ぷーたろ本舗

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2005年03月25日
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カテゴリ: 旅・ぐるめ
皆さん、こんにちわ☆
いよいよ、本日、愛知万博 『愛・地球博』 が開幕いたしました~!

10年前は、万博会場となる長久手地区の森が切り開かれる事で、希少生物の危機などが囁かれてきたこともあり、ちょっと複雑な気持もしましたが、出来るだけ森を残し、環境に配慮する方向で決着したようですね・・・。
せっかくですから、私も一度は行って来ようと思っておりますが、果たして、どのくらい混雑するのか・・・もう少し様子を伺ってから行くつもりです。
万博レポートは、もう少々、お待ちくださいませ。

他にも、今年は、セントレアの開港などで注目される愛知ですが、そんな愛知の強さの秘密は、戦国時代の三大武将(織田信長・豊富秀吉・徳川家康)の時代に隠されているような気がするのです・・・。

そのヒミツを探るべく、今回は、家康の生まれ故郷である岡崎に乗り込んでいくぞ~!お~!!
(っと、いきなり戦国モードに入ってきたぞ・・・)

家康の本陣に乗り込む前に・・・まずは腹が減っては戦が出来ぬ!
戦に勝つために、「名古屋名物、みそかつ」を食べに行くとするか。

名古屋名物みそかつ

な、なんじゃ、このまろやかなソースは!誠に、び・・・美味じゃ!!
これが、話に聞く、八丁味噌を使ったというみそかつか・・・!
もしかすると、家康の強さの秘密は、この赤味噌にあるのかもしれん!
それならば、この愛知独特の赤味噌「八丁味噌」工場を探ることにするのじゃ。

八丁味噌というブランドは、実は、この
岡崎市の八帖町 にある、 「まるや」 「カクキュー」 の2件のみの特許となっておるのじゃぞ。
八丁というのは、岡崎城から数えて八丁目にあたる場所という意味じゃ。
この2件以外で、八丁味噌を名乗っているメーカーがあったとしたら、それは、ばったもんじゃ!
おぬしらも、気をつけなされ・・・。

むかしの味噌作り
(こちらは、カクキューさんの資料館にあった、むかしの味噌つくりの様子じゃ!)

まずは、創業660年の歴史を持つという八丁味噌の元祖「まるや」さんに殴り込みじゃ!

「は~い!いらっしゃいませ~!」
工場見学の予約は入れていないが、「まるや」さん・・・親切じゃないか!
マンツーマンで工場の説明をして下さっただけでなく、味噌のお土産と、田楽の試食まで頂いてしまったよ・・・。(ちょっと弱気)

八丁味噌は、大豆100%の豆味噌じゃ!
豆を煮るのではなく、蒸しておくことで、黒っぽい独特の色合いが出るのだそうじゃ。
豆と塩以外、添加物は一切使用しておらず、色の濃さとは対照的に、塩分は以外にも低いのだそうじゃ。
そうか・・・豆の豊富な栄養が、家康軍の強さの秘密じゃったのか!!

だが、八丁味噌だけでは、どうしても、味に酸味を感じてしまうらしく、今では、信州味噌とブレンドしてまろやかさを出しているらしいぞよ。
そういえば、大河ドラマの『利家とまつ』で、唐沢寿明演じる前田利家が、妻のまつに向かって
「麦味噌よりも豆味噌の味噌汁が飲みたい。」と申した時、松嶋奈々子演じる「まつ」が、
「男なら、文句言わずに、出された物何でも食わんかい!」と言う様なことを言ってたなあ~。
その頃の豆味噌とは、ち~っと違うのかも知れんな~。

日吉丸の井戸

この井戸は、その昔・・・豊富秀吉がまだ日吉丸と名乗っていた頃、この「まるや」さんの味噌蔵に忍び込んで、味噌を舐めていたのを蜂須賀小六に見つかって、逃げ回っていた時、この井戸に水を投げ込んで、井戸に飛び込んだように見せかけるという細工をした場所だったそうじゃ・・・子供の頃から悪知恵が働いていたのじゃの~。
まあ、そのくらい歴史のある店だっていうこっちゃ!

