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今度は娘が緊急入院弱り目に祟り目英語では Troubles never come alone. というとか。主人の容態が安定したかと思ったら一人暮らしの娘が救急車で運ばれました。まさかの緊急入院。そして搬送先では緊急手術の必要があると聞かされました。しかしそこでは開腹手術。嫁入り前の娘に開腹手術は酷いです。必死で腹腔鏡手術ができる病院に転院させてくれるように希望しました。泣きながら訴え、やっと受け入れ先が決まり救急車で搬送されたのは14時ごろ。受け入れ先の病院では早速オペの手配がされました。執刀開始は17時。早ければ1時間、難しければ3時間、それ以上かかることもある⋯祈る気持ちで娘を手術室に送り出しました。待っている間に必要なものを買いにコンビニへ行きました。病院の外に出るとあまりにも明るい世界に戸惑いました。いつものように家路につく人、交代で帰る看護士さん⋯その人たちには変わることのない当たり前の世界がなんだかパラレルワールドのようにそこに冷たくありました。歯ブラシ、水、ティッシュ⋯主人の入院で分かってるはずの必要なものもなかなか頭に浮かんできません。病棟の待合室に戻りただ待ちました。どうか手術がうまくいきますように。悲しい結果になりませんように。痛みを私が代わってあげられたら⋯1時間が過ぎ、2時間も過ぎました。いたたまれなくなって手術室のある階へ行こうとしましたがそこは立ち入り禁止。どうしようもなくフラフラとロビーへ降りていきました。誰もいないロビー⋯なのに行き交う人々の幻影が目の奥に見えるような気がしました。そして呼び出しのアナウンスが聞こえるような錯覚⋯しかし、じっとそこを見つめると昼間の混雑はなく、嘘のように静まり返っていました。放心していたようでしたが、我に返りふらふらと病棟へ戻ろうとすると⋯廊下の壁の鏡に人影が映り走り去ったような錯覚に襲われました。娘に何かあったのか、と急いで病棟に行き尋ねるとまだ手術中という答えです。病棟の待合室にはお見舞いの人に囲まれた患者さんがにこやかに話しをしていました。すぐそこで、聞こえているはずなのに何も耳へ入ってきません。ただスローモーションのように動く人たちと笑っている気配だけが伝わってきました。しばらくすると面会時間終了のアナウンス。もう20時になったのです。手術が始まってもう3時間です。いつの間にか一人になった待合室で、廊下を人が通るたびにハッとしながら長い長い時を待ちました。目を閉じて繰り返し「どうか娘の手術がうまくいきますように、輸血をしないですみますように、これからの人生に障害が残りませんように⋯」と強く祈っていました。俯いていると手術着の執刀医の先生方が入ってみえました。「手術はうまくいったのでしょうか⋯」と聞くと「お話はあちらの部屋で⋯」とスタッフステーションの先の部屋に案内されました。厳しい表情で足早に先を行く二人の姿を見て心が怯えていました。椅子を勧められパソコンの前の執刀医の先生の横に座りました。「なかなか困難な手術でした。緊急でもありましたがスタッフ全員が最善を尽くし手術は成功しました」「⋯」ありがとうございます、と言わなければいけないのに涙が先でした。よかった、本当によかった。やっと「ありがとうございます。皆様に感謝いたします」というと「輸血もしないですみましたし早ければ4、5日で退院できますよ」というのを聞くとこわばっていた全身にスウっと血が巡っていくようでした。しばらくして娘も病室に入り短い会話をすることができました。頭の中で「ありがとうございます、ありがとうございます」という言葉が誰にともなく繰り返されていました。娘が眠りについたので、着替えなどを取りに行くことにしました。一階に降りて車を止めてあったところまで行きました。すっぽりと闇に包まれている通路を病院の明かりが照らしていました。頭に中ではまだ「ありがとうございます⋯」という言葉が繰り返されていました。見上げるとビルの狭間の切り取られたような空は無限に深く続ています。その空の深いところから見つめている誰かがいるような気がしました。何に対して、誰に、感謝しているのだろう⋯答えはわかりませんでしたが、何かそこにある大きなものに感謝していました。それが何と呼ばれていようとも祈りを叶えてくれた存在があるように思えました。深く心から強く祈れば願いは聞き届けられる⋯本当に強く祈るということはそれを叶えてくださいと縋ることではなく、心から全てのことが良い方向にいくと信じて最善を願うことなのかもしれない⋯次の日娘はもう歩く練習を始めていました。入院を受け入れ緊急手術をしてくれた病院に感謝します。時をおかず手術してくださり、時間がかかってもあきらめず、機能を残して粘り強く患部を全て取り去ってくださった執刀医の先生方にも、笑顔を絶やさず優しく看護してくださった看護師のみなさまにも。昨日は主人もリハビリ病院に転院しました。いろんなことが立て続けに起こりましたが、これから先は良くなっていくだけだと希望を持って毎日を送っていきます。最後まで読んでいただきありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.09.16
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毎日病院へ通っています自宅から主人の入院先の病院へは混んでいなければ1時間ちょっとで着きます。海岸通りを走り国際村を抜け鎌倉、北鎌倉と抜けていきます。夏の終わりであっても鎌倉は人で賑わっています。怪我をしていなければなんの不自由もなく、笑いさざめきながら古都を散策することもできるのでしょうに。今までは気づかなかったのですが、改めて健康で怪我のないことのありがたみが身にしみます。こうとなっては時間を戻すことも叶わないのですが、「その気になればなんでもいつでもできる」時は終わってしまったかのようです。鎌倉八幡宮を通過する時はその交差点を楽しそうに渡っていく人々が、まるで映画の中の非現実的なワンシーンのように思えて不思議です。ここを過ぎると建長寺から円覚寺前の北鎌倉を通っていきます。昼間のことですから蝉の声が聞こえています。どこまで走っていっても絶えることなく聞こえ、同じ蝉が鳴いているようなので車で走っているのではなく、動かない車の中に座り窓の外の景色だけが、走馬灯のように走り抜けていくように感じられます。病院に着くとそこはまた違った世界に紛れ込んだかのようで、綺麗に隔絶されているみたい。主人と話をして身の回りの世話をしている自分をなんだか自分が見ているような、その現実を受け入れかねているような全てが夢であってもう覚めようとしているような不思議な感じがします。夕ご飯が済んで面会時間も終わると、おやすみなさいをして帰ります。暗くなった道を今度は反対に現実に向かって帰っていくような、家に着いたら主人が「どこへいってたの」と迎えてくれそうな、暗い穴の中に入っていくいうな夜道です。虫の声が絶え間なく聞こえ窓の外を流れていきます。読んでいただきありがとうございました。今夜はゆっくり休みたいと思います。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.31
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相手方保険会社から書類が届きました今日病院へ行こうとしていた矢先、郵便物が届きました。事故を起こした加害者側の保険会社が送付したものです。通り一遍の挨拶に続き怪我が治るまでの対応、その後の慰謝料の話が書いてありました。治療費、通院交通費(退院できないのに)、休業補償、云々。ため息が出ます。主人は給与所得者ではないのに給与所得者用の用紙です。こちらの職業などお構いなしのマニュアル通りの手順なのでしょう。どうしたら良いのか途方にくれます。警察の事情聴取さえ手術後の体でできていないというのに。相手方が100%過失を認めているので治療費はもちろん加害者が支払います。しかし、この事故が起きなかったらできていたこともできなくなる可能性については何も触れられていません。それは怪我が治ってから、損害賠償請の話を進めるときに出て来るのでしょうか。寛骨臼を数カ所骨折し、恥骨も折れている主人に寄り添ってくれているとは思えません。最初の病院では骨がつくまで安静にして治しても、手術をして治しても治る時期には変わりがないので手術はしない、と言われました。寛骨臼の接合手術はときに大量出血を起こす危険性があるので、手術するかしないかは慎重な判断が必要なのだそうです。ですが、主人の骨折の度合いで言えば、手術をしなければ重大な障害が残る危険性も大きかったのだと転院先で聞きました。神経損傷もありうるのだと⋯手術をしても癒合不十分で再手術のことも、人工関節になる可能性も⋯それなのに休業補償は⋯というだけしかないお話です。今日手術痕を見ました。前に3ヶ所、後ろに1ヶ所、太腿にも傷がありました。あまりに位痛々しいのでここに載せることははばかられます。これから辛いリハビリだけでなく辛い闘争になるのでしょうか。悲しいです。だけど悲しみにくれていてはいられません。フルアーマーで戦わなければ。好きな海に出られない今、これからも続く病院生活、自分は何も悪くないのに危険な手術を受けなければいけなかった無念。痛み。私が弱ってはいけません。食欲はありませんが食べなければ。果物とミューズリーを買いました。料理をする気にもなりませんから。権利の主張をするのは苦手な私達です。相手のことを慮って「いいよ、大丈夫だよ」というのが常です。だけど今回はそうしてはいけないと思いました。だから食べます。読んでいただいてありがとうございました。愚痴のようになってしまいごめんなさい。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.31
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一人は寂しい病院から帰って玄関を開けると明かりがついていました。晴れた昨日に太陽光で充電しておいた階段のライトが点いていたのです。事故があってからは外へも出さずにいたのですが、昨日やっと充電できたのです。毎日何気なくやっていたことなのになんでできなかったんだろう。それにたったこれだけの光でもこんなに気持ちが和らぐなんて⋯主人はHCUから病室に移りました。窓が柔らかな丸みを帯びたカーブになっていてとても明るいです。主人は気持ちは元気でしたが、痛みはまだまだのようです。もう介助付きで車椅子に座ったり、足を動かすリハビリをしています。見ている方がハラハラしてしまいます。しばらく一緒にいて帰りました。子供たちはどこかで食事をしていくと言っていました。私は近くのスーパーでお弁当とサラダを買って一人飯です。なんだかワサワサしたところで食べる気がしなくて⋯。完食できるかなぁ。読んでいただいてありがとうございます。心配して優しい気持ちをよせてくださってしんみりしています。早く元気になってほしいです。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.29
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事故にあい主人が入院しましたルンルン北海道旅行をして仕事も済ませ、帰ってすぐのことです。主人が事故にあいました。バイクで走行中、ウインカーも出さずに左折してきた車に激突したのです。とっさに左に切ったのですが、右半身が相手の車に強くあたり、ボンネットの上を飛び越えて反対側に落ちました。すぐに救急車で病院へ向かいました。搬送された病院で検査した結果骨盤骨折で数カ所に及んでいるということです。右腕にも裂傷を負いましたが、脳や脊椎、頚椎には損傷はないと言われホッとしました。主人は手術をして早期に復帰をしたいと希望していました。しかし搬入先の主治医に「体に傷をつけて輸血までしても回復時期はそんなに変わらないよ」といわれ、それなら安静にして骨がつくのを待つか⋯と考えを変えました。すると、しばらく後で整形の主任が来て「骨折が数カ所及び恥骨も骨折している。このまま手術をしないで治すと障害が出る可能性が大きい」と改めて説明がありました。搬入された病院ではそう言った手術の経験がないので、あたふたと受け入れ先を探し、急遽緊急転院となりました。転院先の病院は規模も大きく、整形のセンター長は手術では名医と言われているようです。担当になった医師からこの手術はセンター長がすると言われお任せしました。手術は4、5時間と言われていましたが、9時に入り2時になっても3時になっても連絡は来ません。待っている間は気が気ではなく、何か不測のことが起こったのかと心配でした。その日はドクターヘリが2回も来たり、「大量出血があったようだよ」などと看護士さんたちが言っているのを聞いて私は脈が上がり、測ってみると140台で気分も悪くなってしまいました。やっと執刀医から説明が聞けたのは17時半近くなった頃でした。家族全員が集まっていたのですが、「手術は成功ですよ」と聞いて、フゥと緊張がほぐれました。主人の骨はしっかりしているのでズレを直すのに一苦労したようです。3つ入れるはずであったチタンのプレートは2つになりその他の損傷もプレートで補強しないでも固定できたそうです。あとは主人の回復力に期待して、合併症が起こらないように祈りました。その後数日経ちましたが、リハビリが始まるほどになっています。同年代の他の患者さんよりはおそらく回復は早いだろうとのことです。そんな訳で、これから数ヶ月はプチ(?)別居が続きます。とはいえ毎日お見舞いにはいっているのですが。家族もホッと一息をつき、私もブログを再開する余裕もできました。それにしても、ここのセンター長さんのブログで見た「QOLを考慮しない残念な手術が多すぎる」という意味の言葉が忘れられません。その場の修復を急ぐただの骨接ぎではなく、術後の運動能力の温存を考えてくれるセンター長さんの手術を受けられ幸運でした。私はやっと食事がまともに喉を通るようになりました。主人は手術の翌日から常食をバンバン食べているのですがw。読んでいただいてありがとうございました。次はまた北海道の旅の続きをかけると思います。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.28
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利尻島、礼文島への旅の計画稚内では天候に恵まれず、北限の夕日も見られずじまいでした。それならいっそ利尻、礼文へ行ってみようかと考えました。おいそれとは来られそうにもない北限の離島です。それに来てからずっと雨もよいの天候もきっと良くなってくれるはず⋯と計画にかかりました。利尻島には日本百名山の一つ利尻山があります。白い恋人達のパッケージでおなじみの山です。高山植物もたくさん見られ夕日が美しいペシ岬もあります。利尻山山頂やペシ岬からは兄弟島の礼文島も見えると言います。調べているだけでなんだかワクワクして来ました。問題は宿です。ネットで調べてもハイシーズンのためか予約できるところがありません。しばらく悪戦苦闘していましたがやっと見つけました。利尻島は最北亭、礼文島はユースホステルの桃岩荘です。桃岩荘のあたりは猫岩という奇岩もあり見晴らしの良いところだそうです。水の色がとても綺麗な入江花の礼文と言われるほどあちこちに咲き乱れる花⋯調べているだけでニコニコしている自分がいました。問題はフェリーです。行きも帰りも行けば乗れると稚内の友人が言っていたのですが、観光客も多い夏休みの真っ只中なので予約して席を確保しました。一等なので少し値段ははりますが、ゆったりと旅ができると思えば安いものです。稚内から利尻島、鴛泊港へは10:50分発 12:40着なので1時間50分の船旅。鴛泊港から礼文島の香深港へは15:20分発 16:05分着で45分ほどで着きます。帰りは香深港を13:25分にでて鴛泊経由で稚内まで2時間50分かかる便が取れました。宿へも連絡をしたところ最北亭は港のすぐそばでお迎えなしでしたが、桃岩荘は香深港にお迎えの方が来てくれるとのことでした。用意万端整いました。ほんの二泊三日の駆け足旅行になりますが、この機会に島の雰囲気だけでも感じられたらと思いました。北限の自然溢れる島々ではどんなことが待っているのでしょう。期待に少し興奮気味でなかなか寝付かれなかったのでまた天空の湯へ。ぬっくりと体を温め、次の日からの天候の回復を祈りながら眠りにつきました。読んでくださってありがとうございました。利尻、礼文での観光の様子も読んでいただければ嬉しいです。写真はwikipediaさんからお借りしました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.19
