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ふと気が付くと、あと数時間で2003年も終わろうとしている。この1年は、自分にとって転機であったと思う。いかに今の自分が掴んでいるものを放していけるか、いかに新しい世界に踏み込んでいけるか中途半端な「新しさ」ではなく、自分がまったく体験もしなかった「新しさ」への踏み出し。そのために、この1年の自分の言動を思い起こし、そのポジティブな部分、またネガティブな部分をすべてしっかり見つめ直し、それらをすべて認めて、「体験の宝物」としてしまっておこう。そして、それらさえもすべて放してしまい、空っぽな自分で新たな道を踏み出そう。きっと素敵な自分に出会うことができるはずだ。2004年、どのような風が吹こうとも、ありのままの風を受け容れていこう。絶対大丈夫、さぁ、本氣で行くぞー!最後に、今年1年間にご縁のあったすべての方々に感謝いたします。ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
2003.12.31
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誰が見ても爽やかな日記であるように、これからは風を感じながら書きます。そうなんだ、これがこの日記のコンセプトだったんだから・・。------------------------------------------------------淡々と生きよう。何があろうと・・。目先のことにはとらわれず、自分の意志は捨てることなく、平和で調和の取れた社会の実現を目指していこう。ただ、自分以外の人や会社などに「迷惑をかけること」だけは絶対にしてはいけない。「自分の生きる道は自分で決める」という言葉があるが、自己責任が伴っていなければ、それはしょせん「傲慢」という2文字になる。周りがあって自分があるのだから。今日あらためて、それを認識させて頂いた。関係者のみなさん、本当にありがとうございます。感謝です。
2003.12.24
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これは決して自慢話ではないんだけれど、ウチの事務所は、一人で仕事をするには結構広いのである。その広さは?と言うと、堂々の2LDK(12畳相当のLDKと、4畳の和室、12畳相当の洋室)はあるのだ。これには訳があって、以前はこの物件を住居として使っていたのであるが、子供たちが大きくなるにつれて手狭になってきたので、2年ほど前に思い切って近くのマンションを購入して引越した際に、これまでの住居スペースを事務所スペースとして使い始めたという経緯がある。ということなので、トイレはもちろん、風呂あり、システムキッチンあり、駐車場ありと、一人ビジネスを営むものとしては恵まれた環境で仕事をさせてもらっているのである。僕は、この中のリビングルームに、事務机2台と、打ち合わせテーブル1台、打ち合わせ椅子4脚、パソコン5台、電話、FAXなどを設置して、人並みのオフィスとして使っている。ただ、僕がふだん仕事をするのは、このリビングルームだけで、他の部屋のうち和室は「休憩(仮眠)場所」として、また12畳の洋室は「物置き」状態としてこれまで眠らせてきたのだ(今から思うと、もったいない話である)。それが最近になって、とあるオモロイお方(これだけで誰だか分かるでしょ・・)が、使っていない部屋をフリースペースとして一度使わせてほしいと願い出てきたのだ。その申し出に僕もピンときて、「これも何かの流れの一環かな・・」と思い、荷物が散乱してちらかり放題であった部屋の中を片付け、数年ぶりにきれいに清掃してみた。すると、ちょうどこんな感じ(↓)の、なかなかイイ雰囲気のフリースペースが出来上がったのだ♪今回は、半日フリーのスポットとしてお貸ししたのであるが、「ここは気がねなく落ち着いて話し合いができる」「静かで集中できる」など、なかなか好評な意見を頂いて嬉しくなったのだ(どうぞ、また使ってくださいね~♪)。このフリースペースは、今後はビジネス合宿等のイベントや、各種の会合などで有意義に使ってもらえればいいなと思っている。また、こんな用途で使いたいという方がおられたら、いつでもご相談いただければ思う。用途にもよるけれど、格安の料金で提供いたしますので♪
2003.12.23
