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昨年の採蜜量は年間で40キロ前後だった。 今年はもうその量に達しようとしている。蜜の量も各年なのかもしれ無い。 四日ほど前採蜜し垂らしていた蜜。 8リットルきりビンに詰めた。
2017.07.09
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昨日、神戸、祥福寺で月例の碧巌会がありました。今月からは、臨済録の提唱が始まりました。常に十人前後の会です。なかなかこのような会には人が集まらなくなり、次第に高齢になるにつけ、一人二人と、体調不良、減るばかり。でもここの老師の提唱は絶好調を迎えています。私のような馬鹿者にも丁寧に対応いただく。余り他に類を見ない、気さくで懐深い老師です。では。 鎮州臨濟慧照禪師語録 住三聖嗣法小師慧然集 〔上 堂〕 一 府主王常侍、與諸官請師陞座。 師上堂云、山僧今日事不獲巳、曲 順人情、方登此座。若約組宗門下、 丞揚大事、直是開口不得、無 措 足處。山僧此日以常侍堅請、那隱 綱宗。還有作家戰將、直下展陣開 旗麼。對衆證據看。借問、如何是 佛法大意。師便喝。僧禮拜。師云、 這箇師僧。卻堪持論。 問、師唱誰家曲、宗風嗣阿誰。 師云、我在黄檗處、三度發問。三 度被打。僧凝議。師便喝、隨後打 云。不可向虚空裏釘獗去也。 鎮州臨済慧照禅師語録 三聖に住する嗣法の小師慧然集す 〔上 堂〕 一 府主王常侍。諸官と師を請じて陞座せしむ。師、 上堂、云く、山僧今日、事已むことを獲ず、曲げて人 情に順って、方に此の座に登る。若し祖宗門下に約し て大事を称揚せば。直に是れ口を開き得ず、 你が足を 惜く処無けん。山僧、此の日、常侍の堅く請ずるを以 って。那ぞ綱宗を隠さん。還た作家の戦将の直下に陣 を展べ旗を開くもの有りや、衆に対して証拠し看よ。 僧問う、如何なるか是れ仏法の大意。師便ち喝す。僧 糺拝す。師云く、遥簡の師僧。却って持論するに堪え たり。 問う。師は誰が家の曲をか叫え、宗風阿淮にか嗣ぐ。 師云く。我れ黄檗の処に在って。三度問いを発して三 度打たる。僧擬議す。師便ち喝して、後に隋っ て打って云く、虚空裏に向って釘橛し去るべからず。 昨日の碧巌会から讀み始められた臨済録の最初の問答。 仏法の大意を問うた僧と、同じく臨済に対し、貴方は何方の法嗣かと問うた僧。これ同じか異なるか。 或るは異なると云い、或るは同人と。同人との立場は私。 「大意」問いに喝、を受けて、それが「仏法の大意」の問いへの答えと理解低頭する僧。つづいて「お師匠様は何方です」と問い、その対応、「三度問うて三度棒受けたわい」と応えられ、戸惑う僧。すかさず、「中身の無い振る舞いは止めな」と詰られる。化けの皮を剥がされた。化けの皮とは「喝」に対しての反応、低頭礼拝は「喝」の意味が理解されての礼の低頭だったのか、あるいは単なる形式の低頭だったのか。
2017.07.07
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仏果圜悟禅師碧巌録 巻第五 第六五則 外道、仏に有無を問う 垂示に云く、無相にして形れ、十虚に充ちて方広たり。無心にして応じ、刹海に偏くして煩しからず。挙一明三、目機銖両。直得棒は雨の如く点り、喝は雷の似く奔るも、也た未だ向上の人の行履に当得せざる在。且道、作麼生か是れ向上の人の事。試みに挙し看ん。 (垂示。特定の形に捉われず融通無碍にして、世界に遍在す。宇宙一杯に満ち満ちそれでいて余計な物は無い。機に応じて働き目先が効く。例え厳しい修業を積んでいるとして、尚向上に至らない。では向上の人とはどんな人か、試してみる。) 【本則】 挙す。外道、仏に問う、「有言を問わず、無言を問わず」。世尊良久す。外道讃歎して云く、「世尊の大慈大悲、我が迷雲を開いて、我をして得入せしむ」。外道去りし後、阿難、仏に問う、「外道は何の所証有りてか、得人すと言える」。仏云く、「世の良馬の、鞭影を見て行くが如し」。 (仏教以外の教えを信奉する人が、お釈迦様に教えを請うた。言語以外で私をお導き下さい、と。するとお釈迦様は、黙っておられた。其処でその問者は有りがたく感じられ、お釈迦様の限りない優しさが私のこれまでの迷いの雲を払ってくれた、と喜び勇んで帰って行った。其れを見ていた阿難陀(Aananda。釈尊の従弟。)は、彼は何を感じて納得したのですか、と、お尋ねすると、お釈迦様は、例えば、優れた馬は鞭を打たなくても走らなければならない時と感じれば、走り出す。そのように予見、想像力がたくましい彼は、私の所作を見て納得したのでしょう。と)因みに()内は私訳。 【頌】 機輪曾て未だ転ぜず、転ずれば必ず両頭に走らん。明鏡忽に台に臨むや、当下に奸醜を分つ。奸醜分れて迷雲開く、慈門何処にか塵埃を生ぜん。因って思う、良馬の鞭影を窺い、千里の追風喚び得て回ることを。喚び得て回らば、指を鳴らすこと三下す。 (有無以外の答えをと問われてそれに応えようとすれば、必ずどちらかに偏る答えに成る筈。天下に明鏡と云われる物でも影を写すと必ず白黒、美しいと醜いを写してしまう。全部が白或は美しく映すものではない。黒白が顕わされると、其処に思いが生じる。つまり悩みが生じる。それを思うと黙せざるを得ない。だからお釈迦様の優しさが黙す事になる。それを覚った問者は、ああ悪いことをしてしまったとお釈迦様の前から一目散にかき消える事になる。すたこらさっさと帰って行った、彼はなかなかの切れ者だ。)
2016.03.04
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垂示に云く、青天白日、更に東を指し西を劃すべからず。時節因縁、亦た須らく病に応じて薬を与うべし。且く道え、放行するが好きか、把定するが好きか。試みに挙し看ん。 (今が満足なら、敢えて東奔西走何を求める事が在る。一生の内で病に遭うことが在るかもしれない、其の時は其の時、事に会った対処をすればよい。さて其の事に於いて常に用心して過ごすが好いか、気にもせず人生歩むのが好いか、君なら如何する。) 【本則】 挙す徳山、 潙山に到る。複子を挟んで法堂上を、東より西に過り、西より東に過り、顧視して「無、無」と云って便ち出づ。雪竇著語して云く、「勘破し了れり」。徳山、門首に至り却って云く、「也た草草にするは得からず」と。便ち威儀を具え、再び入って相見す。 潙山坐りおる次、徳山、坐具を提起して云く、「和尚」。 潙山払子を取らんと擬。徳山便ち喝して、袖を払って出づ。雪竇著語して云く、「勘破し了れり」。徳山法堂に背却けて、草鞍を著けて便ち行く。潟山、晩に至って首座に問う、「適来の新到、什麼処にか在る」。首座云く、「当時、法堂に背却け、草履を著けて出で去れり。」潙山云く、「此の子、己後孤峰頂上に向いて草庵を盤結え、仏を呵り祖を罵り去らん在」。雪竇著語して云く、「雪の上に霜を加う」。 (徳山和尚が潙山を訪れた。旅装も解かず講堂内を東から西に、西から東にと歩んでは、見回し、何ほどの事も無い、と云うと其処を出た。雪竇が解説する。分かったのかな。徳山は其のまま寺の門にまで辿ると、一寸雑すぎたかなと云うと、潙山和尚に挨拶しようと衣を調え堂舎に入り潙山と相対した。潙山が座ろうとすると徳山が、どうぞ和尚さんと、坐具を差し出す。潙山がそれに応えて威儀を調えようと払子を立てようとすると、徳山はすかさず喝し、衣を払って其処を後にした。其処の行為を雪竇は解説し、看破ったかなと。徳山法堂を出ると草履を履き、直ぐに其処を後にした。晩になり、潙山が首座に問うた。さっき来た新米、どこかに滞在しているかと。首座が応える。いいえ其のまま寺を後にしましたよと。潙山はつぶやく、奴は今に立派な禅坊主になり、自在な生き方をするだろうと。そこで雪竇は例の通り解説をする、其の言。云わずもがなの事を。) 【頌】 一たび勘破し、二たび勘破す。雪の上に霜を加え曾て嶮堕す。飛騎将軍虜庭に入る、再び完全し得るは能く幾箇ぞ。急て走過らんとするも、不放過。 孤峰頂上草裏に坐す。咄。 (一度ならずと二度までもしてやられた。重ね重ね危ういことだ。名うての徳山が潙山を試しに来た。さて再びあれほどの人物に出会えるだろぅか。今度こそあわてて逃げ去ろうとした時には逃がすものか。でも徳山に差し出された座具に胡坐をかこうとした俺もおれ。まだまだ、甘かったわい。)
2016.02.04
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仏果圜悟禅師碧巌録 巻第一 第三則 馬大師不安 垂示に云く、一機一境、一言一句に且く箇の入処有らんと図れば、好肉上に瘡を剜り、窠を成し窟を成す。大用現前して、軌則を存せず、且く向上の事有るを知 らんと図れば、蓋天蓋地、又た摸索不著。恁麼も也た得し、不恁麼も也た得し、太だ廉繊生。恁麼も也た得からず、不恁麼も也た得からず、太だ孤危生。二塗に渉らず、如何すれば即ち是ならん。請う試みに挙し看ん。 (前書き。一つ一つの動作、一言一句に所謂仏法への導きを見届けよう等と思う事は、無意味な行為、当てどない暗闇に落ちる事になる。大法の働きは自在にして決まった形には無い。つまり無常である。絶対法の確認を為そうとして、目に見える範囲を探しても探り当てられるものではない。なんだかんだと云って余りにもそれは繊細微妙。何といってもそれは峻厳なる機らき。云うに云えないどの様に表現すれば良いやら。此の事、君たちならどう捕らえ表現するかね。) 【本則】 挙す。馬大師安らかならず。院主問う、「和尚、尊候如何」。大師云く、「日面仏、月面仏」 (さて。馬祖大師が病で臥せっている処に。院主が訪れ声をかけた。和尚さん具合はいかがですか。其れに応えて馬祖大師。良くも悪くも観ての通り。) 【頌】 日面仏、月面仏。五帝三皇、是れ何物ぞ。二十年来曾て苦辛し、君が為に幾か蒼龍の窟に下る。屈。述ぶるに堪えんや。明眼の納僧も軽忽にすること莫れ。 (良くも悪くも観ての通りだ。神も仏も有ればこそ、在りはしないよ。何十年も修業し、その間何度か苦しい思いもした。結果が此のざま。云うに云えないやね。この現実、悟りを得た等と云う其処らの坊主、軽く捉えなさんなよ。)