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市内に滞在しノシャップへ稚内市内と宗谷岬の中間にあったペンションを朝出る前に、実はひと騒動あったのです。オーストラリアから一人で来られた女性が支払いで困っていました。クレジットカードが使えず日本円もほとんど持っていなかったのです。ネットで予約した際にクレジットカードでの決済ができないとあったのですが、ネット上での決済がカードでできなくても現地で使えると思ったと言います。ペンションのオーナーも困ってしまっていました。どこのサイトから予約したのか聞いてまずその会社に電話しました。彼女のPCにそのページを出してみると確かにわかりにくい表現です。応答してくれた人にさんざん文句を言って「不明瞭な表記をしたのだからおたくの会社がこのペンションに支払って、後からベスさんに請求しなさいよ」と言ったのですがダメ。仕方なく私が立替払いをして出発したのでした。泣き出してしまったベスさんの旅行を台無しにしたくありませんでしたから。そんなこんなで一緒に宗谷岬へ。とても素敵な写真を撮る方でした。観光が終わって一緒に稚内市内に入りました。宿泊先を聞くとなんと同じビジネスホテルでした。お金の話の顛末は長くなるので、ちゃんと返してもらったことだけをお伝えします。キャッシュを持たずに旅をする人が多い欧米人には何度か出会いましたが、今回はコンビニはおろか銀行や郵便局でもお金を引き出せなかったので難渋しました。一件落着したところでそれぞれのしたいことをするために別れました。メルアドを交換してホテルにチェックインしたら連絡し会う約束をして。さて、15時まではかなり時間がありました。稚内駅周辺は観光シーズンなのに人通りも少なく寂しい感じです。小雨交じりの曇天の上にここまで人がいないと不思議な気分にすらなりました。氷雪の門のある稚内公園まで歩こうかとも思ったのですが、路線バスを利用してノシャップ岬へ行くことにしました。10分位でノシャップというバス停で降りました。ここがまた風がふきすさんで人っ気もなく、小さな看板の矢印が岬の方角を示しているだけでした。歩いて数分寂しいノシャップ岬に到着です。来る道すがらに人気のなさそうな土産物屋や食堂がありました。岬の手前の駐車場のところの観光センターは普通の感じでしたが、中に入って見ると客は私を除いてカップルと親子連れのみという侘しさです。天気のせいもあるのか段々気分も落ちてきてため息が出そうでした。晴れた日の夕方にはきっとたくさんの人が、あの可愛らしいイルカの前で北限の雄大な日没を記念に収めるのでしょうが。強風に髪をなぶられながらくすんだ色の海を眺めて落ち込みそうな気分をなだめました。バイクが何台かついたような音がしたので振り返ると灯台が見えました。赤と白に塗られていると火力発電所かゴミ焼却場の煙突のようで、これでもまた気持ちが削がれてしまい本当にため息をついてしまいました。隣には水族館があるようです。行ってみると「ノシャップ寒流水族館」「稚内青少年科学館」でした。生き物がオリや水槽に閉じ込められているのを見るのはあまり好きではないのですが、せっかくここまできたので日本最北の水族館に入ることにしました。入り口でチケットを買っていると「ゥオッ、ゥオッ」っと声が聞こえます。アザラシでした。館内に入る手前にアザラシのプールがあり、反対側にはペンギンもいました。アザラシたちは見学者が魚の入ったお椀を買って近付くと一斉に寄ってきました。いえ、一頭近寄れない子がいます。その子が鳴いていたのでした。仲間はずれなのかいじめなのかわかりませんが、魚をもらえるポジションに行くことができず鳴いて訴えているようです。気づいた人がその子の方に行くと、他のアザラシが飛んできてその子を外側に追いやっていました。なんだかうそ寒い天気と賑わいのない観光地で萎えそうになっていた気持ちが、また一層冷え込んで行くようでした。中に入ってみると魚の展示はそこそこ充実していました。大きな回遊水槽にはイトウやオオカミウオもいて迫力があります。クリオネもいました。120種類、1300点飼育展示している水族館の隣が青少年科学館でした。なんとプラネタリウムがあるではありませんか!折しもペルセウス流星群が極大を迎える頃なのでその解説もあるようです。心がキラッと光ったように嬉しくなったのですが⋯もう始まっていてなかには入れません。ついていない時ってこんなものなのですね。即即諦めて展示場内へ入って行きました。環境展示コーナーは再生可能エネルギーなどの展示がわかりやすく、小学生くらいの子供たちが参加型のコーナーで遊びながら学習していました。南極展示コーナーもなかなか良かったです。南極の氷に触ってきました。歴代の南極観測船の模型や、南極観測初期の展示物もあったのですが、何と言っても樺太犬のタロとジロの話には胸を打たれました。そろそろチェックインできる時間が近づいてきました。帰りのバス停がわからなかったので入り口の女性に聞くと「きた道を戻ってバスの通る道に出たら右に行ってください。すぐに小屋があるバス停があります」と教えてくれました。その通りに右に行ったのですが、バス停はありません。しばらく行くと右側にバス停があったのでそこで待つことにしました。10分、15分と時間は過ぎて行きました。遠くまで見通しのきく道なのですがバスの影すら見えません。来るとき乗ってきた方向からバスが来たので運転手さんに聞くと、右ではなくて左に行くべきだったということがわかりました。気分の冴えない時というのはこういうものなのですね。ブツブツ言いながらバス停2つ分歩いてノシャップのバス停へ。「なんだよ!降りたバス停じゃないの!?」と力が抜ける思いでした。駅までバスで戻るとホテルはすぐそこです。チェックインを済ませ荷物を置いてホッと一息。最上階には露天風呂もある温泉があったので夕食前に浸かって気分転換です。女性用の露天風呂からは海は見えませんでしたが体を伸ばしくつろげました。お風呂から上がってメールを見るとベスさんからのメールが来ていました。夕食を一緒にとのお誘いです。彼女はクラウンプラザホテルがいいと言っていたのですが、せっかくなので西洋料理ではなく郷土料理の店に行くことにしました。竹ちゃんというお店に行ったのですが、どこから湧いて来たのでしょう?と思うほど人がいっぱいで30分以上待たされました。席についてベスさんのセンチメンタルジャーニーの話を聞き、私も計画性のない北限の旅のことなど話してひと時を過ごしました。そうそう、この後の計画のことを話すつもりでしたがこの次に。訳あってあと2泊しなければいけなくなってしまったのでw。そのいきさつとハラハラの宿取りの模様を書いてみようと思います。読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.18
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たくさんの見所のある宗谷岬本土最北端の地 宗谷岬。条件が良ければ43キロ先に樺太も望めるのですがあいにくの雨です。強い風に吹き付けられて小雨でもかなり濡れてしまいます。前日に泊まった亜留芽利亜の娘さんが案内してくれました。バスの通っていない宗谷丘陵を抜けて岬を目指します。近くには風車がたくさんあるのですが雲が降りてきていてほとんど見えませんでした。全部で57基の風力発電の風車があるのだそうです。この地形は周氷河地形といい肉眼で見える場所は珍しいのだとか。標高20〜400メートルの丘陵地帯は宗谷岬の南に広がり、土が氷河で削り取られた様子がよくわかりました。フットパスも整備されていて、歩いて宗谷岬まで行く人もいるようでした。宗谷岬に近付くと牧場が広がり、宗谷黒牛がたくさん草を食んでいました。このあたりまで来ると行く手に宗谷岬の全貌が見えてきました。1番高く目を引くのは祈りの塔です。1983年に起きた大韓航空機撃墜事件の慰霊塔です。鶴を形取った塔の先端、鶴のくちばしは事件の起きた方角を指しています。台座は羽の形で16段。これは被害者の国籍の数。表面に貼られている石は269個で被害者の数なのだと娘さんが話してくれました。どうしてあのような悲惨なことが起きたのでしょう。国同士の主義主張はともあれ、民間機を撃ち落とすなどどうしてできたのでしょう。あの時の衝撃がよみがえり、亡くなられた方々のことを思うと胸が痛くなりました。側には世界に平和を願って造られた世界平和の鐘もありました。国連本部に一つ、ここにも一つ、石垣市にも一つと合計3つの世界平和に鐘があるのだそうです。宗谷海峡を見下ろす場所には平和の碑と宗谷海域で亡くなった戦没者の慰霊塔がありました。第二次大戦中には民間の商船も含め、アメリカの潜水艦や日本の戦艦の乗組員などたくさんの人たちが亡くなっていると書いてありました。戦争がもう二度と起こらないよう願わずにはいられませんでした。旧海軍の望楼も残っていました。戦争や争いの犠牲者の悲しい慰霊碑や国境の備えの歴史的建造物ばかりでなく、あけぼの像という明るい雰囲気の男女の像もありました。北海道の牛乳生産が100万トンを超え、乳牛の数も50万頭を突破したことを記念して1971年に建てられたのだそうです。ラ・ペルーズ顕彰記念碑もありました。欧州人で初めて宗谷海峡を航行した人だのだとか。宗谷海峡の国際名は彼にちなんでラ・ペルーズ海峡というのだと初めて知りました。間宮林蔵の像もあります。測量具を持ち、顔を樺太の方に向けている像はスックと立って力強く、歩いて日本中を周り、樺太にも行き地図を作っていった意思の強さが伝わって来るようでした。間宮林蔵の像の近くには歌碑そして真ん中にNの字がある日本最北端の地の碑がありました。雨でなければ夕方までいて北限の夕日を楽しみたかったのですが⋯いくら思っても天気ばかりはどうにもなりません。たくさんあるモニュメントを一つ一つゆっくりと周り名残惜しくも出発しました。行き先は稚内市内。これからどうしようか⋯なんの予定も決めていないままのお気楽な一人旅です。さてさて、市内に戻るとどこをどう回るか思案の一夜が待っていました。宿が取れるかさえもわからない心細い状況でしたが⋯続きは次回のブログでお話ししようと思います。読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.17
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予想外の素敵なお宿稚内空港について買い物をしてからペンションに着きました。まだチェックイン時間前でしたが快く入れてくれました。15時を過ぎればお風呂も使えるとのことでした。入ってすぐのロビーは暖炉もあり居心地が良さそうです。何せ急に最北の地の観光を思い立ったのですから、どんなお宿でも仕方がないと思っていたのですが当たりのようです。テラスの外はすぐ海。晴れていれば遠くサハリンを正面彼方に、左手には利尻富士を見ることができるロケーションです。しかしながらの悲しい雨。小雨でしたが眺めは全く良くありませんでした。左手にはここから11キロ先の宗谷岬が霧雨に濡れていました。部屋へ上がってみました。二階の海側の3人部屋です。ネット予約では1人で泊まれる部屋は満室でした。3人部屋が一つ空いていたので直接電話したところ、一人でも構わないということでこの部屋が取れたのです。広い部屋で海がすぐ前。晴れていたらどんなに気持ちはいいことでしょう。テラスに出てみると、利尻の見えるという方角にも寂しい浜が続いているだけ。お風呂までしばらく時間があったのでレストランに行ってみました。 キレイに掃除が行き届いています。壁には南極探検で活躍した犬たちのことや、有史以前からの北海道、樺太の歴史が貼ってありました。歴史の年表はオーナーが作成し、今も直筆で書き加え続けているのだそうです。南極犬のことや北海道の歴史の展示を見ているとお風呂に入れる時間になりました。そんなに広くはないのですが、海が目の前で風が心地よく入ってきます。まだ他のお客様たちは到着していないようで独り占めです。さっぱりとしてゆかたを着てまたロビーに行きました。するとオーナーがいらしていろいろ話を聞かせていただきました。絵本作家の関屋敏隆さんがよくいらっしゃるとのことでした。「北加伊道 松浦武四郎のエゾ地探検」「やまとゆきはら 白瀬南極探検隊」「りゅうじんさまは歯がいたい」などたくさんの作品を書かれています。その他にもエゾ開拓時代の写真集や資料など興味深いものもありました。上の画像の左上には関屋さんが亜留芽利亜を中心にして、ランドスケープを書いたものが見えると思います。このコピーを宿泊記念にいただくことができました。さてさて夕食の時間になりました。メインは水ダコのしゃぶしゃぶ。そのほかにもナマコやホッキ貝、ウニにカニなどとこの地の特産物が並びました。オーストラリアからいらした方とドイツに住まわれていた方たちと一緒に海の幸に舌鼓を打ちながらしばらく楽しく過ごすことができました。するとオーナーが話に加わり樺太犬のこと、アイヌ文化のこと、北限の生き物などたくさん話をしてくれました。次の日、チェックアウトを買い物に出る時間に合わせれば、宗谷岬を案内してから稚内駅まで送ってくださるとのこと。バスに乗って宗谷岬まで行くことを考えていたので、とても嬉しくなってしまいました。それぞれが思い思いの物語をし、関屋さんの作品も見て談笑していると、最北のペンションでの夜はゆっくりと更けていきました。さて、次は小雨降る宗谷岬を観光したことをお話ししましょう。今回も読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.16
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稚内へ飛びました北海道に急な用事ができたのでついでとばかり、数日北限の地を観光することにしました。到着地は稚内。用事があるのは札幌なのですが、お盆の時期と重なってしまったのでマイルで札幌便は取れませんでした。まあいいか、とマイルのきく空港を探したら稚内だったのです。札幌へ行かなければ行けない数日前の便しか空いていません。ノーマルで行けば稚内への片道は5万円ちょっと。マイルで行けばそのぶん観光に使えます。都合のいいことに札幌に行く前に数日予定のない日ができるし⋯これはきっと天の采配に違いない。この際だから日本の最北端を堪能してこよう!という訳で予定外の北限の地観光が実現したのです。自動発券ができないので少し時間をとりましたがなんとかセーフ。稚内は初めてなので少しワクワクしています。ノロノロの台風5号の影響が心配されましたが、飛行に影響はありませんでした。台風一過の素晴らしい青空の下、樺太も見えるかもと期待しての出発です。残り2席であったので翼の上の非常口の席でした。前に座席がないので、足をゆったりと伸ばせて快適です。その上隣には乗客はなく、さらにのびのびと空の旅が楽しめます。しかし、非常口の前の席に座ると万が一の時は介助をしなくてはいけません。その際の注意事項が書かれたパンフレットを読みながら離陸を待ちました。定刻より少し遅れて出発した飛行機は大した揺れもなく稚内空港を目指しました。機内放送では稚内はあいにくの小雨、気温18度とのことです。着陸態勢に入ると右側にどんよりとした雲が地面まで垂れていました。「ん?あの線はなんだろう?」雲の色が目の高さの辺りで変わり、一本の線が入っています。飛行機はスムーズに高度を下げていきました。すると地面の近く、かなり遠くですが白く見える個所がいくつかありました。白く見えたかと思うと灰色の雲にのまれるように消えていきます。「あっ、あれは波なんだ!海がずっとが広がっているんだわ」広がる海は厚く垂れ込めた雲とほとんど変わらない色でした。線のように見えたものは水平線だったのです。飛行機を降りて外を見ると雲は一層厚みを増してきたかのように見えました。その日のお宿も数日前に慌てて取ったペンションです。期待はせずにいました。仕事がらみの稚内の会社の人が車で迎えにきてくれています。ペンションの場所もわからずにきたのでそこまで送ってもらいました。雨が降っていたので傘を買いにセイコーマートへ。ペンションを通り過ぎたところにあったので、そこまで行ってもらいました。ついでに食べ物とビールを少しばかり。口コミも読まずに電話で申し込んだペンションです。夕食と朝食もお願いしていたのですが念のため。さてさて、チェックイン時刻前に着いてしまったのですが、どんなことになったでしょうか⋯続きはまた明日ということにします。久しぶりのアップにお付き合いくださってありがとうございます。明日もまた読んでくださるととても嬉しいです。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.15
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猫と一緒だけど、たった一人の夜夕暮れが迫り、昼間の強い風雨もおさまる気配が感じられてきました。やけに広く感じられるリビングで一人夕食を食べる頃には雨の音も聞こえないほどでした。風はそれでもなお強く、後ろに背負っている山の木々を押し倒そうと唸り声を上げるように吹き荒んでいます。耳をすますと波の音が強くなりまた弱くなりして絶え間なく聞こえていました。音楽をかけ、やはり寂しそうな猫と一緒にカウチに寝そべり灯したロウソクの揺らめく炎を見つめていました。ゆらゆらと瞳に映る炎はまるで誰かが踊っているように動いています。伸びをして手を高く上げ、ゆったりと体をくねらせながら空気に溶け込んでいっているようでした。「お前の家族はどこにいるの?いったいどこからやってきたの?」と尋ねても眠そうに目を細めて何か言いたそうに口を動かすだけ。久しぶりに終わりの決まっていない夜が降りてきていました。家の周りを包み込んで夜がどんどん色を吸い取って真っ暗にしていく…窓を開けて外を見るとほとんど光のない空間がそこにありました。目を凝らして闇の向こうを見透かそうとしても先に行けば行くほど闇の密度は高くなるばかりで重く固まっているようでした。横になって目を閉じてると風の音や波の防波堤に当たるドンという音が聞こえていました。波の寄せてくるのも音というより肌に感じる微かな振動のように絶え間がありません。お腹の中で「ザーッ、ズズゥー」と聞いたお母さんの血が流れている音みたい…ベッドに入ると猫は私の左の足の付け根に頭を乗せ、体を伸ばし前足の一つをお腹の上に当てて一緒に寝るつもりのようです。まだ寝付いていないのか、尾をゆらり、そろり、と動かしていました。次の朝もこれと言ってしなくてはいけないことなど何一つなく、夜がこのままいつまでも続いていくような際限のない開放感がありました。…… 眠ってしまっていたのでしょうか。どのくらい時間が経ったのでしょう。目を開けるとカーテンの色が微かに目に入ってきました。風の音はもう止んでいます。すると鳴き声が…ホトトギスです。空気が柔らかな煙のように見えるほど薄くなった闇の向こうから聞こえてきます。光のとても小さな粒が夜の闇をわからないくらい少しずつ薄めながら朝の気配を運んできている中、アオバズクの声も聞き分けられました。体を起こしてカーテンを開けると、ああ、もう朝がそこに。どこまでが森でどこからが空からわからなかった闇はもうそこにはなく、明るく美しいイソヒヨドリのさえずりさえ始まっていました。アオバズクの声はもう聞こえないのかしら、と耳をすませていると代わりにコジュケイの甲高い鳴き声が突き刺さるようにやってきました。太陽は山の向こうでまだ見えなかったのですが、もうすっかり朝になっています。イソヒヨドリの声によく似たオオルリが近くで控えめに鳴いています。さあ、大好きな Virginia Astley の A Summer Long Since Passed を聴きながら朝の時間を滑り出させましょう。朝日がすっかり昇ったら終わってしまうであろう鳥たちのさえずりをバックに大好きな豆を挽いてコーヒーを淹れ香りが部屋じゅうに広がっていくたった一人の朝…ちょこんと座って見上げている猫に餌をあげてから、ひんやりと雨の匂いの残った小道を通って海まで降りていきました。紫陽花も山百合もあの強い雨風に倒れなかったのですね。木も花も太陽の光がまだ届かないのに自分の中から光を放っているかのように澄んだ色で一層鮮やかに見えました。最後まで読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.06.22
