんな立場に立っても自分の正しさを認めさせる説得力。嘘と本当を自在に使い分けてどんな場面でも切り抜けられる力。自分で自分を奮い立たせて、どんなときでも元気に振る舞う力。これが全部身に付いたら、すごい人になれそう。大人の都合、大人の枠で判断して、はみだすと問題児と決めつけてしまうことで、子供が自然に身につけている大切な能力を摘み取っていないだろうか?もう一度、よく見てみよう。問題児とされている子は、大人の枠に納まらない天才児ではないのか?問題行動と思っていることは、もしかしたら子供らしさではないのか?そして、それは、大きくなるにつれて失いがちな、守ってあげなければならない大切な能力なのではないか?自分の子を信じよう。そして、伸ばせるところはしっかりと伸ばしてあげよう。他の子と違うところは、きっと長所に出来る。子供はみんな天才なのだから。
2008年06月21日
コメント(2)
今日は父の日。朝起きたら、枕もとに袋が。中には、娘からの手紙が2つ。「パパだいすき」そして、たくさんの折り紙。白鳥、犬、ペンギン、ねこ、指輪、風船、鶴、カエル・・・本を見ながら1か月かけて作ってくれた31個の作品。本当にうれしかった。平和な一日になるはずでしたが・・・我がままをいう娘を叱って親子喧嘩。そして、夜。あわただしい一日を終え、娘を寝かしたあと、ふと、一日を振り返ると、あ、今日、父の日だった。結局、父の日は朝のほんの少しの時間だけでした。最近、娘の自己主張が非常に強くなってる。小さい子だから許されていたことがだんだん許されなくなって、納得出来ないことが増えているようです。大人と子供のちょうど真ん中。自立させて行くために、わざと突き放すことが少しずつ増えて来てる。「パパ大嫌い」といわれる日がすぐそこに来てるのかも。でも、嫌われても良い。自分の足でしっかり立って、自分で考えて、決めて、行動出来る。そんな大人になってほしい。「パパ大嫌い」って言われるのは本当に辛いけど、娘の将来を見つめながら、妥協せず、ちゃんとした大人として育つように導いてあげたい。
2008年06月15日
コメント(4)
頑張ったときにはご褒美が必要です。ご褒美があると思うと頑張れる。そして、ご褒美をもらうことで、「自分は頑張ったんだ」と実感出来ます。私の帰りが遅く、ひとりで勉強している娘の頑張りの源もご褒美です。娘は進研ゼミのこどもチャレンジと漢字の書き取りをやっています(何日分かをまとめてやることが多いですが)。私が1ヶ月分の予定を渡して、やったところに○を付けるようにしています。全部○が付くと、それがデザート引き換え券になります。ケーキでも、アイスクリームでも、何でも好きなものを1つ買ってもらえます。これが1ヶ月頑張ったご褒美です。これがあるから、何日分か溜まっても、頑張ってやりきろうとします。単調な勉強に大きなアクセントが加わります。私はおいしそうなスイーツの広告を見つけたら、娘に見せてあげるだけで、娘の頑張りエネルギーがどんどんアップします。気をつけたいのは、ご褒美が交換条件になってしまわないこと。ご褒美は何かをやりきったときに貰えるもの。何かをやる代わりに貰うものではありません。ある程度継続して頑張った結果であげないと、1つの行動に1つのご褒美ということを繰り返すと、何かを貰わないと行動が起こせなくなります。また、ご褒美の先渡しもダメ。何かをやりきった、達成したということなしにご褒美をもらっていては、「自分は頑張ったんだ」と実感することが出来ません。こういう渡し方では、何のためにやっているか分からなくなります。ご褒美がちゃんと子供の成長につながるように、しっかりと子供を見て、子供自身が「頑張った」と思ったときにご褒美をあげるようにしていきたいものです。
2008年06月07日
コメント(6)
子供と喧嘩になったとき、どうしてますか?そのまま感情をぶつけ合うだけなら、それは子供の喧嘩。まずは、こっちは大人で、相手が子供ということを意識すること。そして、喧嘩も教育ということを考えて対応することが大切だと思います。私はこれまでは、「子供に言いたいことを全部言わせる」ことを意識していました。腹が立つと、言葉が乱れます。大人だって、怒ったときにきれいな言葉で怒るなんて難しい。言葉を選ぶには、感情をコントロールしないと出来ません。子供にそんなこと出来るわけがない。良くあるのは、「大人にそんな口のきき方をするな」という怒り方。ただでさえ、大人に理屈では勝てないのに、何か言うと言葉遣いまで注意される。叱りの対象がいつの間にか口のきき方になっていく。