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母の備忘録 0
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もう一つスキーに行ったときのデジタルカメラ写真が見つかりました。 2001年12月24日、日本帰任の1週間前に、スイスのミューレンというところに日帰りで行っています。ミューレンは、スイスのインターラーケンから南に20kmくらいのところにあるスキー・リゾートです。1969年にリリースされたジェームズ・ボンド『女王陛下の007』の主要なロケ地ともなりました。 左からアイガー、メンヒ、ユングフラウです。この三山が眺められるスキー場としても有名です。アイガー 私が小学生のころですから、もう50年くらい前になるでしょうか。「アイガー北壁 日本人初登頂」といような新聞一面記事を見たことを憶えています。ユングフラウ 家族そして日本からの出張者と何度か登山電車で行きました。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/17
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2001年3月10日、サンモリッツ日帰りスキーの続きです。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/16
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ドイツ滞在中は、スキーにもよく出かけました。私の住んでいたシュツットガルト地域はスイスやオーストリア、フランスにも車で行ける距離でしたので、家族で住んでいたときも、最後2年間の単身赴任のときも、よくそれらの国へスキーに出かけました。 スイスのスキー場には、朝早く出れば日帰りでも行けたので、一人でサンモリッツやダボスに日帰りで行ったことがあります。片道4時間とか、それくらいだったと思います。そのうちサンモリッツの分がデジタルカメラで残っていましたので、紹介しておきます。2001年3月10日です。 やはり日本のスキー場とはスケールが違います。雪質も抜群でした。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/15
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2011年11月17日のミュンヘンの美術館訪問の続きです。 ノイエ・ピナコテーク。 昨日のアルテ・ピナコテーク(古絵画館)に対し、ノイエ・ピナコテークは文字どおり「新絵画館」です。アルテ・ピナコテーク開館から十数年後の1853年、その当時の現代絵画を収蔵するため、バイエルン国王ルートヴィヒ1世によって設立されました。 18世紀半ばから20世紀の作品約5千点を収集しており、特にドイツ・ロマン派やナザレ派などのドイツ近代絵画、さらにモネ、セザンヌ、ルノワール、ゴーギャンなど印象派の作品が充実しています。 ノイエ・ピナコテークの英語のガイドブックです。表紙の絵はドイツの画家 カール・シュピツヴェークによる「The poor poet」ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/14
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2011年11月17日のミュンヘンの美術館訪問の続きです。 ミュンヘン行きの特急IC(インターシティ)に乗り換えたゲッピンゲン駅で見つけた広告看板です。「1967年製の5ペニヒ(100ペニヒ=1マルク)硬貨を24ユーロで買いますよ」という広告のようです。そういえば現地採用の日本人社員がそういった硬貨を探していました。 ICでミュンヘンに着き、美術館巡りです。アルテ・ピナコテーク 「アルテ」は古い、「ピナコテーク」はギリシア語に由来で「絵画の収蔵所」という意味です。国立美術館です。世界でも最古の部類に属する公共美術館で、もとはバイエルン王家ヴィッテルスバッハ家の収蔵品を市民を対象に展示する目的で作られたそうです。 中世からバロック期にかけての作品を陳列の中心にし、ホルバイン、クラーナハ、デューラーなどのドイツ絵画のほか、ルーベンス、ブリューゲルらを始めとするフランドルやネーデルラントの絵画、さらにはフランス、スペイン、イタリア絵画にも多くの優品があることで知られています自画像。 買った英語のガイドブック表紙にはアルブレヒト・デューラーの「自画像」が描かれています。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/13
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行を昨日までアップしてきましたが、写真データを見ていたら、その年の11月17日にもう一度ミュンヘンに行っていることが分かりました。アルテ・ピナコテークとノイエ・ピナコテークという美術館を訪問するためです。 美術館巡りですから写真は多くありませんが、紹介していきます。 このときは鉄道で日帰りで行っています。住んでいた町からミュンヘン方向へ数駅各停で行ったゲッピンゲンというところからIC(インターシティ)という特急列車に乗り変えました。 ドイツの駅には、このような時刻表があります。確か黄色がAbfaehrt(アプファールト・出発)、白がAnkunft(アンクンフト・到着)です。それが時系列で書かれています。それぞれの時刻に詳しい説明があって、平日だけとか、休日だけとかが書かれています。ちょっと日本の駅のホームにある時刻表とは趣が異なります。特急などの列車の車両編成の詳細です。 私の乗ったのは多分8:09発の「IC」(インターシティ)と書いてある特急列車だったと思います。10:09発にはBeethoven(ベートーベン)という名前がついています。12:10発にはAlpenlandという名前がついていて、冬季オリンピックが行われたこともあるガルミッシュパルテンキルヘン行きであったり、オーストリアのスキー場ゼーフェルド行きであったりしています。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/12
