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2011.06.21
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セミナーの中では、YouTubeで話題になった映像も流れました。アップルコンピュータの創業者スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の卒業式でスピーチした時のものです。まだ見たことのない方のために簡単に説明します。スティーブ・ジョブズは、卒業する学生のために、3つのメッセージを送ります。一つは、「点を繋ぐ」彼は、わずか半年で大学を中退します。そこにいることに価値を見出せなかったからです。そして中退した身でありながら、自分の興味のある講義には潜り込みました。経済的にはタフな状況で不安もありましたが、友人の部屋に上がり込んだり、コーラの瓶を回収して日銭を稼いだりして、1年半以上もそういう生活を続けました。彼がそこで学んだ「装飾文字」の講義は、将来何かに役立つとは考えにくいものでした。それでも10年後、マッキントッシュコンピュータを作る時に、その時の知識のお陰で、美しいデザインフォントが生まれたのです。過去の学びや職歴といった「点」は、あらかじめ予測して繋いでいけるものではありません。過去を振り返る時になって初めて、点と点の繋がりが自分を成功に導いていることに気付きます。だから、信念を持つことが大事なんです。自分が今やっている仕事の一つ一つ、学びの一つ一つが、未来で繋がっていくという信念です。そしてその信念は、ハートの声に従う際に、自信となります。二つ目のメッセージは「愛することと失うこと」スティーブ・ジョブズはアップルを創業した10年後に、経営の座を追われます。そのため、一時期は自暴自棄になりますが、やがて自分を取り戻します。仕事を愛していたからです。彼はまた新しく会社を起こし、それは成功します。後になって振り返ると、アップルを追われたことは、彼にとって最善の出来事でした。再びビギナーのような軽さで仕事に向かい、アップルにいた時以上にクリエイティブに活動することが出来たからです。解雇されたのは苦い体験でしたが、それは必要な薬だったと感じます。人生においては、このように突然頭を叩かれるようなことが起こります。それでも信念を持ち続けることです。彼がこのような苦しい状況の中でも、立ち直ることが出来たのは、愛する仕事があったからです。すばらしいと思える仕事と出会うことは重要です。まだそういう仕事に出会っていないのであれば、探すべきです。決して中途半端に妥協してはいけません。三つ目は「死」について彼は1年前、膵臓癌で半年の命と宣告されました。運良く癌が良性だったため今でも健在ですが、その出来事は、彼の毎日をより凝縮したものに変えました。彼は毎朝鏡の前に座り、自分に向かってこう尋ねます。「もし今日が人生最後の日だとして、今日予定していることは、自分が本当にやりたいことなんだろうか?」やりたくもないことを何日も続けているような時には、何かを変える必要があるでしょう。ハートの声に背く理由はないのです。死によって、生は輝きを増します。死を意識することによって、古い生も新しいものに生まれ変わることが出来ます。人生には限りがあります。誰か他の人の人生を生きて、時間を無駄にすべきではありません。「こうあるべき」とか「こうすべき」といったドグマ(教義)に囚われてはいけません。ドグマというのは、結局、他の人の思考の産物なのです。他の人のいろいろな意見で、自分自身の内なる声・ハート・直感を見失ってはいけません。内なる声・ハート・直感は、どういうわけか、自分が本当になりたいと思っているものをすでに知っています。そして、本当になりたいと思うもの以外は全て、二の次で良いんです。
2009.10.17
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アナンダギリジさんがイタリアツアーに行った時、ある支援者の老人に、病室まで訪ねてほしいと頼まれました。その人は末期癌に罹っていて外出できないため、話をするためには病室まで来てもらわなければならなかったのです。アナンダギリジさんが病室を訪ねると、老人はこのように話を切り出しました。「今日あなたにここに来てもらったのは、何かをしてもらいたいからではありません。私の話を聞いてもらうためです。私はこの話を出来るだけ多くの人に聞いてもらいたいと思っています。そして、あなたが聞いたら、きっと多くの人に伝えてくれるだろうと思いました。だから、私は今日あなたをここへ招きました」「私は最近、末期癌の診断を受けました。それ以来、私の心の内にある問いがよぎるようになりました。『私はこの人生で何を達成したのだろうか?』 そして自分の人生を振り返ると、苦々しい思いを感じます。私は自分の家族に『間違ったことをしてはいけない』『正しいことだけをやりなさい』と常に教えてきました。また、自分でもそうしてきたつもりです。私は『間違わない』ことに全精力を傾けて、生きてきました。「でもこうして振り返ると、私の人生はいったい何だったんでしょう。「『間違わない』ように緊張を続け、私が達成できたことは何でしょう」「どうか若い世代の人たちに伝えてください。若い人たちに、私のような間違いはしてほしくないのです。誰かの物差しに沿った生き方ではなく、自分の人生を生きてほしいのです」
2009.10.17
