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パートナーが亡くなった次の月、私は労災に関する相談機関に出向いて行きました。そしてそこで相談員の方に月1くらいで面談をしてほそぼそと資料作りをしていましたが、その相談員の方から、過労死の遺族で作っている自助会があるから覗いてみればどうか、と勧められ、それがきっかけで、遺族同士の交流の場を持つことができました。過労死というのは、突然の出来事のために、家族を亡くすという心の準備がないままある日突然取り残されたというショックが強く残ります。さらに、そこに自責の念が加わるので、心の内を整理することが難しく、また自分の両親や子供でも気持ちをわかってもらえることが少ないのです。そんな状況で同じ体験を持つ過労死の遺族の方たちとの交流は、ずいぶん私の心を癒してくれました。労災の申請についてもいろいろ教えてもらったり、励ましてももらえました。そうやって少しずつ仲間同士の連帯感の中で、心が癒されていったのだと思います。そのうちその自助会の中で、交流の場が東京だけでなく、訪れる場所がだんだんと広がり、メールや電話をする人たちも増えていきました。こうなってくると、本来の活動的な私がじっとしておられなくなりました。遺族の集まりだけではなく、過労死を社会問題として勉強しようと、過労死関係の研究集会に出てみたり、講習会に出てみたり、ふっと気がつくと、大阪、京都そして岡山まで足を延ばしていました。考えてみたら、こんなに活動的でしかも大勢の人に会っている自分は、パートナーと暮らしていたときには考えられないことでした。パートナーがいなくなって、独りになったために、きっと本来の活動的な自分が出てきたのでしょうが、これは自分でも気づいてびっくりしました。私はある人に「とてもたくましくなった。労災の申請で苦労したからかしら」と言われましたが、実はそうではなくて、きっと私はもともとかなりアクティブな人間で、たまたま今までの生活がそれを発揮する機会がなかっただけだと思います。悲しみや、ショック、あるいは心の病から立ち直るには、まず自分の性格を知ることが大事なように思えます。この自分の性格というのは、自分の思考のくせ(楽観的or悲観的)、情緒面(内向的or外交的)、自分の嗜好(好きなもの、趣味や食べ物、人間関係も含めて)が含まれます。これらを少じっくり観察すれば、自分がどういう人間か、おぼろげながらわかってきて、ではこのタイプの人間はこの生活の場面で今後どうしたらいいだろう、という問いのヒントになるのではないでしょうか。そしてもう少し掘り下げて、ペットたちに話しかけるように、「どうしたの」「何がしてほしいの」と自分自身に話しかけて見たらどうでしょう?そこには以外な答えが待っている可能性がありますよ。そしてその以外な答えこそが、本来の自分が求めているものだったりするのです。
January 31, 2005
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今日はスポーツクラブの仲間2人と飲み会でした。このお二人は、60代の男性と30代の女性。パートナーがいたときはわれら夫婦が中間の世代として4人で、我が家で飲んだり、外で飲んだりしてました。女性は未婚なのですが、考えてみたら面白い組み合わせです。私達の共通点といえば、水泳です。たまたま同じスイミング・スクールで一緒だったのが30代の女性、・・でその女性と体験ダイビングで一緒だったのが60代の男性とういわけでもうかれこれ4年以上のつきあいになります。その60代の男性が最近、というより昨年の30日にもらわれ事故で大変だったとうことです。何でも相手は22歳の女性でおしゃべりに夢中で信号を思い切り無視して、青信号で直進していた彼と衝突、お互いの車は大破、彼いわくあと2秒遅かったら命はなかったといいます。彼は奇跡的に打ち身ですみましたが、きっとそれは日ごろから鍛えていたせいでしょう。同じ年代のフツーの男性だったら、今頃骨の2,3本は折れていたはずです。それにしてもこの話を聞くと、人生っていつ何時何が起きてもおかしくない、と思います。私達って、今の健康な状態をごく普通の、当たり前の状態として受け入れていますが、考えてみたら痛みがない、身体に不調を感じない、というこのことが一番幸せなのですよね。あらためてこの健康な自分に感謝して、もっと励まなきゃと思いました。そしてたくさん焼酎を飲んで参りました。
January 30, 2005
