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2019年12月15日
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カテゴリ: 家族
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 明るい疫病神!
これは私がこの家に嫁いで数年たった頃、
父(舅)が私に付けたあだ名です(;^ω^)

決して褒められてはいないですが、お騒がせながらも
どこか憎めないキャラクターとでもいう意味なんでしょうか??

先日の次女のお騒がせ行動があって、次女の事をブログで
「我が家のトラブルメーカー、でも憎めない存在」って書いたとき、
その元祖はもしや、私なのでは???と思い出したのです(@_@)

父は私には直接言いませんでしたが、母(姑)が、
「お父さんがママの事『あの子は明るい疫病神だ』って言ってたよ」と、
教えてくれた。
それは良い意味か、悪い意味なのかよく分かりませんでしたが、
母の顔が笑っていたので、あまり嫌な印象は受けなかった。
それと、母は人の悪口を言う人ではないので、いい意味に受け取ろうと思った。

実は私は主人の両親は好きだけど、父の事は怖い存在だった。

無口でお酒が入るとよくしゃべる、会社人間で管理職をしていて細かい、
一見温厚そうだけど怒らせるとめちゃくちゃ怖い、息子や嫁に媚びない、
自分のやり方を突き通す、九州男児で亭主関白、一家の大黒柱。

私は結婚当時から自己主張をしたり、自分らしく暮らしたり、生きていたいと
思うタイプなので、度々父と衝突することがあった。


その頃は古い家でまるっきりの同居だったので、自分のテリトリーが曖昧で

台所のテーブルの上の片付けが、父にとっては気に入らない出来事でよく母に
怒りをぶつけていた。あまりに気に入らないと私に直接、激怒された。


今となっては嫁の身分で偉そうだったなと思えるのですが、
その頃は、散らかっていたり、不便そうだったので気が付いてやってあげたのに
どうしてそんなに怒られるの??と疑問いっぱいで、とにかく怖かった。


それなのに、娘2人はおじいちゃんの事が大好きだった。
特に次女は家族の中でおじいちゃんに一番なついていた。

娘たちは、父の無口で怖い人だけど、その中身の武骨な優しさや
愛情をちゃんと感じていたのだ。


父も娘たちを大変可愛がってくれて、仕事から帰り夜晩酌をするとき、
必ず次女を膝に入れて、おかずやつまみを食べさせてくれた。
いつの間にか父の膝は次女の特等席になっていた。
平日休みの主人に代わって土日にはよく娘たちを遊びに連れていいてくれて、
長女はいつも「おじいちゃん今度はどこに連れてってくれるの?」と甘えていた。



私はそんな娘たちを見て、ようやく父は本当は優しく愛情深い人なんだと思えた。



父は私に「あんたは頑固で親の言うことを聞かない」とよく言う。
私はそんなつもりは全くなく、これでも嫁として気を遣って生活していると
思っていた。
この家に嫁いでから、料理の味付けも母に教わり父好みと主人好みに代えたし、
いろいろ怒られてからは玄関やトイレ、お風呂場、台所などの共有スペースは
勝手に触ったり変えたり、子どものおもちゃなど私たちの物は置かないように
気を付けていた。
子ども達にも「ここはおじいちゃんたちと一緒に使う場所だから片付けようね」
と言い聞かせて育てた。


それでも父にとって私は、今まで静かで平穏に暮らしていた家庭に、私という
長男の嫁が突然入り込んできて、わーーっと嵐を巻き起こすトラブルメーカー
であり、明るい疫病神だったのである。
しかし、家族はこんな厄介な存在を抱えながら、雨降って地固まるかのように
ケンカをしたり、仲直りを繰り返しながら絆を深めていったのです。


私は今までに一度だけ父の言うことを聞かなくて
良かったと思っていることがある。

それは、19年前ガンを患いながら次女を出産したこと。
主人も父も母もみんな私の体を心配して反対していたが、
それでも私は決して、言うことを聞かなかった。

だけど、今ならわかる。
本当は家族もこれで良かったと思ってくれていたのだと。





さえりんが突然交通事故で命を落としてしまった今、
もし、次女がいなかったら、我が家にはもう未来も夢も希望も消え失せ、
私と母は間違いなく精神病で廃人になっていただろう。
父と主人だって病気になったり気がおかしくなってしまったであろう。


だから、今や次女が我が家の、2代目「明るい疫病神」

厄介で面倒なことばかり引き起こすが、一家に一人なくてはならない
貴重で大事な、愛すべき存在。


もしかして、父も昔、私の事をそんな風に思っていてくれたのかなって、
今ならそう感じられる。




父は、さえりんのお骨を早くお墓に入れることを望んでいる。
父の考えでは亡くなったのはとても悔しく悲しく辛いことだけど、
いつまでもお骨を抱えて苦しむより、ご先祖のお墓に入れてやる方が
​さえりんのためにも良いことだと思っているみたい。

だけど、私は「嫌です。さえりんはまだお墓に入れません!!」と
はっきり断った。
父は「じゃあもうあんたの気が済むように好きにしろ。俺は知らん!!」と
ちょっと怒り気味に言った。

私は、次女の時以来2度目にきっぱり父に逆らった。

でもいつか、父ならそう言いながら、私の気持ちも汲んでくれて
これで良かったと言ってくれる日がきっと来るだろうと思った。



さえりんに突然起こってしまった不幸は、家族にとって耐えがたい衝撃となり
家族はそれぞれ死ぬほどもがき苦しんだ。

父だって私には出さなくても、そうだったに違いない。
この上なく愛して、大事に可愛がり育てた初の孫娘だったから・・・

苦しいのは私だけじゃない、主人だって、両親だって、
次女だって、義弟だってみんな同じである。



だからこそ、今、この家族がいてくれたことに心から感謝して、
怖かった父の存在の心の奥の優しさが、
少しずつ感じられるようになれたことに感謝して、
これからもこの家族と共に、さえりんを想いながら、
みんなで生きて行こうと思う!!




21年前の12月 生後5か月のさえりん)












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最終更新日  2019年12月15日 07時14分14秒
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