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心の問題が解決しないのは、問題の本質に向き合わないからです。真実を見ると、そこには何の問題もないことに気付きます。「怒り」も「憎しみ」も「恨み」も「ジェラシー」も、それ自体は何の問題もありません。問題なのは、私たちのとらえ方だけです。感情をニュートラルにとらえず、善悪の基準でジャッジしようとするから、その感情を押し込めようとしたり、隠そうとしたりします。「真実は悪くない」Truth is never wrong「真実は私を解放する」 Truth will set me free今回のセミナーの間、この二つの言葉を何度か繰り返し唱えました。今後も何度も繰り返す必要があるでしょう。「真実を知ることの怖れ」が、細胞レベルまで深く浸透してしまっています。そして、その怖れが、貴重な人生の時間を空回りさせています。「怖れる必要はないんだ」と、何度も何度も身体の隅々にまで言い聞かせる必要があります。
2009.10.17
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アナンダギリジさんが指名したその女性は「私は幸せになれない」と言いました。 障害を抱えている自分は幸せにはなれない、と涙ながらに言うのです。 アナンダギリジさんがしばらく話した後、彼女は今度は次のように言いました。 「私はウソをついていました。本当は幸せになるのが怖いんです」 「障害を持った自分は幸せになれない」というのは、彼女の率直な思いでした。 でも、より真実に近い思いは、「幸せが怖い」「幸せになりたくない」というものでした。 真実は時に痛みを伴います(真実に抵抗している時の話ですが)。 彼女は「身体障害者であること」にしがみついていました。 身体障害者であり、不幸であり続けるかぎり、みんなが構ってくれます。 幸せになってしまうと、みんなからの愛情を失ってしまうかもしれません。 彼女は無意識のうちに、「自分の不幸」に依存していたのでした。 アナンダギリジさんは、インドのセミナーで起こったことを話してくれました。 そのセミナーの二日目、ある男性が自分の体験をシェアしました。 彼は大変有能なソフトウェアエンジニアで成功者です。 地位も名誉もお金もあるのに、それを楽しめない自分を常に感じていました。 なぜかいつも心の奥に罪悪感のようなものがあり、全てを手に入れたはずなのに、 「自分はそれに値しない」と感じていました。 セミナーの二日目の朝、彼は朝の瞑想で自分の呼吸を観察している時に、 子供の時のことを思い出しました。 彼は15歳で、5つ下の妹がいました。 ある日、両親は外出するので、彼に妹の世話を頼みました。 でも両親が出かけている間に、彼は妹を殴ってしまいます。 「明日数学の試験で勉強しなければならなかったのに、妹がしつこく遊んでくれとせがむから」 と彼は両親に説明し、自分でもそうだと思っていました。 でも、実際は妹のことが憎かったのです。 妹が生まれてから、彼は両親からの愛情を失ったように感じていました。 妹に対してジェラシーを感じていました。 彼は真実から目を背けてきました。 「ジェラシーを持つ」ことは、とても恥ずかしいことのように感じたからです。 彼はその後も長い間、「妹のことを愛している」と自分を誤魔化してきました。 ジェラシーを持つ自分に向き合うことは出来ませんでした。 そのために、彼は罪悪感を背負い、 人生を楽しめなくなってしまいました。 自分にウソをついた代償はとても大きかったのです。
2009.10.17
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「あなたとは何でしょう?」 アナンダギリジさんの質問に、いろんな答えが出てきました。 「光です」「愛です」「宇宙の中心です」 何人か言い終わった後で、一人の方が次のように答えました。 「私は、怒りであり、悲しみであり、嫉妬であり、苦しみであり、喜びでもあります。それが今の私です」 それまではただ黙って他の人の答えを聞いていたアナンダギリジさんが、それを聞くと、会場の人たちに向かってこう呼びかけました。 「今の答えに大きな拍手を送ってください」 「自分に真実である」ことが大切です。 どんなすばらしい言葉も、自分に真実でなければ、ただのウソに過ぎません。 子供のころ、アナンダギリジさんは友だちの一人にジェラシーを感じました。 その子はとても謙虚で感じも良く、多くの人から愛されていました。 それなのにアナンダギリジさんは、彼を見ると不快な気持ちが起こってくるのを感じていました。 でも、ある時ついに自分の中に、その子に対する嫉妬心があることを認め、それを受け容れました。そして、その時にこの上ない自由を感じました。 どうして、自分の内にある嫉妬心を認めると、自由な気持ちを感じたのでしょうか? 嫉妬心が生じた時、アナンダギリジさんは抵抗しました。 心の内側に「嫉妬してはいけない」とか「嫉妬心を持ってはいけない」という気持ちがあったからです。 心の内側で葛藤が起こり、ジェラシーを感じる自分自身との格闘が始まります。 それは終わりのない苦しい戦いです。 嫉妬心のある自分を認めたとき、アナンダギリジさんは自分が「嘘つき」だったことに気付きました。 そして自分にウソをつくと、どれだけ苦しみが生まれるものかと言うことも分かりました。 自分の真実から遠ざかるほど、人は不幸になり、 真実に近づくほど幸せになります。 「自由になるためには、何かを克服しなければならない。何かに打ち勝たなければならない」 多くの人がそう考えます。 でも、もっとシンプルに考えて良いんじゃないかと思います。 自由とは、「あるがままの自分である」状態です。 思考や感情をあるがままに体験することです。 だから、アナンダギリジさんは、自分の内側にあった嫉妬心をきちんと認めた時、自分のあるがままを認めた時に、自由を感じたのでした。 その時、あることが思い浮かびました。 前日、セミナーが終わった後に小さなグループに分かれてシェアリングをすることになりました。 ある方の話で一気に場が盛り上がり、笑い声が起こりました。 