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リミンとウチの彼が、毎日のように通っているバールの店先に見つけた一枚のポスターがこれ↓どうやら日曜日にアンティークの市がたつらしい!おっ! ノミの市かな?!やれ嬉し!という前回の話の続きです。アパート横の市民公園、例の行ったり来たりの散歩道、道の両側に並んだのは市民のフリーマーケットでした♪売っているのは、片方だけのイヤリング、古いボタンなど。ドアノブ、南京錠、銅の鍋類、銀食器は分かるとしても、何に使うのか分からない機械部品もありました。納戸やヒキダシの隅に転がっていたらしいモノが多かったけれど、新品の仕入品を売っていたのは、プロの業者さんでしょうか。という訳で、買い物というよりは‥お祭りモードで行ったり来たりの立ち話!アメリア町の日曜日の風景です。で、リミンの戦利品をチラッとご紹介☆そんなに古いモノではないようですが、一番上のペーパーナイフと、真中の銀のシュガースプーン、二つ合わせて5ユーロ。売って下さったのは、こちらのお二人↓一番下の七宝を填め込んだ髪飾り2ユーロ。私は、今回これが一番気に入ったの!売って下さったのは、こちらのオジサマ↓孔雀のモチーフは、ローマ時代以前にウンブリアに住み着いたエトルリア人たちの遺した文化の名残りだそうで、現代の陶器にも孔雀が使われているものがあります。カタコト会話でも値切っちゃう楽しさ、合計7ユーロのリミンの買い物♪笑顔で相手して下さった心優しきアメリアの皆様、本当にありがとう! グラーツィエ・ミッレ!それに、11月1日は「全聖人の日」2日が「全死者の日」ということで、日本のお盆のように死者が帰ってきたり、お彼岸のように、お墓参りに行く日なんだそうです。普段は使われない菊の丸い花束が売り出されます。菊の花は、こちらでも仏前花、昔ほどでないにしても今でも庭に植えるのを嫌がる人もいるんですって。お墓参りに出掛けるために、前後の土・日曜日は、どこのウチも家族揃ってということらしく、そのせいもあってなのか、いつもより車も、散歩道の人出も多い週末でした。あ、それから、10月の最後の日曜日でサマータイムが終わるそうです。だから時計を1時間遅らせて‥これで日本との時差も7時間から8時間へ。あっという間に太陽が沈み、日暮れも早くなりました‥。
2007年10月30日
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ウンブリア州にある人口一万人くらいの小さな町、これでもテルニ県・アメリア市です。高校生はバスで近くの大きな町に通学します。バスも学生を中心に走っているせいか、日曜日はお休みで、アパート前もひっそりしています。だから、日曜日は、地元で散歩や、買い物、おしゃべりに、いっそう花が咲くということなのでしょう。いろいろなイベントも、たいてい日曜日に開催されていて、今度の日曜日は、古物市場があるという張り紙を見つけ、もしかしたら掘り出し物が見つかるかも?!‥と、ちょっと楽しみにしているところです。先週、アメリア町にサーカスが、やってきました。町中にポスターが張られ、サーカス団員のおじさんが、チケットの2ユーロ割引券を配って歩いていました。サーカスが大好きな私達は、さっそく割引券をゲット♪イタリアとサーカスは、とても良く似合う!フェリーニの世界よね!と大喜び ☆どの辺にサーカスのテントがあるのかを、なんとか近所のバールで聞き込んで、昼間にあらかじめ場所を確認することに。やっぱり、町はずれの原っぱでした。サーカス小屋というより、トレーラーを連ねた大掛かりなキャンピング・カーの軍団ですね。車の中から、子供とお母さんの話し声も聞こえて、サーカスの人たちの暮らしぶりが、チラリと見えました。でも、出掛けたのは月曜日だったせいでしょうか‥観客は私達を含めて、全部で12人!そのうち小さな子供が4人! 大人12ユーロの入場料も、割引券で10ユーロ。ピエロも、心なしか、尚更に悲哀感が増しているような‥いつもなら子供達で賑わっていると思われる売店に人影もなく‥「これじゃあ、スタッフの食い扶持も出ないだろう」ウチの彼が心配することしきり。「水でもいいから、何か飲み物でも買ってあげよう」「うん、じゃあ私、綿菓子」と、ちょっと淋しい会話で。おまけに、この日は、特に寒い日でした。帰りの暗い夜道は、しんしんと冷え込んで‥ 下見までした最初の元気はとこへやら‥この日ばかりは、日本の「おでんと熱燗」そして居酒屋の賑わいが恋しい、リミンとウチの彼でした。