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しばらく夫と別居しています昨夜からの雨は、強さを増した風で斜めになりさらに激しくなってきました。二階の窓から見る景色も雨にけぶっています。冬の間は情けないささくれ箒のようになっていたご近所のバナナですが、出てきた大きな葉が風になぶられて揺れています。右手に降りていくとすぐ海なのですが、ここから眺める景色は深い山の奥のようです。飼い猫が「あなた、誰でしたっけ?」とでも言うように見ています。掃除をしたり洗濯をしても、しなくても良い用事を見つけ片付けても、一人でいる時間を持て余してどんどん時間の流れが遅くなっていく…そう、今いるのは自分の家ではないんです。夫とは別居中。と言っても入院中の家族の家に泊まりこんでいるだけなのですが。他に誰もいない、久しぶりの一人だけの時間。何もしなくてもいいのだけれど、何もしないとここだけ時が滞ってしまうみたい。植物の世話をして曇ったガラスを磨いても一向に時間は元のようには流れず、どんどん濃くなっていく感じがしました。なんであんなに忙しいと思っていたのだろう?大したこともしていなかったのに、今と変わらないのに…テレビも見ず、音楽も聞かずぼんやりとしていると、若かった頃、初めての一人暮らしをしたときのことが思い出されてきました。まだ家具も何もない自分だけの部屋の真ん中で目を閉じて深呼吸したっけ。夜もたった一人、食事も一人ぼっちだったけれど、これから続いていく自分だけの生活に心躍らせていました。次から次へと欲しいものが浮かんできて、何から買おうかと迷ったものです。その頃はまだ収入も乏しく、欲しいものを手に入れることもままならなかったのですが、一番先に買ったのはオーディオセットでした。心配して訪れた祖母がそれを見た時の呆れ顔が浮かんできます。「なんでガス台より先にこんな物買ったの?」食費も浮かせてレコードも買っていたので、部屋にある食べ物はパンととピーナッツバターだけだったなぁ。中古の冷蔵庫を買ってからは1ポンドバターがその中にあるとリッチな気分になったりして。好きな音楽を聴きながらパンにバターをつけてゆっくり食べる…時間がたんまりあってどんなことでもできる気になっていたあの頃…それから数十年。思えばいろいろありました。まだまだいろんなことが起こっていくのでしょう。これからやってくることは予想不可能です。もう過ぎて行ってしまったことをやり直すことはできません。なんだ。今しかないんだな…なんて思ってふと見ると猫は夢の中。ただただクークーと眠っていました。最後まで読んでいただいてありがとうございます。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.06.21
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庭のあちこちにかわいい実が明日は夏至。もう一年で一番陽の長い頃になったのですね。梅雨も本格化しそうな、それでも晴れた午後、昨日の雨でしっとりとしている小さな庭を見て回りました。あら!柚子の実が少し大きくなってきている…小さくってなんだかカワイイ。トゲのある枝が自由奔放に伸びて痛かったので一昨年枝を思い切って落としたのです。そうしたら去年は全く花も咲かず、冬至の柚子湯も頂き物ですることになったのですが。時を待っていたのですね。ズキズキに枝を切られ、痛い思いをしただろうに、切り口を癒し、新しい枝を伸ばしまた花をつけた…去年はずっと辛抱していたのかしら。キウイも実を膨らませています。このキウイの木とは長いお付き合い。以前住んでいた家で庭に植えたのはもう35年以上前だったでしょうか。それから程なく今のところに引越しをした時、一緒に連れてきたのです。雄株が1つ、雌株が2つあったのですが、1つの雌株は根付きませんでした。移植したのにしばらくは大いに実をつけ11月には家族で収穫したものです。4、5年も経つとツルがうるさいほどわさわさ伸びて一度すっかり切ってしまいました。次の年からはツルは伸びてくれるのですが、実が採れなくなり諦めていました。6月に花が少し咲くものの、実にはならず、散っていくだけなのです。夏至を過ぎてもツルはぐんぐん伸びるので、夏に間の日陰になる位残して毎年切っていました。なのに去年、また花がたくさん咲き出し実をつけたのです。なんでなのでしょう?このキウイの木も時を待っていたのでしょうか。どんなに実のならない時が続いても命があればいつかは時が来ると、私たちに教えてくれているのでしょうか。プランターでもかわいいナスがふっくりしてきています。 今年は白いナスを一本、まあるいナスを一本植えました。白いナスはビロードのように、まあるいナスはつやつやと美しい。いつもは普通のナスを植えていたのですが、色や形の違うナスで今年は見た目も一味違う料理を考えてみましょう。小さな鉢にはパクチーの芽が出ています。パクチーばかりは買ったものでは満足できません。カメムシのよう、と嫌う方もいるのですがあの香りが足らないのです。こうして作ったパクチーは夏の終わりには1メートルほどの高さになり、水をかけてあげるとサァーっと香りが立つまでになります。まだまだ時間がかかりますが、その時が来たら思いっきりタイ料理を作り、花もスープに浮かせて楽しみましょう。シシトウも次々とできるようになりました。夏の暑い日が暮れる頃、炭をおこして庭で焼き鳥パーティをする時にはこのシシトウも仲間入りするのです。ゆっくりと暮れていく夏の黄昏を楽しみながら、灯火がいるくらいになるまで蚊取り線香の煙をくゆらし、そこはかとないことを語り合ったりしたいものです。入院している家族も予定していた治療が終わり近々退院できそうです。歩くことはうまくできなくても一緒の時を過ごすことはできます。自分の病にとらわれることなく心が元気になるように寄り添っていたいと思います。「シシトウを焼きすぎてるよw」「アガぁ〜、蚊に刺されちゃった」なんてなんでもないことを話して過ごすせる時間がとても貴重です。大好きなステビアもよく育っています。水にステビアとハーブを入れてキンキンに冷やして飲みましょう。喉を冷たい水がゆっくりと滑らかに通っていくのを感じながら、目を閉じて流れていく時間を静かに旅していきましょう。庭の紫陽花も今は盛り。 藍色、薄青、白、ピンク、そして八重の遅咲きもあなたが帰ってくる頃には満開になっていることでしょう。とりとめもない話にお付き合いくださってありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.06.20
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今年もまた梅を漬けました去年は近くのお宮の梅の実を分けてもらいました。たくさん生っていたので張り切って木登りまでして収穫。その時の様子は「久しぶりに木のぼり」に書きました。その前の年は落ちた梅を拾わせていただきました。ちょうど今くらいの時期です。「自然の恵みに感謝」でその時のことを見るとほんとに超完熟梅!仕上がりが柔らかくなりすぎましたがとても美味しかったです。今年は剪定後なのでお宮の梅があまり生らず購入。程よく熟れて傷のほとんどない梅が届きました。サイズはLですが、十分な大きさ。熟れ方も具合よく柔らかい梅干しになりそうです。まずは水に浸してアク抜きをしているうちに甕やホウロウの容器を消毒します。梅は焼酎で洗って消毒するのですが容器はしっかりドーバーで消毒です。10%の塩で漬けるのでカビが出ないように念入りにしました。梅のヘタを取っていると主人が手伝ってくれました。彼がヘタを取り、私が拭いて焼酎をまぶし並べていきます。底に塩を敷いてその上にくるっとキレイに置いていこうとすると、大きさや形できちんといかないことがあります。だんだんずれてしまい最後にはきれいな輪になりませんでした。一番上に氷砂糖をまぶしておきます。去年はグラニュー糖を使ったのですが、今年はさくらんぼ酒をつけた時のあまりの氷砂糖です。さあ、ラップをかけて完成。部屋の隅に置き梅酢が上がってくるのを待ちます。子供たちが独立してしまい、みんなで手分けしてワイワイ仕込んだ賑やかさはありません。なんだかちょっとしんみりしてしまいました。家族が難病にかかって一層心塞ぎそうになりますが、そんな時こそいつものように梅を漬けていつものように過ごしましょう。誰がどんなことになろうとも、そのことが原因で不幸になることはなく、私は私の毎日を手繰り寄せ、積み重ねて過ごしましょう。不幸とはおもわず、より幸せになれるように努めましょう。病と闘っているあなたに完治という幸せがやってこないとしても、一緒に今の時間の中でささやかな幸せを感じられるよう、毎日を、なんにも変わらない日々でも感謝して過ごしましょう。梅を干す頃には退院して暑い夏の日差しの中で梅をひっくり返せますように。そしてそんな毎年繰り返されることを何年も何年も積み重ねていきましょう。最後まで読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね我が家ではドーバー パストリーゼ77 は除菌に大活躍です。感染症にかかりやすくなっている家族のためにもまた購入します。お得な詰め替え用もあり助かっています。パストリーゼ 5000ml価格:3223円(税込、送料別) (2017/6/19時点)
2017.06.19
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梅雨の晴れ間の外苑散歩ずいぶん昔、まだ若い頃にこの辺りに住んでいました。四谷の、昔で言う谷町、買い物は三丁目の丸正。朝には東宮御所の周りをジョギングするのが日課でした。そのままスニーカーで出勤してひどく怒られたことがあったっけ。東京を離れ家族を持って海の近くで暮らしてきましたが、家族の一人が難病になり慶應病院にお世話になることになりました。入院手続きもすみ、夕方の面会時間までぶらぶら散歩。外苑東通り、権田原…懐かしい気がしても映画の中を歩いているようで現実感がない。明治記念館まで外苑東通りを行き右に曲がると、いちょう並木までの道路の左にちょっとした林があります。車の音は絶えず、空気の中にも人工の音が詰まっているような空間だけどホッとする。ベンチもあり木漏れ日が風で揺れていました。コンビニで買ったサンドと飲み物でお昼をと都会の音にまみれた林の中で座っていたら、食べているサンドに蝶々が寄ってきました。口に入れているのに近づいてきて追い払ってもまたヒラヒラとサンドにとまろうとするの。テーブルの上においてあげたらくるっと巻いている口を伸ばしている。翅が少しちぎれてるけど夢中で食べている…横を見ると何羽かのスズメが首をかしげながら両足飛びで近づいてきていました。どうしてわかるんだろう…食べ物があるって。パンを千切って遠くに投げてあげるとすぐそこに飛んでいく…バードアイ。斜め前には二代目観兵榎が細いけれどスクッと立っていました。この榎の親木はここが陸軍青山練兵場であった頃、明治天皇が観兵式でおいでになるときの御座所近くにあったと言います。私が近くに住んでいた頃は樹齢200年とも言われる大木であったのですが、平成7年の台風で倒れました。今の榎はそれの自然実生木をこの場所に移植したのだそうです。受け継がれていく命、守ろうとする命…林を出て外苑内の円周道路を行くとすぐにいちょう並木です。この並木が最近剪定されたのは2015年だったでしょうか。もうたくましく葉を広げ、遠く青山通りまでの空を三角に切り取っています。振り返ると聖徳記念絵画館が見えました。噴水が出ていれば暑さも飛んで気持ちが良かったのに残念です。そうだ!絵画館の右手にはなんじゃもんじゃの木があったっけ。この頃は白い雪のような花が木を覆うように咲いて見事だったはず…そう思い出して来た道を戻りました。絵画館前の駐車場入り口を左に曲がるとその木がありました。ヒトツバタゴ、またの名をなんじゃもんじゃ。花はなく、守衛さんに聞くと5月が花の盛りだったのだそうです。これも昔のなんじゃもんじゃの木ではなく三代目だとか。絵画館を右に見ながら行くと左には麒麟(ユニコーン?)の像が左右にある掲揚台に国旗が揚がっていました。そのまま進むと御鷹の松がありました。江戸城から逃げた三代将軍家光の愛鷹「遊女」が家光が鷹狩りに出てこの場所にあった寺で休んでいる時に飛んできてとまった松とか。こんなに小さい松だったっけ…と思いながら行くとすぐに新国立競技場の建設地に突き当たりました。昔はなかったビル群の中にNTTドコモ代々木ビルが印象的に立っていました。ヒョロヒョロと高く首をもたげたクレーンがあちこちで動いています。もう3年もすればまたオリンピックがここで開幕するのですね。人間の身体能力の限界に挑戦するアスリートたち…どんな記録が出るのでしょう。人はいつまでもその限界を超えていこうと努力していくのでしょうか…なんだか冷めてしまったようにどんな記録が出ても熱狂できそうにもない自分がいました。トボトボと足取りも重くなりがちに外苑ランプを過ぎ、また病院に戻って行きます。11階のレストラン、帝国ホテルの「ザ・パーク」で食事するために向かっているなら、もっと足取りも軽やかで楽しい気分であったでしょう。主治医の先生とのお話「この病気で死ぬことは…まずありません。ですが一生治らない病気です」喜んでいいのか重く受け止めなくてはいけないのか、考えてしまいました。でも本当のことなの?自分の意識がすうっと抜け出して後ろから見つめています。発病しているという診断が下ったのですから事実と認めるほかはありません。(もしかしたら、私たちはみんな病気にかかっているんじゃないの?…「死」という病に)病気になっても健康でいても死ぬことに変わりはありません。どこかに不死の人がいて、私たちのことを「健康だって言ってもみんな死という病にかかっている」と思っているかもしれません。「そう、あの人たちはみんな死ぬ。どうやって死ぬかが違うだけ」そんな風に私たちのことを話しているのかもしれません。そうですね。けれど、どんな病にかかっていても、健康でも「死ぬ日が来るまでどう生きていくか」それを選べる私たちであることに変わりはありません。病気になってもそれで気落ちしてしまっては、生きている日々を無駄にしてしまいます。難しいことですが。話が終わって病棟のエレベーターホールからは、先ほど見たビルが夕映えの残る空に突き刺さるように浮き出ていました。必死で命をつないでいく蝶や木や他の生き物のように無心に命をつないでいこうと、自分を愛しんで生きていけたら。病を得た家族も、健康そうに見える私も、限られた命なのですから。もしかしたら、生きている時間の過ごし方を考えるようにと病が降りてきたのかもしれません。どんな病気であってもその答えが見つかったら、快癒してしまうかも…たとえ治らないにしても生きている時間は今までとは違ってくるはず。入院した家族も病と共にこれからどう生きていくのかに直面するに違いありません。今はまだ何も考えられずにいるのでしょう。けれど戸惑いや悲しみや恐れや絶望に押しつぶされることなくこれからどう一歩一歩進んでいくかを考えられる日が来ると信じています。起こることにはきっと、深い意味があるのですから。最後まで読んでいただきありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.06.16
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午後からは雨の予報、日差しのあるうちに散歩に出ました梅雨入りしたのに雨の降らない日が数日続きました。天気予報では午後から雨。朝のうちはまだ陽があったので散歩に出ました。昨日までは雨は降っていなかったのにそんなときには家に閉じこもってた。雨になると聞いたらその前に散歩に行きたくなるなんて…あまのじゃく。外に出た途端大声で笑っているような山百合が崖から乗り出していました。「私のこと笑ってるのね」何て言いながら坂を下りていくと打ち捨てらたボートを覆うようにヒルガオのツルが巻いていました。何年か前には海に出て、風の中を颯爽と走っていたろうに、今は草に埋もれて見捨てられている…その脇にはこれもまた手入れをされることのないアジサイ冬には幽霊のように枯れた花をつけたままもう死んでしまったように見えるのに、こんなにたくさんの花を咲かせている。海沿いの道を歩いて行きました。富士山が見える浜沿いにはマリーナやマンションがあります。マンションのエントランス周りはよく手入れされています。毎年長い間花を咲かせてくれるハイビスカスも咲き始めていました。ソテツの新芽はまだ柔らかそうでツンツンと空に向かっています。そんなに時が立たなくても青くチクチク痛い葉を太陽に広げていくのでしょう。海岸沿いには素敵なおうちもたくさんあります。一軒の家の庭には様々な花の中に花をたくさんつけたスカシユリが揺れていました。こんなにいっぱいの花をつけてあの細い茎は折れてしまわないのでしょうか。ほんの少しのスペースに植えられたアガパンサスは株も小さめです。ひょろりと長い首を精一杯太陽に伸びていっています。花も小さめですあと少しで開きそう。雑草がはびこらないように手入れをしている人がいるのでしょうね。狭い場所でも頑張って花を咲かせる植物。それを慈しむ人。歩いているといろんなところで美しく咲いている花を見ます。綺麗に咲くように、枯れないように…丹精を込めているのを感じると気持ちが明るくなります。このお宅のブーゲンビリアも咲き始めました。ほんとは大きな大きな木で高く二階まで幹が伸び、その先の枝を海側の壁に這わせてあります。冬の間、その幹と枝は老人の浮き上がった血管のように見えるのですが、夏には見事な命の通った壁になります。散歩に出るといつもキョロキョロ。あちこちで楽しませてもらっています。読んでいただきありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.06.13
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あっという間に梅雨入りです九州で梅雨入りしたと聞いてすぐ、関東も梅雨入り。晴れてるし雨が続いていないのに…と思ったらしっかり梅雨らしい曇り空。なんだか薄暗く火曜日までの晴天が嘘のようです。庭のミニバラも太陽の光を浴びないとなんだか寂しそう。梅雨入り前の火曜日には海辺のカフェでブランチをしました。西の空は晴れていて海も穏やか。でも陸の上の空には灰色の雲がかかっていました。海の色もその雲の下は重いブルーで透明感も薄い感じ。海も空の様子を映して気分を変えるのですね。雲がとてもゆっくり海の方に降りてきているような、わからないくらいゆっくりと空気の明るさも変化していくよう。海は静かだったけど、わんちゃんも入れるテラスではワンコもいっぱいいて賑やかでした。暑くなく風も爽やかで気持ちいいパラソルの下で、空と海に囲まれて梅雨入り前のひと時、過ごせてよかった。今日はなんだか肌寒くて今にも降り出しそうな空模様です。雨が降ってくれば乾いた土が潤って植物も生き生きすることでしょう。大切な雨だけれど降りすぎないで、ときにはまた気持ちの良い青空を見せて欲しいです。読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.06.08