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我が家のビーグル犬(ベリイ)は月二回ペット・シッターさんのお世話になっています。2年前家族でトルコに出かけたときに、ペットショップのケージに入れるのがあまりにも忍びなくて、訪問シッターさんに頼んだのですが、そのご縁で月たった2回ですが、シッティングをお願いしています。そのシッターさんの愛犬が1月に危篤状態とのことで、とにかく納得ゆくまで看病をしたいからとりあえずの仕事を一切キャンセルさせてください、というメールが来ていました。そして1週間ほど前、残念ながら10年の生涯を閉じました、とのお知らせが来ました。そのときなんと慰めの言葉を書いたらいいものか、と考えたとき、私が持っていた2冊の本を思い出しました。「犬と話ができる」 小原田 康久「ペットたちは死後も生きている」 ハロルド・シャープこの「犬と話ができる」の本では、動物たちと対話をしながら治療(カウンセリング)をするユニークな獣医さんが紹介されていますが、その獣医さんのところで息をひきとったわんちゃんの言葉(メセージ)が紹介されていました。シッターさんにはそのメッセージごとお伝えして、多分10歳で旅立ったわんちゃんも同じことを言いたかったのでしょうとメールしました。そのわんちゃんのメッセージは・・・「僕は苦しんでなんかいない。とても幸せだった。最後にお礼を言いたい。ありがとうと言いたいんだ」というものでした。最後の言葉が「ありがとう」とは、なんて素敵でしょう。まるで人間と一緒、いやむしろこんなに穏やかに感謝しながら死んでいく人は少ないのかもしれません・・・シッターさんにメールを返してから久しぶりに頁をめくって読み返しましたが、その中で、動物と対話する方法という項目にちょっと気になる内容を再発見しました。動物と対話するといっても、相手は言葉を発しませんから、こちらが耳を澄ましてどこからかわんちゃや猫ちゃんのしゃべる声が聞こえると言うことはありえません。この本によれば、まず相手(わんちゃんや猫ちゃん)に、「どうしたいの?」「何がしてほしいの?」という気持ちを持って接します。動物との対話はこの2つの質問が基本だそうです。そして、わんちゃんや猫ちゃんの「感じ」-いい感じ、悪い感じ、意地が悪そう、まじめそう、つらそう、悲しそう、楽しそう、元気いっぱい-といった「感じ」をしっかり観察します。ただ、この「感じ」というのはあまりにも漠然としているためにそれに色をつける作業を次に行います。たとえば温かい感じには、温かい色、赤とかオレンジ、黄色といった暖色系、病的な感じには「青白い」色、元気いっぱいなら赤、うきうきしているときは「ばら色の人生」だからピンク、とか、落ち込んでいる感じは、「ブルーな気持ち」だから青とかです。そしてそれを実際に色鉛筆で書いていきながら、相手のわんちゃんや猫ちゃんの気持ちを色でキャッチしていくのです。その作業を続けていきながら、次第に相手の「感じ」を受け入れながら対話していくのです。私は実際にここまではまだやっていませんが、この「色をつける」という方法は、ひょっとして自分達にも使えるのではないか、とふっと思いました。たとえば自分でどうしようもなく不安なとき、なんとなくいやなことがおきそうな予感があるとき、何もしたくないとき、といった、とにかく自分の気持ちを表現しがたい感情や思いにとらわれるときがありますよね。そういうとき、私の今の気持ちは何色かしら、とちょっと考えてみたらどうでしょう。そしてその色を実際に思い浮かべてみたら、なんとなくもやもやしたものが、すっきりしてくるのではないでしょうか。これは多分人間で言えば、「オーラ」という「気」を読むことを意味しているのでしょう。オーラ・リーディングができる特殊な能力を持った人を除いては、私を含む普通の人たちには、オーラなんて見ることはできない、と今まで思っていましたが、ひょっとしてこの「色づけ」の訓練をしていれば私にもオーラを感じたり、見たりできるかも、などと思い巡らしてしまいました。ま、それはともかくとして、自分の気持ちを色であらわして書いてみる、絵日記みたいなものを作っても面白いですね。今の皆さんは何色なのでしょう?そういえば、私が洋服を選ぶとき、この色がキーになっていたことを今思い出しました。思い起こせば、パートナーが亡くなってから会社に初めて着ていった洋服は黒のパンツスーツだった、それから1週間は確か紺かグレーのモノトーンのスーツだけだった・・そして段々と赤、オレンジになっていったっけ。そして今選んでいる色はといえば・・・これは内緒です。ふっふっふ。
January 29, 2005