2016.02.01
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仏果圜悟禅師碧巌録 巻第一第二則 趙州至道無難 垂示に云く、乾坤窄まり、日月星辰一時に黒し。直饒棒は雨の如く点り、喝は雷の似く奔るも、也だ未だ向上宗乗中の事に当得せず。設使三世の諸仏も、只だ自知すべし。歴代の祖師も、全提し起ず。一大蔵教も、詮注し及ばず。明眼の納僧も、自らを救い了れず。這裏に到って作麼生か請益せん。箇の仏の字を道えば、拖泥帯水。箇の禅の字を道えば、満面の慚惶。久参の上士は、之を言うを待たず。後学初機は、直だ須らく究取むべし。 〔前書き。天地の終わり、空に輝く日月、星星も輝きを失い、例えば禅堂では警策、雨霰と振り注ぎ、師家の喝は雷鳴の如く鳴り響く、その様に切羽詰まった世に在っても、なかなか絶対価値を手にするのは難しい。例え三千世界の諸仏だとて教えられるものではなく、それは自ら奪い取るのみ。祖師方とは云え伝えきれず、大蔵教にも表しきれない。もちろん到底禅宗坊主が修業重ねて救われると云うものでは無い。その切羽詰まった処でどの様な答えが出るのか、試してみよう。其処で仏教云々の言葉を発したなら、泥の深みに嵌まるだろう。又、禅云々と云えば、嘲笑いの対象。長らく私の下に居る者には云うまでも無い筈。修業初心者は良く心しなさい。〕 【本則】 挙す。趙州、衆に示して云く、「至道難きこと無し、唯だ棟択を嫌う、と。纔に語言有れば、是れ辣択、是れ明白。老僧は明白の裏に在らず。是れ汝還た護惜する也無」。時に僧有り、問う、「既に明白の裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん」。州云く、「我も亦た知らず」。僧云く、「和尚既に知らずんば、為什麼か却って明白の裏に在らずと道う」。州云く、「事を問うは即ち得し、礼拝し了らば退け」。 〔本文 趙州和尚さん、弟子たちに云う。仏道を生きるとはそう難しいものではない。ただ棟択(分別・捉われ)を嫌う。捉われると其処に留まる事に成る。少しでもあれこれの差を口にす、例えば「至道」の言葉、これまた明白な比較語。私はその様な意識には無い。君ら其処の処は解るよね。すると或る僧がその言葉に突っ込みを入れた。和尚さん、既に分別世界に無いと云うなら、何故是不是を云うのです?。趙州和尚応える。さあね?。和尚さん其処を応えられないなら、ご自身無分別に在るとは言えないでしょう。趙州和尚は云う。云いたいことは其れまでか、もうそのくらいにしてお相手有難うの礼をして下がりなさい。〕 【頌】 至道難きこと無し、言端語端。一に多種有り、二に両般無し。天際に日上り月下り、檻の前に山深く水寒し。髑髏識尽きて喜何ぞ立らん、枯木龍吟して錆ゆるも未だ乾かず。難し難し。揀択と明白と君自ら看よ。 (世間に云う、仏道とはそう難しく考えるものではない。会話の中の言葉の端端にそれは顕れる。東に陽上れば、月は西に沈む。人生山あれば谷もあり。死んで花実が咲くものか。枯れ木に花の咲くことも。さあさあ分別だ無分別だの仕分けは君の胸の内。)
2016.01.31
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碧巌録 第一則 武帝、達磨に問う 垂示に云く、山を隔てて煙を見て、早に是れ火なることを知り、牆を隔てて角を見て、便ち是れ牛なることを知る。挙一明三、目機銖両は、是れ納僧家の尋常茶飯。衆流を截断するに至っては、東涌西没、逆順縦横、与奪自在なり。正当恁麼の時、且く道え、是れ什麼人の行履の処ぞ。雪竇の葛藤を看取よ。 『さて、本題に入る前の御挨拶。山の向こうに煙の立つのを見て、何かが燃えていると想像する。垣根越しに角が見えては、其れが牛の角か、鹿かを見分ける。物事の一端を眼にすれば事の本質が想像される。一を眼にすれば三を明らめられる。分銅図りで直接量るまでも無く、目分量で重さが判ると云うのが禅坊主に在っては普通の事。世間の迷いごとを掃う等は、四方八方微に入り細に謀り納得いくようかたずけられる。さてその様な人なら次に挙げる問いを如何始末するか、雪竇禅師の努力の跡を受けとりなさい。』 【本則】 挙す。梁の武帝、達磨大師に問う、「如何なるか是れ聖諦第一義」。磨云く、「廓然無聖」。帝曰く、「朕に対する者は誰そ」。磨云く、「識らず」。帝契わず。達磨遂に江を渡って魏に至る。帝、後に挙して志公に問う。志公云く、「陛下還た此の人を識る否」。帝云く、「識らず」。志公云く、「此れは是れ観音大士、仏心印を伝う」。帝悔いて、遂に使いを遣わし去きて請ぜんとす。志公云く、「陛下、使いを発し行きて取えしめんとするは莫道、闔国の人去くも、佗は亦た回らず」。 『梁の武帝が達磨大師に質問しました。仏教では何を一番大切に考えていますか。其れに応えて達磨さんは、何にも在りませんよ、と。拍子抜けした武帝は、私の前に居る貴方は何者なのですか、達磨さんなのでしょう。達磨さんは云う。さあ誰でしょう。武帝とはお話が通じなかった。そんなことで達磨さんは揚子江渡り魏の国に出る事になる。なんだか馬鹿にされた気持ちで納得いかなかった武帝。後にお抱え学者の志公に確認すると。志公は、陛下は判らなかったのですか、彼こそお釈迦さんの生まれ変わり、仏教・仏道の何たるかを体現されるお方、そのまま仏さんですよ。武帝は悔んで、還ってもらおうと家来たちに指図するが、志公が云う。国を挙げて努めてももう彼は還らないでしょう。と。、』 【頌】 聖諦廓然、何当か的を辦ぜん。「朕に対する者は誰ぞ」、還た云う「識らずと」。茲に因り暗に江を渡る、豈に荊棘を生ずることを免れんや。闔国の人迫うも再来せず、千古万古空しく相憶う。相憶うことを休めよ、清風地に匝く何の極まることか有る。師左右を顧視して云く、「這裏に還た祖師有りや」。自ら(答えて)云く、「有り。〔端薩阿労。〕喚び来たりて老僧の与に脚を洗わしめん」。 『あっけらかん・何も無いなんて如何理解すればいいのでしょう。目の前のお前は誰なんだ?。識らないね。話がかみ合わなかったので密かに武帝の前から身を隠した。危険にさらされるか知れず。もう後戻りしない。武帝は国を挙げて残念がったが、そんなことをしなくても、自然が劣化することもあるまいに。そう云って雪竇は辺りを見回し、このあたりに達磨の様な師は居ないかな?、居る筈だよ、居ればそいつが私の脚を洗ってくれるだろう。』 こめんと。仏教・仏道を生きるとは、斯くの如くあり、其れは誰かに監視され監視する生活を云うのではない。私に、個々人に与えられた生命一杯を生きる。生きる仕組みは生命生まれたからには皆同じく持参している。その証明を仏教本には、天上天下唯我独尊と表される。「おぎゃー」の第一声でしょう。他人と比べず、監視せず。我が与えられた生命一杯生きる時。争いは無いかな。合掌。
2016.01.29
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先日、某テレビ局の、戦後七十年を振り返る番組で、女優の吉永小百合様が、「私の生き方としては、何十年、或るいは何年と云う長期に思いを致して生きるのでなく、一日一日を、そして一瞬一瞬を確かに生きようと歩んでいる」と云うような発言を為されていました。私は、その言葉に対し、吉永小百合様と云う大女優の立場と、テレビ画面の公さ中でおもねることも無く自身の考えを述べる凛とした態度に、ハッと心に沁み入るものが有りました。世間一般の人は、自身の責任の及ばぬ当たり障りの無い曖昧模糊名発言でお茶を濁すところでしょうが、、このお人はしっかりとご自分の言葉で発言されて居られる。自分の思いを自分の言葉で述べられる、このようなお人はその生きざまにぶれる所は無いでしょう。一見それは、場を白けさせる事に成るかもしれない。世渡りとしては不器用かも知れない。今日某か一くくりに統制されようとする此の国に、風になびいて頭垂れ、スマートと云われる生き方が世間なれした生き方かも知れない。でもその先に在るのは物云わせぬ言論思想統制かも知れない。未だ其処には至っていないでしょう此処に、場を白けさせる、結構。自らの言葉で自らの意思を発言する。時代遅れか風に逆らうか、「冬嶺秀孤松」に在りたい。
2015.12.31