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ミュンヘンの続きです。これで、今回のミュンヘン方面への旅行分は最終です。 置き物などのお店です。Zigarettenと書いてあるので、葉巻屋さんも兼ねているようです。上から2段目は有名な「フンメル人形」だと思います。3段目、4段目は定番の観光地の地名入りのカップ、小皿、一番下が蓋付きのジョッキ。鳩時計が並んでいます。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/11
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ミュンヘンの続きです。 日本でも有名な刃物メーカー「ツヴィリング」のお店。日曜日だったのでウィンドウショッピングのみ。「ヘンケルス」というブランドも同じ会社から出ています。世界地理で習ったことのあれうゾーリンゲンに本社があります。日本でも製造しています。 社名の「ツヴィリング」とは、ドイツ語で「双子」の意。ロゴもそれに因みます。ヘンケルスブランドのほうは、双子ではなく1人のマークです。このお店は双子のマークなので「ツヴィリング」を扱っているようです。「ツヴィリング」のお店 この日多分夕食に立ち寄ったと思われる日本食レストラン「庄屋」。日曜日ですが、レストランは営業OKです。日本食レストラン「庄屋」ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/10
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ミュンヘンの続きです。 ドイツには「閉店法」という法律があり、店の営業時間が制限されています。私が赴任を開始した1995年当時は、原則として、平日は7時から18時30分まで(木曜日のみ20時30分まで)、土曜日は7時から14時までの営業可能。日曜は例外を除き営業が許可されていませんでした。 その後、1996年には営業時間が平日は20時まで、土曜は16時までとなりました。さらに2003年の改正では、土曜日も20時まで営業が可能となったようです。 レストランやガソリンスタンドなどは日曜日でも開いていますし、空港などの特別な場所も開いています。ガソリンスタンドにある洗車は「仕事」にあたるためか、日曜日はやっていませんでした。 もちろん、24時間営業のコンビニなんてありませんでした。不便を感じましたが、慣れてくると、日曜日はのんびりと家にいるとかメリハリがついてなかなかよかったです。サッカーのFCバイエルンのファンショップ。日曜日だったので閉まっています。WMF(Wuerttembergische Metallwarenfabrik)有名な調理器具・食器類の会社のお店(ドイツではヴェーエムエフと読みます) 店は閉まっていても、ショーウィンドウの照明が点いていたりして、ウィンドウ・ショッピングは楽しめます。ドイツの法律を知らない観光客のためにか、こんな看板も置いてありました。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/09
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ミュンヘンの続きです。フラウエン教会 (聖母教会) Frauen Kirche 玉ねぎ型の円蓋を持つ個性的な2本の塔(この写真ではよく分かりませんが)を持つ後期ゴシック様式のミュンヘンのシンボル的な教会です。 聖ミヒャエル教会 1540年のイエズス会設立後、ヴィルヘルム5世が反宗教改革の一環として建立させたイエズス会の教会です。当時、アルプス以北では最も壮大なルネサンス様式の教会で、その膨大な建築費用によって国立銀行が破綻しそうになったそうです。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/08
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ミュンヘンの続きです。マリエン広場のNeues Rathaus(新市庁舎)「新」と言っても、1867~1909年に建設されたものです。Glockenspiel(仕掛け時計) 新市庁舎の塔には仕掛け時計があります。毎日11時と12時(3月~10月は17:00も)に人形が動き出します。ミュンヘン公ヴィルヘルム5世とレナータ妃の結婚式のお祝いの模様を描いたもので、下の段では樽職人のダンスが再現されています。新市庁舎前のマリエン広場とマリエン柱ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/07