何かを言えば言うほど余計に叱られる。これを続けると、子供は言いたいことが言えなくなります。そうならないように、まずは言いたいことを全部言い切らせること。そして、子供が落ち着いたところで、短く冷静な言葉で注意します。人格ではなくて行動を叱ること。「あなたはダメな子」ではなくて、「こういう行動はダメだよ」と教えてあげること。こういう方針で叱ってきましたが、最近少し、やり方を変えました。言いたいことを言わせるところは同じですが、子供の怒りがピークになっているところで、わざと全然違う話題を振ります。うまく話題に乗ったときは、今まで怒っていたことを忘れたように、にこやかに話をします。うまく行けば仲直りが出来ます。でも、心の中では、葛藤しているはず。今、怒っているという気持ちと、新しい話題に乗りたいという気持ち。仲直りしたいという気持ち。怒ったままでは話に乗れない。話に乗るときは、怒りの感情を抑え込んで、話さなければならない。いつもうまく行くわけではありませんが、うまく話題に乗ってきたときは、娘が怒りをグッとこらえていることが見ていて分かります。こうやって少しずつ、自分の感情をコントロールで出来るようになって大人の喧嘩が出来るようになっていくのだと思います。子供が怒っているときに言葉遣いを注意しても意味がありません。何度言っても良くならない。それは言葉遣いを知らないからそんな言い方になるのではなくて、感情のコントロールが出来ないことが原因だから。自分の感情をコントロールするなんて、大人にだって難しい。だから、子供の成長に合わせて少しずつ心も成長していくように導いてあげられればと思っています。でも、そのためには、親自身が自分の感情をコントロール出来ないと・・・難しいですね。「子育ては親育て」を実感している毎日です。
2008年06月01日
コメント(4)
本好きの娘に質問。「どの本が一番面白かった?」娘が面白かった本の名前を言うと、「どんな話か教えて?」最近は、よく、こうやって本の内容を娘に説明してもらうようにしています。そこで、私が一つ娘にお願いしているのは、「大きな流れから話してね」と、いうこと。まず、娘と共通で見ているテレビドラマを題材に「大きな流れ」について娘に説明しました。一番大きな流れは、ドラマの1回目から最終回までを一まとめにして、どんな話かが分かるような説明。それがドラマ全体を通してのテーマやストーリーの骨格です。そして、ドラマのストーリーの中で、その大きな流れと関係のある話は重要な話。流れとは直接関係がない話は枝葉的な話。もう一つ「大きな流れ」をつかむ参考になるのは、本のウラなどに書かれている本の内容の簡単な説明。どんな登場人物がどんなことをする話なのかがうまくまとめられています。これらを参考にして、娘なりに本の内容を説明してくれます。はじめは要領を得ない説明でしたがだんだん「大きな流れ」はそれなりに説明が出来るようになってきました。まだまだうまく内容をまとめて話すというところまでは出来ていませんが、少しずつですが、説明が分かりやすくなっていっているのが実感できます。ちょっと本の内容を聞くだけですが、そうすることで 人に内容を説明する、 あらすじを要約する、 大きな流れを掴む など、これから必要になる能力を育てていけるんじゃないかと期待しています。無理をせず、気長にコツコツと繰り返しやっていきたいと思っています。
2008年05月24日
コメント(2)
娘は今年になって野菜をたくさん食べるようになりました。きっかけは、正月に叔母にもらった味噌。それまで全く食べなかったキュウリにこの味噌をかけることでキュウリの臭みが消えて、パクパク食べるようになりました。次にチャレンジしたのはチンジャオロースー。ピーマンとタケノコのかたまり。どちらも嫌いで全く食べなかったもの。濃い味付けと香りで野菜の臭みが消されて、苦手なピーマンとタケノコを克服。そして、今、娘は夕飯のサラダ担当。キュウリやレタスを中心に、味付け、盛り付け、トッピングを工夫。サラダが夕飯の楽しみの1つになりました。そして、娘は、自分が作ったサラダは進んで食べてくれます。野菜が嫌いだったことが嘘のよう。娘といっしょにキッチンに立つ夢が思わぬ形で毎日叶って、しかも野菜をどんどん食べてくれる。子供は自分でしっかりと成長しているんですね。
2008年05月17日
コメント(0)
