BerryCafe

March 15, 2006
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カテゴリ: 最近考えること
HOW的な生き方を斬る、ということは、HOW的アプローチを否定することではありません。日常の仕事や長期的な計画の中で、あらかじめ段取りを決めてどのようにしたら最も効率よく行えるか、それに必要な時間や労力はいかほどか、などを予測していくことも、またHOW的なアプローチですから、これを頭から斬る、と言っているわけではありません。

私が今回HOW的な生き方と、WHY的な生き方を区別して考えてみよう、と思ったのは、最近自分の中で湧き上がってくる「自分とは何か」という問いから始まりました。

オギャーと生まれたときから、私は北海道の両親の愛情に恵まれ育ちました。3歳の頃から母が自分でやりたかった、というバイオリンを習い、勉強も母がしっかり見てくれたせいもあり、小学生のときは成績優秀でした。中学は道内でもかなり有名な中高一貫のミッションスクールに入学して、高校のときにはアメリカに1年間留学しました。実家は決して裕福ではありませんでしたが、お金に困っているわけでもなく、私は自分の進路に関してほとんど金銭的な面での制約はありませんでした。ただし、私が東京の大学に在学していたときは実家が経済的に行き詰ってしまい、学資しか仕送りしてくれなかったので、私はアパート代と生活費を稼ぐためにアルバイトをしましたが、それはそんなに苦労ではありませんでした。結構アルバイトも楽しかったのです。(若さゆえですね)

そんな私にとって、自分とは何か、という問いはいつの間にか素通りしてしまった感があります。高校のときに習った哲学でも、自分という存在はこの世界で唯一無二のもので、かけがえのない存在だ、という意識しかありませんでした。それは裏返せば、孤独感というものをあまり強烈に感じなかったせいかもしれません。それに自分が何かしたい、と思ってそれに向かって努力したことが、比較的スムーズに実現していった、ということもありました。バイオリンは確かに練習はとてもきつくて、楽しいとはいえませんでしたが、私の弾くバイオリンの音色はかなり良かったらしく、バイオリン教室でも結構優秀な生徒でした。もともと耳がよく、音感があったようです。発表会などで人前で演奏することも楽しかったし、中学になって入ったオーケストラ部でオーケストラの一員として演奏することもそれなりに好きでした。ただ、音楽を一生の職業として選択するには、実家の資力は十分ではなく、私自身も音楽家になる、という道は頭にありませんでした。

なんだか自分の話しになっていますが(笑)、こうやって振り返ると、私はかなり恵まれた少女時代を過ごしています。生きるということも、いかにして自分がこの社会で自分の実力を試して、いろいろな経験をしたい、という希望と期待に満ちた感覚で受け止めていました。そしてそれは大学に入ってからもそうでした。

大学に入り確か2年目の夏に、私はカーネギーの「道は開ける」という本を手にします。それが私にとって、HOW的な生き方に目覚めるきっかけになったのです。このブログでもこの本に関しては数回書いています。簡単に言えば、この本はカーネギーという一代で財をなし成功した、実業家が、その軌跡を紹介しながら、自分の能力を最大限に生かして社会で成功し、世の中に貢献していくための、具体的な指針を教えたものです。この本はハウツーものの分野では、かなり著名な本で今でも多くの人が読んでいます。ちょっと御幣があるかもしれませんが、私の中での区分で言えばこの流れを組んでいるのが、ナポレオンヒルとかマーフィーといった人たちなのです。彼らに共通しているのは、願い、思いというのは自分の潜在意識から生じるものであって、それは必ず実現する、というものです。ただ、人によっては、この願い、思いに気がつかない場合もあり、これを使命感(ミッション)とリンクさせると、それは生きがい論にも発展していきます。今生きがい、とか人生の価値を豊かにしよう、というテーマで出されている本も、その根本は、「思いは実現する」ということなのです。

私はこの「思いは実現する」ということを指針にして、人生の半ば以上を過ごしてきました。ですから、この「思い」の主体である自分自身について、我とは何ぞや、とか、私の意識って何だろう、と思うことは少なかったのです。ですが、たまに自分が死んだらどうなる、ということを考えるときもありました。そのとき私が思っていたことは、物理で習った「エネルギー不変の法則」を勝手に解釈して(爆)、自分はきっと何かのエネルギーが具体化した存在で、自分は死ぬことでそのエネルギーに戻っていく、つまり自分の意識は無と化すのだろう、だからこそ、この世で生きている間に自分の思いを実現させていくこと、自分の人生を充実させていくこと、簡単に言えば、精一杯生きることが大切なのだ、と思っていたのでした。ある意味唯物論的な考え方に近かったのでしょう。でもこの世ではうまくいかないことも多いのです。そういうときは、やはりどこかに偉大な存在(神とか宇宙)があって、この自然の世界の法則がなりたっているのだろう、とテキトーに考えていました。

ああ、なんとアバウトだったんだろう(滝汗)。





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最終更新日  March 15, 2006 12:00:58 PM
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