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ミュンヘンのビアホール「ホフブロイハウス」の続きです。 店舗建物の1階がビアホール、2階がレストラン、3階が有料のショーが催されるフロアとなっています。また、1階の中庭はビアガーデンとなっています。バンド演奏も行われています。『乾杯の歌(Ein Prosit)』が流れると、お客が全員で歌ってそのあとで乾杯します。 プレッツェル(ドイツ語で正しくはブレーツェル)とビール。プレェツェル独特な結び目の形に作られているドイツ発祥の焼き菓子のひとつ。柔らかく焼き上げた大きい種類と、固く焼いた小さい種類がありますが、こうしたビアホールでおつまみとして食べるのは柔らかく焼き上げたほう。塩がきいていて、適度な硬さがあってビールによく合います。この写真は食べさしでオリジナルの形が分かりませんので次の写真もご覧ください。 写真の順番から行くと、ホフブロイの中ではなく、外の売店かもしれません。これがプレッツェルのオリジナルの形です。結構大きいです。値段は4.6マルクとなっています。350円くらい。決して安くはありませんが、観光地でないところに行くともっと安かったと思います。カメラを向けたらかわいいドイツの娘さんが微笑んでくれました。置いてあるのはチップを入れる小皿。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/06
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ヘレンキームぜー城からの帰途、ミュンヘンに立ちよりました。家族で旅行に来たことがありますが、日本に帰任する前にもう一度訪れておきたかったのと、どうしても体験しておきたいことがあったからです。 それは「ホフブロイハウス」というビール会社ホフブロイが経営するビアホール。ヒトラーが1920年にナチスの旗揚げとされる大集会を開いたところとしても有名です。家族で旅行したとき中を覗いたとは思いますが、子供連れで長居できるところではありませんでした。今回、どうしても中でビールを飲みたかったのです。ホフブロイハウスの外観ホフブロイの看板「HB」ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/05
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ヘレンキームゼー城の続きです。宮殿側から噴水方向を望みます。向こうに湖が見えます。船着き場でしょうか、人工的に入江が作られています。宮殿両側の像です。再び船に乗って島をあとにしました。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/04
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ミュージカル「ルードヴィッヒ2世」を観劇してフュッセン近くに宿泊した翌日、ヘレンキームゼー城に向かいました。ヘレンキームゼー城(独: Schloss Herrenchiemsee)は、ルードヴィッヒ2世が建設した3つの城の一つです。あと二つはノイシュバンシュタイン城とリンダーホーフ城。記憶があいまいですが、リンダーホーフ城は家族と訪れたことがあると思います。 ヘレンキームゼー城は、キーム湖(キームゼー)の中央に浮かぶヘレン・インゼル(男島)にあります。ミュンヘンから南南東に約70km、フュッセンから北北東に約130kmの距離にあります。城の中にあるNeues Palais(意味は「新しい宮殿」)は、ルートヴィヒ2世が崇拝していたルイ14世への記念碑となっヴェルサイユ宮殿をそっくりそのまま模倣したものです。しかし、ルートヴィヒ2世が死ぬ前に中央の1部分だけが建設されたのみで、1886年にルートヴィヒ2世が死ぬと建設が中止され、70部屋のうち、50部屋は現在でも未完成です。 お城は湖に浮かぶ島にあるので船で向かいます。 Neues Plasis(「新しい宮殿」)の遠景です。 噴水。オフシーズンのためか残念ながら水は出ていませんでした。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/03
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ノイシュバンシュタイン城、ヴィースの巡礼教会を観光したその夜はノイシュバンシュタイン城近くのロマンティック街道終点の町フュッセンで「ルードヴィッヒ2世」というミュージカルを観劇しました。ルードヴィッヒ2世はノイシュバンシュタイン城を建てたバイエルン王です。その生涯を描いたお膝元でのミュージカル。このミュージカルのために建てられた劇場での上演だったと思います。 日本語の案内書もありました。ロマンティック街道のツアーとセットになっていたのでしょうね。当日のチケットが残っていました。案内書の下です。一番安い席だったようです。95マルク。約8000円。豪華絢爛な舞台で踊りや歌も見ごたえ、聞きごたえがあるミュージカルだったと記憶しています。写真:ミュージカルの日本語案内書の一部と当日のチケット その夜は、フュッセンの近くのホップフェン湖のほとりにある「Hotel Alpenblick」に宿をとりました。「Hotel Alpenblick」ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/02