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キウイの実がつき始めました天候不順の4月、雨の少なかった5月それでも生き物は精一杯なんとなく気分がスカッとしなかったのだけれどかわいい実を付け出したキウイを見たら笑顔になれた ほんの少し前、白い花を咲かせていたと思ったら実が膨らんできている野菜もぼちぼち花が咲き始めた ピーマンと甘唐辛子、一緒のプランターに植えたけどどっちがどっちだかわからなくなっちゃったナスは花が付いたのだけれど、第一花はちゃんと大きくならないキュウリも二種類植えたのに、雌花しか咲かなくて大きくならずにしぼんじゃう...だけどスナップエンドウや絹さやはまあまあの出来トマトも青い実が少しずつ重くなってきた ツルなしインゲンもたくさんの花を付けさやを育ててる梅雨に入ってもいないのに重苦しく晴れない気持ちカチッと固まってつっかえているものが土をいじると溶けていくよう散々待たせた親芋さんも気分を害してはいないみたいだし ニラもよく伸びてきている植物は時期がくれば「気が向かない」なんてグダグダ言わないで大きくなる去年こぼれた種から知らないうちに紫蘇やハーブが芽を出した ミントも土を入れ替え、根を少し切ったら元気いっぱいだもうとっくに発芽保障期間を過ぎている種だって命があれば芽を吹く物置の奥で真夏の暑さや冬の寒さを何回もやりすごしてもうだめだろうとあきらめ半分でたくさん撒いたらほとんどみんなカラから出てきた環境の苛酷さや状況の劣悪さに打ちのめされ思い通りにならない現実にぶちあたって手も足も出なくなってしまうのは人間だけなんだろうか 少しでも光のあるほうへともりもり生えるミックスレタスほかの芽よりも少しでも高くなって生き残ろうとする小松菜出遅れた種はやっと芽を出し、ひょろひょろになって隙間を狙う植物ってほんとにすごいアジサイは「雨が足りないようぅ」といいつつもフェンスの外まで顔を出して通る人に微笑みかけている こんなに天気がいいのにだるいなんて言っていないで歩いてこよう太陽をいっぱいに浴びたら眠っていた種のように心の中で縮こまっていた気持ちが光の方を向いて動き出すかもしれないから心晴れない数日を過ごしていました。愚痴のようなひとり言にお付き合いくださってありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.06.03
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もう帰る日になってしまいました車でささっと回ったり、船で島を一周したけれど、まだまだやってみたいことがたくさん残っています。だけどもう帰る日になってしまいました。朝9時半にはペンションを出たものの、おがさわら丸が出航するのは3時半。とりあえず船客待合所に荷物を置きました。 時間はたくさんあったのですが、何かアクティビティをするには足らずぶらっと散策しました。メインストリートにはひと気がありません。みんな帰っちゃうのですね。 右の青いクジラの書いてあるビルは小笠原村観光協会。その先の通りの左右は官庁街で、村役場、郵便局、警察署、支庁などがあります。メインストリートの海側は大神山公園で、通り抜けると大村海岸なので行ってみると、 子供たちがたくさんいてイベントが開催されていました。公園の広場を過てしばらく行くと大村海岸(前浜)にでます。 浜の手前にあった東屋の近くに親子像が立っていました。これは父と息子の像で、母島の鮫ヶ崎展望台にある母娘の像と向かい合っているらしいです。それにしても人がいないなぁ。公園に地元の親子はたくさんいたのに観光客は帰り支度で忙しいのでしょう。サンゴダストの浜辺を歩いて行くと、ビジターセンターがありました。今更ですが入ってみることにしました。 入るとすぐに小笠原のカヌーが展示されていて、 その脇にたくさんのパンフレットが用意されていました。小笠原の自然やアクティビティについて項目別にたくさんあり自由に持っていけます。父島に来たらすぐにビジターセンターに来てみるべきでした。展示も充実していました。 昔の民家が再現されていて、小笠原の歴史もパネル展示されていました。小笠原オオコウモリを始め動物や植物に関する展示も多く、改めて知った事も多かったです。小笠原の島々の写真展も催されていて見応えがありました。亀やイルカ、クジラの生態、アカガシラカラスバトなど 固有種に関する解説も充実していました。亀の前には亀の胃袋から出てくるたくさんのビニールが筒に入って置いてありました。亀は漂うビニールやプラスティックゴミをクラゲと間違えて食べてしまうのですが、消化されずに胃に残るので、空腹感を覚えず、飢えて死んでしまうそうです。何気なくポイ捨てしたゴミが亀を殺したり、生態系に影響を与えることもある…ちゃんと知って、子どもたちにも教えないといけないと思いました。ずいぶん時間をかけて見たつもりでしたが、島時間はどうもとてもゆっくりとすぎていったようです。昼食を済ませ、お土産を少し買うとやっと乗船時間が近づいてきました。 小笠原丸が着いた待合所前ではティンドラムの演奏が始まっています。到着した乗客を歓迎する明るい澄んだ音が軽快に響いていました。私たちもこうして歓迎されていたのですね。船からみんなが降りてくるのをぼんやり見ていたら、自分がタラップを降りてくるんじゃないかと変な錯覚をしてしまいました。いよいよ乗船です。船室に荷物置き、デッキに出ると見送りの人が集まり始め、太鼓の演奏も始まりました。 「おかえりぃ〜」「おかえりなさぁ〜い!」「ありがとう」民宿やペンションの皆さん、買い物をしたショップの店長さん、子どもたち、その他にもたくさんの島の人たちが手を振りながら叫んでいます。おがさわら丸はゆっくりと岸壁を離れ島を後にします。するとたくさんのボートやクルーザーが後を追ってくるではありませんか!デッキにはたくさんの人が乗って手を振っています。 ダイビングショップやガイドの皆さんなんですね!あらっ?ボートの上で逆立ちをして足でバイバイしている人もいます。ボートは二見湾の出口まで伴走して見送ってくれました。最後はダイバーやインストラクターの皆さんが、ボートから海へ飛び込むという究極のお見送りをしてくれました。「おがさわら丸 出航 お別れのダイブ」「また帰ってくるからねぇ」「おかえり〜」「ありがとー」と呼び交わす声は、船が波をけっていく音やエンジン音、そして風にかき消されてしまいましたが、本当にまたすぐに帰ってきたい気持ちが猛烈に湧いてきていました。おが丸は速度を上げて父島からぐんぐんと離れていきました。距離が離れていけばいくほど小笠原での出来事が思い出になっていくのが実感されて、デッキに出ているのが辛くなってしまいました。船室に戻り思いました。次に来たらしたい事。クジラのジャンプを見る「ホエールウオッチング」イルカの群れに中に飛び込んで一緒に泳ぐ「ドルフィンスイム」真っ暗な夜、小笠原オオコウモリにビクビクしながらグリーンぺぺを探す「ナイトツアー」高く澄んだ大きな空を天の川が動いていくのを見る「星夜観察」船で行ってとっておきの所でする「ダイビング」帰るとなったらできなかったことが次から次に頭に浮かんできてしまいます。なかなか来られないと思うけれど、また絶対に来て、今度はもっと島の人たちと触れ合ってたくさん体験したいです。 読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.05.27
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晴天に恵まれた小笠原ヨットレーススタートの日連休中の5月2日にヨットレースはスタートしました。参加艇の1つは「東京オリンピックを成功させよう!」と書いた旗を運びます。 東日本大震災で被害を受けた地域に元気を取り戻してもらい、フラッグを受け渡していくことで全国のヨットマンが1つの輪になって貢献したい、という「海の聖火リレー」をしていくイメージだそうです。5月23日の東京新聞に「復興の旗 五輪へつなぐ」という記事が掲載されました。このレースを皮切りに東京五輪の開催される2020年までフラッグを全国にリレーしていきます。当日の朝、12時のスタートを前に参加艇は最後のチェックをしていました。 セールををたたんでブームの上に置き、マストに上がって計器をチェックします。すべて準備が整うまでサポートチームの女性陣は(することもないので)、大根山公園の丘に登り、旗を振って応援しました。 とても良い天気で湾内も烏帽子岩も良く見えました。ヨットからもこちらの様子が見え、気合が入ってきたと連絡がありました。各艇は忙しく準備を済ませ、次々とレース海面に出て行きました。 おまわりさんも出艇を見守ります。 私たちも観覧艇に乗って、スタート海面へ向かいました。 レース海面は二見湾内、第3ブイをアウターにして本部船との間がスタートラインになります。湾内には客船「ぱしふぃっくびいなす」号が入港していました。 スタートライン近くの海面に着くと、もう良いポジションを取ろうとマニューバリングが始まっていました。応援しているヨットが観覧艇の近くまで来てくれました。 スタートしたら4日くらいは大海原と風との戦いです。「がんばってぇ〜」「ゴールで待ってるからね〜」などと黄色い声の声援も上がります。マニューバリングがしばらく続く中、スタート時間が近づきます。スタートの合図のフォーンが鳴る前にラインを越えるとフライイングになりスタートラインに回り込んでもう一度スタートし直さなければいけません。でもスタートでリードすることは必須です。いい風を取れるポジションを取ろうとつばぜり合いが続きました。フォーンがなりました!スタートです。 おお!我らが艇はいいスタート、一番にラインを超えていきます。がんばれっ!早い早い!ぐんぐん先に走っていきます。観覧艇も後を追いますが追いつけません。 空と海が合わさっている水平線のそのはるか彼方、500マイル先の小網代沖のゴールを目指したレースの火蓋が切って落とされました。ヨットの大きさによって速さが違うので厳しいレーティングが課されています。ですから一番にフィニッシュしても優勝できるとは限りません。応援しているヨットは40フィートなので前回1位を争ったヨットとは、大きさは変わりませんがレーティングにより2時間ほどの差をつけないといけません。一番大きいヨットは55フィート、これも早いです。いけいけ!飛んでいけ!みるみる水平線に紛れそうになっていきます。 どうかすべての艇が無事にゴールできますように。最後までそう願いながらずっとずっと見守りました。…あーぁ、行っちゃった!昼も夜も4時間毎のワッチをしながら風の力で進んできます。みんな、がんばれー。海と空が合わさっているところに帆影が吸い込まれていくのを見つめていました。なんだかまだ見えているようなのだけど、もう見えないのかもしれないな…なんて思っていると、グゥーン…とエンジンの音が高くなりました。観覧艇はこの後、兄島瀬戸を通り抜けて父島をぐるりと一周する旅にでます。 船は右に旋回すると速度を上げ、前に行った宮之浜を通り過ぎました。この辺りは潮の流れが厳しく渦を巻くように潮目が見られました。釣り浜を過ぎ、枕状溶岩のある長崎展望台を過ぎる頃のことです。「おっ!いるぞ〜。親子のクジラだ!」と声が上がりました。 マッコウクジラでしょうか。仲良く並んで潮を吹いています。 5、6月頃まで小笠原付近でクジラは子育てするのだそうです。その後は北へ向かいベーリング海へ。お父さんに会いに行くのでしょうか。驚かさないようにエンジンを止めてしばらく見ていました。前ビレを高く上げたり、息継ぎに上がってきたり、親子は悠々と泳いでいます。エンジンをかけて船は前進しました。少し行くと軍用施設のある初寝浦展望台のあたりを通りました。アオウミガメやイルカも多く見られるというのですが出会うことはできませんでした。「見て見て!大きなクジラだよ!」またまたクジラさんには出会えました。 クジラのジャンプは見られなかったけれど、大きな尾びれを高く上げていました。これでイルカが船に伴走してくれたらもうみんな大興奮だったことでしょう。船は鯨崎を廻っていきます。右の切り立った断崖絶壁の島肌には樹木は一本も見られません。左手に面白い形の小島が見えました。 父島の南端、天之鼻を通り過ぎしばらく行くと千尋岩が見えました。 円縁湾という緩やかな湾に抱え込むようにそびえる断崖絶壁で海側からは赤い岩肌がハート型に見えるのでハートロックと呼ばれています。円縁湾を過ぎると急に海の色が変わりました。色が、緑がかった青、透き通った藍、などと変化していきとても美しい海域でした。島の方を見ると純白のビーチがありました。 ここはジニービーチと呼ばれ陸路はなく、海からしか来られません。シーカヤックできたのでしょうか、浜には人影が見えました。もう南島との瀬戸を通り、最南端をすぎ西側に廻り込んでいきます。ここも陸路は見えず饅頭岬を越して、初日にシュノーケリングをした小港海岸沖を通過、旧日本軍が埋め立てて作った飛行場跡がある野羊山、洲崎を回ると二見湾です。 ぱしふぃっくびいなす号の船客は今夜は小笠原に泊まるのでしょうか。ぐるっと一周、3時間ほどの船旅はサプライズ満載で大いに楽しめました。波やうねりもあまりない快適な船旅でしたが、下船してもしばらくは足元が揺れているような感覚が残っていました。もうみんな行っちゃった…なんだか気が抜けてしまって立ち寄ったカフェでもなぜか無口。 裏口にあったサメには笑ってしまいましたが… なんだか時間が止まってしまっているような感覚になる夕暮れでした。 太陽はゆっくりと水平線の向こうに落ちて行っているのだけれど、空は刻々とその色を染めていっているのだけれど…時間は行ってほしくない。私は本当に小笠原にいるのかしら…明日はもうおがさわら丸で帰るなんて…帰ったら全てが夢の中のように思えてしまいそうで寝るのが嫌でした。次は小笠原最後の日とおが丸での帰途のことを書きます。ここまで読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.05.25
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中央山の見晴台からはぐるっと一周360度の視界が三日月山のウエザーステイションからは中央山を目指します。途中にもいくつか展望台や浜があるので寄りながら行きました。まずは父島の一番北に近い宮之浜を訪れました。 向いに兄島が見え前は兄島瀬戸です。サンゴ礁が発達していて熱帯魚も多いのですが潮流が早いので、ブイより外にいくと危険なのだそうです。 なんだか日本ではないみたいなテラスと椰子の葉で作った日除けがあって、船着場もあります。 兄島へ渡ってシュノーケリングする人も多いようです。見ると船が帰ってきて人を乗せていました。でも観光客やシュノーケリングにきた人ではないようです。 近寄って聞いてみると、外来のトカゲがふえているので駆除の仕事をしているとのこと。20代から30代の男性ばかり、船に乗って兄島に渡り罠を仕掛けに行くのだそうです。 その罠がこれ。ゴキブリホイホイのような「トカゲホイホイ」(正しい名前ではありません)これを毎日何百個も仕掛けては回収に行くお仕事…大変だなぁ。働いている人たちは島の外からきた人が多く「もう2年目だよ」という人もいました。「どうやって仕事見つけたの?」と聞くと「東京のハローワーク。和歌山からきて始めたら島に馴染んじゃって(笑)」その問題のトカゲさん。よく見ると本当にたくさん見かけました。 左の画像では中央付近にいるのですが、見えましたか?なかなか可愛いんですがね。さて次は釣浜に寄りました。だけど降りて行く道が急で長いので展望台から景色を見るだけにしました。 向こうに見えるのが兄島です。次は朝日平展望台です。 道に戻り先へ進むと前に行った国立天文台VERA 小笠原観測所が見えてきました。この日は寄らずに進んでいくと夜明山(307メートル)に向かいました。道が登り切ったあたりを左に曲がるとジャングルに埋もれた軍用施設跡のある初寝浦展望台に出ます。その分かれ道にトイレがあるのですが、その脇に首のない二宮尊徳の像があるんですよ!初寝浦にも降りず、夜明け道路を中央山へと向かいました。途中傘山という山がありそれを越えた辺りにJAXA 小笠原追跡所があります。 ここでは種子島宇宙センターから打ち上げられたロケットの飛行状況を確認したりしているそうです。道はまた登りになりました。中央山への登り口には駐車場が見当たらなかったので路駐して山道に入りました。登り切るまではよく整備された遊歩道になっています。やっと展望台のある近くまで来ました。 それまで道の左右は亜熱帯の植物でうっそうとしていたのですが急に開けます。いよいよ中央山山頂です。 そこには戦争時の電波探信儀の台座が赤く錆びてなお残っていました。 そして少し先には展望テラスが!まるで空に向かって何かを祈る祭壇のように出現しました。あそこに上がったら360度の景色が広がっているんだ、と思うと登る前からなんだかワクワクしてしまいました。 上がって見回すと、首を回しただけでは全部見えません。ダンサーのようにクルッと回って見ないと全部の海が見られない…その海の色が蒸気になって空の青に混ざっていくみたい、それに空の青がゆっくり落ちてきて海にとけていく…なんてたくさんのアオがあるのだろう。 見える島の名前のほか「ハワイの方角」「東京の方角」などと書いてある案内板もあり、「この海のずっと先にあるのか…」と遥かな想いを馳せました。 それより興奮したのがこれ 小笠原の空に見える星々です。6月ごろからは南の水平線近くに南十字星も見えるといいます。あーぁ!ナイトツアーでここにきたらすごい迫力だろうな。真っ暗な夜の中をガイドさんと一緒にここまで来て、灯りのない黒い森の上に流れる青白い銀河を見る…動物たちの気配がしてそれでも空はゆっくり回っている…水平線に一番近い星を探したいな…そんなことを思ったのだけれど、今回は予定に入れられません。仕方なく昼間の空を見上げ、そこにあるだろう星々に想いを飛ばしました。最後までお付き合いくださってありがとうございました。次にはレースのスタートのこと、船で父島を一周してクジラにも出会えたことなどを話そうと思います。どうぞまたお立ち寄りくださいね。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.05.24
