もののふMono

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2009.02.28
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毛利元就 の嫡男  毛利隆元
かの有名な毛利の 「三本の矢」 の長男である。

毛利隆元 は毛利家長男として、 大内義隆 に人質として15歳から5年間取られている。
そして24歳のとき毛利家に戻り、元就から家督を譲られ毛利の当主となったのだ。

しかし、 大内義隆 のもとで生ぬるい生活を過ごした5年間のせいもあったのか、隆元はあまりにも正直すぎ、ためらいがちであり、分別にもやや欠ける所があった。
志道広良 を付け、毛利一門として恥ずかしくない武将となるよう、そして当主として威厳のあるように叩き込ませたという。
裏表が無く、嘘を吐けない隆元の性格を心配した元就は 「能や芸や慰め、何もかも要らず。ただ武略、計略、調略が肝要に候。謀多きは勝ち、少なきは負け候と申す」 と書状で訓戒し、また当主としての自覚に欠ける一面もあったようで、宿老の志道広良からは 「水あっての船、船あっての水。君臣の関係も同じ」 と厳しく諭されたのだ。


また元就のの教えのように、 吉川元春 小早川隆景 らの弟も兄の 毛利隆元 をしっかり補佐し、心を一つに合わせていた。
そのような状況の中で隆元は非常に孝行心の強い武将となっていった。
その例として、 毛利元就
これを鵜呑みにすることはできないが、隆元が父を尊敬していることは間違いなく、その父の存在が隆元を謙虚で自嘲的な性格の持ち主にしてしまったのかもしれない。
1563年(永禄6年) 毛利元就 は尼子征伐で出雲におり、隆元は九州で大友軍と戦っていた。
大友軍との講和が成立すると、隆元は取って返して出雲に向かったのだ。このとき自城である郡山城の横を通過するのだが、隆元は立ち寄ることをせず、素通りしていく。
これは67歳の父 元就が粗末な帷幕で過ごしているのに、自分だけが城で休むわけにはいかないという隆元の孝の心だった。



そんな隆元は常に 「文をもって治め、武をもって守る。功あるを賞すれば、すなわち忠ある者が増える。罪を罰すれば、すなわち咎ある者は減る。賞を行うに躊躇せず」 を心情としていたという。

隆元の亡き後は、嫡子 毛利輝元 が叔父達の補佐を受けながら父の遺訓を守り毛利家を統括していくのである。


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最終更新日  2009.02.28 19:28:14 コメントを書く


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