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ノイシュバンシュタイン城からミュンヘン方向に20kmのところにヴィース巡礼教会があります。ノイシュバンシュタイン城はいつも日帰りで行っていたので、この教会に寄る時間はなく、多分、このとき初めて訪れたのではないかと思います。午後遅く訪れました。 ヴィースの巡礼教会は1745年から1754年にかけて建てられた教会で、内装のロココ装飾で有名です。 1738年、ある農家の夫人がシュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、6月14日このキリストの像が涙を流したといいます。この噂は「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになりました。 1740年には牧草地の小さな礼拝堂に移しましたが、巡礼者は増える一方となりました。そこで地元の修道院が先頭に立ち、一般からの浄財を募るなどして建設資金を捻出し、この教会が建造されました。 外観は牧場の中に建つ、非常に質素な教会ですが、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われており、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられています。 ロマンティック街道、ドイツ・アルペン街道の観光スポットの一つとなっています。1983年、ユネスコの世界遺産に登録された。 外観は質素な、でも品格のある教会です。 教会近くの観光売店。日本語のトイレ案内がありました。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/01
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ノイシュバンシュタイン城はオーストリア国境近くにあります。国境まで行ってみました。私が赴任した1995年頃は国境に検問所がありましたが2、3年でなくなりフリーパスで行き来できるようになりました。確かオーストリアの高速道路を走る場合は、ステッカーを買わないといけませんでしたが。「ここからオーストリアですよ。」反対側には「ここからドイツですよ。」ノイシュバンシュタイン城の遠景ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/31
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ノイシュバンシュタイン城の近くにあるホーエンシュバンガウ城です。中も見学したことはあるのですが、このときだったか、別の機会だったかは覚えていません。 1832年、マクシミリアン2世は12世紀に建設されたが廃墟になっていたシュヴァンシュタイン城を購入し改築しました。これがホーエンシュヴァンガウ城です。ルートヴィヒ2世は幼年時代をホーエンシュヴァンガウ城で過ごしました。 この城を含むシュヴァンガウという地名は直訳すると「白鳥の里」の意味であり、この地こそがリヒャルト・ワーグナーのオペラ『ローエングリン』で有名な白鳥伝説ゆかりの地でした。この城で幼少期を過ごしたルートヴィヒ2世が長じた後、このホーエンシュヴァンガウ城の近隣にノイシュヴァンシュタイン城を建築しました。ホーエンシュバンガウ城ノイシュバンシュタイン城からホーエンシュバンガウ城を眺める。右がシュバン湖、右がアルプ湖ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/30
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ノイシュバンシュタイン城の続きです。 お城にはシャトル、徒歩(30分くらい)の他、馬車でも行くことができました。遠くにノイシュバンシュタイン城が見えます。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/29
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2011年11月10日から11日にかけてのミュンヘン方面への旅行の続きです。 ノイシュバンシュタイン城の続きです。有名なマリエン橋から眺め横からの眺めドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/28
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2011年11月10日から11日にかけて1泊で、ドイツの最後の想い出旅行として、ノイシュバンシュタイン城、、ヘレンキムぜー湖、ミュンヘンを車で旅しました。1日目の夜にはミュージカル「ルードヴィッヒ2世」を観ました。 まずは1日目のノイシュバンシュタイン城です。 ノイ=New シュバン=スワン シュタイン=ストーン、すなわち「新白鳥城」。シュバンをシュバインと言ってしまうと「新豚城」になるので要注意です。 ロマンチック街道の最大のハイライトです。でもこのお城はそんなに古くありません。1869年建設開始です。建設を撮影した写真が残っているくらいです。バイエルン王ルートヴィヒ2世が自分の中世への憧れを具現化するロマンティックな城を造ろうとして造った城です。中に洞窟を作ったりして、狂気の城と言っても過言ではありません。カリフォルニアや香港のディズニーランドの眠れる森の美女の城のモデルの一つとしても知られます。 シュツットガルトから直線距離で180kmくらいの南南東の位置にあります。車で片道3時間くらいだったでしょうか。日帰りで行ける距離なので、日本からの出張者をよく連れていきました。家族とも2回くらいいったでしょうか。全部で10回くらいは行ったでしょうか。日本人が確か30人くらい集まると、日本語でのガイドもしてくれました。でもうまく日本の団体客と遭遇することは少なく、多くは英語のガイドで済ませていました。 この日は、ラッキーにも雪が降った直後の良い天気で、雪のノイシュバンシュタイン城に出会えました。お城の正面ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/27