2007年10月26日
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前回、ご案内した城壁の中、旧市街の商店街。どこもマダムや店主が、一人で切り盛りしているような小さなお店ばかりです。大繁盛している風にも見えないけれど、それでも、ちゃんと続いている。ということは、みんな地元で買い物するからでしょう。旧市街の中は、一応、車の乗り入れ禁止になっていて、パーキング券とバス乗車券がセットで売っています。でも旧市街に家があり、住んでいる人はしょうがないね‥と大目に見てもらえるんですって。どうやって区別するのかしら?商店も会社も、午後の2時から4時半まで2時間半の昼休み。そのかわり、朝の8時から仕事を始め、午後の部が4時半から7時半まで、このパターンが多いようです。24時間営業どころか、8時を回ると店がクローズしてしまうので、開いている時間を見計らって、買い物に出掛けなくてはなりません。だからウインドウ・ショッピングの意味がよく分かります。店が閉まっているときに、ウインドウの商品と値段をじっくり吟味し、買うか、どうするか、を熟考する時間というわけです。そのせいかどうかはわかりませんが、ウインドウ・ディスプレイの素敵さには目を見張るものがあるんですよ!それでは、ご一緒に、ウインドウ・ショッピングとまいりましょう♪何件もない商店の中で、特に目につくのが、朝市場と同じように、部屋を飾るインテリア用品、それに食器などのキッチン雑貨のお店。オリエンタルな装飾品も人気です。ウチも、ときどき買い物に出かけるエノテカ、ワイン専門の酒屋さん。さすがウンブリアの地ワインが充実。それにキャンティのラインナップも。トスカーナとも地続きだもんね♪これは靴屋さん↑間口が狭い小さな店と思ったら‥どうしてどうして中地下は広い商品置き場になっていました。おっと失礼!こちら↑は美容室でした☆地元の店が元気ということは、働く場所があるということ。みんな地元で働き、地元で買い物して‥日本の地方都市、シャッター通りと化したアーケード街の無残な姿が頭をよぎります。こちらは↑城壁の外で一番新しいビルなんです。中に入るテナントは、ただいま開店準備中!ケーキのあるティールームがオープンしたばかり。この他、洋服や携帯電話、化粧品や美容サロンなどが入るみたい。アメリア町の最新ショッピング・モールといったところかしら?といっても全部で8店舗くらいの規模のようだけどね‥このビルのメイン・エントランス、通路の真ん中の床がガラス張りになっているの。ガラスの下は‥はてさて何でしょう?このビル建設中に、偶然、発掘されたローマ時代のお棺なんですって!つまりココはローマ時代の墓地だったらしいの。縁起でもない、隠しておこう‥なんて発想は、もとより無い!霊も、たたりも、怨念も、そんなものはありゃしない!「なんたって、ローマ時代だぜ!二千年前だぜ!由緒あるけんね」ということなのかどうかは知らないが、いまに、お棺がファッションビルの目玉になるかも☆アメリア村!
2007年10月23日
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歴史の壁に、へばりつくように立ち並ぶ、坂道の家々。石の重厚さも、さることながら、紀元前一千年から続いた古代の民、ウンブリア人とエトルリア人の暮らし。そして、その後に続く、古代ローマによる植民地支配に思いを巡らすとき、その膨大な時間の量に押しつぶされそうになってしまう。『歴史は読むものではなく、見るものだ』とは、こういうことを言うのだろうと、胸の中でうなづく。坂道を下り、城壁の門が近付くと、小さな店がいくつか並ぶ、旧市街の商店街。道路のところどころに囲いに守られた穴が開いている。穴の下には‥古代ローマ時代の道がそのまま残っていて、道の下に道があった。う~む、これが、およそ2000年前の石畳か‥と、覗き込んで感嘆するのは、私達くらいのもの‥。この町に暮らす人たちにとっては、日常の当たり前の風景の一つに過ぎないのだろう。歴史の中をさまよい歩き、城壁の外に出ると、アメリア町の日暮れ時だ。ここ数日、北風が吹く寒い日が続いている。太陽が沈むと、ぐっと冷え込み、火の気が欲しい。 家主のジュリアさんに暖房を入れてもいいかと聞いてもらう。すると、「イタリアは11月1日からじゃないと暖房はできない。 法律でそのように決まっているから」との答え。