未音亭日記

未音亭日記

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

未音亭

未音亭

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

背番号のないエースG @ Re:関東大震災(03/17) 「福田村事件」に、上記の内容について記…
未音亭 @ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) tekutekuさんへ これまた情報ありがとうご…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…

Freepage List

2026.04.12
XML
カテゴリ: 音楽
例えばこちら )。なかでも、このところA新聞でキャンペーン的に取り上げられているのが神戸市室内管弦楽団を巡る問題。オケの生みの親とも言える神戸市が、長年続けてきた公的支援を来年度いっぱいで打ち切ると言い始め、それに伴って楽団が解散の危機にあるとのことです。

つい数日前には、この問題について同楽団の音楽監督である鈴木秀美氏と、指揮者の山田和樹氏がそれぞれに寄せた言葉を紹介する A新聞の記事 が掲載されました。亭主はこの二人の対照的とも言える生き方を前にして、改めて考えさせられることに。



鈴木秀美氏は、補助金打ち切りの理由となった長年の赤字体質について、これまで自らが主導して行なってきた改善の努力を強調するとともに、この状況を「科学の基礎研究に十分な資金が投入されないのと同根ではないか」と批判しています。 確かに、即座に利益を生まない文化や基礎科学を守ることは、自治体や国家の品格に関わる問題です。

しかし、亭主が気になったのは、その主張の根底に流れる「プロ」と「アマチュア」を截然と分かつ意識です。

鈴木氏は、市がアマチュアへの支援を続ける姿勢を見せていることに対し、「プロの仕事をアマチュアの活動と同じ土俵で語ること自体が間違っている」と断じ、草野球とプロ野球を例に出して反論しています。

この言葉の裏には、クラシック演奏家がしばしばまとってしまう「選ばれし者」という特権意識、いわば「上から目線」が透けて見えるように感じられてなりません。(このような意識の背景に、クラシック音楽がまとう明治以来の日本における西洋古典崇拝を基底とした教養主義があることは、度々指摘されるところです。)

かつて作曲家の芥川也寸志は、音楽を愛する心においてプロもアマチュアも区別はないと説き、 新交響楽団 を通してその思いを実践してみせました。プロがアマチュアを「下に見る」姿勢を厳しく戒めた彼の精神から見れば、鈴木氏の言葉は音楽という営為の本質から少しばかり逸れてしまっているのではないでしょうか。

そもそも「プロ」とは何でしょうか。自らの足で立ち、その仕事の対価として糧を得る。それが本来のプロの定義であるはずです。公的資金という「守られた揺りかご」を当然の権利であるかのように享受することに、鈴木氏自身は疑問を抱いていないのか。そこが亭主には大きな違和感として残ります。

一方で、同じ問題に触れた山田和樹氏の視座は、極めて現実的でありながら、希望に満ちたものでした。

山田氏は、補助金の打ち切りそのものよりも、それによって即座に「解散せざるを得ない」という結論に至ってしまう組織の在り方に、強い驚きを表明しています。

氏が引き合いに出したのは、自身が音楽監督を務める英バーミンガム市交響楽団の事例です。

3年前に市が財政破綻した際、彼らが取った行動は「絶望」ではなく「街への回帰」でした。駅やショッピングモール、あるいはトラム(路面電車)の中にまで楽器を持ち込み、市民の生活の結び目の中に、自らの音を響かせていったのです。

「お金がもらえないから終わり」という前例を絶対につくってほしくない。

そう語る山田氏の言葉は、行政からの支援が減りゆく現代において、プロの楽団がいかにして「市民の誇り」へと脱皮すべきかを示唆しています。(この話も含め、クラシック音楽をエンターテインメントとして捉える 山田氏の考え方 には亭主も大いに共感しているところ。)

鈴木氏は、ホールを楽器に例え、自分たちの音を染み込ませて育てていくものだと述べました。 その通りでしょう。しかし、染み込ませるべきは「音」だけではありません。その街に生きる人々の「想い」や「共感」が染み込んでこそ、初めて文化は街の顔になり得ます。 オケの設立者として、神戸市側が打ち切りの理由を市民に丁寧に説明することは行政の責任でしょう。一方で、公金への依存を「当然」とせず、自らの価値を社会に問い続けること、これこそは楽団の矜持であるべきではないでしょうか。また、神戸市民がこれを他人事と考えず、楽団が自分たちの街に必要なのかどうかを自律的に判断することも重要です。

今回の騒動は、単なる地方自治体の予算削減問題ではありません。「芸術」にこだわる音楽家が「神殿」から降り、一人の「プロ」として市民と同じ大地に立つ覚悟があるのかを問う、避けては通れない試練なのだと感じます。

「わが街にはこんなオケがある」。そう市民が胸を張れる未来は、補助金の多寡ではなく、奏者たちの「ここからが本当のスタートだ」という決意の先にしか存在しないのではないでしょうか。

この問題が、神戸の街にどのような調和(あるいは不協和音)をもたらすのか。亭主も一人のアマチュア音楽家としてその行方を見守りたいと思います。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.04.19 15:33:07
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: