彼女が家で倒れてからもう20年ほどになるのではないだろうか?近所の75歳の女性が亡くなったとの訃報あり。
最近は家族葬が多くて、葬式の連絡は3年半ぶりくらい。
命の不思議さを思わずにいられない。
30年も前の映画「レナードの朝」は30年間の脳炎患者がパーキンソン病治療薬で30年ぶりに覚醒した話でした。主演はロバート・デ・ニーロー
(そんなことってあるの?)と不思議なストーリーでした。
彼女のお姑さんと母が仲が良くてお姑さんが良く我が家に来ていました。
お姑さんの話では親戚の結婚式に出席して帰宅後すぐに家で倒れたとのことでした。
でも、50代半ばだった彼女は、あれから、ずっと昏睡状態だったような・・・
あれから、お姑さんも我が家の母も亡くなって、
寡黙な彼女の夫や子供達から経過を聞くことはできませんでした。
同世代の彼女は、なかなかお子さんができなくて不妊治療してもできなくて、あきらめていたのに、40歳過ぎてからお子さんが生まれたのです。寡黙な旦那様と駅隣接のビルで「鍵屋」さんをしておられて接客は彼女。
姑さんは何を言っても気にしない明るい嫁と言っていました。倒れた時にお子さんはまだ中学生くらいだったか?
意識は戻ったかどうかきけないまま(近所でも誰も知らないまま)、訃報を受け取った。
身動きできないまま生かされのだろうか、命の不思議さ
生かされていた意味をかんがえてしまう。
私が代理店をする株式会社エレガンスの創業者の棚沢青路元社長の話を思い出す。
大学卒業して会社の秘書の仕事をして公私ともに忙しい日をおくっていた時(20代)、ある日目が覚めても体が動かなくて誰かに羽交い絞めされているような感覚だったが、脳は覚醒していた。
両親に医者が「3か月はもたないでしょう」と言うのを聞いて(そんなの嫌だ)と叫びたかったが声はでなかった。
看護婦をしていた伯母が「医者がサジを投げたならこれを飲ましてみて」と持ってきてくれた「水(ご神水)」を口に含ませてもらって毎日必死で飲んでいたら、3か月後にトイレに自分で行けるようになっていました」
「健康回復してからその水を探して、この会社を興したのです」とはなしていた。
筋無力症だったようで、身体はゼンゼン動かなくても意識があって含ませてもらった水は飲めたようです。
棚沢さんは「生かされた命だからどう生きるか」とよく口にしています。
吐血までしていた奔馬性結核に侵されながら「生きたい」と強く思って92歳まで精力的に活動された中村天風氏もまた、辻説法をしたり天風会を作ったり、生かされたものの役割を追及された生き方をされた。
体が動かない筋無力症から生還された棚沢氏や奔馬性結核で肺に空洞持ちながら、生かされた役割を精力的に追及された天風氏の「生きる力の不思議」
長い昏睡状態の中で意識はあったのだろうか?
通夜の日は私は旅行中なので、主人が行ってくると言う。
寡黙なご主人から通夜で少し状況がきけるだろうか?
同世代の彼女のご冥福を心から祈る。
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