打ち解けた人たちはみんな明るく話し出しました。 でもぼくは和やかに話している人たちの顔を、なぜか真っ直ぐ見ることが出来ませんでした。 会場を出てからも不快な気分は胸に残り、今朝も続いていました。今思うに、ぼくは場を盛り上げた人に嫉妬したのでした。 その人の朗らかな話し方と自分のそれとを、比較もしていました。 そして、そんな自分の心の動きに気を留めないように、うまく気を逸らしていました。 「嫉妬する」のはとても醜い行為なので、認めたくなかったのです。 でも、心の奥底に隠してしまったため、余計に自分を苦しめ、また長引かせてしまう結果になりました。 さらに深く見ていくと、その気持ちの底には、孤独感や「自分はどうやっても人とうまくやっていくことは出来ないんだ」という思いがありました。 それはとても辛い感情でしたが、じっと感じていると、やがて静かな安らぎの気持ちへと変容していきました。
2009.10.17
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ネガティブな考えが起こった時、私たちは無意識にそれを押しのけてしまいます。 でも、それはうまくいかないやり方です。 ネガティブな感情を押しのけて意識から見えなくしても、なくなりません。 それは相変わらず自分たちを苦しめるし、 押しのけてしまうことで、かえって無意識の中で力を強めてしまいます。 では、どうして私たちは成功しないそのやり方をいまだに続けてしまうのでしょう? それは、癖だからです。 それはアル中や薬物中毒と同じくらいにタチの悪い癖だと思います。 同じくらいに人を不幸にしてしまうからです。 でもこの癖を止める方法はあります。 それは、自分のしていることに気付き、観察していくことです。 癖の敵は、気づき・観察・注意です。 自分を注意深く観察していると、癖(無意識の行動パターン)がどれだけ自分の人生を支配しているか、見ることが出来ます。
2009.10.17
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アナンダギリジさんのセミナーですが、 今回の重要な目的は、「自分自身を観察する」技法を学ぶ、でした。 自己観察が出来るようになると、嫌な自分も受け容れることが出来るようになります。 なぜなら、「悪」だと思いこんでいた「嫌いな自分」には、何の問題もなかったと気付くからです。問題だったのは、勝手に「悪」と決めつけていた自分の見方だけだったのです。 心の中で不快な気持ち(憎しみ・怒り・ジェラシー等)が生じた時、私たちはすぐにその犯人捜しを始めます。 「あいつがのろまだからイライラするんだ」とか「あいつの態度がムカムカさせるんだ」と、誰かを責めたり、状況や環境について不平を漏らしたりします。 でも、自己観察で重要なのは、「何が不快感をもたらしたのか?」ではありません。重要なのは、心の中で起こっていることを「観察すること」それ自体です。 「どのような感情も観察していくと喜びになります」 とアナンダギリジさんは言います。 そこで次のように質問しました。 「ネガティブな感情を見詰めても、喜びに変わるどころか余計に鬱々と鬱ぎ込んでしまいます。ずっと落ち込んでいるわけにも行かないので、結局は、嫌なことから一時的に気を逸らすことで対処してしまいます」 アナンダギリジさんの答えはあっさりしたものでした。 「心の内側を見詰めると喜びに変わるのは、宇宙の法則です。それは重力の法則と同じくらい、明白な事実です」 そして、私たちは「苦しみを避ける」ことが癖になっているために、自己観察の状態にまで入ることが出来ないのだ、と言いました。 その後の瞑想では、ネガティブな感情を伴う過去の体験を見ていきました。 たしかにネガティブな感情を見ていく時、それと向き合うのを自動的に避けてしまいます。 ネガティブな感情をただ見ていくだけで良いはずなのに、 ついつい、その時の相手を恨んだり、状況の所為にしたりと、感情に向き合うのを微妙に避けるような操作を心の中でしてしまいます。 まるで、目の前にボールが飛び込んでくると目をつぶってしまうような無意識の反応を取ってしまいます。 でも、そのうちに心地よい気持ちの中にいる自分に気付きました。 ネガティブな感情を見ているはずなのに、不思議と心地良い。 ネガティブな感情を聖なる存在が一緒に見てくれているのです。 そう、「自分を観察する」というのは、そういうことなんだ。 意識のスポットライトを当てることで、聖なる存在が介在できるようになる。 反対に、無意識や無自覚である時、そこには神は介在出来ない。 そして無意識の中の感情や想いは解消されることなく、潜み続ける。「意識を置くこと」それ自体が、光であり、癒しであるということを、その時体験したのでした。
2009.10.17
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今回の選挙で、最高裁の国民審査も行われます。 いろいろ悩んだ挙げ句、 竹内行夫さんに×を付けようと思っています。 竹内さんは、最高裁判事に任命されるまで司法経験が全くなく、 司法試験も受けていません。 前職は外務相事務次官です。 基本的に、元行政のトップが、司法のトップに就くということが、納得できません。 行政側が裁かれる裁判が起こった時、中立な立場で判断することが出来るんでしょうか。 また、最高裁判事は下級裁判官の人事権も握っています。 竹内さんが最高裁内で影響力が高まると、地方・高等裁判事も、 竹内さんの都合の悪い(行政側に不利な)判決は避けてしまう可能性が出てくると思います。 さらに問題なのは、 竹内さんは外務相事務次官当時、 アメリカの対イラク戦争指示を小泉元首相に進言し、 イラク戦争に反対した天木直人氏をレバノン大使の職から罷免しています。 「イラク派兵は憲法違反」という判決が名古屋高裁で出た(2008年4月)その同じ年に、 最高裁の裁判官として任命(2008年10月)されています。 国が竹内さんを最高裁に送り込むことでやろうとしていることが、見えてきませんか。 国民審査で罷免された裁判官は皆無なので、 今回も不信任されることはないでしょう。 でも、不信任票が一票でも多く集まることで、 竹内氏の最高裁での影響力が弱まることは期待しています。 そして、「行政と司法の癒着」を望んでいないことを示したいです。