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本日は秋彼岸の中日と云われる日。一日二十四時間として、今日は昼夜会い半ばする日とされ、仏教の中道・箜篌・vinaaの喩(弦を強くも弱くも張らないとき、音色よく弾くことができる)の思想に当てはめ、この日を彼岸(paara。 此岸・apaara)としたよう。彼岸(paara。)とは般若心経にある、智慧の完成(pannaparamitaa)した心境を云う筈であり、それは此岸・apaaraに云う、個々の存在を分別視する意識の向こう岸、全ての存在は宇宙エネルギーの顕現として同じ存在であると認識する心境に達した向こう岸。それをして彼岸(paara)と云う筈である。仏教の開祖、釈迦族シッダールタ(Siddhaartha。儀・善をしたとの意)王子は、明けの明星を視認したとされる時、宇宙とその顕現の自己の一体を自覚し、亦、室戸の洞窟で海から上る朝日に自己を観たという、空海また同じ経験に在る。仏教は仏陀(buddha。 目覚めた人)の意識に導く教えにして、内観に云う、自らの存在を問う宗教にして、何ら自己意外の何かにすがり委ねる教導では無い。自己の外に何かを求める、それをして所謂「外道(tirthika)」とるはず。つまり外に救いを求める、自己の外に何か尊いものが有るとかと追い求める者。「生命在ってのものだね」。先ずこの生命に代表される宇宙エネルギーの顕現存在を大切にせずして、「何の己が花見かな」。
2015.09.23
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今年の日本蜜蜂は、この時期になっても分封はごく稀でした。 その結果でしょうか、山の蜂場の巣箱はどれも凄く重い。 そこで私は幾らかの巣箱から採蜜する事にしました。 先に当りを付けていた幾らかの内の、この箱は昨秋採蜜し盛り上げ巣にしていたは一つ。 五段で持ち上げるのがやっとの重さ。 開けてみると、この通りの状態。 少し早いかな。 一段切り取った下の箱の状態はこの通り。 この箱も採蜜に踏み切る。 チョイと不出来。 でも巣落ちしなかったのはまだ良い方。 さて、10キロあるかな?。 まだまだ採らなければならない巣箱が、 蜜を垂らしてから又採ろう。
2015.06.04
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千葉県のブログ友から、丹精込めてお作りになった、見事なビワの実が送られてきました。ありがとうございました。
2015.06.03
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お釈迦様のお教えを表す例え話の集積、ジヤータカに、 幼児を亡くした若い妻が、その悲しみを訴え、どうしたらその悲しみから逃れられるでしょうかと問われる。 それを聞いたお釈迦様は、「これまで、死者を送り出した事のない家のかまどの灰を頂いて来なさい、そうすれば答えを教えて上げよう」と送り出しす。お釈迦様の時代ですから、今日のような核家族ではなく、大家族のこと、当然死者を送り出した事のない家など有りません。それでも若い妻は何処に云われた灰はあるはずと、訪ね歩き月日は流れ、再びお釈迦様の所にたどり着きます。 お釈迦様は言います。「そうでしょう、これまで死者を送り出しことのない家がないように、生まれたものは死に至る。これが常、道理です、受け入れ乗り越え前に進むしかないでしょう。」 ジヤータカにはこのようにあるよう。 仏道にある者。かく噛み締め歩むべき。 合掌。
2014.11.15
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過日、世間に些細な縁ある、寺院の葬儀に列しての思い。 出家、僧居並び追悼の辞読む言の中に、 悲し、、不幸の言葉あり。 確かこの家のばば様の葬儀であったはず。 家族の日々にとって一人欠けるは寂しくなるは情に在ってはそうでしょう。でもおやが子供に先立つ、これなにを以って悲し、不幸に繋がるのでしょう。子供が親に先立つ時、 悲し、不幸というは宜し。それはいう、逆順なれば。 親が子供に先立つことは法の理。それを殊更にお涙誘うかに理に反する言の表現は、それが仏道にあり仏教を説くとし口を糊塗する者の口に 載っては、大衆迎合、ウパニシャッドにいう、 眼の明らかでない者が目の明らかでない者を導いては、何処へ行く。
2014.11.13
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昨日は、孫の運動会で、大阪の箕面まで行ってきました。午前中の行事の後昼食もそこそこに、久しぶりに箕面の正法寺へ坐禅会に、碧巌録第十一則 黄檗酒糟漢 提唱。 碧巌録 第一一則 黄檗酒糟漢 垂示、仏祖大機、全帰掌握、人天命脈、悉受指呼。等閑一句一言、驚群動衆、一機一境、打鎖敲枷。接向上機、提向上事。且道、恁麼人曾恁麼来。還有知落処麼。試挙看。 垂示に云わく、仏祖の大機、全て掌握に帰し、人天の命脈、悉く指呼を受く。等閑き一句一言も群を驚かし衆を動かし、一機一境は鎖を打ち枷を敲く。向上の機を接し、向上の事を提す。且く道え、恁麼人か曾て恁麼にし来たる。還た落処を知るもの有りや。試みに挙し看ん。(本則に入る前に・・、仏法の機能を総て掌にした時、天地・生命を完全に生きうる。その境涯にある人の何気ない一挙手一投足は集団を驚かし個人に影響を与え、為して世間的拘束を解き放つ。生命の開放に向かわせ、その様に機らかせる。諸君如何ですか、これまでにその様に歩んだ人は有ったでしょうか。またはその境涯を得た人は?。君たちに問題提起して看よう。) 【本則】挙。黄檗示衆云、汝等諸人、尽是曈酒糟漢。恁麼行脚、何処有今日。還知大唐国裏無禅師麼。時有僧出云、只如諸方匡徒領衆、又作麼生。檗云、不道無禅、 【本則】挙す。黄檗、衆に示して云く、「汝等諸人、尽く是曈酒糟の漢なり。恁麼に行脚せば、何処にか今日あらん。還た大唐国裏に禅師無きことを知るや」。時に僧あり出でて云く、「只諸方の徒を匡し衆を領いるが如きは、又作麼生」。檗云く、「禅無しとは道わず 、只是師無し」。(黄檗禅師が聴衆に話し始めました。「看たところ、お前さん達は皆な酒粕の様な役立たずの人間に看える。何処を如何うろつきまわれば何処かに何か有ると思っているのか。この大唐国には禅師などいないのを知っているか」。すると一人の僧が黄檗に質問した、「それなら黄檗さん、多くの大衆に説教をたれ、門人を沢山引き連れている、その有様を如何説明するのです?」と。黄檗はそれに応える。「禅の道に在る人が居ないと云っているのではない、只、禅の道に、これこそ本家本道等との定義付けは為らないと云う事さ」。) 【頌】凛凛孤風不自誇 端居寰海定龍蛇大中天子曾軽触 三度親遭弄爪牙【頌】凛凛たる孤風自ら誇らず、 寰海に端居して龍蛇を定む。大中天子曾て軽触して 三度親しく爪牙を弄するに遭う。(見事な家風だがそれを誇る事も無く、天下に一人侘び住まいしながら人の生きざまを看ている。今は国の天子に成られた人も、かって師に師事された時、何度か厳しい指導に遭われたと云う。) ()内、私訳。 水場へ導く導き手は居るかも知れないが、水を飲むのは自己自身。 「信一曰」
2014.09.28
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盤山 三界無法私は月一回の、碧巌会と名付けられた、人間禅関西道場関係者が集う坐禅会にもう何年も(十年は過ぎるか)神戸まで通っています。以前は西宮、海清寺の平出精擇老師が碧巌録を提唱されていましたが、師が先年遷化され、その後は祥福僧堂師家、木村太邦老師が後を継がれ数多の提唱に至っています。近頃は「塗毒鼓」等。今月の提唱は此の月四日に終わりました。実は月の第一木曜日が提唱日。時には老師の御都合で第二木曜日に成ることも有ります。今月の提唱は「頌古評唱 第八則 三界無法」その「頌」千峰雨霽露光冷 千峰雨霽れて露光冷たし(山中、夜半雨上がり葉上にはその水滴冷たく光る)月落松根蘿屋前 月は落つ松根蘿屋の前(雲間から漏れ始めた月の光が老松廃屋を浮かび上がらせる)模写等閑此時意 等閑に此の時の意を写さんと擬すれば(まあちょっとその情景を心象風景に替え語るとすれば)一渓雲鎖水潺潺 一渓雲鎖ざして水潺潺(尚深い谷は雲に鎖され水の音のみザアザアという処でしょうか)千峰雨霽れて露光冷たし(思い悩みの雨上がり、思い漸く落ち着いたかに観える)月は落つ松根蘿屋の前(この頼りない私でも法の機らきが少し観え始めた様)等閑に此の時の意を写さんと擬すれば(でもまあ其の様を推量すれば)一渓雲鎖ざして水潺潺(尚深奥は闇の中、時は流れていくばかり)君看よ双眼の色、語らざれば愁い無きに似たり(貴方には判るでしょうか、解らない人には単なる雨後の景色)眼中に見刺無く、耳裏に聞塵を絶す(見る物聞く音、何の変哲もないと見えよう)若し琴中の趣を識らば、何ぞ絃上の声を労せん(でもね琴の音色に通じる人なら、敢えて奏でずとも音は想像出来る筈)嫌うこと莫かれ、襟上斑斑の色、是れ妾が灯前に涙を滴てて縫う(その心象風景は、遠く離れた夫を想い、妻が夜なべに涙ながらに衣を縫った、その涙跡が襟に薄染みに残る跡)盤山禅師が「三界無法」と言い切れるのは、彼が艱難辛苦の後の言なる事を・・・。(訳は私・信一)
2014.09.25
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民意の尊重と、義援金。私が今年、生涯学習大学、いざなぎ学園大学の四年生となり、ひょんなことより学年代表に名指され、此の学園では四学年代表が学園自治会代表との規定で、あれよあれよという間に、思いもよらずその立場に置かれた。その器でないことは自ら知るところ。自身をも制御ままならぬのに何で総勢百数十人の学園生の思いを酌み、統御可能でしょう。今回、ある学園生から、広島の水害支援義援金募集の提案がなされた。彼はそのお金を、彼が所属するある特定団体、むろん其れは広島でボランティア活動に在ると云う事ですが、とにかく或る特定団体へ贈るつもりと、自治会長たる私の了解を得るべく御話が在りました。其処で私には少しの疑義が生じました。何故公の、例えば日赤等の公共支援組織に提出しないのか。この、いざなぎ学園は公の学園なれば学園生も千差万別、特定団体の設置する学園では無い。と云う事で件の彼と話し合い、義援金送付先は日赤とし、自治会として募金の提案を挙げましょうと云うことに。さてしかしそれが単に彼との話し合いの内に私一存でその募金活動に乗ったことは如何なものだったかと、今自省する者です。学園生皆の賛否を問わず、それが。自主判断に任せ、強制するものでは無いと云いながら、私・会長の立場で義援金呼びかけをしたことは、私のこれまでの意識に反し、少なからずの越権行為ではなかったか。今その自省にあります。私の思いの内では、世の中の義援金なる行為、それに至る意識は、あくまで他からの強制感あっての行為ならざる意識行為と思う成れば。あちら立てればこちらは立たず。とかくこの世を生きるは難きかな。