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亀料理は美味しかった! 亀料理を出してくれるお店が開くまで少し時間がありました。 父島のメインストリートを散策です。 二見港の先にはお土産やさんやダイビングのお店の他、カフェやペンションも。だけど生協が一番大きくていろいろ売ってて便利です。ペリーがやってきた記念碑もありました。 歩いてもすぐに終わってしまうメインストリートのすぐ脇は海岸です。 打ち砕かれた白い珊瑚でできた浜で綺麗なサンゴを拾い始めたら、時間がどこかへ行ってしまいました。夕暮れが迫ってきます。色がだんだんなくなっていく浜でいつまでも真っ白なサンゴ…あまりたくさんあるので形の綺麗で気に入ったものを選んで拾いました。いよいよ開店の時間になりました。「只今満席」…予約してあってよかった。 「新亀あります!」ですって!一年に135頭しか獲ることが許されていない貴重な亀!おお!カメさん…どんな味なんだろう…と期待も膨らみましたが怖さも半分。席につくと早速名産の島トマトや他の料理と一緒に亀刺しが運ばれてきました。 右は亀のキモ刺しです。亀刺しは鶏肉みたいですがもう少し弾力がありました。味はくせがなく甘みも感じて美味しかったです。キモは牛のレバ刺しに似ていましたが、もっとしっとりしてなめらか。続いてはヒレ元部分の刺身で生姜醤油でいただきました。 見た目よりやさしい舌触りで少し弾力がありますが噛むと旨味が感じられました。そして卵がやってきました。 まん丸でピンポン球くらいの大きさです。口に入れて噛んでみると…なんという食感でしょう。今まで食べたことのない食べ心地です。鶏のゆで卵とは全く違います。白身と黄身に別れてもいません。つるんとした鶏の白身とは違い、噛んでも割れる感じはありませんでした。黄身のようなボソボソ感は全くなく、しっとりしたチーズとでも言うのでしょうか…含んでいるとゆっくり溶けてくるようで、柔らかい舌触りに驚きました。とびきり美味しいとは思いませんでしたが感謝していただきました。もちろん亀煮も。 この大鍋には亀の様々な部位が入っていてじっくり煮込んであります。少し脂っこかったですが柔らかく煮てあり、お代わりして食べてしまいました。仲間とワイワイ言いながら亀料理に舌鼓を打っていると、ひっそりと静まり返った小笠原の夜は明るい店の周りを包み込むように更けていきました。次の日は軽やかな雲が白く空に輝く良い天気になりました。 気分も晴れ晴れ、また車で行けるところを観光しに出発しました。まずは三日月山のウエザーステイション展望台を目指します。 ウエザーステイション展望台は父島西側の絶景夕日スポットです。まだ朝でしたので夕陽は無理だけど、できればクジラが見られたら、と期待にワクワク。展望台下まで車で行けました。駐車場脇にはトイレもありそこから204メートルの三日月山に登るトレイルもありました。 ここから先、山頂を経て少し行くと行き止まりになっているそうです。トレイルへは行かず左に行き展望台へ上がってみると… 西島を始め兄島などの島が望めました。 三日月山の方角を除いたほぼ270度に青い海と空が広がっています。空と海が遠くで混ざっているようでなんて広くて大きいんだろう!と息をのみました。ここからはクジラがよく見られるということです。 大きなザトウクジラが今にも大空にジャンプするのではないかと視野を最大に広げて海原を見つめてしまいました。 展望台の一番右にいる人はクジラ番です。ここから望遠鏡でクジラやイルカがどこにいるか見ているのだと言います。そしてツアーのガイドに無線で知らせるのだそうです。なるほど、ホエールウオッチングの船にクジラの居場所を知らせ、ドルフィンスイムに出かける船にはイルカのいそうな所を案内してるんですね。こんなに大きな海なのだから行き当たりばったりではクジラと出会えないでしょう。できることなら今日はずっとここにいて、クジラのジャンプを待ちながら夕焼けを見たい誘惑にかられました。だけどまだまだ見たいところはあり、時間は限られています。しぶしぶ車に戻り次の目的地を目指しました。宮之浜、旭平、そして小笠原のてっぺん 319メートルの中央山の様子は次のブログで話しましょう。どうぞまたおいでくださいね。ここまで読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.05.22
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泊まっていたペンションの前の浜でカメの産卵がありました前の記事から時間が空いてしまいましたが、小笠原旅行、続けます。ペンション前の海岸は扇浦海岸。着いた日の前の晩、アオウミガメの産卵があったと聞きました。カメは5月〜8月の新月の前後に産卵するそうです。母亀は1シーズンに数回産卵して、一度に100個前後の卵を産むとか。これが母ガメが歩いた跡。右下に卵を掘った跡が見えます。 浜に降りてみると 海に帰って行った足跡もありました。産卵時期にはレンジャーが浜を見回っていて、産卵があるとスコップで掘りあげて孵化場で保護し人工孵化されているのだそうです。ある程度大きくなると放流しているので個体数も増え安定しているとか…でも小笠原の郷土料理は「亀料理」なんです。お刺身、煮込みなど色々あって他ではできない食経験をしました。だけど…カメの卵が出てきたときにはさすがに手が止まりました。結局食べちゃったのですが…少し心が痛みました。カメさん、ごめんなさい。そのお味は…また今度亀料理については書こうと思います。カメの産卵跡を見たあと、海岸を散歩しました。すると大きな鉄砲狭間のようなものが これは第二次大戦中にアメリカ軍が上陸してきたら…とこの中に入って機関銃を構えて待ち受けていたのだそうです。昼夜を問わずここに寝そべって敵軍を待っていた人の心境を思うと二度と戦争を起こしてはいけないと改めて感じました。小笠原のあちこちには戦争の跡が見られました。前のブログで書いた境浦海岸沖に魚雷を受けて座礁した濱江丸もそうですが、この扇浦海岸の沖にも沈没した輸送船が眠っているのだそうです。海岸にはその一部でしょうか大きな残骸が打ち上げられていました。 扇浦海岸の上の道路脇には駐車場と休憩施設がありました。 夕日を見ながらここでまったりと夜になるまでカメを待とうかとも思いましたが、車を借りてちょっとドライブに行くことにしました。父島で車で行けるところは限られています。歩いていける歩道が整備されているところも島の東側がほとんど。指定ルート以外はガイドの同行が必要です。この日は扇浦をでて境浦から二見港を通り過ぎ三日月山ウエザーステーション、長崎展望台、旭平展望台、初寝浦展望台を目指しサッとロケハン程度に車を走らせました。 旭平展望台からの眺めはとても素晴らしく、微かに弓なりに見える水平線に地球が丸いんだ、と思い出させてもらいました。 初寝浦の展望台手前には軍用施設の跡があり夜はとっても怖そう。 ジャングルに飲み込まれてしまいそうな建物もありました。 初寝山を過ぎると中央山の手前に国立天文台 VERA 小笠原観測所ありました。大きなアンテナが傾き始めた陽の光の中にドンと現れました。 係りの人は誰もいないようで立て看板の説明文を読んでみました。 へえぇ、電波望遠鏡なんだ…これで宇宙の観測をするんだ…と感心しているとグゥィーン…という音とともに望遠鏡が動き始めるではありませんか!「うわぁー、何を追尾してるの?ミサイルだっったらどうしよう!」というと地元の方が「違うよ、だったら警報なるでしょw」と笑われてしまいました。この日は郷土料理の店の予約がしてあったので見学はここまで。次の日にはゆっくり島を回りましたので、そのことは次のブログで書こうと思います。そうそう、カメ料理のことも別に話したいと思います。それではまた。最後まで読んでくださってありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.05.21
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宿に荷物を置き小港海岸へ おがさわら丸が父島の二見港に接岸したのはまだ午前中でした。それでもほぼ丸一日船で過ごしたわけです。 港には島民の方々がたくさん出迎えに来ていました。警察官もゆるキャラと一緒に歓迎です。 二見港の隣の桟橋に係留してあるヨットを見に行きました。全員揃ったクルーは手分けして船底磨きや装備のチェックに入ります。私たち後発の女性陣は宿へ向かいました。 二見港からは車で10分、海岸からすぐのアットホームなペンションでした。 二階が客室になっていて広いテラスがあり海が見えます。スノーケリングの道具を宿で借りて車でさらに15分ほどの小港海岸へ行きました。 遊歩道やトレッキングコースに入る時には石を入れていかなくてはいけません。 植物はタコの木やガジュマル、パパイヤやバナナもあって亜熱帯のムードいっぱいです。 浜はサンゴでできているらしく真っ白の荒い粒の砂で、折れたサンゴもありました。この先の岩場の周りでは熱帯魚がたくさん見られとてもキレイ。反対側の砂浜はゆるやかな弓なりに続いています。 着いたばかりで長くは潜る気になりませんでしたが、これが収穫 と言いたいところですが、宿のご主人が採ったものです。さて、今日5月2日にはもう小笠原レースはスタートして男性陣は全て洋上の人。上記リンクよりトラッキングデータで各艇の位置がわかります。小笠原村観光協会(父島)のFacebookでスタートの動画が見られます。私たちも明日のおがさわら丸で帰り先に着きます。観光は[島じかん&TOKYO]東京でのんびり島じかんで調べた小笠原の楽しみのいくつかはしてみました。続きも数日中には書くのでまた読んでくだされば嬉しいです。ここまで読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.05.02
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おがさわら丸に乗って父島を目指しました 竹芝桟橋から11:00の出港です。 船室内はこんな感じ、テレビもありました。 室内にトイレやお風呂はありません。でも共同のシャワー室がありました。 ラウンジでくつろぐ人たち。 日の出は4:54、起きられるかしら。 レインボーブリッジの下を通過… 通り抜けました。東京湾内は速度制限があるのでゆっくりと進みました。浦賀水道を抜けるともう外洋です。大島を通り越し7時間くらい走ると太陽が西に傾いてきました。 夕日が落ちていくと広がる360度の夕焼けを楽しみ、夕食を済ませ就寝。 朝ごはんを食べ終わると聟島が見え始めていました。もう小笠原諸島なんですね。 兄島が見えてきました。父島はこの隣、あと30分ほどで着きます。またあとでゆっくり書きます。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.04.30
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今年はちょっとしかできませんいつもの年はもう少し頑張るんだけど、今年はちょっとだけの夏野菜楽しみだから採りたてをいただくのは言葉にできない美味しさだからほんのすこしばかり ナス。白いのと丸いの オカワカメ。ビタミン補給と涼しいカーテンに 忘れていけないトマト。プチトマト、中玉、そして今年は変わった色 植える時期が遅くなったサトイモさんはお怒りのよう。エキナセアは喉が渇いてる 旨わさびはマイペースコブミカン、パクチー、ローズマリー、チャイブ、バジル、タイム、レモングラス…必須のハーブはもちろん育成中フキ、ミョウガ、シソ、サンショも大丈夫サクランボ、パッションフルーツ、キウイ、ブドウも生育中植物は強い放っておいても条件さえ合えばまた大きくなる花も ハゴロモジャスミンがやっと花をほころばせ サツキは刈り込んだらこれでもか、と花をつけた 強烈な色のツツジ かわゆくユウウツそうなフジみんなみんな咲き始めたまだ体の芯は冷たいけど君たちを見ていると光が奥に入ってくるようで暖かかくなるよ ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.04.24
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やっと小笠原から便りが届きました13日に油壺を出港したヨットに乗った夫は、無事小笠原に着きました。天候が良く順調に航行して日曜日には二見に入港。途中の様子を少しお伝えします。出港から3日目、伊豆諸島の最南端、孀婦岩(そうふがん)に近付く 通常の客船航路ではない父島の北西100マイル(185キロ)ほど滅多に見られない景観 イルカが舳先に現れ遊ぶように泳いで近付く 天候に恵まれて順調な航行日曜日午後には二見港に入る 宿に向かう途中にあった大きながじゅまるの木 境浦海岸を通過するとき魚雷攻撃を受け沈没した濱江丸の姿が見えた 遠くに見える島は二見港沖の烏帽子岩宿までは10分ほどだった次の日兄島瀬戸を見渡す長崎展望台へ 数日後に出港したヨットは悪天候のため八丈島でスタックの模様20日にやっと八丈を出たようだ海は天候の影響をもろに受ける静かなときはいいが荒れると手出しができない風のない浜は静か、花もゆるりと咲いている 夫から届いた便りはこんな感じでした。もう一週間余りするとおがさわら丸で父島へ向かいます。ザトウクジラは5月になると北へ向かってしまうのだそうです。私もお目にかかれますように…できれば歌も聞きたいな…読んでいただいてありがとう。自分に目で見て感じたことをまた綴りたいと思います。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.04.20
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大人エレベーター、40階何気なくテレビをつけていたらCMの言葉にハッとした「世の中で無駄だと思うことは?」という質問に相手の答えは「分からないことを心配すること」大人エレベーターで40階にやってきた妻夫木聡さんが出会うのは中田英寿さんたった15秒のコマーシャルなのになんだか心臓にズギュンときたもっと聞いてみたいと思いサッポロビールのサイトを覗くテレビで見られるものの他にウエブ限定のロングバージョンもあった未公開のものも3つそれらの中で妻夫木さんは質問する努力は好きですか?人生とは?夢ってありましたか?ポジティブな人ですか?時には逃げることも必要ですか?成功とは?責任とは?正義とは?天才はいると思いますか?大人とは?世の中で無駄だと思うことは?アシストとゴール、どっちが好きですか?ライバルは必要ですか?自分のことは好きですか?信じることって難しくないですか?好きな言葉は?嫌いな言葉は?人生が2度あればいいと思いますか?妻夫木さんの質問に中田さんは何と答えたのか…それは大人エレベーターの40階に行けばわかる「大人エレベーター40階」未公開の3編、CMで流れる15秒のもの、30秒のロングバージョン二人の会話はとても自然で引き込まれた大人エレベーターに乗っていろんな階に行きそこで交わされる会話をたくさん聞いてみたくなった ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.04.18
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1173キロ離れた小笠原へ今日の朝、小笠原ヨットレースの参加艇のクルーである夫は、油壺から小笠原への回航に出発しました。 5月1日に父島の二見港から小笠原ヨットレースがスタートするのです。その前に小笠原では現地の方が参加艇に乗船するイベントがあるので、21日までには船が着いていなくてはいけません。回航クルーは4名。どこにも寄らずに小笠原を目指します。520マイル、最短で5日、時化れば一週間ほどの船旅になります。 ヨットはひっくり返っても元に戻るのですが、天候が荒れたら心配です。日夜を問わずワッチを組んで交代で航行しなければいけません。多分4時間交代なのでしょう。明かりのない真っ暗な海の上を滑るように行けるのならまだしも、荒れれば6メートル以上の波に会うこともあるといいます。もう10時間ほど経ちました。今はどこまでいっているのでしょうか。携帯電話は通じません。船に無線は積んでいますし、GPSで居場所もわかるのですが、緊急事態のほかは連絡はしませんしGPSも見ません。だけどどこまでいったのかなぁ。 きっともう陸の見えないところまで行っていることでしょう。360度海と空ばかりで、しかも夜はどんなだろうと想像すると、怖いというよりよく平気だな、と不思議な気持ちになります。計器を見つめて潮の流れや風をよんで、淡々と走っていくのでしょうが、大海原で夜の空を見上げたら星々はどんな言葉をかけてくるのでしょう。それにたった4人で昼夜代わる代わるに操船して…早く無事に着いて欲しいです。このところ天候も不安定だったので余計に心配… 父島 二見港 Wikipedia より着くのは父島の二見港。そのあとイベントのため母島にもいき、沖港に入ります。 母島沖港 Wikipediaより今回は小笠原諸島返還50周年を記念しての小笠原ヨットレース。前回は2005年に開催されました。スタートしたら今度はエンジンを使わない外洋帆走。小網代湾沖ののゴールを目指します。レース中はエンジンを使える行きとは違い、自然と調和して潮の流れを見て、風の力で帰ってこなくてはいけない。ゴールには一週間ほどかかるらしい。フィニッシュしたらすごく気持ちいいんだろうな。それもファーストフィニッシュだったりしたら空に向かって叫んでしまうのでしょう。 小笠原ヨットレースのFacebookより陸から遥か離れて外洋をゴール目指していくその過程ではどんなドラマがあるんだろう。想像をするとワクワクするというより、極限まで体力を使ってセールの上げ下ろしをして海と戦う様子が浮かんできます。そんなことを思うと、参加艇の皆さんの健闘を祈るより前に、全員が無事に帰ってくるように祈ってしまう私でした。読んでいただいてありがとうございます。レースの中継はできませんが、私も29日には竹芝桟橋を出港しておがさわら丸で次の日小笠原入りします。伊豆七島では大島、新島、八丈島へは行ったことがあります。でも約1000キロ離れたら小笠原諸島に行くのは初めて。今から期待でワクワクしています。伊豆七島は小笠原を含めて東京都なんですね。[島じかん&TOKYO]東京でのんびり島じかんで行き方やできる遊びの数々紹介していました。ダイビングやホエールウオッチングは絶対してみたいです。自然に分け入ってトレッキングもしてみたいと思っています。ゴールデンウイーク明けには小笠原から帰ります。行く前には他の事も書くと思いますが、その後小笠原の様子も書きますので、また読んでくださいね。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.04.13
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雨が上がったけど寒い一日でしたけど昨日もおとといも雨、今日はやっと晴れ。昨日の桜、雨の中今朝の桜、朝日あったけど、雷ゴロゴロこの辺りの桜は今日あたりが満開だけどお花見にはいけないの今日は東京に御用あり日比谷公園、🌸あるかしら野音入り口の桜はまたちょっとあったソーラー時計と噴水なんだか寒げ、でもチューリップ咲いてた中途半端だなぁ寒いし🌸終わってるし藤咲いてない鶴の噴水も凍ってないしなんだか寂しい桜の咲いてる時には青空が欲しいなみなさんはどう思いますか?