だから、寒波がくると、学校、病院などは、暖房の特別許可が出るそうだ。暖房の日程まで法律で徹底しているのに驚いた。地球環境を考えてのことらしいが、そのかわり「暖炉に薪を燃やすのは良い」という。薪はいいの‥?と、何だかよく分からなかったが、「ウチも今から薪を買いに行くから分けてあげる。 あとで車から降ろすのを手伝って!」とのこと、嬉しい!そういえば…私達のリビングにも暖炉があったっけ‥と思いだす。あれはインテリアとしての飾りじゃなかったのか‥薪を燃やし暖をとる実用で使うものか‥と、考えてみれば、当たり前のことに、妙に感心してしまった。 憧れの「暖炉の幸せ」がココにあった☆暖かい部屋で夕飯を食べ、炎を見つめながらグラスを傾ける。そうだ、「幸せ」というのは、そういう一見なんでもないような、とてもシンプルなことなのだ‥と、しみじみ思う。
2007年10月21日
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アメリア町の旧市街、小高い丘の上に、城壁に囲まれて、坂道が迷路のように入り組みながら続いている、今も中世が、そのまま息づいているようです。「まるで映画のようだね‥」「こういう風景を見ると涙がでるなぁ。二千年以上も前から同じように、人の暮らしが営々と続いていると思うと‥」教会があり、郵便局があり、カテドラルがあり、物作りをする職人さんと、それを売る商店と‥旧市街に暮らす人たちの普通の暮らしの一コマです。城門・出入り口のメインストリートが商店街。毎朝、焼きたてのパンや、作りたてのモッツァレラを買える♪とはいえ、あの坂道と階段を上り下りするのは、かなりの重労働!リミンなら「わたし、近くのスーパーでいいよ~」と、すぐ言いそうだわ。生活に必要なモノは、ほとんどスーパーにありますが、毎週、月曜日の午前中には、町の朝市がたちます。この場所、普段は、市営駐車場ですが、朝市の日は、早くから賑わって、例の如く、みんなの「おしゃべりサロン?」でもあるようです。真剣に品定めをしているのは、どこの国でも女の人。それに、市場で値切って買うのが、これがまた楽しいの! 言葉はカタコトでも、女は度胸の腕の見せどころかな☆男の人は、あちこちに手持無沙汰に集まって、煙草を吸ったり、新聞を読んだり、社交場みたい。で、荷物を持つ時だけ、忙しげに奥さんに呼ばれるの。うふふ、どこのウチも同じね!と、こっそりウインクし合ったりしたりして♪売れ筋はカーテンなどのクロス類、植木鉢やインテリア用品、家の中の暮らしを楽しんでいる様子が、メルカートを覗くとよく分かりますね☆
2007年10月19日
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写真はアメリア町に一軒だけある映画館。日曜日は日に三回上映していますが、平日は一回だけ。それも夜の九時半からと日本と比べたら遅い時間です。夕飯が8時からなので、夕食後に映画でも‥ということなのでしょうが(レストランも8時にならないと開かない)都会と違い、土曜日でもないと夜の人出はほとんどありません。そのせいか‥映画館に入っていく人を、見かけていないのね。どんな感じなのか、気になる映画館。こんど一度、入ってみようと思います。それにしても、ここの夜は静かです。月が城壁を照らし、星降る里の夜は、更けていく‥部屋の窓から外気を吸いながら…物音も無い、暗い夜のしじまを実感します。その分、朝早くから散歩する人が、とっても多いのです。アパートの横が市民公園になっているのですが、朝から日没まで、みんな公園の並木道を飽きもせずに行ったり来たりを繰り返し、陽だまりの中で立ち話、お喋りに余念がありません。小さな町の、みんな顔見知りのご近所さん。『ヴォン ジョルノ!』『ヴォナ セーラ』一言挨拶を交わしたら最後、そこからは、もー、エンエンと話が続きます。よくもまあ、あんなに話すことがあるものだ!と、感心してしまうほど!これなら映画館どころか、テレビもあんまり必要ないのでは?作り物のドラマより、知っている人の噂話や近況報告の方が、そりゃあリアリティがあって面白いかもね~公園のベンチでも、城壁の門前でも、日向ぼっことおしゃべりに花が咲く、イタリア里山の散歩道。公園のみならず、アメリア銀座の商店街も、毎日、車イスで老親を散歩させる人が多いことに、驚いたり感心したり!日曜日の午後はアパートの前に、こんな露店が!何かと思い、買いに飛び出してみたら‥このようなゼリー菓子でした。コーラの瓶や、目玉焼きの形がユーモラスで可愛いネ!