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平和の風よ吹きたまえ・・・今、暴力に対してはそれを上まわる暴力を、戦略に対してはそれを超える戦略を、軍事力に大してはそれを凌駕する軍事力を、それぞれの国が負けまいとして、用意しようとしている。しかし、「力」に対してそれを上まわる「力」を用意しても、そこに残るのは、「復讐」「反撃」という怨念である。こうしたマイナスの輪の繋がりを今こそ、断ち切らないと、その作用は未来永劫に無限に続くのだ。その中で、日本と言う国は、日いずる国として、そうした挑発に乗ることなく、暴力や戦争の圧力に屈することなく、あくまで平和を維持するための証人として、某大国の支配に対しては断固「No!」という立場を維持して、国際舞台に立つのが元来の使命ではないだろうか。されど、日本がイラクに自衛隊を上陸させた時点で、今までの歴史上ずっとなかった「イラクVS日本」という図式が成立してしまうのだ。少なくとも、イラクの国民にとっては、「他国の軍隊=侵略者の同盟国」と映ってしまうのである。※もし日本がイラクの立場であれば、当然そう思うだろう。今回の日本政府の決定について、日本の国民の多くは、事態をそれほど深刻に受け止めていないかも知れない。しかし、イラクの国民にとっては、今までずっと信頼してきた親友に裏切られ、反旗を翻すに等しい行為ということを、どれだけの日本人が知っているのであろう。「そんなこと、今更言ってももう個人のレベルではどうしようもないよ・・」と、思ってはいないだろうか?いや、たとえ派兵が実行された後でも、「自分はこうした政策には賛成できない!」という気持ちさえあれば、派兵した行為そのもを否定・非難することなく、ただただ、イラクの平和を祈りたいと思う。絶対にあきらめてはいけない。人間、一人一人は自分の生き方は、自分で決める特権を持ち合わせているのだ。自分の生き様は自分自身で決めるのである。こんな自分に今できることは、「イラクが平和でありますように」と祈る心ではなかろうか。今、あらためて「想いは実現する」という言葉を思い出してほしい。たとえ、一人でもいいと思う。(僕は、決して特定の宗教の教えや、偏った思考で話しているのはないことを理解してほしい)これなら、通勤の電車内でも、仕事中でも、デート中でも、忘年会中でも、いつでもできるだ。これは、「力」に対しては「力」という戦いではない。そして僕は、祈っている。イラクが平和でありますように。日本が平和でありますように。平和の風よ、イラクに吹きたまえ
2003.12.19
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削除しました・・・。
2003.12.18
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どっひゃーーーー!!お気に入りのカシミア100%のカーディガンを着ようとしたら、なんと袖の先がボロボロに食いちぎられてるではないか・・・。うぉおおおお・・。誰だ~!こんなことするのは・・!?実は、犯人はコイツ↓だった彼の名前は「チロ」という。「なぁ、チロよ。こんなことしたらアカンねんで・・・」ネコ語で話すと、「ニャンチロニャンワカニャーニャーニャンコホイホイ・・(?)」と、言ってみても、やはり通じないので困ったものだ(当たり前ですが・・)。されど、これがクセになってまた別の衣服が犠牲(餌)になるかも知れない・・。わーーん、どなたか、イイ知恵お借りできませんかぁ~。
2003.12.17
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ウチの息子は、たこ焼きが大好物である。その息子が先週の金曜日に誕生日(なんと15歳だよーん)を迎えたので、彼が好きなものを週末の晩メシで作ってあげようと約束したのが、そもそもの間違いであった(ちなみに僕の料理の腕はセミプロ級である・・・と、自分で言っておりますが)。そして今日、日曜日の朝に「で、オマエは何が食べたいんや?」と、尋ねたところ、間髪いれずに「たこ焼き!」というリクエストが返ってきた。「えぇーーー、タァ・コォ・ヤァ・キィィィ・・・!?」と、本当にそれでいいのかと念を押すと、他にはご飯やおかずはいらずに、純粋に「たこ焼きだけ」を夕食として食べたいという・・・。(我が息子ながら変わったヤツだ、まったく)こうして、今夜の我が家の献立は「たこ焼き」になった。※大阪では、たこ焼きをご飯のおかずにして食べることは珍しくなく、どこの家庭でも見かけるごく普通の風景である。しかし、たこ焼き「単品」をディナーとして召し上がるのは、僕もあまり聞いたことがないぞ・・。うーーーん、やっぱりあの息子は変人かも知れないぞ。(この後、親父の方が、それの1万倍くらい変人だと言い返された)もうこうなったら、たこ焼き屋の親父に変身するっきゃない~!作るからには、「甲子園のたこ焼き」と唸らせるほどの旨いモンを作ったるから覚悟しとけよ~♪とかなんとか言いながら、秘伝の調合で粉をとき、具(蛸・桜海老・天カス・こんにゃく・竹輪・葱・その他)を適度なサイズに切って、さていざ焼かん!