2014.09.03
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盂蘭盆会(ullambana)。盂蘭盆会とは、梵語 ullamdamana を漢字表現するのに当てた表音文字。盂蘭とは倒懸の意で逆さ懸りにされたような非常な苦しみとの事と言われる。(尚、他にペルシャ系のソグド語で「死者の霊魂」を意味する「ウラバン」から来たとも云われるよう。其処で特にソグド人には、家に祖霊を迎え、共に供え物の風味を味わうという祭があったそうです、との解説もみられる。)盂蘭盆会の始まりは釈迦十大弟子の一人で神通第一と言われた目蓮尊者が夏安居開けに、今は既に亡くなった母の行方を神通力(所謂、感が鋭いと云うことか?)で観るとき、彼の母は生前食を乞う人・乞食修業者に物を与えなかった咎が因で、死後餓鬼地獄に塗炭の苦しみに在る事を見る。餓鬼(prata・逝きし者・死者・無自覚者)。その状態から救うには、「生前の私に代わって乞食修行者に供養(食の捧持)する事」と聞かされた大目犍連(Mahaa-Moggallaana)が、そうする事で彼の母は餓鬼地獄から天上世界に浮かばれる。その日が七月十五日だったと言う事ですがそれが何故七月十五日だったのでしょう。それは今日禅寺で夏安居と呼ばれる修業期間、其の開けの日が七月十五日、それを今日ではひと月遅れの八月十五日に当てている。釈迦の教団は一所不住、年中旅をしながら布教にあたっていたよう。処がインドモンスーン期間・雨期(五・六・七月)に入っては布教巡礼もままならず、また雨の泥にぬかるむ道を歩く事はその中に潜む虫を誤って踏み殺してもと、雨期の期間の三カ月を旅の途中に留まる。ところで釈尊在世時の仏教環境として特に集会宿泊施設は無く、質素静寂を旨とする教えから布教の旅は野宿が主であり、それ故雨期の間は移動の困難を生じたと言うことでしょう。また其処に付き従う修行僧も確かに記されるのはアーナンダ一人であり、そう多く無かった事がその当たりの血縁の家、法友の家に分散してでも一行を受け入れられる状態にあったかと。元々インドアーリア制度の中に、学問修業を許されるのは、その厳密な階級制度の中で一握りの婆羅門(braahmana。司祭者)階級。其れは二生種とされ、母の胎内から生まれた後、一定の歳に成ればベーダ(veda。祭祀の言葉。学問)の学習に入り、其れが成ると神官として生まれ変わる。これをして二度生れる種族、二生種と。此処では仏教に言う所謂「覚り」では無く、ベーダ(vaada。本集・Samhitaa。祭儀書・Braahmana。森林書・Aaranyaka)の暗唱で有ったでしょう。中村 元 選集 に依れば、今日でも文字に記されたベーダ書物より正確に暗唱出来るベーダ学者が居るとのこと。婆羅門(braahmana。司祭者)のバラモンたる所以は神の声を暗唱する。それがバラモンの証、権威の根拠の筈。で一定の歳に達したバラモン階級の若者は生家を出、師の家に下宿する。そこでの食は托鉢(pindikaa)による。一般庶民は托鉢者には恭しく食を捧げる。なぜならバラモンは神の身代わりと定義されるなれば。処で大目犍連の母親は、アーリアバラモン制度社会で神の代弁者と定期されるその修業に在る者に托鉢時布施をしなかった。その故に死後懸垂地獄に落とされる。其の境遇から救い出すには、修業者に食の振る舞いが求められる。お盆の行事は施餓鬼(preta。亡霊。ひもじい・餓えた魂)と名付けられる。ここでの餓鬼(preta。亡霊。ひもじい・餓えた魂)とは誰を指したものでしょう。修業者に布施しなかった目連の母を言うのでしょうか。それとも夏安居開けの修業者でしょうか。それはとにかく、中国創設とされる盂蘭盆経の言う処は、第一義的には、仏教修業者への布施(daana。施与)を促す物語。なぜならバラモン世界では無い中国には、乞食者に対し食を施与する習慣・定義が無かったからでしょう。でもここに本来の盂蘭盆会(ullambana)の思想の示唆するところは、諸行無常(sabbe sankhaaraa aniccaa。 一切の形成されたものは変化する)を識って生命の有りようは相身互い。其処に倒れた人を観れば手を差し伸べ支えようの共生共存を言うものではないでしょうか。ご先祖云々は単に、物語の主、目連とその死去した母の表現からの連想とは言えないでしょうか。尚、釈迦はこの十大弟子・神通第一の大目犍連を釈迦の継承者とはしなかった。頭陀(dhuuta。衣食住に関する貪りを払しょくする業)第一の摩訶迦葉(Mahaakassapa. Mahaakaasyapa。)を指名したことは、拈華微笑に表される。
2014.08.14
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明日から、いざなぎ学園書道サークルの作品展が開催されます。 菖蒲の花咲く学園で、 で本日は午後から作品展示を行いました。 葉書はご自由にお持ち帰りお使い下さい。
2014.06.03
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六月四日からの、いざなぎ学園書道サークル出品作品の一つ、 禅語、「雲去青山露」が出来て来ました。 早速、額に入れ掲げてみました。
2014.05.26
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いなみ野学園に着きました。 いざなぎ学園生は一年生の学園外学習で一度はここを訪れるています。私も又この季節に。 緑豊かな広大な敷地に在る、兵庫県いなみ野学園。学園生も又沢山勉学されているよう。 羨ましい環境、施設ですね。
2014.05.20
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今日、私は加古川に在る、兵庫県生涯学習センター、いなみ野学園へ行きます。実は、順番は前後しますが、徳島県、大阪府に続き第三回広域連合構成府県市等高齢者大学生交流事業開催の、お世話を今年は兵庫県が為すことになり、その準備会が本日午後、いなみ野学園で初会合が持たれることに。私は思いも拠らず今年、いざなぎ学園四年生の学級代表になりました。学園では、四年生が学園自治会の代表に自動的になる。ということで、本日兵庫県各学園自治会代表会に出ることに。 いざなぎ学園では、今年学園施設改修工事が始まるらしい、 機会があれば、ことことも少し述べたい。県の学園関係者もこの会には出席されるはず。
2014.05.20
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三年前に山梨の蜂友から送って頂いた、ユリノキ、今年は順調に育つています、 、半纏木とも言われる所以の半纏の形をした、可愛い葉っぱ。 いつか綺麗な花を咲かせ、蜜蜂達に蜜を供給してくれるはず。
2014.05.18
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今朝、予て注文していた、書道用全紙額縁がはいりました。 二重梱包されて届いた、その外箱ですが、軽トラの荷台いっばいほどの来ました。 大きさに圧倒された私。 早速、全紙作品を 裏打ちに出してある、八一表具店さんにあずけて来ました。 半切額縁作品と、この全紙作品、あと何か一点、六月四日からの書道サークル作品に出品するつもりです。
2014.05.17