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ドイツから帰任する2001年の暮れ、秋のビール祭(フォルクスフェスト)が開かれる広場にサーカスが来ていました。Welt Weihnachts (World Christmas) Circus Stuttgart と銘打ったサーカスでした。ドイツの最後の想い出にと一人で見にいきました。 かなり重症の風邪(多分インフルエンザ)にかかりながら見に行った記憶があります。シルクドソレイユのようなサーカスではなく、昔ながらのサーカスです。名前のとおり、世界中の演者が集まっていて見応えがありました。 プログラムが手元に残っていたので、それも含めてアップします。これを見直して気がついたのですが、ピョンヤン(北朝鮮)のグループも演技していたようです。当時から、こんなところで外貨稼ぎしていたのですね。プログラムの表紙フィナーレフィナーレ 東洋系の顔が見えます。中国雑技団?プログラム Natioanalcircus von (from) Pyongyang (ピョンヤン)とあります。北朝鮮からの外貨稼ぎ団でした。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/26
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私が家族といっしょに1995年から2000年まで在住したのはシュツットガルト。その街なかの写真の続きです。残念ながらデジタルカメラに残っている写真は多くはなく、これで最後です。 商店街風景。SPIEL・・・とあるのはおもちゃ屋さんです。おもちゃ屋さん そのおもちゃ屋さんの看板。ここで帰任前にメルクリンの鉄道模型を買いました。市役所ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/25
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私が家族といっしょに1995年から2000年まで在住したのはシュツットガルトという町です。日本人補習校もあったので、よく出かけました。日本では観光地としてはあまり有名ではありませんが、ドイツらしい趣きのある町でした。 人口は2006年時点で60万人くらい。バーデン・ヴュルテンベルク州の州都です。ベンツやポルシェの本社もあり工業都市でもあります。フランス・ストラスブールへ車で1時間半、ミュンヘンへ2時間、フランクフルトへ1時間半、スイス・チューリッヒへ2時間半とヨーロッパのへそともいえる絶好のロケーションに位置するので、よく車で国外旅行もでかけました。 緯度的にサハリンの旧日本・ロシアの国境(真ん中)程度の緯度にあり、夏至のころは朝4時ころから夜の10時ころまで明るく心地よい夏を思う存分楽しめました。夏の気温は30度を超えることは少なく、湿度は低く蒸し暑さを感じることもなく、エアコンは家庭にはありませんでした。逆に冬至のころは朝8時でも薄暗く、日没も午後4時頃と早かったです。私が経験した最低気温は-16度でした。 そんなシュツットガルト、絵になる風景はたくさんあるのですが、残念ながらデジタルカメラに残っている写真は多くありません。紹介していきます。教会(名前は不明です。)当時、一番洒落たショッピングセンタードイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/24
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ロマンチック街道の有名な町、ローテンブルクの続きです。 クリスマスの飾りで日本でも有名なケーテヴォールファールトの本店があります。これはその本店の前です。宣伝カーのようなものでしょうか。趣きのある看板です。人形などの置物屋さんのショーウィンドウのようです。くるみ割り人形も見えます。昔の衣装を来た人たちが集まっています。よく覚えていませんが、何かお祭りがあったのかもしれません。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/23
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ロマンチック街道の有名な町、ローテンブルクの続きです。聖ヤコブ教会の隣にある旧ギムナジウム。八角形の階段を持つ、ルネサンス建築。ヘルン通りのヘルン・ブルンネン建築主任の館。ローテンブルクの市民の家の中で最も美しいものの一つ。建物の中の中庭も見学すべきところ。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/22
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ロマンチック街道の有名な町、ローテンブルクの続きです。ジーバー塔レーダー門マルクト広場とヘルテリッヒスの泉ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/21
