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2026.03.22
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カテゴリ: 音楽


そのわけは、サティが19世紀ドイツの「真面目な音楽」を中心とした近代西洋音楽のあり方そのものに対する徹底した批判者であるにもかかわらず、音楽業界が彼をあくまでそのような西洋音楽の伝統に連なる一員とみなし、その枠の中で捉えようとする姿勢にあります。

例えば、「ヴェクサシオン(嫌がらせ)」という作品は、同じ旋律を840回繰り返すという点で演奏家・聴衆双方にとってもまさに「嫌がらせ」そのもの。これが19世紀以降の「演奏会」に対する批判であることは明白であるにもかかわらず、いまだに「奇妙」、「不思議」などといった曖昧な態度で肯定的に接し、果ては実際に演奏するという愚直さに陥ってしまう演奏家や、それを真面目な音楽として受け取ろうとするかのうような聴衆の存在は、クラシック音楽の異様さと当事者の無自覚ぶりをあぶり出しています。同じような状況が、ジョン・ケージの「4分33秒」という「作品」とそれに対する聴衆の接し方にも見られます。

ところで、サティの音楽や彼の言行に込められた教養主義的なクラシック音楽に対する批判は、当事者たちにはスルーされる一方で音楽学や芸術哲学の分野では受け止められ、特に「反・芸術」や「制度批評」の文脈で深く掘り下げられてきたようです。

例えば、サティが提唱した「家具の音楽(Musique d’ameublement)」は、「演奏会」という制度への最大の皮肉です。件の番組中では、この曲を前にしてサティが「音楽を聴くな!」と観客に求めたエピソードを紹介し、これを「BGM・環境音楽の先駆け」として好意的に紹介していました。しかしながら、サティがこの曲に込めた意図は、19世紀的な「崇高な芸術を静聴する」という儀式化された音楽体験を徹底的に揶揄するもので、番組のような扱いをすると「芸術の権威を剥ぎ取る」という作曲者元来の意図を隠蔽することになってしまいます。

前述の「ヴェクサシオン」については、 それがクラシック音楽の型である起承転結という「物語」への拒絶を意図している点がまず指摘されるべきでしょう。さらに、 この曲がが題名の通り演奏家に対する身体的な嫌がらせであり、同時に「名演」や「感動」を期待する聴衆への拒絶である点も明らか。ジョン・ケージが1963年にあえてこの曲を実際に連続演奏させた意図も、これを従来の「音楽作品」ではなく「概念芸術(コンセプチュアル・アート)」の先駆として位置づけるためのものだったと言われています。ケージは、サティの中に「19世紀位以来の直線的な進歩主義からの解放(脱出)」を読み取ったというわけです。

実際、少しネットで調べると、社会学者ピーター・バーガーの「前衛芸術論」(1984)などの文脈において、サティやケージの試みは「作品そのもの」ではなく、「それを取り巻く制度(コンサートホール、静粛、入場料)」を浮き彫りにするための装置であると定義されています。「何も弾かない演奏者」を真剣に見守る聴衆の姿は、クラシック音楽という「宗教」の形式がいかに強固で、時に滑稽であるかを逆説的に証明していると言えるでしょう。

ここまで来れば、クラシック音楽業界がサティを「謎多き音楽家」と呼ぶ理由がはっきりします。なぜなら、彼の思想を真っ向から受け入れると、自分たちの立脚点(音楽作品の権威や芸術的価値)が崩壊してしまうからです。

もっと言えば、音楽業界にとってサティの作品を「批判」として受け取ると商売しにくいが、彼を「不思議な変人」としてブランド化すればCDやチケットが売れる、という商業主義的な動機が働いていると想像できます。そのためには、サティを「音楽の父」バッハから始まる音楽史という一本の線の中に組み込む(「正典化」する)方が好都合。「クラシックTV」の番組内容もこのような正典化の路線に従っただけと言えます。

ちなみに、番組でMCは「サティがドビュッシーやラヴェルから慕われていた」といったコメントも出ていましたが、これも一方的なもので、サティ自身は彼らにも批判的な目を向けていました。なぜなら、彼は当時のフランス音楽界を支配していた「崇高で、真面目で、仰々しい」空気感に対して強烈な違和感を持っていたからです。

例えば、サティはドビュッシーの「印象主義」さえも、伝統的な枠組み(ドイツロマン派への対抗意識)に縛られていると感じていました。サティはドビュッシーの傑作オペラ『ペレアスとメリザンド』に対してもこう言い放ちました。
「素晴らしいが、背景が足りない。木を描くなら、その枝に吊るされた果物も描くべきだ」
これは、ドビュッシーの音楽が「雰囲気」に流され、構造的な明晰さを欠いていることへの、彼なりの鋭い批判でした。

一方、ドビュッシーがサティの音楽を「君の音楽には形式(フォルム)がない」と批判した際、サティは後日、『梨の形(フォルム)をした3つの小品』というタイトルの楽譜を持って現れました。「ほら、形(梨の形)があるだろう?」というわけです。これも単なるジョークではなく、音楽的な形式論をあざ笑う最高に知的な嫌がらせだったと見るべきです。

サティは作曲家が「芸術家」として神格化されることを極端に嫌いました。彼は公的な書類の職業欄に「作曲家」ではなく「器械技師(ジムノペディスト)」や「測量技師」と書くことがありました。音楽を感情の表出ではなく、あくまで「音の配置」という作業として突き放して見せるポーズです。

また、父親から入学させられたパリ音楽院(コンセルヴァトワール)を「世界で最も下劣な場所」と呼び、わざと落第するような行動をとって逃げ出しています。後に40歳を過ぎてから、あえて保守的な音楽学校(スコラ・カントルム)に入学し、首席で卒業することで「伝統的な技法など、その気になればいつでも習得できる」と証明してみせた、というわけです。

彼は自分の真意が理解されないことを逆手に取り、「変人」の仮面を被ることで、既存の批評家たちからの攻撃をかわしていました。遺産が入った際、彼は全く同じベルベットのスーツを7着購入し、そればかりを着て過ごしました。これは「ベルベットの紳士」という記号になりきり、私生活を匿名化する戦略でした。

「私は非常に若い時に、非常に古い世界にやってきた」とはサティの言葉ですが、彼は自分が理解されないことを嘆くのではなく、むしろ理解しようとする側(伝統的な聴衆や批評家)の無理解を、彼らをあざ笑うための武器に変えていたとも言えます。サティが毒を吐き、変人を演じ続けたのは、「音楽を特別なものにしない」という信念を守るためでした。彼にとって、音楽を「感動の道具」にすることは、聴衆による感性の搾取に等しかったのかもしれません。サティのこうした「戦略的拒絶」を踏まえると、現代の我々が彼を「癒やしの音楽」として消費している現状を、本人は草葉の陰でさぞや滑稽に思っていることでしょう。






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Last updated  2026.03.23 07:53:19
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