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東北被災地訪問の旅から帰宅し、今日で調度一週間。やっと心身共に以前の状態に帰った気持ちになり、忙しく駆け回った三泊四日。実動二日間の岩手県、津波の被害地をレンタカー上から通り過ぎた日々、それを書き遺すの思いになったと云うのが今。私達一行八人が夜の仙台に無事下りた事は、その日のブログに記したところ。その夜は仙台駅前ビジネスホテル泊りの事、夕飯は近くの居酒屋で済ませ、東北初めての夜は夜なか近くベッドに入り、なれぬ旅の空の第一夜の事、目覚めは四時前だったでしょうか。朝風呂に入りゆっくり身支度。一行八人の内、男性は二人。車の運転の責任は採らざるを得ない状態。実を云うともう普段は妻任せで近頃遠出の運転は遠ざかり状態。でも此処はその様な事は云って居れないか、で心の準備の時間を充分に採るべく、早く起き出し、朝食は皆より早く採り、気を調える。ホテルから東北自動車道までの市街地は、一行のリーダーの同年輩の人が運転し、高速道に入って私が、盛岡インターチェンジまでと云うことで運転。案ずるより意外に難なく進み、予定より早く路を取ることが出来た。幸先の良さを感じる。路面が凍る状態も無く、御天気も味方してくれたよう。予定の時間の午後二時過ぎ、太平洋側の宮古市を経て釜石のボランティアセンターに、少し説明を頂き、案内を受け近くの仮設団地へ。その道すがら津波被災地に車を留め、続いて浄土ヶ浜に立ち寄る。この御土産物施設の二階天井まで津波は来たとのこと。仮設集会所で出迎えて頂いたのは管理の人お二人。仮設住民の方との交流は此処では有りませんでした。被災後もう三年。仮設団地が生活施設として定着し、非日常の私達の訪問は生活から離れた時間の内なのかも・・。持参の手土産をお送りし、その場を後にする。夕闇が迫る。暗闇に、釜石のホテルに着く。何か地に足のつかない意識の、どこか異邦の地に在るような気の私。レンタカーの中のと、車外の空気の異なりを思う。ここはホテルで夕食を採り、それでも就寝は夜更けに成る。次の朝、第三日、十六日の朝も熟睡したの想いながら早い。亦朝風呂に入り身支度。(ホテル前の立て物、津波での破損の跡)朝食もそこそこに車内の人となる。その日は釜石から此の旅の起点の仙台まで。陸中海岸と云われる、云い得て妙の入江が陸地に切れ込んだ状態の地を一路南下。大船渡市を経て一本松の陸前高田。身近に見る一本松の意外な太さに現場訪問の意味確認。気仙沼市を経てお昼頃、南三陸町仮設役場に着く。昼食は調度出前のパンやさんが車で販売していたパンと、仮設診療所の飲料販売機のジュースで済ませる。此処には南あわじ市と洲本市の職員が出向中とのことでしたが、生憎南あわじ市の職員のみに出あい励ます。出向職員の励ましもそこそこに、其処を出て、石巻の仮設団地訪問に向かう。途中、ブルーインパルスの練習飛行を垣間見る。午後の半ば、大きな仮設団地に到着。此処も水産系高校のグラウンドに立てられた仮設団地とのこと。この集会所には三十人近くの団地住人の方々が御集り頂き、持参のかるた、羽根つき、こま回し、そしてみんなで合唱し時を過ごす。僅か一時間足らずの交流でしたが一時憂いを忘れ、時を過ごされたかと自賛する。そこそこにその場を離れ、最後の夜を過ごす最初の宿に至る。たった二日の被災地視察訪問の旅。其処に見えたのは、今は瓦礫が取り除かれ、ただっ廣い大地が広がる寒空の下東北の大地。津波の再来に備え平地のかさ上げ、山を切り崩し大地を造成する工事。ただ元の住居跡に家屋を立てて済ますことが出来ない今回の被災地。此の先何年懸けて生活基盤の再生が為されるのか。私には気の遠い年月の後の事に想えました。地球の営みの一現象の前に、人の姿の何とちっぽけな事か、でもその実感はやはり現場でのみ識られるよう。帰りの仙台空港ではいつもの三倍ものお土産を仕入れました。現地でお金を使うのも、少なからずのボランティアと、今回の私が為した支援はその程度の事だったでしょうか。帰路の機上に目にした富士山。
2014.01.24
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午後二時過ぎの関空行きバスに乗理、六時10 分飛行機発。七時半、仙台空港着。無事に仙台駅に向かいっています。夕食はまだです。
2014.01.14
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明日から、私達八人、いざなぎ学園二年生が計画された、東北被災地慰問の旅に出掛けます。八人の内、男性は唯の二人。三年生の私は欠員補充の飛び入り参加です。もともと私 は彼の地に僅かではありますがご縁があり、訪ねたいと思っていました。 阪神淡路大震災の時も、テレビ画面で見るのと現地の風景には、格段の違いが有ったの経験から、今回の呼びかけを得て参加させて頂くことにしました。この冬一番の寒気到来とのことですが、なんとかこの目で見た被災地の今を、お伝え出来ればと頑張る所存です。 皆様のパワーで支えてくだされば幸甚です。
2014.01.13
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先に、いざなぎ学園二年生有志、東北被災地訪問の旅に、私も便乗させていただく事は載せました。処で仙台には、私の小学校以来の友達が、東北大学を出、そのまま其処に住まいしていたのです。http://www.h4.dion.ne.jp/~dekunobo/此処にHPを開設する。フェイスブックにも時に私と会話していた、処が此処何日か書き込みが途絶えていた。それも気になり、今日、東北旅行の旅装につき、問い合わせましたが、何時もなら時間を置かず帰る返事無く、久々にページ訪ねると、何か変事が書きこまれていました。それを読む間もなく、彼の娘さんから、彼の訃報のメールが入りました。12月11日。私はコーラスサークルの追加講座の日で歌っていた日でした。私は今日、彼に当てメールしたその意識の中に、もしかして仙台で久しぶりに彼に会うことが出来るかも・・、と云う気も有りました。でもそのメールの返事が彼の訃報を知るメールでした。今月は、私の姉が大腸癌で急逝、四日前にはご近所の方が、ともに齢80代で亡くなりました。生命は明日知れぬものの意識、 今を精いっぱい生きる。合掌。
2013.12.17
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過日の「いざなぎの丘元気っ子フェスティバル」で、いざなぎ学園二年生が、被災地支援の文言記入活動をされていた。その用紙を一月の中頃直接お届の旅を計画され、予定の人数に欠員が出来、追加募集は二年生に限らないとのことで、以前から気になっていた私は早速応じ、お願い叶い、一ト月後を心待ちにしています。その時二か所の仮設住宅団地を訪れる計画とのことで、私は何か喜ばれる手土産をと考え、少しばかりの蜂蜜と、その上に本日は蜜蝋クリームを作りました。 (日本蜜蜂の蜜蝋)湯煎し溶かします。ホホバオイル一リットル。蜜蝋が大分溶けてきました。少し巣くずが残り見える蜜蝋。蜂蜜を精製した後の不職布を使用しアク抜き。奇麗な蜜蝋の出来上がり。ホホバオイルを入れようとすると寒気で凍っていたので、湯煎し溶かしました。溶けたホホバオイルを蜜蝋に混ぜる。蜜蝋とオイルの混合比は2対10の割合にしています。 寒い東北の地、寒さに向かう肌や手を少しでも養生の手助けになるはず、日本蜜蜂の蜜蝋とホホバオイルの混合、ハンドクリーム。ホホバオイル二リットルと蜜蝋400グラム。ともに湯煎撹拌し小瓶に仕分けしました。全部の人には行きわたらぬ事確実でしょうが、小瓶一瓶一家族ごとにでも使っていだければと思っています。
2013.12.13
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50年前といえば、私が高等学校を卒業した年。 そしてその年の今月今日、初めての衛星中継で、アメリカからのテレビ画面が送られて来る、と云う事で、確か真夜中を待ち、わくわくしながら白黒テレビのスイッチを入れ待つことしばし、現れた画面からは、合衆国大統領暗殺のニュースでした。 私は始め、今で言うドッキリ画面かと思いました。まさに信じられない報道が、初めての衛星テレビ放送だつたのです。それが50年前の今月この日の出来事。アメリカ合衆国大統領の暗殺とは、我が国で言えば、天皇の暗殺のごと、あり得ざるの認識の私でした。 それから50年。民主主義の権化が如きあの国で、未だに真相は闇の中の如き状態は、手を探り得ない大きな闇の力の為せる業との想像は。誇大妄想でしょうか。 光大いなる処、闇また深い。 振り返って、こんにち、 世俗法でがんじがらめにしようとする国、 そな国は健康と言い得るや。
2013.11.22
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今般拙速に作られようとしている所謂、特定秘密法案。私はそれに反対します。例えば、夫婦間で秘密の有る夫婦に、心から親密な関係が保てるでしょうか。国民とその政府とは、まさに夫婦の間に有ると思います。その夫婦間に在って、隣人との間で某かの共有できない物事が有るからと、夫婦の間にも秘密なるものを特定する、その夫婦間はもう破たんに近づいていると言って過言ではないでしょうか。夫婦・家庭で秘密がまかり通る間がらで、その仲がスムーズにいくでしょうか。私は此のたびの自民党の法案提出は、もう二度と野党には下りたくない、その一心の表れの露呈ではないかと想像します。もう一度云います、私はこのような戦前に帰るような、秘密国家主義に、未だ物言える今日、「反対」、と表明します。
2013.11.22