2017.04.12
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桜が咲いたと思ったら雨続き寒の戻りがなんどもあって開花の遅れた今年の桜3月21日に開花宣言があったと思ったんだけどそのあとも寒さが戻って開きかけの花も震えてた昨日今日はきっと満開になっているのだろうけれど雨明日も雨、明後日も多分雨…今年はお花見に行けるかしら先週は春らしい陽気になっていっぺんにいろんな花が生き生きしだした散歩の途中で見かけた花たち なんという桜だろう、ピンクが綺麗。 足元にはタンポポ 植え込みにも花が咲き出し、見上げるとヤマザクラも咲いてる ほとんど消えていた花壇下のセダムも勢いがついた。海岸近くのハマダイコンには実も カラスノエンドウ、ホトケノザ。 石垣には可愛らしい花が咲いてる 宮司さんのお庭には桃。 神社の境内の桜はチラホラ咲き始めたばかりだった 黄色い花もびっしりと咲き競い、湧き水の池にはたくさんのオタマジャクシが! レンギョウの花は一並びに背伸びしているよう。 花桃は…蔦に巻かれてちょこっとざきいっぺんに春が来て花が咲き出して鳥も鳴いてるだけど雨…この大事な時に雨、雨…晴天の青空をバックにした桜の花の下で、ゴザ敷いて暖かい陽の光の中を流れるように落ちてくる花びら見るのが理想だけれど、雨が降ってても行っちゃおうかしら誰かが言ってたな「花は盛りに、月は隈なくをのみ、見るものかは…」雨に中のそぞろ歩きも味があるかもね.................... 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 ....................これから桜が満開になるところも多いことでしょうわざわざたくさん咲いている所に出かけなくても、ちょっとだけ遠回りして知らない道を歩いて行ったら重く感じるほどの咲き誇る一本だけの桜に出会うかもだけど歩いたことのない道を行かなくっちゃ慣れ親しんだルートを外れて新しい道を辿ってみないことにはドッキリするような新鮮な出会いがあることもなしですね読んでくださったみなさまはお花見を楽しまれたでしょうか思いもかけない所でも微笑みかけてくる花に出会われますように ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.04.09
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井伊谷宮にお参りして浜名湖へ龍潭寺の後ろといいましょうか、山側に井伊谷宮はありました。後醍醐天皇の皇子、宗良親王をお祀りする神社です。駐車場の先、鳥居をくぐると日本絵馬資料館がありました。その先にまた鳥居がありそのすぐ後ろに神門があります。神門の先には手水舎、右には幹がひねられたようなご神木が高くそびえていました。たくさんのおみくじが結びつけられています。そして拝殿があります。拝殿の奥が本殿でとても静かな佇まいでした。庭には子を抱いた観音さまに見える悲母観音石があります。それほど大きくないお庭なのですが一角に句碑がありました。水原秋桜子の「水無月の 若葉とどめず 神います」とあります。隣に馬酔木が植えられているのも秋桜子に因んでのことでしょうか。裏鳥居を過ぎると宗良親王の墓所に続きます。墓所は公開されていないので入ることはできませんでした。社務所では直虎に因んで虎目石をあしらった手かがみ型のお守りや直虎絵馬も売られていました。直虎はここにもお参りしたのでしょうか。勉強不足で歴史の前後関係がわからぬままの参拝でした。さて、目的の龍潭寺の参拝、井伊谷宮へのお参りを済ませ、もう帰るばかり。ここまで来たのですから、帰る前に浜名湖も観光していかねば。 舘山寺ロープウエイで山頂まで登る時間がなかったので、車で登って行きました。するとホテルの従業員の方に「ここには停められません」と言われガッカリ。でもちょこっと降りて眺めは楽しみました。湖畔に降りて走っていくと、東海道の松並木も残っていて壮観でした。浜名湖に来たなら鰻も食べなくっちゃ、ですね。行ったのは「廉川」さん。ここの鰻重「梅」はお重からはみ出す鰻が名物とか。 鰻重とひつまぶしを注文して半分ずついただきました。迫力の鰻重には圧倒されましたが味もとても良かったです。気まぐれに始めた行き当たりばったりの旅。行く先々で思いもかけない楽しみがあり充実した旅行ができました。〆の鰻重はとても印象的にボリューミーで最後まで大満足。また思い立って気ままな旅ができたらと思います。最後までお付き合いくださってありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.04.01
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龍潭寺の庭園は必見 午後2時くらいに龍潭寺へ着きました。まずは井伊家初代、共保公が出生したと言われる井戸に行きました。龍潭寺から道路を渡って少し行った田んぼの中にそれはありました。 大河ドラマでは鬱蒼とした木立に囲まれた秘められた場所に描かれ好きだったのにあまりのあっけらかんさにちょっとがっかりしました。井戸は枯れていて水はなく硬貨が投げ入れられていました。道路を渡って参道を上がっていきます。山門(大門)をくぐると、お城のような石垣がありました。左に行くと直政公の成長を願って植えられたご神木の下に子育地蔵が祀られています。右の道を行き石段を上がり、まっすぐ行くと道の左に東門、右に藤棚がありました。藤の花に盛りにはさぞかし見事なことだろうと、まだない花を想い行くと、受付の庫裏に突き当たります。拝観料を納めて中に入ると華やかなお香の香りがしてすぅっと引き込まれました。本堂は横に長く、釈迦牟尼仏、釈迦三尊、宗良親王の御位牌と祀ってありました。釈迦三尊は秘仏でよく見えませんでした。うぐいす張りの廊下から外を見ると、白沙で浜名湖を表した庭がありました。まだ緑の薄い季節でしたし花もほとんど見られません。しかし落ち葉もなく掃き清められている庭を見て、心が清々する感じを味わいました。左手を見ると鐘楼堂が。この鐘は大晦日とお正月5日までは誰でもつけるのだそうです。鐘楼堂の右隣には前の記事で載せた仁王門が見えました。本堂の隣は夢が叶うと言われる稲荷堂。隣は開山堂でした。稲荷堂へ行く廊下の手前、本堂の天井近くには一刀彫りの龍が睨みを利かせています。左甚五郎の作と伝えられている龍は暗くなったらするりと降りてきそうな迫力です。開山堂の中には井伊家のお籠が展示されていました。質素なお籠は小さくて、小柄な女性でも窮屈だったのではないかと思いました。ここからは右に進むと、渡り廊下を渡って御霊屋がありお参りをしました。外の左手にある小道を挟んだ向こうには井伊家の墓所があり、手前の庭には六地蔵が並んでいました。稲荷堂の後ろを回って本堂の裏にある庭園に向かいます。小堀遠州作の庭園は石組みと築山で鶴と亀を表しているとか。池には水がありますが、滝は枯れ滝で幽玄な深山を表しているようです。紅葉や楓、ドウダンツツジが見事なお庭だとのことですが、季節を外れて紅葉や花はなく、寂しい感じがしました。濡れ縁に座って解説を聞きながらしばらくの間いると、さほど大きくもない庭なのに奥行きと広がりが感じられてきて不思議でした。石の配置が遠近法を使って考えられていると説明があり驚きです。裏から庫裏の方へ戻ってくると長い廊下があり左手に庭園が望めます。奥の書院ではお抹茶をいただいている方々がいました。有料ですが受付で申し込めば用意してくださるようです。書院の手前の部屋は収蔵品展示室になっていました。 外へ出て藤棚の隣東門から補陀落の庭(浜名湖の庭)越しに本堂を右に見て進むと開山堂をぐるりと回り井伊家の墓所へと行くことができました。 正面には初代共保公と直虎の父、直盛公の墓。左には直盛の妻、直虎、直親とその妻、直政と5つの墓がありました。ちょうど大河ドラマで直親が殺されたところを見たばかりでした。戦国時代の真っ只中、現代からは想像を絶する時代の流れの中で国を安堵させ、家族を守り、我が身を守ることはどれほど大変だったことか。戦国の時代は過ぎ、平成の世の今その魂が静かに眠れることを祈りました。墓所にお参りした後は裏手にある井伊谷宮にも参拝しました。浜名湖も少しドライブして回り、もちろん鰻も食べました。そして帰るまでのことは次の記事にしようと思います。ご一緒してくださってありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.03.30
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龍潭寺に着くまでの出来事 阿智村の宿を出たのは9時頃。宿を出て少し行くと阿智神社があり、一宿のお礼をと参拝しました。後で調べて分かったのですがこちらは「奥宮(または元宮)」と呼ばれているところ。祀られているのは天八意思思兼命(あやのやこころおもいかねのみこと)でその子の御児天手力男神(あめのたじからおのみこと)天表春神(あめのうわはるのみこと)を連れて降臨された地だということです。道路からすぐの目立たない鳥居をくぐり、階段を行くとすぐに社殿の前に出ました。左右に篝火をたく籠があり、前には四角い舞台のようなものがあります。ここで舞が奉納されるのでしょうか?夜に人工の明かりがない中、このシンとした森の中で神事があるならなんと神秘的なことだろう…と思っただけで鳥肌が立ちました。右を見るとさらに素朴な石段と鳥居があり、その先に玉垣が見えます。用合陵です。その玉垣の中にある大きな岩は「磐座(いわざ)」というそうです。この巨石にはその昔、祖先の神が宿り、阿智族の守護神となったと信じられているとか。磐の上には溝が掘られ、東西南北を指しています。冬至の日の太陽は向かい側の二つの山の稜線が合わさる正にその所から登ってくるのだそうです。冬至でなくとも朝日が昇るときにここに来ると神を感じることができる…もう朝日はすっかり昇ってしまっていますが、この磐座の脇に立って光を降り注いでいる太陽を追っていると何かに包まれていくような感覚に襲われました。静かに目を閉じて生まれてきたこと、ここに来られたことを深く感謝しました。もう少しの間、社殿の前の舞台の上で過ごしたかったのですがそうもいきません。社殿を後に階段を降り、先に進むことにしました。そこから龍潭寺までカーナビを入れると、3つのルートが出ました。高速を使っていくと大廻りですが時間は短くすみます。せっかく来たのですから寄り道が楽しめるように真ん中のコースを取りました。あまり飛ばさず周りを見ながらのドライブ。薄く雲も出てきましたが、いい陽気です。おや、梅園があります。Uターンして見せていただきました。 淡いピンクや濃く重さを感じる桃色の梅はもう盛りを過ぎ、木の下にはそれぞれの色のの花びらが若草の上に散り、それも見事。ミツマタの花もあり、綺麗な黄色の花をうなだれるように咲かせていました。上から見るとフエルト生地のような質感で、色もぼけて見える花ですが、下から覗きあげるように花を見ると鮮やかな黄の清洌さに打たれます。管理をしているおじさんとお話をして、少しばかりに寄付を箱に入れてきました。海老池貝津で32号線に入り、海老川沿いに進んでいくとT字路にでました。そこを左折してその先、直進か右折か…ナビが古いのでよくわかりません。「あのさ、さっきのT字路、長篠って書いてあったよ」「ながしの…あ!長篠の戦いってここら辺であったのかな」「戻ってみようよ。何かあるかもよ」戻っていきながらネットで調べてみると、ありましたよ「長篠城址」本丸も城壁も残ってはいませんでしたが、土塁と堀の跡が残っていました。 駐車場の近くには「長篠城址史跡保存館」がありました。それほど大きくはなかったので期待しませんでしたが、予想以上に見応えがありました。血染めの陣太鼓、包囲された城から伝令として抜け出した鳥居強右衞門の話、鉄砲、薙刀などの武器と甲冑… 武田勝頼率いる15000人の兵に囲まれた長篠城は500人の城兵でもちこたえた。織田、徳川の連合軍38000人はこの間に設楽原に進軍した。連吾川にそって馬を防ぐ柵を築き、火縄銃で交戦した連合軍の前に武田軍は多くの名将を失い敗れ、その後勢力を衰えさせていった…そんな戦国時代の流れを大きく変える戦闘がこの辺りであったのだ、と思うとこの城址で、長篠の地で戦われた戦闘の凄まじさが襲ってきて苦しくなりました。武田勝頼 30歳、織田信長 42歳、徳川家康 33歳、羽柴秀吉 39歳、その他年若い武将も数多く、加藤清正は14歳であったそうです。さてさて、ここで長篠の歴史の中に入り込んでいてはいけません。今日の目的地はそれより前の歴史の舞台、龍潭寺です。なんだか時間の街道を過去に向かって旅していくような気持ちになりながら先へ。井伊谷に近付いていくとまたまた寄り道の誘惑に遭いました。神秘の大鍾乳洞「竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)」洞穴に中に大滝のある鍾乳洞…誰が逆らえるでしょうか!龍潭寺は目前でしたが、またまたUターン。看板を探し指示に従って左折しました。すぐかと思ったのですが、かなり行ったところにやっとありました。竜ヶ岩洞。時間は午後1時くらいでしたので駐車場にあるお好み焼きやさんで昼食です。ボリュームもあり美味しかったです。トマト入りお好み焼き。エネルギーを補充して元気もいっぱい、さあ、鍾乳洞探検です。狭い所もあり注意しながら進みました。「大広間」「龍の抜け穴」「長寿の泉」など名前の付いている見所はたくさん。 一番のハイライトは30mの落差のある「黄金の滝」です。2億5千万年前の地層を通って流れ落ちる滝は今の季節には水量が少ないそうですが、頭上より落ちてくる滝の水滴が一つ一つ見えるようで、きらめきながらゆっくりと滝壺に落ちていきました。1000mあるという鍾乳洞のうち、一般公開されているのは400m。自然が長い年月を使って作り上げた空間が、進んでいく先々に広がりました。外へ出ると光が眩しかったですが、午後の太陽は少し傾いてきています。先を急がねば!車に乗るとナビには数キロ先に龍潭寺あるとの案内が出ました。やっと到着。さあこれからが今回の旅の本命、龍潭寺訪問です。次になりますが、龍潭寺とその庭園、井伊家の墓所、井伊谷宮のことをお話しします。行き着くまでの行き当たりばったりの寄り道にうんざりされてしまわれたでしょうか。我慢強く読んでいただきありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.03.29
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高原の星空は深く果てしなく 阿智村の昼神温泉郷にある温泉宿で一泊することになりました。 ロービーに囲炉裏があるお宿です。奥はカフェで地元の情報を調べることのできるコーナーがその横に設けられていました。案内されたのは7階で見晴らしが良く、お部屋は普通の旅館の感じです。道路側に部屋はなく廊下になっていて、川に向かって窓のある見晴らしの良い部屋でした。まだ他のお客さんはそれほどいなかったので、空いているうちにお風呂へ。アルカリ質のさらっとした湯で肌がすべすべになりました。内風呂もありましたがひとつ、洗い場はけっこう広かったです。打たせ湯風に温泉を流していたので、そこで気まぐれなドライブの疲れを叩き出しました。やはり温泉は温まり方が違いますね。湯あたりするほど長くは入らなかったのですが、心地よい疲れを感じてちょっとお昼寝。夕食までの1時間ほどに手足を伸ばして夢の中へ…お食事は囲炉裏焼きのコースにしました。牛肉のセイロ蒸しや鍋物も付いていたので大満足です。炭火で焼いた川魚、野菜やキノコ、五平餅はまた格別の美味しさでした。昼神温泉 ユルイの宿 恵山その夜は食事の後バスで高原に行き星夜観察をするナイトツアーを予約してあります。泊まった宿からは私たちだけ。8時40分に迎えに来たバスの乗客はほとんど若いカップル。きっとロマンチックなイベントなのでしょう。「カップルばっかりだね」「僕たちだってカップルじゃない」「たしかに…w」などとふざけながら15分ほどのバスライド。夜道を一路向かった先には日本一の星空「天空の楽園 Winter Night Tour」が待っていました。駐車場から先は街路灯もなく、歩道にオレンジ色の光の帯が点いていてゲートへ導きます。左カーブになっている先は真っ暗闇…ちょっと怖いようでした。カーブを曲がり始めると先に白いコンテナが暗闇の中に浮かびました。それでも???壁に覆われているし、どこから入るのかわからないし???状態…しばらくするとゲートが開きパラパラと前回の観客たちが出てきました。ゲートの先もなんだかとても暗くて神秘的。コンテナで囲まれた一画に覆いはなく、見上げると星が見えました。コンテナには流星や花火のような光が映し出され気持ちの良い音楽が流れていました。ゲートを入ったところはこんな感じ。白いコンテナはスクリーンなのですね。映し出された星々に囲まれた広場にはとても寒いのにあちこちに寝転がったり座ったりしている人たちがいました。頭上の星野に引き込まれているのでしょう。広場の正面には1階建ての建物があり、その中にショップなどがあるようです。入ってみると星や天体に関連したグッズが売られていてカフェもありました。「ん?これだけ?だとしたら2200円は高すぎだよ」「あのさ、ナイトツアーはこれからだよ。まだ何も始まってないし」「そか、9時45分からなんかやるって書いてあったよね…」時間までまだあったので広場で映像や音楽を楽しみながらブラブラ。すると薄暗い一角にいくつかの望遠鏡が置かれているのに気がつきました。それぞれ何に照準があっているのか説明があります。「木星とその衛星」とあるのを覗いてみました。Wikipedia大赤斑は見えませんでしたが、かすかに縞の見える木星と4つの衛星が見えました。ガリレオ衛星と呼ばれているイオ、エウロパ、ガニメデ、カリストでしょうか。「おお!なま木星。ゾクゾクするね」「まあな、でも何年前の姿かな」「…」全くつや消しのことを言ってくれる我が君様でした。そうこうするうちにプロジェクションマッピング開始のアナウンスがありました。ベストなポジションを教えてもらい、そこに座りました。今、私たちは宇宙ステーションの中にいるという設定です。そのステーションが星間ロケットにトランスフォームしていきます。3・2・1・0カウントダウンがありロケットは発射されました。どんどん地球から離れていきます。太陽系の惑星の脇をを高速で通り過ぎ、広大な宇宙に深く入り込んでいきます。流星群でしょうか、小惑星帯でしょうか、通り抜ける時は相当の衝撃でした。(映像と音のほかは何もないのですが、なぜか何かが当たったような…)またカウントダウン 10・9 … 2・1・0 バン!映像が消え、すべての明かりが失われてしまいました。頭上に現れたのは満天の星、まるで体が宇宙に投げ出されて吸い込まれていくようです。私たちは宇宙をさまよう孤児になってしまったのでしょうか…自然と体を横たえ、星の光以外は何もない空を見上げていました。サッと赤い光が空をよぎりました。インストラクターの示すレーザーライトの光です。ここからは今見えている星々の解説を聞きながらの宇宙遊泳となりました。北東に登ってきたおおぐま座、その尾にある北斗七星を頼りにこぐま座のポラリス(北極星)を探します。そこから東へ目を移していくと春を代表する星座、乙女座がありました。その中には先ほど望遠鏡で見た木星がひときわ明るく輝いています。レーザーライトの指し示す光を追っていくとオリオン座がありました。そのペテルギウス、こいぬ座のプロキオン、そして白く輝くおおいぬ座のシリウスこの3つは漆黒の夜空に大きな三角形を形作っています。冬の大三角形です。さらに双子座のポルックス、ぎょしゃ座のカペラ、牡牛座のアルデバランオリオン座のリゲルとつないでいけば「冬のダイアモンド」がとらえられます。Wikipediaぎょしゃ座のカペラは際立って美しく、シリウスの惺々と冷たい光とは違い心なしか優しい温かさで光っていました。(星座の映像は星座表アプリのもので実際見上げていた夜空のものではありません)背中に感じる地球が音もなく宇宙を航行していっているような不思議な浮遊感を感じてしまいました。インストラクターのガイドはもう聞こえません。知っている星々をたどり、高速で旅をしているように宇宙の中に入っていきます。どのくらい時間が経ったのでしょう。「ねえ、バスが出る時間だよ」という声に我に帰りました。地上で生活することに関してはどんな時でも的確な判断をしてくれる我が君に感謝。一緒にいればどんなに心を飛ばしても引き戻してくれるのですから。呼ばれても、もう戻ってこられない時が来るまで一緒にいてください。それまでは二人でたくさんのことを楽しんで生きたいと思います。最後まで読んでくださってありがとうございます。次の日はいよいよ龍潭寺へ向かいます。行き当たりばったりの旅を続けるので保証はありませんが多分行き着けるでしょう。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.03.27