さて、味噌のヒミツも分かったことだし、次はいよいよ、家康の本陣!「岡崎城」に乗り込むとするか!
と・・・思ったら、まるやさん・・・
「車なら、ここに置いて、歩いてお城まで行ってきなよ!」と言ってくださった。
う~ん・・・岡崎市民、あなどれん!どこまでも親切すぎる・・・。

岡崎城

お~!!岡崎城じゃ!!5万石の城にしては、大きくて立派じゃの~!

岡崎城は、1452年ごろの室町末期、三河の守護代・西郷弾正によって築城された城だと言われているのじゃ。
やがて、西郷氏に婿入りした松平氏の勢力が大きくなると、歴代松平氏の中でも特に傑出した清康は急激に勢いをつけ、西郷氏に代わり、岡崎に入城することになる。以後、松平氏の本拠となったとのことじゃ。
しかし、清康が尾張守山で殺されると急激に勢力が弱まり、織田氏と今川氏に挟まれ苦難の時期が来た。そんな中、1542年、岡崎城で、竹千代(徳川家康)は誕生したのじゃ。

家康の産湯
(家康が生まれた時、浸かったという産湯の跡じゃ!)

つまり、竹千代こと徳川家康は、松平家の出身で、その9代目にあたるのじゃな・・・。

しかし、可哀想なことに・・・竹千代が6歳になった時、織田信秀の下で2年間、その後、今川義元の人質として約12年間も駿府(静岡)で過ごす事になったのじゃそうな・・・。
その今川氏の下で、十四歳の時(1555年)、竹千代は元服して、今川義元の元の字を賜り「松平元信」と名乗るようになったのじゃ。その時の、家康の気持はどんなものだったのだろうな~。
しかし、その後、元信から元康へと名前を変更している・・・。
恐らく、武将として高名だった祖父・松平清康にあやかったのだろうなあ。

その後、1560年、桶狭間の合戦で今川義元が亡くなると、元康は、人質からも開放され、岡崎城に戻ることになる。
そして、元康は、今川氏から独立したことを示すものとして、名前を松平家康と改名し、ここから家康の独自の活躍が始まるのことになるのじゃな。

岡崎城 三河武士の館
(二の丸跡に建てられた、三河武士の館・・・ここに来れば、複雑な戦国時代のことが一目瞭然じゃ!)


でも・・・松平家康・・・って?
じゃあ、「いつから、徳川家康になったの?」って思うじゃろ?
それは、1566年、家康が24歳の時、三河の一向一揆をおさえた家康は正親町(おおぎまち)天皇から許可を頂いて三河守の任官を受けたんじゃけど、その時に、三河一国を支配下に治めた事を明確にする目的で、「徳川」という姓に変えたと言われているのじゃな・・・。

その後の家康の活躍は、1575年の、武田軍との「長篠の戦い」や、
豊臣軍と戦った、1583年の「長久手の戦い」(万博の会場付近じゃな!)
日本諸国の武将が、東軍(徳川・加賀の前田など)と西軍に分かれて戦った「関が原の戦い」などでもお分かりのことじゃろう。

この時、負けた西軍にいた、現・山口県の毛利氏、鹿児島県の島津氏は、外様大名として、その後、不遇な扱いを受けていた訳なのじゃが、それが幕末の戦いで逆転し、明治政府の要人となるのだから・・・歴史は面白いわけじゃ!


そんなことで、天下の大将軍となった家康の聖地として、岡崎城は、その後も幕府から手厚い庇護を受け、岡崎の町も、独自の産業をいくつも生み出す豊かな文化都市となっていったということじゃ。

さて!この辺で、引き上げるとするか!・・・と、八丁味噌のまるやさんにお礼のご挨拶・・・のつもりがあ~っ!!
ここの売店・・・美味しそうな地酒がいっぱい置いてあるじゃないの!!

ほうらいせん


愛知の銘酒
「ほうらいせん」 の誘惑に、ついふらふら~っと、酒呑みの私は3本も買ってしまったじゃないのよ!
くわ~っ!!またしてもやられた~!!
さすがは、家康の本拠地!わしの完敗じゃ!
一斉に引き上げるぞよ~!








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最終更新日  2005年03月26日 01時04分56秒
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