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今回は数年前から一気に現在にさかのぼってのお話。今私が結構気に入っている本のご紹介です。タイトルだけ見ると何だ、若い子が見るような・・・と思われるでしょうが、あなどってはいけません。この中にあるテーマはとても深遠です。「運の流れにのるたった一つの方法」(彼女にはなぜ、イイコトばかり起こるの!?)「捨てることからはじめよう」 中野祐弓(元世界銀行人事カウンセラー)「きっと良くなる」本田 健少し前の私でしたらこういうタイトルの本は買いませんでしたが、中野さんの場合は、その前職に惹かれたとうことと、そのサブタイトルがちょっと刺激的だったからです。捨てるというのは結局自分の身の回りをシンプルにすることで、感受性を高めるための第一ステップで、ほんとうの自分を常に意識するために大事だそうです。本当の自分というのは、私流に解釈すると、自分の心の声ということですが、嫌なものに囲まれていると、いつのまにか自分が本当に好きなものが見えなくなってしまう、だから嫌なものは捨てなさい、というメッセージです。そしてあくまでも自分がやりたいことをやりましょうと勧めます。この流れは次の「きっとよくなる」にも続きます。この本は正直あまりにもいろいろなことがてんこ盛りで、真面目に読むとかえって疲れます。私はこの本の見出しを見て購入しました。この本はマーフィ名言集のように、見出しごとに区切って少しずつ読むのが正しい読み方のようです。例を挙げると、試練はご褒美をもってやってくる準備ばかりの人生をやめよう「静かなワクワク」を追いかける勝ち負けの世界から脱出する他人の意見に傷つかない エトセトラ、エトセトラこれらは、いわゆる右脳を刺激するタイプのものですつまり、自分の気持ちを直感的に意識するアプローチをとります。一見すると若い女性や学生向けで、論理を展開して分析するという手法とは全く無縁の世界の話ですが、今の私にはなぜかこういった類のものがぴったりきます。勿論、大前研一の「考える技術」もちゃんと読んでますが。ちなみに、私のGrain of Truthというのは「一粒の真実」と言う意味です。この「真実」は実は自分自身であり、今パートナーの労災保険にかかる行政で労働局に訴えている労働の「真実」でもあったりするのですが、実際のところは[True Me」に近い感じです。最後になりましたが、自分で書いていて気がつきました。私はここで自分が「若い女の子ではない」と認めていました。それにお気づきでしょうが娘が書き込みをしております。ということで大体の年齢がばれたところで今日はおしまい。
January 28, 2005
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我が家には現在5歳になる雌のビーグル犬がいます。彼女は、パートナーが昔勤務していた会社の研究所の知り合いのブリーダーさんから我が家に来ました。確か3ヶ月ちょっとでとっても小さくて、ひょこひょこ歩く姿がまるでディズニーのバンビのようだったのを覚えています。彼女が来た当時はパートナーも健在で、室内で飼う初めての体験に(今までは外犬を2匹飼っていましたがいずれも病気で亡くなりました)、特に排泄のしつけには戸惑いました。それでも苦労のかいがあって、あっという間に家族の一員になりました。パートナーは仕事が忙しくなって、亡くなる半年ほど前から、仕事の疲れからとても機嫌が悪くなるときがありました。夫婦間も子供達との間も会話がすれ違い、喧嘩になったり、あるいは全く言葉を交わさない、という状態がありましたが、そんなときでも、パートナーはこのビーグル犬にはいつも優しく、彼女の名前を呼んでなでていました。人間同士では腹がたつことはあっても、犬に対しては態度が全く違いました。これはきっと自分にいつも同じ気持ちで精一杯答えてくれる彼女が愛しかったのでしょう。そしてパートナーがいなくなった時に、彼女は私にとってとても大事な別の意味でのパートナーになりました。いつも呼べば飛んできて、なでるだけでいやされる、つまり彼女は私に無条件に寄り添ってくれる大事な存在なのです。最近医療や福祉関係で、セラピーとして犬が良く登場します。犬と人間は昔から特別な関係を築いてきましたが、ここに来て盲導犬を代表としてさまざまな役目を担うわんちゃんが増えてきました。我が家のビーグル犬はそこまで賢くもまた忍耐強くもありませんが、少なくとも私にとっては最高のセラビー役を務めてくれています。遺族の仲間でもペットに癒されたというケースがたくさんあります。皆ペットの話をするときは、とても楽しそうに、そしてペットを限りなく愛していることが伝わります。パートナーが亡くなった当時、もし彼女がいなかったら、私はここまで早く立ち直ることができたか・・多分答えはノーです。彼女がいたから、気持ちが落ち着けたのだと思います。