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本栖湖を後にお宿さがし 清冽な本栖湖で心の鏡のお掃除をした後車に戻りました。外気はかなり冷たかったようで暖房を入れて初めて手足が冷えきっているのに気がつきました。さて、ここから龍潭寺に直接行くのはかなり飛ばさないといけません。ついたとしても拝観時間には間に合わないでしょう。どうせ初めから行き当たりばったりの旅と決め込んでいたので、車を走らせながらどこか泊まるのに良さそうなところを探すことにしました。通って行くのは国道300号線、つづら折りの先に南アルプスが望める道です。本栖湖からトンネルを抜けしばらく行ったところに見晴台がありました。遠方に南アルプスの峰々が空に浮かぶようにそびえ、澄み切った空気の中に朝日を受けて光っていました。ふと学生時代南アルプスを横断したことが頭に浮かびました。「ねえ、阿智村に行かない?」「なんで?何があるのそこ」これといって記憶に中には何もないのです。ただアルプスを越えて行ったということだけが残っているのですが。「南アルプススーパー林道で確か赤石を通って伊那に入れるはずだよ」とは言ったもののネットで調べると今はマイカー規制で一般車は通れないようでした。でもなぜか阿智村に行きたくてそこまで行って宿を探すことにしました。9号線に右折して52号線を目指します。釜無川と笛吹川が合わさって富士川になるあたりに道の駅があるとマップに出ました。道の駅富士川です。まだ新しい施設のようでなんとなくそっけなく閑散とした感じがしました。お客様が少なかったからかもしれません。 お昼を食べてテラスに出て山々を眺め休憩して先を急ぎました。52号線は確か「富士川街道」であったように覚えています。中部横断自動車道ができて随分便利になったようです。双葉インターから中央高速ににはいるとすぐに八ヶ岳連峰が見えてきました。八ヶ岳周辺は若い頃から随分通ったものです。白樺湖ビーナスライン、白駒池、清泉寮、小淵沢…八ヶ岳の峰々が近づいてくると様々な思い出が懐かしく浮かんできました。もう赤岳に登る元気はありませんが、また稜線に立って爽快な気分を味わってみたいものです。諏訪を過ぎ名古屋方面へ。伊那に差し掛かる頃、阿智村にはどのインターで降りたらいいのか調べました。「飯田」「飯田山本」「園原」「中津川」…園原が一番近そうだったのですがなんと降りられません。出口が見つからなかったのです。工事中だったせいか、こちらの車線からは出られないのか、仕方がなく「中津川」まで行って引き返しました。反対側にはちゃんと「園原出口」はありました。道中阿智村には昼神温泉郷があると調べていました。伝統芸能がロビーで見られるお宿昼神温泉 石苔亭いしだ星空ナイトツアーの楽しめるお宿昼神温泉郷 懐石と炉ばたの宿 吉弥懐石料理と砂風呂のあるお宿昼神温泉 癒楽(ゆら)の宿 清風苑天竜峡まで行けば渓谷の一軒宿天竜峡温泉 静かな渓谷の隠れ宿 峡泉いろいろあったのですが、疲れもあったしゆっくりしたいのであちこち回るより昼神温泉郷に入って手当たり次第に当たっていくことになりました。行き当たりばったりに旅なのですからね。しばらく行くと川沿いにそれらしい建物が点在する地域に出ました。道路から入りやすい一番近いお宿に入ってみると空室有り!即決です。外観は普通のビルですが、玄関は昔の旅館風。ロビーも広く清潔な感じでした。昼神温泉 ユルイの宿 恵山ふと見ると「日本一の星空」という案内があるではありませんか。ここでも星空ナイトツアーに参加できるのですね!今夜は空は晴れていそうだし星がたくさん見られるだろうと思い詳しく聞いてみました。近くの富士見台高原でプロジェクションマッピングと星夜観察をする常設会場があり、今は「Winter Night Tour」というのが開催されているとのこと。最終回は21:00からで空きがあったので予約をしていくことにしました。まだ3時過ぎでしたからゆっくりお風呂に入ってのんびりし、夕食も済ませてから行けるので疲れも出ないことでしょう。さて、どんなショーだったのか、どんな星座が見えたのかはこの次にお宿の様子と一緒に書こうと思います。最後まで読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.03.26
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目的地は龍潭寺、行き当たりばったりの旅 連休明けの春のひととき、大河ドラマの舞台龍潭寺を訪問しようということになり平日なので混んではいないだろうと勝手に考え途中どこを観光しようなどという計画は全く立てない気ままな旅に出かけました。決まっているのは龍潭寺へ行く事と鰻を食べることだけ。前日までの雨がすっかり上がって、出発の朝はスーパー快晴の寒い朝。4時起きして出発しました。だんだん明るくなってきます。海岸道路をはしっていくと、海の向こうに浮かび上がってきた富士山は真っ白です。「昨日の雨は向こうでは雪だったんだね」「じゃあ東名にすぐに乗らないで富士山見ながら行こうよ」ということになり西湘バイパスに入りました。 数日前に見た雪のベールはかなり下まで降りてきています。まっすぐ富士山に向かってしばらく相模湾を左に見ながら走りました。大磯西で降りて秦野中井へ向かいます。 少し富士が大きく見えてきます。新しく降った雪であろう上の方よりは薄いベールが裾野近くに広がっていました。東名で御殿場へ向かい、御殿場で下りて富士五湖道路へと向かいます。 富士スバルラインは通行止め。かなり雪が降ったようです。 昔に噴火した宝永山が左側にはっきりとしたシェープでうきあがりました。静岡側から見るとこの出っ張りは見られないそうです。 富士吉田あたりでは裾野までくっきり見えました。人工物が全く目に入らないところから富士山を見てみたいな、というと「陸自の富士演習場に入れば見えるかもよ」と答えが返ってきました。でも戦車や高射砲は見えるでしょうから行きたくはありませんでした。入れないでしょうけど… 河口湖近くまで来ると道路脇にも雪が積もっています。チェーンと滑り止めのスプレーは積んでいるのですが慎重運転。 富士吉田手前ではまた違うすがたを見せる富士。 なんだか積もっている雪が厚くなってくるようで少し不安になりました。道路は凍結していないものの外の温度はマイナス一度…晴れててよかった! 河口湖にちょっと寄って河口湖大橋を渡りました。この先の右、崖の上に産屋ヶ崎神社がありそこからの富士山も綺麗でした。 その祠は小さいかったけれど海彦と乙姫にゆかりのある社と書いてありました。対岸をしばらく走り、浅間神社にも参拝して大きな鳥居から見える富士山も拝みました。誰もいなかったのですが神聖な雰囲気が漂っていて長居してしまいました。 浅間神社を後にして西湖、精進湖へ向かいました。途中にコウモリ洞窟があったので途中下車して洞窟探検。青木が原の樹海の端にあるので朝の光に中でも不気味かなと思いきやウッドチップが敷かれた遊歩道が洞窟入り口まで続き清々しい散歩でした。コウモリは…見ることができませんでしたが…(寝ていたのでしょう)そしていよいよ神秘的な湖 本栖湖へ。 深さが富士五湖の中でも一番あるという本栖湖はその発しているものが他の湖とは違うように感じられます。湖畔でしばし、富士のよく見える場所でしばらく、朝の冷気の中氷でできているような富士と湖の絶景に見とれていました。暖かくなったら溶けてしまいそうで今この冷たい空気の中でハンマーを振るったら壊れてしまいそうで遠いようで心の中から投影しているような世界にしばらく浸ってしまいました。この後は南アルプスを望みながら中央高速双葉インターを目指します。続きの行き当たりばったりぶりはまた次のブログで書こうと思います。 最後までお読みくださってありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.03.25
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小旅行に出かけました連休を避けて一泊の旅行をしようと計画していました。春分の日は冷たい雨が降り天候が危ぶまれましたが当日は快晴。早起きをして気分も上々でさあ、出発。海岸通りを走っていくと相模湾の向こう、伊豆半島がよく見えました。あれ?富士山、裾野の方まで白くなってる!雪が降ったのですね。それではと行程を変更して、お化粧直しした富士山を楽しむことにしました。そして大好きなあの景色を目指していきました。そうです、本栖湖から望む富士です。到着するまで雲が出なければいいと願って走りました。よかった!本栖湖の空には雲ひとつありません。風が強く湖面にはさざ波が立ち、ベールがたゆたっているようです。朝の光の中、銀紗の薄衣は風の吹くに任せてきらめきます。一瞬として同じ色にはならず、かつてもこれからもまたこのキラキラした美しさは繰り返されることがないのでしょう。今まで走ってきたこともこれから行く末のことも忘れしばらく風に乗り心を湖面に遊ばせていました。目を上げると富士山の稜線から白く薄煙が立っているようでした。強い風に新雪が巻き上げられているのでしょうか。雲のように湧き上がることもなく青空に紛れていきます。雪で化粧直しをした富士が光に溶けていくようです。このまま見ていたら氷が溶けていくように富士の姿が消えてしまうのでは…でも透明感のある富士は柔らかく暖かい春の光を浴びて凛としてずっとそこにありました。最後まで読んでいただきありがとうございます。次は道中様々な姿を見せてくれた富士を追いながらまたお話ししようと思います。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.03.24
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お誕生日おめでとう3月11日はお誕生日です。この日に生まれた人の、この日に命を渡した人の。3月11日は愛する人の誕生日です。だけど、この日に命を終える人もいます。6年前のこの日にはたくさんの人が命を奪われました。だから、愛する人は「もうおめでとうなんて言ってほしくない」と言います。けれど失われた命は終わってしまうのでしょうか?そこで消えてしまって遺族や知人の記憶の中だけに生きるのでしょうか?そうだとしたら悲しすぎます。命は永遠に続くもの。一度失われることがあっても次の命に受け継がれるもの。だからあの日に失われてしまったたくさんの命も終わったのではないです。今との繋がりは切れてしまったけれど、消失してしまったわけではないと思います。どこかにその命は受け継がれ、失われる前にできなかったことをしようと自らの意思で命を受け継いでいるのではないでしょうか。ですからあの時失われた命を引き継いで受け、誕生をした命、ようこそ。そしてお誕生おめでとう。命を失ったその時は本人も恐ろしく、なす術もなかったのでしょうが、残されたものの方がその恐ろしさや虚しさを思い、幾層倍にもなったことでしょう。愛するものを永遠になくしてしまった悲しみは例えようもありません。この世に生きている限りその悲しみは残されたものに泉のように湧き出し続けます。もし、愛するものの命が永遠に失われたのではないと思えたら、この世の今にその実態がなくなってしまっても愛したものは姿を変えて命を受け渡していると思えたら、自分の知っているものだけではない命を慈しむことができるのではないでしょうか。命は今のその実在を失ってもきっと生まれ変わってきます。だから、それがどこに実現したとしても、お誕生日おめでとう。尋常ではない命の終焉を迎えた魂、そしてその現実を見たご家族のみなさま。失われた命は元には戻らないかもしれないけれど、その命の力は受け継がれて今どこかで生きていると思います。お誕生日おめでとう。去っていったあなたの面影、声のトーン、仕草、癖忘れはしませんが、あなたがどこかに命をつないでまた出会える時間に生まれているのなら私はきっとその人があなたであったとわかって嬉しくなるでしょう。もう「生きていて」とは言えなくなってしまいましたが、またどこかで新しく生き始めたあなたと絶対出会えるとなんとなく感じています。亡くなってしまったけれど、お誕生おめでとう。私が亡くなる前にきっとあなたとお会いしましょう。私がこの時間から去ってもいつかどこかで私を認めてくれる人がいるように。3・11に失われた命に心からの祈りを捧げます。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.03.12
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花が咲き始めています太陽が少しずつ高くなり雨が降り季節を廻していきます。何も世話をしなくても時がくれば咲き出す花たち。球根を植えてもなかなか花が咲かずにいた小道にも雑草に負けたと諦めて数年経った今年、花が咲きました。たくさん生えている雑草の合間をぬって、落ち葉もたくさん積もっているのに、根を伸ばし球根を密かにふやしていたのですね。オキザリス、スターオブベツレヘム、かわいい春告げ花です。自然は強い。花咲く体を持っていれば、放っておいても時を得て花を咲かせます。庭の樒も静かな宵には微かな芳香を放ち花を咲かせています。ジャパニーズアニス、強烈な毒を持っているそうですがかそけき花は可憐です。母の植えた雪柳も小さい花のひとつひとつが誇るように咲き、枝の上を流れていくようです。しばらくすると溶けない雪のように地面に花びらを降り積もらせます。冬に地面が凍りついても非情な波が大地を飲み込んでも忘れずに巡り来る春。時が来くれば潜めた力で息吹く命。できることならどんなに過酷な運命が襲ってきても心折れることなく花のようにさらりとしたたかに咲き時を待てたら。しかししかし人は弱い心に左右され、過去に囚われ、時を止めてしまうこともあるかも。いやいや人の持つ力はしなやかで、流れる時を良い方向に向けていくことだってできる。時を待ち、時をたぐり寄せ、眠っている花を咲かせたい。誰も見ない陰にだって太陽に向かって咲き広がっていく花だってあるのだから。明日には東日本大震災が起きて6年目の日がやってきます。未だにご家族が戻られていない方、避難生活で故郷を遠く離れている方、戻りたくても戻れない方、恐ろしい経験に今も悪夢に襲われる方、希望を失い生きていく気力をなくされている方、まだまだ爪痕は深く、復興の槌音も虚しく響いているように思えることもあります。涙は枯れることはないでしょう、しかし流したその涙の力で咲く花もある、と信じます。絶望したと思っていてもふとした時に、自分の中に芽吹いているものがあると感じられことがあります。現実の時が無情に流れすぎても、なんとかして心が安らかになろうとしている…でも忘れません。いつまでもあの時のことは忘れません。いつか、もう咲かないと思っていた花が咲いたら…思いもかけない気持ちになって違う涙が流れる時がきたらと思います。最後まで読んでくださってありがとうございます。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.03.10
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リスが倒れていたので手当てしました防災工事が終わってすっかり様変わりした近くの崖にもう林はありません。暖かくなってきたのでトンビがやってきますが、巣を作る木は見当たらず悲しげに声をあげています。窓の外からも悲しげな鳴き声がするので掃き出し窓を開けてみました。するとぐったりとしている子リスがいるではありませんか。近くにはニコニコしている(?)サバ猫が…「何してるの!」と猫を追い払い子リスを抱き上げました。心臓は動いている、息もしてるけど目は閉じています。「あ-、いけない!冷たくなってきてる…」すぐに部屋の中に入れ小箱にタオルを敷きホッカイロを入れました。「しっかりね!もう怖くないからね」と撫でてもピクともしません。あわてて緊急の集中治療室を作りました。 ゴミ箱の中に箱を入れてビニール袋で覆いストーブのそばへ。しばらくしても動き出さないのでフラワーエッセンスのレスキューを飲ませました。レスキューペット 10ml グリセリン 日本国内正規品 【 あす楽 送料無料 】【 ネコポス ノンアルコール バッチフラワーレメディ バッチフラワー レスキュー ペット バッチ フラワーエッセンス 】価格:2592円(税込、送料無料) (2017/3/6時点)胴体が手のひらに乗るくらいの大きさでした。そっと片手でつかんでスポイトで数滴口に含ませました。するとまあ!首を動かして飲み込んでいるようです。「そうだよ、がんばって元気になってお母さんのところへ帰るのよ」と言いながら体を調べてみても外傷はありません。口から血も出ていません。木が切られてしまい、いつもと違った様子に迷子になったのかも。開けた場所で登る木もなく隠れる草陰も見当たらない時に猫に襲われたのかもしれません。そっと集中治療室のタオルの上に寝かせ様子を見守りました。「そうだ!怪我や事故のショックを和らげるレメディも飲ませてみよう」と思いつき蒸留水にアーニカを入れて溶かしました。ホメオパシージャパンレメディー 基本5 Arn. アーニカ 30C 大ビン[ホメオパシージャパン 基本 ホメオパシーレメディー(ホメオパシージャパン)]【3_k】【あす楽対応】価格:1296円(税込、送料別) (2017/3/6時点)作ったものは遮光ビンに入れておきました。 そばで見ていると息が力強くなったように思えました。水分も取らせたほうがいいと思い、また抱き上げると目を開けています。華奢な前足の指は長くとても細くて頼りなげです。のぞいている上の前歯は口のサイズからすると大きすぎるくらいです。その歯の脇から作ったレメディを口に含ませました。「あっ!飲んでる。ゴクゴク飲んでる(⌒▽⌒)」するとピィーというような声をあげたのです!「あぁ、動いてる!」胴体をくねらすように手に中でもがいています。「気が付いたんだね。よかった」と言いながら今度はさっきよりたくさん飲ませました。そっとタオルの上に置こうとしたのですがもう大変です。必死で手から逃げようとし始めました。なんとか集中治療室に押し込んでビニール袋の口を縛ったのでが…タオルの下に潜り込もうとしたり中を動き回ったりしています。一時間ほどするとビニールを噛み始めました。そして鳴くんです…「おかぁさーん」って言っているのでしょうか。カシャカシャ…フォンフォン…なんと表現していいのでしょうか。時々ピーと大声を出します。「そうかそうか、みんなの所に帰りたいのね」もう捕まえて何かを飲ませることもできない様子なので放す事にしました。神社に近い崖でまだ林の残っている所まで集中治療室のまま行きました。真ん中まで上がり地面に下ろしてガサガサと口を開けても…でてきません。そのまま傾斜のある林の中において少し離れて見ていました。10分ほど経った頃でしょうか、素早い影がそこから出て木に登って行きました。あんまりよく見えなかったのですがなんだか大丈夫そう。「もう猫と遊んじゃダメだよぅ」と声をかけても聞いているのかいないのか。鳴き声も聞こえず気配もなく、午後遅い林に中にまだらな陽の光が射しているだけでした。どうぞ子リスが無事に仲間の所へ帰れますように。驚かすといけないのでゴミ箱は後で回収する事にしてそのままに。何度も振り返りながら家に帰りました。最後まで読んでくださってありがとうとざいました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.03.06