2007年10月17日
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海に囲まれ、長靴の形をしたイタリア半島のド真ん中、なのに海無し州で、丘陵地帯に緑あふれるウンブリア州!「イタリアの緑のハート」と呼ばれています。首都ローマまで、車や電車で一時間くらい、都会の近くの里山暮らし。だから、秦野に似ています。豊かな自然がもたらすブドウ、オリーブ、トリュフなど大地の恵みがいっぱいで、そこも秦野にそっくりです。穏やかな人情と、伝統と歴史に育まれた中世の町並み。辺りに点在する、丘の上の城壁に囲まれた小さな村々。ここには暮らしに流れる穏やかな時間が、沢山残っていると聞き及び、やってきました秦野から!【イタリア版・里山暮らし】という訳です。ウンブリア州には二つの県があり、ペルージャ県とテルニ県。ここアメリア市はテルニ県。県庁所在地のテルニまで、アパートの前からバスが出ています。某サッカー選手で有名になったペルージャまでは、およそ70キロ、アッシジも、そのくらいの距離。今回、滞在するアパートは、そんなところに位置しています。↓は、アパートの目の前にある城壁です。よく見ると二層になっているでしょう?下方の大きい石は2600年前に積み上げた石、その上の小さな石はローマ時代に積み足したもの。この辺りに住んでいたウンブロ族を追い払い、古代ローマ人が頑強な要塞を作り上げた、そのままです。この城壁に囲まれた内側が、アメリア町の旧市街という訳ね。アパートの前に旧市街に上るエレベーターがあるのが、なんといっても嬉しいわ!と、坂道が多い田舎暮らしの初日で、早くも、弱音がポロリのリミンです。エレベーターの前は、町のインフォメーション兼バスの切符売り場。近郊の町には、ここからバスに乗って出かけます。アパートの階下は、このように銀行が間借りしているの。だから、お金は、あまり手元に置かず、必要な時に、その都度、このディスペンサーで引き出せるのが便利なの。私は「ウチの金庫?」と呼んでいます。ということは、我が家の床を掘り進んで行くと、銀行の金庫の真上にぶちあたる‥?夜毎、見取り図広げて大作戦!(うーむ、なんか、そんな映画があったような…) それでは、今回借りたアパートをご紹介しますね。銀行の右手の鉄門を入っていくと、小さな中庭の前にドア。家主のジュリア家とは、日本でいったら二世帯住宅みたいなもの。階段を上るとドアが向かい合っています。日本の1階を、こちらは0階、2階を1階というそうで、我が家は1階です。ドアを開けると広いリビング、突き当りが主寝室です。バスルームが二つあり(一つはシャワー室で洗濯機あり)階段を上ると、中2階と2階に、こんなゲストルームが!2バスルーム、3ベッドルームというわけですが、いつもは、うさぎ小屋のような団地の一室で暮らしている私達。こ~んなに広いスペースに慣れていないの。だから、使わないロフト部屋が勿体なくて、勿体なくて!ホントに誰か遊びに来るといいのにねぇ‥と、二人で、ときどき階段の上を見上げたりしています‥。食器、台所用品、何でも揃っているキッチンですが‥いったい何を作って食べてるの?と思うでしょ? はい、とりあえず日本から送っておいた米で、このように、毎日、鍋でご飯を炊いています。 この餅焼き網も、御飯の蒸らしに使ったり、スルメや餅を焼いたり、とても重宝しています。う~む、こうしてみると、家の中はイタリアンじゃなくて、まったく正味 日本の暮らしだな~スーパーまでは徒歩二分、基本的に食料品には消費税がかからないので、物価が、とても安く感じます。次回は、その話の続きを~またね~☆
2007年10月14日
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ご無沙汰してます! リミンです!コンピュータのテクニカルのお兄さんが来てくれて、やっとネットが部屋で使えるようになりました。成田発13時間のフライトのつもりが、11時間55分と、思っていたよりも早く、事件も無く、ミラノ・マルペンサ空港に到着。思っていたより一時間早いというだけで、少し得した気がするわ。ミラノといえば何を思い出すか?と問われれば、「ヴィスコンティの故郷だな~」が頭に浮かびます。ミラノの名門貴族ヴィスコンティ家の生まれでありながら、反ファシズム運動に身を投じたルキノ・ヴィスコンティ。デビュー作は「郵便配達は二度ベルを鳴らす」妖しいまでの美少年に翻弄される老作家を描いた「ベニスに死す」が有名かと思いますが、個人的には「地獄に堕ちた勇者ども」が好き。