January 26, 2005
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伴侶や家族の死別というのは、相当なストレスだそうで、伴侶をなくした女性の場合は平均寿命が10年近く短くなるという統計があるとか、またストレスから癌などの発症率も高くなるとか言われています。これは一つには、伴侶を亡くした場合の生活パターンが大きく変わることで、身体も心もついていけないという現象がおきるためだと思います。私の場合も、パートナーが亡くなってから1ヶ月くらいは、まともに食事を作ったという記憶がありません。別に食欲がないというわけではないのですが、かといって積極的にこれが食べたいというのでもなく、一言でいうと、食べることにあまり関心がいかなくなった、という状態でした。人によっては、食事がのどを通らないとか、何を食べても味がしない、と言う場合もあるでしょう。たいていこのようなときには、周りの人たちは、身体に悪いからちゃんと食べなさい、と言ってくれます。確かに食べなければ力もつきませんし、元気も出ません。しかし、よく考えてみたら、食べなければ死んでしまうとうわけでもないのですから、あまり「こうしなければならない」と無理強いをしないことです。全く食べられなくなって、点滴のお世話にならなければいけない場合は別ですが、多少の食欲の減退は、仕方がないと割り切って、むしろ身体をあまりいじめないようにすべきでしょう。人の身体は、伴侶の死別といった人生で滅多に起こらない事態に遭遇すると、ちゃんと危機反応をします。体がだるくなる、ずっと眠ってしまう、起きられない、気分が滅入る・・・これらは一見すると鬱病の症状ですが、身体は警告を発して、「今は休む時期だから、無理をしないで」と言っているのです。そしてこの時期にじっとすることでエネルギーを蓄えるように自らを促しているのです。ただこの身体の拒否反応があまり長く続くと、仕事や日常生活に悪影響が出てしまいます。その兼ね合いが微妙なのですが、私の場合は、葬儀から1ヶ月弱の時点で職場に復帰しなければならなくなったことで転換ができました。正直このまま会社を辞めてしまいたい、と思いましたが、ここであえて踏ん張ったのが結果的には早い癒しにつながりました。つまり、1.死別の直後は誰でもある一定程度の食欲の減退や疲れ、だるさを感じている、2.これは身体が自ら再生するため必要な時間だと考えて、無理に元気になろうとしない、3.この時期は自分の思うように生活する、じっと家にいたければそれでもいいし、逆に外出したくなったらそうすればよい、要は自分の居心地の言い過ごし方をする、というのがいいようです。無理をしない、自分のペースを守る、そして自分がどうしたいか、それに忠実に従う、これが大切だと思います。ただ厄介なのは最後の「自分がどうしたいか」を把握することなのですが。
January 25, 2005
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健全な身体に健全な魂が宿る・・と言いますが、突然あるいは覚悟であっても、愛する人との別れというのは大変なストレスです。心は傷つく、というより再生不能状態に陥っています。深い絶望感や喪失感、孤独感、そして自責の念といったマイナスの感情が心をいっぱいに満たしています。そんな状態から、いきなり「さあ、元気に笑って」というのは無理な話です。私の場合は、とにかく疲れをとりたかった、その一念で、まず癒し系の女性向けのマッサージに通いました。今考えると結構高額を払いましたが、大体高額のマッサージというのは、ホテルでいえば五つ星のスィートルームで一泊するようなものです。それでは何故そこまでしてというと、無条件にリラックスできること、これにつきます。それにいたれりつくせりのサービスに浸っていると、いつのまにか自分がセレブになったような時間を持つことができます。こうしているうちに、いつのまにか身体はすっかりほぐれて、気分が少し楽になるといった具合です。金額的には3時間ほどで2万円くらいですが、これで身体が癒されるならある意味安いのではないでしょうか。私の場合は、このお高いマッサージに1回、それからハワイアンロミという銀座にあるお店に数回通いました。ハワイアンロミも思いっきりリラックスできます。金額的には五つ星マッサージの半分以下でしたのでそんなに「こんなにお金を払って」という感じはありませんでした。でもさすがに数回どまりで、いつの間にか通常の金銭感覚がちゃんと戻ってきて、その頃には身体はしっかりと疲れがとれておりました。高級エステやマッセージに通わなくても、多分日常のレベルよりちょっとだけランクを上げた、あるいは目先や趣向を変えたやり方をすれば、身体は十分リラックスできると思います。人によっては、思い切り走る、泳ぐと言うのもいいかもしれません。ただ、死別という体験をすると、たいがいスポーツ系の身体の動きは、身体自体が拒絶してしまうかもしれません。私も実は水泳が大好きで週に2回は泳がないとリズムが狂うというほどでしたが、パートナーが他界してからほぼ半月から1ヶ月プールに足を運ぶことがどうしてもできませんでしたから。