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三月三日に流し雛がありました流し雛を見ようと浜に行く途中、テトラポットにカモメがたくさんとまっていました。 暖かくなるとカモメたちは繁殖地へ渡っていきます。渡りに備えて力をつけているのでしょうか。それとも仲間が集まるのを待って飛び立とうとしているのでしょうか。テトラポットの上にはたくさんのカモメが集合していました。しばらく見ていると海に降りて水浴びをするのもいました。この辺りのカモメは春にいなくなり、秋になると戻ってきます。カモメの鳴き声は夏が終わった印。そして渡りの前に群れているカモメを見るのは春がきた証し。夏でも見られるカモメはウミネコですがここではほとんんど見られません。カモメのいるところを後に歩いて行くとワカメやメカブを売っていました。 去年は不作でこのスタンドにも出されることはありませんでした。今年は出ています。季節ごとの産物がいつも通りに売られているとなぜか安心します。 浜には干されているワカメがありました。潮の香りをいっぱいに含み、太陽の匂いも封じ込め干し上がったワカメは美味しいです。浜の先、漁港へ続く道にはたくさんの露店が出ていました。 浜に続く丘の上にある淡島神社の祭礼の日だからです。一年に一度、ひな祭りの日には御神体が開帳され、流し雛神事があります。詳しいことは 「淡島神社の流し雛」 に書きました。毎年春を告げる行事です。よろしければご覧ください。今年もお雛様たちが船に引かれ、身代わりのお札が海に流されるを見守りました。何も変わったことのない毎年の行事なのですが、命のないお人形でも供養して神に祈ることをする人間っていいな、と感じ変わらぬ営みが続けていかれる平安にも感謝しました。船出のときに吹き始めた風も頬に優しく供養されたお人形たちの魂が波間から飛び立ち風に乗っていくようでした。最後まで読んでいただきありがとうございました。みなさまの心の中にも温かい春風が吹きますように。 ランキングに参加しています。 応援してくださいね。
2017.03.04
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木の伐採は済み防壁工事が進んでいます以前に 「防災工事と木の伐採」で書いた工事が始まりました。この辺りはもう造成されて30年ほど経ちます。開発当時の崖の様子は画像が残っていません。少し前まではこんな感じでした。 トンビが春先になると子育てをするためにやってきていました。初夏にはカラスも卵を産むので産卵場所をめぐっての空中戦も毎年のこと。ほとんど飛べない小綬鶏もよく鳴いていました。メジロ、シジュウカラ、キビタキ、アカハラ、もちろんウグイスよく来ていました。リスはたくさんいて七色の鳴き声で楽しませてくれ、アライグマ、ハクビシン、そしてタヌキたちとも顔なじみになったものです。大木になった木は数年前の大雪で枝が落ちて崖下の家に被害が出ました。その時からでしょうか、防災工事の話が持ち上がったのは。そしてとうとう昨年末に始まりました。木の伐採です。 鳥たちが営巣していた大木もあっという間に切り株となりました。こうして見ると崖はとても急峻です。木の根が崖崩れを防いでいてくれたのかもしれません。コンクリートの工事もグングン進みました。 長いホースで骨組みした鉄筋にコンクリートを流していきます。枠の内側には金属のネットが張られました。 木の切り株が残されているのを見て救われたような気がしました。切り株から出るひこばえや自然の再生力を活用して緑が出るのを妨げない工法のようです。全面がコンクリートで覆われていないのを見てとてもホッとしました。これで終わりではなく格子目の間には土が吹き付けられました。 人工吹き付け客土というのだそうで、発芽率抜群と書いてあります。どんな草が生えてくるのでしょうか。ススキのようなパンパスグラスでしょうか、美しい花の咲く草でしょうか。どちらにしても早く動物たちが身を隠せる背丈になってほしいものです。作業員さんはハーネスをつけ上から吊られて客土を吹き付けていきます。 思いの外、客土吹き付けは迅速に作業は進み1日半で終了しました。足場も撤去され以前のうっそうと繁った小さな林は冷たい人工物と化しました。人がどのように手を加えようとも自然はしたたか、きっと遅からず草は生え切り株からは芽が出て、ひたひたとまた人の領域を侵略してくることでしょう。人が住まなくなれば驚くほどの勢いで自然が戻ってくるということですが、私たちがこの地を見捨てることはないでしょう。それでもできることなら少しでも自然の生き物がくらせる場所を残せたらと思います。春もすぐそこ。残された林の上ではトンビの求愛の鳴き声が聞こえます。小綬鶏も鳴き始めリスの声も絶えてはいません。このところタヌキの来訪はありませんが、きっとどこかで潜んでいることでしょう。夢物語のようですが、命あるものがみな穏やかに生きていける世界になってほしいと願っています。最後まで読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.02.26
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漁師さんにとっては危険な風、春一番前の晩から吹きすさんでいた風は朝になっても止みませんでした。バイクに乗って海岸沿いの道路を行くと、標識に「波浪注意報」の黄色い文字。後ろに車がいると風にあおられた時に接触しそうで怖かったのですが、幸い最初の岬を曲がるまでは後続車なし。御用邸前を通過するとまた正面から風は上体を押し上げ吹きつけました。ゴーグルしてくるんだった!砂と塩が目に入ります。薄目にして砂つぶ手を防ぎなんとか駅まで到着、かなりあおられましたが。漁師さんにとってばかりでなくドライバーにも結構危険です。用事を済ませて午後に帰る時にもまだ南西の風はおさまっていませんでした。それどころか道路標識は「波浪警報」に変わっています。 陛下がよくお散歩なさる一色海岸にも白波が打ち寄せていました。遥か先左手が一色海岸、右手の岬が長者ヶ崎です。走行中は砂つぶ手が顔や目を打つので速度を落として進みました。長者ヶ崎を過ぎると海はまた荒々しさが増したように思いました。 松の枝は吹きちぎれんばかりです。三浦半島、長井から先が見えます。あらら、いますよ、サーファーが。ここではたった一人で海に挑んでいました。 街道沿いのヤシの木も風にあおられ伸ばした葉を返されてしまっています。標識は風でブルブル揺れていました。 地元の駐車場から漁港方面を見ると高波が防波堤に打ち付けていました。その手前、風波が薄くうねりの入るところにはかなりの数のサーファーがいました。なんでこんな日に海に入るのでしょうか。風と波を乗り切り沖に出て波を捉え、乗って帰る快感…こんな波を越えてパドリングしていくだけでも力を使い果たしてしまいそうなのにそれでも挑んでいく。そして荒波の上に立ち、うねる波を乗りこなして浜に帰る。それがまた新たな荒波に向かっていく闘志を沸き立たせるのかもしれません。海岸に立っている岩にも容赦なく風と波は打ってかかります。 これから何年もの先、この岩も打ち砕かれてなくなってしまうのでしょうか。しかし波に立ち向かっていった闘志は、打ち砕かれることなく燃え続けるのかもしれません。それが困難であればあるほど、越え難い波であればあるほど、その波頭を超え、頂を取り、波の腹を思うままに駆けおりる…それを成し遂げた時の快感がふつふつと湧き、波に挑み続けるのでしょう。 人の気持ちなどにはお構いなしに風と波は轟々と押し寄せていました。泡だつ海は砂を巻き上げ飛沫を飛ばし、ひ弱なものをねじ伏せていきます。それでも渦巻く流れの中でも必死にそれに抗い生きていくものもいるのですね。どんなに風が吹こうと海が荒れようとそこにあったものが根こそぎ失われないでいるのを知ると敬虔な気持ちになります。どんな小さなものでも生かされているのでしょうか。今日も1日の終わりが迎えられたことを感謝します。どんな偶然がこの命を奪ったとしても不思議はないのですから。明日もまた生きていけるとしたら、その時を深く観じて過ごしたいと思います。みなさまの毎日が豊かな日々となりますように。最後までご一緒くださってありがとうございました。 ランキングに参加しています。 応援してくださいね。
2017.02.17
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痛みの目立つところをリペアしましたもう30年も住んでいる家。子供たちが生まれ大きくなり巣立って行きました。壁紙に汚れも目立ちます。特に角は切れたり汚れたり、歴史が染み込んでいます。まず重曹イオン液をスプレーしてタワシで洗いました。そのあとは水をスプレーして拭き取ること2回。かなりきれいになったみたい。しっかり乾かした後、両面テープでモールを貼っていきます。よしよしとてもきれいになりました。天井も床もしっかり磨き上げたのですっきりです。壁がきれいになったら階段の手すりが気になりました。ペンキを塗って壁紙が剥落していたところにはテープを貼ってリペア。なんだか楽しくなってドアーの枠の削れていたところも塗装。角が欠けて生地が見えていたのにきれいになるもんですね!思ったより新品ぽくなったので勢い付きました。前から気になっていた和室の柱などのアク抜き。砥の粉が染み出してきてカビているようにみえていたのです。勢いに乗って養生もせず重曹イオン液を吹きかけていたら…天井板に染みて白くなってしまいました。ゲゲゲ!どうしよう(−_−;)必死でリペアクレヨンで木の目を再現したけどシミの部分はわかりますね(-。-;でもここまで再現できたからよしとしましょう。天井で懲りてよせばいいのに和室の板の間にも水性ニスをかけました。かなり劣化していたので3回上塗りしたらこのざまです。サンドペーパーもちゃんとかけたのに…あーぁ、過ぎたるは尚及ばざるが如し、なのかなぁ。ムラもあるしはげちゃったとこもある(涙)とはいえ素人のリペアの割にはうまくできたかな…なんて思ってます。そんなに時間をかけずにできるし、材料費も本当に安かったのでもっと早くやればよかったというのが正直なところ。それより古いからも「仕方ない」と諦め今まで手を加えなかったのですが、こんなに簡単に自分にもできることでリフレッシュできるのに感激しています。経年劣化が激しいのは何を隠そう自分なのですが、何もしないで手をこまねいているとどんどん取り返しがつかなくなりそうです。もう〜だからとあきらめずにお手入れしなくては!愛情を込めてお手入れするのは大切なことだと実感したハウスリペアでした。最後までお付き合いくださってありがとうございます。ちょっとした心づかいでみなさまの毎日が明るくなりますように。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.02.15
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見たことがないところに行ってみたい今の生活に不満はないけど見たことがない世界を感じてみたい飛行機に跳び乗って遥か上空から今まで住んでいた地球を眺めたいどこに着くかわからなくても誰も待っていないと知っていてももう後には戻れないんだ、って感じられても行き着く先の世界を思い描いて飛んでいきたいもしかしたらそこには大きな火球が落ちてきて何もかもを飲み込んでしまうかもしれないけどそんな一瞬に立ち合えたら燃え尽きてもその圧倒的凄さには感動するだろうもしかしたら不毛と思われる大地から命が枷を突き破って花を咲かせるのに出会えるかもしれない飛んでいきたい飛行機に乗らなくても何も変わらない今のこの時から飛び出して全てをそこに立つことから始める新しい自分を経験するために ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.02.10
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静かな雪の夜夕方からみぞれになり、今は雪が降っています。積もりそうにはないけど雪の夜独特の気配がします。どんな静かな夜でもこれほどまろやかな静けさにはなりません。雪粒に音がみんな吸い込まれてしまっているようです。何年か前の二月の今頃、たくさん雪が降りました。朝起きると降り続く雪はそこにあるものを消そうとしてどんどん周りを覆って「早く真っ白になって」と囁きかけているよう悲しみや辛いことを真っ先に取り込んで雪がいつもの景色を白い雪そのものに変えてしまおうとしているみたい色も音も封じ込められて妙に明るく静まり返ったモノクロの世界に変わっていく歩いて神社まで行くとそこには真っ白な階段がまだ形を残してあった風が吹いても梢すらならず、空気までが白いベールのように重なってゆらりゆらりと白い世界に何もかもを封じ込めていく…そんな雪の日に明日はまたなっているのでしょうか。もうやんでしまっているでしょうか。静かなしずかな夜が更けていきます。............こんな夜は暖かいおでんにしましょう。大好きなはんぺんも真っ白。ちくわぶもしらたきも大根も真っ白…外の世界も真っ白になっていたらいいな。そしたら朝は真っ先にまた散歩に行こうと思います。 ランキングに参加しています。 応援してくださいね。
2017.02.09
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味噌を仕込みましたいろんなことがあった年末年始も乗り切りやっと以前のような毎日が過ごせるようになってきました。豆と麹は買ったものの手がつけられなかった味噌の仕込み。やっと取りかかれました。だけどアクシデント。圧力鍋のパッキンがうまく閉まらず、大鍋で大豆を煮る羽目に。映画を見ながらコトコト四時間。指で簡単につぶれるまで、アクを取り差水をしながら煮ていきました。 マッシャーでつぶしたら、混ぜておいた麹と塩を入れてよく混ぜます。この時去年作った味噌を種味噌として混ぜ込みます。大豆1キロ、麹1キロ、塩430g、種味噌250g、茹でた時取っておいた茹で汁300ml一晩水に浸けた大豆は倍くらいになるので、これでほぼ4キロの味噌になります。容器を消毒し底に塩を振って、おにぎりを作るように丸め投げ入れていきます。底が見えなくなったら平らにならし、また投げ入れます…ビシッ!立て膝をして力任せに「エイッ!」とか「このぉ!」とか言いながら投げつけます。うまく容器に入らないで縁に当たってしまうと悲惨なことになります。心を無にして集中して全部命中させました。 半分ほど終わった頃チャイムの音に玄関に出てみると宅配便のお届けでした。「今日はまたずいぶん勇しい声が聞こえてましたねw」「へへへ、味噌玉で投球練習してたのよ」「えっ??」などと会話しながら届いたものはこちら 京都からのお届け物、冨美屋のおうどんです。ちょうどお腹も減ってきたので仕込を済ませて早速いただきました。 出汁からネギや卵まで入っている手間いらずな優れものです。毎年送ってくれるのですが、今年は体調を崩している娘宅にも届きました。「寒いし暖かいものでも食べて元気になって。台所仕事で立っているのも辛いでしょうから簡単に食べられる物を」と優しい思いやりも届きました。娘宅ではその晩うどんすきで身も心もほっこりほかほか。 さてさて、もう立春も過ぎました。暖かい春の陽射しも、かじかんだ体と心を溶かしてくれます。陽の暖かさにまして娘の「思いやってくれている人がいると感じられるとじーんと心にしみてとっても暖ったかいね」という言葉にぬくもりました。一日の終わりが来ても、闇さえほんのり明るく光を内に包み持っているみたい…最後まで読んでくださってありがとうございます。みなさまの毎日が心安らかで暖かいものでありますように。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.02.08
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家の周りに居ついてしまった猫漁港が近いせいか猫を捨てていく人がいます。漁師さんも餌をやったり気にしてくれているのですが浜から上がってくる猫もいます。昔は猫を飼っていましたがうちには今飼い猫はいません。だけど捨て猫を見かけると捕まえて去勢手術や避妊手術をしています。今まで何匹も来ました。間に合わず子猫を産んでしまってあちこちに連絡して引き取り手を探したこともありました。手術を受けさせた猫がやってくると餌を与えています。近隣の方も「地域猫」という考えに賛同してくれているようです。最近よくくる猫はクロ、サバ、チョコナンの三匹です。その他にもいるのですがこの三匹は夕ご飯には必ず来るので家に入れることもあります。これはクロ、ツンデレです。他の猫がいると決して甘えてきません。でもいないときは膝に乗りたがり甘えて頭を撫でて欲しいとしきりにアピールします。うちではカリカリ餌しかあげないのですが缶詰を開ける音に反応します。きっとどこかでカンズメの餌をもらっているのでしょう。これはチョコナンという名前です。人間が怖くて人の目につかないところでちょこなんと座っているからです。2015年の9月に書いた「防災工事と木の伐採」に登場したこねこです。その時は小さくてサバの半分もありまでんでした。こちらはそのサバです。「犬も猫も人も同じ命」で去勢手術のことを書きました。初めて来たころはオドオドしていてすぐに逃げるビビリンでした。ちょっとした物音にびっくりして植えたばかりのキュウリの苗を折ってしまったこともありました。今では一番の甘えん坊です。台所に立っていると寄ってきておねだりします。どこかの台所で美味しいものをもらっているのかもしれませんね。三匹ともオスなのにとても仲良しです。家に入れてあげるとコタツの私の膝の上で猫玉になります。チョコナンはいつも腹を見せてお兄さんたちに抑え込まれても文句は言いません。くつろいでいるのもほんの一時間ほど。7時頃には外にでたがります。多分どこかのお家で美味しいものがもらえる時間になったからかも。そうそう忘れていけない訪問者もいます。タヌキたちです。今年は毛の抜けているタヌキは見かけていません。防災工事が彼らの住処やテリトリーにまで及んでいるのでやってくることも少ないです。リスやアライグマやハクビシンもいたのですがリス以外は見かけなくなりました。3月には工事も終わります。生き延びてくれているといいなぁ。防災工事のその後は工事が終わったら書こうと思っています。人間中心に都合の良いように自然を作り変えていくのは仕方がないこと。とはいえそんな過酷な状況でも必死に生きようとしていくものたちが愛おしいです。みなさまが大切にしているものが守られますように。最後まで読んでいただきありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.02.04
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毎日の見ていて飽きてきたら…衣替えですキッチンの水回りタイルの色がくすんできたように思ったので思い切って模様替え。物は移動せずに壁紙を貼るだけだから衣替えかな?元のタイルは海老茶色ーもう30年近く使っているので飽きてもきていました。タイルなので掃除はとてもしやすいのだけれど目地の汚れには苦労しました。シンク周りのシーリングも取り替えたかったのですが簡単にははがれそうにないので断念。きれいに掃除して最後にアルミテープでカバーすることに。100円ショップに行き板壁風リメイクシートを購入。45×90で108円の物を10枚買いました。普通の木目調のものやポップなデザインもあったのですが青い木目に模様合わせで頭を使いできるだけ無駄のでないようにシートを貼っていきました。完成したのがこちらタイルの部分は目地のところがひびいてしまいました。空気が入ってしまったら針で刺しておさえると収まります。シンクとガステーブル下はシートは貼らず壊れていた取っ手を変えました。初めてのリメイクなので1日がかり。前よりは明るくスッキリした印象になって気に入っています。たまには思い切って模様替えをするのって楽しいですね。最後まで読んでいただきありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね。
2017.01.31
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