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ロマンチック街道の有名な町、ローテンブルクの続きです。聖ヤコブ教会 最盛期ゴシック建築聖ヤコブ教会内の祭壇 「十二使徒祭壇」聖ヤコブ教会内の聖血祭壇 中央は「最後の晩餐」の場面を表しています。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/20
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ローテンブルクは私の住んでいたシュツットガルトから北東へ約100kmの位置にあるロマンティック街道の町。日本からのツアーでも人気のある町です。家族で2度訪れたことがあると思うし、日本からの出張者もときどき連れていきました。市庁舎 市参事会酒宴場のマイスタートゥルンクのからくり時計町の遠景 城壁に囲まれています。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/19
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私の住んでいたシュツットガルトにあったダイムラー・ベンツ博物館の写真の続きです。 社の歴史のディスプレイの一部です。工場の立地の歴史だと思います。ダイムラーはベルリンのマリエンフェルデという場所に誕生しました。メルセデスはダイムラーの車の名前です。1899年当時、ダイムラー車のディーラーを経営していたオーストリア・ハンガリー帝国の領事、ユダヤ系ドイツ人エミール・イェリネックの娘の名前から採られました。ベンツとダイムラーが合弁し、ダイムラー・ベンツとなりました。 ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ
2015/05/18
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私の住んでいたシュツットガルトにあったダイムラー・ベンツ博物館の写真の続きです。昔のレーシングカー日本の天皇陛下用の車(だったと思います。) 展示の右後ろに日の丸が見えます。むき出しのパイプがなんともいえませんね。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ
2015/05/17
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私の住んでいたシュツットガルトにあったダイムラー・ベンツ博物館の写真の続きです。お馴染みのロゴマーク 運転席横のチェンジレバー(と思います)、ブレーキ、フロントの始動用バー、警笛、どれも絵になりますねぇ。初期のレーシングカードイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/16
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私の住んでいたシュツットガルトにあったダイムラー・ベンツ博物館の写真の続きです。 二人乗りクラシックカー。車輪の近くにチェーンが見えます。スポークは木製です。 手前の大きな車は、恐らく乗り合いバス。やはりチェーンと木製スポークです。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/15
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私の住んでいたシュツットガルトには、ダイムラー・ベンツの本社や工場がありました。 工場の敷地内に博物館があり、その歴史や昔の車を見学することができました。日本からの出張者をよく案内しました。今は、新しい建物に移っているようです。創業者たち。カール・ベンツ、ゴットリープ・ダイムラー、ヴィルヘルム・マイバッハ二輪車最初の自動車。確か、実演でエンジンをかけていました。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ【】
2015/05/14
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ドイツ単身赴任時代の2001年6月19日に訪問したネルトリンゲンの写真2日目です。 1427年から1505年に建造されたゴシック教会である聖ゲオルク教会の高さ90mのダニエルと呼ばれる教会塔と、そこからの眺望です。分かりにくいかもしれませんが、街が城壁に囲まれています。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/13
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写真とダイヤリーによるとドイツ単身赴任時代の2001年6月17日にネルトリンゲンという町に一人で旅行に行っているようです。そのときの写真です。 ネルトリンゲンはロマンチック街道の一都市で、私の住んでいたシュツットガルトから東へ約100kmのところにあります。周囲を城塞に囲まれた中世の都市です。 写真は、マルクト広場のパノラマです。市庁舎、ツア・ゾンネ(太陽亭)と呼ばれるゲストハウス、ブロート・タンツハウスなどの建物が見えます。 1870年から71年の独仏戦争を記念して造られた戦争の泉です。 アニメ 『進撃の巨人』の壁の都市のモデルになった町だそうです。私はこのアニメ視たことないですが。USJのアトラクションにもなっているようですね。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/12