January 24, 2005
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プロフィールにも書きましたが、私のパートナーは働きすぎが原因で脳出血を発症して他界しました。過労死です。今まで新聞などで、どこそこの労働基準監督署で過労死と認められ、労災認定がとれた、とか裁判でどこかの企業を相手どって勝利をした、と言う記事を見ていましたが、これがまさか自分のケースになるなどとは夢にも思いませんでした。生きている私達すべてがそうなのですが、少し仕事がオーバーワーク気味だ、とか疲れているな、と感じることはあっても、自分が死ぬとは誰も感じていないはずです。新聞の記事はあくまで他人事である、というのが本音です。ですが、私のパートナーも多分死ぬ直前まで、それを感じることがなかったと思いますし、その家族である私も、身体を壊すかもしれない、命を縮めて仕事をしていると感じても、死ぬということは一切考えませんでした。そう、「過労死」とは突然襲ってくるものなのです。ただ不思議なもので、パートナーの死という局面を迎えたときに、そういえばあんなに仕事をしていた、辛そうだった、あの時こうしていれば、もっとちゃんと健康管理をしていればもしかしたら死んでいなかったもしれない、という思いが走馬灯のように頭をよぎり、いわゆる「自責の念」にかられます。そしてそこから更に、孤独感といった喪失感がひたひたと訪れてきます。この喪失感は、まずは今まで側にいて生活していた人がいない、という当たり前のことから始まります。私の場合、仕事で帰宅がほとんど午前様だったパートナーですので、喪失感というのは、通常の時間帯はあまり強く感じませんでしたが、やはり何かあったときに相談する人がいない、という寂しさには辛いものがありました。それと私にとってショックだったのは、戸籍などの手続きをしたときに、世帯主として自分の名前を書き込んだ瞬間でした。私にはもうパートナーはいない、正真正銘私1人で生きていかなくてはならないということをはっきり思い知らされた瞬間でした。この間、私は自分の悲しみを癒すために、愛する人を亡くした人たちのための本を5冊購入し、ネットの「ほほえみネットワーク」(伴侶を亡くした人たちのためのサイト)の「悲しみから立ち直るための10か条」という電話のテープを聴きまくっていました。電話をしながらぼろぼろ泣きながらの日が続きました。でも今になって考えると、こうやって思い切り泣いたのが早く立ち直るきっかけになったのかと思います。とにかく、本でもテープでも、こういう状況は私だけではないはずだ、少しでもそう人たちがどうやって立ち直ったかを知りたい、そんな気持ちが多かったように思います。まず、できるだけ涙を流して感情を吐き出すこと、これが大事です。ちょっと辛い話になりましたが、明日以降はこれから立ち直るため私が試したいろいろな体験をご紹介していきます。
January 20, 2005
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血液型による性格判断は人間を数種類に無理やり区分するようで、あまり好きではありませんが、でも私の周りを見渡すと、やはり少しはあたっているところがあるようです。まだ統計を取ってはいないと思いますが、過労死なさった方の多くはA型が多いのではないかと推察しています。過労死された方のほとんどは、責任感が強く真面目で、人から頼まれると頑張ってやってしまう、人との協調性を大事にするので、嫌な役回りも進んで引き受けてしまう、結果として自分の仕事が増える、そしてそれがストレスになって、身体あるいは精神に出てしまうのです。性格的にいうと、A型の人が多分一番その状況に陥りがちではないかと思います。現に私のパートナーはA型でした。そして私はというと、今嫌われ者のB型人間です。いわゆるマイペース、あまり人のいうことを気にしない性格といわれるB型ですが、仕事に関しても多分人からの評価というよりも、自分が好きな仕事はとことんやるけれど、ある意味割り切って仕事がでいるというドライな面もあり、ストレスをもともとためにくい性格のようです。