2009.08.27
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イスラエルの空爆はおさまる気配がない。 負傷者の半分近くが女性子どもということなので、惨状は目を覆わんばかりであろう。 日本を始めとする先進諸国は非難声明を出しているが、なんの歯止めにもなっていない。 もっと具体的でポイントを絞ったアクションを起こしていくべきではないだろうか。 昨年から今年にかけて、国連安全保障理事会はガザ攻撃停止を取り上げてきたが、アメリカの拒否権発動により具体的な施策を打ち出せず、強い懸念といった曖昧な表明で終わってしまっている。 アメリカが拒否権発動という形で国連決議を阻むのはこれが初めてではない。 アメリカのイスラエル寄りの姿勢は、パレスチナ問題を紛糾させている元凶となっているし、アルカイダ等の国際テロ組織を結束させる大きな動機となっていることから、世界規模での平和にまで深刻な影響を与えている。 ブッシュ政権はテロとの戦いと称してイラクへ攻め込み、オバマ氏はアフガンへの戦備増強を説く。 だが、本気でテロとの戦いを終わらせようとするなら、アメリカがまずすべきことは、「イスラエルへの支援を止めること」だ。 少なくとも、拒否権を発動して和平を阻もうとする行為は、それぞれの国が名指しで非難すべきものではないだろうか?
2009.01.08
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暑いですね~ 先日は暑くて寝苦しかったので、布団の中で「許すワーク」をしてみました。 腹が立ったこと、いまだに根に持っていること、まだ割り切れないでいることの一つ一つを思い出して、その相手を許します。 その気にならなくても、とりあえず言葉の上だけでも「許す」と自分に言い聞かせると、それだけで感情が軽くなるのが分かります。 言葉の上だけでも「許す」と言い続けると、ある瞬間、緊張していた心がふっと軽くなります。 続けていくうちに、たくさんの相手・たくさんの出来事を思い出していました。 自分がそういう想いの中で、どれだけエネルギーを消耗させてきたか、自分を見失ってきたのかよく分かります。 ぼくたちの心はずいぶん過去に引き留められて生きていますね。 固まった想いを解放させて、今この瞬間を喜び、いきいきと生きたいですね。
2007.07.28
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先週木曜日は霧島でのディクシャ会でした。 今回は平日だったせいか参加者は5人。 でもこぢんまりと良い会でした。 今回はワンネスディクシャの後、インターバルをおいて「傷付けてしまった相手に許しを乞い、自分を傷付けた相手を許す」セッションを入れてみました。 これは思った以上に好評でした。 ディクシャだけではあまり感じなかった方も、「感情が軽くなっていくのがはっきりと分かった」と言ってくれました。 今回の参加を呼びかけた時、反響が寂しかったので、実はちょっと落ち込んでいました。そうしたら、こんな直感が浮かびました。 「参加した人が一人でも何かを受け取ってくれたとしたら、その会は大成功です」 後からこんなメールを頂きました。 「今日のセッションは楽しいものになりました。 ディクシャが終わってしばらくしてから、なにかとても強いエネルギーを感じはじめ、実をいうと帰りぎわ話をしている時も立っているのが少しつらいほどでした。今、家でねころんでます。心は全く普通な感じです。最後の許す心のセッションが良かったです」 ディクシャ会は大成功だったようです(*^_^*)
2007.04.25
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(質問)ディクシャを受けた後には、二段階の意識の変化があるように思えます。まず、内なる平安・聖なる体験があり、その後に自分の内側の暗闇を体験するようなことが起こります。この二段階の変化は、意識レベルの向上のためにどのように貢献しているのでしょうか。(アナンダギリジ)ディクシャは、神聖なる知性です。そのとき、最も必要なものがディクシャ時に与えられます。アメリカで7人の参加者がディクシャを受けたときのことです。ある人は「努力は全く要らない」という気付きを得ました。ある人は「喜び」を、またある人は「拡大した意識」を体験しました。「何も体験がない」という人も二人いました。そして別の人は「妻への愛」を体験しました。彼は、本当は「大きな意識の拡大」を期待していました。でも、期待とは違う「妻への愛」を始めて体験し、彼は幸せを感じました。彼には、最も必要なものだったのです。時には、ディクシャによって、不快な感情も体験します。いろいろな傷が自分の中に隠されているからです。ディクシャを受けると、内側にある苦しみや怖れが明らかになってきます。それは、自由への旅の始まりです。苦しみや怖れは、それを完全に味わうことで消えてゆきます。意識が成長していくと、人間関係が変わり、人々への親しみが出てきます。自分や人の嫌だった部分も気にならなくなります。それは突然の変化ではありません。そのプロセスに気付いていくことが大切です。
2006.11.16
