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2025.05.25
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カテゴリ: 音楽
カタログ文化の到来 」というお題の下、音楽に対する聴衆の好みや聴き方が近年大きく変わったことを論じている章に出くわします。



このお題の意味するところは、クラシック音楽ファンの興味が「巨匠」と呼ばれる演奏家や「大作曲家の名曲」(=いわゆる「真面目な音楽」と重なる)から近年大きく広がっており、そのリストがまるで演奏家カタログ/作品カタログのようになってしまったことを「カタログ文化」と呼んでいるようです。これを今風に言い換えれば、クラシック音楽文化の「オタク化」、あるいは「サブカルチャー化」ともなるでしょう。

その結果起きたことは何か? 以下に渡辺氏の本から興味深い一節を引用します。
…さまざまな「巨匠」と「名曲」によって織りなされる価値の秩序は、音楽を「芸術」の名に恥じない「高級」なものに仕立て上げていくための防波堤であった。その防波堤は、音楽文化が流行にながされる「低俗」なものに堕落してしまわないように、商業主義の荒波から音楽を守り続けてきた。
 「不滅の巨匠」と「永遠の名曲」によって形作られる価値秩序が保たれる限り、「高級音楽」は安泰であった。なぜなら、この価値秩序は一時的な人気や流行とは無縁な「普遍的」なものであり、たとえ誰も聴かなくても消滅する気遣いはないからである。それは”sollen”(「〜すべきである」引用者注)の論理の相関者であり、たとえ100人中99人が演歌やロックを好んでいても、音楽が「高級」な芸術たらんとする限り、聴き手はそのような価値秩序を規範とせねばならなかった。そういう形で「クラシック」の世界は商業主義の荒波から自らの身を守ってきたのである。ただしその代償として、この価値秩序の根源にある「音楽の自律性」の思想が、一方で自立した職業音楽家という存在を生み出しながら、他方でそれがほとんど空手形となることによって、 ごく一握りの「超エリート」音楽家を除いた大半の音楽家たちに「商業主義」から絶縁された「純粋」な芸術音楽の世界の中での食うや食わずの生活を強いることになった のである。
 しかしこういう状況が保たれているのも、「巨匠」と「名曲」の価値秩序の「普遍性」が保証されている限りにおいてであった。文化のカタログ化の進行によって「人気がないにもかかわらず永遠の価値を持つ」ような存在が失われてしまうことによって、 音楽文化は商業主義に抗するための切り札を失ってしまった のである。(同書pp.170-172、強調は引用者、以下略)
つまるところ、「売れない」クラシック演奏家や演奏団体がその苦しい境遇に耐える「よすが」であるところの「自分は芸術をやっている」という自負すらも、サブカル化した聴衆(とそれに乗っかる興行ビジネス)の前では単なる「自己満足」と切り捨てられる状況になってしまった、というわけです。

もちろん、興行主の中には依然として「高級音楽」としてのクラシック音楽の価値を信じ、その演奏家を応援しようという人たちも少なからずいるでしょう(例えば先日 このブログでで紹介した本 の著者、渋谷ゆう子さん)。が、すでにカタログ文化にどっぷり浸かり、サブカル化した聴衆が昔に戻ることはなさそうです。

その意味でも、いまや演奏家は(一部の超売れっ子を除いては)そのような「芸術」への未練を捨てて「芸人」に徹する以外に生活の道はなさそうにも見えます。

これは一見難しそうですが、亭主に言わせれば「 最高の娯楽こそ最高の芸術である 」と捉え直すことができるかどうかだけの問題です。(これと真逆なのがいわゆるクラシック系の「現代音楽」で、19世紀的な「芸術」観念にこだわるあまり妙にひねくれてしまった、というのが岡田センセの見立てです( 西洋音楽史講義 )。)

ところで、聴衆がそのようにサブカル化した原因は何か?「聴衆の誕生」が書かれた前世紀の終わり頃の分析では、録音・再生技術の発達(=コピーの氾濫)で音楽が過度に増殖した結果、音楽体験が日常化し、「 人々はかつては崇拝の対象であった『名曲』に格別の有難みを感じなくなったばかりか、あまりに頻繁に聴かされるこれらに飽きてしまい、それとは違うものを求めはじめた 」(同書、pp.139)と推測されています。(亭主にもそのような実感が大いにあります。)

その後インターネットが爆発的に普及し、音楽データを圧縮する MP3ファイル形式の開発 やそれを用いたiPodによるプレイリスト聴取、さらには ストリーミング配信の発達 によって、21世紀も四半世紀を過ぎようとする現在、音楽の聴き方はまさに「カタログ文化」の極限にまで到達した感があります。

その結果起きたのが、かつての「巨匠が奏でる名曲」を軸とした音楽界の秩序の崩壊で、今どきの聴衆は(昔は誰でも知っていた)ベートーヴェンの曲をろくに知らない一方で、ブルックナーやマーラーにはやたら詳しい、といったオタクが普通になり、さまざまな音楽が価値の差別なく併存する世界になってしまった、というわけです。(渡辺氏はこの現象を「 分衆 」(=人々の関心の対象が分化し、共通の土台がなくなった状況)とも呼んでいます。)

前世紀終わり頃からの「古楽ブーム」も、それをピリオド楽器や原典版楽譜への志向といった古楽研究者や演奏者の側から見れば「クラシック音楽への異議申し立て」だった側面がありますが、聴衆の側ら見れば、 古楽の新奇さに興味関心を持つ分衆の増大 による「旧体制の崩壊」の現れの一端でもある、ということに気付かされました。









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Last updated  2025.06.28 14:05:01
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