娘と二人で旅行に行ってきました。我が家の旅行は、まず、「何を食べたいか」から始まります。「はなめん棒」のほうとうをもう一回食べたい。そこで初日はその近くにある「富士サファリパーク」に行くことに。サファリパークをWEBで見てると、おいしそうなクレープやさんを発見(ザ・クレープデリ)。ほうとうもクレープも最高でした。そしてその日は食事がおいしいと評判の「民宿丸慶」に宿泊。こだわりの無農薬野菜としいたけ、そして新鮮な魚。どれも本当においしくて言うことなし。しかも、家族風呂で娘といっしょにお風呂に入れました。翌日はまかいの牧場でバイキング。これもおととしの夏に行って良かったところ。料理だけでなく、いっしょに出されていた自家製牛乳が最高。そして、娘は乗馬、餌やり、羊毛でのコースター作りなど、たっぷり楽しめました。バックに見える山は富士山です。さらに、たまたま途中で見つけた芝桜祭りで娘は芝桜初体験。そして、夜は「道とん堀 富士高島店」でもんじゃ焼き。最終日は浜松の「New York」でハンバーグ。デザートはキルフェボンのケーキ。そしてついでに浜松楽器博物館とフラワーパークに。食べ物で綴る旅。渋滞にはまったり、途中でデザートを食べようとしてたお店が休みで娘と喧嘩したり、いろいろありましたが、やっぱり旅行は楽しい。今度はどこに行こうかな。
2008年05月11日
コメント(2)
私は子供の頃、テレビっ子でした。親は自営業で朝から夜まで働きづめ。あまり遊んでもらう時間はありませんでしたが、テレビのおかげで寂しさを感じたことはありませんでした。うちの娘もそれをしっかり引き継いでテレビっ子になりました。私の帰宅は夜8時前後。寂しさをテレビが救ってくれてます。「テレビばかり見てると頭が悪くなる」とよく言われます。情報を一方通行で受け取るだけで発信することがないから?でも、それは見せ方次第。我が家では基本的にテレビは録画で見せてます。録画するのは私の役割。見せたいものをどんどん録画。クイズ系とお笑い系は特に積極的に録画。共通してるのは頭の切り替え。クイズを解くには発想の転換が必要。お笑いの落ちにも意外性、発想の転換がある。そして、私に時間があるときは、子供といっしょに見ていっしょに考えるたり楽しんだりすることも出来る。テレビは一方通行の情報?確かにテレビに返事をしても会話にならない。だけど、そこに親が加われば、一方通行じゃなくなる。いっしょにクイズを解く。いっしょにお笑いを見て笑う。いっしょにドラマを見て感動する。テレビの話題でたくさん話が出来る。これで脳が活性化しないはずがない。コンピュータがどんどん発達していけば、知識はあまり価値として認められなくなる。パソコンをたたけばだれでも何でも知ることが出来るから。それよりも「考えること」、「情報をうまく使うこと」が、益々重要な世の中になる。「知識」より「知恵」の時代がもう来てる。「知恵」を育てるには、勉強だけでは必ず限界が来る。テレビを使ってしっかりと脳を活性化しておくことも重要なんだと私は本気で思ってます。
2008年04月26日
コメント(4)
「考える力」が弱いといわれる日本人。「考える力」とはどんな力?例えば、3月31日ガソリンの暫定税率期限切れでガソリン値下げ。いつから値下げするか、ガソリンスタンドの対応はまちまち。あなたがガソリンスタンド店主ならどうしますか?「120円で仕入れたものを100円で売ったら損をする」と思いますか?ここで考えなければならないのは、税金が安くなる一ヵ月間でのお金の出入り。ポイントは、安くなる4月1日以降、少しでも早く安いガソリンを仕入れて1日でも長く安いガソリンを売ること。そのために、3月下旬から在庫を減らすこと。それでも残ったものは3月31日に10円だけ下げて安売り。在庫が多ければもっと値下げ。それでも残ったものは4月1日から25円下げて売りさばくこと。それじゃあ損をする?そんなことはありません。値下げ対応する店としない店がある間は、値下げしている店に客が殺到します。高いガソリンを早く売りきって、他店より早く安いガソリンを売ることで損はすぐに取り返せます。高い在庫がなくなって全店が値下げするまでに安いガソリンを仕入れて売るということを何回出来るか。その回数が多いほどたくさんお金が残ります。これは学校の算数では教えらえません。インターネットの発達で情報は平等に与えられます。計算はだれにでも出来ます。それでも、儲かる人と損をする人がいます。これからは、こういう発想ができるかどうかで大きく差が出ます。情報をどう使うか。幅の広い考え方、発想の転換。それが出来るように、学校で教えてもらえないことも少しずつ、家庭の中で、遊びの中で、日常の中で子供に教えていくことが大切なのだと思います。
2008年04月20日