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次回は広島でこのような会議を開きます。「東京で会場が見つからない」というのが大きな理由ですが、それはDevine Plan(聖なる計画)であり、アンマ・バガヴァンの導きによるものと考えます。日本人全員が、広島で起きたことについてワークする必要があります。そこで起こった苦しみやトラウマはとても強く、死んだ後も苦しみが残っています。会議の後、特別なことを行う予定です。 (質問) 広島では今までたくさんの人、たくさんの宗教による祈りが行われてきました。さらに、ディクシャを含めた祈りが必要なのでしょうか。それは通常の祈りとは異なるのでしょうか。 (アナンダギリジ) 一人一人の祈りは助けになりますが、さらに必要なものがあります。 現在、日本では子供の家庭内暴力やその多動的な性質が問題になっています。人口全体における自殺率も増えています。それらの問題は、結果の表面を扱うだけでは解決しません。それには原因があるからです。 それは、広島・長崎によるトラウマです。全ての日本人の中に潜在的なトラウマがあります。日本人だけでなく世界中の人が、夢や記憶のどこかで体験しています。そのトラウマが消えれば、広島・長崎だけでなく、日本だけでもなく、世界中の人々の中から、意識の向上の障害が消え、大きな飛躍となります。精神的な面だけでなく、政治・経済的な面でも大きな飛躍となります。 来年の6月か7月、特別なホーマ(祈りの儀式)を行います。アンマ・バガヴァンも同じ時間に祈ります。世界中のディクシャ・ギバーがその時間、一斉に意識を合わせます。 それは過去に働きかけるだけではありません。このトラウマを癒すことが出来ると、大きな癒しが生じ、人々のハートが開きます。 それは、特別な日となるでしょう。みなさんの家族もその会場に連れてきてください。会場に来た全ての人々にとって、祝福となるでしょう。その日は会場に来た全員が人々を助け、そして自らも助けられます。
2006.11.16
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(質問) 「意識が向上する」ことと「ハートが開く」こととの関係性について教えてください (アナンダギリジ) 私たちが外側に見る世界は鏡です。それは、私たちが何者であるかを反映しています。津波・地震等の災害は、内側の意識が外側に現れた結果です。怖れ・不安・罪悪感・支配欲など、私たちが意識で感じることが、世界のどこかに影響を与えるのです。東京で感じた怖れが、世界のどこかに反映されます。 世界が変わるためには、人の意識が変わる必要があります。意識が向上すると、怖れ・不安・罪悪感等の感情で滞ることがなくなり、愛し合い、人と繋がり、人を助ける能力が高まります。 今の時代は、個人中心の世界です。人は、心理的な面も含めてサバイバル(生存競争)ということにフォーカスしています。自分の欲求のために、他の人を犠牲にします。これは病気のようなものです。その悪い影響は、最終的に地球全体を壊してしまいます。今は、世界中のほとんどの人が自分のことだけを考えています。それでは、世界は痛みだけになってしまいます。 自分中心の生き方からシフトし、周囲の人・動物・自然全体について考えていく必要があります。個人の欲求を超えたものにフォーカスし、世界に貢献しようとする人が必要とされています。世界でなくても良いのです。自分の周囲でも良いので、貢献していくことです。自分が「愛されたい」「評価されたい」という地点から、飛躍することが必要です。 ディクシャギバーの間ですら、競争があります。「誰が一番パワフルなのか」とか「誰がより人を集めることが出来るか」とか意識の中でいつも競争があります。自分の力や能力にフォーカスし、自分自身の重要性を充たすことにのみ重点が置かれています。そういう自分の内側に気付くことです。グループとして、お互いにサポートし合って働いて下さい。そのためには、自分の内側を洞察していかないと、変わることは出来ません。 「意識が向上する」と、お互いが愛し、いたわり、繋がり、助け合う能力が高まります。個人個人がそうなっていくと、世界が変わります。戦争や葛藤がなくなります。内側が変わることで、それを反映する鏡も変わっていくのです。 内側で気付きがあると、外側にもその変化を発見するでしょう。あなた方(ディクシャギバー)は、ディクシャのパワーによって、人々を助けることが出来ます。そして、贈り物を受け取ったあなた方には、それを使っていく責任があります。
2006.11.16
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意識が向上すれば、あらゆるものが変容します。それが鍵です。意識が向上すれば、世界中のあらゆる問題は解決します。人々のハートが開き、人間関係が向上したとき、全ての問題が変容します。アンマ・バガヴァンが皆さんを助けるように、アンマ・バガヴァンも皆さんの助けを必要としています。皆さんもディクシャを通して他の人を助けて下さい。そうすれば、ディクシャのパワーはもっと大きくなり、もっと多くの人を助けることが出来るようになります。多くの人が変容するビジョンを心に描いてください。日本・韓国・台湾・中国が変容するビジョンを心に描いてください。多くの国が目覚めていくビジョンを描いてください。
2006.11.16