我が家のたこ焼きプレートは、横4列×縦6個=24個を一度に焼けるスグレモノで、しかもたこ焼き専用モードが付いているので、外側がサクッと、内側がやんわりと焼けるのである。しかも、1個1個が大型サイズなので、焼いていると楽しいのだ。結局、150個くらい焼いたところで、みなさん腹いっぱいになって、たこ焼き奉行の役目は無事に終了したのであった。そして、当の息子様は大満足であったようだ。それにしても、何のおかずもなく、夕食でたこ焼きだけよく食べれたなぁと、我ながら感心したぜい~。ちなみに、一緒に飲んだビールは格別でした♪たこ焼きとビールの組み合わせは、トリの唐揚とビールの組み合わせに匹敵しますぞ~。
2003.12.14
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今日は前回に続いて、ジョン・レノンのことを話してみたい。僕は何故、ジョン・レノンがこれほど好きなのか?それは、彼の曲の中にある叫びに、心が揺り動かされるからなのだ。この世の中の矛盾や理不尽なことを詩に込めて叫ぶように歌い上げる。その叫びとは、内なる自分への叫び、すなわち「魂の叫び」である。ちょうど、彼がオノ・ヨーコと出会った頃から、そのような傾向がはっきりし始めたのだ。彼の人生を180度転換させたのは、間違いなくオノ・ヨーコと言える。世界的なアイドルであるビートルズのスーパースターが、日本の一人の前衛芸術家に過ぎない彼女にここまで影響されるのは、まさに運命の相手であったのであろう。運命の相手・・・、巷では、よく「ツインソウル」「魂の恋人」「双子の魂」「魂の片割れ」「赤い糸に繋がった人」などと表現されるが、彼女はおそらくこのような類(たぐい)に入るのであろう。いずれにしても、このような相手と出会うと、自己の魂の内面を揺さぶられて、何らかの形でそれを顕すということらしい。ジョンの場合は、自分の詩の中で叫ぶという方法で、自己の内面を顕していったのであろう。彼の曲を聴いていると、叫びの中からそうしたメッセージが伝わってくるのを感じるのだ。すると、いつの間にか聴いてる僕も共鳴してしまい、ナント仕事中にCDを聴きながら一緒に叫んで踊って歌っていることがたまにあるのだ(一人だけの事務所なので何をしようと自由自在なのです・・・笑)。ところで、ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出会って劇的に変化したように、僕もそういう人と出会うことで劇的に変化するのだろうか?いや、ひょっとしたらもう既に変化しているかも知れないな・・・。 さて、その相手はだぁ~れだ?
2003.12.12
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今日、12月8日はJohnLennonが熱狂的なファンの凶弾に倒れた日であった。あれから、もう23年も経ったのかと思うと、時間の流れとはいったい何であろうかと思ってくる。ふと、当時のことを思い出して物置の奥を調べていたら、20年前の1983年12月8日(大学4回生当時)に書いた日記が見つかった。今日は、そのとき書いた日記の中身をなるべくそのまま書き写してみる。(とても幼稚な文章です)---------------------------------------------------------------------------------------●JohnLennon追悼週間・・・3年前の12月8日のことだった。僕がまだ大学1回生だった頃、授業を終え帰宅し、すぐさまコタツに入って「ふわぁ~」とアクビをして、手元にあった夕刊を手にして社会面をのぞき込んだ・・・。すると、『ジョン・レノン撃たれる』との見出しがすまなそうに小さく載っており、そこにはジョンの顔写真も入れられていた。ただ、この時は「速報」という形で伝えられており、まだ生死もはっきりしていなかったために、記事自体はわずか3~4行であった。しかし、信じられない気持ちになった僕の手は、テレビのニュースのスイッチを入れていた(夕方6時の総合ニュースであった)。そこに映しだされたのは、見事に僕の「嘘であってくれ!」という期待を裏切っていた。無惨にも、ニュースは彼の『死』を告げていた。僕の手は次々とチャンネルを変えていた。「誤報かも知れない・・」、しかしどの局も同じだった・・。とても寒い寒い日の晩の出来事であった。あくる日の朝刊の1面には、彼のニュースが大きく載っていた。皮肉にも、それは彼がビートルズ時代に作った「A DAY IN THE LIFE」の詩そのものであった。