もののふMono

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2009.02.26
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大酒飲みで有名な 上杉謙信

辞世の句でも 「四十九年一睡夢、一期栄花一盃酒、嗚呼柳緑花紅」 と詠うほどだ。
謙信はいつも酒宴のあとはお気に入りの家臣2~3名とともに飲みなおし、梅干を肴に飲む酒が好きだったといわれている。

そんな酒豪の謙信が1559年(永禄2年)将軍 足利義輝 に会いに上洛したときにも酒を飲み明かしている。
それも、 足利義輝 近衛前嗣

そのとき謙信が鯨飲した酒は何だったのだろうか。
夜毎酒を飲み明かすくらいに謙信が気に入った酒があったのだろう。
そのときの事を 『上杉家文書』 はこう記している。
「華文字なる若衆数多集めて候て、大酒までににて、度々夜を明かし申し候。小弼は若文字数寄のよし」とある。
謙信が若い男性を相手に夜通し酒を飲み続けたことを綴っている。

おそらくだがその時の銘柄は「柳」ではないかと言われている。
この「柳」当時の京都の酒造業者の中で最も有名だったといわれ、あまりにも有名すぎて「柳」で酒と通じるほどで、現在でも結納や祝儀に使われている「柳樽」の語源でもある。

柳屋は室町時代から有名な酒屋で、その人気は戦国時代になってからも衰えてない無かった。
そう考えると謙信はこの柳屋の酒を飲んでいた可能性が強いのではないかと思う。
しかし、その人気さ故に金額も半端じゃなかっただろう。


参考関連記事 →  「京」は日本一の酒どころだった室町時代の酒屋跡、京都で発見
















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最終更新日  2009.02.26 18:29:02コメント(0) | コメントを書く


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