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生れ落ちて、幼少期より、対立の文化に飲み込まれ、対立の精神を育まれていく、現在の日本を(2)で憂いてみた。
私たちのような親となっていく世代が、そうして育ってきているのだから、事態は深刻きわまりない。
子どもは何といっても親の背中を見て育つ。
ちなみに、私たちの親の世代など、戦後、高度経済成長を築いてきた世代の中には、他との競争意識、対立意識がやたらと高い人を見かける。その競争心を煽られ、うまいこと金ヅルにされていく様を見ていると、なかなかに悲しいものがある。対立の文化においては、エネルギーが頂点に集まっていくようにシステム化されている。つまり、程度の差はあれ、頂点以外は皆奴隷同然と言える。いや、頂点さえも、転覆に怯える、哀れな奴隷なのかもしれない。
話がそれた。もとに戻そう。
そんな絶滅の危機に瀕している日本の文化、「和」の精神なのだが、希望が無いこともない。
日本には、「道」と名の付く芸道が多数存在する。
実は、その存在が、「和」の精神を自分のうちに呼び覚ますことのできる可能性、希望だ。
教育システム、と言えないこともない。
私は武道を探求する中で、そのことに気づかされる幸運を得た。
…ただし、ここにもあまりにも大きな落とし穴がある。
例えば、「武道」というと、何を思うだろうか。
剣道、柔道、空手道、合気道…。
いろいろ「道」のつくものは巷に存在する。が、しかし。結論から言うと、対立しない「和」の精神を養う道としての武道は、現在ほとんど存在していないだろう、ということだ。
最近は、柔道も随分テレビで放送されるようになった。柔道の競技が、である。どちらが勝つか、息を飲んで、見守る観客。わかるだろうか、もはや、根底が勝ち負けを競う、対立文化に支配されているのだ。剣道や空手道、合気道までもが、ほとんどそのような状態だ。
近年、武道教育必修化、ということで、中学校では柔道を取り入れているようだが、武道、という名前に踊らされているだけで、中身のないものが大半だろう。それにまつわる暴力事件の被害などが出ないことを切に祈るばかりである。
他の芸道、茶道、華道、書道などは心得がないので、何とも言えない。
茶道においては、高い道具を買い集めることに執心する輩がいる、と聞き、がっくりきたことはある。それこそ、形骸化の最たるものだ。
書や華を見にいくことはあるが、出来上がった作品を入選だとか、評価して競っているあたり、やはり、根底にあるものが揺らいでいるのではないか、と心配する。
大切なのは、出来上がった作品ではなく、それを生み出す過程で、自分の中にある「和」の精神を養っていくことだからである。その、養っていく過程、人間形成こそが、日本の文化、「和」の文化そのもの、と言えるかもしれない。
自分の中に「和」の文化を養うことは、現代の日本において、極めて困難と言えそうだ。しかし、幸いにも、その無謀に挑み続ける仲間がいる。あきらめず、進むのみ。