=========================================今日、新聞を読んだら困難を乗り越えた運のいい男の話が載っていたその話は、どちらかといえば悲しいものだったけど僕は笑わずにはいられなかったんだ----写真を見たから・・・・・・・・=========================================この詩は、この日の朝刊の、まさに彼が彼自身のことをうたった詩であったのではないだろうか・・・。僕はこの朝刊を複雑な気持ちで読み、大学の講義を受けに出かけた。その日の講義では、教授さえもが彼の死について論議をしていた。しかしその内容はどちらかと言うと、次のような否定的なものであった。「たかがミュージシャンの若者一人死んだくらいで、あんなに世間が騒ぎ、もし学部長であるこの私が死んでも、世間は知らん顔する。こんなバカな話があっていいのか!」と、言うことを学生達に話していた。このとき僕はひどく腹が立ち、この教授に反論しようとさえ思った。それから数日後、この教授は不幸なことに自動車に轢かれて亡くなられた。「私が死んでも世間は騒がない」と言う彼の予言は、皮肉にも的中していた・・・・・。あれから3年後(1983年)の今日・・・。僕は今、アルバイト先の風月堂の昼休みの間、ウォークマンでずっとジョン・レノンを聴いている。今週はできるだけ聴いていたい。・・・・・・・・・・・・・・・-----------------------------------------------------------------------------------以上が、20年前の今日に書き綴った日記の内容である。これを書いている2003年12月8日の今、僕はジョンの「MIND GAMES」のカセットテープを聴いている。これを聴いているときは、1980年のときそのままだ。大いなる時間の流れを感じながら・・・。
2003.12.08
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2003.12.06
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この11/29(土)~11/30(日)にかけて行われた「第3回ビジネス強化合宿」に参加してきた。今回の参加者は、★★オモロイ人生大学★★さん情熱マンさんGadowskyさん自称:天才バスケットマンさんそして、この甲子園の風こと、僕を含めた総勢5名である。この酒呑みメンバーが集まれば、ビジネスの話どころではなく、オチャラケのバカ騒ぎが始まると皆さん想像されることであろう。特に、あのオモロイ何とかサンが先導して、みんなをお笑いの渦に巻き込んでいることであろうと・・・。しかしである!前回の日記で紹介したとおり、この合宿はその名も示す通り「ビジネス」のための語り合いの場なのだ。だから、参加者全員がこの日だけは真剣モードに突入しているのである。当然ながら、一切のアルコールは禁止!(だって仕事なんだもーん)ダラダラ話も禁止して、厳粛な雰囲気のもとに熱い語らいが行われたのであった。この合宿では、参加者一人一人がみんなの前に出て約2~3時間位の持ち時間のもと、「今こんなことをしようとしている」「こんなことで仕事がうまくいかない」「これをするにはどうすればいのか」などのことを発表する。そして、他のメンバーはそれらについて自由な観点で意見やアイディアを出し合う形で進行する。そして、最終的に各参加者自らが本日の時点での結論を出したり、目標を設定して、それらについて行動することを明言するのだ。1本の糸をピーンと張り詰めた緊張感の中で、合宿は夜通し行われ、気が付いたら朝の6時になっていた。今回は、先に紹介した4名までが終了し、結局僕の番は次回の合宿でということになった。他のメンバーのみんなは申し訳なさそうにしていたが・・。今回、僕自身はこの方がよかったと思う。実は今少し僕自身の中で「迷い」が生じているので、この状態で発表してもエネルギーが分散されてしまい、結論が出せなくなるので躊躇していたのだ・・・実はネ♪まぁ、次回の合宿までに自分なりの結論が出せると信じている。と言うのも、「1年後の自分」がだんだんと見え出してきつつあるのだ。それを楽しみにして・・・。なお、今回の合宿の厳正な雰囲気(?)を1枚の写真に収めてきたので紹介してみよう。さて、みなさんは、誰が誰だかお分かりかな~?こうして見ると、みんなずいぶん若く見えるものだ(実際、若いのであるが・・)。もちろん、みんな本気で自分の人生を生きたいと考えている素敵な人たちである♪みんなありがとう。そして、この日記を読んでくれたあなたも♪
2003.12.04
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