と、まあ、滅びゆく退廃の美学を勝手にイメージしつつ、ミラノにやってきたものの、当たり前ですが、普通の暮らしに、そのような世界が、あるはずもない。私たちが滞在するのは市街の中心部から外れた三ツ星ホテル。豪華な高級ホテルじゃなくても、スタッフがフレンドリーで、朝ごはんがあって、べッドが清潔、シャーワーのお湯さえちゃんと出ればOK!何より、こういうホテルの周辺には、たいてい個人商店が沢山あるのが、嬉しいのだ♪小さな店をひやかしながら、ブラブラ散策しているだけでも、人々の暮らしぶりが垣間見え、普段着の街の匂いがほんの少し見えてくる。↑ホテルの裏にあった、メルカート(市場)秋の短い期間しかお目見えしないというキノコポルチーニ等が八百屋に出回りはじめていて、おじさん達が店先で、口角泡を飛ばす勢いで談義しているのは、今年の出来具合と値段の交渉だろうか。日本のマツタケのように秋の風物詩、話題のキノコのようだ。「せめてドゥオーモと、エマニュエル二世アーケードくらいは、ミラノで見ておいた方がいいよ。ま、ミラノの見どころと言っても、それほど無いし~」と、市場から離れたがらない私にウチの彼は呆れたように‥さっさとタクシーを止めて、私の手をひっぱる。で、見てまいりました。が、ドゥオーモは、絵葉書などで皆様よくご存じと思うので写真は、またの機会にして、本日は「街角の若きミュージシャン達」前に置いた楽器ケースにお金を入れていく人が多く、音楽であれ、美術であれ、未来の芸術家が育つのも、こういった風土があればこそなのでしょうね。ところで、ミラノでは、かの有名な、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は観たかって?教会の食堂の壁画であるこの作品を見るため、大勢の人が詰めかけて二十人ずつ15分の入れ替え制。入場料は、15分で1名7ユーロ (約1,200円)と、けっこうな値段なのに、一か月先まで予約も取れない大盛況。で、フラリと出かけ、もし見られたら見よう‥の私達は当然ダメ!しかし、ウチの彼が、28年前に修復作業中の食堂に入ったときは、「カネなんて払わなかったような気がする‥」と首を傾げる。確かに教会は、どこでも出入り自由のはず…「叩けよ、されば開かれん」は、どこにいったの?!というわけで、いまや小説「ダ・ヴィンチ・コード」様々のサンタ・マリア・グラツィエ教会がこれね。↓ 「最後の晩餐」は見なくても、私が興味があるのは、普通の人々の普通の暮らし。この国の、特にお歳を召した方々の、お洒落で粋な装い方。伊達男とイイ女のさっそうたる人生には、年齢は関係ないのだと、目からうろこの男と女。カフェの片隅から道行く人々を眺めて、見飽きることがなかったのでありました。そして、今回の「イタリア田舎暮らし」と並ぶもう一つの旅「ボスボラス海峡を船で渡りたい!編」夢の案内人はイスタンブール在住のマダム・カセさん。 ミラノから2時間15分。飛んでイスタンブールは、想像以上の大都会だった。ボスボラス海峡が結んだ西洋と東洋の歴史が重なる街。港町の喧噪、雑踏、人々の欲望と思惑、船、車、電車、バイク、海鳥、ノラ猫、全てが在って、それぞれの主張が交錯する大都会。街角のあちらこちらから、アラーの神への祈りの声が、喧嘩の怒声が、モスクが流す大音量の音楽が‥多様な人種と、それぞれの宗教の坩堝のようだ。あらゆるものが渾沌と渦巻いているエネルギッシュで、どこか秘密めいている、スリリングな街これが私の見た「イスタンブール」の第一印象だ。圧倒されるほど刺激的なイスタンブール紀行、とても一口には語りきれません。だから、イタリア田舎暮らしのつれづれに、リミンのアラビアンナイト千夜一夜物語を、これからポチポチと綴っていきますね。それから、マダム・カセさんに、日本からお連れした親善大使「お着物くまちゃん」を、お渡しするという大任も無事に完了致しました。リミンと同行した噂の「くるみちゃん」よ☆↓マダム・カセさん、本当にお世話になりました。イスタンブールは、思い出深い街になりました。同じ海とはいうものの、黒海の色は地中海とは、あきらかに違っていた。ボスボラス海峡から見たあの深い碧色を、私は一生忘れないだろうと思います…。というわけで、リミンとウチの彼は、五日間のイスタンブール紀行を終え、ようやく、イタリアの田舎町に落ち着いたところです。次回は、イタリアはウンブリア州のテルニ県、とりあえずは、我が町になるアメリア市と、私達が暮らす「ウチのアパート」をご紹介いたしますね。↑(うふふ、窓から手を振るリミンです♪)それではまたね☆
2007年10月12日
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