日本史雑学発掘の館

日本史雑学発掘の館

2009.03.19
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カテゴリ: 明治時代
1874年、前年の征韓論の問題で新政府を去った 江藤新平 佐賀の乱 を起こすことになります。

しかし大久保利通を中心にした新政府軍に敗れ、江藤は鹿児島まで落ちのび 西郷隆盛 と対面し決起を求めますが拒絶され、もし助かりたいのなら島津久光の袖にすがれと助言しますが、結局江藤は久光を頼ることはありませんでした。

そして鹿児島を去る時、江藤は共に逃亡してきた二人の人物を西郷の腹心である 桐野利秋 に預けます。
この人物の名は 徳久幸次郎 石井貞興
後に追手の手が厳しくなり、桐野の元にも尋問が来ますが、桐野はさすがの威厳を持って捕吏を追い払ったといいます。

その3年後、 西南戦争 がおこるとこの二人は薩摩軍と行動を共にし、最後は徳久は戦死し石井は捕えられ処刑されます。

桐野利秋は幕末期には別名 人斬り半次郎’ とも呼ばれており、戊辰戦争にも従軍し功を挙げました。
しかし、実際に人を切った正式な記録が残っているのは1件のみです。

西郷や他の明治維新に功のあった人物が桐野という人物を評価しているように、彼には相当の器があったのではないでしょうか。
その人柄に惚れ、また恩に報いようと、徳久と石井も西南戦争に従軍したのではないでしょうか。
かって二人を追ってきた捕吏も、桐野の貫録に圧倒されたのではないでしょうか。







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最終更新日  2009.03.19 23:30:23


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