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料理材料偽装に思う。昨今、巷では料理材料の偽装云々の話題がかまびすしい様。其れは食の材料の品質差別を事細かく表示することで、付加価値を、ひいてはその結果料理の代金を上げようとの意識が働いての事かとは。それで今のところ食中毒当の不具合が発生したとの例は無いよう。事は安価な商品を材料偽装することで、少し高価に販売し利益を上げようとの意識が働いての事でしょう。処で此処に、死者を相手に安楽(sukha)世界へ導くとて、祈祷(brahman。祭式の言葉。祈願の言葉)行為を為し、その対価の如何で死者の行く末を云々しようと云う輩の事は、何時誰が検証し始めるのでしょう。曰く「死人に口無し」。仏行を行じた業の者、つまり行者(saadhu)ならば死後の世界に通じるらしいと、他人任せのこの隙間に例えば詐欺師はもぐりこむ。確かに仏陀(buddha。 目覚めた人)釈尊は、何年かの山籠りをされた。その結果の結論は、お腹が空いて食を求めるべく下山に至る。生命生きるすべは全て生後教えの結果では無い。「不生(asambhava。いまだ顕れていないもの。空)の仏心」。つまり今日云う処の、脳幹機能。因みにこの潜在知識・脳幹機能を鍛える行為、其れが坐禅・瑜伽(yoga。結び付ける。心身統一・肉体とその機能の確認。その反対にあるのが、今日のテレビを見ながらの食事)。この脳幹機能は両生類が今も維持する機能。魚が陸地へ這い上がろうとした時からの生命維持機能との事。つまりお釈迦様が確認した阿耨多羅三藐三菩提(anuttaraa samyaksambodhih。無上正等覚)。三藐(samyak。正。正邪を言うのでなく、和合・協和の意味。心的一致)菩提(bodhi。さとり。目覚め。真理の確認)それは何云おう、生きとし生けるもの全てはこの機能の上に成り立っているとの認識。宇宙の機らきの内の生命と知る。曰く「生も仏法、死も仏法」。曰く、此の生命将に「成仏・宇宙の機らきが成す業」にしかず。此処に至って、所謂葬式僧が何かを祈祷(brahman。祭式の言葉。祈願の言葉)して何が変わるでしょう。「生者必滅会者定離」は理。若し死者を蘇らせることが可能な行者にして死後の導きも可能と称する者あれば、多少傾聴の価有るや無し、しかし未だかって生命を自在に操ったと云う人の事は聞かない。此の事から、「引導を渡す」等の行為は到底有り得ない。これを偽装と騒がない者が高々食材の些事の表示に声高に云々するは笑止の域ではないでしょうか。まさに過日、現某宗管長の曰く、「お前は理詰めの細かいことを言いすぎる」と。???。
2013.11.04
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お願いします、有難うございます、の挨拶。仏教の原典般若心経心経は、色即是空空即是色で始まる。色即是空。サンスクリット語では色(ruupa。形。存在を認識できる物。移ろう物・無常)空(sunna。ゼロ・ニュートラル。普遍的存在)つまり大きく捉えると、世の中に存在する全ての現象は、宇宙(visvakarman。Visva・一切を、karman・造ったもの。空)、何も無いかの宇宙の顕現であると。それを身近に表現すると、お客様をお迎えする意識は「色即是空」と表されても良いかと。お客様(因みに、客とは移ろうものを意味)・「色」を歓びお迎えしよう、受け入れようとする大らかな意識・「空」。大らかな意識「空」に則り個々人・お客様を受け入れる時、それは「空即是色」と表されよう。処が此処にお客様を受け入れようと努めるようで、その対価を採る時、それは最早労働に対する対価の希求、色是色に他ならない。(因みに私は法施に対する財施?と)親の大らかな気持ちで子供たちを受け入れる意識では無く、同じ意識目線で物を欲しては、親も子も無いただの餓鬼(preta。亡霊。ひもじい・餓えた魂)ではないでしょうか。処で例えばイベント会場に来られるお客さまにも、この仏教意識が有ればそれ相応の礼儀に表されるはず。それは当日の会場でのマナー。「宜しくお願いします。有難うございました」の意識が自然に表されるはず。学園生が催す催しものは無料無私の行為。対価を求めはしない。お願いします。有難うございました。この挨拶が心から出来たなら、それは「色即是空空即是色」の理に則った行為と云って過言ではないかと。色即是空空即是色。佛道を歩む初めは、お互いを思いやる心だと思う。 合掌。
2013.10.06
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人間力の欠如衰退。 例えば、先日掲げた「玄関」での、 子供、家族対象イベントへ向けての竹を使用しての催しに向け、私たち老人大学三年生有志が居残りで為した作業で、其処に参加された予想外に多くの御婦人たちの、その意識の主に、本来イベント当日来場された外部参加の人々に作品作業参加、提供すべく用意する竹製品を、催し当日参加者が持ち帰られた後の、残り物を頂いて帰る。それは許容の範囲として、お客様に出される物を準備の日に、お客様に先駆けて持ち帰りたいと参加された人が在るとすれば、それは如何なものでしょう。 本来が年配の人対象の老人大学の事、参加された御婦人とは言え、大抵は家ではお孫さんの居られる年配のお人とお見受けする。 例えば、年に一度のお孫さん対象の御馳走作りをしたとして、お孫さんに御馳走する前に自ら先にたらふく口にした後、お孫さんに提供する御馳走とは何でしょう。御馳走の出来栄えの良し悪しは別に、先ず何はともあれお客の孫に一番に差し上げる、この心が御馳走ではないでしょうか。その意識無く先ずは我が家に持ち帰りたいとの意識は、お孫さん、お客さんに提供する前に我が自室でこっそり先に口にしたいの自我我欲の顕れで無くして何でしょう。 例えば先年の大震災当時、私は震源地で何日かボランティア作業をさせていただいた。それは、所謂「目の前に倒れた人有れば手を差し伸べ支えようとする」、それは社会的集団的生命としての人間本来の意識の発露。そこに全国からの支援の物資が参集し、其れを被災者に分配すべく、物資分配仕分けの作業がなされる中、地元学童保育に関わる保母さんと思われる何人かが、「良いものは除けて於いて私たちで・・・」と別にする実態を目にする。将にこれまた我欲、私利私欲の現場。 「木犀の香り」に観た幼女の心は歳経、長じては此処に至るのでしょうか。人間社会とは云うところの「悪貨は良貨を駆逐する」?。 今此処に思い返しこの国の指導的立場に在る人の姿をみれば、自らはその場しのぎの逃げ、言い訳に終始し、一般庶民はないがしろ、わが身を切る気なく政治・まつりごとを取り仕切ろうとする。これまた我欲先に立つ行為ではないでしょうか。 「上上にして下それに従う」。 民の竈に煙立たぬを観て、租税の軽減を図ったといわれる古の人の姿、今いずこ。 銭かね金で銭まみれ、ころころ心は転げゆく。 己に覚え在れば、尚哀し。
2013.10.04
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金木犀の花が咲き始めました。花の開花に先駆けて、甘い香りが早、辺りに漂っています。 木犀の香を聴きながら土曜座禅の時を待ちました。童女が三人山に上り来ると喜々として玄関に向かい、もみじの手で柏手を打ちます。付き添った叔母でしょうか孫の散歩のお供でしょうか年配の人、「お寺さまでは手を会わせます」。と、 教え通りに頭を頷くと振り返り私を目に止めると、何やら言葉を交わし手にした花籠を揺らせながら何を思ってか近づきます。「何かしていなければ納まらないものですから。小父さんに上げたいのでしょう!」。 私はその時その籠の何か?,そこに目を移すと折られた色紙が詰まっているようです。「小さな折り鶴!」。私は一瞬そう想い、その幼子の手に成る折り紙の喜びを共にしようとの思いの現れ?か!、とも想いました。「クッキーを・・・・」。 女の声で私の耳にその語も加えられます。 はにかみながらの小さな手から渡されたそれは、豈図らず折り鶴では無い折り紙がすぐ見られ、おし戴いた手の中に色紙で折られた筒状の、その中を望めば確かに焼き菓子が・・!。 微笑と共に頂きます。 三人三様に一包みづつ。 私はおし頂きます。 童女等の姿はそこに一層喜々として在り、 私は拝し頂きます。 木犀の 花の香りの広がりの ほの忍ばれる 篠はらのやま この文はもう20年近く前の震災の年の9月の末、調度今頃だったでしょうか、太邦老師を訪ね始めたころ、神戸六甲の禅師の庭で、土曜坐禅の時を待ちながら、その場の様子を後日書きとめた物。その時の幼女ももう二十歳は過ぎたでしょう。 木犀の香りとともに思い出す。
2013.10.03
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玄関。普通一般に家の入口を指すと想われます。処で此の「玄」の文字は「元」に通じひいては、玄妙に云う天の理、宇宙森羅万象の理を表すに通じる様。「玄関」。其処はその家を訪ねて行った人が、その家に住まいする人と最初に出会う場。それはその場のしつらえは其れとして、如何に一般整然に整われて在ったとして、そこでのその家の人の最初の対応如何で、家庭事情、ひいては家族の姿が瞬時に露呈するかと。其れが「玄関」の玄関たる呼び名の由来。そして今日其処に住まいする夫婦であれば夫婦仲の如何。近頃では女権有利の風潮に、将に其れがそのまま諸に顕れる事は無いでしょうか。そし大抵其のまま顕れる環境は、其処を訪れた人には、所謂に「砂を噛む」思いに至らせる。 「太古女性は太陽であった」とは女権の啓発に努められた女性の言葉だったかな。もし其れを理解する女性なら、常に身近に接する夫には熱すぎる存在を有していたとして、突然玄関から訪ねた他人をして酷暑を感じさせては如何なものでしょう。例えば昨日は例の催会の準備として学園清掃の後、有志が居残りで準備作業に精を出したはずが、催しの場に来場の皆さまに渡らぬ先に、製品をお持ち帰りの人の続出。それも大抵は男性任せ、自らは見役で製品作製に参加すること少々、「私のもの、私のもの」と自身作品制作会かのごとく在り帰らる。 また今朝は今朝とて、或る当人から体の急な変調で入院間近と電話あり、手近な蜂蜜を元気の元と、訪ね差し上げた。曰く。「今或る所から帰宅したところ。今から亦次に出かける」と、玄関での立ち話もままよ追い出される状態で門を出される。此処には其の屋の奥の日常が?・。 今日、日本人の、或いは人間の人間力の疲弊を感じるのは、疲弊した私の心の顕現でしょうか。私も亦他に漏れず、「玄関」で自らの心の疲弊が他人に伝わってはいないかと自省し、大人の人間として精進(viriya。 努力)しなければと思う。
