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2026.03.29
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カテゴリ: 音楽


ロンドーの来日はこれまでに2017年、2019年、2023年の3回で、亭主共はいずれの回も同じ会場で彼の演奏を堪能。日本デビューとなった2017年はゴルトベルク変奏曲の一本勝負でしたが、その後2019年は主に18世紀のフランス・クラヴサン音楽、2023年にはハイドンやモーツアルトをハープシコードで弾くという変化球プログラムでした。ところが、今回はなんと亭主が愛してやまないルイ・クープランを集中的に取り上げることに加え、使用楽器も彼が活躍した17世紀フランスの初期モデルを名製作家ディヴィッド・レイがコピーしたものということで興味津々。昨年のアナウンス早々にチケットを予約してこの日を待っていたところでした。


もちろん、ロンドーが今回のプログラムにルイ・クープランを立てた理由は明らかで、彼は2024年に演奏会活動を中止して8ヶ月ものあいだルイ・クープランの全作品(オルガン曲も含む)の録音に取り組み、同時代のクラヴサン音楽やリュート作品からの編曲も含めたCD10枚からなる大作を昨年暮れにリリース。その間、2025年9月からヨーロッパ各地でルイ・クープランを中心に据えたリサイタルを開催しているとのことで、このところロンドーの頭の中はルイ・クープランのことで一杯なのだろうと想像されます。亭主の方も昨年末に 件のCDセットを落手 し、週末をいくつか潰して全録音を一通り拝聴したところなので、改めて彼の演奏を生で聴くには絶好のタイミングです。

ところで、今回のリサイタルのもう一つの目玉である初期フレンチモデルの楽器は、日本のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者である千成千徳(せんなり しげのり)氏の所蔵で、2018年に納入されたものだとか。ところが翌年に千成氏が他界し、その後はコロナ禍などもあってこの楽器は表に出ることはなく、公開の場で披露されるのは今回が初めてとのこと。コピー元の楽器は17世紀の製作家ヴァンサン・ティボーの手になるものですが、その後フランスのクラヴサンはルッカース製に席巻されてこのような初期フレンチスタイルは廃れてしまったため、当時の響きを伝える大変貴重な楽器とされています。

招聘元のアレグロミュージックによると、前回の来日時(2023年)にこの楽器のことを知ったロンドーは「次回の来日時にこの楽器をぜひ弾きたいと、毎日のように訴えてきた」とのことで、招聘元も彼の熱意に絆されてなんとか楽器を借り受けようと奔走したようです。なので、この演奏会は彼の夢がようやく叶う場となったというだけでなく、クラヴサン音楽を愛する聴衆にとっても、貴重な楽器の音を名手の演奏で聴くことができるまたとない機会になったと言えます。

というわけで、亭主共も当日会場に着くなり、舞台上のこの楽器を繁々と眺めることに。まず印象的なのがその外見で、全体的にガタイが大きく重量感があります。調律師が鳴らしている音からは、これまで耳にしたことがあるどの楽器よりも大きな音量に聞こえます。音色もルッカースやそのラヴァルマンモデルよりはイタリアンに近く、特に低音の響きが明るい感じです。(ロンドーが実際に弾いている間にも同様の印象を持ちました。)


さて、開演時間が近づいて聴衆が着席したところで、注意事項についてのアナウンスが流れるのを聞いていると、演奏中は会場の照明を落とすだけでなく、非常灯も消灯すると言われてびっくり。(何かと「安全」にうるさいこのご時世、文化会館側がよく許可したものです…)まもなくスーッと照明が消されて会場は闇の中に。舞台上の楽器が仄暗く照らされている中、ロンドーは例によってラフな格好(焦茶色のセータに黒いズボン)で登場。楽器の前でしばらく沈思黙考の後、まず一音だけトーンと響かせるところから演奏が始まりました。

その後の1時間強、聴衆は暗闇の中で全員が息を凝らしてロンドーの演奏を傾聴。入場時にもらったパンフレットには当日のプログラムが印刷されていましたが、これほどの暗がりの中では全く判読不能です。それでも最初の「組曲ニ長」で取り上げられた曲はまだ馴染みがあって見当がつきましたが、ゴーティエの「メザンジョー氏ののトンボー」を過ぎたあたりから怪しくなり、ダングルベールの有名な「シャンボニエール氏のトンボー」まで来たところでようやく「これで3分の2ぐらいだな」と分かる程度。最後の曲となったフランソワ・デュフォーの「ブランクロシェ氏のトンボー」(例のCD5枚目に所収)もそれとわからず仕舞い。ロンドーが弾くのを止め、少し間を置いて椅子から立ち上がったのを見て、ようやく亭主も含めた聴衆はそれと知って拍手を送ることに。その後、一曲だけ演奏されたアンコールはルイ・クープランの「ブランクロシェ氏のトンボー」でした。(その他、曲目の詳細は招聘元のHPを参照。)

最後に、この演奏会を聴いての亭主の勝手気ままな感想を少々。まず、全体のコンセプトはおそらく「クラヴサンによるルソン・デ・テネブル(暗闇の朝課)」ではないかと思われます。今年はルイ・クープラン生誕400年の節目の年ですが、ロンドー自身はちょうどルイが没した時と同じ35歳となり、自分が6、7歳の時に最初にルイの音楽をクラヴサンで弾いて以来、クラヴサン奏者として彼の全音楽を「生き直す」のに相応しい年齢になったことを強く意識していると想像されます。

実際、プログラムに目を落とすと、「クープラン氏に寄せるトンボー(Tombeau de Mons Couperin)」というお題が付いています。これはとりも直さず「故人を追悼するための演奏会」を意味し、おそらくロンドーはリサイタル中に冥界からルイを呼び出し、彼に憑依させるためにあの暗闇を用意し、ルイになり切って鍵盤に向かっていたのかも、と妄想させられます。(前述の10枚組CDのジャケットも闇の中にロンドーの顔が仄暗く浮かぶというもので、同じノリであるように見えます。)

当日の演奏を聴いていて気付いたことには、ロンドーは和音の構成音をできる限り同時に弾かないようにし、アルペジオやトリルをこれでもかと多用していました。これはおそらく当時のクラヴサン音楽におけるスティル・ブリゼ(〜リュートの模倣)を意識したものですが、あまりに多用されるので演奏全体の印象がやや平板になったという点で残念に感じられました(「過ぎたるは尚及ばざるが如し?」)。今さら言うまでもなく、四百年も前の音楽が実際にどのように鳴り響いていたのかは知る由もありません。ルイ・クープランの音楽に対する思い入れが過ぎて、演奏スタイルにある種の縛りがかかってしまったのかも。もっとジャズやロックのように自由に弾いていいんじゃないの、と言いたいところです。

なお、暗闇の演出についてもう一言。前述のように、これは「トンボー」というお題には相応しいと思います。が、どうやらロンドーは同じことを「オール・バッハ プログラム」の回でもやったとのことで、いくらなんでもそれはやり過ぎだろうと思います。聴衆は音楽を楽しむために来ているのであって、彼らに常時宗教儀礼のような緊張と集中を強いるのは(演奏家と聴衆の立場の非対称性を考えれば)やはりフェアではないのでは?このような「集中的聴取」は、かつては北米ヨーロッパのクラシック音楽の演奏会でも主流でしたが、今では日本だけに特有の「お作法」のようです。演奏家にとって都合がよいからといって、聴衆をあたかも米俵のように暗闇の中で沈黙させるのには疑問を感じます。(これは興行における問題として招聘元にも考えていただきたい点です。)





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Last updated  2026.03.29 21:46:07
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