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シュツットガルトのフリューリング・フェスト(春祭)の写真の続きです。 木のプレートに色んな言葉を彫って書いてくれます。壁飾りになります。我が家の玄関に今でも飾ってあります。 地元ビール会社の大きなテントがいくつか建ちます。中では、音楽を聞きながら、ビールやワインが楽しめます。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ
2015/05/11
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シュツットガルトのフリューリング・フェスト(春祭)の写真の続きです。 乗りもの以外のアトラクションとして、「くじ引き」がありました。陳列台にたくさん商品が並んでいて、「くじ」が当たればそれら商品がもらえます。だいぶ前の話なので、どんな方法の「くじ」だったか忘れました。大きな「ぬいぐるみ」もあって、当たっても荷物になるからでしょうか、私たち家族が歩いていると「これ当たったからあげるよ。」と大きな「ぬいぐるみ」を子供にくれたこともありました。風船屋さん。「ピカチュー」らしきものも見えます。「射的」です。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/10
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シュツットガルトのフリューリング・フェスト(春祭)の写真の続きです。 あとよくあったアトラクションは、小さなカートに乗って建物の中を回るアトラクションです。これはタイトルが「STAR WORLD」になっています。宇宙ものです。STAR WORLD これは JURASSIC PARK ならぬ JURA PARK 恐竜ものですね。JURA PARKGEISTAR TEMPEL あと同じ場所をクルクル回るアトラクションもありました。私は気分が悪くなるので苦手でしたが。MUSIC EXPRESSBREAK DANCEドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/09
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フリューリング・フェスト(春祭り)の写真の続きです。絶叫マシン以外にも色々アトラクションがありました。 ノスタルジックな回転ブランコと大観覧車。観覧者はゆっくり回るのでなく、早いスピードで回ります。最初、どうやってお客を乗せるのだろうと不思議でした。 一旦停めて、客を乗せ、少し回して、次の籠に客を乗せ、これを繰り返します。すべての籠に乗せ終わったところで、早いスピードで回します。また停めて、籠一つずつ客を下ろしながら、乗せていくという方法です。まさに、「所変われば・・・・」です。回転ブランコ 昔なつかしいメリーゴーランドです。メリーゴーランド 上に電気を送るネットがあり、そこに電車でいうパンタグラフが触れて電気が供給されます。互いにぶつけ合って楽しみます。少々危険です。ゴーカート ポニー乗りもありました。回りは馬糞の匂いが漂ってましたが、ドイツでは乗馬を公道でしていることもあるので、慣れっこでしょう。ポニーミニコースターウォータースライドドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/08
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ミュンヘンの秋のビール祭、オクトーバー・フェストは有名です。それと同じような秋のお祭りがシュツットガルトでもありました。フォルクス・フェストと言います。その春バージョンがフリューリング・フェストです。 これらお祭りの一番の驚きが、移動遊園地です。小さな遊具だけではありません。絶叫マシーンや大型観覧車など、大規模な移動遊園地です。これらを開催する巨大な空き地が町の中に確保されていて、そこで2週間くらい前から組み立てられます。確か2週間くらいの開催期間のあと、また解体され、「つわものどもが夢のあと」となります。このスケール感が、日本では体験できないところです。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/07
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ファッシングの写真の続きです。 パレードの呼びかけに観衆が「アーハー」と答えていたように記憶しています。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/06
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ファッシングの写真の続きです。 パレードには、大きなお面を被った魔女などが登場します。小さな子供を見つけては脅かしたりします。このへん日本の「なまはげ」とよく似ています。確か、お菓子を配ったりしていました。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/05