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4年前、私たちは「100の村プロジェクト」というものをスタートさせました。これは、ワンネスユニバーシティの近隣の約100の村を対象にしたもので、私たちはこれらの村を「発展」させることを宣言しました。 「発展」といっても、普通の意味ではありません。「幸せ」が発展の指標です。普通言われる経済・教育施設・保健施設は二次的なものです。「村人が幸せなら、この村は本当に発展したことになる」と私たちは考えました。 最初私たちの試みに興味はほとんど示されませんでした。人々は教育や社会的な施設が充実することに関心をおいていました。でも私たちのやり方はそうではなく、まず人々の人間関係に働きかけ、それを適切なものにしていこうとしました。 村人は貧しさのために幸せではなく、家庭は喜びではありませんでした。男は仕事が終わっても家に帰ろうとせず、女性は虐待されていました。家は憩いの場所ではなく、寝るだけのスペースでした。 私たちはそこで定期的にクラスを開き、ディクシャを行って、村人のハートを開き、心理的な苦しみを解消していくようにしました。そして参加者から「これこそが私たちが望んでいたもの」という声が出るようになりました。参加者の人間関係が整い、家族が愛し合うようになりました。最初は30人の参加者でスタートしましたが、それはやがて600から1000人の人へと膨れあがりました。 そのうちに村の犯罪率の減少が数字となって現れました。「こうすべきではない」と言うアドバイスをしたわけではありません。人々が幸せになることで変化が生じました。アルコール中毒も激減しました。「お酒を飲むな」と言ったわけではありません。それでも、ある村ではアル中の人が一人もいなくなりました。女性や児童の虐待もなくなりました。苦しみがなくなっていくことでいろいろな変化が生じました。 それまで対応に忙しかった警察は突然仕事が減ったので、疑問の声を上げました。 「一体、この村で何が起こったのですか?」 村人の人間関係に働きかけ、それが変化することで意識状態も変化したのです。そしてそれだけではありませんでした。それまで州全体の大きな問題であった干ばつや水不足の問題もなくなりました。人々が幸せになることで、自然にも変化が生じました。 つづく~
2006.11.16
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人間関係において対応していく三つの方法があります。 一つはただちに反応するやり方です。傷付けられたら傷付き返します。やられたらやり返すやり方です。でも、これを続けていくと人間関係はとても厳しいものになります。そして人は次の段階に進みます。 二つ目は、こうすべきだという教えに従って反応をコントロールする方法です。本を読んだり、人の教えに従って、心の中では怒っていても、気持ちを抑えます。「右の頬をぶたれたら左の頬を差し出しなさい」と言う教えを実践しようとします。 そして、このやり方を続けていると三つ目の段階に進みます。長い間自分をコントロールしていると、ハートはクローズして、感じることが出来なくなってしまいます。心の内側は死に絶え、物事に無関心です。傷付くことも怒ることもありませんが、もはや喜びや幸せを感じることもありません。この状態をシッタプラクジャ(執着しない状態)と思いこむ人もいますが、そうではありません。ハートが閉じ、いかなるものとも繋がることの出来ない状態です。心が壁のようになっている状態です。 これら三つの方法とは全く異なる段階が存在します。 それは、「対応する」と言うやり方です。ハートが開いたときには、「こうすべき」とかマインドが命令する必要はなくなります。その中では、人は自分の人生を受け容れ、現実を受け容れます。一定の枠にはまった行動を超え、状況に応じて対応します。そのため、その人の行動は予測することが出来ません。その人の身体全体をDevine Presence(聖なる存在)が流れます。全ての存在との繋がりを感じます。 この4つ目の方法は、先の三つの段階に比べると大きな飛躍です。その段階に進むために、先の三つの段階のどの地点にいるかは問題ではありません。スピリチュアルの旅は、気付きから始まります。今自分に「愛がない」、「感じていない」と、気付くことが大切です。 スピリチュアルの旅は、「今いる場所」から始まり、「今いる場所」で終わります。
2006.11.16
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質問 ハートが開くには、どうしたらいいですか? アナンダギリジ ダルシャンの中である人がバガヴァンに質問しました。 「私の行動が正しいかどうか、どうしたら分かりますか?」 バガヴァンは答えました。 「それは、あなたが愛を発見したとき、ハートが開いたときに、分かります。その時には、あなたを導く書物もガイドも必要ありません。一度ハートが開けば、そう言ったものは必要ではなくなります」 老子が生きていた頃、覚者を一目見たいと世界中から多くの人が訪れました。その中の一人は老子の振る舞いを見て、とてもがっかりしました。 老子の妹が老子に「食べ物を下さい」と頼んだところ、老子は「食べ物などない」と妹を殴ったのです。 彼は老子に会ったとき、そのことを伝えました。 そうすると老子は答えました。 「いつもあなたは何かになろうとしています。 でも、私はいつも私です」 目覚めた人は、自分をありのままに受け容れます。そしてそこには愛があります。 つづく~
2006.11.16