2013.10.03
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私去年の11月頃から大阪箕面の、阪急箕面駅から徒歩10分ほどの禅寺へも、太那老師の提唱に参加しています。先の土曜日からは碧巌録の提唱が始まりました。老師の提唱を拝聴し後、私なりの読みを記すればとここに始めます。 碧巌録巻第一 第一則 武帝問達磨 垂示云、隔山見煙、早知是火、隔牆見角、便知是牛。挙一明三、目機銖両、是納僧家尋常茶飯。至於載断衆流、東涌西没、逆順縦横、与奪自在。正当恁麼時、且道、是什麼人行履処。看取雪竇葛藤。 第一則 武帝、達磨に問う 垂示に云く、山を隔てて煙を見て、早に是れ火なることを知り、牆を隔てて角を見て、便ち是れ牛なることを知る。挙一明三、目機銖両は、是れ納僧家の尋常茶飯。衆流を截断するに至っては、東涌西没、逆順縦横、与奪自在なり。正当恁麼の時、且く道え、是れ什麼人の行履の処ぞ。雪竇の葛藤を看取よ。(本則の問いに対するヒント。遠くの山に煙が上がれば其処には確かに火が有ると観、垣根越しに角が見えた、その角を見て牛か鹿か見分ける。少しのヒントで全体を見わけ、目算でも物の重量が量り知られる。これこそが禅者の姿。世間の出来事を見極める眼は色眼鏡の観方は無く事にあたって自由自在。その様な境涯に在るとすれば、これから出す問題にどのような判断をするかね。雪竇禅師の設問を見破れるかね。) 【本則】 挙。梁武帝、問達磨大師、如何是聖諦第一義。磨云、廓然無聖。帝日、対朕者誰。磨云、不識。帝不契。達磨遂渡江至魏。帝後挙問志公。志公云、陛下還識此人否。帝云、不識。志公云、此是観音大士、伝仏心印。帝悔、遂遣使去請。志公云、莫道陛下発使去取、闔国人去、佗亦不回。 【本則】 挙す。梁の武帝、達磨大師に問う、「如何なるか是れ聖諦第一義」。磨云く、「廓然無聖」。帝曰く、「朕に対する者は誰ぞ」。磨云く、「識らず」。帝契わず。達磨遂に江を渡って魏に至る。帝、後に挙して志公に問う。志公云く、「陛下還た此の人を識る否」。帝云く、「識らず」。志公云く、「此れは是れ観音大士、仏心印を伝う」。 帝悔いて、遂に使いを遣わし去きて請ぜんとす。志公云く、 「陛下、使いを発し去きて取えしめんとするは莫道、闔国の人去くも、佗は亦だ回らず」。(さあ始めるよ。 梁の武帝が達磨さんに質問したとさ。「仏教の教えの肝心要は・・・?。」達磨さんは応えられた。「あっけらかんと云うか、如何表すべきでしょうね。」武帝は、むっとして云う。お前さん偉い坊さんだと聞くから話をしているのに、その態度は何だ。達磨は云う。「さあね・・・。」武帝は取り付く島を見いだせず双方意識がかみ合わなかった。達磨は面倒なことになっても如何なものかと、揚子江を渡り魏に逃れた。月日が経って落ち着いたところで、武帝は学者の志公に、あの無礼な旅の僧の事を聞いてみた。志公は云う。「陛下はあの僧の事をよくよく御存じではなかったのですか。」帝は応える。「うーむ、余り良くは知らなかった。」志公は「陛下あの坊さんこそは誰あろう、当代一の傑物ですよ。仏教の何たるかをこの国に広めようと遥々お出でた方だったのに・・・」帝は自らの未熟さを悔い、使者を隣の国に差し向け呼び返そうとする。志公は云う。「陛下、多少の使者を送りだし引き戻そうとは、この国を挙げてこぞってお願いに向かっても、あの人は還りはしないでしょう。残念なことをしましたね。」) 「至道無難唯嫌揀択」因みにこの、梁の武帝とは仏教を庇護され寺を何寺も建立し自らも説教をしたと伝えられる帝だったとのことです。
2013.09.25
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月下美人。今年も咲きました。でも今回はこの花一つのみ。夕方。宵の口。午前二時。(夕方と宵の口の写真はアイホンでの物、後はコンテ゜シ゜て゜)尚アイホンからは適宜フェイスブック等に送信可能なので、近頃は専らそうすることになる。ここは御無沙汰気味。
2013.08.20
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一週間ばかり前に来た娘と孫たち、夏のおもいでにと昨日は、徳島・祖谷の吊り橋に行きました。御天気は何時ものように熱い日。私は此のところ体調がすぐれ無く、行きも帰りも妻が運転してくれました。朝、八時半、鳴門海峡に懸かる大鳴門橋渡橋にかかる。9時40分過ぎ高速を下りる。なにせ平家の落人が落ち伸びたといわれる地。嶮しく狭い曲がりくねった山道、10時40分過ぎ、祖谷渓谷。千尋の谷。10時50分過ぎ、道端の谷に突き出した岩に建つ、小便小僧の像と漸く見えた、祖谷温泉旅館の影。その下を覗けば此の高さ。此処で昼食と天然温泉懸け流しの谷底の温泉につかるつもり、処が生憎今日は満杯の様、駐車場から溢れた車が道端に数珠つなぎ、そこを通過し祖谷のつり橋に着いたのは11時半ごろ。娘と孫は吊り橋渡橋を初体験。その後近くの茶店で軽い昼食。河原で水遊びの後、帰路を採る。(河原から見上げる吊り橋)帰路は来た道とは異なる道を採る。途中、阿波池田付近でこれから此の地での阿波踊りに向かおうとするらしい、団体に出あう。此の町でも三日間踊るらしい。吉野川に懸かるJR四国の鉄橋。吉野川サービスエリアに寄ると、阿波踊りアトラクションが有りました。本場の踊りは洗練され美しい。ポスターに依ると6月から10月に掛けて有るらしい。此処でお風呂に浸かり、樽うどんを食べる。雲行きがあやしいので15時28分、そそくさと其処を出る。夕立。15時32分。前が見えないほどの雨。半時間ほど降ったろうか、その間40キロメートル程の間。徳島市内に近づくと晴れ間が覗く。詰まり淡路島は晴れているらしい。16時40分ごろ鳴門大橋を淡路島に渡る。 走行距離、300K程でしょうか、対向車に出会うと譲り合いすれ違う、狭いくねくね道。お疲れさまでした。これには云いつくされぬ感謝です。 そして今日午後孫たちは帰って行きました。一段と淋しい秋の訪れ。
2013.08.17
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昨日は早朝、熱いのにも関わらず、妻が望んだ庭さきの、ユリノキの苗木の根元に鍬を振い、猫の墓穴を掘り、其処に遺骸を箱に寝かせ、好物の食べ物を添えうずめました。その後川遊びに出かけ、河原から石を持ちかえり、それに孫が描いた墓標。ついでに昨年末急死した孫の家の飼い猫のお墓の墓標も石にしました。今の家族の様子を書き込んで・・・。
2013.08.16
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我が家の飼い猫、ショウちゃん。(在りし日の姿)娘の婿が飼っていたのですが、娘に子供が生まれるにつけ、我が家に来ることになり、その時生まれた孫はもう中学生。詰まり二十年近く生きていたはずの雌猫。街角の絵がテレビに流れる時、常に目にするような何処にでもいる、ありふれた白黒まだらの猫。このブログにも何度か寝姿がアップされたはずの、その猫が今夜息を引き取りました。一週間余前から飲まず食わずになり、(昨夜中にもうだめかと思っていましたが今朝の姿)初めのころは白い泡状の液を吐き出していした。いつもの事と思っていましたが、今回はそれが死への始まりで有ったよう。元が道端の子猫だったということで、手間がかからず、人懐こい猫で、子供たちが巣立った妻の、子供代わりに、妻の後を追い、事在れば妻の膝に抱かれ、まるで人間の母子の様な間柄、老夫婦二人の家庭で、わがもの顔にふるまって、それでも偶に妻がしかると罰悪そうな、気がね顔で距離を採るようで、その内また懐に収まるという、猫とは云え無邪気な子供を彷彿させる存在でした。(この姿の後、後方のピアノの下で、最後は横に寝、足は揃えて伸ばしていました。)今夏の熱さと齢も亦、人に換算すれば百歳近いような年齢。天寿の全うでしょう。私が夜中にトイレに立つと必ず起き出し相手をせがみ、一昨日はその間に私の布団に寝そべっていた。これは最後の挨拶だったのでしょうか。それが無くなると成るとさびしいもの。 此の猫を連れて来た私の娘と孫たちの見守る中、一つ痙攣し声あげては息絶えた。これで孫には今冬の飼い猫の突然死と、二度まで愛猫の死を見る事に、生命について身に思うことが有るはず。 残された老夫婦には此の先緩衝に在ったはずの存在が無くなっては、一匹の猫の死以上の失う生命と・・・・。先ずは指し当たって明日に成れば亦、墓穴を掘らねば。斯く云う私、先ごろから夏風邪で身をもてあまし気味。
2013.08.14