コメント(2)
もうすぐ新学期、娘は小学校5年生になります。クラスも新しくなるということで、友達と同じクラスになれるかどうかドキドキしてるかと聞いてみると、そうでもないらしい。クラスが変わっても遊べば良い。新しい友達もすぐに作れる。本当にそう思ってるらしい。そういえば、今もクラスの違う友達がたくさんいる。「どうやって友達になるの?」と聞くと、「友達になろう」って言って相手が「良いよ」と言えばもうその子は友達だそうだ。そして、その瞬間からその子とは友達として接するそうだ。子供は簡単で良いなあと思ってふと考えてみた。人と人との関係に大人も子供もない。案外、友達になるって簡単なことなのかもしれない。難しいと思っていることをもっと簡単に考えてみよう。もしかしたら、簡単なことを自分で難しくしているだけなのかもしれないから。
2008年04月06日
コメント(0)
最近の娘はプチ反抗期。少し怒りっぽくなってて、ちょっとだけ反抗的。そんな娘を見てて、改めて、親がしっかりしなきゃと思う。ついつい子供の言葉に反応してカッとしてしまいがち。でも、頭においておかないといけないのは。「子供は未熟」ということ。子供自身、なぜムカついているのか、なぜイライラするのか、実はよく分かっていないことが多い。そして、それを表現する言葉も未熟。そんな子供の言葉に反応して大人がカッとなると、親子ともワケがわからないまま親子喧嘩になる。でも、子供の言った言葉が子供の心を正確に表していないとすると、なぜ今、喧嘩してるのか分からなくなる。子供の反抗は、子供の発するSOSであることが多い。子供が今、「冷静でいられない状態だよ」と教えてくれてる。そこで発している言葉に意味なんてない。そう考えて、もう一度、子供の立場で今の環境を見てみよう。きっと何か問題があるはず。子供はそれを一生懸命に訴えているだけ。それに気づいて、子供がどうしようもなくて悩んでいる問題を何とかしてあげられれば、子供のプチ反抗期も納まってくるはす。やっぱり子供は親の鏡。子供の反抗にはきっと理由がある。そして、それは親が原因であることが多い。プチ反抗なんかさせちゃってごめんね。
2008年03月16日
コメント(4)
「味楽る!ミミカ」で紹介されたチョコ大福に娘とふたりで挑戦しました。作り方は簡単。1.ココアのシリアルを小さく砕く。2.湯せんしたチョコレートに砕いたシリアルを入れる。3.よく混ぜて、それをラップに小分けして冷蔵庫で冷やす。4.切りもちに水を入れて電子レンジでチン。5.柔らかくなったもちに砂糖を入れてよくこねる。 (砂糖を入れると固くなりにくいらしい)6.もちに片栗粉をまぶして適当な大きさにして、冷蔵庫から 出したチョコを中に入れて包むと出来上がり。 仕事が忙しくてなかなか娘との時間が作れなかったので、こういう共同作業は久しぶり。チョコ大福といっしょに作った抹茶味とココア味の大福はうまく包めず大失敗。でも、その失敗で、大福を作る難しさが実体験として心に残る。今度、お店で大福を買ったとき、餡を包む難しさをきっと思い出すだろう。やっぱり、こういうときの子供の目はきらきら輝いてる。自分で作る楽しさ。どうやって出来てるかを知る喜び。もっともっとこういう時間を作りたい。
2008年03月08日
コメント(0)
権力に弱い人、言いたいことが言えない人、不満を心の中に溜めてしまう人。そういう人がたくさんいる。「親に口ごたえするな」という育て方は、こういうを性格生みやすい。「親」は子供にとって特別な人。だからこそ、口ごたえさせないといけない。子供の成長とともに特別な人がどんどん増えていく。「先生」「友達」「先輩」「目上の人」「上司」「同僚」・・・そして、誰にも言いたいことが言えない大人が出来上がる。おかしいことはおかしい。間違っていることは誰が言ったことであっても間違っている。間違っていても、あの人が言ったから仕方がないという例外は作ってはだめ。ただ、言い方はある。間違ってることを間違ってると言うだけではだめな場合がある。そのために「親に口ごたえ」させて、言い方を教えてあげなきゃ。子供が大きくなっていくに従って、だんだん難しい人も出てくる。早い段階から少しずつ訓練してくことで、本当に難しい人にも対処出来るうようになっていくと信じてる。まずは、一番対処しやすい、「親」が練習の相手になってやろう。
2008年02月24日
コメント(0)