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ドイツでは2月頃、まだまだ寒い時期にファッシングというお祭りがありました。キリスト教の大事な儀式、イースター(キリストの復活記念祭)の前には、昔、厳しい断食期間がありました。中世では禁欲と辛い食事制限を乗り越えるために断食の前にお祭りを開催するのが習慣でした。これがファッシングの起源です。 今日では国民の間では宗教的な意味は薄くなってきていますが、今でもヨーロッパの数か国で盛大に祝われています。ドイツ内でファッシングで有名な町といえばケルンとマインツ。「バラの月曜日」には両方の町で大きなパレードが見られます。 私が住んでいたシュツットガルトの町やその近郊の町でもファッシングがありました。田舎町のファッシングのほうが、こじんまりとして何か風情があるので、ヴァルデアシュタットというシュツットガルト西郊の町に家族や会社の日本人仲間とよく見に行きました。 そのときの写真が残っていたので、何日かに分けてアップします。 パレードには、このような昔の衣装を来た音楽隊がいくつも来ていました。踊りだしたくなるような音楽で盛り上げてくれます。ヴァイルダシュタットの町の写真です。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/04
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ネッカー川クルーズの続きです。クルーズの途中には、水位調整のための水門があります。水門は二重になっています。手前の水門が開きます。 中に入ると手前の水門が閉まり、上流との落差を利用して水が入ってきます。水が上流と同じ水位になったら、奥の門を開けて、船が上流に進むという仕組みです。 途中、橋をいくつか横切ります。 このクルーズ船は、冬はやっていなかったと思います。確かシュツットガルトのヴィルヘルマ動物園の近くに乗船場があったと思います。ライン河下7のギンギンの観光地もいいですが、こんなのんびりした船旅もいいですよ。今でもあるかどうかは分かりません。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/03
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ネッカー川クルーズの続きです。 ボートを漕ぐ人たちに出会いました。 船の舳先です。手前に、ガス入り水(炭酸水 Wasser mit Gas)の大きな瓶が並んでいますドイツ人の飲み水は、炭酸水が中心でした。今はどうか知りませんが。なつかしいです。 木しか見えない川の風景です。のどかです。 ところどころに丘の上の町が見えます。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/02
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私がドイツで最初家族で住んでいた町はシュツットガルトです。確かサッカーの岡崎が最初所属していたチームのあるところですね。 シュツットガルトにはライン河の支流であるネッカー河が流れています。ライン河下りのように有名ではありませんが、クルーズ船が運航していました。 ライン河下りは何度も家族や日本からの出張者を連れていったことがありますが、このネッカー川クルーズはいつか行きたいと思いながら、結局、家族が日本へ帰ったあとの単身赴任時代になってしまいました。いつだったかは定かではありませんが、ワイン畑に葉がないので、2000年の秋ではないかと思います。 それでは、のんびりと・・・・ 私が乗った船 結構大きな船です。 途中でいくつかの港へ寄ります。もう一隻船とすれ違いました。 いかにもドイツ人というお婆さんとお孫さんでしょうか。 流れの静かな川です。水は澄んでいるわけではありません。 ワイン畑です。収穫が終わったあとだと思います。続きます。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/05/01
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会社のあった町、単身赴任時代に住んだ町でのクリスマス・ミニコンサートの様子の続きです。 私の住んでいた南ドイツの冬は、風はそれほど強くありませんが、気温が低く足元から冷えてきました。ドイツで経験した最低気温はマイナス16度でした。冬にドイツに行かれるときは、靴底の厚い暖かい靴がお薦めです。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/04/30
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昨日までリメイク版でしたが、今日から未公開の写真による「想い出綴り」です。 会社のあった町、単身赴任時代に住んだ町のクリスマス時期の夜のマルクト広場です。クリスマスのミニコンサートがありました。町の風景に溶け込んで、厳粛ながらも暖かい雰囲気に包まれます。 教会のミサに参加し、讃美歌も歌いました。「きよしこの夜」くらいしか歌えなかったので、聞きにいったというのが正直なところですが。忘れることのできない思い出です。ドイツ在住期間:1995年~2001年よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/04/29
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