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今朝は何時もとは半時間早い、七時に家を出、神戸の五の宮の禅寺に、月例の碧巌会に行ってきました。半時間早く出るとこうも違うのでしょうか、JRの車内は比較的空いていました。私は知りませんが夏は夏時間という時間差通勤が有るのでしょうか。そして神戸駅に着いたのはこの時間。(写真は逆光で暗い)会の開始まで一時間半程も有るし、時計は朝の内とはいえ、今朝も熱かったので何時もよりゆっくり歩を進め、(大倉山公園の一角、宮城県の森)途中のいつもの椅子で小休止。目の前の公園球場は未だ朝の整備中。お寺に着いたのは、九時前でした。(山門への階段。神戸は坂の街)発汗を考えてゆっくり歩を進めたのでしたが、お寺の座敷に上がり着替えを仕様とすと、汗は滴る。着替えに使用の隣の部屋に掲げられる、山田無文老師の頃相(ちんそう)。(部屋から玄関越しに寺境内を望む)(本堂前の中庭)(裏山を借景の浦中庭)下着を着替え水道を借りて水タオルで上体を冷やす。 提唱のお部屋はクーラーが入っており、次第に体は安まる。一時間半程の提唱の間、姿勢を正し結跏趺坐で過ごす。体を調えると心静まり、水底の球が見られるように、真理の言葉は浸み渡る。私にとって坐禅は毎朝の洗顔のように心身の曇りを払拭する業。どの会でも坐禅無くしては出会えないと想われる人々と、屈託なくおはなしはずみ小さなレストランで昼食をともにし、帰路となる。(午後一時過ぎの神戸駅ホームから)行きに二時間、亦帰りに二時間かけて、熱さ真っ盛りの午後四時前に帰宅となる。朝家を発つときよりも、清々しい心身を得る。提唱は言葉の事、右の耳から左耳。でも坐禅したことは、身に安らいと成って残る。それは自ずから為したものにしか経験できない境慨である。座布団二枚と坐る空間が在れば良い。ゆったりとした時間と贅沢な空間。お勧めしたい業ではある。
2013.08.08
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亦亦、何もしたくない猛暑。その様な御天気の中、緑深い水田では、稲穂が出そろいました。さわやかな気分に成りますね。一日花の稲の花。 こうして後ひと月余には実り刈り取り、お米と成るのです。お米に成るまでには他人の手を、作業の半分ほど借りなければならなくなった今日、何時止めるか、今年限りで来年には切りを着けようかと、今年の田植えのころから思っている私。
2013.08.07
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昨夜は此の時期に恒例の「島まつり」。回を重ねて六十数回とか。昔は八月一二三日と決められていたのに、今は例の如く日曜を最終日とする七月末から八月の初めに。最終日の昨夜は花火の音が夜遅くまで響いていました。 さて本日私は玄米袋五袋を郵便局に出してきました。ヤフオクで落札されたお米。飯米にと蓄えて在りましたが、老夫婦のこと妻はパン食が多く、私も食が進まず残る事になり急遽販売に掛けました。一日に30K袋五袋を運んでは、腰に疲労が残らないか、そんなぐうたらの目線の先を本日は・・。これは寝室の隣の部屋。テレビの間であり、近頃はもうずっと前に建て替えた離れのお床の板、一間もの。採り置いておいたものを持ちこみこの頃は習字の机に使っている。その目先の中庭。見上げれば簾越しに咲き始めた百日紅の紅。部屋を変えてパソコン寝室の窓から、簾と風鈴。こんな翠滴る緑陰で一時仙境に、何の事は無い、窓下のこの葉陰。細く長く生きるも人の生命。
2013.08.05
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どんよりとした日曜日の朝。昨夜も風の気配無く、それでも嬉しいかな、我が家の我が寝室は夜半に成れば身を覆う物が欲しい気温。無風の夜の此の時期常に気をつけなければいけないのが、何あろう百足。昨夜は油断し寝入った首筋に這う物を感じ、思わず手が出た。亦振りはらったが少し噛まれたよう。直ぐに水洗いし氷で冷やし大事無く今ある。そんな厭な思いを払しょくすべく今朝は、妻が丹精込めての睡蓮の花の数々。この黄色の花はもう終わっていました。百日紅は咲き始め。花では無いけど、とうがらし。水の中のはな?。金魚。少しは涼しさを感じられたでしょうか。
2013.08.04
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暑い日々が続いて月が変わった。九月に入ったかと思いきや、これから尚熱さの増す八月ですね。でも此のところ一端の猛暑より少しは過ごしやすい日々です。 先日思い切って、これまでの携帯電話から、アイホンに替えました。これからは持ち歩き式のパソコン、電話もできるアイホンに移行するかと想われ、未だ頭がぼけない内に使い方を覚えられればと、会社を変えると機器の代金はタダと云うことで、でも月々の基本料金は高くなりますが、それはお小遣いを始末してと心決め、挑戦の日々。購入使用し始め今日で三日目でしょうか。四苦八苦しながらも漸く少し分かりかけて来たよう。若者のPC中毒は何万何十万人とか、ニュースに。私はそうはならないと自負しながら、この数日パソコンに首っ引き。要は便利に使いながら、出費を抑える算段に没頭です。でもインターネットは未だ何処でも使える状態では無いらしい。それが可能かと思いきったのに・・。
2013.08.03
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七月も終盤に差し掛かった。梅雨開けの早かった今夏、これまでに猛暑日は何日、熱帯夜は何日有ったろう。そして今夜が一番熱帯夜を感じる夜。 此のところ、十月の島内合同の学習発表会に向け、少し習字を書いている。隔日ごと、日に2・3枚。もう10数枚は書いただろうか。秋浦多白猿超謄若飛雪(秋浦には白猿多し超び謄るさまは飛雪の若し)牽引條上児飲弄水中月(條上の児を牽引し、みずを飲まそうとすると水中の月に弄れる)秋 雪 水 月と文字には涼しさが見られるが、書いている本人は汗ぽたぽたもの。 こんな蒸し暑い夜には、山懐に建つ我が家、ムカデがなぜかよく出る。今夏もう5匹は獲ったろうか、そして今夜も枕がなにかごそごそざわつき、さてはと慌てて頭を離し見て見ると、まさしくそれ。積んどくの書籍の枕で打ち殺した。しかたないよネ。 生ぬるい気、通る夜半。
2013.07.25
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過日、イングランドの丘の巣箱の定期観察の後、私の遠い蜂場の採蜜を敢行しました。因みにイングランドの丘の蜜蜂の群れは、その勢力を維持するに汲々の状態でした。中には巣箱を放棄し逃居した群れも有りました。詰まり此処の蜜源は、コアラの食糧のユーカリの木なのです。ユーカリの開花は何時なのか、以前2・3本の木に花がちらほら咲いているのが、見られましたがその後開花は無く、蜜は枯渇の状態と云うところ。今の時点では此処での採蜜は可能なのか不可能なのか、一向に先が見えない状態です。さて私の遠い蜂場の採蜜ですが、やはり余り貯蜜は進んでいない状態。それでも何とか一箱の採蜜が出来ました。重箱を開いて見ると、充分満足のいく貯蜜とは言えない状態でしたが。まあ3リットルと云うところでしょうか。不職布二枚重ねて蜜を濾過。重箱から出した状態。未だ巣落ち防止棒の割り竹が見えます。巣落ち防止棒を抜き去り巣、つまり日本蜜蜂の蜜蔵を壊している状態。蜜蔵が白蝋で密封されている完熟蜜で有ることが見て取れるかと。
2013.07.23
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本日は熱い中、七月二度目のいざなぎ学園が有りました。午前中は先日に続き、絵手紙教室。二週間前は葉書二枚に画きましたが、今回は葉書一枚と、団扇に画きました。葉書には家から持って行った、玉葱を画き、団扇には絵手紙の先生が持ってこられた、半割の西瓜の、その亦小割りにした物、良い処を先に取られ、残りの端の部分を手にし、画いてみました。どうも絵心が無い絵ですね。で、言葉で少し色着けを。さて何方にお送りしましょうか。住所と名前を書き120円切手を張れば宛先に届くらしい。皆さまの作品。皆さまお上手ですね。 午後は陶芸教室。学園から車で半時間ほど走った所の陶芸館の陶芸教室。私は香り線香を指す香炉を創ると決めていました。皆さまはそれぞれ茶碗やお皿、壁掛けの定番を創られた様ですが、私一人は香炉でした。お香を焚いて香りを興し、その中で書に親しむ。そんな香炉が一つ欲しいと思っていた矢先でした。でも焼きあがるのは未だ二か月先のことと云う。色は深い緑にしました。どのような出来上がりに成るでしょう。 私の蜂蜜館。
2013.07.17
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各地で記録的猛暑日が続く今年の夏。でも今の所いつもの夏の様に、簾と団扇で過ごしている私です。今朝の寒暖計はこのように未だ30度は指していない。湿度は、朝の事70%程を指しています。でも日中は40%ほど。この低湿度が気温の割には過ごしやすい原因でしょう。なんとか湿度が高くなければ、熱さでの体力の消耗は防げるかと、思いながら此の先長くなるはずの夏に備える私です。如何お過ごしでしょう。 私の、 日本蜜蜂の蜂蜜販売店。
2013.07.13
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今年の春先は何時にない蜜の収穫が有りました。この調子では如何ほどの蜂蜜が収穫できるかと、内心ほくそ笑んだ物ですが、此処に来て猛暑、やはり山でも蜜源が枯渇し始めたか、今日も山の蜂場に手入れに行ってみると、今年15群育っていた群れが、2群逃居していました。どうもやはり一つの蜂場では10群程しか育たない様。詰まり限られた範囲の事、蜜源も亦限られるということでしょう。そして猛暑は尚蜜の出を少なくするはず。自然界は生命生きるのに厳しく成っているのかな。 家の廻りの花々。涼しげに茂り始めた栴檀の茂み。もうこんなに実が大きくなりました。 日本蜜蜂の蜂蜜販売店。
2013.07.11
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