一応フルタイムで働いている私ですが、誠実に自分の納得いく仕事をするように心がける以外は、特に昇進しようとか、給料をあげてもらうため上司にごまをすろう、という大それたことを考えたこともありませんし、そんなことをしたら自分に正直になくなる、だから給料分働けばそれでよい、と勝手に納得しています。こういう人間は恐らく過労死とは無縁だと思います。ただ、強制的にそのような状況下に置かれてしまえば別かもしれませんが。血液型はともかくとして、自分の性格を知るということは仕事のうえでも大事です。仕事に関して完璧主義の人、人から頼まれると嫌と言えない人、周りとの強調こそが大事と考える人、人に仕事を振ったり、頼むくらいなら自分でやった方がいいと考える人、こういう方は、過労死予備軍としての待機グループに入っています。ご用心を。うっかりすると、やりきれない量の仕事を抱え込んでしまい、やってもやっても終わらない状況にならないためにも、自分の性格が予備軍グループにある方は、ある一定のレベルを決めたら、きっぱり「ノー」と言う練習をしましょう。自分の健康や命を引き換えにしなければならない仕事というのは、この世には存在しません。人は生きてこその人生ですから・・こういうことを平気で言えるから私はきっとB型なのでしょう。でもこういう風に考えると、結構楽に生きていけます。仕事にしても、いろいろな人生に出会うことにしても、それだけを考えていたら、つぶされてしまいます。私はいつも「こんなこともあるけど、ま、いいか」と考えるようにしています。
January 19, 2005
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はじめまして。パートナーが他界して今度の4月で3年になります。忘れもしない4月15日、職場にパートナーの上司から突然電話が入りました。それは海外出張に行っていたパートナーがホテルで亡くなったことを告げるものでした。この電話から私の人生はそれは大きな大きな変換を迎えることになりました。亡くなったのは生前何度も出張で訪れたトルコのイスタンブールでした。とにかく早く会いに行かなくては、と12時間かけて降り立った異国の地・・・パートナーから何度となく聞かされてはいたものの実際に訪れるのは始めての土地でした。パートナーとの別れ、そして異国での遺体引取りまでの手続き、それらはあまりにも衝撃的な体験でしたが、ある意味で、自宅であるいは病院で看取ったよりもひとつの節目として意識的に捉えることができたのかもしれません。とてもつらい経験ではありましたが、パートナーがこの世の人ではない、ということははっきり認識することができたのです。・・・と書いていくとたぶん数日いや1週間はゆうにかかってしまいそうですのでこの辺でとめましょう。私のこれからのストーリーは別のコラムにこつこつと書いていくことにいたします。パートナーは仕事が原因で脳出血を発症して他界しました。その後ほぼ2年半にわたって過重な業務による発症(過労死)を訴えて、行政に救済措置を求め、過労死遺族として自分なりに活動もしてきましたが、そんな中で、自分の人生観や考え方が大きく変わり、より積極的に、より前に向かって歩こうとしている自分に気がつきました。心はかなりダメージを受けていたのですが、「人生に起こることにはすべて意味がある」という考え方を受け入れることにより、大きく変わることになりました。心が再生できたのです!そして、2005年の1月、私はこの自分の体験を通して、同じように死別あるいはいろいろな形での喪失を体験た方たちにお伝えしようと思い立ちました。私は過労死遺族の一人ですが、今まで人に挨拶するたびに「過労死遺族の××です」と言っている自分にはっと気がつき、それをやめることにしました。この言葉を語るたびに、私は「取り残された」、そしてその原因は「過労死」だ、ととっても限定的になるからです。世の中には長い闘病生活を経て、あるいは突然の事故、とにかくありとあらゆる理由で亡くなる方があり、その方たちを失った家族、友人がおられ、その喪失感は一緒だからです。それに私たちは「取り残された」のではなく、「たまたま早く別れた」というだけなのです。それなのに、なぜか自分が何か特別なような、そんな風に感じてしまうから。形は何であれ、最愛の方を失った方・・とにかく今悲しくてしょうがない、という方も時の経過とともに必ずその感じは癒えてきます。ただ、ちょっと考え方を変えるだけ、あるいは見方を変えるだけでずいぶん気分が違うということもあります。これから一緒に再生を体験しましょう!
January 18, 2005
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