「心」を「亡くす」と書いて「忙しい」と読む。本当に漢字はうまく出来てる。仕事が1年で一番忙しい時期となり、ここ2週間、平均睡眠時間は4時間くらい。突然の休日出勤もある。忙し過ぎでもうヘトヘト。こんなときは文字通り「心が亡くなり」がち。心に余裕がないと人にやさしくはなれない。相手の気持ちを考えることが出来なくなる。最近、娘が少し怒りんぼうになってる。ひとりで待ってるさびしい時間が長い。やっと帰ってきたパパは疲れきっていて、きちんと相手が出来ていない。その上、パパの帰りが遅いことで夕飯の時間も遅くなり、寝る時間がかなり短くなってる。こんなことがずっと続けば、怒りっぽくなるのもしかたがない。もっとかまってあげないと。頑張って待ってたことを褒めてあげなきゃ。忙しいときこそ、心を亡くさないように心がけよう。もう一息で忙しい時期が終わる。娘とふたりの日常が帰ってくる。さあ、もう一息頑張ろう。でも、シングルパパはいつ休めば良いのかなあ。
2008年02月17日
コメント(0)
「エジソンの母」は、娘と私のお気に入りのドラマです。周りの状況を一切気にしないで、疑問に思ったことを「どうして?」「どうして?」と質問し続ける少年の話。質問のたびに授業がストップ。少年は問題児扱いになってる。演出上、オーバーな表現になっている部分はあるものの、本当にこういう育て方をしてると子供がかわいそう。まず、子供の質問に大人がきちんと答えていない。質問の答えになっていないから次の「どうして?」が出てくる。子供が何を疑問に思っているのか、理解しようとしないでいい加減に答えている(ドラマだからしょうがないか)。そして、一番いけないのは、誰もルールというものをきちんと教えようとしないこと(ちゃんと教えるとドラマにならないけど)。世の中にはルールがある。授業のルール、質問のルール、社会のルール。それらを知って、うまく利用することで知りたいことも効率良く知ることが出来る。人に迷惑をかけることもなくなる。子供の好奇心は本当に大切。ドラマではルールと好奇心が対立することのように描かれているような気がする。でも、ルールをきちんと身につけることは、好奇心を持ち続けるとこと逆行することになはならない。むしろ好奇心を満たすための便利な道具になるはず。ルールは本来は親が教えるもの。しつけや道徳ということだけじゃなく、うまく活用する道具として、子供にきちんと身につけさせてあげたい。
2008年02月02日
コメント(4)
日本人の学力低下が少し前の新聞で騒がれていました。他の国と比べた順位が昔より下がったから学力が低下したということだそうです。でも、本当に順位が下がったから学力が低下したと言えるんでしょうか?学力が向上していても、比較する相手がさらに向上していれば順位は下がります。調査方法の変化によっても順位が変わります。出題者、採点者のレベルの変化によっても差が生まれます。また、言語、文化、歴史的背景の違いによって各国の事情が異なる中で、本当に公正に比較出来る調査になっているかどうかも気になります。順位だけで一喜一憂して良いのかなあ。子供の成績も同じこと。絶対評価とは言うものの、やっぱり評価は相対的。もし子供の成績が下がったとしても、それだけで頑張っていないとは言えない。もっと日頃の努力をしっかりと見て、頑張っているところはちゃんと褒めてあげなきゃ。いつも頑張ってると、頑張っているのが当たり前と思って、褒めるのを忘れてしまう。相対的な結果に対して褒めたり叱ったりする親ではなく、今、ここで頑張っている我が子の姿をきちんと見て、声をかけてあげられる親でありたいな。
2008年01月19日
コメント(4)
体調不良でブログ更新が出来ていなくて、やっと今年最初のブログ更新となりました。昨年末に娘が風邪をひいたのに続き、年明けには私が食当たりで会社を休みました。微熱があり、風邪だと思って一日半ほど寝ていましたが改善せず、病院へいって薬をもらって少しずつ良くなってきました。父子家庭では、特に、病気をすると大変なんだと痛感。この1週間、食事の支度もままならず、掃除、片付けも出来ないため、部屋の中はめちゃくちゃ。普段、ほとんど風邪もひかない親子なので、健康を当たり前と思っていましたが、健康って本当にありがたいものなんですね。そして、何かをやる意欲というのは、健康であってこそ湧いてくるものなんですね。頭痛、腹痛、はきけ、寒気などに悩まされているうちは、本当に何もする気になれませんでした。1年の初めに健康について考えるきっかけを与えられたことに感謝して、今年一年、親子ともども元気に楽しくやっていきます。今年もよろしくお願いします。
2008年01月12日
コメント(0)
全259件 (259件中 1-50件目)