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(質問)お話しの中で「キリストとブッダの結婚」という言葉が出てきました。それについて詳しく教えてください。 (アナンダギリジ)ある時ブッダは、キサゴータミという女性から、死んだ息子を生き返らせてほしいと依頼されました。ブッダは彼女に告げました。 「では、マスタードの種を持ってきなさい。その種は死人の出たことのない家のかまどから出たものでないといけません。それを持ってきてくれたら、あなたの息子を生き返らせましょう」 キサゴータミはあらゆる家を訪ねますが、死人の出たことのない家は見つかりません。そしてさんざん探し回った末に彼女は気付きます。「死人の出ない家などない。全ての人に同じように死は訪れるのだ」と 同じようなことがキリストにもありました。キリストは、親族から死んだ者を生き返らせてほしいと頼まれました。そして、キリストが声をかけると死者は蘇りました。 さて、キリストとブッダとどちらが正しいのでしょうか? ブッダは、気付きを与えることで、人を苦しみから解放しました。状況は変わらないけれど、認識の仕方が変わることで、苦しみから解放されました。 キリストは、奇跡を起こすことで、人よりも大きな存在があることを知らせ、安心感を与えました。 どちらの教えが上と言うことではありません。 このような言葉があります。 「神よ 私に変えられないことを受け容れるだけの力を下さい。 変えられることを変えていく勇気を下さい そして、それを見分けるだけの識別力を下さい」 恩寵は状況によって違う形でもたらされます。 東洋的な教えを通して、私たちは王国を体験します。 西洋的な教えを通して、私たちは王それ自身を体験します。 どちらが上と言うことではありません。 そして今、私たちは、自由という果実を得るとともに、Devine Presenceを体験することになります。
2006.11.16
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子供には、瞑想や祈りなどのスピリチュアルな修練よりも、「生き生きと生きる」ことや人間関係について教えていくことが重要です。自由に人間関係をつくることは、とても美しいことです。 私たちの学校では、スピリチュアルについて語られることはなくても、一人一人がとても大切にされました。 授業が終わると、みんな校長先生であるバガヴァンの元に走っていきました。バガヴァンと一緒にいると、親や友人からも得られない感覚を覚えました。ただ満足感がありました。14歳の時に始めて、その快適さの理由が分かりました。 人間関係の中では、常にお互いをジャッジするプロセスが入ります。それは常にあり、見張られていると感じます。それが人を不快にさせます。そして、それはマインドの習慣となっているので、止めることは出来ません。 バガヴァンは全ての人を受け容れていたので、そばにいて快適でリラックスすることが出来ました。 私は14歳の時、ハートが開き、全ての人に対し快適さを感じるという体験が起こりました。それはDivine Presence(神聖なる存在)の介入によるものでした。 人生において、人間関係が最も重要です。それがなければ、スピリチュアルなことは意味がありません。Golden Ageというのは、適切な人間関係を持った時代です。人間関係が、仕事・経済・パートオナーシップ・家庭などあらゆる面で「成功の鍵」です。 勉強に集中出来ない生徒も、親子関係が整うことで改善されます。人間関係が整うことで、全ての問題が解決します。
2006.11.16
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みんなで考える前に、校長先生であるバガヴァンからアドバイスがありました。 「彼は、両親に叱られたから悲しんでいるわけでも、自分の成績が悪いことを悲しんでいるわけでもありません。他の生徒と比較したから悲しみを感じているのです。どうしたら比較がなくなるか考えてみましょう。比較するのは人類の癖なので、『比較しないように』というのは解決策になりません。『比較しない』ための環境や雰囲気を作りだしていく必要があります。それをみんなで考えてください。 その当時、この学校の寮には「現代教育の機械」というタイトルの絵が飾られていました。そこは工場らしく、多くの煙突が描かれています。原料は「子供」、出来てくるのは「成功した大人」、燃料は「比較」です。ある煙突では「創造力」が燃やされます。ある煙突では「ハート」が燃やされます。その絵の中では、「比較」がどのようにして、人々の才能を破壊していくのかを伝えていました。 ところで成績の比較について、全ての学年の子供たちが集まり解決策を話し合い、バガヴァンに一つの提案をしました。 「テストを全部やめたらどうですか?」 バガヴァンは答えました。 「それには問題があります。この学校は政府のカリキュラムに沿って、授業を行っています。政府のシステムに従う必要があるので、テストをやめることは出来ません」 生徒はまた話し合い、バガヴァンに次の提案をしました。 「それでは順位を付けたり、ランク付けするのをやめるのはどうですか?」 「それは可能です」 そうしてその学校では成績の順位付けやランク付けはなくなり、その後の生徒からの提案で、「どんな成績でも落第はない」というシステムも生まれました。その後、「テスト前に問題を教えてほしい」という提案は「チャレンジする必要がある」という理由で断られましたが、問題の一部は公表されるようになりました。「テスト前4日間は休みにしてほしい」という提案も通りました。 これにより、子供も親もハッピーになりました。子供の間には友情が生じ、そして奇跡が起こりました。 州政府が行ったテストで、その学校からは誰一人として落伍者が出なかったのです。それは、その州のニュースになりました。 そこには、自由が誕生し、怖れのない状況が生まれました。 子供たち自身が解決することで自信が生まれ、人間関係を築く能力も向上していきました。 つづく~
2006.11.16
