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先日、小学校の運動会の折、幼稚園児である長男と次男は、早々に競技を見るのに飽いて、木登りを始めた。

わが家にも植わっているが、カイヅカイブキという木はなかなか登りやすい。
うちの子どもたちがそうして遊んでいると、他の子どもたちも寄ってくる。
そうこうしているうちに、次男がよその少し大きい子に木から引きずり落とされるハプニングが。
見ていると、その際に次男は足を傷めたらしく、うまく歩けず、べそをかいていた。
少しして泣き止んだものの、難しい顔でうずくまっている。
「もう木登りせんの?」と尋ねると、足がままならない、という感じではあったが、木登りにリトライ。
身体と相談しながら、さぐりさぐり、という感じで登っていき、次第に笑顔を取り戻していった。

あぁ、これだよね、と閃くものがあった。
先の次男が表してくれた現象は、如実に痛みや治癒について物語っていた。
当然、次男とて、木から落ちて、痛みを感じたに違いない。足もパッと見、捻挫レベルだった。
だが、彼は痛みにのみ執着することなく、再び木に登る、という行為に夢中になることで、木から落とされる不安や恐怖を過去のものとした。乗り越えた、とも表現できるだろう。
その過程で治癒が起こっている。
痛みは、一部のマニアを除いて、基本的に喜ばれないものである。
できることなら、遠ざけておきたい、という心理がはたらくのか、現代では鎮痛剤やそれが塗布された湿布などが安易に使用される。
しかしながら、ここで目を逸らしてはならない事実が、痛みを発しているのは他ならぬ自分自身である、ということだ。
例えば、誰かに殴られて痛い、交通事故に遭って痛い etc 、一見痛みは他者によって与えられるように錯覚しがちだが、それを発しているのはやはり自分なのである。
痛みは治癒の過程や危機の回避で必要上自分の身体が発している。中には頭が作り出す疑似的なものもある。
であるから、実は、自分次第で、痛みは大きくも小さくもなり得るのだ。
自分次第、というのは、意識のおき方や身体の使い方、行動などである。
一番良いのは、先の次男の例の如く、目の前のことに熱中することかもしれない。
逆に、暇だと痛みに囚われることが多い。
痛みとうまくつきあうことは、即ち自分自身をうまく活かしていくことに他ならない。
当然のことながら、鎮痛剤などでボケさせている限りは、なかなか自分自身を活かしきることは難しいだろう、と危惧する。
そうそう、明響庵では当然「痛み」に対する相談にも応じます。
鎮痛剤に依存するのではなく、自分自身と向き合って、痛みを乗り越えてみませんか?
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