BerryCafe

March 20, 2006
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カテゴリ: 最近考えること
HOW的生き方を斬る、と題したテーマも3回目になりました。

今日もりけんドットコム(森田健さんのHP)からメルマガが久しぶりの届きました。その中で、私がドキッとした言葉がありました。それが「人の出した問の答えを聞く」という言葉でした。

HOW的生き方の定義として、いかに生きるかということに特化した生き方だ、と前に書きましたが、それでは何となく優等生的な書き方です。むしろ、HOW的生き方の根本は、と問われれば、他人が出した問いに対する答えを聞く事、かも知れないと気づきました。

たとえばカーネギーの「道は開ける」であれば、それはカーネギーが自分に出した問い、「如何にしてお金をもうけながら社会に貢献できるか」に対するカーネギー自身の答えが、彼の生き方そのものになっていたのだと思います。そしてその生き方を「道は開ける」という本の中で私たちが知ることになるのです。それはナポレオンヒル、マーフィにしてもそうです。あるいはこのブログで私が書いていることもそうかもしれません。それは書き手の持っている問いに対する書き手自身の答えなのです。

他人の問いに対する他人の答えとはいえ、それがある程度の普遍性を持っているものならば、万国共通に時代を超えて受け入れられていきます。宗教などはその最たるものかもしれません。しかし、他人の問いがどんなに普遍性を持った考えであっても、ひとたびそれが答えになってしまうと、なぜか私は物足りなくなってしまいます。推理小説を読んでいるときなどは、早く結末を知りたくてうずうずするのですが、ひとたび結末を知ってしまうと、なーんだ、と一気に興ざめしてしまいます。人間って本当に強欲だと思います(爆)。

たぶん私たちはもともと、好奇心が強いのだと思います。問いを持って、それに対して探求していくことに面白さや充実感、わくわく感を持っているのですが、そこは人間、少しでもその先を知りたいと思うからでしょうか、結論を急ぎたくなってしまいます。他人の問いが、たまたま自分の関心を惹いた場合、その問いに対して他人が試行錯誤の末に出した答えは、知りたいと思います(笑)。特にそれが時間と労力をかけたものほど、その答えの価値は高くなります。しかし、それはしょせん他人の問いに対する他人が出した答えです。自分の問いに対して自分自身が考えて出した答えではありません。例えは悪いかもしれませんが、このお店のこの料理は絶品だ、と書かれた料理についてその味は食感を想像することはできても、実際に味わうことができないように、あるいは、人の恋愛体験をいくら聞かされても、自分が実際に恋愛を体験しなければわからないように、体験という事を抜きにしては、理解は難しいような気がしています。

他人の出した問いの答えをもっともらしく、読んでそのときは納得しても、真の理解は難しいと思います。まずは、自分がオリジナルの問いを発してみる、そして、自分自身で問いの答えを見つける、その姿勢がまずは必要なのかと思いました。





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最終更新日  March 21, 2006 12:19:27 AM
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