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父が承諾するとバガヴァンは続けて言いました。 「息子さんはまだこの人生でやりたいことが分かっていません。この学校で教えることは、人生でやりたい情熱を見出す助けになります。その情熱を見出して始めて、人は幸せになることが出来ます」 この学校ではスピリチュアリティについて、何も話されなかったが、何かビジョンのようなものがあることはうすうす感じていました。そして何よりも、この学校では子供たちは愛され、大切にされ、友情が溢れていました。 今、世界中の親が理解すべきことがあります。 それは、「子供が他の子供たちと適切に関係する」能力がとても大切であると言うことです。それがないと「生きる」意味が失われます。 この4日間(コンフェレンス)の目的は、ワンネスのビジョンを分かち合っているもの同士が、共にいて、家族のように心で繋がることです。「学び」は全員が4日間共にいることで生じます。「学び」自体にフォーカスする必要はありません。 ジーバアシュラムには、サマーローチナというものがあり、そこでは1年~6年生までが輪になって、子供たちの問題を自分たちで考え、解決策を見出していました。 たとえばこういうことがありました。ある生徒が悲しんでいたので、それを解決しようと、彼を輪の内側に入れて、外側の生徒が「なぜ悲しんでいるのか?」尋ねました。そして、彼はテストの結果が思わしくなく、両親もその結果に失望した表情を見せたために、悲しんでいることが分かりました。 みんなは考えました。 それではどうしたら、彼を幸せにすることが出来るだろう? つづく~
2006.11.16
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これからディクシャが誕生した経緯についてお話ししましょう。 それは、ジーバアシュラムという学校から始まりました。そここそが全世界の目覚めのための基盤となりました。そこからディクシャが生まれましたが、スピリチュアルなことを教えていたわけではありません。 そこは普通の学校で、通常の小学校で教えられるカリキュラムに沿って授業が進められていましたが、他の学校と違っていたところは、そこでは、勉強だけでなく、「生きる」ことや「人間関係」と言うことにもフォーカスしていた学校でした。 そこでは学校の成績(将来的には仕事の成功)だけでなく、個人的な幸せや人との関係性もうまく行くようにプログラムされていました。 そこの校長先生であったバガヴァンは次のように考えていました。 「人生は人間関係であるので、それが失われるとしたら、どんなに他の面で成功したとしても、その人生は失敗である」 私は11歳の時、その学校に入学しましたが、入学する前に父が校長先生であるバガヴァンと面接で会ったときに話をしました。 父は、息子である私を将来的にはソフトウェアのエンジニアにしたいとバガヴァンに伝えました。するとバガヴァンは次のように、父に答えたそうです。 「息子さんがそれを望んでいるのであれば、そうなります」 そして、父にこう尋ねました。 「息子さんをこの学校で受け容れるに当たって、一つだけ条件があります。もし息子さんが失敗者となっても、お父さんが望むソフトウェアのエンジニアになれなかったとしても、息子さんを受け容れることが出来ますか? YESだったら、息子さんをこの学校に受け容れましょう」 つづく~
2006.11.16
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アナンダギリさんの言葉(人間関係について) 先々週の週末、アチャリヤ(バガヴァンの高弟のこと)であるアナンダギリさんが来日され、4日間にわたる会議というか講演というか行われました。 とても深い内容だったので、伝え方は未熟ではございますが、シェアしたいと思います。 以下は、2日目にあったグループシェアリングの内容です。 (質問)「人間関係を良くする」ということを頻繁に言われています。それは具体的にはどうしていったらいいのでしょうか? (アナンダギリジ)ディクシャは人間関係を改善します。自分だけではそれは不可能です。 「意図する」「情熱を持つ」(イットナム) 「努力する」(プライアットナム) 「聖なる恩寵」(ディバイアットナム) この3つが正しくバランスされることが必要です。 「意図する」については、ビジョンがクリアであって、初めて私たちは正しく努力することが出来ます。 「努力する」ことは大切です。でも全てを自分の力で出来るわけでないことは、理解しておく必要があります。、今の人間関係の状況において、「気付くこと」しか出来ることはありません。自分の力で改善することは出来ません。そこには「聖なる恩寵」が介在する必要があります。 (質問)なぜ「人間関係を良くする」ということがそれほど強く言われる必要があるのか? (アナンダギリジ)たとえどれほど成功したと言っても、ひとりぼっちではたして「生きている」と言えるだろうか。人の意識は、人との絆を感じるようにデザインされています。それがないと人生は空しいです。人生とは、愛であり、人間関係です。人との絆がなければ、それは人生ではないと言えるでしょう。 (質問)身内で家庭内暴力があります。それに対して自分はどうしていったらいいのか、分からなくなります。 (アナンダギリジ)ジャッジしないこと。それがあなたに出来うる最善のことです。 彼のためにお祈りして下さい。彼を彼のまま受け容れて下さい。それによって暴力的な状態がおさまっていきます。 人間関係を分断するやり方は問題を作ります。あらゆる問題の解決は、人々の意識が向上していくことです。 子供のそのままを受け容れて下さい。 ディクシャによってハートが開きます。 まもなくすぐに日本でもワンネスユニバーシティが設立されます。ゴールデンシティが世界各地に拡がります。様々な問題がそこで取り上げられ、夫婦・教師・子供・親子のためのコースが開かれるようになります。
2006.11.16
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