HP de るってんしゃん

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2006.11.21
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カテゴリ: 伊坂幸太郎
伊坂幸太郎の記念碑的作品とも呼ばれ、圧倒的な人気の高さを誇る 『重力ピエロ』(新潮社) 『オーデュボンの祈り』 に70票差をつけて21%票獲得、独走状態の人気ぶりである。

あらすじは、今回も文庫の裏表紙の文章を借りると…

兄は泉水、二つ下の弟は春、やさしい父、美しい母。家族には、過去につらい出来事があった。その記憶を抱えて兄弟が大人になった頃、事件は始まる。連続放火と、火事を予見するような謎のグラフィティアートと遺伝子のルールの奇妙なリンク。謎解きに乗り出した兄がついに直面する圧倒的な真実とは――。溢れくる未知の感動、小説の奇跡が今ここに。

・・・なんかベタ褒めだね。本作品はミステリーファン以外からも受け入れられ、読者層の幅を広げるという貢献をしたようだが、ミステリーファン以外から と言うよりミステリーファン以外 支持されているような気がする。 『重力ピエロ』 ファンの大半は「春or父が恰好良い!」「家族愛が素晴らしい!」と連呼しているようだ。今作品は、謎解きのスリルというものはあまり無い。叙述トリックも無い。犯人は小説の初めから登場している人物でなくてはならないという常識を考えれば、予想外の展開が待っているわけでも無い。ミステリーだと期待して読んだ人にとっては、少し物足りなかったのではないだろうか。

しかし!大衆文学としては、高評価を受けるに十分相応しい作品だろう。強いメッセージ性、人間ドラマとして読み応えのある内容、個性ある登場人物、洒脱で粋な会話文、軽妙に鏤められた引用、インパクトのある冒頭。読んだ大概の人にヒットする強い力を持っていると思う。そして、他の伊坂作品とのリンクも嬉しい。9月24日付の読売新聞に 「次々読破し、『フフ、あの人がこんなところに』とほくそ笑むのが通のよう」

今回、文庫版で再読したので、後から単行本版と読み比べを少ししてみた。ちらっと見ただけでも改訂箇所がわんさか発見できる。例えば、泉水が春をあからさまに疑う記述は削られている。単行本p.98の 「悲しい事に『天才画家』と『狂気』はさほど縁遠いものとも思えなかった。」(→文庫p.137) や、単行本p.141の 「心のどこかで、春が火を点けた張本人ではないか、とまだ疑ってもいた。」(→文庫p.202) などである。また、文庫本の解説で北上次郎さんも書いているが、「JLG」と「二万八千年前」の間に「燃えるごみ」という項が挿入されている。他にも「放火現場の張り込み2」の後にあった「カッコウの巣」という項が削除されたり、「リラクシン」が「放火魔」という項名に変わったりと 『重力ピエロ』 は改訂が激しい。その中でも私が一番気になったのは、冒頭の 「それから十六年後」(p.7) 「それから十七年後」(p.9) に変えていたことだ。二階から落ちてきた春を、なぜ16歳ではなく17歳に変えなければならなかったのか。しばらく?マークが飛んだが、冷静に考えればすぐに答えは分かった。元のままでは設定がおかしくなると、伊坂氏は誰かに指摘されたのかもしれない。皆さんも、ぜひ最初のページを開けて考えてみて下さい。

さて、すっかり前置きが長くなってしまったが、 『重力ピエロ』 の重要キーワードは 「ルール」 だ。文庫版のページでいうと・・・

グラフィティアートのルール p.41,42,53
放火事件のルール p.56,77,205,282,286,353

放火事件と方角のルール p.164
放火事件とグラフィティアートのルール p.247,290,354
遺伝子とグラフィティアートのルール p.283,368
検索「放火 仙台 ルール」 p.159
オリエンテーリングのルール p.90

企業のルール p.232
「無理やり導くのは、ルールじゃない」 p.328
黒澤の勝手なルール p.416

である。加えて、この前 『弁護士 灰島秀樹』 が「法律はルールだ」言っていたのが印象的だったので、 「法律」 というキーワードも以下に挙げておこう。

「~も死刑。法律でそう決めてしまえば、絶対やめる」 p.72
「多数決と法律は、重要なことに限って、役立たずなんだ」 p.209
「おまえが仮に法を犯しても、そこには何か理由がある」 p.248
泉水 「何かの法律に抵触しているのではないか、と不安に」 p.252
「殺人犯を放置するのは法律に反するだろ」 p.448
泉水 「法律なんて弁護士のためにあるだけだ」 p.448
泉水 「私が常識や法律を持ち出すまでもなく、重力は~」 p.449
泉水 「刑事だとか、法律家にとやかく言われる必要はない」p.459

はじめは春、終わりに近づくと泉水が「法律」に言及しているイメージだ。春は法律を「役立たず」と言いながらも保守的な立場で、泉水は法律に若干の恐れを感じつつも批判的な立場であるらしい。

ルールとは、果たして何なのか。

「ルールの解明に挑む」ことは、ゲームをするようなものだ。ゲームをしている間はとても楽しい。しかしそのゲームをクリアした時、必ずしもハッピーエンドが待っているとは限らない。だから時々怖くなる。しかし一度ゲームを始めたら、クリアするまで、もしくはゲームオーバーするまで、前へ進み続けなければならない。家族を渦中に残したまま、自分だけ後戻りすることはできない。人生はエスカレーターだ。伊藤の祖母が言っていたように。泉水は、ルールの正体に薄々気付いていた。しかし、その結末を信じたくなくて、それが嘘であって欲しくて、別の答えを探そうと頑張っていたのだろう。法律もルールだ。この世は法律が支配しているのではないかと時折恐ろしくなる。世の中決められたことばかり。その一方で、信じたくないようなことはたくさんある。世の中に存在しているルールに、意味なんてあるのか。大事なのは、自分の大切な人が幸せであるかどうかではないのか。泉水にとって、春にとって、大切な家族が幸せであるかどうか。ルールも不可能も打ち破って、楽しそうに生きていれば、地球の重力なんてなくなる。たとえピエロの涙はポロリと落ちても、悲しみも憎しみも愛する気持ちも、すべてを受け入れて生きていけばいいんだ。

ルールに挑みルールを変えた兄弟を描いた 『重力ピエロ』 は、決してキャラクター人気だけに頼らない、宙に浮いているのに地に足が付いた作品であった。







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Last updated  2006.11.21 23:24:15 コメント(5) | コメントを書く
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